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本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~ 作者:香月 美夜

第五部 女神の化身

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ダンケルフェルガーとの社交 前編

「先日のディッターでは中央騎士団と中小領地からの横槍があったとはいえ、審判の声がなかった以上、ディッターは継続していました。勝負が決したのはハンネローレが自ら陣を出たことによるものです」

 静かな口調で第一夫人はそう言った。表情こそ穏やかだが、ハンネローレの行動を責める響きがあり、わたしは思わずハンネローレに視線を向けた。身の置き所がないように体を縮めて、顔を伏せているのを見て、わたしはハンネローレが避難してきた時の状況を説明する。

「ハンネローレ様が自ら陣を出られたのは、護衛騎士もいなくて危険だったからです」

 護衛騎士がいない中、ハンネローレは上空からの攻撃に一人で怯えて、耐えていたのだ。あまりにも可哀想だと訴えたけれど、第一夫人の微笑みは崩れない。

「えぇ。攻撃魔術を撃ってくる敵から宝を守るために騎士は上空へ向かいました。それにもかかわらず、ハンネローレは自ら陣を出たのです。これは守るために戦っていた騎士に対する裏切り行為だと思われませんか?」

 あの攻撃魔術が降り注ぐ中、たった一人で耐えろというのはひどいと思う。陣から出て、安全を求めるのが裏切りで責められる行為だという主張にはとても共感できない。

「……わたくしは護衛騎士に守られることが領主候補生の仕事だと教えられて育ちましたから、護衛騎士が周囲にいないことが職務放棄に思えます」
「あら……。エーレンフェストではハンネローレの行動が妥当だとおっしゃるのですか?」

 ディッターにおける行動として、そして、ダンケルフェルガーの領主候補生として考えるならば、非難される行動なのかもしれない。けれど、エーレンフェストとダンケルフェルガーは別だ。
 わたしは反論しようと思ったけれど、隣の養父様が声を発する方が早かった。

「護衛騎士は領主一族を守るためにいます。そして、ディッターで最も大事なことは宝を守ることです。守れなかったのは騎士の落ち度でしょう」

 ……そうだ、そうだ! 護衛騎士がいないのが悪いよ。

 養父様の言葉にわたしは大きく頷いた。養父様の発言に、第一夫人は少し考えを巡らせるように視線を落とす。

「……エーレンフェストではそうなのですか。自ら陣を出たハンネローレに落ち度はない、と」
「はい」

 第一夫人はアウブ・ダンケルフェルガーと違ってディッターで白黒つけようと言い出してくるわけでもなく、納得したような声を出した。どうやら言葉で理解し合えたようだ。ダンケルフェルガーとまともに話ができることにわたしが胸を撫で下ろしていると、第一夫人は唇を笑みの形に歪めた。

「では、これはタルクスがフリュートレーネの力で生まれ育っても、ドレッファングーアのお導きでフェアフューレメーアのところへ向かうようなものかもしれませんね」

 残念とも、安心ともつかない息を吐きながら第一夫人がそう言った。

 ……ん? どういう意味?

 咄嗟に意味が理解できない。まず、タルクスがわからないのだ。ダンケルフェルガー特有の生物か、それとも、神話の零れ話に載っているマイナーな話なのか。

 ……タルクスが何にせよ、淡水で生まれ育って、時期が来たら海へ向かうってことだから、ここから推測される意味としては……成長すれば自分に合う場所に向かうとか、そんな感じ?

 曖昧な笑みを浮かべつつ必死に意味を考えている間、第一夫人はわたしと養父様を交互に見つめていた。その赤い目に捕まったような錯覚にゴクリと息を呑む。

「ディッターで決まった以上、ハンネローレはエーレンフェストに嫁がせます。ハンネローレのフェアフューレメーアはエーレンフェストのようですから、それでよろしいでしょう」

 ……ちょっと待って。ハンネローレ様がエーレンフェストに嫁ぐ必要はないですよ、って言う前に嫁ぐことに決まっちゃった!?

 こちらが希望や意見を言う前にハンネローレの嫁入りで完全に丸め込まれたような形になってしまった。養父様と顔を見合わせ、慌てて口を開く。

「あの、本人が望んでいるとおっしゃいましたが、ハンネローレ様は本当にエーレンフェストへのお嫁入りを望んでいるのですか? 第二夫人ですよ?」

 第二位のダンケルフェルガーの領主候補生にとって、エーレンフェストの第二夫人などあり得ないはずだ。ディッターのことしか考えてなさそうなアウブと違って、話せばわかる人だと思う。娘にとってどうするのが良いのか、よく考えてほしい。

「自分の意思で陣から出たのです。望みもせずにそのようなことをするはずがございません。ダンケルフェルガーの領主候補生がエーレンフェストの第二夫人として嫁ぎたがるなんて予想外で、こちらも困っているのです」

 まるでハンネローレが我儘を言っているようだが、本人は多分一言もエーレンフェストに嫁ぎたいと言ったことはないはずだ。おろおろとハンネローレの様子を窺ってみるけれど、ハンネローレは視線を伏せたままだった。言いたいことも言えずに呑み込んでいるような体勢で口を閉ざしている。

 ……ハンネローレ様。

 レスティラウトがディッター勝負を受け、反論を封じられた時と同じだ。俯いて小さく震えているハンネローレの姿はどこからどう見てもエーレンフェストに嫁ぎたいと思っている女の子の姿ではない。
 わたしと同じようにハンネローレを見た養父様が深緑の目を第一夫人に向けた。

「恐れながら、エーレンフェストはやっと八位に上がってきたばかりの成り上がり領地で、その地位に相応しい対応もまだ身についていません。ダンケルフェルガーの領主候補生を迎えられる領地ではありません」

 養父様の言葉に第一夫人は笑顔で頷いた。

「もちろん存じていますよ。今のエーレンフェストに価値があるとすれば、流行や産業を生み出し、古い儀式にも言葉にも堪能で、領主候補生がこれだけいる中で寮内を上手くまとめ上げられるローゼマイン様だけでしょう。とてもダンケルフェルガーの領主候補生が嫁ぐのに相応しい領地とは言えません」

 笑顔で肯定されると、それはそれで腹が立つものである。わたしは提案しただけで、実際にモノを作り出すのは職人達だし、寮内をまとめたり、皆の気持ちを煽って目標に向かわせたりするのはヴィルフリートの方が上手い。社交下手なわたしの代わりにシャルロッテがお茶会に出てくれるから、寮内がまとまっているのだ。

 反論しようとした途端、養父様に足を軽くはたかれた。「黙っていろ」の合図である。わたしは不満を胸に抱えながら、仕方がなく口を閉ざす。
 第一夫人は養父様を見つめながら少し首を傾げた。

「成り上がっているエーレンフェストが、歴史あるダンケルフェルガーの領主候補生を得たいというのは理解できますけれど、第二夫人として得たいとおっしゃるのは何故でしょう?」

 それにはアーレンスバッハとの確執を説明する必要がある。どこからどこまでをぶちまけて良いのかわからないわたしにはできない。わたしは養父様に応援の視線を向けた。

「エーレンフェストの事情、としかお答えできません」
「あら、でも、外交を担当する第一夫人は他領から迎えた妻の実家の援助やそれに付随する関係を上手く利用するために迎える存在で、自領の妻は第二夫人として領地内の貴族を取りまとめるために迎える存在ではありませんか。いくらエーレンフェストでもそのくらいはご存知でしょう?」

 ……それって、ダンケルフェルガー独自の文化じゃなくて、全体的にそうなの?

 理に適っているような気もするけれど、わたしは今までそんな話を聞いたことがない。口を噤んでいるわたしの横で養父様は静かに第一夫人を見ている。

「全く地縁のないハンネローレを第二夫人にして領地外の社交の場に出さず、ダンケルフェルガーとの関係を断とうというのはどのようなお考えがあってのことでしょう? お聞かせ願えませんか、アウブ・エーレンフェスト?」
「上位領地のやり方と違うかもしれませんが、エーレンフェストにはエーレンフェストの事情があるのです」

 旧ヴェローニカ派の粛清を行った今、ライゼガングとの間にまで波風を立てることはできない。

「えぇ、そうでしょうとも。けれど、その程度の外交の常識さえ知らず、取り入れようともせず、地位の安定や向上を計ろうともしないエーレンフェストには上位領地の妻を娶る意味がありません。これでも娘が可愛いですからね。何代か前の領主候補生に輿入れしたアーレンスバッハの姫君のような不幸が、我が娘に降りかかるのは避けたいのです」

 大領地の姫を迎えておきながら領主候補生を上級貴族に落とし、順位を上げるでもなく、アーレンスバッハとの関係を深めるわけでもなく、領地内の貴族を抑えることができなかった当時のアウブの無能さを第一夫人は遠回しに非難した。

「上位領地としての振る舞いを領地の貴族全体が身につけるには代が変わるほどの年月が必要になります。アーレンスバッハからの姫君を迎えてから何十年もたっています。何がどのように変わったのですか?」

 アーレンスバッハの姫君に引っ掻き回されたエーレンフェストの苦労には目を向けることなく、第一夫人はあくまで大領地の視点で物事を見ている。大領地の見方や思惑は少しわかったけれど、苛立ちは増した。

「今またローゼマイン様を得て、数年間で順位はずいぶん変わりましたけれど、エーレンフェストが変わっているようには思えないのです」

 それから先はレスティラウトに指摘されていたのと同じような内容を上品に回りくどく言われた。ヴィルフリートと同じような表情で、養父様はじっと第一夫人の非難を聞いている。貴族言葉がすぐには理解できないせいで、わたしは半分くらい聞き流したけれど、じりじりと嫌な気分が積み重なってくる。

 ……これをじっと聞いているのが貴族の社交なの?

「アウブ・エーレンフェスト。この先はどうされるおつもりなのでしょうか? もう、わかっていらっしゃるでしょう? ローゼマイン様がエーレンフェストには過分だ、と」

 養父様に足をはたかれたので我慢して聞いているけれど、わたしがエーレンフェストにとって過分かどうかを他人に判断されたくない。

「ゲドゥルリーヒはメスティオノーラを守るためにその手を離し、シュツェーリアに託されました。心置きなく活躍できる土地へ移られるのがご本人のためにも周囲のためにも良いのではないか、と思いますよ」

 第一夫人は親切そうな顔で優しく言っているけれど、内容は「わたしを手放せ」である。苦々しい思いで心がいっぱいになってきた。養父様が「馬鹿馬鹿しい」と呟いてちらりとわたしを見る。

「ダンケルフェルガーがシュツェーリアを買って出る、とおっしゃるのですか?」
「えぇ、メスティオノーラとエーレンフェストを守る盾になりましょう。ハンネローレも嫁ぐのですから」

 こういう圧力が養父様にかかるのを回避するためにわたしはディッター勝負を受けたのではなかっただろうか。何故ディッター勝負と関係のない非難を受けなければならないのだろうか。おまけに、いつの間にかわたしがダンケルフェルガーに守られる話になっているのは何故なのか。
 真綿で首を絞めるように上品な微笑みと言い回しで相手の行いを非難しながら、自分の望む方向へ話を持って行く第一夫人に反論したくて仕方がない。

「養父様、首にまとわりつく真綿はハサミで一気に切ってしまった方がスッキリすると思いませんか?」

 ふふふ、と笑いながら養父様を見ると、軽く目を見張った養父様が一度目を閉じた後、「確かにこれ以上我慢させて引きちぎられるよりは後始末は楽そうだ」と諦めたように手を振った。

「好きにしろ。後は引き受ける」

 養父様の許可を得て、わたしは第一夫人の赤い瞳を真っ直ぐに見つめた。貴族らしい優雅な佇まいと微笑みは忘れずに。

「エーレンフェストとダンケルフェルガーがどのような取り決めの下、勝負を行うことになったのかはご存知ないのでしょうか?」
「えぇ、聞き及んでいますよ」

 わたしの反論を見極めようとするように第一夫人の目が鋭くなる。

「では、何故神聖なるディッターで勝負がついたのに、エーレンフェストが圧力をかけられているのですか? エーレンフェストが勝てば婚約解消に関する圧力をかけないというレスティラウト様のお言葉を信じてディッターを行ったのです。敗者は黙っていてくださいませ」

 これまでの貴族言葉の遠回しな言い方をスパーンと断ち切って、わたしはニコリと微笑んだ。まるで直接的すぎて何を言われたのかわからないというような顔で、第一夫人がわたしを見ている。

「ローゼマイン様……」

 ずっと俯いていたハンネローレも驚きに目を瞬きながら顔を上げた。呆然とした表情で第一夫人とわたしを見比べる。

「フリュートレーネの癒しとルングシュメールの癒しが違うように、第三者から見て良い環境と当事者にとって満足できる環境は違うのです。変わらぬ平穏を望む者にグリュックリテートの加護は不要、とわたくしの師も零されていらっしゃいました」

 フェルディナンドの時と同じような余計なお世話はいらない、と言ったところで第一夫人が初めて顔色を変えた。

「……エーレンフェストは一体何のためにハンネローレを求めたのですか?」
「ただただ面倒なディッター勝負を回避したかったのです。ハンネローレ様を第二夫人としていただくと言えば、さすがにレスティラウト様の一存では決められないと考えました。アウブと相談することになって少しは時間を稼いだり、ディッターを回避したりできるのではないか、と思ったのです。結果としてはレスティラウト様の独断で受けられてしまったのですけれど」

 ご存知でしょう? とわたしが問いかけると、第一夫人は笑顔を消してハンネローレとわたしを見比べた。

「それでは、ハンネローレが必要で、ディッターの対象にしたわけではない、ということですか?」
「えぇ。ハンネローレ様にエーレンフェストへ来ていただくなんて、あまりにも失礼ではありませんか。こちらが勝てばその条件は最初から破棄する予定でした。ハンネローレ様がお望みになったところに嫁げるように微力ながらお手伝いするつもりだったのです」
「……最初から、ですって?」

 レスティラウトとヴィルフリートがディッターの細かい決まりを決めている時に、わたしはハンネローレとエーレンフェストが勝った場合のことを話していたのだけれど、もしかしたら聞いていなかったのだろうか。

 首を傾げるわたしの隣で養父様がフッと笑った。敵の弱点を見つけて、そこに攻撃しようとする戦士の笑みだ。

「先程アーレンスバッハの例を出しておっしゃられた通り、エーレンフェストでは未だ大領地の姫君を受け入れる体制が整っていません。可愛い娘の幸せを願うのでしたら、こちらの申し出を快く受け入れてください」

 ハンネローレが嫁ぐという話はなかったことにしよう、と養父様が提案した。あれだけエーレンフェストの体制を非難していたのだ。娘が嫁ぐ必要がなくなってさぞ嬉しいだろう。
 しかし、第一夫人は少し考え込んでいた。別に嫁がなくてもいいよ、と言っているのに快諾しない理由がわからない。

「では、ハンネローレ本人がエーレンフェストに嫁ぐことを望んだ場合はどうされるおつもりですか? 常識に倣って第一夫人としてハンネローレを受け入れるのですか? それとも、あくまで非常識な対応を取るのですか?」
「大変申し訳ございませんが、エーレンフェストはまだ上位領地のやり方が馴染まぬもので……」

 養父様がニコリと笑った。非常識と言われようと、優先すべきは粛清で混乱しているエーレンフェストの平定である。貴族達が大騒ぎになりそうな面倒はいらない。

「あくまで第二夫人ということですか……」
「お母様、勝者はエーレンフェストです」

 更に何やら口にしそうな第一夫人の袖をハンネローレが震える手でつかむ。手だけではない。全身が小刻みに震えているように見えた。けれど、その目は決意に溢れた強い光が宿り、自分の母親を見上げている。

「これ以上、エーレンフェストに迷惑をかけるのは止めてくださいませ」
「ハンネローレ?」

 ハンネローレが別のテーブルで他領の貴族に対応しているヴィルフリートにゆっくりと視線を向ける。柔らかい表情だった。少し細められた柔らかな眼差しに、綻ぶように笑みの形になった唇に、淡い想いが宿っているように見えるのは目の錯覚だろうか。

「わたくし、戦いの場で誰かに守ると言ってもらうのは初めてでした。強要されるのではなく、選択肢を準備されるのも初めてでした。ですから、わたくし、本当にエーレンフェストに嫁いでも良いと思ったのです」

 そう言ってハンネローレは一度目を伏せると、真っ直ぐに第一夫人を見た。立ち向かうべき相手を見つけた強い眼差しに先程の柔らかな表情は見られない。

「けれど、エーレンフェストでは大領地の領主候補生を受け入れる土壌がないと言いました。受け入れる体制が整っていないと……。でしたら、迷惑になるだけではありませんか。無理やり勝負を迫っておいて、敗者が勝者に更に迷惑をかけるのですか? せめて、勝者の望みを叶えるべきではありませんか?」

 ハンネローレの言葉に第一夫人が困ったような表情になった。計算違いというか、予想外の出来事に戸惑っているような顔をしている。

「ハンネローレ、貴女……」
「お母様、相手が望んでいないことを強要するのは美しくありません。周囲に利を配り、自分の望みを叶える一助とするのがダンケルフェルガーの女でしょう? 今回の交渉でお母様はエーレンフェストに利を配れませんでした。一旦引いて、エーレンフェストの利を知るところから始めましょう」

 そう言って微笑むハンネローレは間違いなくダンケルフェルガーの女だった。
とても中途半端な長さになったので前後編にします。
真綿で首を絞めるように追い詰めていくけれど、うまくいかなかった第一夫人。
首を絞める真綿はスパンとぶった切るローゼマイン。
そして、覚醒したハンネローレ。

次は、後編です。
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