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本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~ 作者:香月 美夜

第一部 兵士の娘

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閑話 金の力

「もし、身食いでわたしが倒れたとしても、ルッツが責任を感じることないんだからね。これ、本当に、突然来るから。それに、まだ負けないよ。わたし、本を作ってないから」

 オレを慰めるようなマインの小さい声が耳元で響く。

 情けない泣き顔を見せたくないから、マインを背負った。
 でも、マインを背負っているから、落ちる涙を拭えない。
 マインの腕にポツポツと涙の染みができていく。

 助けてやりたいのに、助けてやれない。
 自分の力の無さに歯噛みする。

 マインはいつも「わたし、役に立たない」って言うけど、オレにとってはいなきゃ困る存在なんだ。

 商人になりたいなんて、家族からも馬鹿にされて無視されるような自分の夢をマインは笑って肯定してくれた。
 ベンノに紹介してもらった時だって、本当は逃げ出したいくらい怖かったのに、マインは手を握って、助け船を出してくれた。
 オレ一人ではどうにもできなかったのに、マインが一緒に考えて動いてくれたから、見習いになれる道が拓けた。
 今だって、商人になるにはどうすればいいか、文字の書き方、数字の読み方、計算の仕方、お金に対する考え方……全部マインが教えてくれている。

 それなのに、オレは身食いで苦しむマインを助けてやることもできない。

 オレにはマインを助ける金なんてない。ちょっと稼げるようになったけれど、それは全部マインが考えたことだ。
 オレが作るんじゃなくて、もっと力がある、もっと大人がマインに協力していたら、ずっと早く紙ができていて、ずっと稼げていたんじゃないか。そうすれば、マインはもしかしたら助かるだけのお金が稼げていたんじゃないか。

 そんなことを考えることしかできない、力のない自分がみじめで、悔しくて、情けない。

 オレがこんな子供じゃなくて、大人だったら、マインを助けてやれただろうか。ベンノの旦那みたいにでかい商売をして、金を持っていたら、オレだって……。

 ギリッと歯を食いしばりながら、オレはマインを背負って歩く。マインを助けることができるだけの大きな権力と金があるだろう、ベンノの店へ。

 きっとベンノの旦那なら、マインを助けてくれる。マインが作る物に価値を認めているから、きっと。


 オレが店の前に着いた時には、マルクとベンノが店の外に立って待ち構えていた。心配そうなマルクと苦々しい顔のベンノが立っている。
 涙を拭うこともできないぐしょぐしょの情けない顔を見せたくなくて、オレは俯いて石畳を睨みつけた。
 その視界の中にベンノの靴先が入ってくる。

「ハァ……ったく」

 ベンノが溜息混じりに歩み寄ってきたかと思った瞬間、突然オレの背中が軽くなった。

「うひゃあっ!?」

 マインの声に驚いて顔を上げたら、マインがひょいっと抱き上げられて、マルクに向かって放り投げられていた。
 空に投げ出されたマインの姿に心臓が口から飛び出そうになる。

「っ!?」
「おっと!?」

 マルクがしっかりと抱きとめたのを確認して安堵すると同時に、ベンノに対する怒りが募ってくる。
「病人になんてことをするんだ!」と怒鳴ってやろうと息を吸い込んだ瞬間、ベンノが顎で店を示した。

「ルッツだけ奥だ。来い」

 気勢を削がれ、オレは口をはくはくさせた後、ベンノについて店の奥へと入っていく。
 マインのことはマルクに任せておけば問題ない。少なくとも、ベンノに預けるより安心だ。そう自分に言い聞かせながら、バタンと閉まるドアの音にオレは慌てて袖で顔を拭った。

 いつものテーブルを勧められ、オレが座ると同時にベンノは赤褐色の目を光らせる。オレを上から下まで全部見て、口を開いた。

「……身食いの症状が現れたか?」
「なんで……」
「お前が背負っている割に、マインは元気そうだったからな。一気に熱が上がって、一気に下がる身食いだと思った。あれだけ一緒にいるのに、見たのは初めてか?」

 オレはコクリと頷く。森に行ったり、店に行ったり、紙を作ったり、マインとはずっと一緒に行動していたけれど、オレが身食いの症状を見たのは初めてだった。

 体調が悪化するような前兆は一切なく、突然身体が溶けるんじゃないかと思うくらいマインの熱が上がって、まるで身体中から湯気が立ち上るように、黄色っぽい何かがマインから出ていたのが、ひどく怖かった。

「ベンノの旦那、マインを助けてやってくれ。オレじゃダメなんだ。こんな子供で、金もなくて、何もできなくて……」
「無理だ」

 オレの頼みをベンノは静かな声で、にべもなく一蹴した。

「なんでだよ!? 旦那は大人で、金もあって、貴族相手に商売してて……」

 オレが必死に言い募るとベンノは痛そうに顔を歪める。悔しそうに歯を食いしばって、頭を振った。

「商売を広げていると言ったところで、お貴族様相手には最近出てきたばかりの新顔で大した繋がりなんかない。まだまだ足元見られてぼったくられる対象だ。……俺も、お前と一緒で力不足なんだよ」
「旦那でも……ダメなのか?」

 思いもよらなかった言葉に呆然とする。こんなに大きな店を持っていて、貴族と繋がりもあるベンノでさえ、マインを助けるには力不足だなんて、身食いを治すことは事実上不可能ではないのか。
 目の前が暗くなっていった時、治ったヤツがいたことを思い出した。

「でも、フリーダは治ったって……ギルド長なら!」
「交渉済みだ」
「え?」

 ベンノが軽く息を吐いて、髪を掻きあげる。困ったような顔で、皮肉げな笑みを浮かべて、肩を竦めた。

「金があれば、一時的な延命はできる、と言われた。孫娘を生かすために金に任せて没落貴族から買い漁った今にも壊れそうな魔術具がまだ残っているらしい。たった一度使えば壊れてしまうような魔術具が小金貨2枚以上するんだ」
「き、金貨!?」

 オレは紙を売って得られた小銀貨1枚に、大金だと浮かれていたというのに、マインを助けるために必要なのは小金貨らしい。
 手が届かない金額にめまいがする。

「だが、それで延ばせるのは半年から一年ほど。一度金を使って延命しても、すぐに次がいる。特にマインは小さい。成長するたびに身食いの症状が進んでいくんだから、そのうちもっと頻繁に必要になる。見習い一人のためにそんな金が出せるか? 俺には無理だ」

 ベンノの言葉は間違っていない。そんな金を出すことなんてできるわけがない。
 だが、無理だと諦めることは、マインの命を諦めるのと同じだ。

「俺にできることは少ない。マインが持っている変わった知識を買ってやって、少しでも金の足しにしてやること。いよいよヤバそうな時に、じじいに渡りを付けてやることくらいだ。……それで、お前は何ができる?」

 猛獣のような鋭い目でベンノに睨まれて、オレは思わず睨み返した。
 大人で力も、頭も、金も全部持っているベンノにできることがほとんどないのに、オレにできることなんてあるわけがない。

「……オレができることなんてない。こんな子供で、力も、頭も、金も、何もなくて……できることがあるなら、教えてくれよ」
「マインに心配させるな。気を遣わせるな」
「っ!?」

 即座に言い返された言葉にぐっと息を呑んだ。図星で何も言い返せない。
 悔しさに目頭が熱くなってきたオレに、ベンノが少しばかり表情を緩めて、しかし、目だけは鋭いまま口を開く。

「あのなぁ、ルッツ。あれは見た目通りの子供じゃない。少なくとも、自分がきつい時にお前を気遣って、笑って見せるくらいのことはできるんだ。それに甘えたり、騙されたりしないように気を付けろ」

 身食いの熱が引いた後、荒い息を繰り返しながら、へらっと笑ったマインを思い出した。
 笑ってくれたマインにオレは確かに安心したけれど、それは間違いだったかもしれない。

「男ならマインの心配の種をこれ以上増やすな。知らなかったふりなんて出来るわけがないんだから、アイツが少しでも自分の命を買えるように協力しろ。マインが考えた物は俺が作るなんて、大層な事を言うなら、次から次へと作って売れ! 泣いている暇があるなら頭を動かせ。身体を動かせ。金を稼げ!」
「……わかった」

 やるべきことを示されて、オレは顔を上げた。
 ベンノがニヤリと唇を歪める。

「イイ面構えになったじゃねぇか」


「あ、ルッツ。お話、終わった? 見て見て! 今日持ってきた髪飾りの精算、終わったよ」

 ベンノの部屋から出たオレを迎えてくれたのは、マインのいつも通りの笑顔だった。呑気そうな顔に見えるけれど、ベンノの言葉を思い出して注意深く見てみれば、笑っているのに、心配そうな目をしているのがわかる。
 心配をかけている自分に舌打ちしたい気分になりながら、オレも負けずに笑って見せた。

「大金だな」
「これで、2~3日は大丈夫だと思うんだよね」
「2~3日かよ」
「正直、母さんがどこまで暴走するかわからないんだもん。トゥーリも母さんにつられてやる気満々だし……」

 軽いやり取りを繰り返すことで、少しずつマインの雰囲気が緩んでいくのがわかる。多分、ちょっとは安心させることができたと思う。
 オレの後ろから出てきたベンノもいつもの調子で、肩を竦めた。

「店の中で喋ってないで、用が終わったならマインはさっさと帰って寝てろ。本調子じゃないってルッツが言ってたぞ」

 オレ達を追い払うように手をパタパタと振ったベンノが、ふと思いついたように言葉を付け足した。

「マルク、こいつらについて行ってやれ。こんな子供に大金を持たせるのは危険だからな」
「かしこまりました」

 トゥーリ達に支払いがしやすいように、全部が中銅貨で準備されている。33枚もあれば、歩けばジャラジャラと大きい音がするだろう。数枚を手に握りしめているくらいなら、ともかく、洗礼前の子供が持つには目立ちすぎるのだ。

 盗まれたり、絡まれたりする危険性を示されたせいで、いつもは「平気です。大丈夫」と辞退するマインが、マルクに素直にお金の袋を差し出した。
 ベンノと視線を交わしたマルクはお金の袋と一緒にマインも抱えて歩き出す。

「じ、自分で歩けますっ!」
「ルッツに背負われてきた子が何を言っているんですか? いい子ですから、みんなの心の平穏のためにおとなしくしていてくださいね」
「うぅっ……」

 マインは反論する術を失ったのか、しょぼんと項垂れて、ジタバタするのを止める。どうやらマインは優しく諭すマルクには反抗できないらしい。
 これは良い発見をした。オレもなるべく早くマルクの言い方を覚えよう。


 帰り道、マインは冬の手仕事のやらせ方や仕上がった手仕事の管理の方法をマルクと語り合い、オレにも同じようにやるように注意点を並べた。

 井戸の広場に着いたところで解散するのかと思ったが、マルクは「マインの家までお金を持って行って、家族にも説明させていただきます」と言って、マインを下ろそうとしなかった。
 マルクの気遣いに感謝しながら、井戸の広場でオレは二人と別れる。

「ルッツ、後で行くからね」

 建物に入っていく二人を見送った後、オレは急に重たくなったように感じる足を引きずるように自分の家へ帰った。

「ただいま」
「なんだ、今日は手ぶらか?」

 一番上の兄であるザシャが帰ったオレの姿を見て、片眉を上げた。
 森で採集してくるのが、洗礼前であるオレの本来の仕事だが、最近、ベンノの店に行くことが多くなって、採集が満足できていない。そんな状態を、家族がよく思っていないことはわかっている。

「何だよ。金、稼いできたんじゃないのか?」

 お金を持って帰れば、少し態度はマシになるけれど、マシになるだけだ。ラルフはオレが短期間に稼いだことをちょっと苦々しく思っているようで、当たりが厳しくなった。

 部屋に荷物を置きに行って、ベッドでゆっくり息を吐く。オレが商人になりたいと言ってから、家の中は雰囲気がギチギチしていて居心地が悪い。
 商人になることを諦めて、職人になると言えば、居心地は良くなるのかもしれないが、オレは絶対に後悔するだろう。

 トントン!

「こんにちは、カルラおばさん。ルッツ、いる?」
「あら、マインじゃないか。さっき帰って来たような声はしていたけど……ルッツ、マインが来てるよ!」

 母の声にオレより速く、すでに胃袋を鷲掴みにされている兄達が期待に満ちた目でマインを迎えに行った。オレが部屋から出た時にはマインは兄達に囲まれてほとんど見えない。

「どうした? 新作料理か?」
「手伝うぞ。何からする?」
「ううん。今日は違うの。ルッツに報酬を持ってきただけ」
「報酬?」
「そう。わたしの手仕事を手伝ってもらったから、その報酬」

 兄達の囲いから出てきたマインが、何か企んでいる時の笑みを浮かべてオレの前に立った。
「ルッツ、手を出して」と言われるままに手を出すと、マインがわざわざ一枚ずつ中銅貨を手の平に置いていく。

「簪5個だから、中銅貨も5枚ね。1,2,3,4,5。間違いない?」
「あぁ」

 オレの手の上にチャリチャリと音を立てながら置かれていく中銅貨に、兄達の視線が釘付けになっているのがわかった。視線が刺さっているようで、手の平がチクチクする。誰かがゴクリと唾を飲み込んだ音が聞こえた。

「なぁ、マイン。手仕事の手伝いって、もしかして、昨日ルッツが作ってた木の棒か?」

 ラルフの言葉を待っていたのだろう、わざとらしいほどマインがニッコリと笑って答えた。

「そう。髪飾りを作るから、その簪部分をお願いしてるの。簪一つで中銅貨1枚なんだよ」
「あんなんで中銅貨1枚!?」

 ザシャが目を剥いて叫んだ後、オレの手の上を凝視した。
 本当にオレが金を持っているから、疑っても意味がないと思ったのだろう、ジークは軽く頭を振った後、マインをひたりと見据えた。

「……その手伝いって、ルッツじゃなくてもいいのか? オレがやってもいい?」

 ジークの質問は兄全員の心を代弁したものだった。全員の視線がマインに向かう。マインはその視線を難なく受け止め、笑顔で頷く。

「そりゃ、作るのはルッツじゃなくてもいいよ。でも、大きさも決まってるし、髪に引っ掛からないように丁寧に磨かなきゃいけないし、適当な仕事じゃダメなんだよ?」

 マインの言葉を聞いた兄達が顔を輝かせて我先に口を開いて、主張し始めた。

「マイン、マイン。木工細工はルッツよりオレの方が得意なんだぜ。仕事で毎日やってるんだからな」
「オレだって、ルッツよりはマシさ」
「年数で言うならオレだろ?」

 おいおい、ちょっと待ってくれよ。
 そんなくだらない棒作りなんか手伝ってやるか。一人でやれよ、と言っていたのは誰だよ?

「昨日は三人ともバカバカしいって……もがもがっ!」
「ルッツ、昨日は報酬の話なんかしてなかったよな?」
「一人占めするつもりだったんだろ?」

 報酬の話は一応したはずだ。けれど、聞き流されたか、適当な事を言っていると思われたに違いない。
 現金の力は兄達の記憶も塗り替えるようで、オレがすっかり悪者扱いだ。目の色を変えた兄達に凄まれたオレは、現金の恐ろしさを知った。
 兄達に囲まれて困り果てていると、マインがポンと手を叩いた。

「じゃあ、次はおにいちゃん達が作ってくれる? 一人5個ずつね。それ以上作られても、わたしの方が間に合わないから。三日後に取りに来るよ」

 マインの提案はとても魅力的だったようで、オレはポイと放り出された。兄達はマインに向かって、実にいい笑顔でドンと胸を叩いて請け負う。

「おう、任しておけ」
「三日もいらねぇよ」
「すぐにできるって」

 マインはピッと人差指を立てて、悪戯っぽく笑った。

「速さより丁寧さが大事なんだよ。丁寧に作ってなかったら、使えないからやり直しだからね。……そうそう、大きさとか、使う木はルッツに聞いて。じゃあ、また三日後に取りに来るね」

 そう言ってマインが帰っていくのを、笑顔で手を振って見送っていた兄達だったが、マインの姿が見えなくなると同時に、態度を豹変させた。
 オレはガシッと身柄を確保されて、兄達に部屋へ連れていかれる。

「で、何の木を使うって?」
「大きさは?」
「今回はお前の分、ねぇから」

 すぐさま道具が準備され、作り方を説明しろと詰め寄られた。オレがやっている時には全く見向きもしなかった兄達の変わり様に唖然とするばかりだ。

「ぼんやりするな」
「さっさと説明しろよ」
「あ、あぁ」

 兄達に聞かれるまま、オレが木の種類や作り方を教えていけば、兄達はすぐに呑み込んで作りだす。あっという間にオレはお払い箱だ。
 そして、悔しいことに仕事で手慣れている分、オレより兄達の方が素早く綺麗に簪を仕上げていく。

 あぁ、マインが「わたし、いまいち役に立たない」って言う時の気分はこんな感じか。

 お払い箱になったオレは、石板と計算機を取り出した。オレにはオレのやることがある。簪作りは職人に任せればいい。

 帰り道でマインがオレに言ったのは3つだ。

 板にそれぞれが作った簪の数を控えること。
 その板は見つからない場所に保管して、勝手に書き足されないようにすること。
 一つ簪ができれば、手数料としてオレは中銅貨4枚がもらえるので、手数料を計算機に足していくこと。

「ほら、できた」
「オレだって、もうできるさ」
「ラルフはちょっと雑だな。もっと丁寧にやらないと作り直しじゃないのか?」

 そんなことを言いながら、兄達が先を争うように簪を作っていく。

「ルッツ、こんな感じでいいのか?」
「……うん。さすがザシャ兄」

 ザシャが1つできたので、中銅貨4枚。

「ほら、オレもできたぜ」
「ジーク兄もバッチリだ」

 ジークが1つ作ったから、足して中銅貨8枚。

 石板に文字の練習をしているうちに、自分が作ったわけでもないのに、手数料がどんどん溜まっていくのが計算機を見ればすぐにわかる。

 これが、商人か。
 金の力を目の当たりにし、うまく金を扱えるようになりたい、と改めて思った。
ルッツ、家庭内では苦労してます。
 でも、めげずに頑張っていけるのは、マインがいるから。
 マインを助けるために頑張ります。

 次回、ルッツの決意空しく、マインが倒れます。

 ※誤字脱字報告ありがとうございました。
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