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  東方夢月録 作者:ふるべ
二十八章:剣戟纏う二振りの刀
 突風。業風。
 それは剣の閃きでは無く、最早弾丸のそれであった。
 風の唸りが、俺の真横で雄叫びをあげる。


「――っ! これはどういうことだい!」
 一振りの剣の向こうに、小町の姿が見えた。
 まさに一瞬。段上で身を屈めた少女は、二十段を飛び降り、先刻まで俺のいた場所を断ち切った。
 空間さえも――と思わせるほどの一閃。
 すんでの所で避けることは出来たが、もし少しでも遅れていれば、俺が二人になっていた所だろう。
「小町ッ! 説明は後だ、今は――」
 膝をついたまま繰り出された妖夢の二撃目。横薙ぎに振るわれた刀を大きく後ろに飛んで避けた。
「こいつを何とかする!」
 二十段上から飛び降りたのにもかかわらず、妖夢はすぐさま体制を立て直し、後ろに飛んだ俺に迫る。
 やはり、狙いは俺か!
 上段から放たれた剣を、左にかわす。続けざまに振るわれた逆袈裟を、後ろに飛ぶ。
 間髪いれずに一太刀。更にそれを、横に飛んで避ける。
「くそっ……!」
 ナイフと違って、刀の攻撃範囲は広い。
 更に、無意識に刷り込まれた恐怖のせいなのか、いつもより大げさな避け方を取ってしまう。
 後退一方、体制を整える暇も無い。
 加えて――。

 閃。
 閃々。
 閃々閃光の如く。
 刃の閃きは、止む事無く降り注ぐ。
 流れるような動き、無駄を限りなく排除した、合理的、機械的なまでの鋭さ。
 風は、刃に遅れて乗る。――それほどまでに、彼女の斬撃は迅い(・・)のだ。
 気を抜けば、一刀のもとに斬り伏せられるだろう。刀を取り出す暇さえない。

 このままでは、まずい――そう、思った瞬間。

 「明月!」
 妖夢の背中越しに、小町の姿が見えた。それは瞬く間に陽炎のように揺らぎ、次の瞬間には誰もいなかった。
 そして、その光景に目を疑う俺の隣には既に――――小町の姿があった。
「……! 距離か!」
 俺たちが移動したときもこんな風に一瞬のうちだったに違いない。
 彼女一人なら予備動作もなく、一瞬の内にここまで飛ぶことが出来る。
「こんなことなら、鎌を持ってくれば良かったね……! 素手で刀を相手にするのは厄介だが――」
 苦い顔をして俺の前に立った小町に、妖夢が襲いかかろうとしていた。本命は俺だが、邪魔するのならば誰でも……と言ったところか。それは確か、紅魔館の時もそうだった。
 妖夢は刀を上段に構え、一気に振り下ろす。
 目で追うのがようやくなそれを、小町は体を僅かに傾けただけで避け、黒塗りの草履で刀を踏んで抑え込んだ。
「やるしかない、かねぇ!」
 気合一声、高らかに声を上げ、前のめりになった妖夢の、がら空きの鳩尾へ掌底を叩きこむ――!
 下から上へ。前面から――後方へ。
 抉りこむような打撃をまともに喰らい、妖夢は一歩、二歩と後ろに下がる。小町の顔は、確かな手ごたえを感じたようだった。

「――――駄目だ! それじゃ止まらない(・・・・・)!」

 動作の止まった小町に向かって、俺は必死に叫び声をあげた。
 体の損傷じゃない、今の妖夢を動かしているのは、ただ単純な命令。
 まるでその声に反応するかのように、後ろへよろけた妖夢はかかとで土を強く踏みしめ、小町に向かって斬りかかった。蹴りあげた砂埃が舞う。
「今のを喰らって、まだ動くかい!」
 小町は舌打ちをすると、くるりと回りながら後ろに飛ぶ。妖夢の刀が、すれすれのところを切り裂いた。
「なら、出血大サービスだ。しばらく銭と遊んでろ!」
 着地と同時に、小町は懐に手を突っ込む。
 直後。まるで雨が降り注ぐかの様な騒音と、色鮮やかな壁の様な物が辺りを支配した。
 見れば、数え切れないほどの小銭が一面を覆い尽くし、緑色の少女の姿をその壁の向こう隠していた。

 小町はなおも銭をばらまきながら、俺の隣まで下がる。
「これで暫くは出てこれないだろう。今のうちに作戦会議といこうか」
 一体どこからそれほどまでの量を、と言いたくなったが、今はそれどころではない。
 とにかく、手短に状況を説明しなければ。
「妖夢は今、誰かに操られている。手っ取り早く治すには、どこでもいい、俺が彼女に触れさえすればいい」
 銭の嵐の向こうを警戒しつつ、一気に捲し立てる。
 ちらと見えた、妖夢の困惑した表情。間違いなく、以前のものと同じだ。
「さっきのとおり、打撃はほぼ無意味。気絶させるくらいじゃないと、一瞬動きを止めるくらいにしかならない。性質の悪いことだが、操られている方の体力なんかお構いなしみたいだ」
 咲夜のときもそうだったが、確実に決められるという一瞬の時は、同じく操られている者を巻き添えにしようとお構いなしらしい。
 それに、彼女たちはただ操られているだけだ。出来れば悪戯に傷つけたくはない。
「妖夢の狙いは基本的に俺だ。だから小町は、妖夢の動きを封じてもらいたい。――あの銭投げ、もっと狭い範囲に出来ないか?」
 小町は一瞬難しい顔をしたが、すぐに頷く。
「一応アレも公費なんだが……命には代えられないね。ただし、それなりに時間がいる」
「わかった。その時間は俺が稼ぐから、そっちに集中していてくれ」
 一際大きい鉄の音がして、振り向く。
 もうすぐあの銭の弾幕も破られるだろう。
「でもお前さん、素手で大丈夫なのかい?」
 がんがんと、叩きつけるような鉄の音が近づく。
 小町は心配そうに、俺の顔を覗き込んだ。
 俺はそれに、無理やりな笑顔を作って、返す。


「なに、刀なら――ずっと持っているさ」


 言い終わると共に、目の前を覆い尽くしていた銭の大軍が真っ二つに割れた。
 耳障りな鉄の音が鳴り響き、その真ん中から、白と緑の弾丸が迫る。
「小町、後は任せた!」
「ああ、そっちも気を付けな!」
 小町はふわりと浮かびあがり、妖夢の攻撃の範囲外へ。
 もうこれで、俺を助ける者はいない。しばらくの間は一対一だ。
 ――本物の剣士と。
 刀を構えたまま、妖夢は一直線に此方へ向かってくる。
 少しの距離など、あっという間に詰められるだろう。だから早く、早く取り出さなければ――
「いや、違う、それじゃ駄目だ!」
 焦るな。
 焦れば焦るほど、形は崩れていく。

――深く息を吸い込み、そのまま止める。
 敵の構えは上段、ならば振り下ろされる軌道を予測しろ。そして、そこに刀を現せればいい。
 抜く必要はない。

――目の位置より少し低め、やや右寄りに右手を。
 右の手に柄と鍔をイメージする。
 余分な力を込める必要はない。それを、握る。

――目は開いたまま、目の前の脅威を見据える。
 柄の先、反りながら真直ぐ。刃をイメージする、
 白銀に輝く刃、人殺しの力、守るために求めた力。
 
――名は無い。
 しかし。


 だからこそ、何処にでも在れる力がある。


 眼前に、一振りの刃が迫っていた。
 無機質な、機械的な一撃。
 命を刈り取ろうとする一撃。

 刀の動きが、やけに遅く見えた。
 コマ送りの様に迫るそれは、死の淵に見る走馬灯のそれか、果たして――
 

――――強く強く、明瞭に明確に、

――――求めた力を、描き出す。
 



 空気を切り裂くような、鋭い音が響いた。
 まるで鈴を打ち鳴らしたかのような、澄んだ音。しかしそれでいて、あらゆるものを断ち斬るよるな鋭さがあった。
 瞬くよりも早い、刹那。
 七十五分の一秒に過ぎない、ごく短い間の音。
 それでも俺には、何よりも長く、何処までも響いていく音のように感じた。

 遅れて、右腕に伝わる衝撃。
 何も無かったはずの右手には、しっかりと、
 夢現を操る刀が握られていた。


 呆けている暇は無い。
 刀を取り出し、受けることが出来た。だがそれは、当然成されるべきこと。いま大事なのは、先手を打つこと。
 目の前には妖夢がいる。この距離なら、いける――!
 俺は空いている左手を、妖夢に向かって伸ばそうとする、が
「うわっ!」
 妖夢は瞬時に刀を払い、後退し、俺から距離を取った。突然現れた刀に、動きの隙さえ見えなかった。
 隙を見て能力を解除しようとした、俺の目論見は見事に外れた。万事うまくはいかないらしい。
「……?」
 さらに、予想外のことが起こった。
 距離を取った妖夢はいきなり切りかかることもせずに、俺の様子をうかがっているのだ。いつでも飛びこめるように構えてはいるが、その姿は明らかに俺の行動を観察している。
「まさか……」
 違う。
 紅魔館の時と明らかに違う。あの動きは、俺の能力を考慮に入れた動きだ。解除するためには、手で直接触れることが必要だ。
 操作に、ある程度の指向性を与えることが出来るのか――?
 躊躇うようなしぐさを見せていた妖夢だったが、再び腰を落とし、飛びかかるように突撃してきた。
 袈裟切りで繰り出されたそれを刀で防ぐ。そして、矢継ぎ早に繰り出される斬撃。
 その動きは明らかに、俺の手を警戒したものであった。
 集中して、目でようやく捉えられるほどの速さの斬撃が、休みなく繰り出される。刃と刃が打ちあう音。剣戟の音が、絶え間なく響く。
「これ、じゃあ……っ!」
 唇をかみしめ、次々に打ち込まれる刀を受ける。
 防戦一方だ。
 さっきみたいに左手を出せば、今度は一瞬のうちに斬られる。手も足も出ないとは、まさにこのことだろう。
 この刀も弾幕を出せる。それを使えば一時的に離すことも出来るだろう。
 しかし。
 それを使うには、鍛錬が足りなさすぎた。
 間をおかずに繰り出される斬撃の間を縫って放てるほど、俺はこの刀を使いこなしていない。
 さっきの、刀を取り出すのだってそうだ。今みたいに、敵が真っ向から勝負を仕掛けてくれるとは限らないのだ。
 そんな状況であれだけの時間をかけられるはずが無い。瞬時に取り出せなければ意味が無い。
 
 俺は――。
 迷いに囚われて、進む事をしなかった。
 刀の恐怖に負けて、刀を知ることをしなかったんだ。
 目を逸らした。
 力を知ることは、力の使い方を理解することではなかったのか。恐ろしさを知ることで、初めて分かることがあったはずだ。
 迷い、悩みながらも、勧める道はあった。ただそれを、見ないようにしただけだったんだ。
 その結果が、今現れている。
 誰かを傷つけるとか、傷つけないとか。
そういうやり取りというのは、相手と対等か、それに近い実力を持って初めて言えることだったのだ。

 今のこれは闘いじゃない。
 相手の一方的な暴力だ。
 これでは、自分の身さえ守れない。

 絶望的なまでの実力差。そして、自らの失態を痛感し、顔を歪ませる。
 その一瞬、目の前から、妖夢の姿が消えた。
 背筋に走る悪寒。前へ一歩出て、すばやく半身で後ろを向き、胴を狙う刀をすんでの所で防いだ。
 ぎゃり、という今までにない嫌な音が鳴る。付け焼刃の剣術では、今の一撃は捌ききれなかった。初心者の受けに付き合ってこれる程の刀だ、刃こぼれはしていないと思うが、それでも良く無い兆候に変わりは無い。
 隙を見せたことに舌打ちを衝いて、また一歩後ろに下がる。
 今はそれどころじゃない、悔んでいる場合ではない。
 なんとか今を凌ぎ、この先へ進む。
 その為に俺はここまで来たんだ。

 前進と共に繰り出された斬り上げを、辛くも捌き、思う。
 
 ――段より降ってきた初撃は弾丸だった。
 
 二撃、三撃、繰り返す閃々をかわすのではなく、刀で受けて感じる。

 ――速くなってきている。

 確実に、着実に。
 刀の閃きだけではない、体捌きもそうだ。今の動き、狙いを読めてなかったら斬られていた。
 今こうして打ち合っている中でも、段々と速くなって行くのを感じる。目の動きが追いつかなくなっている。
 いや。
 いや、違う。
 彼女の動きも確かに早くなっている。だがそれ以上に――
「っっ!」
 防ぎきれなった刃が掠めた。左手に走る鋭い痛みに呻く。
 
 俺の動きも遅くなっているんだ。
 妖夢の一撃は、想像以上に重い。
 刀を受けるたびに、その小さな体格からは想像もつかないくらいの衝撃が両手に伝わる。それを何度も何度も捌くのだ。刀自体の重さも加わり、最早、掌の感覚は無くなってきていると言ってもいい。
 目で追いきれなくなってきたのは、集中力の欠如。
 実践と素振りでは全く違う。
 相手の動きを見ること、それに対する此方の動き、流れ、場所に合わせた体捌き、全てを考えに入れ、動かなくてはならない。
 
 これが、斬り結ぶということなんだ。
 

 白銀の髪が揺らめく。
 それに呼応するように、白銀の刃が迫る。
 逆袈裟。
 袈裟。
 胴。
 刺突。
 
 気力、体力共に限界だ。
 霞む。
 脳に酸素が行き届いていない。
 荒い呼吸を吐き、受ける度に取り落としてしまいそうになる刀をなんとか握りしめる。
 妖夢の刀を受けるたびに、後ろに下がる。気持ちで押し負けている。
 圧力に飲み込まれそうになる。
 目の前にいるのは、一人の少女では無く、刃そのもの。
 目標を遂行するために繰り出される斬撃。
 機械的な鋭さは、素人の俺でも読み易い太刀筋だ。だからこそここまで受けてこれた。しかしそれ故に――押し潰すような圧力を持っている。
 霞んで行く景色と、思考の中、揺れる剣先を逃すまいと、必死で見つめた。


 そして。


 刀と刀の擦り合う、冷徹な音を。
 鋭い音を。
 ――――そんな研ぎ澄まされた刃の音さえも切り裂くような。


 強く響く声が聞こえた。


「――明月! 妖夢から離れな!」
 

 その声に、急速に意識を取り戻す。目が覚める。
 クリアになって行く視界。きっと唇を結び、妖夢を見据えた。右上段。
 振り下ろされた妖夢の刀を、受けずに避けて、空いた右側面に滑り込み、駆け抜ける。
 空を斬って迫る追撃に悪寒を感じながらも、ただ、その場から離れるために走る――!


「今日死ぬか、明日死ぬか。一里先でも見えやしない。なら、今日得た分の金は、今日の内に使うのが華。そら、全部持ってきな!」


――投銭「宵越しの銭」――


 空から降り注ぐ、雨の様な、滝の様な、華やかな銭の弾幕。
 大量の金、銀、銅。煌びやかな弾幕が、洪水のような激しさで妖夢の体を包み込んで行った。
 銭の竜巻が、妖夢の姿を完全に閉ざす。
「今だ、明月ッ!」
「!!」
 銭の竜巻に向けて、飛びこむように。
 狙うはただ一瞬。
 刀を下に構え、
 
 土を蹴り、駆ける。
 
「うおおおおぉぉぉ!!」
 竜巻の前が割れ、妖夢の姿が再び現れた。逆袈裟、斬り上げ。体にとりつく銭を斬っていたのだろう、丁度振り終わりの体勢。
 最後の気力を振り絞り、更に加速した。銭の嵐の中に突っ込む。
あと二歩で手が届く。
 視線が交差して――
 妖夢は銭の嵐の中、突撃してくる俺の姿を認めると、斬り上げた剣を予想もつかぬ速度で斬り返した。
 振り上げた刀は水平に、銭に阻まれ火花を散らしながらも、左から胴を打とうと襲いかかる。

「――なら、こうするまで!」
 両手で持っていた刀を左手に持ち替え、迫る白刃を正面から受けた。
 両の手で振るわれた刀の重さが左手一本にかかる。銭の壁で失速したとはいえ、それでもかなりの衝撃があった。ねじ切れてしまいそうになる手首と、鈍い音を立てる刀。

 それでも構わず、右手を伸ばした。
 今この瞬間を逃せば、もう後が無い。これが最後の力だ。
 助ける。
 妖夢を、そして俺自身を!

 妖夢は身をよじり、後ろに下がろうとする。しかし、分厚い銭の壁がそれを阻む。
 そして、
 右手が、伸びて、
 緑色の服。
 あと少し。
 前に踏み出し、
 右手を突き出す。
 詰める、詰める――。



 ――触れた。



 瞬間、妖夢は憑き物が落ちたように、その場にへたり込んだ。手に持っていた長刀が、カランという音を立てて地面に落ちる。
「わ、私……」
 ぽかんとした顔で、掌を見つめ、体を見て、最後に俺を見た。
 解除成功。
「なんとか、なった――」
 俺は操り人形の糸が切れたかのように、妖夢と同じくその場に崩れ落ちた。これぞまさしく、緊張の糸だ。
 座り込んでいる妖夢を見た。見たところ、何処にも怪我はない様だ。
 体を操られることによって、肉体的な無茶もきくようになってしまう。例えばさっきの小町の一撃のように、だ。終わってしまえば精神的に禍根を残さないのは救いだが、体の方への負担が怖い。
 でも、それも無いようなので、とりあえず一安心。安堵のため息をついて、空に少しづつ巻きあがって行く銭の先を仰ぎ、そこに小町の姿を認める。
近づいてくるその姿に向かって手を振り、闘いが終わったことを告げた。







「――本当に、申し訳ありません!」
 妖夢はこれ以上ないくらいの角度で、頭を下げた。背に括りつけた二刀が揺れる。
「もう良いよ。操られていたんだから、しょうがないさ。それより怪我はない? 俺はその方が気がかりだけど」
 俺は両の手を突き出して、必死に頭を上げさせる。
 この件に関しては、犯人以外に恨みを持つつもりはない。
「はい、体に異常はありません。……ですが」
 しかし妖夢は、それでも顔を曇らせるのであった。申し訳なさそうな眼が俺を見つめている。
「いえ! やはり土下座を――」
 妖夢はふるふると頭を振った。俺は狼狽しながらもそれを引きとめる。
「いやいやいやいや、だからそこまでしなくていいって!」
「では頭を――」
「まぁ、そこらにしときなって。お前さんら、何回そのやり取りをする気だい。日が暮れるよ?」
 見かねた小町が、呆れ顔でとうとう口を挟んだ。
「そうそう、ここに来るまで随分時間がかかったし、そろそろ向こうに行ったほうがいいと思うんだ」
 小町の後押しを得て、俺も話を逸らす方向に持って行く。
 そう。
 かれこれ三回ほどこのやり取りを繰り返しているのだ。
 そして今まさに、妖夢が頭を下げて、本当に申し訳ありません、のくだりが繰り返されようとしていたのだった。今回は何とか阻止することが出来たわけだが。
「……そう、ですね」
 妖夢はようやく落ち着きを見せる。しかしまだうなだれている。
 生真面目というか、本当に真直ぐな性格なんだろう。
「ええと、とりあえず自己紹介をしておくよ。俺は八代 明月。ここに用事があってここまで来ました」
「はい、主から承っています」
 妖夢はさっと居住まいを正し、俺の目を真っ直ぐに見つめた。
「申し遅れました、私は魂魄 妖夢。西行寺 幽々子様の剣術指南役兼、白玉楼住み込みの庭師です。以後、お見知り置きを」
 極めて礼儀正しく、妖夢はお辞儀をした。先ほどまでの沈痛な面持ちとは打って変わって、どこか風格を感じさせる態度であった。
 名乗りを上げるときは居を正す。つまりこれは、主の面目、家の面目を立てるという意味合いもあるのだろう。
 やはり真面目と言わざるを得ない。
「……今回の件に関しては、その」
 やはり生真面目と言わざるを得ない。
「ああ! そういや小町はここで帰るのか?」
 俺は妖夢の声を遮るように大声を出して、小町を振り返る。
「え? ついてくよ?」
 予想外の言葉が返ってくることとなった。
「……え?」
 さも当たり前のように言い、不思議そうな顔をする小町。
「当然だろう?」
 しかも言葉にした。
 いいだろ? と小町は妖夢にも問いかけた。妖夢は少し逡巡したが、結局頷く。
「あー。うん、もういいです……」
 諦めて口をつぐむ事にした。
 幻想郷から来て、三途の川床で彷徨っている幽霊を思い浮かべた。多分それは、妖夢の周りを浮いているのと同じような奴だと思う。ふわふわと頼りなさげに河原を飛び回る幽霊。
 心の中で謝罪する。
「それでは、案内しますのでついてきて下さい。と言っても、まっすぐ行くだけですけど」
 妖夢に促され、心の合掌を止めて頷いた。
 妖夢が宙に浮き、次いで小町が浮く。そして俺は――
 
 まぁ、浮く訳も無し。

 そうこうしている間にも、二人は階段を上がっていく。
 置いて行かれてはかなわない。階段に足をかけ、二人を追いかける。
 浮くことも無し。
 自分の足で、だ。
「小町、なんか速くない?」
 何故か先頭に立つはずの妖夢より速い小町に、疑問を投げかける。
 歩いて登るのではない。駆け足で俺は階段を登っている。
「ほら、あたい『せんどう』だからさ」
 振り返って、満面の笑みを浮かべた。
 字が違う。
「ちょいと小町さん、俺、見ての通り一般人でさァ、飛ぶことなんぞできんのよ。そこんとこどう思われます?」
「頑張れとしか言いようがないさねェ」
 そして、くるりと前を向いた。
「ちょい待てい!」
 無視された。
 無駄話をしたせいで少し息が上がる。
 救いを求めて、ちらと妖夢を見た。
 心配そうにちらちらと俺を見ている。
 良い子だ。
 子、と言うには多分、俺より年上だけど。でもいい子だ。
 見た目は幼い少女、けれど経た年月は……というのが、この世界の妖怪たちの理だ、と決めつけた。妖怪とは違うが、閻魔様もそうだったし。妖夢は幽霊だけど、多分あってるだろう。
 そもそも、経た年月で老けるのではなく、魂や体で老けていくんだ、と思う。思い込んでおく。
 だから見た目で、良い子だ、と言っておく。

 でも速度は落としてくれないのね。

 段々息が上がってくる。
 ここに来て、身体能力は向上したし、基礎体力も上がった。そのおかげで刀も使えたわけだし、それなりに闘うことも出来た。
 回復力だって上がっている。
 しかし、ほぼ極限状態になるまでさっき闘ったばかりだ。
 流石に、辛い。
 それに、俺は思うのだ。
 この階段という奴は、どこか根源的な疲労の要素を秘めているのではないかと。
 他のどんな複雑な運動よりも、『階段を上る』という単純にして身近にある運動。しかも、ただ単純というだけでなく、マラソンや走り込みとはまた違った何かがそこにはあるような気がしてならないのだ。
 この、階段を上るという単純明快な運動のどこに、絶望的な疲労があるのか?
 俺はその答えを見つけあぐねたまま、ふと上を見やる。
 長く続く階段。今ようやく、遥か向こうに頂上が見えたような気がした。


 大きな音でもなく派手な音でもなく、ただただシンプルに。
 ぽきん、と。
 
 心が折れる音を聞いた。


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