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本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~ 作者:香月 美夜

第五部 女神の化身

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閑話 ディートリンデ様の側仕え

 わたくしはマルティナと申します。貴族院の五年生で、ディートリンデ様の側仕え見習いです。わたくしが洗礼式を迎えたのは第二夫人が処刑されて、彼女の息子ブラージウス様が上級貴族に落とされた後で、第三夫人だったゲオルギーネ様が第二夫人の派閥を吸収して勢力を伸ばし始めた頃でした。

 ゲオルギーネ様は上級貴族に落とされたブラージウス様に自分の娘アルステーデ様を嫁がせ、二人の間に生まれた子を養子として領主一族に入れることを提案し、第二夫人の派閥を取り込んでいきました。この時の有力な次期アウブは唯一残っている男の領主候補生、ゲオルギーネ様の御子息のヴォルフラム様だったのです。

 ヴォルフラム様を中心に第一夫人に反発する勢力をゲオルギーネ様がまとめ始めました。わたくしのお母様がフレーベルターク出身だったため、第一夫人の派閥よりはゲオルギーネ様の派閥の方が属しやすく、先に派閥へ与していたはずのアウレーリアお姉様から有力な情報が少なかったという理由もあったため、お父様からゲオルギーネ様の派閥へ所属するようにと言われました。

 ……他人と接して情報を得るのが苦手で、騎士を選んだのがお姉様ですから。

 お姉様はきつい顔立ちで目付きが悪く、一見騎士にとても向いている顔立ちをしているのですが、性格は引っ込み思案で臆病なところがあります。わざわざ距離を取って、遠くから睨んでいるように見えることも多く、お父様には「可愛げがない」といつも言われていました。

 ただでさえ、お母様がフレーベルターク出身であるために上級貴族であっても風当たりが強いのに、お姉様は見た目や性格で更に損をしているのです。わたくしはお姉様のようにはならないように、と努めて明るく振る舞っていました。

 その努力の甲斐があったのでしょうか。ゲオルギーネ様は「素直で努力家な子は可愛いわ。貴女は側仕えになりなさい」と言って、わたくしをディートリンデ様の側仕えに取り立ててくださいました。

 本当は次のアウブ候補であるヴォルフラム様の側近になるために文官になろうと思っていたのですけれど、それを口に出すほど愚かな子供ではありません。わたくしはゲオルギーネ様の申し出を笑顔で受けて、ディートリンデ様の側仕え見習いになったのです。

 ただ、わたくしがディートリンデ様の側近となったことで、ゲオルギーネ様に関する情報がお父様に流れることが最低限に抑えられてしまいました。周囲には領主候補生の側近に取り立てるように見せながら情報の流出を防いだり、文句を言えないように立ち回ったりするゲオルギーネ様の采配は素晴らしいと思いますが、お父様は今でも時々悔しそうなお顔をして「エーレンフェストのカメーヴァレインめ」と陰口を叩いています。

 そして、このままゲオルギーネ様とヴォルフラム様を中心にアーレンスバッハは進んでいくと皆が思い始めた矢先、唯一の男子で次期アウブと目されていたヴォルフラム様は不慮の事故で亡くなり、アーレンスバッハに残された領主候補生がディートリンデ様だけになってしまいました。

 当然のことながら、アーレンスバッハは大変な騒ぎになりました。上級貴族に嫁いでしまったアルステーデ様を領主一族に戻すことはできません。ディートリンデ様を次期アウブにするよりは、と御自身の孫娘を養女にする決意をした第一夫人がレティーツィア様をドレヴァンヒェルより迎えました。

 こうして、ゲオルギーネ様に傾きかけた権力は再び第一夫人に戻ったように見えました。けれど、第一夫人はレティーツィア様を迎えた頃から急速に衰弱して亡くなりました。

 第一夫人になったゲオルギーネ様の意向によって、アウレーリアお姉様はエーレンフェストへ嫁ぐことになりました。お姉様とベティーナの結婚は、領地間の事情によって引き離されようとしていた二組の恋人達を救ったゲオルギーネ様の美談としてアーレンスバッハでは知られています。

 本当はエーレンフェストの情報を得るために送られたのですけれど、お姉様はただの一度も情報を送ってくることもなく、ゲオルギーネ様に言われた貴族と繋がりを持つこともなく、エーレンフェストに捕らえられているようです。
 面会さえ断られましたが、それがお姉様の意思によるものなのか、騎士団長やアウブの意向によるものなのか、判断はできません。手紙は送っても良いと言われましたけれど、お姉様からは「皆に良くしてもらっています」という当たり障りのない手紙しか送って来ないのです。

 ……お姉様は一体何を考えているのかしら? どこにいても相変わらず役に立たないこと。

 貴族院でわたくしはディートリンデ様に付いている時間が長く、他領の情報集めにはなかなか向かえないのです。だからこそ、お姉様からエーレンフェストの情報を得たいと思っていたのに、お姉様は何も情報をくれません。

 ディートリンデ様がヒステリックな醜態を見せないように、主として立てているように見せかけながら、貴族院ではなるべく問題を起こさせないようにして卒業させるのが使命なのですから、わたくし達は大変なのです。

 ……ディートリンデ様はゲオルギーネ様を見て育っているはずですのに、どうしてこれほど何も考えずに生きていけるのでしょう?

 本当に不思議でなりません。ただ、あそこまで鈍感でいられるのは、ある意味では幸せだと思います。

 いずれにせよ、わたくし達がどれほど気を付けたところで、ディートリンデ様は止まりません。毎年、何かしら余計なことをしてくださいます。特に頭が痛いのは、側仕えが咄嗟には抑えられないお茶会などの社交の場で次々と失言をするところでしょうか。

 今年も最後の最後でやってくれました。奉納舞の途中で意識を失って倒れるという前代未聞の醜態を見せてしまったのです。とんでもない失態を犯したディートリンデ様に昼食の場では誰も口を開くことができず、静まり返っていましたし、午後の卒業式に向かう準備をしなければならない時間に王族から飛んで来たオルドナンツには目の前が暗くなりました。ディートリンデ様の容態を問うために婚約者であるフェルディナンド様が呼ばれたのですが、これが叱責であることは誰の目にも明らかです。

 けれど、午後の卒業式でまた状況が変わりました。それというのも、奉納舞で浮かんだ魔法陣が次期ツェントを選ぶための物でディートリンデ様が最も次期ツェントに近い、と中央神殿の神殿長が言ったのです。

 この後、アーレンスバッハにおける卒業式の話題は専ら奉納舞で浮かび上がった魔法陣と次期ツェントのことになりました。唯一次期アウブになることができる領主候補生が、奉納式で取り返しのつかない醜態を犯したという状態よりは、王族にも光らせることができなかった魔法陣を作動させた次期ツェント候補の方が領地内の貴族にとっても受け入れられやすかったのです。

 王族とお話しをしてきたフェルディナンド様によると、「完全には作動させられなかったので、次期ツェント候補とは言い難い」ということでした。けれど、そのようなことはどうでも良いことではありませんか。王族からの叱責がなかったこと、そして、ディートリンデ様の失態が少しでも隠されることが大事なのです。

 魔力の枯渇したディートリンデ様がお目覚めになったのは奉納舞の二日後のことでした。目覚めた途端、「ローゼマインに騙されて大事な奉納舞で恥をかかされた」と怒り出したディートリンデ様でしたが、わたくし達側仕えが中央神殿長の言葉を伝えて「次期ツェントに最も近いのですって」「さすがディートリンデ様ですね」と口々に言うだけで機嫌が良くなりました。卒業式も終わってしまった貴族院でこれ以上問題を起こしてほしくなかったので、この扱いやすい性格は非常に助かります。ディートリンデ様の側仕え同士で目配せをし合い、胸を撫で下ろしました。

 ……主であるディートリンデ様が問題を起こすと側仕えの評価にもかかわりますもの。

 結婚相手を探さなければならない年頃のわたくし達には、ディートリンデ様を卒業させるのが一番大事な役目でした。ディートリンデ様はすぐに機嫌を損ねて怒り出すので、周囲に醜態を見せないように取り繕うのは大変なのです。

 この後、アーレンスバッハに戻った後ならば、どのようにも問題を揉み消すことができるでしょうし、監視をしたり、補佐をしたりするのは婚約者であるフェルディナンド様のお役目になるでしょう。

 ……本当に助かりますね。



 貴族院から戻ると、次期ツェント候補となったディートリンデ様はこれからの行動について話し合うため、ゲオルギーネ様の離宮へ呼ばれました。わたくし達が貴族院で過ごしている間にゲオルギーネ様は離宮への引っ越しを終えたようです。

 秋の終わりにアウブがお亡くなりになったのですけれど、貴族院へ行っていたディートリンデ様はまだ礎を染められておらず、アウブになっていません。そのため、ディートリンデ様のお部屋はまだ本館には移っていなくて、領主候補生に与えられている離れにお部屋があります。今は本館に領主一族が誰もいない状況なのです。

「貴女達はお下がりなさい」

 ゲオルギーネ様とディートリンデ様のお話し合いの場から側近達は下がるように命じられました。お二人を残してお部屋を出ると、待機のためのお部屋へ向かいます。その途中で数人の貴族とすれ違いました。

「あまり見覚えのない方々でしたね。彼等はゲオルギーネ様が新しく取り立てた側近でしょうか?」
「左手に義手の魔術具をしていた殿方がいらしたわ。また旧ベルケシュトック領の方を召し上げたのかもしれませんね」
「マントに隠れて、わたくしには見えませんでしたけれど、義手だなんて珍しいこと。よほどひどい怪我をして、癒しが間に合わなかったのかしら?」

 戦うことが仕事である騎士の中には義手や義足の魔術具を使っている者も何人か知っていますが、先程すれ違ったのは文官のようでした。旧ベルケシュトックの者の中には激しい戦いに身を投じた者もいるのでしょう。

「わざわざ義手を必要とする者を召し上げなくても良いと思うのですけれど……」
「ゲオルギーネ様の行いに不満がございますの?」
「そうではございません。ただ、この後のことを考えると気が滅入りますもの。少しでも別のことを考えたいだけなのです」

 そんな言葉に、皆が顔を見合わせて苦笑しました。貴族院で問題行動を起こさないように、ディートリンデ様には色々と情報が規制されていたのですが、伏せられていた事情がゲオルギーネ様によって伝えられているはずです。

 中継ぎアウブであること、王命によってフェルディナンド様と星結びの儀式を終えた後はレティーツィア様を養女として迎えることなどを知ったディートリンデ様はひどく機嫌を損ねていることでしょう。最も八つ当たりを受けやすいのは側仕えなので、どうしても憂鬱な気分になります。

「そういえば、次期ツェントだと喜んでいらっしゃいましたけれど、ディートリンデ様は本当に素直に中継ぎのアウブを務められるのかしら?」
「どのような方でも次期アウブがいなければアーレンスバッハが困りますし、グルトリスハイトが手元にあるわけではございませんもの。ディートリンデ様が次期ツェントになれることはないでしょう」

 扱いやすいので持ち上げているだけで、ディートリンデ様が本当に次期ツェントになれるとは誰も思っていません。むしろ、自分達が住んでいるアーレンスバッハの将来の方がよほど心配です。

「今のアーレンスバッハにディートリンデ様とレティーツィア様しか領主候補生がいないのが困りものですよね」
「ディートリンデ様とフェルディナンド様がご結婚されたら、ベネディクタ様を娘にされるのでしょう? そうすれば、領主候補生が増えますもの」

 ベネディクタ様は元領主候補生のブラージウス様とゲオルギーネ様の長子アルステーデ様の間に生まれた娘です。元領主候補生同士の子ですから、領主候補生となるための魔力量は全く問題ないでしょう。ディートリンデ様とフェルディナンド様を両親としてベネディクタ様の洗礼式を行う計画があると聞いています。

「こちらの派閥を安定させるためにはレティーツィア様以外の領主候補生が必要ですし……母親が定かではないエーレンフェスト出身のフェルディナンド様とあのディートリンデ様のお子様よりはベネディクタ様の方が安心できますものね」

 クスクスと笑い合っていると、貴族院へ行かなかった成人の側近が「あら」と口元に手を当てて、わたくし達を見回しました。

「フェルディナンド様は予想外に有能でしてよ。滞っていた執務がずいぶんと片付いた、と文官達が話していましたもの」
「まぁ、そうでしたの?」
「もちろん、事務的なお仕事の有能さと魔力量は別物ですけれど」
「早く星結びが終わって、魔力供給のできる人数が増えれば良いですね。どちらのギーベも大変そうですもの」

 そんな他愛もないおしゃべりが続いていましたけれど、リンと鈴が鳴ればすぐに立ち上がってゲオルギーネ様のお部屋へ向かいます。

 これまで伏せられてきた情報を知らされて、どれほど機嫌を損ねたディートリンデ様がいらっしゃるのか、と恐る恐る中の様子を窺いますが、そこには満足そうなディートリンデ様がいらっしゃいました。ゲオルギーネ様も微笑んでいらっしゃるので、お二人の間では満足のいくお話ができたのでしょう。

「では、お母様。わたくしはこれで失礼します」
「えぇ。しっかりおやりなさい」



 部屋に戻るとすぐにお茶の準備がされて、側近が集められました。ゲオルギーネ様とどのような話をして、ディートリンデ様がこれからどのように行動するのかを知らなければ、側近も動けません。

「ゲオルギーネ様とはどのようなお話をなさったのですか、ディートリンデ様?」
「中央神殿の神殿長のお言葉についてもお話があったのでしょう?」

 そっとお茶を飲んだディートリンデ様がフフッと笑いました。得意そうに深緑の瞳を輝かせて、側近達を見回します。

「わたくし、グルトリスハイトを探して次期ツェントを目指します。皆も協力してちょうだい」
「……ゲオルギーネ様が許可をされたのですか?」

 ゲオルギーネ様とお話された後に自信たっぷりで口にされるのですから、許可されたことは間違いないのでしょう。それでもすぐには信じられません。戸惑うわたくし達を見回し、ディートリンデ様は微笑んで頷きました。

「もちろん、お母様はわたくしの決意を応援してくださったわ。欲しいものを手に入れるために努力をすればよい、と。一見手が届かないように見えても、あらゆる手を尽くせば手に入る可能性はある、とおっしゃったの」

 まさかゲオルギーネ様がそのようなことを言い出すとは思えなくて、わたくし達側近は思わず顔を見合わせました。

「けれど、それではどなたがアウブ・アーレンスバッハになるのでしょう? 今のアーレンスバッハにはディートリンデ様しかアウブになれる領主候補生がいらっしゃいませんけれど……」
「えぇ。ですから、わたくしが次期ツェントになるための許可をくださったのは一年だけなのです。その間にグルトリスハイトを見つけることができなければ、わたくしは次期アウブになります」

 領主会議でアウブの死が報告されるのですから、死亡時期によっては礎の魔術が完全に染め変えられていないことは珍しくありません。そのためにディートリンデ様は貴族院でアウブの死亡について決して口外してはならないと言われていたのです。他領の方々がアウブの死亡時期を知ることがないため、ディートリンデ様のアウブ就任を一年遅らせることは、それほど不自然ではなくできるでしょう。

 おそらく「一年の間だけですよ」と期限をつけることでディートリンデ様を諦めさせようというゲオルギーネ様のお考えなのでしょう。王族が何年も探して見つからなかったグルトリスハイトがたった一年で見つかるはずがありません。一年だけディートリンデ様がグルトリスハイトを探すのに付き合えば、後は問題なくアウブに就いてくれるのだと考えれば、少し落ち着いてきました。

 ……さすがゲオルギーネ様。ディートリンデ様の操縦方法をよくご存知ですこと。

 ところが、ディートリンデ様が少し考えるように顎に人差し指を当てて、少し上を向きます。このようにして考えている時はほとんどの場合、周囲に迷惑をかけるような提案や命令をなさるのです。周囲の側近達に緊張が走りました。

「できれば、その一年の猶予の間にグルトリスハイトを探して正当なツェントを選ぶべきでは、というふうに世論を味方に付けられるようにしたいのですけれど……。トラオクヴァール様はグルトリスハイトをお持ちではございませんから、わたくしがグルトリスハイトを手に入れれば、ツェントの座を譲らざるを得ないでしょう?」

 そのような考え方をディートリンデ様がなさるとは思えません。ゲオルギーネ様の助言なのでしょう。つまり、ゲオルギーネ様は本当にディートリンデ様を次期ツェントにするおつもりのようです。

 アーレンスバッハの魔力が少なくて困窮している現状でディートリンデ様を諌めるのではなく、次期ツェントに後押しをするゲオルギーネ様の真意がつかめず、何とも不安な気分になってきました。

「ディートリンデ様が次期ツェントを目指すのは理解いたしましたけれど、アーレンスバッハの礎に注ぐ魔力はどうなさるのですか?」
「お母様に一度アウブとなっていただいて、一年の期限が来て、仮にグルトリスハイトが見つかっていなければ、わたくしが礎を染めるという提案をしたのですけれど、お母様からはアウブ・アーレンスバッハにはなりたくないとお断りされてしまいました」

 残念ですこと、とディートリンデ様は溜息を吐いていますが、それは当たり前のことです。ディートリンデ様は御自身のお母様なので実感していないのかもしれませんが、エーレンフェスト出身のゲオルギーネ様がアウブ・アーレンスバッハになるなど、賛同する貴族はいないでしょう。

「仕方がないので、完全に染め変えることのないように供給の間から注ぐことにしました。レティーツィアにも手伝ってもらうつもりです」

 ディートリンデ様の言葉に皆が驚き、目を見張りました。

「レティーツィア様はまだ貴族院に入学されていませんよ?」
「あら? エーレンフェストでは洗礼式を終えた領主候補生は魔力供給の練習をさせられているそうよ。ですから、あの子にできないはずがありません」

 ひどく冷たい顔でレティーツィア様のお部屋がある方向を見つめてそう言います。「次期アウブはわたくしですから」と歯牙にもかけなかった頃とは全く顔つきが違うことに、背筋が震えました。

「レティーツィアは王やお父様から次期アウブに、と望まれているくらいですもの。そのくらいはできるでしょう。王が本当にアウブ・アーレンスバッハを継がせたいのはレティーツィアで、王命でわたくしは中継ぎのアウブになるのですって。不愉快極まりないわ」

 ……あぁ、中継ぎのアウブであることも知らされたのですね。

 ディートリンデ様は両親からほとんど顧みられることがなく育ち、父親からはレティーツィア様の、母親からはベネディクタ様の中継ぎとなることを望まれているのです。ディートリンデ様がその地位に相応しいかどうかはともかく、アウブより更に上のツェントに執着する理由もわかります。

「わたくし達の魔力供給だけではアーレンスバッハの魔力を支えるのは大変ですから、フェルディナンド様には神殿の神事を行っていただきます」
「アウブの配偶者になる方を神殿に向かわせるのですか!?」
「えぇ。だって、エーレンフェストでは神殿で神事を行っていたのですし、その神事の有用性をエーレンフェストが示したではありませんか。フェルディナンド様は星結びが終わるまで礎の魔術に魔力を注ぐことができないのですから、他の部分で魔力を注いでいただきます」

 確かに今年の貴族院で行われた奉納式で神事の有用性は王族によって保障されました。神殿に向かいたがる貴族などアーレンスバッハにはいないでしょうけれど、これまで神殿にいたフェルディナンド様ならば特に忌避感もないでしょう。

「けれど、ディートリンデ様はよろしいのですか? 神殿にいたような汚らわしい領主候補生と結婚するのは嫌だ、とおっしゃっていたのに……」

 フェルディナンド様との婚約が決まった時は本当に大荒れだったのです。下位領地の神殿に入っていた領主候補生でしたから、ディートリンデ様の拒否感も理解はできます。けれど、王命では逃れようもございません。

 実際にフェルディナンド様のお姿を見て、間近に接したこと、そして、最優秀で素晴らしい成績を収めていたという周囲のお話などをお聞きになって、ようやく少し結婚に前向きになったのです。フェルディナンド様が「ディートリンデ様のために最大限の努力をする」とおっしゃったことも気持ちを後押ししたのでしょう。

 ……中身はともかく、身分と見た目が良ければ殿方には大事にされるのです。とても勉強になりました。

「あら、わたくしが次期ツェントになれば、今の王命を排除できますもの。フェルディナンド様と結婚する必要はなくなるでしょう? ツェントの配偶者にフェルディナンド様は相応しくないわ。皆もそう思うでしょう? ツェントになれなかった時に婚約解消をしてしまうと困るから、しばらくは婚約を継続するだけなのです」

 フフッとディートリンデ様が笑いました。利用するだけ利用して、自分の望みが叶えば婚約を解消するという自分勝手なディートリンデ様ですが、いつもこんな感じで先のことが全く見えていないので特に何も感じませんでした。

 ……結局、グルトリスハイトが見つからずに、自ら神殿へ行くように申し付けたフェルディナンド様と結婚することになると思うのですけれど、その時はどのように荒れるのでしょうね?

「婚約解消のためにもわたくしは何としても一年の間にグルトリスハイトを手に入れなければならないのです。もちろん、グルトリスハイトが欲しいのは婚約解消のためだけではありません。わたくしだってアーレンスバッハのことを考えていないわけではないのよ」

 ディートリンデ様はそう言って、ニコリと微笑みました。

「まずは王命によって上級貴族に落とされたブラージウス様を領主一族に戻して、お姉様かブラージウス様をアウブの座につけるのです」
「それができれば、アーレンスバッハは安泰ですね」

 上級貴族に落とされた元領主候補生のブラージウス様とアルステーデ様の御夫婦がアーレンスバッハのアウブになることができれば、ディートリンデ様に将来を任せなければならない今のような不安感は消えるでしょう。

 ……できれば、のお話ですけれど。

 側近達の言葉に気を良くしたディートリンデ様はツェントになった自分がどのような命令を出すのか、述べ始めます。

「お母様が欲しがっている物を差し上げて、わたくしは次期ツェントに相応しい婿を探すのです。わたくしがツェントになっても、トラオクヴァール様のように粛清などするつもりはございませんもの。今の王族もそれなりに尊重するつもりでしてよ」

 ジギスヴァルト王子かアナスタージウス王子を自分の婿にして、アドルフィーネ様やエグランティーヌ様から取り上げるのはとても愉しいでしょうね、とディートリンデ様が笑いました。基本的には逆恨みなのですけれど、貴族院のお茶会で叱責されたり、嫌味を言われたりしたことを未だに根に持っているようです。
 ディートリンデ様がグルトリスハイトを手にすることなどないでしょうから、妄想くらいは好きなようにさせてあげるのが一番でしょう。

「ディートリンデ様は王子を自分の婿にすると簡単におっしゃいますけれど、そのようなことをすれば世間の評判は落ちますよ」
「えぇ。特にアナスタージウス王子とエグランティーヌ様は熱愛の末に、王位を捨ててご結婚なさったのですから……」

 側近達の言葉にディートリンデ様はムッとしたように眉をひそめられました。少し機嫌が悪くなっていくのを悟って、一人が「それより、フェルディナンド様が婚約解消を拒否するのではございませんか?」と話題を王族からずらします。

「ツェントになられたディートリンデ様との婚約が解消されて、下位領地の神殿に戻るのは嫌がると思うのですけれど」
「それについては問題ありません。わたくしの言うことに逆らえないように、フェルディナンド様には名を捧げてもらおうと思っているのです」

 あまりにも簡単に「名を捧げてもらう」と言い出したことに皆が驚いて目を見張りましたが、ディートリンデ様は全く気付かない様子で得意そうに続けます。

「エーレンフェストのような下位領地で神殿に入っていた領主候補生ですもの。わたくしを愛しているならば名を捧げるくらいはできるでしょうし、婚約解消をした後にエーレンフェストへ戻った彼がアーレンスバッハの事情をベラベラと喋っても困りますから、名捧げはどうしても必要なのです。お母様もそうおっしゃいました」

 ……いくら欲しいと望んだところで、それをフェルディナンド様が受け入れるとはとても思えませんけれど。

「マルティナ。わたくし、フェルディナンド様の名が欲しい、とお願いします。場を整えてちょうだい」

 ディートリンデ様の我儘に付き合うのは側近の仕事です。わたくしともう一人の側仕えは望みを叶えるために動き始めました。



「フェルディナンド様はわたくしを愛しているのでしょう? でしたら、わたくしに名を捧げてくださいませ」

 わたくし達が整えた会議室へ執務の途中で呼び出されたフェルディナンド様はディートリンデ様の突然の申し出に驚いた顔をされました。これは当然でしょう。突然名を捧げるように、と言われて了承できる者がいるわけがありません。

 名を捧げられることはないでしょうけれど、フェルディナンド様がどのようにディートリンデ様の要望を退けるのか、わたくし達は興味を持って見守っていました。ディートリンデ様の怒りが向かう方向はいくつもある方が側仕えであるわたくし達は助かるのです。

「私の名をディートリンデ様に? お互いに名を捧げ合うということでしょうか?」

 そういえば真に愛し合う二人がそのようなことをする話がありましたね、とフェルディナンド様が呟きました。恋物語の影響でも受けたのだろう、とフェルディナンド様は解釈されたようですが、ディートリンデ様は「お互いに名を捧げ合う」というところで不愉快そうに顔をしかめました。恋物語に影響をされているわけではありません。もっと我儘で身勝手なのです。

「まさか。何故わたくしがフェルディナンド様に名を捧げるのです? 本当ならば、エーレンフェストの神殿から救ってあげたわたくしに感謝して、そちらから申し出るものだと思うのですけれど」

 真顔でそう言ったディートリンデ様にフェルディナンド様が柔らかな微笑みを浮かべたまま、ゆっくりと首を横に振りました。

「できることならばそうしたいと存じますが、残念ながら私の名は、今、私の手元にはございません」

 すでに誰かに名捧げをしているということでしょうか。予想外の返事にその場が大きくざわめきました。

「婚約者であるわたくし以外の誰に名を捧げたのです!?」

 ヒステリックな声を上げたディートリンデ様を見ながら、フェルディナンド様がフッと笑いました。表情は笑っているけれど、薄い金の瞳は全く笑っていないように見える、ひどく冷たい笑みでした。

「私を縛るために、名を欲しがった女性はこれまでに二人います。貴女と、それから、ヴェローニカ様。……お二人は祖母と孫娘の関係ですが、本当によく似ていらっしゃる」

久し振りの更新です。
側仕え見習いのマルティナから見たディートリンデの現状です。
一年限定でグルトリスハイトを探すことにしました。
振り回される側仕えはうんざりです。
ついでに、フェルディナンドは別に嘘は言っていません。
+注意+
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