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  東方夢月録 作者:ふるべ
三十一章:人里に学ぶ
 宴から一夜が立ち、翌日。
 酒をたらふく飲んだにもかかわらず、逆に平素よりも速く起きた俺は、妖夢の作った朝飯を食べたのち、霊夢の要請で境内の掃除をした。
 適度に働き、適度にサボリ。そして時刻は周り、正午。
 俺は文と連れ立って、多くの人で賑わう人里を歩いている。
 
 そう。
 昨日の話――である。

 鍋をつついている途中、霊夢がため息交じりに漏らした言葉から始まった気がする。
 食材が切れた、とか。いや、酒が切れそう、だったか? どちらも言っていた気もするがとにかく、そういう話だった。
 それもそうだ。
 そもそも、昨日の夕飯は三人分で事足りるはずだった。それが何故か五人に増えて、更に献立は鍋だ。
 減らなかったのは米だけで、備蓄の野菜類は全て各人の胃の中に収まっただろう。更に言えば、酒宴となったのちのおつまみとして、干物やら漬物やら――結構な量が出て行ったはずだ。
 そんなことを愚痴りながら、霊夢はあからさまに俺たちを見つめてきたのだった。ただで飲み食いしたのだから食材くらい買ってこい、という隠しきれない意志が現れていたのは言うまでも無い。
 結果、妖夢がその標的になったのだった。
 しかし本人にも思う所はあったらしい。
「しばらくの間泊めてもらうなら、炊事洗濯などは出来る限り手伝いたい」とのこと。
 本当に、生真面目で良い子だ。そのおかげで、霊夢や萃香や文にからかわれていたのだが……。
 それはともかく。
 話は進み、今日一日を、妖夢が博麗神社に慣れるための日とすることになったのだ。当然、修行は出来ない。俺としては出来るだけ早く修行を始めたかったのだけれど……師匠にそう言われては頷くしかない。
 となると問題になるのは、俺の行動だろう。
 空き時間を妖夢に付き合うか、いやいや、それはかえって邪魔になるか、と思案していた所――それなら取材がてら人里を見に行かないか、と文に提案されたのだ。
 霊夢の許可も下りたので、俺は二つ返事で了承した。

 俺、妖夢、文の三人で人里まで下り、そして門の入口辺りで妖夢と別れて。
 俺は文と一緒に人里観光をしている。
「あそこが酒屋ですね。で、そこの角を曲がると、中々良い居酒屋があります。……あ、その向こうに見えるのは夜中でもやっている居酒屋ですね」
 隣を歩く文が、通りに立ち並ぶ店を次々に指さす。
「夜中って言うことは、妖怪も入れる……ってこと?」
「そういうことです。人里とは言いますが、妖怪も普通に買い物に来たりもしますし、今言ったように妖怪のために店を出している所もあります。ですが、ここで人を襲うことはできません。ここは、妖怪の賢者によって守られていますからね」
「なるほど、何かあったらその賢者が動く、と言う訳だ。襲われたくなかったら、ここに居ろ、と」
 つまりそれは、人里の外ではいつ襲われてもおかしくは無い、と言うことにもなる。ましてや夜中に外に出たら、相当の危険が伴う。
「そういうことです。それに、ここ人里には、賢者とは他に人間を守る者もいますから、今日の幻想郷では、人が襲われることはほぼ無いですね」
 襲われる例外は、不用意に夜中外を出歩いていたり、危険な場所に足を踏み入れたりする者だけらしい。こちらも弁えていれば、危険の九割は回避できるだろう。
「なるほど。まぁ、大体の仕組みはわかったよ」
 俺が頷いて見せると、文はお安いご用です、と胸を張った。
 懇切丁寧な文の説明のおかげで、人里とそれを取り巻く環境については大体を理解出来たと言えるだろう。流石新聞記者。環境や情勢には強い。
 だが、一つだけ不満が残る。それは――
「――でも、折角里に来たんだから酒関連以外の店も教えて欲しいんだけど?」
 頷いた姿勢から、顔だけを回してじろりと文を覗き込む。
 門をくぐってから今に至るまで。
 道中には様々な種類の店があったのだが、何故か文の説明の比重は九割酒に傾いていた。
 そもそも、居酒屋を紹介されても軽々しく入れない。一人で入る勇気も無ければ、財布の中身も無い。ざららと賽銭箱に手持ちを入れた日が恨めしい。
 いや、俺の持っている通貨が通じる筈も無いんだけれど。
「あ、やはり駄目ですか」
「わざとだった!?」
 嫌がらせ以外の何物でもなかった。
 文は曖昧な笑顔を返すと、
「わかりましたよ、では――」
 今度はちゃんと、居酒屋以外の店の案内を始めた。
 流石は新聞記者、だった。色々な店を知っているし、説明するのも上手い。
 最初から言ってくれれば尚良かった。
 そうとも、折角人里に来たのだから、面白そうな所を紹介して貰わなければ損だ。特に飯屋。
 勿論それ以外にも、俺の興味を引く店はたくさんある。
 そう、驚くほどたくさんあった。
 幻想郷は狭い。
 その狭い幻想郷の中にある、たった一つの人間の里。それが今、俺たちが歩いている所だ。
 文の話によると、基本的に人間の生活に必要な物はここで全て揃うらしい。そして、全てがそろうと言われるからには、ここ人里は俺が思い描いていたものより、遥かに近代的だった。
 江戸から明治にかけての庶民の町並みを、そのまま切り取って持って来たような感じ。しかも、片田舎の風景ではなく、何処かの城下町を連想させる規模と風景だ。旅行で行った京都の、太秦にある有名観光地を思い起こさせる。
 表通りに軒を連ねる、数々の店。細工、茶屋、八百屋、酒屋、小物屋――他にも、色々な種類の店があり、何処も人で賑わっている。全てがそろう、と言う言葉にも納得だ。
 今歩いているのはこうした店が立ち並ぶ大通りだが、少し小道に入れば、平屋に長屋、居住区があるらしい。歩きながらちらりと覗いてみたが、その佇まいに何故か心が躍った。
 もっとも、はしゃいでいたのは最初からなのだが。
 人里に入る門には、門番と思しき人物が二人立っていた。でも俺たちが普通に入れたし、多分あれは暴れている妖怪とかが入り込まないようにするためのものだろう。先ほどの話で、大体の事情は理解したし。
 それに、あの時の怪しさは俺の方が上だっただろう。今思い返してもはしゃぎすぎだった。
 いや、それも仕方ない……と思う。こうした町並みで人が本当に生活している。今でもこうした風景は何処かで見られるのかもしれないけれど、やはり珍しい物だ。
 それに、この世界でもちゃんと大勢の人間が生きていることが分かった、ということもあった。
 心細さとは少し違う。
 この世界でも、ちゃんと暮らしがあるということを知った。生活があることを知った。
 行き交う人。
 家族や友人、色々な人がいて。もしかしたら中には、妖怪もいるかもしれない。でもそんなことは関係なく、ここには生活があって、生きている人がいる。
 やはりここは、一つの世界なのだと。
 そう、理解した。それだけでも、ここに来た意味はあったと思う。
 勿論、珍しい町並みを見るのも楽しい。そう驚くべきことに、人里は和一遍では無いのだ。目を見張るような屋敷があったかと思えば、如何にも洋風な建物があったりする。
道行く人の服装も独特だ。和服の人もいれば、ドレスの様な洋服を着ている人もいるし、チャイナドレスの様な服まで見かけた。
 和洋折衷と言うより、国際的だと言った方がいいのかもしれない。外から受ける影響もあるだろうが、妖怪から受ける影響もあるのかもしれない。
 立ち並ぶ店の説明を聞きながら、そこらを歩く人を眺めた。
 大半は人間だと思うけど、もしかしたら妖怪も居るかもしれない。
 何せ、隣にいる文も、見た目は普通の少女に見えて、その実天狗と言う妖怪なのだから。
 ……まぁ、文に限らず、他の妖怪も見た目は人間っぽいけれど。しかも会う妖怪会う妖怪女性である。
 そんなことを思いながら文の顔をじっと見ていたら、文は視線に気づいたように顔を向けた。
「どうしました?」
「……や、なんでもない」
 なんとなく気恥ずかしくなって、首をかしげる文から視線を逸らした。
「……? そう言えば明月さん、なんだか眠そうですね?」
 逸らした俺の顔を、文が覗きこむようにして見る。
 しまった。
 そっちの話に持って行かれるとは予想外だった。
「ああそれはまぁ、色々あったんです。深いワケが」
「色々……?」
 俺の乾いた笑みに、文はますます首をかしげる。しかし、これに関してはもう何も言うことはない。俺の苦労話になるだけだ。
「まぁ、今は良いです。飯屋に着いたら、根掘り葉掘り聞かせてもらいますからね!」
 文は不敵な笑みを浮かべているが、俺は絶対に昨日の夜のことは話さん。話してなるものか。どう転んでも惨めなのは俺だ。
「あーそうそう、それで、その飯屋は何処にあるんだ?」
 何でも人里で上手いと評判の店らしい。我ながら露骨な話の逸らし方だが、気になっているのは事実だった。
「そうですねぇ……」
 文は立ち並ぶ店をきょろきょろと見回し、そろそろ着くと思いますよ、と言った。
「しかし、ただ飯と言うのは良いもんだねぇ」
「ただじゃないです。情報と引き換え、ですからね」
「分かってるって」
 頷いて見せる俺に、文は疑わしげな視線を向ける。
 外来人である俺に紫が接触していると考えるのは当然だし、口止めされていると踏むのも当然か。
 実際、何処まで話せたものやら。
 文が紫からどこまで話を聞けたかにもよるが、それを面と向かって聞くことは出来ない。では――。
「明月さん、何か考え事ですか?」
 文の声に思考を打ち切り、なるべく自然な風を装って答える。
「何を食べようか迷ってたんだ。定食屋だったらメニューも多いだろうし」
「なるほど、それは確かに大きな問題ですね。何を食べるかによって午後の調子も決まってくると言うものです」
 これだから侮れないのだ。一瞬の思考にも反応してくる。
 果たして今のも誤魔化せたかどうか。話は続いているが、会わせているだけかも分からん。
「ちなみにお勧めとかある?」
「確か、店のお勧めは――」
 情報に関しては、店についてその場で何とかするしかないだろう。という訳で、今は食事のことだけを考えることにした。
 未来のことも重要だが、今の腹減りも重要である。
 

 
 




「いやぁ、満足満足、と」
 若い店員の、毎度と言う威勢のいい声を背中に聞きながら、暖簾をくぐって伸びをする。
 とても満たされた気分。
 文お勧めの店と言うだけあって、出てきた料理はかなりの美味しさだった。これなら毎日通ってもいいと思わせるほどだ。
 伸びをしたまま、手をかざしながら空を仰ぐ。
 少々の雲。突き抜ける青空とはいかないが、逆に日影が適度な涼しさを持っていて心地よい。
 往来を行く人も増えていて、人里はにぎわいを一層増していた。
「まさか、甘味まで奢る羽目になるとは思いませんでしたよ……」
 そんな、活気あふれる昼下がりとは対照的に。
 会計を済ませて出てきた文が、うなだれながら、からりと店の戸を閉めた。
「どしたんそんな顔して?」
 文は答えず、財布をふるふると振る。
 なんでもない、と。
「違います! 予想以上の出費だった事を表しているのですよ!」
「ああ、そっち」
 その可能性は確かに否定しきれなかった。
「まぁでも、知る限りのことは教えたんだからさ」
 取り繕う様に言ったが、しかしそれを聞いた文の表情が更に曇る。
「うう、確かにそうですけど。情報量が出費に見合ってない……」
 腹も膨れて、満足げに笑う俺とは対照的に、文はがくりと肩を落とした。そして食べた物を確認を初めて、終わった頃には額に手を遣って溜息をついた。
 定食屋での取材と言うのは中々良いかもしれない。肝心な所を突っ込まれた時に、水なりなんなりを口に含めば一瞬の隙が出来る。
 まぁ、そんな小細工が通じる相手ではなかったんだけど。
 そんな感じで、一進一退のやり取りを演じ、小一時間の取材兼食事を終えた、結果。
 事件の詳細に関してはほぼノータッチ。
 俺の件に関しては、大まかな事情を話す、という範囲に収まった。
 紫が事件の詳細を隠した意図を読める範囲で推測するならば。
 やはり、事件の概要が広まることを恐れた、ということかもしれない。
 今回の件は、幻想郷の境界に関することだ。話を聞く限りでは、ここの境界は紫と博麗の巫女、つまり霊夢とで出来ているらしい。余計な混乱を防ぐのもあるだろうが、話を大事にすると余計な物も集まってくる可能性がある、ということだろうか。
 そう考えると、今回の事件に関して軽々しく口を開くことは出来なかった。
 俺は不慮の事故によってここに迷い込み、何故か帰れないと言う話をして、その裏に居るだろう人物が俺を狙っていることについては触れていない。
 勿論、事件の裏に居る人物の心辺りも聞かれた。
 けれど。
 知らない、と。ただ一言で済んだ。
 嘘をついた。
 勘ぐるような文の表情はまだ覚えている。しかし、それ以上、追及される、ことはなかった――――?
 嘘。
 
 嘘?

 その一言が、心の中に引っかかった。何かが腑に落ちない。

 嘘、を――?

 俺は文に背を向け、往来からも背を向けた。
 そうだ。
 何故、気付かなかった?
 少女の時だってそうだ、嘘をついて――今回も、嘘をついた。
 俺は、今まで。
 ここに来るまで。
 
 嘘をついたことがなかった。

 それを信条に? いや違う。それを誇りにしていたわけでもない。
 ただ当たり前のように思っていた?
 
 そんな――馬鹿な。
 驚きは、嘘をついたことじゃない。嘘をつかなかった(・・・・・・・・)こと。
 生きるために絶対必要だ、とは言わない。だが、相手を思いやる嘘だってあるはずだ。人間関係を築くなら、嘘を使わなければならない時もあるはず。
 物心つく前に、酷く怒られた? いや、心的外傷になるほどの事があったとしても、この年まで些細な嘘の一つもつかないわけがない。
 じゃあ何故。
 必死に思いだしても、俺の頭の中に嘘をついた記憶はない。両の手で押さえても、胸中に問いただしても、その記憶は出てこなかった。
 記憶の中を探る。奥深く。思いだそうとするたびに、鮮明(・・)になって行く思い出。忘れているわけではない、そう思わせる。
 なら、一体何故?


 ――何故俺は、嘘をつかなかった?


「明月さん?」
 背中越しにかけられた文の声に、目を覚ました。雑踏が戻り、涼やかな空気が戻っていく。
「お腹でも痛めました?」
 軽い調子で、声をかけられる。
「いや、なんでもない!」
 慌てて振り返り、平静を装う。変な心配をかけさせる必要はない。
 しかし文は、俺の顔を見て心配そうに表情を変えた。
「……本当に大丈夫? 顔が真っ青ですよ」
 気付かないうちに、よほどひどい顔をしていたらしい。
「なに、大丈夫だって。活きが良過ぎる白玉が腹の中で暴れているだけかもしれない」
 大きく深呼吸をして、笑って見せた。
 気にした所で、今どうにかなるわけでもない。嘘をついたことが無いだなんて――きっと、ただの思い違いだ。
 そう、無理やり納得する。
 考える時間はまだある、誰かを心配させてまで思いつめるべきじゃない。
「あー、そうそう。これからどうするんだっけ?」
 努めて明るい口調で、話題を変える。
 決して出まかせではない。実際、俺にこの後の予定はなかった。
「……予定では、稗田家頭首にお話を伺うつもりです」
 まだ心配そうにする文だったが、話を続けてくれた。
「明月さんは、私が取材している間、町を見て回りますか? もしくは、多少退屈かもしれませんが、同行しても構いませんよ」
 この町にも興味はあるし、出来れば見て回りたい。
 だが、この大きさ。いくら方向感覚が正確な俺でも、迷うことは必至だろう。それに、時刻も今一つ把握しきれていない。
 となれば、選択肢は一つしかない。
「お邪魔でないなら、ついて行く」
 迷わず返事をした。
 一人になった所を、往来で襲われるようなことがあるかもしれない。万が一を考えると、一人になることは避けたい。
「じゃあ、行きましょう」
「……あ! ちょっと待って」
 ふと思い出した事があり、歩きだそうとした文に声をかけた。文は立ち止まって振り返り、不思議そうな顔で俺を見る。
「昼飯ごちそうさま。かなり美味しかった」
 御馳走して貰ったのに、お礼を言ってなかった。しかし、流石は新聞記者である。環境や情勢にも強ければ、土地にも強い。
 文は、一瞬狐に抓まれたような顔をして、それから、柔らかく笑った。
「――腹が痛くなるほど食べちゃ駄目じゃないですか」
「良い店を教えたせいだな」
「ただに限りなく近い状態で飲み食いしておいて、こともあろうに私のせいですか? ……ほら、もう行きますよ」
「ち、ちょっと待って!」
 呆れたように溜息をつき、先に歩きだしてしまった文に遅れないように走って、隣に並ぶ。ちらりとのぞいた横顔は、まだ少しだけ笑っているように見えた。
「……変な所律義なんですよね」
「何か言った?」
 呟くように、文の口が動いたけれど、その内容を聞き取ることは出来なかった。
「いいえ、なんでもないですよ。……そうだ、稗田家について少し話しておきましょうか?」
 歩きながら、文は顔をこちらに向けた。
 結局さっきのことは言ってくれないらしいが、まぁ別にいいか。
 稗田家と言うのも気になる。
「ひえだ……?」
 文はこくりと頷くと、右手の人差し指を上げる。
「人里の知識人、とでも申しますか。稗田家は、幻想郷縁起という、幻想郷の歴史書の編纂をしている家系です。現党首は九代目、稗田阿求ですね」
「稗田阿求、か……。歴史家の家なんだな」
「特筆すべきは、歴史家と言うよりも、その能力にあります。彼女は、見聞きした物を絶対に忘れない」
 その能力があれば、確かに物事を記録するのには役立つ。忘れないと言うことは確かに重要だ。一度見た景色さえも、写真の様に引き出せるとなれば、妖怪の姿も、ありありと映すことが出来るのだろう。
 しかし、なんとなく心に引っかかるものがある。くしゃみが出そうで出ないような、もどかしい感覚。
「そして、稗田家の当主は変わらないのです」
「――代わらない? それはつまり、生きながらえている……妖怪ってこと?」
 俺の疑問に、文はかぶりを振って答えた。
「いいえ、違います。彼女は、閻魔と契約し、死ぬたびに転生を繰り返しているのです。稗田家当主として生まれるために。勿論本人ですから、能力は受け継がれますし、そうして記憶も受け継がれる」
「……転生」
 思わずつぶやいた言葉に、文が反応した。
「驚かれましたか?」
 俺は、文に向かって首を振る。
 信じがたいような言葉だが、信じないわけにはいくまい。何せ俺は、閻魔をこの目で見て来ているのだから。ならば輪廻転生もあるのだろう。しかしまさか、転生先を指定することも出来るとは思わなかった。
 それよりも、さっきから気になってしょうがないことが一つある。
 何処かで、何処かで聞いたような気がする。とてももどかしい。ひえだ、ひえだのあきゅう。稗田の――。
「なぁ、稗田って――――」どうしてもわからず、文に声をかけようとした時、
「さて、見えてきましたね。明月さん、あれが稗田のお屋敷です」
 文が、少し先にある、立派な屋敷を指さしながら言った。西行寺と比べると見劣りはするが、それでも人里では嫌でも注意を引く程の、大きな屋敷がそこに建っていた。
 






 洒落たただ住まいの門をくぐり、侍女と思しき人物に訪問の用件を述べると、事前に話が通っていたのか、すんなりと上がることを許された。
 侍女の案内を受け、屋敷の廊下を歩く。見ため通り、中も伝統的な日本家屋の造りであった。白玉楼に無かった、年月を感じる床や天井がなんとなく落ち着く。途中なんども人とすれ違った辺り、どうやら何人も召し抱えているようで、それなりの地位であることをうかがわせる。
 ただ、文とすれ違う時、時々恐ろしがるような目を向ける人がいるのが少しだけ気になった。仕方のないことだと分かってはいるのだが、何となく気分が悪い。
「こちらで御座います」
 船頭を務めていた侍女が、一つの襖の前で立ち止まる。そしてそのまま一礼すると、忙しなく何処かへ去って行った。
 ここに、転生を繰り返し、長い時を生きている歴史家がいる――。
 ちょっとした緊張を覚えてもいいはずなのに。
 俺は門をくぐってからずっと、稗田という名前について考え続けていた。
 歴史家。稗田。どこかで聞いたことのあるフレーズ。確かに知っているはず。
 出来れば、会う前にこのもやもやの正体を知りたかったのだが。
「失礼します」
 そんな俺の心情は知る由も無く、文はためらい無く部屋の襖に手をかけ、開いた。
 仕方ない。
 後に続いて、部屋の中に入ると――。
 二人の女性がそこに居た。
 頭に角ばっていそうな帽子を被った、銀色に所々青みがかった長い髪の、濃い青と白の服を着た女性と。
 花飾りを付けた紫色の短髪、花柄をあしらった黄色い着物に、緑色のベストの様な着物を重ねている。下は赤い。色鮮やかな服装の少女。
 四つの目が一斉に此方を見る。
「おや? 天狗のブン屋じゃないか。ここに用事とは珍しいね。君は歴史を読むより、歴史の一部を個人的に切り取ることを生業としていたと思ったが」
 そのうちの一人、青い服の女性が、文の顔を見て口を開いた。
「時には歴史に学ぶのも、記事を作る上では役に立つのですよ。まぁ、昔と同じような物は作っても新鮮味も無いし、売れないので適度に改変します。……それより、用事があるようなら少し待ちますが?」
 文の視線を辿ると、座っている二人の間にある机に、書物がこれでもかと積み上げられていた。
 一体何に使うのだろうか?
「いや、私の方の用は今終わった。そちらの用事があるなら私が出ていこう」
 青い服の女性は、花飾りの少女に一礼すると、積み上げられた書物の一部を抜き出して、そばにあった風呂敷に包み始めたが、
「いえ、これも折角なので、出来れば同席頂けますか。色々と聞いていただきたいこともあるのです」
「うん……?」
 女性は不思議に目を細めるが、立ち上がりかけた腰を落とした。文が礼を述べる。
 文の目的は、反対側に座っている花飾りの少女から話を聞くことだろう。つまり彼女が稗田阿求。ちなみに、今回は見た目に騙されていはいない。入って一目見た瞬間から、幻想郷見た目逆の法則をあてはめ、推理した。
 その結果当てることは出来たと思われるが、もう片方の女性は一体何者だろう。
 纏う雰囲気が少し他の人と違うし、閻魔とも違った厳粛さがある気がする。それに、文が話を聞く程の人となると、それなりに重要な人なのではないか?
「まぁまぁ、とりあえず座ってください。話はそれからにしましょう」
 進む思考を中断して、花飾りの少女に促され、俺たちは机を囲むようにして、敷いてある座布団に腰掛けた。
 花飾りの少女、稗田家現当主、稗田阿求――で、あろう人が静かに口を開く。
「お久しぶりです、射命丸さん。確か、夏の異変以来でしたか?」
「そうですね、あの時は確か、地震の歴史についてお話を聞かせてもらったかと」
「神社の件に関しては、お役には立てませんでしたが……。今日も御役に立てるかどうか分かりませんが、何でも聞いてください」
 花飾りの少女は、少しはにかみながら言って、視線を俺に向ける。
「こちらの方は、取材の御供ですか?」
「お供というか、当事者の一人だと私は思っていますけど。ね、明月さん」
 文がまた疑わしげな目を俺に向ける。それを見た他二人が、不思議そうな顔をした。
 ……なんだか、隠すのが面倒になってきた。
 そもそも、文が紫に接触したのはいつなんだろう。もし俺が来る前の話ならば、状況はだいぶ変わってきているのではないか?
 唯一の成功例である俺が出たことで、犯人がようやく動き出したのだ。ならば、天狗である彼女にも協力を仰いだ方が、手掛かりを見つけることが出来るのではないか。
 いや。
 やはりここは、慎重になっておくべきだろう。関連性を匂わせて、別アプローチで捜査させると言うのも良いかもしれない。なにしろ、俺たちでさえ犯人の目的は判明していないのだ。
 文の視線を流しつつ、二人に向き直った。
「初めまして、八代 明月と言います。不慮の事故で、ここに迷い込んでしまった外来人です。今は帰る方法を探す傍ら、博麗神社に居候させてもらっています」
 一応事情は伏せつつ、軽い自己紹介をする。外来人、と言った瞬間二人の顔色が変わったのは言うまでも無かった。
「外来人、ですか……!? 実物は初めて見ましたが、やはり私達と変わり無い姿なんですね……」
 花飾りの少女が、目を丸くして少し前かがみになりながら、俺の事をじっと見つめた。文の言うことが本当なら、俺の姿もこうして記憶されてしまうのだろうか。
「ほら阿求、私達も自己紹介しなくてはならんだろう。それに、あまり人をじろじろと見るものではないよ」
「あっ、す、すみません、つい……」
 蒼い服の女性が諌めると、花飾りの少女は俺に謝り、少し顔を赤らめながら身を引いた。それを見て、青い服の女性は微かに笑いながら、口を開く。
「私は上白沢慧音。ここ人里で、歴史の教師をさせてもらっています。それで、こっちが――」
 蒼い服の女性――上白沢慧音は、花飾りの少女に目を向ける。
「稗田 阿求です。稗田家の現当主で、幻想郷に関する歴史書、幻想郷縁起を執筆しています」
 花飾りの少女、稗田阿求はそう言って、ぺこりと頭を下げた。俺もそれに倣い、頭を下げる。
 見立て通り、此方の少女の方が稗田阿求だった。見ため十三、四の少女が当主と言うことだが、まぁそういうこともあるだろう。
「阿求とは、私の寺子屋で使う授業用の書物とかで、色々とお世話になっている」
 もう片方の女性、上白沢慧音は、どうやら学校の先生らしい。先ほど感じた雰囲気はそう言う事だったらしい。机の上に置かれている書物も、先ほど包んでいた本も、授業で使う教科書の様なものだろう。
 慧音が言い終わった時、部屋の襖が開いて先ほどの侍女がお茶を持って現れた。
侍女は軽く一礼して部屋に入り、それぞれの前にお茶を並べ終わると、また一礼して屁yから出て行った。


「……では、丁度お茶も来たようですし、そろそろ本題に入らせて頂きます」
 侍女がいなくなったのを見計らって、文がポケットから手帳とペンを取り出し、表情を引きしめた。見つめる二人の表情も、少しだけ固くなる。
 いよいよ取材開始だ。果たして、有益な情報が得られるだろうか?
「今日聞きに来たこと。それは先日の、外来人に関すること――じゃ、ないか?」
 慧音がちらりと俺に目を遣りながら、文に向かって尋ねた。
 文はその通りです、と頷き、視線を俺に向ける。
 なんだかこうして注目を受けると、事件を引き起こしたのが俺のように思えてくる。実施は被害者側だが、渦中に居ると言う点で変わりはないのだろうか。
「人里で、外来人が死んでいたこと。その件についての詳細と、以前に同じようなことが無かったか、それを聞かせて頂きたいのです」
「分かりました。ではまず、事件の詳細から話しましょう」
 阿求は何かを思い出すように目を瞑り、一呼吸置いて、目を開く。
「四週間前くらいでしょうか。民家が密集しているとある地域で、一人の男性の死体が発見されました。見つけたのは近所に住む村人。夕方過ぎ頃、ふらりと外に出た所、道端にうつ伏せになっている見慣れぬ人を発見した、とのことです」
「その、発見された男性はどのような……?」
「村人は、その人を見つけた時、死んでいるとは思わなかったそうですね。見知らぬ服装をした人が、家の前でうつ伏せに倒れている。何が何だか分からないけれど、外傷が無かったそうですから、気絶しているんじゃないかと、揺さぶってみたり、とにかく起こそうとして。しばらくやってもなにも反応が無いので、そのうち恐ろしくなって、近所の人に頼んで医者を呼んだ所、死んでいることが分かった」
「しばらくの間、人里はその話で持ちきりだったな。この世界の外があるのは周知の事実だが、そこに住む人、外来人を見たことがある人なんてそうそういない。それが、死体となって発見されたとなってはな……」
「確かに、私も明月さんを見るまでは、直接話をしたことはなかったですからね」
 文は頷きながら、手元の手帳にペンを走らせている。
 慧音は教師だと言っていたし、外来人のことについて村人から色々尋ねられたのかもしれない。もし色々と相談される立場にあったなら、村人間の話についてはかなり詳しいはずだ。
 今は文の取材中だから口を慎んでおくべきかもしれないが、当時の男の状態についてはもっと細かく聞いておきたい。
「その、上白沢さん。発見された当初の男の状態とか、男の特徴とか、何か知っていることはありますか?」
「男の特徴、ですか」
 慧音は一瞬、考えるようなしぐさを見せる。
「男に外傷が無かったのはさっきも出ましたが、男の表情は何か、この上なく恐ろしい物を見たかのような顔だったそうですね。魂消る……と言いますか。そうとしか言えないような状況です。竹林にいる医者なら、詳しい死因も分かったかもしれませんが……村の医者の話では、体の内にも外にも、死に繋がる様な物は無く、寧ろ健康そのものであったと」
 体に傷は無く、魂が消えるような状態。そう、魂魄が乖離したような――
「ん――?」
 待て。
 待て待て。
 複雑になりそうな思考を解きほぐす。
 答えはいたって簡単なものだ。難しく考える必要はない。
 なぜならば――。
 

 とてもよく似ている状態を、俺はよく知っているじゃないか。

 体に宿る生命力が(・・・・・・・・)極端に少ない(・・・・・)

 あの時の言葉が、脳裏に鮮やかに蘇る。
 常人では有り得ないほどの生命力、イコール霊力の低さ。それと、魂が消えたような人里の死体。
 つまり、それは――
「か、上白沢さん! いや、稗田さんでも! 人里に出たもう一人の外来人の死体はどんな様子だったんですか!?」
「うわっ!? どうした急に?」
 慧音から驚きの声が上がる。
 発見に浮かれてつい、机をひっくり返さんばかりの物凄い勢いで、前のめりになってしまった。
「す、すいません……」
三人の驚いた顔を見て、慌てて腰を落ち着ける。しかし、心の中の興奮は収まらない。
「それで、もう一人の死体の話でしたよね?」
「は、はい!」
 阿求が一つ咳払いをして、俺のせいで途切れてしまった話の続きを始める。
「二人目の死体が発見されたのは、最初の被害者が出てから一週間程でした。今度は町の往来――それも、人も増える昼時の事でした。何の前触れもなく、瞼を閉じた一瞬に、何も無かったはずの所に死体が現れた。あの時は、大騒ぎになったと聞いています。なにせ、その死体は――およそ人と呼べるものではなかったと聞いています」
 言葉を切り、阿求は亡くなった人を悼むように目を伏せた。
「私は、その場所に居合わせたんだが――――あれは、酷い物だったよ。あの場に阿求がいなくてよかったと思う」
 そう語る慧音の表情は渋い。それだけで、その死体がいったいどんな様子だったのか、おぼろげに理解する。少なくとも、忘れることの出来ない少女にトラウマを待たせるには十分だと言うことだ。
 肉体と言えるものがほぼ無かった。外来人だと分かるくらいのものを残して、バラバラにでもなっていたか。
 想像しただけで吐き気がする。そして、それが自分にも訪れていたかもしれないと思うと、言いようのない寒気を覚えた。
「すみません。嫌なことを思い出させてしまったようで……」
 気にすることはないですよ、と慧音は微かに微笑んだ。
「――でもおかげで、一つ分かったことがあります。二人ともありがとうございます」
 魂の消えたような、外傷の無い死体。
 そして次に現れた、人とは呼べないような有様の死体。
 閃きは確信に。
 紫の言葉は、一言たりとも間違っていなかった。


 俺が、唯一の成功例だったんだ。


 移動だけじゃなかった。
 ただ外の人間をこちらに来させるだけなら、死ぬことも無かったはずだ。この結界に、人を殺す作用はないと。例えそれが無茶な転移であろうと、精々出る場所が指定できないくらい。
 体から霊力を抜き取り、死ぬ一歩手前の状態にすること。
 そして、その状態でも生きていられる肉体に改造すること。
 十五人の実験を経て、十六人目である俺でようやく、犯人が行った人体改造は成功した。
 結果として俺には、常人ならざる低い霊力と、身体能力が備わった。


 ……馬鹿げている。
 沸々とこみ上げてくる怒りは、何時かのように頭を、白くどす黒く染め上げる、憑き物ものようなものではない。
 冷静さと、確かな怒り。
 勝手に体を弄られたこともある。ただ運良く生き延びただけで、俺だって下手をすれば死んでいた。
 しかしそれ以上に。
 個人の下らない理由で、無残にも失われた人々の事を思うと、悔しくて仕方が無い。
 俺の前に来た人々は皆、実験により命を失ったんだろう。
 人里に現れた死体。
 一人は、霊力――生命力が消えて、魂が無くなってしまった。
 そしてもう一人は、肉体の改造に耐えきれなくて、無残な死体となった。
 それが、十五人も続いたんだ。
 外界から無理やり連れてこられて、恐怖におびえ、結果、何も分からずに死んでいった。もしかしたら、死ぬことさえわからなかったかもしれない。最後に見たのは、あの黒い、暗い――。
 もしそうだとしたら。

 なんて、惨い死。
 
 犯人は、十五人もの人を殺め、その上尚、何を求めて俺を襲うのか。十五人を殺すほど、犯人のやることに意味はあるのか。
 そこに何がある。
 他人の命を奪ってまで、この世界で何がしたい?
 ここはそんな場所じゃないはずだ。決して、誰かの命を奪うために、不思議なことがあるわけじゃない。
 いかなる理由があっても、犯人を行為を許す気にはなれない。
 そして知らなければならない。犯人の目的を。理由を。殺した意味を。
 でなければ、死んだ人々も浮かばれない。
 元より意のままに死ぬつもりはないが、敵の正体を知るまで、尚更死ぬわけにはいかない――

「明月さ~ん。今の言い方だと、取材が終わったかのようにも聞こえますが~?」
 ふと、隣から恨めしそうな声が聞こえた。
 思考を中断して見れば、文が渋い目をして俺を見ている。
「あ……。ご、ごめんっ! もう黙っているから、続けて続けて」
 謝りつつ、その場から一歩退いた。
 どう考えても話し過ぎた。今回はあくまでも文の取材だと言うのに……。
「いや、いいんですけどねぇ。おかげで、確信も持てましたしね」
 不満げな様子は残る。が、それ以上の収穫を喜ぶような素振り。
 はて、なんだろうか。
 そう言えば、俺が話している間も、ペンの音が絶えなかったような気がする。
「――――あ」
 その事実に気付いた途端、文の顔が不敵な笑顔に変わった。
 そう。
 どう考えても、話し過ぎだったのである。
 これでは自分から、二つの事件と関連性があると言うことをばらしたようなものだ。
 迂闊。折角嘘をついてまで、匂わせる程度にとどめておこうと思ったのに――。
「ま、そういうことで。それではお二人とも、話の続きを」
 一歩後ろで押し黙る俺を尻目に、文はもう、取材の続きを始めていた。二人に話を聞いては、手元のノートに、かなりの速さでメモを取る。あの中に、俺の話したことも書きこまれているのだろう。
 ………まぁ、言ってしまった物は仕方ない。もうどうにでもなってくれ。そもそも、嘘をつくこと自体が無理だったんだ。
 発見の衝撃が大きかった。それに、文には情報をまた一つながしてしまったが、此方が得たものもそれなりに大きいし。
 案件一を放棄して、思考を切り替える。文の取材が終わるまで、まだ時間もあるだろう。貴重な話をまとめるには良い時間だ。

 ――犯人の目的。

 外界から無作為に人を売れて来て、魂と肉体に改造を施す、その目的。
 一つずつ疑問を氷解させていけば、何か見えてくるような気がする。
 まずは――そう、何故外の世界でそれをやらなかったか。
 犯人が改造に使った手段は霊的な力。ならば、科学的発展を遂げた外界では、力が制限される、ということが考えられる。
 しかし、例えば紫の力は外界に干渉できるものだし、一人の人間に効果を及ぼさせるのなら、その人間の目の前で相手の認識を一気に書きかえる様な事をやってしまえばいい。例えばあの、呑みこまれた闇のような。
 妖怪などいない、と。
 その世界を、一気に崩れさせるような実体験。
 つまり、わざわざここに来させる意味はないのだ。あんなものが目の前に現れれば、誰だってこの世ならざるものを信じる。まぁ、ここと向こうで力に多少の違いはあるかもしれないけれど、僅かな違いと行っても良いのではないか。
 なら何故、この世界である必要があったのか?
 その答えはおそらく、俺の体に起きたことと繋がり、犯人が俺を襲いに来ることと繋がるだろう。
 俺が初めてここに来て、紫に襲われた時。
 紫は、犯人の狙いを、乗っ取りだと言ったはずだ。
 俺の体を乗っ取り、自分の物にする。

 つまり、だ。
 相手には、実体が無いのではないか?

 魂の上に、相手の魂を上書きする。
 超微量な俺の霊力を消し去って、犯人が俺に取り憑く。
 体はその為に調整され、取り憑いた後犯人が使いやすいように、身体能力の改造をされた。
 多分、その説で多くは通るだろう。
 しかし、分からないことがまだある。
 相手は実体が無い――と、だが、パチュリーが会話した人物と、妖夢がぶつかった人物には、ちゃんとした姿があった。
 幽霊、ではなく、亡霊、と言うことか? しかし、亡霊には姿がある。取り憑く事が出来るのか……?
 今一つしっくりこない。だが、幽霊よりは亡霊に近い存在、という定義にしておく他はない。それ以外、俺には思いつきもしない。誰かに詳しく聞く必要があるか――。
 加えて言えば、肉体を求める犯人が、何故俺を殺そうとするのだろうか。折角取り憑きやすい体になっているのに、死んで魂が消えたら肉体も死んでしまうし、それでは意味が無い。それは、人里に現れた外傷の無い死体が示している。
 更にもう一つ。
 仮に肉体を得たとして、犯人はその体で何をする気なのか。15人の失敗を出して尚、肉体を欲しがる理由。どんな理由があろうと許す気にはならないが、これも知らなければならないことに違いない。
 結局、犯人のやったことについては理解したが、肝心の中身が分からないままだ。依然として敵の正体も掴めなければ、居場所さえも掴めない。相手の出方待ちでは、事の進展を図るのも難しい。それに、下手を打てば俺が死んでしまう。
 何か、相手の事を知る手がかりがあれば良いのだが――。
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