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本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~ 作者:香月 美夜

第五部 女神の化身

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閑話 ランツェナーヴェの使者 前編

「こちらはディートリンデ様の承認が必要になります」

 執務室で文官が持ってきた書類の山をうんざりと見つめながら、ディートリンデは魔力をインクにする魔術具のペンでサインをしていく。早くグルトリスハイトを手に入れて、次期ツェントになるべき自分がこのような雑事に煩わされるなんて、とディートリンデは本気で思っていた。

 なかなか中央には行けない身で貴族院の領主会議へ行ったのだから、もっと収穫があっても良かったはずなのに、ディートリンデの調査はことごとく王族に邪魔をされたのだ。口惜しい。

 ……あの地下書庫を調べることができれば、少しはわかったはずですのに。

 失礼極まりない王の第三夫人に「まずは古語のお勉強からなさったら?」と嘲笑されたことを思い出して、ディートリンデは不愉快になってきた。芋蔓式に「フェルディナンドに隠し部屋を与えるように」と命じたトラオクヴァールのことを思い出し、更に不愉快になる。

 ……「葬儀で訪問した際には王命が実行されているか確認する」ですって?

 婚約者として滞在しているフェルディナンドに隠し部屋を与えろ、などと非常識な命令をしてくるトラオクヴァールは、王位につけておくのも不安な程に頭がおかしくなっているようだ。一刻も早くディートリンデがグルトリスハイトを手に入れて、正当なツェントにならなければ、ユルゲンシュミットはきっとグルトリスハイトも持たずにツェントになった無能な王のせいで滅んでしまうに違いない。

 ……もう本当に何ということでしょう。わたくしの肩にユルゲンシュミットの未来がかかっているなんて。

 中央神殿の者達の言葉を思い出したディートリンデは、「困ったこと」と溜息を漏らす。考え事をしているために書類にサインをする手が止まっていて、傍らでサインの終了を待つ文官が「困っているのはこちらです」と思っていることには気付きもしない。

「……え?」

 突然ざわりとディートリンデの腕に鳥肌が立ち、背筋がぞわりとした。風邪で体調を崩した時の悪寒が一番似ているが、ディートリンデは体調を崩しているわけでもなければ、夏が近付いている今、寒かったわけでもない。

 ただ、その悪寒と同時に境界門という言葉が脳裏に閃いたことで、ディートリンデには何が起こったのかわかった。アウブの許可を得ずに境界門へ押し入ろうとする者がいる。礎の魔術に魔力を供給している領主一族だけに感じられるものだった。

 アウブ・アーレンスバッハの死後、アーレンスバッハ側から境界門を閉じることができない。そして、門を守る騎士から何の連絡もないままに侵入が可能な門は、アーレンスバッハに一カ所しかない。海の上にある国境門と連なっている境界門だ。

「すぐに自室に戻ります。マルティナ、騎獣服とヴェールの準備をお願い。境界門の様子を見なくてはならないようです。側近達を集めてちょうだい」

 コトリとペンを置いて、ディートリンデは立ち上がった。突然のサイン放棄に驚く文官を「貴方、邪魔でしてよ」と一睨みする。

「わたくしの言葉が聞こえなかったのかしら? 境界門の様子を見なければならないのです。多分ランツェナーヴェの使者でしょう」

 ランツェナーヴェの使者という言葉に反応した文官は、処理済みと未処理に手早く分けた書類を抱えて急ぎ足で退室する。おそらくフェルディナンドに報告するのだろう。執務に関して文官達は全面的にフェルディナンドへ相談を持ち掛けている。そういうことをするから、王族に変な命令をされても誰も断れないのだ。

 自分が執務に精通していないことを棚に上げて、文官達の無能を心の内で罵りながらディートリンデは自室に戻り、マルティナ達側仕えが急いで持ってきた騎獣服に着替え、日差しを避けるためのヴェールをつけてもらい、すぐにバルコニーへ出た。

 視界に青く光る海面が広がっている。肉眼では小さくしか見えない境界門に入ってこようとしている黒い物体に向かって、ディートリンデは騎獣を駆けさせる。
 すでに海上には騎獣に乗ったフェルディナンドや騎士団がいた。フェルディナンドはまだ礎の魔術に魔力供給をしていないため、侵入者を感知できていないはずだ。それなのにディートリンデより先に到着しているのは、騎獣服への着替えに時間がかかったせいだ。

「ディートリンデ様、あの門から入ってくる船はランツェナーヴェの物で間違いありませんか? あまり見たことがない形の物なのですが……」
「えぇ。去年からランツェナーヴェの船の形があのように変わったのです。見慣れない形ですけれど、ずいぶんと早く進むようになったそうですよ」

 ディートリンデはフェルディナンドに答えながら、眼下の変わった形の船を見下ろす。大きさは全く違うけれど、黒くて長い細身の魚のようだ。境界門を通れる大きさで、できるだけ荷物を積めるように長さを考えた結果だ、と去年の使者が歓迎の宴で言っていた。

「ほら、ご覧になって。門を抜けると不思議な変化をするのです」

 ディートリンデが指差すのとほぼ同時に、門を完全に抜けて港に向かって海を進んでいた船が海上で一度止まった。そして、パタパタと小さなタイルが回転するような動きを見せながら、船が銀色に変わり始める。

「一体何のためにあのようなことを?」
「どのような効果があるのか存じませんけれど、ランツェナーヴェの使者が滞在するためには必要な処置だそうです。太陽の光を反射して眩しくなるので黒のままでいてほしいのですけれどね」

 これまでランツェナーヴェの船を見たことがないであろうフェルディナンドにディートリンデは自分が知っていることを教えた。文官の支持を集め、まるでアーレンスバッハのアウブのような態度で執務をしているフェルディナンドに知らないことがあるのが少し愉快だった。

「船が港に着いて、それから、城までやって来て謁見の申し出があり、許可を出して歓迎の宴が行われるのです。まだ何日もかかりますもの。門の侵入者がランツェナーヴェだとわかったのですから城へ戻りましょう」
「ディートリンデ様は先にお戻りください。まさか境界門に騎士がおらず、他国の者の侵入を容易く許す状況だとは思いませんでした。騎士団に命じて、あの境界門にも騎士を配して監視させます」

 フェルディナンドの言葉にディートリンデは目を瞬いた。彼が何を言っているのか、意味がわからない。この門を通って来るのはランツェナーヴェの者だけだ。そして、ランツェナーヴェの使者はすでに到着した。それなのに、何もない海の上に騎士を配する必要があるのだろうか。

「何もない海の上ですし、もう使者は到着したのですよ? 大した魔力も持っていないランツェナーヴェを警戒する意味などありません」
「これから先、貿易のために次々と船が転移してくるのですから監視は必要ではありませんか。……騎士団長、境界門へ直ちに騎士を配してください」
「はっ! 人数はどのくらい必要でしょう?」

 フェルディナンドはディートリンデの言葉を無視して騎士団長に声をかけ、騎士団長はその命令をすぐに実行するために二人で決め始める。ディートリンデは自分を無視する二人が腹立たしく思えて仕方がなかった。

「わたくし、もう戻ります!」
「ディートリンデ様、例年の進行から歓迎の宴がいつになるのか予測ができるのでしたら、そちらの手配をお願いします」

 フェルディナンドはディートリンデに背を向けたままそう言って、騎士団長と自分の側近達を連れて境界門へ騎獣を走らせ始める。
 あまりにも自分を軽んじている態度に腹を立てながらディートリンデが側近達と自室に戻ると、側近達までフェルディナンドの言葉に従って歓迎の宴の手配をしようと動き始めた。

「お待ちなさい。誰の命令を聞いているのです? 貴女達の主は誰ですの?」
「ディートリンデ様、わたくし達はフェルディナンド様の命令で動いているのではございません。ディートリンデ様のために動いているのです。ランツェナーヴェの使者を迎える宴の準備ができていなければ、次期アウブであるディートリンデ様に不手際があったと他国の者には取られてしまいますもの」

 フェルディナンドの命令がなくてもディートリンデのために動いていた、と言う側仕え達にディートリンデは気を取り直した。確かにその通りだ。側仕え達はディートリンデに汚点を付けるわけにはいかない。

「いいわ。行ってちょうだい」

 ディートリンデがランツェナーヴェの使者を迎える準備をするように軽く手を振ると、側近達はそれぞれ動き始めた。そんな中、マルティナが手紙を持ってきた。

「ディートリンデ様、ゲオルギーネ様からお話があるようですよ」
「お母様から?……またあのお話でしょうね。嫌だわ」

 他の者からは次期アウブだとか次期ツェントだと言われていても、まだどちらの立場にも確定していないディートリンデは母親であるゲオルギーネより上に出られない。嫌でもゲオルギーネの面会を断ることはできないのだ。

 仕方なく許可を出すと、すでに準備は整っていたようで、それほど時間も置かずにゲオルギーネがやってきた。そして、挨拶を交わすとすぐに盗聴防止の魔術具を差し出す。
 ディートリンデが魔術具を手に取った瞬間、予想通りの内容がゲオルギーネの赤い唇から飛び出した。

「ディートリンデ、フェルディナンド様に隠し部屋を与えるのはまだなのですか? 葬儀までに整えておかなければ、貴女が、そして、アーレンスバッハが叱責を受けるのですよ」
「でも、婚約期間中に隠し部屋を与えるように、だなんて……。お母様はあまりにもひどいと思いませんの?」

 客室に隠し部屋を作れない以上、フェルディナンドに隠し部屋を与えようと思えば夫の部屋に入れることになる。正式に結婚したわけでもない男に夫の部屋を与えるなんてあり得ない。いつでもディートリンデの寝台に夫でもない男が入れるようになるのである。式を挙げる前に閨に男を招き入れるようなものだ。

 フェルディナンドはディートリンデにとってグルトリスハイトを手に入れてツェントになれば婚約を解消するつもりの婚約者である。しかも、神殿に入っていたこともあるような男だ。とても信用できない。神殿ではよくあるようなことがディートリンデの身に起こった時、周囲から口さがないことを言われるのは、部屋を与えたディートリンデである。決して命じた王ではないのだ。

「ですが、隠し部屋を与えなければフェルディナンド様をエーレンフェストに一旦戻さなければならなくなります。今のアーレンスバッハの状況でそれはできません」

 実の娘が下位領地の神殿に入っていたような領主候補生を王命によって宛がわれ、中継ぎアウブにされるというのに、ゲオルギーネの深緑の目には何の感情も映っていない。少しくらいはディートリンデの貞操を心配したり、理不尽すぎる非常識な王命に一緒に怒ったりしてくれるのではないかと期待したけれど、小さな希望はまたしても潰されただけだった。期待するだけ無駄だとわかっていても期待してしまう我が身を恨めしく思いながら、ディートリンデはゲオルギーネから少しだけ視線を逸らす。

 ……でも、ツェントになれば……。

 そうすれば、少しは母親の目に自分の姿が映るかもしれない。ディートリンデが次期ツェント候補になった時、「貴女がツェントを目指すのですか? できる限りやってごらんなさい」と初めてゲオルギーネに背を押されたのだから。

「なるべく早く与えなさい。ランツェナーヴェの使者がやってきたのですから、夏の葬儀までそれほど時間がありませんよ」
「トラオクヴァール王はアーレンスバッハに非常識な王命を下すのではなく、下位のエーレンフェストを王命で黙らせればよろしいのに……」

 何故上位であるアーレンスバッハの方が非常識な王命を受けなければならないのか。我慢させるならばエーレンフェストにするべきである。

「非常識な王命を押し通すようにエーレンフェストが何がしかの手段を講じたのでしょう。どれほど非常識でも王命は王命です。隠し部屋を与えていなければ、他領のアウブ達が集まる中でアーレンスバッハが叱責を受けるでしょう」

 ゲオルギーネの言葉にディートリンデは押し黙る。叱責を受けるだけで、部屋を与えずに済ませられるのであれば、そちらの方が良いのではないか。少なくとも、我が身の安全は保障される。そんなディートリンデの考えを見透かしたように、ゲオルギーネは呆れた顔になった。

「ディートリンデ、王に命じられたのは隠し部屋を与えるということだけです。フェルディナンド様に与えるのは西の離れのお部屋で良いではありませんか」

 西の離れは第二夫人や第三夫人に与えられる部屋があるところだ。女性のアウブの配偶者としてやってきたフェルディナンドに西の離れの部屋を与えるなど、ディートリンデは全く思いつかなかった。西の離れならば配偶者の一人としての処遇であるし、王命を聞き入れることもできるし、ディートリンデの貞操を守ることもできる。少しは自分のことを考えていてくれたのだ、とディートリンデは嬉しくなった。

「西の離れにお部屋を与えるなんて素敵な案があるならば、もっと早く教えてくだされば良かったのに……」

 ディートリンデが甘えて膨れてみせると、ゲオルギーネは赤い唇をゆっくりと吊り上げて「今がわたくしにとっては最良の時だっただけです」と微笑んだ。やはりその深緑の目にディートリンデの姿は映っていなかった。

 いつものことだと諦めつつ、ディートリンデはフェルディナンドに西の離れの部屋を与えることを夕食時に伝えた。「葬儀の準備に加えて、ランツェナーヴェの使者との面会を控えた忙しい時に、お部屋を本館から西の離れに移すのですか?」と彼の側近が困ったように自分の主を見たけれど、隠し部屋を望んだのはエーレンフェストで、命じたのは王だ。ディートリンデ自身はフェルディナンドに隠し部屋を与えたいとは思っていない。

「必要がなければ、御自分でトラオクヴァール王に意見をなさってくださいませ。わたくしは王命に従っただけです」
「夏の葬儀までには移っておきます。格別のご配慮、ありがたく存じます」

 フェルディナンドはいつも通りの優しい微笑みでそう言う。これでもう少し年が近くて、生まれ育ちと神殿にいたという汚点がなければまだよかったのに、と思いながらディートリンデは食事を終えた。



 そして、ランツェナーヴェの使者が滞在する館に入ったという知らせが届き、面会依頼の書状が届き、城の中が歓迎の宴や謁見の準備で忙しない雰囲気になっていく。

 歓迎の宴が行われる当日は午後から準備を始めなければならない。軽食を摂って、湯浴みをし、着替えるのに時間がかかる。ディートリンデは公式の場に出るために襟が高く、顔以外の全身を完全に隠すような薄手の白い衣装を着て、その上に豪奢な刺繍がされた青の上着を羽織る。白の衣装には暑さを抑えるための魔法陣が刺繍されて、少しは暑さを和らげることができるのだ。それがなければ、厚みのある青の上着など着ていられない。

「成人が髪を上げなければならないのが残念ですね。ディートリンデ様の金髪はとても豪奢で美しいのですもの」

 側仕え達がそう言いながら髪を結い上げていく。更に、顔を隠すように薄いレース地のヴェールをつける。ヴェールの生地は個人の好き好きで選べるけれど、ヴェールはアーレンスバッハの女性が公式の場に出る時に付ける物なので外せない。

 準備を整えたら、側近達と共にディートリンデは緊張感とも高揚感とも言えそうな心境で小広間に向かう。去年までは未成年だったため、挨拶だけすれば退場させられていた。歓迎の宴に最後まで参加するのは初めてなのだ。

 毎年のことだが、歓迎の宴は比較的小規模に行われる。そして、夏の盛りに行われる星結びの儀式のために領地内のギーベ達が集まった時に、改めてランツェナーヴェの使者とギーベが交流を持つための宴が盛大に行われることになっている。

「ディートリンデ様がいらっしゃいました」

 中にはすでにアーレンスバッハの重鎮達とフェルディナンドとその側近がいた。フェルディナンドの傍らには幼いレティーツィアとその側近の姿もある。去年はレティーツィアと退場させられたけれど、今年は最後までいられるのだ。少しばかりの優越感を持って、ディートリンデはレティーツィアを見た。

 小広間の中にいる者は、女性全員がヴェールを付けていて、男性は襟の高い白の上下に薄くて大きな一枚布を体に巻き付けるようにしている。アーレンスバッハの夏の装いだが、皆が夏の貴色をまとっている中、フェルディナンドだけはエーレンフェストの領地の色をまとっていた。他領の者であることを示すはずのその色が、フェルディナンドをまるでその場の支配者のように見せている。

「あら、フェルディナンド様は夏の貴色ではないのですね」
「夏の貴色をまとってもよかったのですが、こうしてエーレンフェストの色をまとうことで、たとえ色々と意見をしていても私には決定権がないと、一目でわかるようにした方が良いと思ったのです」

 穏やかな微笑みと共にそう言われ、ディートリンデはどこか引っ掛かりを覚えながらも頷く。普通ならば、下位のエーレンフェストではなく、アーレンスバッハの皆と同じ色をまといたがるはずだ。敢えてエーレンフェストの色をまとうのは、フェルディナンドの謙虚な態度の現れなのだと思うことにした。



「ランツェナーヴェ、入場」

 扉のところにいる側仕えが声を上げた。大きく開け放たれた扉からランツェナーヴェの使者が並んで入ってくる。ランツェナーヴェの使者もアーレンスバッハの衣装をまとっている。ランツェナーヴェはアーレンスバッハと気候が違うので、あちらの衣装ではここで過ごしにくいと聞いたことがある。
 ただ、彼等も夏の貴色である青をまとってはいなかった。ランツェナーヴェの使者であることを示すためなのか、珍しい銀色の布をまとっている。

 小広間に入ってきたのは十二名の使者だった。そのうちの半分ほどは自分達と同じ雰囲気なのに、もう半分は顔立ちや肌の色が違う。毎年見るけれど、どうしてこれほどに違って見えるのか、ディートリンデには不思議で仕方がない。

 使者の中から一歩前に進み出て、両腕を交差させながら跪いたのは、ディートリンデより二、三歳年上の男性だった。若くて美しい使者の姿にディートリンデは目を引かれた。記憶にないのだから、去年はいなかったはずだ。

 金と栗色の中間くらいの髪が後ろでまとめられていて髪留めで留められている。ディートリンデの祖母くらいの世代の頃にアーレンスバッハで流行していた男性の髪型だ。今でも壮年の男性には背で髪を縛っている者もいるため、ディートリンデには比較的馴染みがあった。

「お初にお目にかかります、アーレンスバッハの方々。ランツェナーヴェのキアッフレード王の孫、レオンツィオと申します。他の者を紹介する前に、水の女神 フリュートレーネの清らかなる流れに導かれし良き出会いに、祝福を祈ることをお許しください」
「……許します」

 まさかランツェナーヴェの使者に貴族としての挨拶ができるとは思わなかった。ディートリンデは驚きながら、許しを与える。
 レオンツィオはユルゲンシュミットの貴族と同じように魔石の付いた指輪を左手の中指に付けている。全属性の魔石のはまった指輪が彼の王族としての立場を示していた。
 ふわりと祝福を与え、「以後、お見知りおきを」と言ってレオンツィオは顔を上げる。

 ……あら?

 レオンツィオが顔を上げた瞬間、フェルディナンドを見つめて驚きの表情を一瞬だけ見せた。すぐに笑顔の下に隠れてしまったけれど、信じられない者を見たような顔だった。ちらりとフェルディナンドの様子を窺ってみる。フェルディナンドの方は特に何もないように見える。

 レオンツィオは一瞬の驚きなど全くなかったかのような笑顔で、使者の紹介をした。半分以上は去年も来ている者だ。レオンツィオとその側近だけが初めてアーレンスバッハを訪れたらしい。

 ランツェナーヴェの使者の紹介が終わると、次はアーレンスバッハの一族が紹介される。前アウブの死亡が告げられ、次期アウブという立場のディートリンデとその婚約者としてエーレンフェストからやってきたフェルディナンドが紹介された後、ゲオルギーネとレティーツィアが紹介される。

 紹介が終われば、歓談の時間となる。未成年は退場する時間だ。レティーツィアは側近達と共に退場していき、大人の時間になった。貿易を担当する文官達や政治的な情報を仕入れたい者達がお酒の入った杯を片手にランツェナーヴェの使者に近付いていき、入れ代わり立ち代わり話をすることになる。後日の会議の前哨戦だ。

「フェルディナンド様はお話にいらっしゃいませんの?」
「ディートリンデ様の隣にいられる機会はそう多くございません。執務が忙しく、時間が取れないのですから、今くらいは……」

 ニコリと微笑んで自分の側にいたいと言ったフェルディナンドにディートリンデは気を良くして頷く。最近は姿を見ることも少なかったし、何だか軽んじられているような気がしていたけれど、それは忙しさのせいだったようだ。
 フェルディナンドがランツェナーヴェの使者に余計なことを言わないように監視するために隣にいるとは露知らず、ディートリンデは機嫌よくマルティナが持ってきた飲み物に口をつけた。

「次期アウブであるディートリンデ様にお伺いしたいことがございます」

 レオンツィオがやってきて、ランツェナーヴェの姫の受け入れがいつになったのかを尋ねてくる。

「会議の時に伺うべきでしょうが、少しでも早くランツェナーヴェに知らせなければならないのです」

 貿易のために行き来する船に手紙を持たせるのだそうだ。確かに、少しでも早く知らせた方が良い。ユルゲンシュミットには受け入れる気がないのに、ランツェナーヴェでは準備を進めているならば大変だろう。レオンツィオの琥珀色の瞳を見上げ、ディートリンデはニコリと微笑んだ。

「ランツェナーヴェの姫は受け入れられません。どうぞランツェナーヴェに早く知らせてあげてくださいませ。準備が無駄になっては大変ですものね」
「……え? お、お待ちください。姫を受け入れられないというのは何故ですか?」
「何故、と申されましても……。それがトラオクヴァール王の決定なのです」

 ディートリンデは記憶にある領主会議での流れを伝える。隣に立っていたフェルディナンドが補足することにより、姫の受け入れ拒否が嘘でも冗談でもないと伝わったらしい。
 呆然としていたレオンツィオが軽く頭を振って、ディートリンデに手を伸ばす。それをフェルディナンドがバシリと叩き落した。

「レオンツィオ様、どうか落ち着いてください。あまり興奮されるようであれば、護衛騎士に任せなければなりません」

 静かな声の中にある威圧的な雰囲気がレオンツィオにも伝わったようで、レオンツィオは一気に感情を抑え込む。穏やかな微笑みでレオンツィオはフェルディナンドに対峙した。

「ユルゲンシュミットの王はランツェナーヴェを滅ぼすおつもりですか? そのおつもりがないならば、姫を受け入れていただきたい」

 姫を受け入れないことがランツェナーヴェの滅びに繋がるということが理解できず、ディートリンデは首を傾げた。どういう意味か、と問いかけるより早くフェルディナンドが冷たい笑顔で話を打ち切る。

「残念ながら、ツェントがお決めになったことですから我々ではお力になれません」

 ランツェナーヴェの事情を聞こうともせず、あまりにもバッサリと切ってしまうフェルディナンドの姿勢にディートリンデはレオンツィオが可哀想になってしまった。

「フェルディナンド様、そのようにおっしゃらなくてもよいでしょう。ランツェナーヴェの事情を伺って、もう一度トラオクヴァール王にお願いしてみれば違う答えが返ってくることもあるかもしれません」

 ディートリンデの言葉にレオンツィオは少し安堵したように肩の力を抜いた。けれど、フェルディナンドはそれが面白くないようで、冷たい顔のままレオンツィオを見つめる。

「ツェントが前言を撤回することはないでしょう。……ツェントが代替わりした後、新しいツェントにお伺いを立てるのが妥当なところではございませんか?」

 決してランツェナーヴェに親身になるような姿勢はちらりとも見せず、切り捨てるようなフェルディナンドの言い分にディートリンデは苛立ちを感じる。大事な貿易相手なのだから、もう少し親身になってツェントとランツェナーヴェの橋渡しをするべきではないだろうか。アーレンスバッハにある国境門しか開いていない以上、ランツェナーヴェはユルゲンシュミットにとって唯一の貿易相手なのだ。

 ディートリンデはフェルディナンドに対してツンと顔を逸らすと、レオンツィオに向けてできるだけ優しく微笑んだ。アーレンスバッハから働きかけてツェントの意見を変えることはできないかもしれないけれど、当人が事情を話して、真摯にお願いすれば受け入れてくれるかもしれない。トラオクヴァールは常識外れの王なのだから。

「レオンツィオ様。幸いなことに、この夏はアウブの葬儀のために王族がアーレンスバッハを訪れます。その際にもう一度お願いしてみてはいかがでしょう?」
「ディートリンデ様」

 フェルディナンドが「何を言い出すのですか?」と驚愕の顔になった。何故そのように驚くのか、ディートリンデにはわからない。

「警備の都合上、王族にそのような者を近付けるわけにはまいりません。アウブの葬儀の折に、ランツェナーヴェの者を王族に近付けるような行いは許可できません」
「それを決めるのはフェルディナンド様ではなく王族ですし、わたくしは貴方に許可を得なければならない立場ではありません。アーレンスバッハとしても、大事な貿易相手であるランツェナーヴェが滅ぶということは避けなければならないのですもの。わたくし、レオンツィオ様にお話を伺いたく存じます」
「聞く必要はございません」

 ディートリンデは自分の意見を次々と却下して、ちっともこちらの意見を受け入れようとしないフェルディナンドに今度こそ完全に腹を立てた。フェルディナンドにはきっちりと立場の違いを思い知らせなければならない。

「わたくしは話を聞くと言っているのです。フェルディナンド様は邪魔しないでくださいませ。側近は付けるので、心配などいりません。いくらわたくしをゲドゥルリーヒのように思っていても、エーヴィリーベのような嫉妬は見苦しくてよ」

 ディートリンデが睨むと、フェルディナンドは驚いたように薄い金色の目を見開いて動きを止めた。どうやら「エーヴィリーベのような嫉妬」というのが図星をついていたようだ。

 ……嫉妬で我を忘れるなんて、フェルディナンド様も困ったこと。

 ディートリンデは「エーヴィリーベの同席はいりません」とフェルディナンドの同席を拒み、レオンツィオと話をするために側近達をぞろぞろと引き連れて個室へ向かう。フェルディナンドの側近が一人、「何の間違いもなかったことを報告するために」と同席を願ったので、ディートリンデは寛大な心で許可を与えた。
アーレンスバッハの事情をちょろちょろと挟みつつ、初めての外国人のと遭遇です。
フェルディナンドは工房を手に入れましたが、毎日の移動が大変で、情報収集が難しい端っこに追いやられました。
ディートリンデ自身は次期アウブとして頑張っているつもりです。

次は、後編です。
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