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本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~ 作者:香月 美夜

第五部 女神の化身

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顔色の悪い王族 その1

 ふらふら出歩くなと言われていたわたしは、奉納舞の練習と王族への要求について書かれた内容の暗記をするくらいしかできなかった。部屋から出られる機会は多くない。アーレンスバッハの騎士達が食事を摂りに来た時に労ったり、励ましたりする時と食事の時くらいだ。

 離宮に関する報告をするという建前で、食事時にはフェルディナンドが寮へやって来る。そのため、城にいた時のように領主一族は食堂ではなく、別室で食事を摂り、情報交換の時間になっていた。

 最初に食堂へ行った時、わたしを間近で見た養母様とシャルロッテは気後れしたような顔を見せたけれど、養父様だけは「化けたな」と言った後、「どのようにして光っているのだ、これは?」と好奇心丸出しの顔で眺め始めた。養母様に嗜められていたけれど、女神の御力を前にしても変わらない姿にかなり安心した。

「君の許可と魔石で、先程離宮の転移陣を作動させた。伝令を遣わしてあるので、早ければ鐘一つ分くらいで君の荷物を抱えた側近がこちらへやって来るであろう」

 ちなみに、離宮の使用許可はすでに得ている。元々わたしに与えられるはずの離宮だったそうなので、好きなように使っても構わないと王族に言われたらしい。フェルディナンドが不機嫌最高潮という感じの笑みを浮かべて教えてくれたが、寮に入れないアーレンスバッハの者達が野宿するようなことにならなくてよかったと思っている。

「助かりました。ありがとう存じます、フェルディナンド様。わたくしの荷物もそうですが、アーレンスバッハへ同行した側近達の多くが荷物をアーレンスバッハへ送ったはずなので、ないと困る物もあったようです。それに、アーレンスバッハだけが行き来できないのは困りますから……どうかしたのですか、養父様?」

 首を傾げてみれば、養父様だけではなかった。何だか周囲の顔色がおかしい。養父様と養母様は挙動不審でお父様と視線を交わし合っていて、シャルロッテも何か言いたそうにオロオロしている。お父様は苦い顔で、何の合図か知らないけれど、養父様に目配せした。居心地悪そうに養父様が一つ咳払いをして、口を開く。

「あ~、ゴホン。ローゼマイン。フェルディナンドが離宮の転移陣を作動させたと言ったが……」
「えぇ。救出するために必要だったので、フェルディナンド様の魔力は供給の間に登録済みなのです。まさか女神の降臨でわたくしの魔力に変化があると思いませんでしたから、フェルディナンド様の登録があって助かりました」

 フェルディナンドは今アーレンスバッハ唯一の領主一族としてわたしの代わりに色々と奔走してくれているのだ。人生、何が幸いするのかわからない。

「フェルディナンド、それは……その、つまり、そういう意味なのか? 最高神への挨拶さえ済まさずに、秋を待たずに冬の到来を早めたのだな?」
「何を言っているのだ、其方は? 少し落ち着け」
「其方は落ち着きすぎだ。わけがわからぬ!」

 ……わけがわからないのはこっちですけど。

 わたしがポカーンとしていると、養母様がニコニコと穏やかな笑顔で間に割って入る。

「ジルヴェスター様、詳しいお話は殿方同士でどうぞ。今はお食事中でしてよ」



 王族とのお話し合いが行われる当日の午前中にギルベルタ商会の衣装が届けられた。エーレンフェストの染め布にフェルディナンドからもらったアーレンスバッハの薄布を使った衣装である。衣装に合わせた髪飾りも入っていた。わたしの注文通りだ。

「薄布を通してほんのりと光が見えるようで、とても美しいです。トゥーリの髪飾りも相変わらず素晴らしいですね」
「えぇ。本当に綺麗です」

 ……トゥーリって誰? わたしの髪飾り職人?

 着替えを手伝ってくれるブリュンヒルデに笑って頷きながら、わたしはものすごく混乱していた。自分の髪飾り職人の名前をすっかり忘れていたし、顔を合わせて注文したはずなのにトゥーリという人物の顔が全く思い浮かばないのだ。

 ……なんで?……これが女神に体を貸した代償?

 いくら考えてみてもわからないまま、身支度は終わる。他に何を忘れているのだろうか。忘れていても問題のないことなのだろうか。背筋がひやりとした。胃の辺りが引き絞られるように痛んだ。自分が一体何を忘れているのか、どうすれば思い出せるのかわからない。自覚がないままに不自然な形で記憶を失っている。それは何とも言えない恐怖だった。

 ……落ち着け。大丈夫。何か方法があるはず。

 目を覚ました直後も記憶が混乱していてエアヴェルミーン達のことをすっかり忘れていたけれど、すぐに思い出せた。希望的な予想になるけれど、女神によって消えている記憶は完全に失われているわけではないはずだ。

「姫様、フェルディナンド様がお付きですよ。先に打ち合わせを行いたいそうです」

 女神関連の相談ができる人の到着を知らされたわたしは、すぐさま部屋を出ようとした。動いた瞬間、アンゲリカに銀色の布を被せられて抱き上げられる。

「アンゲリカ、もう少し丁寧にローゼマイン様に接してくださいませ。動きが少々乱雑になってきています。ローゼマイン様は荷物ではございません。女神の化身をお運びする栄誉をいただいていることを自覚し、恭しく丁寧に扱ってくださいませ」
「わかりました。以後、気を付けます」

 クラリッサがわたしの扱いについてアンゲリカに文句を言っているのが聞こえる。確かに段々アンゲリカが慣れて、扱いが作業っぽくになってきたなとは思ったけれど、今はアンゲリカの運び方より記憶の欠損の方がよほど気になる。少々乱暴でもいいので、早く運んでほしい。



 お茶会室に入ると、フェルディナンドがすでに範囲指定の盗聴防止の魔術具を作動させて待っていた。向かい合わせにある椅子に座ると、側仕え達がお茶の準備をして範囲から出ていく。

「ローゼマイン、渡してあった内容は覚えたか?」
「覚えましたけれど……それより、大変なのです。わたくし、やはり記憶が欠けています。この髪飾りを作った職人の名前や顔が思い出せなくて……」

 わたしは自分の髪に挿されている髪飾りに触れながら、フェルディナンドに記憶の欠損について訴えた。けれど、フェルディナンドは特に動じた様子も見せずに頷いた。

「さもありなん。おそらくその衣装の布を染めた染色職人の名前や顔も繋がっていないのではないか?」
「染色職人?……繋がっていません。フェルディナンド様は何かご存じなのですか? 記憶が消えているのではなく、繋がっていないとおっしゃる根拠は何ですか? 女神様から何か伺っているのですか? 教えてくださいませ」

 わたしが思わず立ち上がると、座り直すように言われた。わたしとしては肩をつかんで揺さぶりながら問い詰めたいくらいに気が急いているのだけれど、声が聞こえないだけで姿は控えている側近達から丸見えなのだ。

「……図書館に君を押し込めておきたかったメスティオノーラが干渉したのは、読書に対する執着より深く心の内に入り込んでいる記憶だそうだ。消したわけではなく、繋がりが切れている状態だと聞いている。それ以上は具体的な答えを得られなかったが、君にとって女神の図書館より優先する存在はそれほど多くない。人物ならば予測可能だが、無意識の内に抱え込んでいる事柄に関しては予測が困難かもしれない」

 自分では全くわからないけれど、読書より深く心に根付いている記憶というのは、わたしにとって何よりも大事なことのはずだ。それが消えたままというのは困る。

「どのようにすれば、記憶が戻るのですか? フェルディナンド様にはわかるのですか?」
「薬の類や時間がない以上、今は難しい。少なくとも新しいツェントの選出が終わってからだ。君にとって大事な存在はほとんどが平民でエーレンフェストにいる。貴族院で遭遇してすれ違うことはない。後で協力するので、もう少し待っていなさい」
「後で、ですか? 絶対ですね?」

 わたしが念を押すと、フェルディナンドは一つ頷いて請け負ってくれた。フェルディナンドが方法を知っているならば、少しは安心できる。

「打ち合わせを優先しても良いか? 時間がない」
「はい」



「アウブ・エーレンフェスト、この度は話し合いの場を提供いただき、ありがたく存じます。先の戦いではダンケルフェルガーに本物のディッターを経験させてくださり、感謝の極みです」

 四の鐘が鳴るとほぼ同時に、アウブ・ダンケルフェルガーの夫妻とその側近がやって来た。招待主はエーレンフェストのアウブ夫妻なので、二人が客を出迎えている。今日のわたしとフェルディナンドは招待客なのだ。

 お茶会室に入ってきたアウブ・ダンケルフェルガー達は先に席に着いているわたしを見て大きく目を見開いた後、真っ直ぐにわたしの前へ歩いてくる。ちらりとフェルディナンドに視線を向けると、フェルディナンドは一つ頷いた。そのまま待機していろという合図である。
 ダンケルフェルガーのアウブ夫妻がわたしの前に跪いた。

「英知の女神 メスティオノーラよ。ダンケルフェルガーにどうか祝福を賜らんことを」

 わたしの周囲の者達には今までと対応を変えないように、とフェルディナンドが予め言っておいてくれたので、ハルトムートやクラリッサを除くと、このように跪かれることはなかった。けれど、これが女神の御力を前にした貴族の普通の対応らしい。

 わたしではなくて、女神の御力に対して跪いているだけだから調子に乗ると、お力が消えた時に大変なことになる、と言われた。調子に乗るのがどういうことなのかわからないけれど、これまではわたしの方が下の立場で接していたのに、アウブ・ダンケルフェルガーがわたしの前に跪いているのだ。初めてベンノ達に跪かれた時のような居た堪れなさを感じる。

「アウブ・ダンケルフェルガー。申し訳ないのですけれど、わたくしは女神の御力を得ているだけです。中はローゼマインのままですから、女神としての祝福はできません」
「おや、それは残念ですな」

 少し砕けた対応にはなったけれど、やはり女神の御力の影響はあるようで、ダンケルフェルガーのアウブ夫妻はわたしが上位の者であるという態度は崩さない。

「まさか本物の女神の化身と共に戦えるなど、全く考えていませんでした。できることならば自分達がどのように活躍したのか、お目に入れたかったと我が領地の騎士達が悔しがっておりました」

 側仕え達がお茶を淹れ始める間も会話が始まる。主に、アウブ・ダンケルフェルガーと騎士達が今回の戦いに置いてどのような活躍をしたのかが話題だ。まだダンケルフェルガーの寮内では大規模ディッターの興奮が冷めやらぬ騎士達が多いらしい。
 ランツェナーヴェの者達の見張りや尋問をしているアーレンスバッハの騎士達は祝勝会の気分ではなく、ピリピリしているらしいのに大きな違いだ。

「王族の対応によってはアウブ・ダンケルフェルガーがツェントに任命されると伺っています。……今回の事態に王族はどのような対応をするのかしら?」

 第一夫人が心配そうにそう言ながら扉の方を見遣る。わたしも王族が心配でならない。同じように扉の方を見た時、来訪者の知らせがあったようで側仕え達によって扉が開かれた。

「アウブ・エーレンフェスト。この場の提供に感謝する」

 少し掠れたトラオクヴァールの挨拶が聞こえ、王族がぞろぞろと入って来る。げっそりとしているトラオクヴァールと第一夫人、ジギスヴァルトとアドルフィーネ、アナスタージウスとエグランティーヌ、それから、春なのに円筒状になっている毛皮のマフに両手を入れているヒルデブラントとマグダレーナ。第三夫人のマグダレーナが一緒なのは、講堂での戦いに参加したこと、ヒルデブラントの母親であることが理由だ。

 ……誰の顔色も悪いな。多分アナスタージウス王子やマグダレーナ様から色々と聞かされていると思うし……。

 トラオクヴァールを先頭に王族が並んでわたしの前に跪いた。

「英知の女神 メスティオノーラよ。我等にどうか祝福を賜らんことを」
「貴方達の誠意と努力の分には報いたいと思っています。ジギスヴァルト王子には許可証もいただきましたし……」

 わたしはハルトムートに視線を向ける。すぐに革袋を持って、ハルトムートがやって来た。ジギスヴァルトは養父様とわたしを交互に見て、少し気分を害したような困った顔になる。

「いえ、それは……」
「本当に申し訳ございません。せっかく許可証をいただいたのですけれど、激しい戦いの連続だったため、鎖が傷んでしまいました。なるべく早くお返ししなければならないと思っていたのです」

 わたしはハルトムートから受け取った革袋から許可証を取り出す。本当に、可能な限り早く返さなければならないのだ。昨日の夜、お返しする物の確認をしていたら垂れ流し状態になっている女神の御力に当てられてしまい、鎖は完全に金粉化してしまったのだ。

「ローゼマイン、それを素手でつかんでは……」
「あ!」

 フェルディナンドの注意は少し遅かった。魔石部分は形を保っていたはずなのに、わたしがつまんでしまったため、サラサラと金粉になっていく。跪いている王族が信じられないものを見たように息を呑んだのがわかった。ちょっとしたうっかりだ。許してほしい。

「か、重ね重ね申し訳ございません。……でも、女神の御力で金粉化したのですから、調合の素材としては希少価値が高くて、魔力含有量も多いでしょうし、属性も多くて全ての値が高いと思われますよ」

 わたしは少しばかり視線を逸らしながら、金粉の入った革袋ごとジギスヴァルトに差し出す。革袋を受け取ったジギスヴァルトは数秒間固まっていたが、ニコリと穏やかな微笑みを浮かべて受け取ってくれた。

「この許可証がお役に立てたようで何よりです」

 ジギスヴァルトが何とか立ち直ったらしいところで、フッとフェルディナンドが笑みを漏らして、わたしの髪飾りに触れた。

「女神の御力による金粉ですか。ジギスヴァルト王子が羨ましい限りです」

 ……こんなところで素材のおねだり!? マッドサイエンティストめ。挨拶途中の王族の目が泳いでるじゃない!

 空気を読んでください、と心の中で怒りながら、わたしは女神らしい微笑みを浮かべる。

「あら、フェルディナンド様も必要でしたら、金粉化いたしますよ。ただし、御自分で素材や魔石は準備してくださいませ」
「メスティオノーラの化身の寛大なお心に感謝いたします」

 フェルディナンドが魔王のような毒々しい笑みを浮かべて、からかうような言葉を口にする。よほど新しい研究素材が嬉しいのか、ずいぶんと機嫌が良いようだ。

 ……フェルディナンド様の機嫌が良いのはいいことだよ。王族のためにも……。

「お話し合いの前に昼食を摂りましょう」

 わたしが席に着くように促した。全員が席に着き、側仕え達は給仕の仕事を始める。同行させる側近は最低限の人数でお願いしているけれど、全領地の領主候補生を招いたお茶会の時よりも少し手狭な感じだ。
 ヒルデブラントのマフが外される。季節外れだと感じたマフの下にはシュタープを封じる手枷がはめられていた。王族以外の者達の視線がそこに集中する。

「シュタープは本来ならば入手しているはずがない物です。不正をして入手した物は、その使用を禁じなければなりません」

 厳しいマグダレーナの言葉にヒルデブラントが泣くのを必死にこらえているような顔で俯いた。すでに自分が犯した罪について懇々と言い聞かされたことがわかる。唆されたのであっても、罪は罪。ヴィルフリートが知らずに白の塔に入った時のことを思い出して苦い気持ちになった。

 ……あの時みたいに何とかできないかな。

 ヒルデブラントを見つめていると、エグランティーヌがじっとわたしを見ていることに気が付いた。相変わらず綺麗な人だ。でも、何を求められている微笑みなのかわからないので、曖昧に微笑んでおくだけにした。



「本日はアーレンスバッハの食材をエーレンフェストの調理方法で仕上げたメニューになっています」

 養父様がメニューの紹介から昼食が始まった。食事中の話題は、中央騎士団の取り調べと今の貴族院の現状についてだった。

「ラオブルートに扇動された騎士団の取り調べはかなり進んでいます。講堂には中央騎士団の者だけではなく、ランツェナーヴェの者達も交じっていたようです。取り調べに立ち会った文官によると、講堂にいた者はかなりトルークの影響が薄れていたと聞きました。やや曖昧な部分はあるものの、記憶を読むことができるため、犯罪者や関係者の識別がかなり容易になっています」

 ジギスヴァルトの言葉に、フェルディナンドがちらりとわたしを見た。

「君がランツェナーヴェから持ち込まれた物を全て洗い流したからだ」
「水の女神の御力はすごいですね」

 まさかトルークの洗い流しまでできるとは思わなかった。巻き込まれて観覧席に打ち上げられていたアナスタージウスは嫌な顔をしていたけれど、さすがエーヴィリーベを押し流して春を招く力を持つ女神様である。

 他にもトルークを使われている者がいるかもしれないということで、中央の貴族はほぼ全員がヴァッシェンを受けているそうだ。トルーク未使用者は数秒で水が消えるが、使用された者は影響が薄れるまで消えない。

「私は今回の責任者として処刑される前に、自らの側近によって溺死させられるかと思いました」

 やや遠い目でそう言ったのはトラオクヴァールだ。ジェルヴァージオを次期ツェントにするため、暗躍していたラオブルートに長期間に渡って使われていたようで影響が一番深刻だったらしい。

「貴族院の現状ですけれど、ダンケルフェルガーからの救援要請に加えて、国境門が光ったことでアウブ・クラッセンブルクは急いで駆けつけたそうです」
「ギレッセンマイアーやハウフレッツェも同じです。領主会議の時期ではないのですけれど、貴族院に全てのアウブが集まりつつある状態ですね」

 エグランティーヌとアドルフィーネがそう言った。ダンケルフェルガーから救援要請のあった上位領地は「アーレンスバッハからランツェナーヴェの者達が中央に乗り込んでいる」という情報までしか持っていないので、すでに戦闘が終わっている貴族院で必死に情報を集めようとしているらしい。けれど、王族もダンケルフェルガーも先のことが何一つ決まっていないため、今は黙秘状態だそうだ。



 食事をおいしく感じられるくらいの現状報告を話題にし、昼食を終えると、食後のデザートとお茶が運ばれてくる。その準備をしたら、側近達は一旦下げられた。ここから先の話し合いは側近抜きで行うことになっている。

 必要になればオルドナンツで呼ぶようにして側近達に下がってもらった後、わたしは皆を見回して一度ゆっくりと深呼吸した。

「では、新しいツェントの選出についてお話を始めたいと思います。皆様もすでにご存じでしょうが、先日、わたくしに英知の女神 メスティオノーラが降臨しました。メスティオノーラもエアヴェルミーン様もいち早くユルゲンシュミットに新たなツェントをお望みです」
「では、父上にグルトリスハイトを……」
「ジギスヴァルト様」

 ジギスヴァルトがトラオクヴァールを庇うように発言しかけ、隣に座っているアドルフィーネに「上位の方のお言葉を遮っていらっしゃいます」と止められた。王族育ちで父親以外の上位を知らないせいだろう。
ジギスヴァルトはハッとしたように姿勢を正し、「申し訳ございません」とわたしに先を促す。

「神々が望むツェントは、ユルゲンシュミットの礎を染められる者。今の王族の皆様が供給しているところはユルゲンシュミットの礎ではないため、もうじき魔力が尽きてユルゲンシュミット自体が崩壊してしまうそうです」

 王族が一斉に目を見開いた。衝撃だっただろう。必死になって魔力を注いでいた礎が別物だったと言われたのだから。

「完全に別物というわけでもないのですよ。中央の王宮にある供給の間は中央神殿の祈りの間と繋がっていて、中央神殿の祈りの間にある魔術具が貴族院にある供給の間に繋がっています。その供給の間から礎に魔力が送られています。魔力を送るための魔術具に魔力が必要になるので、礎まで届いてはいるのですけれど、ユルゲンシュミットを維持するために必要な量には全く足りていません」

 貴族院にあるユルゲンシュミットの礎に届くまでに魔力のロスが多すぎるのである。徒労感に変わりはないだろう。

「では、尚更早くグルトリスハイトを……」
「えぇ、新しいツェントの選出が必要です。新しいツェントには神々からの要求を呑んでいただくことになります。先にそれをご承知おきください」
「神々からの要求だ、と?」

 アナスタージウスが目を丸くするのを見つめながら、わたしはコクリと頷いた。神々からの要求ということで、皆が一度姿勢を正した。かしこまった皆には悪いけれど、神々の要求ではなく、神々の言葉を良いように解釈したフェルディナンドの要求だ。

「一刻も早く礎を満たすこと、ランツェナーヴェの者達をユルゲンシュミットの者として受け入れること、今回の騒動に関しては命を奪う処罰は許されないこと、次代のツェントは自力でメスティオノーラより英知を得た者にすること。大まかには以上です」

 わたしの言葉にトラオクヴァールが目を見開いた。

「一刻早く礎を満たすというのは理解できます。だが、ランツェナーヴェの者達をユルゲンシュミットの者として受け入れるというのは……」

 他の者達が承知しないだろう、と苦しそうに言葉を放つ。フェルディナンドが緩く首を横に振った。

「受け入れるだけです。別に貴族として遇する必要もありません。ヒルデブラント王子と同様に貴族院に通ったわけでもなく、不正入手したシュタープです。封じてしまえばよいではありませんか。あとは、当人の罪によって牢に繋いで魔力を搾り取るか、中央神殿の神官や巫女にしてユルゲンシュミットにその魔力を捧げてもらえば良いだけです」

 ランツェナーヴェのために魔力を搾り取られるのを厭って、ユルゲンシュミットを侵略しようとした者達がユルゲンシュミットのために魔力を搾り取られることになるのだ。閉じ込められるのは可哀想だとは思うけれど、自分達の行いの結果だし、蹂躙されて突然殺されたアーレンスバッハの貴族達に比べれば命があるだけマシだと思う。わたしはフェルディナンドの意見に反対する気は起きなかった。

 ……ユルゲンシュミットの貴族なんて、どうせ全員がユルゲンシュミットのために魔力を注いでいるんだから。

「つまり、魔力を奪うだけで処刑はしないということですか? いくらこれ以上魔力を減らすことができないとはいえ、後々の禍根が残ると思うのですが……」
「えぇ、危険だと存じます」

 王族や上位領地の間では大量の処刑も仕方がないこととして教えられているのだろう。ジギスヴァルトが心配そうに顔を曇らせ、エグランティーヌも同意した。何を言っているのか、理解できない。

「え? でも、後々の禍根を断つために、という理由で多くの命と知識が失われたために王族はグルトリスハイトを探せず、ユルゲンシュミットは魔力不足に陥ったのですよね? 後々の禍根を自分達で作り出していたではありませんか」

 面白い冗談ですね、とわたしが微笑むと、王族が一斉に顔色を変えた。もしかして、冗談ではなく、本気でまた大量処刑をするつもりだったのだろうか。

「あの、王族や勝ち組の上位領地が旧ベルケシュトック出身の上級司書を処刑したために知識の断絶が起こり、グルトリスハイトを再度手に入れることができず、魔力供給も境界線の引き直しも満足にできなくなったのですよ? 貴族達の不満が膨れ上がり、魔力が激減し、ユルゲンシュミットを崩壊の危機に導いたのは王族ですけれど、さすがにもう自覚はありますよね? まさか自分達の行いを何一つとして反省してないというわけではありませんよね?」

 わたしが目を瞬くと、王族が少し目を逸らし、養父様がオロオロとしているのがわかった。アウブがそんなに感情を揺らすところを公に見せて良いのだろうか。もう少し威厳を持って、悠然と構えていてほしいものである。

「わたくしとしては、少々見当違いの部分があるとはいえ、グルトリスハイトがないままにユルゲンシュミットを支える努力をしてきた姿も見ていますから、できるだけ緩やかに世代交代をするために王族から新しいツェントを選出するのが一番だと思っていたのですけれど……フェルディナンド様がおっしゃった通り、少々不安になってきましたね」

 困ったわ、とわたしは頬に手を当てて首を傾げる。

「今のユルゲンシュミットの在り方はとても歪んでいます。次代のツェントの選出から、できる限り古の方法に戻すことをエアヴェルミーン様と約束いたしました」

 別に約束したわけではなく、フェルディナンドが宣言しただけだが、エアヴェルミーンはメスティオノーラの書を得たツェント候補が増えることを望んでいたので、かなり大まかに見れば間違ってはいないだろう。多分。

「古の方法ですか?」

 筋書きを書いたフェルディナンド以外は、すぐに理解できないというような顔をしている。そんな皆を見回し、わたしは新しいツェントへの要求を口にする。

「そうです。ツェントの世襲を廃止して、次代のツェントは血統によらないものとします。自力でメスティオノーラの書を得られる者がツェントとなるのです」

 次期ツェントと決まっていたジギスヴァルトは自分の立場を失うことに顔色を変えた。その妻であるアドルフィーネは諦めの表情になっている。

「そして、中央神殿を古の聖地である貴族院に戻し、ツェントを中央神殿の神殿長とします。ツェントには古の儀式の復活に力を注いでいただき、ユルゲンシュミットを魔力で満たしていただきますね。ほんの一時とはいえ、わたくしを中央神殿の神殿長へ、というお話があったのですから、別に問題はないでしょう」

 ニコリと微笑めば、顔色を失っている王族が何人もいる中で、養父様と養母様は遠い目をして我関せずというような笑みを浮かべていた。

「それから、ツェントの神殿長就任に伴い、中央の王宮や離宮を閉鎖し、ツェント一族は貴族院に住居を移動していただきます。元々王位の独占を始めた王族が暗殺を恐れて逃れるために作られた中央の王宮や離宮に住み続けるのは魔力と人員の無駄遣いですものね。貴族院へ移り、中央の直轄地ではなく、全ての領地から集めた税で生活すれば良いのです。税収で生活するのはアウブと同じですし、足りなければ自分で稼げばいいだけですから」
「ローゼマイン」

 ……あ、余計なことまで付け加えてしまった。失敗、失敗。でも、この機会に上位の貴族達も自力で稼ぐことを考えたらいいと思うよ。

「このように新しいツェントには今までの王族という枠組みを壊すための生活をしていただくことになっているのですが、王族の中からどなたか立候補者はいらっしゃいますか?」

 王族がお互いに顔を見合わせている。グルトリスハイトを得たツェントになれるとはいえ、今までと生活は完全に変わるのだ。すぐに名乗りを上げられるような者はいないだろう。

「いらっしゃる場合は、その方にツェントをお願いするためにも今回の王族の失態はなるべく隠す方向で動き、ツェントとその妻子以外の王族にはアウブとして廃領地のアウブを任じるようにしたいと思います。いらっしゃらない場合は、他領のアウブ達に納得いただけるように政変以降の王族の失態を印刷してユルゲンシュミット中に配って反感を煽り、逆に、アウブ・ダンケルフェルガーの今回の活躍を物語にして華々しく吹聴して中継ぎのツェントになっていただきます」

 王族達が目を見開き、軽く口を開くほど驚いている中、べしっと太腿をはたかれた。フェルディナンドが不機嫌たっぷりのキラキラ笑顔でわたしを見ている。

「少し説明が足りないのではないか、ローゼマイン?」

 わたしだってちょっとは女神らしいことをしたいのだ。皆に印刷物を配るのは、とてもメスティオノーラの化身らしいと思う。

「世論操作に印刷物を使うのは基本中の基本です。それに、エーレンフェストの宣伝にもなります。印刷物を使って世の中を動かすなんて、とても英知の女神 メスティオノーラの化身らしいでしょう? ダンケルフェルガーの活躍話を書くように、ディッター物語の作者にはすでに依頼済みです」
「なんと!? 我々がディッター物語の主役になるのですか!?」

 買い占めねば、興奮気味のアウブ・ダンケルフェルガーを隣に座る第一夫人が「周知のための物を買い占めてどうします?」と軽く叩く。呆れた第一夫人とフェルディナンドの表情が何だかとてもよく似ているように見えた。

「本当に君に権力を持たせたらとんでもないことになるな」

 フェルディナンドが顔を引きつらせてわたしを軽く睨んだ後、王族を見回した。

「新しいツェントが王族以外から立つ場合、皆様が案じられていた通り、外患誘致を防げなかった旧王族は後々の禍根となります。納得できない貴族達が再び担ぎ上げようとして、国が内乱状態になる可能性があります。この危険を未然に防ぐため、全員白の塔へ入っていただくことになります。神々とのお約束ですから、どのような罪人も処刑にはいたしません。ご安心ください」

 命さえ奪わなければ良いという意味合いのことを全く安心できない魔王の微笑みで言われて青ざめた王族達を見て、わたしは急いで付け加えた。

「内乱を避けるためですから、明確な罪がある方以外の生活は旧王族として補償いたしますよ。わたくし、フェルディナンド様と話し合って、待遇を大幅に改善していただきました。一日二食に加えて、なんと本を一冊お付けします!」
まだ続きます。
フェルディナンドは「そんな打ち合わせはしていない」と少々ご立腹。
印刷したらダメって言われない場を選んでみたローゼマイン。
でも、まだこうしてほしいな、という要求を出しただけ。
王族の顔色はどこまで変わるのか。

次は、その2です。
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