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本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~ 作者:香月 美夜

第五部 女神の化身

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誘惑

「諦めろ……ですか?」

 おじい様の言葉にわたしは血が沸騰するような感覚を覚えながらグッと拳を握る。

「そうだ。其方が守るべきはエーレンフェストだ。フェルディナンドがアーレンスバッハへ向かう時にもそう約束していたはずではないか」

 確かに約束した。他ならぬフェルディナンドと。それに、エーレンフェストには下町の家族、グーテンベルク達、神殿の皆もいる。全てわたしが守るべき相手だ。でも、フェルディナンドも守ると約束したのだ。諦められるわけがない。

「だいたい他領の供給の間にどのように入るつもりだ? アーレンスバッハに到着するまでにかかる日数はどのくらいかわかっているのか? それまでの間、フェルディナンドの魔力がもつのか? 助けに行っても間に合わぬ。それよりも、攻め込んでくるのがわかっているゲオルギーネ相手の対策を練るべきではないか」

 おじい様の「諦めろ」の理由を聴きながら、わたしは肌身離さず持っているアーレンスバッハの鍵にそっと指を這わせた。ゲオルギーネと同じ手段を使えば、アーレンスバッハの礎を得ることができる。決して不可能ではない。

「つまり、間に合うのであれば、助けに行っても良いのですか?」

 わたしはおじい様をじっと見つめて尋ねた。魔力が全身を巡っていくのがわかる。周囲の皆が息を呑み、「空の魔石は……」と慌てるのを視界の端に留めながら、わたしはもう一度尋ねる。

「間に合わせれば、諦めなくても良いのですよね?」

 おじい様が顔をしかめて気圧されたように顎を引いた。魔力が漏れて、軽く威圧になっているのかもしれない、と思いながらも答えを迫る。

「フェルディナンド様の魔力がもつ間であれば、おじい様も養父様もご協力くださるのですか? わたくし、フェルディナンド様を救うためならば、アーレンスバッハも中央も王もエアヴェルミーン様でさえも敵に回しても構わないのです。諦めるつもりなど、一切ございません」

 ゴクリとおじい様が唾を呑んだ。

「おじい様、わたくしは自分の大事な物を守るためにアウブの養女になりました。権力と身分がなければ守れなかったのです。王の養女になるのもフェルディナンド様を連座から救うためでした。でも、フェルディナンド様の命がなくなれば、連座も何も関係がなくなります。わたくしが王の養女になる意味がなくなるのですよ」

 自分にとって大事な物が揃っている中でユルゲンシュミットが滅ぶのはまだ諦められるけれど、ユルゲンシュミットという器を守れても大事な物を取り零したのであれば意味がない。
 わたしにとってはユルゲンシュミットよりも下町の家族やフェルディナンドの方が大事なのだ。

「ローゼマイン、其方、正気か? フェルディナンド一人のために……?」
「優先順位には個人差があるのは当然ではありませんか。わたくしにとってはユルゲンシュミットよりエーレンフェスト、エーレンフェストよりそこに住む自分の身内の方が大事だということです」

 そんなわたしの言葉に答えたのは、おじい様でもなく、養父様でもなく、ヴィルフリートだった。

「そこまで覚悟が決まっていて、救う当てがあるならば行けば良いではないか」
「ヴィルフリート!?」
「元々エーレンフェストの守りはローゼマインが中央へ行くことを前提に、其方抜きで行えるように考えられていたのだ。ならば、其方と其方の側近が動く分にはエーレンフェストにとっては問題ないではないか。今にも魔力を暴走させそうな其方をエーレンフェストに置いておく方がよほど危険だと私は思う」

 わたしの目が変化していることを指摘しながらそう言ったヴィルフリートにボニファティウスがカッと目を見開いた。

「中央へ行くことが決まっていても、まだローゼマインはエーレンフェストの領主候補生だ。エーレンフェストがアーレンスバッハに攻め込むことになるぞ!」
「それが何ですか? こちらの礎が攻められることが明らかなのです。ならば、こちらから攻めても構わないではありませんか。攻め込まれた時に礎を守らなければならないのはどちらのアウブにとっても同じはずです。やられる前にやれば良い」

 ヴィルフリートの言葉を面白がるように養父様がゆっくりと顎を撫でた。

「ローゼマイン、フェルディナンドを助ける目途はついているのか?」
「わたくし以外の誰にもできないと思いますが、方法はあります。養父様の協力があれば、もっと楽に助けられます」

 協力してくれますか? と首を傾げれば、養父様が唇の端を上げた。

「私もフェルディナンドを救えるものならば救ってほしいとは思う。だが、其方が今はまだエーレンフェストの領主候補生であり、領地の簒奪を責められるのは事実だ。事を起こすためにはご立派な建前が必要になる」

 深緑の目は周囲を納得させる建前があれば行っても良いと言っている。

「叔父上を救う、で良いではありませんか。まだ星結びを終えていないエーレンフェスト籍の者、王命で中継ぎアウブの伴侶になるはずの者なのですから」
「……ヴィルフリート、中央や他領を相手にするにはまだ弱い」

 養父様はそう言いながらわたしを見た。

 ……捻り出せ、理由を。

 そうしたら、わたしは大手を振ってフェルディナンドを救いに行ける。わたしは必死に頭を回転させた。アーレンスバッハに攻め込む大義名分を考え出すのだ。

「アーレンスバッハはランツェナーヴェの者を取り込んで、次期ツェントを目指そうとしています。王族にグルトリスハイトの場所を教え、もたらすのではなく、自分達が得ようとしているのです」

 ディートリンデだけがグルトリスハイトを手に入れるならば、それほどの問題にはならなかったはずだ。王族にグルトリスハイトをもたらすわたしと同じ立場である。もしかしたらユルゲンシュミット内の混乱を最小に抑えるために、フェルディナンドと婚約解消をしてジギスヴァルトと結婚することになったかもしれない。
 けれど、アーレンスバッハは今、致命的な間違いを犯している。グルトリスハイトを手に入れるためにランツェナーヴェという外国と手を組んだ。

「ランツェナーヴェと通じてツェントの座を奪おうとするアーレンスバッハは、かつてボースガイツに唆されて手を組んだアイゼンライヒと同じです。アイゼンライヒが分割されてできたエーレンフェストは、外国と手を組んでツェントを狙う罪の重さを一番よく知っています。そのエーレンフェストと、王の養女になるわたくしがアーレンスバッハを打ち倒すのは当然ではありませんか。中央や他領にも感謝されこそすれ、責められるようなことではないでしょう?」

 わたしが捻り出した理由に、養父様が笑った。

「クッ……。建前としては悪くはない。だが、アーレンスバッハとエーレンフェストでは戦力差が大きすぎる。アーレンスバッハに攻め込めるほどの戦力はエーレンフェストにはないのだ。本当に其方と其方の側近だけで敵地に踏み込むことになる」

 旧ベルケシュトックの半分を抱えるアーレンスバッハは、人数だけは多い。戦力に圧倒的な差がある。ただでさえ人数の少ない中領地のエーレンフェストは、人数的に守りを固めるだけで精いっぱいだ。

「それで十分です。あまり大人数になると動けなくなりますから」
「いや、十分な戦力がないままに其方をアーレンスバッハに向かわせるわけにはいかぬ。王の養女になることが決まっている其方は、最も守られなければならぬ存在だぞ」

 養父様は難しい顔でそう言った。

 エーレンフェストに無いものは余所から持ってくるしかない。そして、戦力といって思いつくところは一つしかない。

「養父様、アウブ・ダンケルフェルガーに連絡を取ってくださいませ。そして、ダンケルフェルガーをディッターにお誘いしましょう。外患誘致を行うアーレンスバッハを討つため、そして、フェルディナンド様を救うために」
「ダンケルフェルガーだと? 他領を巻き込むのか!?」

 自分達で維持できなければ意味がないので、礎を奪う戦いにおいて他領に助力を願うことはない。けれど、今回の戦いではアーレンスバッハを手に入れたいわけではない。フェルディナンドを助けたいだけだ。ついでに、アーレンスバッハからエーレンフェストに攻め込んでくる戦力を減らすことができれば嬉しい。

「使えるものは何でも使わなければ、大領地のアーレンスバッハには勝てませんよ。ダンケルフェルガーなんてディッターにおいては最強の手札ではありませんか。今使わなくて、いつ使うのですか? ディッターへの情熱に訴えかけ、フェルディナンド様に下された王命の後押しやクラリッサの件も加えてお願いすれば、アウブだけではなく第一夫人もきっと快く引き受けてくださいます」
「……よかろう、来い。交渉役は其方だ」



 わたしはアウブの執務室に連れていかれた。養父様が文官に声をかけてアウブ同士で緊急時に話をするために使う通信用の魔術具の準備をさせる。魔術具はまるで水鏡のような物だった。領主候補生のコースで習うことなので使い方は知っているけれど、使えるのは基本的にアウブだけだ。

 養父様がダンケルフェルガーと繋ぐと、文官がアウブを呼び出してくれた。

「ごきげんよう、アウブ・ダンケルフェルガー」
「アウブ・エーレンフェストとローゼマイン様!? 臥せっていたと聞いていたが……。これはまた……」

 水鏡にアウブ・ダンケルフェルガーの姿が映っているように、こちらの姿も見えているのだろう。急成長したわたしの姿をまじまじと見つめていたアウブ・ダンケルフェルガーがハッとしたように咳払いをした。

「コホン、緊急の用件を聞かせてもらいたい」

 わたしはアーレンスバッハが外患誘致の罪を犯して中央へ攻め込もうとしていることを伝える。ご立派な建前を先に出しておかなければならない。養父様が厳めしい顔で建前である外患誘致について伝える。

「アイゼンライヒがあったエーレンフェストはその罪の重さを知っています。ですから、大領地の皆様にも王族を守るためにご協力いただきたいのです」

 秘密裏に礎を奪いに来る予定のゲオルギーネは、まさか中央や他領に対してロビー活動がされているとは思うまい。こういう根回しが今後の外交で重要になるはずだ。

「それに、中央騎士団ではトルーク騒ぎが二度もありました。少々不信感もあるので、今の王族を支える大領地の騎士団に協力を要請しておいた方が良いと思ったのです」

 この後で王族にも注意喚起はするけれど、中央騎士団は本当に大丈夫なのか、不安はある。ディッターへの乱入やアーレンスバッハの葬儀の騒動を一緒に経験しているダンケルフェルガーはコクリと頷いた。

「それから、中央へ向かわせる騎士達とは別に、こちらは有志で良いのですけれど、アーレンスバッハへ騎士達を向かわせてほしいのです」

 わたしの言葉にアウブ・ダンケルフェルガーが「一体何のために?」と目を瞬いた。

「ぜひともダンケルフェルガーの皆様をディッターにお誘いしたいと思ったからです。ダンケルフェルガーの騎士は本物のディッターに興味がございませんか?」

 わたしがニコリと微笑むと、アウブ・ダンケルフェルガーは「本物のディッター……? まさか礎を……」と呟いた。勘が良くて話が早くてありがたい。わたしはニコリと笑う。

「えぇ。これからエーレンフェストとアーレンスバッハの間で壮大なディッターが始まる予定なのです。けれど、戦力差が大きいでしょう? エーレンフェストでは、ぜひともダンケルフェルガーの皆様をお誘いしたいと思ったのです。ディッターといえば、ダンケルフェルガーですものね」

 フフッと笑いながら、わたしは水鏡の中のアウブ・ダンケルフェルガーを見つめる。アウブ・ダンケルフェルガーが唖然としているのがわかった。

「エーレンフェストはエーレンフェストの礎を守ります。そして、わたくしがアーレンスバッハの礎を奪いに行くのですけれど、その助力をしてほしいのです。攻撃力はわたくしが知る限り、ダンケルフェルガーが一番ですもの」

 わたしの言葉にアウブが揺れているのがわかった。わたしは笑みを深めながらディッターをもっとやりたくなるように言葉を重ねる。

「いくらダンケルフェルガーでも、このご時世ですから礎をかけたディッターはまだ経験がございませんよね? 一度経験してみたいと思いませんか?」
「うぐ……」
「アーレンスバッハとエーレンフェストを舞台にした本物のディッターですよ。きっとただの競技では味わえないような血が滾る熱い戦いになると思うのです。ねぇ、アウブ・ダンケルフェルガー。わたくしと一緒にアーレンスバッハの礎を攻めてみたいと思う騎士に心当たりはございませんか?」

 本物のディッターの誘惑に揺れているアウブ・ダンケルフェルガーが頭を振った。

「他領の争いにしゃしゃり出ることは、騎士以外から賛同を得られぬ」
「なるほど。ディッターに参加するためには、情熱だけではなく建前も必要ですものね」

 わたしが笑いながら建前の必要性を指摘すると、アウブ・ダンケルフェルガーが食いついてくる。

「何かあるのか?」
「事情をお話しすると、どうしても脅迫のようになってしまうので、できればディッターへの情熱だけで協力いただきたかったのですけれど仕方がありません。事情をお話しいたしましょう」

 わたしはできるだけ悲しそうに見えるように目を少し伏せる。

「詳しくは省きますが、フェルディナンド様がアーレンスバッハの供給の間でディートリンデ様に毒を盛られて動けない状況にされました。わたくし、どうしてもフェルディナンド様を助けに行きたいのです」
「何だと!?」

 フェルディナンドを救うためにはアーレンスバッハの礎を押さえる必要がある。

「フェルディナンド様をエーレンフェストの神殿から救出するために一丸となってくださったダンケルフェルガーですもの。アーレンスバッハで毒を受けているフェルディナンド様を救出するためにも一丸となってくださいますよね?」
「我等の行ったことを償うためだ。これには誰も反対できまい。うむ、アーレンスバッハの礎を奪うディッターに参加しよう!」

 ……顔、笑ってますよ。アウブ・ダンケルフェルガー。もうちょっと反省してくださいませ。
諦める気なんてローゼマインには一欠けらもありません。
使えるものは何でも使う精神でフェルディナンドを救うための戦力強化。
ダンケルフェルガーの参戦です。

次の更新は9/5です。
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