一章:とある朝
ピピッ、ピピッ、ピピッ、ピピッ、ピピッ、ピピッ、
規則正しく鳴る目覚ましの音…だんだん音の間隔が無くなっていく。
ピピピピピピピピピピピピピピピピ
昨日は寝るのが遅かった…もう少し寝ていたい。
そう思って枕もとをあさる…が、そういえば昨日、目覚ましを箪笥の上に置いた気がする。
意識はないのだが、どうやら脊髄反射的に枕もとの目覚ましを切ってしまうのだ。
そのせいで、最近よく寝坊をするようになってしまった。もっとも、今みたくただ寝ていたい時もあるのだが。
仕方ない…寝ぼけ眼をこすり、動くのを頑なに拒否する体を何とか動かして箪笥に向かう。
目覚ましを止めて、布団の上に戻ってきたときには、もう一度布団に入る気は起きなかった。
布団を片付け、とりあえず朝飯の準備をすることにする。
といっても、昨日の残り物だが。
それを火にかけている間に、洗面所で顔を洗う…冷たい水が、意識をだんだんはっきりさせてくれる。
いまだ霞がかかったような頭で、ついさっきのことを思い出す。
あの夢………
あれは、俺の小さい頃の光景……だ。
確か…十数年ほど前の出来事だったであろうか
俺の両親は、交通事故で亡くなった。二人の結婚記念日のことだった。
俺を母方の祖母に預け、久しぶりに二人で出掛けていたそうだ。
俺は、あんまり手のかからないぐらいの年になったとはいえ、まだまだ両親に甘えていた気がする。
なかなか二人きりの時間というのも取れなかったであろう。
あんまり遅くならないうちに帰ってくるね、と二人とも笑顔で家を出て行った。
俺が最後に見た両親の顔だ……二人とも幸せそうだった。
帰り道、飲酒運転のトラックと正面衝突した。即死だった。
家に電話がかかってきたときのことは、よく覚えている。
祖母は泣き崩れていた。
俺には何が起こっているのか理解できなかった…。いや、理解したくなかった。
お父さんとお母さんはもう帰ってこないんだよ、と、涙ながらに祖母が教えてくれたとき
そんなのウソだ、と言って信じようとはしなかった。
だが、きっと薄々はわかっていたのだろう…。
しかし、その事実を認めてしまったら、もう本当に会えないような気がしていたんだ。
両親の死を唐突に理解したのは、その式場。
壇上にかけられた両親の遺影。線香の匂い。
俺は、火のついたように泣きだした
あの夢は、その時の光景――
その後俺は、親戚の老夫婦に面倒を見てもらうことになった。
父方の祖父母はすでにこの世を去っていたし、母方の祖母は、事故があった一週間後ぐらいに亡くなった。
祖母は結構な年だったし、おそらく心労が祟ったのであろう。無理もないことだと思う…。
家族、と呼べるような近しい間柄の人は、みんないなくなってしまった。
そんな俺を進んで引き取りたがる人はいなかった。その老夫婦を除いては。
今思い返すと、本当にありがたいことだ。これからのことを考えると、お金はもちろんかかる。
だが、それ以上に、事故後の俺の面倒を見るのは相当な心労がかかったと思う。
二人とも、俺の祖母くらいの年だった。そんな年で、俺の面倒を見るのはとても大変なことだったろう。
幸い、両親が遺してくれたお金で、俺を高校、大学に入れるのには困らなかった。
もちろん高校は都立に入った。なるべく負担が少ない方がいい。
俺もバイトなどをして、自分の小遣いは自分で稼いでいた。
大学に入ると俺は、自ら一人暮らしを申し出た。これ以上迷惑にはなれなかった。
二人とも迷惑だとは思っていなかっただろう。けれど、これ以上は甘えていられなかった。
静かな余生を送らせてあげたかった。自分が毎日いるだけで、結構騒がしいだろう。
いつでも帰ってきなさい――住み慣れた家を出る日に、そう言われた。
今でも、季節の節目には帰るようにしている。あの事故以来、一人になってしまった俺には、あの家こそが帰る家なのだ。
なんて、いまだに少し甘えているのかもしれない。
そして、今。大学二年生になった俺はこうして朝飯を作っているわけで……
「うわっと?!」
まずい、どうやら考え事をしていたせいでカレーを火にかけ過ぎたようだ。
「うあ…………焦げてるし……最悪だ…」
焦げてしまったカレーが、鍋にべったりとこびり付いている…
なかなかの力作だったんだが…一晩寝かせた時の味を楽しみにしていたのに…
「仕方ない、おかずは納豆でいいや…」
久しぶりにまともな朝食を食える、と思ったが、どうやらそうもいかないらしい。
「あの鍋、洗うのめんどくさいな…ボロがきているから、いっそ新しいの買うかな」
「そういや、ノートがもう一杯だったかな…ついでに文房具屋にも寄って……」
「冷蔵庫の中身もずいぶん寂しくなったし、スーパーにも行くかな」
なんて、とりとめのないことを考え、ぼんやりする頭を起こす。
軽い朝食をさっさと終え、着替え、大学に行くための準備を済ませて、住み慣れた部屋を後にする。
狭く、質素な家だが、一人暮らしには十分な家だ。少しぼろいのもなんだか味がある……ように思う。
玄関の鍵をかけながら思うのは、あの夢のこと…ではなく、今朝焦がしてしまったカレーのこと……ああ、さようならカレー。
人間の三大欲の一つを満たせなかった衝撃は結構大きいのだ。ぐだぐだと尾を引くほどに。
「おっと、こっちの道じゃなかった」
くだらないことを考えていると、道を間違えそうになってしまった。
このあたりは道が多少入り組んでいて、迷うととんでもないところに出たりすることがある。
道の両脇は同じような家で囲まれていて、目印にするものがなかなかないのも原因のひとつだ。
越してきたばかりの頃は、よく迷ったものだ……二十分、いや三十分近く彷徨ったこともある。
ここから大学まではそう遠くない……のだが、十分も遅れれば死活問題なのだ、俺にとっては。
だが、この道の真の怖さは、遅刻を招くことではない。
その真価は、夜にある。なんと真っ暗闇の中を歩くことになるのだ。
確かにここは都心ではある、が、夜中になると驚くほど真っ暗になり、とても不気味なのだ。
なにせ、街灯が少ない。街頭があってもいいようなところにないのは、なぜだろうか。
車通りもめったになく、行き交う人の姿がほとんどなくなる真夜中過ぎの時間は、一種異様な雰囲気さえも漂うほどだ。
闇に飲み込まれそうな……そんな錯覚をしたこともある。その時はもちろん家までダッシュしたが。
この世の中において、幽霊異常に怖いものは無い。断言しよう。
もしも、真夜中のこんな道で迷ったら……と思うとぞっとする。
そんなことを考えていると、ふと背筋が寒くなってきたので、小走りで学校へ向かうことにした。
光が射していても、怖いものは怖い。
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