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本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~ 作者:香月 美夜

第五部 女神の化身

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キルンベルガの国境門

 グーテンベルク達を下町に降ろした後、わたし達はギーベの夏の館にお邪魔する。そして、ベンノ達プランタン商会はキルンベルガの担当文官と協会設立に関する話を始め、わたしはギーベ・キルンベルガへ小聖杯を渡して、祈念式を終えるのだ。すでに春の恒例行事となっているので、慣れたものである。

「では、国境門へご案内しましょう」

 わたしは騎獣に乗り込んで、ギーベ・キルンベルガの後を追う。白の建物の上に木造の建築物があるのはエーレンフェストの下町と同じだけれど、キルンベルガの町はギーベの夏の館と貴族街が最もエーレンフェストに近い方にあって、奥へ行けば行くほど下町のようになっている。下町があり、貴族街があり、最奥にアウブの城があるエーレンフェストとは完全に逆だ。

「大昔は国境門から入ってくる他国の者が多かったので、国境門から見て奥にギーベの館が作られたと聞いています。あ、ほら、見えてきました。アウブの作られる白い境界門と壁の向こうに少し変わった色合いの壁と門が見えるでしょう? あれが国境門です」

 助手席に座っているユーディットが先を指差しながら教えてくれる。わたしは祈念式でギーベの館までしか行ったことがないので気付かなかったけれど、近付けば確かに同じくらいの高さの門が二つ並んでいるのが見えた。

「わぁ……。アウブが作る白の門も美しいと思いましたけれど、ツェントの作られる門や壁は格別ですね」

 境界門とキルンベルガの外壁はエーレンフェストと同じ真っ白の物だが、その奥の壁と門はまるで螺鈿細工に使われる貝の真珠層のようなきらめきを持つ淡い虹色のものだった。ほんのりと光っているように見える国境の壁はキルンベルガの外にも長く、長くどこまでも続いている。何となく万里の長城を思い出した。地形に合わせて曲がりくねっているのではなく、誰かが線を引いたように真っ直ぐにずっと続いているのが不思議な感じだ。

 ……誰が線を引いたって初代ツェントに決まってるんだけどね。

 ツェントの結界が張られた部分がユルゲンシュミットで、大陸の一部を切り取ったような円形なのは地理で習って知っているけれど、実際に国の境を見るのは初めてだ。アウブの作る境界線と同じように、国境線も肉眼では見えないのだと勝手に思っていたけれど門と同じように淡く虹色に光る壁がある。

「国境門はとても美しいのですけれど、町の建物はエーレンフェストの下町と同じように白の建物の上に木造建築がありますから、こうして近付かないと見えにくいのです」

 ユーディットが言う通り、門の高さは三、四階の高さなので、ギーベの館からは見えにくい。わたしは初めての祈念式でもキルンベルガを訪れたはずだけれど、全く視界に入らなかった。あの時はギーベに挨拶をするのはフェルディナンドの役目で、馬車で回復薬を飲んで休憩しているか、「おとなしく隠れていろ」と言われて息を潜めていたかのどちらかだったので、そのせいかもしれないけれど。

 近付くと境界門の白い扉が内側に全開しているのが見えた。その前には警戒しているらしい騎士の姿が見える。その奥にはきっちりと閉ざされた国境門が見えた。淡く光る虹色の門の扉には複雑な模様が刻まれている。恐らくシュバルツ達の衣装と同じように、魔法陣を隠すための模様がたくさん刻まれているに違いない。

「キルンベルガの境界門は常に開いているのですか?」
「いいえ、今日は特別です。ローゼマイン様が国境門を見られるように、とギーベ・キルンベルガがアウブにお願いして、開門の許可をいただいたとテオドールから聞きました。こうして正面から国境門を見ることができると思わなかったので感激です」

 ユーディットによると、普段は境界門もがっちりと閉まっていて、国境門を正面から見ることはできないらしい。

「キルンベルガの町にいても、幼い頃は閉ざされた境界門と外壁しか見えないのです。境界門と国境門の高さがほぼ同じで並んでいるので、角度や見る位置によってほんのりと国境門の上の方が見えるくらいで……」

 幼いユーディットは国境門が見たくて仕方がなかったらしい。騎士を目指したのは国境門に近付く大義名分が欲しかったからだそうだ。

「貴族院に入って騎獣を得たことで初めて上から国境門を見ることができたのです。あの時は本当に感動しました。……あ、キルンベルガの騎士の志望理由は大体そんな感じなのですよ。わたくしだけではありませんから。テオドールもそうですから」

 国境門に近付くために騎士を目指したというのが恥ずかしかったのか、ユーディットはオレンジのポニーテールを揺らしながら、自分だけではない、と繰り返す。その様子が面白かったので、わたしは小さく笑った。

「テオドールは父親と同じようにギーベ・キルンベルガに仕えたいと言っていた覚えがありますけれど?」
「うっ、テオドールはカッコつけているだけなのです。志望理由は同じですよ」

 あまりにもユーディットが必死なので、キルンベルガの騎士は国境門に近付くために騎士を目指しているということにしておいてあげる。

 ……今度テオドールに聞いてみようっと。



「ローゼマイン様、ギーベに続いて騎獣を降ろしてくださいませ」

 ユーディットに誘導されるまま、わたしは境界門の屋上に騎獣を降ろす。キルンベルガの騎士達が数人並んで出迎えてくれているのだが、その中にテオドールの姿もあった。視線を交わしてにこりと笑うと、テオドールも笑い返してくれる。元気に見習い仕事をしているようで何よりだ。

「ローゼマイン様、こちらへどうぞ」

 先に騎獣を片付けていたギーベにエスコートされて、わたしはゆっくりと足を進める。高いところにいるせいだろうか、少し風が強くて肌寒い。視界には淡い虹色に光る国境門が映っている。

 門の中に待合室や執務室がいくつもある境界門や街の門に比べると、国境門はほとんど奥行きがない。三、四メートルくらいだ。何人もの騎士が騎獣で降りられるくらいに平らで広い屋上がある境界門と違って、国境門は騎獣での出入りは想定されていないようで傾斜のある三角屋根になっている。

「ここからの景色が見られるのは、キルンベルガの騎士だけなのです」

 屋上の端まで歩けば、国境門の更に奥の光景が見えた。淡く光る国境門の向こうに広がるのは砂の海だった。さらさらとした魔力の全くない砂の状態が見渡す限り広がっている。

「わたくし、国境門の向こうには他の国があるのだと思っていました。その、お話で伺ったような交易をする相手の国が……。あちらの国はどうなってしまったのでしょう? もしかして、魔力が尽きて、このような状況になったのでしょうか?」

 魔力が不足して荒れ始めたアーレンスバッハの状況を考えると、国境門が閉ざされたことで隣国が砂地になってしまったのではないだろうか。わたしが恐る恐る尋ねると、ギーベ・キルンベルガは「そのような話は聞いたことがございません」と笑いながら首を振った。

「国境門は国と国を繋ぐ巨大な転移陣で、ツェントの許可がない者は魔力の有無に関係なく通れません。私も話でしか存じませんが、国境門が開かれると、そこには巨大な魔法陣が浮かび上がっているそうです」

 そして、国境門で転移してきた後、境界門を通ってキルンベルガに入ってきていたそうだ。つまり、ツェントとアウブの両方の許可がなければならないということである。

「ツェントの許可が出てもアウブの許可が出ていなくて、国境門と境界門の間に挟まれて動けなくなった者はいないのですか?」

 わたしの質問が予想外だったのか、門に挟まれて右往左往する商人を思い浮かべたのか、ギーベ・キルンベルガが小さく笑った。

「もしかすると、そういう間抜けな商人もいたかもしれません。ですが、国境門を通る許可はあるのですから帰ればよいだけです。残念ながらそのような面白話は残っていないようです。私は存じません」
「では、どのようなお話が残っているのですか?」

 わたしは書字板を取り出すと、わくわくしながらギーベ・キルンベルガを見上げた。

「ツェントの訪れを歓迎していた春と秋の祭りの話はいくつも残っています。国境門は春から秋の間に開かれ、冬の間は閉ざされていたようで、ツェントが直々に訪れて開閉していたそうです」

 交易が始まる春は開門した瞬間から雪崩れ込んでくる商人達の受け入れ態勢を整えながらツェントの開門を待っていた町の人達の話が多く、秋はツェントが閉門する前に戻らなければ冬支度もできてないままにエーレンフェストの厳しい冬を過ごさなければならなくなるので慌てて帰る商人達の話が多いらしい。

「商人達の忘れ物は毎年の風物詩だったようです」
「それにしても、国境門はユルゲンシュミットの端々にあるのですから、すべての門の開閉をしなければならないツェントは移動が大変ですね。神事でエーレンフェスト内を回るだけでも寝込むことになるのに、ツェントはユルゲンシュミット内を移動しなければならないなんて、わたくし、ツェントに同情いたします」

 毎年毎年あちらこちらの国境門を開けたり閉めたりしなければならないなんて予想外に大変な仕事だ。騎獣で移動するにしても護衛や側近が多くて大変だろう。そんなわたしの感想にギーベはカラカラと笑った。

「移動の心配はご無用です。国境門の中にはグルトリスハイトを持つツェントにしか使えない転移陣があるそうですから」

 そういえば領地間を跨ぐ転移陣もツェントならば作れるし、国境門はアウブが作る境界門の外にあるので、転移陣を敷くのにアウブの許可など必要ないに違いない。

 ……グルトリスハイトの有無ってマジで大きくない?

「それにしても、どうしてエーレン……ではなく、アイゼンライヒの国境門が閉ざされることになったのですか? 交易のことを考えると国境門はとても重要なのですよね?」

 今、唯一残っている国境門を有するアーレンスバッハが交易で順位を維持していることから考えても国境門は大事に違いない。それが何故閉ざされることになったのか。わたしの質問にギーベ・キルンベルガは国境門を指差した。

「国境門の転移陣の先にはボースガイツという国があったそうです。そして、ここはエーレンフェストではなく、アイゼンライヒという大領地でした。今のフレーベルタークの大半もアイゼンライヒで、ハルデンツェルの更に北まで領地が広がっていたそうです。そこに大きな鉱山があったようで、それがアイゼンライヒの特産品でした」

 鉱石やその加工品がボースガイツに売られていたらしい。また、良質の鉱石から作られた武器はハルデンツェルの平民達が魔獣を倒すための大事な武器だったそうだ。

「それから、もう一つ。ユルゲンシュミットと交易する国々が何よりも欲しがる物は魔石です。他国ではどうも魔石があまり存在しない珍しい物のようで、この辺りの平民でも狩れるような弱い魔獣の小さい魔石でも高価で取引できたようです」

 そういう他国の話を聞くのは初めてだ。あまり魔石が存在しない国では一体どのように魔石が扱われているのだろうかとか、アーレンスバッハとつながりがあるランツェナーヴェでも同じだろうかとか、いくつかの疑問が浮かんでくる。それを書字板に書き留めていると、ギーベ・キルンベルガは低い声で静かに語り始めた。

「ボースガイツに唆され、アウブ・アイゼンライヒがツェントを狙ったことが凋落の始まりでした」

 わたしが驚きに顔を上げると、ギーベ・キルンベルガは少し自分の顎を撫でた後、また話を続ける。

「当時のアウブ・アイゼンライヒはツェントを狙えるだけの力を持っていたそうです。アウブは唆されてボースガイツの者を招き入れ、グルトリスハイトを狙って中央へ押し入ろうとしました」

 グルトリスハイトを持たない今の王ではない。グルトリスハイトを持つ本物のツェントを退けようとしたらしい。ボースガイツからは食料などの支援物資が次々と送られてきて、アウブ・アイゼンライヒは貴族院へ向かう転移陣を使い、少しずつ寮に物資や騎士を移動させるようになった。

「そのように大それた計画を止める者はアウブの側にいなかったのですか?」
「いました。けれど、聞き入れられなかったようですな。止められないことを悟ったアウブの娘が単身で騎獣を駆って中央へ向かい、ツェントに内情を伝えたそうです」

 父親が貴族院へ物資を移動させている間に、娘は自分の騎獣を駆って中央へ駆け込んだそうだ。

「娘の知らせに激怒したツェントはすぐさま国境門を閉ざして中央に戻り、中央騎士団と共に寮に奇襲をかけ、アウブ・アイゼンライヒを打ち倒しました」

 そして、当然反逆を目論んだアイゼンライヒの領主一族や共に中央へ攻め込んだ主要貴族は処刑された、とギーベは続ける。

「情報を伝えたアウブの娘はどうなったのですか? 彼女もやはり連座だったのでしょうか?」
「辛うじて連座での処刑にはなりませんでした。ツェントに対する忠誠と事前に反逆を止めようとした功績を認められ、彼女は新たなアウブ・アイゼンライヒとなったのです」

 ギーベ・キルンベルガの言葉に、わたしはホッと胸を撫でおろした。ここで連座になっていたと言われたら、とても後味の悪い気分になっていただろう。しかし、話はここで終わらなかった。

「ただし、それは全く栄誉ではありません。大領地アイゼンライヒはツェントによってフレーベルタークと分割されて中領地となり、今のハルデンツェルより更に北にあった豊富な鉱山の数々はクラッセンブルクに与えられました。娘には当時は王族の婚約者がいたようですが、その婚約は解消させられ、中領地に相応しい領主候補生と婚約し直すことになったようです」

 命は助かったものの、土地を分割され、国境門と鉱山を失ったことで主要産業のなくなった領地のアウブになったのだ。王族の婚約者と別れさせられたことからも、アイゼンライヒがいくら困ったとしてもツェントが手を差し伸べるとは思えない。これはかなり重い罰だったのではないだろうか。

「周囲からは反逆を起こした領地という目で見られ、みるみるうちにかつての大領地は衰えていったようです。そして、鉱山を失ったことで、ひたすら農業に打ち込んできたライゼガングが貴族の中で一気に力を持つようになったのです。もちろん、それを不満に思うアイゼンライヒの貴族もいました」

 アウブと主要な貴族達が処刑されたけれど、アイゼンライヒの貴族全員が処刑されたわけではない。残った貴族の大半はかつての栄光を懐かしみ、現状に不満を漏らしていたらしい。

「不満を漏らしていたのは貴族達だけではありません。何の予告もなく、突然国境門が閉ざされたことでアイゼンライヒに取り残されたボースガイツの者達も同じです。故郷へ帰りたいと望む者達は国境門に最も近いキルンベルガに集まっていました」

 大きな事件があると当事者から話を聞いて歌を作る吟遊詩人も集まる。ボースガイツの者達の嘆きやアウブ・アイゼンライヒの愚かな選択が流行り歌となって広がっていったそうだ。

「アイゼンライヒの次代や次々代の領主候補生達は年寄りの栄光話に加えて、吟遊詩人の歌を聞いて育ちました。そして、次期アウブを決める時期には領主候補生達の主張が真っ二つに分かれたのです」
「真っ二つ、ですか?」

 わたしが首を傾げるとギーベ・キルンベルガはゆっくりと頷いた。

「争いに巻き込まれただけのボースガイツの者達を故郷へ帰すためにも国境門を開けてほしい、とツェントに願い出ようとする者、それから、前アウブを唆したボースガイツの者達が一緒に罰を受けるのは当然と考える者の二つです」

 そして、それぞれの領主候補生に過去の栄光を取り戻したいと考える貴族とこのままの罰を受けるのが当然だとする貴族が味方に付き、領地を二分する争いに発展していったそうだ。

「アウブとなった娘は自分の力不足を嘆きました。ツェントに反逆を起こした父親も、衰えゆく領地を二分する争いを起こす子供や孫も抑えきれないのですから。娘はツェントにアウブの位の返上とこの地を治めてくれる新たなアウブの任命を願い出ました」

 そして、中央騎士団を引き連れたツェントと共にやってきたのが初代のアウブ・エーレンフェストだそうだ。国境門の開門を望むアイゼンライヒの貴族達を蹴散らし、ツェントは二度とアイゼンライヒが過去の栄光を求めることがないように、グルトリスハイトを用いて礎の場所を改め、エーレンフェストと領地の名も改めたらしい。

「今のグレッシェルの辺りにアイゼンライヒの城があったそうです。そう考えてみれば、大領地アーレンスバッハからやって来た姫君に与えるのにちょうど良い場所だったといえるかもしれません」

 わたしはギーベの話をメモしながら自分の習った歴史と照らし合わせてみる。

「わたくしが習った歴史とは少し違いますね。初代エーレンフェストは攻め入って礎を奪ったと学びました」
「中央騎士団と共に攻め入り、当時のアウブから礎を奪ったということに変わりはないのですが……確かに少し受ける印象が違いますな」

 ギーベ・キルンベルガは軽く頷きながら同意してくれる。わたしはパタリと書字板を閉じながらギーベ・キルンベルガを見上げた。

「それに、わたくし、アイゼンライヒのお話を知っていたようです。いくつも集めたお話の中にありました。ツェントに逆らった愚かなアウブのお話として……。領地の名前が違ったので、わからなかったようです」

 貴族院で集めたお話の中に似たような話があった。昔あったことを基にした教訓話だと思っていたけれど、まさか大昔のエーレンフェストの話だとは思わなかった。できれば他領に伝わっている話と比べてみたい。

「キルンベルガにこのお話の文献は残っているのですか?」
「基本的には親から子へ、ギーベから仕えてくれる貴族達へという形で口伝えです。文献も残っていますが、少し文が古くて読みにくいのです」

 ……あったー!

 実際に事があった場所で保管されている当時の文献はぜひとも読んでみたい。

「ギーベ・キルンベルガ、読ませていただくことはできませんか? わたくし、古い言葉も読めます。それに、口語で伝えられるものと書き残されたものの差、キルンベルガに残された話と領主一族に伝わっている話、それから、王族に残されている話の違いを調べてみたいです」

 わたしが熱意をアピールすると、ギーベ・キルンベルガは「ま、まぁ、お見せするのは構いませんが……」と一歩後ろに引いた。引かれても構わない。見せても良いという言質は取った。

「ありがとう存じます、ギーベ・キルンベルガ」

 短い滞在中に書き写さなければ、と張り切るわたしを静かに見下ろしながら、ギーベ・キルンベルガは静かに問いかけた。

「このお話をローゼマイン様はどのように考えますか?」
「そうですね。……グルトリスハイトがなければユルゲンシュミットを治めるのは本当に難しいのだと思いました。国境門の開閉も、領地の線引きや礎を改めることもできないのでしょう? 各地のアウブが何かしようとしても強権を発動することさえできないのですもの。今の王はユルゲンシュミットの統治にどれほど苦労しているのでしょう」

 ツェントの権力がグルトリスハイトあってのものだと実感した。今の王が軽んじられた発言をされたり、大領地相手に強く出られなかったりするのは、グルトリスハイトがないせいだろう。
 そんなふうにトラオクヴァールの立場の難しさを考えていると、ギーベ・キルンベルガは予想外のことを言われたような表情になった。

「この話でローゼマイン様はトラオクヴァール王の治世に意識が向かうのですか……」
「何かおかしいですか?」

 わたしが首を傾げると、ギーベはゆっくりと息を吐いた。そして、静かにわたしを見つめる。

「では、質問を変えます。ツェントからの罰によって閉ざされた国境門を抱えるエーレンフェストのアウブに求められる資質は一体どのようなものだとお考えですか?」
「……アウブ・エーレンフェストに求められる資質ですか?」

 わたしはギーベの言葉を反芻しながら必死に考える。これはかなり失敗できない質問ではないだろうか。

「国境門による交易はないものと考えて、領地の向上に力を尽くさなければならないということでしょうか?」

 わたしの答えを聞いたギーベ・キルンベルガは国境門の外ではなく、内側に広がるキルンベルガの町へ視線を向ける。

「他者の意見に左右されず、グルトリスハイトを持つツェントに仕えることだとキルンベルガを治める私は考えています。だからこそ、領内貴族でしかないライゼガングの意見に惑わされているヴィルフリート様が次期アウブとなるのはどうにも不安なのです」

 ライゼガングの支持を得るために動いているヴィルフリートに、ギーベ・キルンベルガは逆に不安感を募らせているらしい。そういえば、ギーベ・キルンベルガの息子の一人がヴィルフリートの側近だったはずだ。

「ご子息から何か情報がございましたの?」
「ローゼマイン様がご存じの程度しか入ってきませんが……」

 ギーベ・キルンベルガはそれ以上言おうとせずに口を閉ざした。情報提供者がはっきりしている以上、詳しいことは話せないだろう。必要な情報は自分で掻き集めるしかないのだ。

 ……後でコルネリウス兄様の報告を聞かなきゃ。

「息子はヴィルフリート様にお仕えしていますが、それがそのまま親の支持に繋がるわけではありません」

 ギーベの声が低くて厳しいものになったことに気付いて、わたしはぐっと背筋を伸ばす。ここでヴィルフリートを援護するのが婚約者の役目というものだろう。

「呆れるほど頑なに第二夫人を娶ろうとしなかったアウブにギーベ・グレッシェルの娘を娶らせるように働きかけ、アウブ夫妻の穴を埋められるように自分の側近を配し、そのうえで余計な争いを厭って神殿に籠ることを選べるローゼマイン様にアウブを目指してほしいと私は思っています」

 ……え? 違うよ。

 養父様が第二夫人を娶る気になったのはブリュンヒルデの独走とプレゼンテーション力のおかげだし、リヒャルダは自分から養父様のところへ戻りたいって言ったし、クラリッサは神殿に入れるわけにいかなかっただけだ。

「ギーベ・キルンベルガは少し勘違いされているように思われます。養父様が第二夫人を娶るのは、エーレンフェストの現状を考え、ご自分で決意したからです。わたくしが意見したわけではございません。むしろ、わたくしは養母様しか見えていない養父様のところへ嫁ぐ決意をしたブリュンヒルデを引き留めたくらいですよ」

 ギーベ・キルンベルガが意外そうな顔になった。リヒャルダやフィリーネがアウブ夫妻の側で働いていることについても、その理由を述べる。わたしは事実を言っているのだが、納得できないような表情だ。

「ですが、ローゼマイン様は領主候補生の中で最も王族の信頼が……」
「ギーベ・キルンベルガ」

 わたしはギーベの言葉を遮って笑みを深めた。何と言われようとも、元平民のわたしとしてはアウブを目指す気はない。

「次期アウブを目指すヴィルフリート兄様がライゼガングの支持を得ようと考えるのは当たり前のことではありませんか。……それに、ここでわたくしがギーベのお願いに頷けば、その時点でわたくしが他者の言葉に左右される領主候補生になると思うのですけれど、ギーベはどのようなお返事をお望みなのですか?」

 軽く目を見張った一瞬の沈黙の後、ギーベはフッと笑った。

「ローゼマイン様のお考えはよくわかりました。ここは少し風が強いので、そろそろ館に戻った方が良さそうですな。文献をお出ししましょう」

 ここでいくら言い募ってもわたしが意見を変えることはないとわかってもらえたようである。わたしは安堵しながら騎獣を出して、乗り込んだ。
初めての国境門。
国境門が見える境界門で働けるのはキルンベルガの騎士の特権です。
そして、昔話を少し。グルトリスハイトを持つツェントは強いのです。

次は、青色見習いの子供達です。
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