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本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~ 作者:香月 美夜

第五部 女神の化身

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婚約式

 婚約式だから、と薄く化粧が施され、髪が結われていく。トゥーリの髪飾りと虹色魔石の髪飾りが挿し込まれ、シャラリと微かな音が耳元で響いた。
 数人がかりで着せられた衣装は春らしい若葉が染められ、淡い緑のスカート部分に晴れた青空のような薄い布が重ねられている。薄い布を少しつまみ上げてから指を離せば、ふわりと羽のような動きを見せた。

 衣装が整うと、そっとヴェールが被せられてピンで留められる。アーレンスバッハの慣習を引き継ぐ必要はないが、そちらの文化も尊重していくという意思を示すためだ。衣装より淡い青のヴェールは誕生季の色で、透ける布にレースで縁取りがされている様子はマリアヴェールを連想させた。

 ……なんかちょっと花嫁っぽい? あ、いや、婚約式だからそんな感じなのかもしれないけど。でも、ダメだ。そういうことを意識したら、恥ずかしくなってくる。

「お美しいですよ、ローゼマイン様」
「フェルディナンド様もさぞ驚かれることでしょう」

 リーゼレータとグレーティアの指示で側仕え候補の女性達が化粧道具を片付けたり、衣装や靴を準備したりしている中、クラリッサが部屋に入ってきた。

「続々と貴族達が城へ集まってきています、ローゼマイン様。ギーベは全員到着したそうですよ。新しいお城の中を見回っている者もいるようです」
「急に決まったことですから、ギーベ達には来ても来なくても構わないと言ったのですけれど……」

 あまり人が多いのも緊張するんだけど、とわたしは思うけれど、領地全てを癒した女神の化身を見られる機会を逃す者がいるはずない、とクラリッサが鼻息も荒く主張する。

「ねぇ、クラリッサ。養父様達は到着したのかしら?」
「はい。アウブ夫妻、騎士団長夫妻、ボニファティウス様がいらっしゃいました」

 領主会議を控えた時期の婚約式である。いくらわたしの親とはいえ、婚約式のために何日も領地を離れることはできる立場ではない。けれど、今は神々の御力が詰まった魔石が大量にあるので、それを利用して転移陣を使用することで参加が可能になったのだ。

「そうそう、ダームエルもボニファティウス様の護衛騎士に交じって来ていますよ。残念ながら未成年はお留守番だそうです。フィリーネとユーディットにものすごく恨みがましい目で見られたと聞きました」

 フィリーネ達には何かお土産が必要かもしれない。わたしはクラリッサにお土産を見繕ってもらえるようにお願いしておく。

「準備ができたのでしたらエーレンフェストからの客人へお披露目しましょう。今の時間を逃せば、お言葉を交わすことも難しくなります。きっとアウブ夫妻もカルステッド様達もローゼマイン様に会えることを楽しみにしていらっしゃるでしょう」

 レオノーレに促され、わたしはコクリと頷いた。婚約式が終わったら、皆はすぐに帰ることになっている。アーレンスバッハとの騒乱があり、養女であるわたしがアーレンスバッハの礎を奪った上に女神の化身となって新ツェントを選出したのだ。領主会議に向けての準備が大変であることは考えなくてもわかるだろう。
 新しくできたばかりのアレキサンドリアはエーレンフェストに輪をかけて大変だ。正直なところ、アウブという立場の客人を何日ももてなす余裕がこちらにない。



「まぁ、ローゼマイン。婚約おめでとう。なんて美しいのかしら」

 お母様が華やいだ声で祝ってくれると、皆が口々に今日の装いを褒めてくれる。

「えぇ、本当にエルヴィーラの言う通り。少し見ないうちにとても女性らしく綺麗になったように思えますね」
「少し化粧をするだけでずいぶんと大人びて見えるぞ。口を開かなければ、な」

 養母様にはお礼を言うけれど、養父様のことは軽く睨む。黙っていれば立派なアウブに見える人に言われたくない。

「養父様こそ口を開かないでくださいませ。せっかくのアウブの装いが台無しですよ」
「あら、ジルヴェスター様。ローゼマインの美しさはお化粧だけのせいではありませんよ。闇の神を得た光の女神の輝きなのです。……それで、ローゼマイン。どのような経緯でフェルディナンド様とお心を通わせたのです?」

 ……お母様、絶好調だね。目がキラキラだよ。

「うおおぉぉぉ、ローゼマイン! 何故だ!? 何故フェルディナンドなのだ!?」
「父上、往生際が悪すぎます!」

 お父様と協力し、おじい様の護衛騎士達が必死に止めようとしているが、おじい様は全く止まっていない。

「今日のお父様は騎士の装いではないのですね」
「其方の実父という立場で婚約式に参加するからだ。父上がうるさくして済まぬ。留守番をさせる予定だったのだが……一日くらいならば自分達が留守番できるのでボニファティウス様も行けばいい、とヴィルフリート様がおっしゃってな」

 ツェントの戴冠式に参加できず、落ち込んでいたおじい様を不憫に思ったヴィルフリートの申し出により、おじい様の同行が決まったらしい。ずっと吠えるように叫んでいるおじい様を見ていると、「余計なことを」と思ってしまうのはわたしだけだろうか。

「其方、懸想はしておらぬと言ったではないか! あれは嘘だったのか、ローゼマイン!?」
「……嘘は言っていません。わたくし、フェルディナンド様に懸想していませんから」

 皆が一斉に息を呑んで、ものすごい顔でこちらを振り向いた。「何を言っているのか」と無言の叫びが聞こえる気がする。皆からすごい勢いで咎められている気がして、わたしは慌てて言葉を付け加える。

「あ、あの、懸想はよくわかりませんけれど、フェルディナンド様はわたくしに男女の機微は期待していないとおっしゃいました。今まで通りで構わないから本物の家族になりたい、と。ですから、本物の家族になるために婚約するのです」

 皆がじっとこちらを見ている。まだ言葉が足りないだろうか。無言の圧力を感じてわたしが思わず一歩下がると、おじい様が青い瞳を厳しく光らせた。

「つまり、この婚約はフェルディナンドの希望を叶えるためだということか? ローゼマインが幸せになれぬような婚約は……」
「違います、おじい様。わたくしの望みを叶えるためでもあります。フェルディナンド様以外にわたくしの理想を現実と擦り合わせてくださる方はいらっしゃいませんもの。それに、フェルディナンド様がいてくださるだけで安心できます。わたくし、ヴィルフリート兄様の時やジギスヴァルト王子との婚約話が持ち上がった時と違って、この婚約が嫌だとは全く思っていないのです。ですから、安心してくださいませ」

 おじい様と養父様が揃って頭を抱えて深々と溜息を吐いた。何か失敗しただろうか。やはり懸想していなければ婚約や結婚してはダメなのだろうか。何だか養父様から「この婚約は止めておけ」と言われるような気がして、わたしは泣きたくなってきた。

「フェルディナンド様の研究所を造ったり、研究に必要な魔力を提供したり、おいしい料理を考えて健康的な生活を送らせたり……。わたくしにできる限りフェルディナンド様を幸せにするつもりです。それだけはお約束しますから……婚約に反対はしないでくださいませ」

 沈黙が下りる中、養母様が「ジルヴェスター様、婚約式を前に不安にさせるものではございませんよ」と軽く養父様の腕を叩く。

「反対などする気はない。これまでの自分を振り返っていただけだ。……私の弟を頼む」

 その後、お母様達から婚約のお祝いを受け、側近達からも祝福を受ける。普通に祝福してくれるマティアス達と違って、おじい様と一緒にエーレンフェストからやってきたダームエルは何とも微妙な顔をしている。

「非常に喜ばしいとは思いますが、フェルディナンド様とローゼマイン様がご婚約というのは何とも不思議な気分ですね。私はローゼマイン様を洗礼式前から存じているので、尚更そう感じるのかもしれません」
「ダームエルとフィリーネも似たようなものでしょう?」

 洗礼式の時から知っているフィリーネとの仲はどうなっているのだろうか。わたしが首を傾げると、ダームエルは「そうですね」と言いながら何度か頷いた。

 ……何かあった?

「婚約おめでとう。ローゼマインがフェルディナンド様との婚約を望んでいるならば、私は兄として祝福するよ。でも、容易に流されてはダメだ。フェルディナンド様に毅然とした態度を取ることも時には必要だぞ」

 コルネリウス兄様が真剣な目でわたしにそう言った。さすがに冬の到来を心配されているのがわかる。

「フェルディナンド様はそのようなことをしないのに、皆心配しすぎですよ。わたくしの心配をしているようですけれど、レオノーレは毅然とした態度でコルネリウス兄様に対応しているのですか?」
「……レオノーレと私のことは関係ないだろう?」

 ……あれ、そこで視線を逸らしちゃうんだ? へぇ。



 大広間にはたくさんの貴族達が集まっている。アーレンスバッハが大領地だったので当然のことながらエーレンフェストよりずっと貴族の数が多い。壇上に上がればそれがよくわかる。

 フェルディナンドが側近達と入場してきた。アーレンスバッハの様式で仕立てられた衣装だ。袖口に違いはあるけれど、グルジアの民族衣装に似た雰囲気の上着がフェルディナンドの長身に非常に似合っている。深緑の上着の上にまきつける布にはエーレンフェストの染め布が使われていた。

 壇の右手にわたしと側近達がいるので、左手にフェルディナンドが側近達を連れて上がってきた。フェルディナンドは公の場における婚約式なので、見事に社交的な微笑みを浮かべている。わたし達の間、ちょうど中央に立っているのはハルトムートだ。

「この度、王命によりローゼマイン様とフェルディナンド様の婚約が決まりました」

 エグランティーヌにサインをもらった書類を大きく広げ、婚約式を取り仕切っている。儀式の進行といえば自分しかいないと張り切っていたので任せてあるが、少々暴走が不安になるのはわたしだけだろうか。

 本来ならば、領主会議でツェントの承認を受け、星結びの儀式の時に婚約式を併せて行うけれど、領主会議に向けて正式に婚約しておく必要がある、と婚約式を急いで行う理由が説明される。そこから先日の古代魔術の再現と女神の化身による大規模な癒しについての話を始めた。このまま暴走するのかと身構えたが、ハルトムートは特に暴走せず、「では、魔石の交換を」とわたしを促した。

 わたしが立ち上がると、リーゼレータが魔石の入った箱を差し出してきた。わたしは箱から魔石を出して手にすると、なるべく優雅に見えるようにフェルディナンドの前へ進み出る。

「わたくしの闇の神よ。天上の最上位におわす夫婦神のお導きにより、この婚姻は決まりました」

 王命による婚約だと皆に対して宣言する。そう簡単に覆すことができるものではないという言葉だ。

「フェアドレンナの雷と共に春を迎え、ブルーアンファが舞い踊ります。若葉が青さを増してゆく中、ライデンシャフトの御導きがございました」

 後見人として、教育してくれた師匠として接してくれていたフェルディナンドへの感謝を述べ、これから先も導いてほしいという内容でローデリヒに注文を出していたはずだが、何故かブルーアンファが舞い踊っているし、最終的には闇の神の袖やマントがバッサバッサ翻っている。暗記しながら解読してみたが、どう考えてもわたしの意向に沿っているとは思えない。

 でも、側近達は婚約式に相応しいと言ったし大広間の皆が感心していたり、ほぅと溜息を吐いていたりするので、暗記したまま突き進むしかない。即興で自分の言いたいことを神様表現できる文才など、わたしにはないのだ。

「貴方の世界を明るく照らしていくことを望み、この魔石をわたくしの闇の神に捧げます」

 わたしは「貴方のマントに刺繍をさせてください」と刻まれた魔石を差し出した。お貴族様的に「家族になりましょう」と刻んでみたのだが、喜んでくれるだろうか。マントに刺繍できるのは家族だけだ。フェルディナンドは神殿へ入る時に父親からもらったマントをヴェローニカに取り上げられたり、新しくジルヴェスターからもらったマントを「アーレンスバッハで正式にもらうまでは」と喜んでいたりするので、ちゃんとしたマントを準備してあげたいと思ったのだ。

 フェルディナンドがわたしの魔石を見て、軽く息を呑んだのがわかった。社交的な笑みが崩れ、ほんの一瞬、幸せを噛みしめるような素の笑みで婚約の魔石を握り込む。すぐに社交的な笑みに戻ったけれど、ものすごく喜んでくれたことが一目でわかった。

 ふふっと笑うと、フェルディナンドが「図案は私が決める」と口をへの字にする。もしかすると、ここは耳が赤いと指摘するところだろうか。「簡単な図案でお願いします」と言うべきだろうか。

「フェルディナンド様」

 ユストクスが小声で呼びかけた。フェルディナンドが後ろをちらりと見て、丁寧にわたしの魔石を箱に入ると、代わりに自分の魔石を手にした。

「ユルゲンシュミットにグルトリスハイトをもたらした英知の女神の化身であり、私の光の女神よ。全てを呑み込む闇はどこまでも広がり、果てがありませんでした」

 フェルディナンドの言葉には次々と神様の名前が出てくる。手紙で書いてくれたら、ゆっくりと解読していくのだけれど、言葉ですらすらと言われると理解できない。でも、お母様が目をギラギラさせていて、女性が口元を押さえて震えているのが見えるので、かなり破壊力の強い愛の言葉を述べているらしい。

 ……とりあえず、闇を照らす光の女神、変化をもたらす水の女神、全ての悪意から守る風の女神、全てを受け入れる土の女神という感じで、わたしを全ての女神にたとえたのはわかったよ。うん。大袈裟すぎてどこまで信用していいのかわからないけど。

「この魔石を私の光の女神に捧げます」

 フェルディナンドがそう言って、魔石を差し出した。わたしは魔石を手に取った。全属性の魔石の中に金色の光る文字がある。

「アレキサンドリアの領地ごと君を守る」

 かつて父さんに言われた言葉や約束を思い出してドクンと胸が高鳴った。フェルディナンドはできないことは最初から口にしない。する気がないことも言わないことを知っている。だからこそ、こういうところでそんな約束をするのはずるいと思う。ずっとそばにいてくれるという確信と安心感があるのに、鼓動が速くなってきて、魔石を持つ手が震え、喉の奥が痛くなってきた。顔が紅潮して目が潤んできたのが自分でもわかる。

「フェルディナンド様……。あの、わたくし……」

 何と言えばいいのかわからないけれど、自分の気持ちを伝えなければならない気分になる。けれど、言葉にならない。喉の奥、すぐそこまで言葉が来ているのに出てこない。

 フェルディナンドが立ち上がり、袖を広げるようにしてわたしを皆の視線から隠すと、素早く目尻の涙を拭う。

「このようなところで泣くのではない。慰めようがなかろう」
「……狙ってこの言葉を刻んだとしか思えませんよ」

 小声でやり取りしていると、歓声とも悲鳴ともつかない声が貴族達の間で上がった。予想外のことにビクッとして一瞬で涙が止まった。

「何事ですか?」

 わたしが辺りを見回すと、フェルディナンドが苦い顔になった。

「……失敗したな」
「な、何の失敗をしたのでしょう?」
「聞くな」

 ……なんで!?

 フェルディナンドが溜息混じりにわたしから離れると、ハルトムートが困った顔になっていた。ユストクスが必死に笑いを堪えていて、リーゼレータは少し赤面して視線がオロオロとさまよっている。

 お母様は一人だけ歓喜の笑みを浮かべてシュタープを光らせて振っているのが見える。養父様は生温かい笑みを浮かべていて、おじい様はシュタープではなく、拳を振り上げており、お父様とコルネリウス兄様を始めとした護衛騎士達が必死に押さえようとしている。

「ハルトムート、其方の仕事だ。進めよ」

 フェルディナンドの言葉に、一度呼吸を整えたハルトムートが口を開く。

「正式に婚約が調ったお二人に祝福を!」

 貴族達がシュタープを出し、一斉に光らせた。
何とか時間を捻出し、転移陣を使ってエーレンフェストから保護者達がやってきました。
未成年はお留守番。フィリーネとユーディットはとても悔しがっています。
正式に婚約者になりました。

次は、アウブ・アレキサンドリアの図書館です。
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