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本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~ 作者:香月 美夜

第五部 女神の化身

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閑話 ジギスヴァルト視点 ローゼマインの失踪と帰還

 図書館におけるローゼマインの存在と役割についてジギスヴァルトがソランジュと話をしていると、二階で少し騒ぐ声が聞こえた。驚きが漏れたような声で、思わずジギスヴァルトは二階の閲覧室に繋がる階段へ視線を向ける。すぐに声は聞こえなくなり、静かになった。

 しばらくすると青色神官の衣装をまとった者が二人、階段を下りてきた。二人はジギスヴァルトの前に跪き、エーレンフェストの神官長ハルトムートが申し訳なさそうに口を開く。

「ジギスヴァルト王子、大変恐れ入りますが、ローゼマイン様はこれから読書をしたいとおっしゃっています。今日は土の日。本来でしたら休みの日ですし、すでに儀式は終えました。後片付けは中央神殿とクラッセンブルクが行いますし、全ての確認は神官長である私が行う予定です。しばらくの間、ゆっくりと読書をする余裕もない主の願い、どうかお聞き届けいただけませんか?」

 王族である自分と共に図書館へ魔力供給にやってきて、それまで何も言っていなかったのにローゼマインが突然読書を行うとはジギスヴァルトには思えなかった。読み始めたら不敬も何も関係なく本に没頭するローゼマインだが、読み始めるまではそれなりに理性があることもジギスヴァルトは知っている。
 何か裏があることを察したけれど、ソランジュがいる前で側近達に囲まれた自分に対して口にできることではないのだろうと察し、ジギスヴァルトはハルトムートの申し出に許可を出した。

「ローゼマインの読書は許可します。その代わり、最奥の間の確認をするため、神官長には最奥の間まで同行してもらいましょう」
「かしこまりました。ダームエル、後は頼みます」

 ダームエルと呼ばれた青色神官は静かに頷き、また二階の閲覧室へ戻っていく。
 ソランジュに見送られ、自分の側近を連れたジギスヴァルトはハルトムートと共に図書館を出た。ハルトムートに盗聴防止の魔術具を渡して中央棟へ歩き始める。

「それで、ローゼマインに何があったのでしょうか?」
「魔力供給の途中で忽然と姿を消しました」

 何を言っているのですか、という言葉が喉まで出てきたのを呑み込み、ジギスヴァルトはニコリと笑う。

「姿を消したとは、どういうことでしょう?」
「その場にいた図書館の魔術具によると、じじさまのところへ行ったそうです。じじさまについて尋ねると、古くて偉いという答えが返ってきました。王族の方々は何かご存知ですか?」

 穏やかに微笑みながら前を向いて話をしているけれど、ハルトムートからは微かな興奮というか、焦りというか、感情の揺れが感じられた。嘘を言っているわけではないのだろう、とジギスヴァルトは判断する。そのようなことで王族に嘘を吐いても何もならない。

「ローゼマインはいつ戻る予定ですか? それについて図書館の魔術具は何か言っていませんでしたか?」

 ローゼマイン以外ならば、ジギスヴァルトは気にかけなかっただろう。けれど、春になったら王の養女となり、グルトリスハイトを得る予定のローゼマインの行方が突如としてわからなくなるのは非常に困る。

「……いつ戻るか、わからないそうです。今の瞬間にも戻っているかもしれませんし、三日後かもしれません。今は事を大袈裟にはしたくありません。ローゼマイン様は奉納式のお疲れが出て体調を崩されました。エーレンフェストではしばらくの間そうする予定です」
「父上だけには今夜伝えますが、次の土の日までは私と父上の胸に秘めておきます」

 一週間以上いなくなるのであれば、王族としては話し合いの場を設ける必要がある。王族入りが予定されているローゼマインはそれだけ重要な立場なのだ。一週間の猶予を得たハルトムートは少し表情を緩め、「恐れ入ります」と笑った。

 ジギスヴァルト達が戻ると、最奥の間は中央神殿の者によって片付けられていた。ハルトムートは貴族代表として見て回り、ジギスヴァルトは王族として最奥の間を閉ざす。

 その夜、ジギスヴァルトは父親であるトラオクヴァールだけにローゼマインの失踪と、エーレンフェストが体調不良として対外的には対処することを伝えた。あまりにも判断材料が少なく、手の打ちようがない事態だ。難しい顔になったトラオクヴァールはゆっくりと息を吐いた。

「確かにすぐに戻るかもしれぬならば、今の時期に大袈裟に騒ぐことは避けた方が良さそうだな。エーレンフェストの要望通りにしよう」

 次の土の日、中級貴族を集めて行われる奉納式になってもローゼマインが戻らなければ、彼女の失踪について王族で話し合うことにして一日は終わった。



 それから一週間たってもローゼマインは姿を現さなかった。初めての神事に参加するために張り切って挨拶に来たヒルデブラントには、エーレンフェストの者にローゼマインの容態を尋ねてくるように、と言って見送り、アナスタージウスとエグランティーヌには夕食後に話があることを伝える。秋の終わりに女児を出産したエグランティーヌには夕食を共にした後で話し合いに参加するのは時間的に難しいのである。

 去年の秋、当時はまだジギスヴァルトの第一夫人だったナーエラッヒェが男児を出産し、その半年後の領主会議の最中にエグランティーヌの妊娠が発覚した。
 なんとエグランティーヌが祠でお祈りしたところ、神から女児を懐妊していることを告げられたそうだ。魔力と体に負担がかかるので祈りを止めるように言われて、奉納した魔力を祝福として返してくれたらしい。

 外には漏らさないように注意していたけれど、王族は大慌てだった。それまでエグランティーヌが魔力を奉納していた分を、最低限の授乳期間を終えたナーエラッヒェと結婚したばかりのアドルフィーネが担うことになり、エグランティーヌは祠巡りを免除されて出産に魔力を注ぐことになった。

 今、エグランティーヌは去年と変わりがないことを周囲に見せるために、産後の辛い体で貴族院の教師をしている。ナーエラッヒェが半分の学年を受け持つことで負担を減らしているけれど、かなり大変であることはわかる。

 それでも、生まれたての息子を抱えながらアドルフィーネを第一夫人に迎えなければならなかったナーエラッヒェが、エグランティーヌの懐妊によって執務への復帰を急がされたのだ。今も貴族院でエグランティーヌの負担を減らしている。
 ジギスヴァルトの本音としては、子供を望んだエグランティーヌが多少の無理をするのは当然だと思う。アナスタージウスが何と言おうとも、そこは譲れない。

 本当はジギスヴァルトとアドルフィーネに男児が生まれるまでは懐妊を待ってほしかった。せめて、ツェントも次期ツェントもグルトリスハイトを得ていない今ではなく、ローゼマインが王族入りしてグルトリスハイトを得たり、魔力供給できる人数が増えたりするまでは妊娠を待ってほしかったとジギスヴァルトは思っている。

 ……王族が増えることは確かに喜ばしいですが、父上は甘すぎるのです。

 貴族院と領主会議で奉納式が行われて魔力が豊富な年であったこと、ローゼマインがグルトリスハイトを得ることができそうだと発覚した時でなければ、ジギスヴァルトはエグランティーヌの懐妊を喜んであげることなどできなかっただろう。

 エグランティーヌが出産したのが女児で本当によかった、とジギスヴァルトは心底思っている。アウブ・クラッセンブルクは少しでも発言力を強めようとあの手この手を使ってくるのだから、生まれたのが男児であれば、何が何でもアナスタージウスを次期王にしようとしたはずだ。

 グルトリスハイトのない王族がいかに弱い存在であるのか、ジギスヴァルトはよく知っている。それでも、知らぬ振りで王族らしく振る舞わなければならないのだから、エグランティーヌがクラッセンブルクの介入を阻止してユルゲンシュミットの安定を願うならば、子供をしばらく諦めるくらいの配慮は欲しかった。

 ……大半はアナスタージウスのせいだとわかっているのですが、あれを止められるのがエグランティーヌである以上は、どうしても感情が波立ちますね。



 ヒルデブラントに奉納式の様子を聴きながら夕食を摂る。ローゼマインの時のように魔力の光の柱は立たなかったけれど、神具が貴色に光っていたらしい。あまりにも速くて多い魔力の流れに翻弄され、神々の像が抱える神具から一斉に七色の光の柱が立った奉納式とはずいぶん様子が違うようだ。それにやや不満を漏らしながらも、初めての神事に参加できたヒルデブラントは嬉しそうである。

 夕食の後、アナスタージウスとエグランティーヌが合流した。側近達を排し、王族だけになって盗聴防止の魔術具を使ってローゼマインの失踪について話をする。図書館の二階で忽然と姿を消したこと、図書館の魔術具が「じじさまのところへ行った」と言っていたことを伝えた。

「え?ローゼマインが臥せっているというのは嘘だったのですか?」

 目を丸くするヒルデブラントに「事を荒立てたくないというエーレンフェスト側の希望です」と頷き、エーレンフェストの様子を尋ねる。

「……普通でした。ローゼマインがまだ臥せっていることと、王族の見舞いの言葉に感謝するというお礼の言葉をいただきました」

 エーレンフェストはまだローゼマインの失踪を伏せるつもりなのだろう、とジギスヴァルトは判断した。

「エグランティーヌ、貴族院の様子はどうですか? ローゼマインの失踪について何か漏れていますか?」
「いいえ、長く病床にあることを疑っている方はいないと思われます。……フラウレルム先生くらいでしょうか。こんなに長く病床にあるのはおかしい、と」

 フラウレルムとは誰だったのか、とジギスヴァルトは記憶を探り、ローゼマインを目の敵にしていた教師の存在を思い出した。アーレンスバッハにはもう少しまともな教師を出してほしいものである。

 ……いや、それならばエーレンフェストも同じですね。

 研究にしか目を向けないヒルシュールのことがジギスヴァルトの頭をよぎり、情報収集のためにエーレンフェストに帰還させた中央貴族のことも併せて思い出した。今年はまともな情報が集まると良いと思う。本当にエーレンフェストは情報が少なく、常識が噛み合わなくて何を考えているのかよくわからない領地なのだ。

「貴族院の様子もローゼマイン様の不在による目立った変化はございません。特定の方々は心配して個人的にお見舞いを送っているようですけれど、元々お体の弱い方ですし、貴族院の講義を最速で終えてエーレンフェストに帰還されます。ローゼマイン様は講義にいない方が普通ですから」

 ローゼマインは講義に出席していたら注目されることばかりをするけれど、貴族院にいない方が普通という稀有な最優秀だ。最速で講義を終えて、奉納式のために帰還するので、顔を合わせることの方が珍しい存在である。

「ローゼマイン様との接触を求めてエーレンフェストへ社交の申し込みをしている領地も多いようですけれど、例年通りにヴィルフリート様とシャルロッテ様が対応しているようですね」

 本当に例年通りのようだ。エーレンフェストの学生にも特に変化は見られないらしい。領主候補生が忽然と消えて一週間がたとうとしているのに、ずいぶんと悠長に感じられる。

「ローゼマインが戻らぬ時のことも考えねばならぬ」

 トラオクヴァールが悲し気な顔でそう言った。この一年はローゼマインにグルトリスハイトを得てもらうことを前提に王族は行動してきた。最終的にグルトリスハイトが手に入るのであれば多少の無茶もできるけれど、入らないならば対応を変えなければならない。

 トラオクヴァールとジギスヴァルトは大神の御加護がないため、小さい祠を回って祈りを捧げなければならない。けれど、昔のツェント候補が貴族院の在学期間中全て使って行うような奉納を執務と並行して行うのは難しい。

 しかも、小さい祠は属性の足りない者が特定の神に祈りを捧げやすくするために個人が作った物で、ツェントが作った物ではない。そのため、すでに壊れている祠や神の像だけがあったり、作られていないのか、発見されにくい祠もあったりして簡単に事が進まなかった。
 父上は再取得で加護を得ている眷属神がいくつかあったため、何とか全属性を得られたけれど、ジギスヴァルトはまだ二つの眷属神の加護が残っている。

 ……そのうえ、まだ大きな祠を巡らなければグルトリスハイトには届かないのです。

 気が遠くなる話だ。そこに到達しているローゼマインのすごさが身に染みてよくわかる。
 奉納式で七色の光の柱を立てておきながら平然としていたのだ。

「エグランティーヌ、ローゼマインが戻らないという万が一のことを考え、赤子に乳をやらなければならない期間を終えたら、其方にも祠を巡ってもらうことになる」
「父上、それではエグランティーヌに負担が大きすぎますし、クラッセンブルクが……」

 アナスタージウスの抗議を、ジギスヴァルトは軽く手を挙げて制した。

「グルトリスハイトへの道筋が見えている今、グルトリスハイトを得るのが王族にとっては最優先です。春になり、雪が解けてもローゼマインが戻らなかった場合は、負担であろうとも、最初から全属性を得ているエグランティーヌに頼むのが最も効率的なのです」
「ですが、エグランティーヌは出産直後です」

 食い下がるアナスタージウスにトラオクヴァールがゆっくりと首を横に振る。

「ローゼマインが王族入りする予定だった領主会議を終えても戻らなかった時は、私がエグランティーヌに命じる。その頃には最低限の授乳期間を終えているはずだ。ナーエラッヒェはエグランティーヌの出産のために復帰してくれた。今度はエグランティーヌの番だ。王族の義務として祠巡りを行ってもらう」

 エグランティーヌが「かしこまりました、ツェント」と微笑んで頷き、小さく呟いた。

「けれど、できるだけ早くローゼマイン様に戻っていただきたいです。今年の最優秀が他の学生の物になってしまうのが、とても惜しく感じられるのです」

 三年連続最優秀だったローゼマインの成績もさすがにそろそろ戻らなければ維持できないだろう。初めて出席した去年の表彰式で誇らしそうに笑っていたローゼマインの姿を思い出し、ジギスヴァルトも勿体ない気分になった。

「下級貴族の奉納式までに戻らなければエーレンフェストと話をしましょう。エーレンフェストがどのように対応するのか尋ね、ローゼマインの講義をどうするのか、話し合う必要があります。あの領地は我々の常識では計れませんから」

 貴族の常識に則って動けば、迷惑がられるのだ。何を基準に対応すれば良いのかわからない。これからローゼマインが王族になるわけだが、王族にとってはエーレンフェストとローゼマインは未知の存在で、グルトリスハイトを得るのが彼女である以上、命令だけで対応していくことは難しくなる。どのように対応すれば良いのか、手探りで探らなければならない。

 ……私が夫になるのですか。

 見た目はよく、魔力が豊富で、ユルゲンシュミットの貴族であるはずなのに、ローゼマインはどうにも意思疎通がままならない存在である。神殿育ちだから、で済ませられるような違いではないのだ。貴族だけではなく、中央神殿の者とも在り方というか考え方の根本が全く違う。個人で対面したジギスヴァルトはそれを実感している。

 グルトリスハイトを得るのが最優先なので黙殺されているし、ローゼマインとの接触を禁じられているけれど、「貴族達が混乱するので、ローゼマインに権力を持たせるのは反対だ」と言っているアナスタージウスの言葉もジギスヴァルトは理解できるのである。



 下級貴族の奉納式が終わってもローゼマインは戻って来なかった。奉納式で多大な貢献をしたエーレンフェストを労うという建前で、青色の衣装を着て奉納式に出ていた貴族達を招待して王族主催でお茶会が開かれる。青色の衣装を着ていた者限定なので、ローゼマインの側近やエーレンフェストの領主候補生は招くけれど、クラッセンブルクの学生は排除だ。

 今日は青色の衣装ではなく、貴族の衣装に身を包み、ヴィルフリートとシャルロッテを先頭にローゼマインの側近が何人も入ってきた。ハルトムート、コルネリウス、レオノーレ、アンゲリカ、それから、学生が四人である。王族の招待に緊張した面持ちではあるけれど、エーレンフェストの者達はあまり不安でもなければ、困ってもいないように見えた。

 挨拶を終え、毒見を終え、範囲指定の盗聴防止の魔術具を使ってローゼマインの話を始める。

「ずいぶんと長い不在ですが、心配ではないのですか? エーレンフェストも大変でしょう」

 ジギスヴァルトの質問に答えたのはヴィルフリートだった。

「確かに心配です。けれど、ローゼマインがいなくても何とかなるようにエーレンフェストは半年以上ローゼマインが体制を整えていました。ですから、それほど大変ではありません」

 貴族らしい回りくどい言葉で、ヴィルフリートはローゼマインが中央へ引き抜かれるのも、じじさまの下へ行くのも、いなくなるという一点においては同じだと言った。これは王族への当てこすりだろうか、とジギスヴァルトは考えた直後に、エーレンフェストでは意味が変わるのかもしれない、と思い直す。

 ……本当にエーレンフェストとの会話は難しいです。

「長い不在には困りますが、ローゼマイン様がお元気であることはわかるのでそれほど心配はしていません」

 ハルトムートの言葉に周囲の者達が苦い笑みを浮かべる。当たり前にハルトムートの言葉を受け入れているような雰囲気がジギスヴァルトには不思議でならない。王族の間ではローゼマインがはるか高みに上がる可能性さえ浮かび上がっているところだ。

「何故ローゼマインが元気だと言い切れるのですか?」
「私はローゼマイン様の魔力を感じることができるのです。仮に、ローゼマイン様がはるか高みに向かうことがあったとしても、お供させていただくことになっています」

 ハルトムートはそう言い切った。そういえば、王族入りの条件に名捧げをした側近は未成年でも連れていくというものがあったと、ジギスヴァルトは思い出す。ハルトムートが名捧げをした側近なのだろうか。

 普通は名を捧げていることなど表に出さないものだが、ハルトムートは当然の顔でローゼマインの魔力の影響下にあることを告げ、誇らしそうに首に下げている紋章をジギスヴァルトに見せてくれた。エーレンフェストの本の最後についているのと同じ、ローゼマインの紋章だ。

「日に日にローゼマイン様の魔力が強くなっているのです。どこにいらっしゃるのかわかりませんが、ローゼマイン様は毎日驚くほど成長していらっしゃいます。お元気であることだけは確信が持てるので、我々はこうして日常生活を送っていられるのです」

 ……ローゼマインの魔力を感じられることに悦びを見出しているハルトムートは中央にも付いてくるのですよね? エーレンフェストの変人率がまた上がりそうです。

 この後もエーレンフェストとしてはローゼマインが臥せっているという状態のままにしておくつもりだそうだ。体の様子が心配なので、エーレンフェストに帰還させたというふうに周囲には説明するらしい。

「不思議な事態に巻き込まれたということで、ローゼマインが戻った時には講義の試験をなるべく早く受けられるように教師に命じたり、冬以外にも貴族院に滞在できるように配慮したりしてくださると嬉しいです」

 ヴィルフリートの言葉にジギスヴァルトは頷いた。ローゼマインを王族入りさせるならば、頼まれなくても必要な措置である。

「ヴィルフリート、一つ聞かせてください。ローゼマインと婚約を解消することになりますが、それについてはどのように考えていますか?」
「仕方がないことだと思っていますし、私にはローゼマインの婚約者という立場が相応しくありませんでした。ジギスヴァルト王子ならば、もう少し釣り合いが取れると思います」

 婚約解消には何のこだわりもないという顔でヴィルフリートが言った。内心では色々と思うところがあるだろうが、実に貴族らしい自制心だとジギスヴァルトは思う。

「これは私の独り言ですが、お守りの作成は早く始めた方が良いと思います。ローゼマインの身を守るお守りは多いので、婚約までに作るのは大変ですから」

 そういえば、ルーフェンやインメルディンクの学生がローゼマインのお守りの反撃を受けたという報告をジギスヴァルトも聞いたことがあった。グルトリスハイトの持ち主になることを思えば、お守りは作った方が良いだろう。ジギスヴァルトはお茶を勧めることでヴィルフリートに礼を述べておいた。



 結局、領地対抗戦にも卒業式にもローゼマインは戻ってこなかった。どちらにも姿がなく、成績の最優秀にオルトヴィーンが呼ばれたことで、さすがに他領も騒ぎ始めた。けれど、エーレンフェストは臥せっている、の一点張りである。こんなに長くは信じられないとか、本当ははるか高みに向かったのでは、と騒ぐフラウレルムは領地対抗戦から摘まみ出され、アーレンスバッハへ戻されることが決定した。貴族院の教師が全員一致したことによる決定である。

 卒業式の翌日、ふと思い立ってジギスヴァルトは図書館へ行ってみた。ローゼマインが気にしていた図書館の魔術具は大丈夫なのか、不意に気になったのだ。冬の間に誰も魔力を注いでいなければ、奉納式で魔力を満たしていた魔石だけでは春から秋の間に魔力が尽きてしまう。

「ご心配ありがとう存じます、ジギスヴァルト王子」

 執務室でソランジュから貴族院の期間中はヒルデブラントとハンネローレが図書委員として頑張ってくれたという言葉やヴィルフリートとシャルロッテが訪れて魔力の詰まった魔石を持ってきてくれたという報告を聞いて胸を撫で下ろした。

 このままでも問題なさそうなので、ジギスヴァルトは執務室を出て、自分の離宮に戻ろうとした。閲覧室の扉の前でふと足を止める。そういえば、ローゼマインが姿を消した現場に足を運んでいなかったことを思い出した。

 事を大袈裟にしないように、ローゼマインが消えた当日も二階の閲覧室へは行かずに済ませた。図書館を利用する学生が増えれば、王族のジギスヴァルトには行けなくなる。
 けれど、卒業式翌日の今ならば誰もいないはずだ。ジギスヴァルトは閲覧室に入って、左手にある階段を上がっていく。

 ……エーレンフェストのマント?

 誰もいないと思っていた閲覧室に先客がいた。エーレンフェストのマントを羽織った三人が二階の閲覧室の奥にいるのが見える。あの辺りにローゼマインが魔力を供給していた魔術具があるのかもしれない。

「ジギスヴァルト王子?」

 振り返ったのはフェルディナンドだった。ローゼマインが慣例を無視して案じていた相手だ。ここにいるのだから、ローゼマインが臥せっているのではなく、行方不明であることを知っているに違いない。

「ローゼマインは心配ですね。あまりにも長すぎます」
「本当に……。ところで、ジギスヴァルト王子は何故こちらへ?」
「貴方と同じだと思います。ローゼマインが最後に魔力を供給した魔術具を見に来たのですよ。学生が多いうちは足を運べませんから」

 だが、フェルディナンドがいてちょうどよかったとジギスヴァルトは思った。二階の魔術具とは聞いていたけれど、どれが魔術具かジギスヴァルトは聞いていないのだ。
 ジギスヴァルトがフェルディナンドに「二階の魔術具を知っているか」と尋ねると、フェルディナンドは次々と魔術具の位置を教えてくれた。大小合わせて十以上の数があり、ローゼマインが最後に魔力を供給した魔術具がどれなのか、ジギスヴァルトにはわからなかった。

 ジギスヴァルトはフェルディナンドに礼を述べて踵を返す。少し歩いたところでフェルディナンドの疲れ切ったような声が聞こえた。

「ローゼマインは本当にこちらの予定をめちゃくちゃにしてくれる……」

 フェルディナンドの声はそれほど大きくなかったけれど、全く人の気配がないためか、かなりはっきりとジギスヴァルトの耳に届いた。くるりと振り返ると、フェルディナンドは大きな本を抱えるメスティオノーラを睨んでいた。



 そして、全ての学生達がそれぞれの領地へ戻っていき、連絡係の騎士を置いて寮は閉鎖される。エーレンフェストだけはローゼマインがいつ戻ってきても良いように、彼女の側仕えであるリーゼレータとグレーティア、それから、護衛騎士が二人、専属料理人と共に滞在するという申請があった。

 それに許可を出して、数日後のことだった。ジギスヴァルトが夕食を終えたところでオルドナンツが飛んできた。トラオクヴァールからだった。

「ジギスヴァルト、ヒルデブラントからオルドナンツが来た。エーレンフェストから連絡が入ったらしい。最奥の間を開けてほしいようだ。ヒルデブラントが向かうと言っているが、同行を頼む」

 同じ図書委員ということでヒルデブラントがずいぶんとローゼマインに懐いていることにマグダレーナが困っていたことを思い出し、ジギスヴァルトは立ち上がった。オルドナンツでトラオクヴァールに了承の返事を飛ばし、ヒルデブラントには講堂前で合流するように伝える。エーレンフェストにはジギスヴァルトが立ち会うので講堂前に行くように、と言った。

「ローゼマイン様の筆頭側仕えリーゼレータと申します。このような時間に王族の方々の手を煩わせてしまうことになり、大変申し訳ございません。けれど、こちらにローゼマイン様が戻られたそうなので……」

 手にいくつかの布の塊を抱えた二人の側仕えと護衛騎士二人がジギスヴァルトとヒルデブラントに謝罪した。外はすでに薄暗い。月が上がっているので今夜は明るい方だけれど、王族を呼び出すような時間ではない。けれど、普通に王族に申請して三日も四日も最奥の間にローゼマインを放置することはできない、とリーゼレータが申し訳なさそうに詫びる。

「戻ってきて何よりです。早速迎えに行きましょう」
「ジギスヴァルト兄上、もう開けても良いですか?」
「ヒルデブラント、少し落ち着きなさい」

 興奮が見て取れるヒルデブラントにそう声をかけながら頷く。講堂の鍵が開けられ、暗い講堂の中を真っ直ぐに歩く。一番奥にある扉の魔石に触れて鍵を開け、油膜が張ったような複雑な色合いを潜り抜けると、最奥の間だ。

「……ローゼマイン?」

 思わず息を呑んだ。等間隔に並ぶ細い窓から差し込む淡い月明かりの中、光る板を持ったローゼマインらしき人影が見えた。淡い光に浮かぶその姿はひどく幻想的で、生身の人間とは思えなかった。

 今の夜空と同じ色合いの髪は一部が丸くまとめられて、見慣れた虹色魔石の飾りが揺れている。振り返った金の瞳も同じで、失踪した時と同じ神殿長の衣装で確かに部分、部分は同じなのだけれど、全体を見ると同じではない。貴族院入学くらいの年頃にしか見えなかったローゼマインが年相応の姿になっていた。

 子供らしい丸みを帯びていた顔は少しほっそりと輪郭を変え、愛らしさのあった顔立ちは玲瓏とした美しさに変わっている。すんなりと伸びた指先に子供の丸みはなく、しなやかさがあった。その体は女性らしい柔らかさを帯びているけれど、未完成という雰囲気で、成人を前にした少女だけが持つ特有の儚い美しさがあった。

 ……神々の祝福。

 本当にそれ以外の言葉が浮かばなかった。元々顔立ちの整っていた子供だったが、成長してこれほど美しくなるとは予想外だ。
 全く予想していなかったローゼマインの姿に息を呑んでいると、自分達の背後にいたローゼマインの側近達が足早にローゼマインに駆け寄っていく。

「ローゼマイン様!」
「持ってきてくれたのですね、リーゼレータ。ありがとう存じます」
「ご無事で何よりです。本当に心配いたしました」

 そして、リーゼレータはフード付きのマントですっぽりとローゼマインの姿を覆い隠してしまった。もっと見ていたかったのに、と思う心をジギスヴァルトはすぐに押し隠す。

「ローゼマイン、その姿は……?」

 私と同じように衝撃を受けたらしいヒルデブラントが少し上擦った声で尋ねた。自分と同じくらいの身長だったローゼマインが一気に頭一つ分以上成長していれば、衝撃も受けるだろう。

「始まりの庭でエアヴェルミーン様が育成の神 アーンヴァックスにわたくしの成長を願ってくださったのです」
「始まりの庭……?」

 ヒルデブラントが更に質問しようと口を開くよりも先にローゼマインが光る板を消して、私の前に立った。胸の辺りにあった頭が顎の辺りにきている。成人女性だと思えばやや低めだけれど、年相応だと考えればもう少し伸びる可能性もあると思われる。

「ジギスヴァルト王子」

 そう呼びかける声も覚えのある幼さのある高いものではなく、女性の柔らかいものになっている。真っ直ぐに見つめてくる金の瞳は同じだ。けれど、ローゼマインの背が伸びたせいで、ひどく距離が近づいたようにジギスヴァルトには思えた。

「何でしょう?」
「大変不躾なのですけれど、詳しいお話は領主会議の時でよろしいでしょうか? わたくし、大至急エーレンフェストに帰還し、アウブとお話ししなければならないことがあるのです。領主会議までには戻りますから、どうかお許しくださいませ」

 焦りを隠そうともせずにローゼマインはそう言う。ローゼマインの金の瞳に自分の姿が映っていないことをジギスヴァルトは実感せずにいられなかった。
ローゼマインの不在に奔走するジギスヴァルト王子でした。
グルトリスハイトがどうなるのかわからなくなったことで王族はそれぞれに不安を感じていましたが、
エーレンフェストは毎日のようにハルトムートが「ローゼマイン様の魔力語り」をするので
無事を感じていられました。
そして、フェルディナンドはローゼマインがいなくなったことで碌に情報を与えられていません。
ひとまずローゼマインが戻ってきました。

次は、礎の魔術です。

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