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本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~ 作者:香月 美夜

第四部 貴族院の自称図書委員

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閑話 選択の時

「マティアス、周囲が見えていないぞ。考え事をしながらの狩りは危険だ。いつも自分で言っていることではないか」

 少し大きい方の魔獣に気を取られ、背後に小さい魔獣が迫っていたことに気付かなかったのは明らかに自分の失態だ。私は軽く息を吐きながら前髪を掻き上げて振り返る。

「ラウレンツ、すまない。助かった」

 五年生で貴族院への到着が早かった私は次の日に一学年下の騎士見習いラウレンツが到着するとすぐに素材採集へ出かけた。ローゼマイン様の祝福で復活したエーレンフェストの採集場所では品質の良い素材が採れるようになっている。薬草の品質が上がった分、それを狙ってやってくる魔物も少し強くなっているようだ。去年と同じように、とラウレンツと二人でやってきたが、次に来る時はもう少し人手がいた方が良さそうだ。

「ある程度採れたし、今日は終わりにしよう。一体何を悩んでいる?」

 シュタープの剣をブンと振って消したラウレンツは呆れたようなオレンジの目をこちらに向けながら採集した素材を革袋に入れていく。私も同じように素材を回収して革袋に入れると騎獣を出して跨った。

「……名捧げについて考えていた。ラウレンツは親に強要されなかったか?」
「された。マティアスが言っていたように、成人後にはぜひ、と言って逃げたが」

 ラウレンツは面倒臭そうに軽く息を吐きながら騎獣に跨る。
 私も父上からゲオルギーネ様に名捧げをするように要求はあったのだが、私もラウレンツも父上がゲオルギーネ様から教えられたという魔力の圧縮方法で魔力を上げている最中だ。

 ローデリヒのようにどれだけ成長しても問題のなさそうな素材があれば名捧げはできるけれど、普通は成人して魔力の成長が止まるまで自分の名を捧げるのに相応しい品質がはっきりとしない。それを理由に「成人後にぜひ」と言って断った。ローデリヒが素材を手に入れた時に、私もラウレンツも十分な品質の素材を得ているが親には秘密だ。まだ時間が欲しい。

「マティアスは夏にゲオルギーネ様とお会いしたのだろう? どう思った?」
「……さすが父上の主だと思ったよ」

 ゲオルギーネ様の来訪があったのは夏の半ばを過ぎた頃のことだった。親達は貴族街で精力的に会食やお茶会を開いていたようだけれど、ラウレンツはギーベの留守番を任されていたので直接ゲオルギーネ様にお会いすることはなかったようだ。

 私もゲルラッハで留守番だったが、ゲオルギーネ様がアーレンスバッハへ急いで戻る途中に我が家で一泊されたため、お会いすることができた。ゲオルギーネ様を迎える準備がしっかりされていたこと、父上が騎獣を使ってゲオルギーネ様より先に貴族街から戻って来たことを考えても、事前の打ち合わせはできていたのだろうと思う。

 ゲオルギーネ様がいらっしゃった日はゲオルギーネ様に名捧げをした貴族達が我が家にやって来た。本当に少人数で、しかも、皆が騎獣でやって来る秘密の集いのようだった。名捧げをしていない私はその集まりに顔を出すことを許されず、自室にいるように父上から命じられていた。

 ところが、私が優秀者であることを知っていたゲオルギーネ様が私に会いたがったらしい。父上から連絡を受けた側仕えによって急いで身支度を整えられ、ゲオルギーネ様の信奉者ばかりが集まる会食の場に連れ出された。

 すでに食事は終わっていたようで、我が家の広間へ歓談の場は移されていた。皆に取り囲まれ微笑んでいるゲオルギーネ様がこの集りの主だと一目でわかる。私はゲオルギーネ様に近付き、足元に跪いた。

「火の神 ライデンシャフトの威光輝く良き日、神々のお導きによる出会いに、祝福を祈ることをお許しください」
「許します」

 祝福を送って挨拶を終えた後、ゲオルギーネ様が私に向かって手を伸ばしてきた。するりと冷たい手がこめかみのあたりを撫でる。

「努力を知っている優秀な子はとても良いわ。ギーベ・ゲルラッハ、貴方は良い子を育てましたね」

 赤い、赤い唇が笑みの形に釣り上げられ、漂ってくる甘ったるい匂いに頭の芯がくらりとした。ニッコリと細められた深緑の瞳は底の知れない暗い色をしている。底の知れない怖い目がうすら寒くてぞっとした。暖炉に火が入っていて、パチパチと時折木が爆ぜる音が聞こえるのに背筋が凍ったように感じるほどだ。

 ……この目は知っている。

 狂おしいほどに主を求める父上の目にそっくりだった。目の前にいて話をしているのに、自分ではなく、別の何かを見据えている。それ以外の何も見えていない目だ。ゲオルギーネ様が求める物が何か知らない。けれど、純粋に怖いと思った。

「お褒めに預かり光栄でございます。マティアスがこれほど優秀になるとは思いませんでしたが、嬉しい誤算でした」

 これまで特に褒めてもくれなかった父上が得意げに言うのを私は跪いて首を垂れたまま黙って聞いていた。父上のゲオルギーネ様を中心にした考え方が私には理解できない。

 ……あぁ、早く部屋に帰りたい。

 そう思っていたけれど、私はその場に留まらざるを得なかった。ゲオルギーネ様が嫣然とした笑みを浮かべて、とんでもないことを言い出したからだ。

「ねぇ、皆様。喜ばしいお知らせがございます。わたくし、エーレンフェストの礎の魔術を手に入れる方法を知ったのです」
「なんと!?」

 今はアウブ・アーレンスバッハの第一夫人なので身動きできないけれど、アウブの死後、ゲオルギーネ様はエーレンフェストの礎の魔術を手に入れるために戻ってくると言った。礎の魔術を手に入れた者がアウブだ。ゲオルギーネ様が礎の魔術を手に入れ、ジルヴェスター様を亡き者にすれば自動的にゲオルギーネ様が次期アウブとなる。

「わたくしはエーレンフェストに必ず戻ります。ギーベ・ゲルラッハ、そのための準備をお願いしても良いかしら?」
「必ずやり遂げて見せましょう。ゲオルギーネ様の一刻も早いお戻りを心よりお待ちしています」

 父上がゲオルギーネ様の差し出した書状を受け取り、感極まったように言葉を詰まらせる。私は父上の喜びに満ちた嬉しそうな姿を初めて見た。

「わたくし、エーレンフェストに優秀な臣下が必要なのです」
「マティアスも成人すれば名を捧げたいと申していますし、ゲオルギーネ様のお役に立つことでしょう。私の息子は心よりゲオルギーネ様にお仕えするでしょう」
「まぁ、成人したら?」

 ゲオルギーネ様が喜色に富んだ声を上げながら、私を見つめる。けれど、その深緑の目は決して笑っていない。静かに私の反応を見据えていた。重ささえ感じる視線を浴びながら、私は父上にも述べた理由を口にする。

「父上より教わったゲオルギーネ様の魔力圧縮方法で魔力が伸びているところなので、私に相応しい良い素材が手持ちにございません。魔力の伸びが止まる成人に合わせ、貴族院で採集し、名捧げをしたいと存じます。……その時は受けてくださいますか?」
「あら、去年採った素材では間に合わないほどに魔力が伸びているのですね。さすが優秀者に選ばれる子は頼もしいこと。もちろん、名を受けます。どれだけ成長するのか楽しみにしていてよ、マティアス」

 しっかりと自分を持っていなければ、ゲオルギーネ様の信奉者ばかりが集まるこの場の異様な雰囲気に呑み込まれそうだ。私は貴族らしい社交的な笑みを浮かべながら、きつく拳を握り、その時間を過ごした。



「期限は成人まで、か。どうやら私達はアウブ・エーレンフェストに名捧げをしなければ生きていけない運命にあるらしい。そのアウブ・エーレンフェストがジルヴェスター様なのか、ゲオルギーネ様なのか、今の時点ではわからないが」

 騎獣を飛ばしながらラウレンツが溜息の混じった言葉を吐く。私も同意見だ。旧ヴェローニカ派の子供である私達には二つの選択肢がある。家族と決別し、領主一族に名を捧げるか、家族と同じようにゲオルギーネ様に名捧げをするか、どちらかだ。

「兄上は今回の来訪で二人ともゲオルギーネ様に名を捧げた。一生をゲオルギーネ様に尽くすのだろう。父上のように。私はまだ決められない。けれど、ヴェローニカ様の権勢が一瞬でひっくり返ったように、ジルヴェスター様の治世がゲオルギーネ様によってひっくり返されることは絶対にないとは言えないだろう? 礎の魔術を手に入れることができるならば尚更だ」

 今の領主一族に名捧げをして家族を切り捨てるか、ゲオルギーネ様のお戻りを待って新しいアウブに名捧げをするか、どちらもまだ選べない。

「……ただ、父上は本気でゲオルギーネ様をアウブ・エーレンフェストにするつもりのようだ。何やら画策していた」
「そうなのか?」
「おそらく、としか言えない。ゲオルギーネ様に名を捧げなかった私は詳しく知らされていないから」

 私が気付いたのは本当に偶然だった。冬の社交界へ向かう準備をしている中、父上に呼び出されてゲオルギーネ様のために次の貴族院でも優秀者となるように、と言われている時にたまたま小さな転移陣が光り、布に包まれた小さな物が転移されて来たのだ。

 今はゲルラッハ内のあちらこちらから冬の社交界に持っていく物が館に集められている最中なので、転移陣で物が届くのはそれほど珍しいことではない。だが、その布はローゼマイン様が好んでよくお召しになる衣装の柄に似ているため、父上の部屋の転移陣に送って来られる物としては少々異質で何となく目についた。

「確かに受け取った。すぐに転移陣を片付けよ」

 父上はオルドナンツを飛ばし、片手で持てる程度の小さな包みを握って、フッと嬉しそうな、満足そうな笑みを浮かべる。それはゲオルギーネ様がお戻りになると聞いた時の笑みによく似ているように見えた。
 そして、その小さな包みをすぐに別の転移陣でどこかに送り、「受け取り次第、転移陣を燃やせ」とまたオルドナンツを飛ばす。

「ベティーナです。確かに受け取りました、ギーベ・ゲルラッハ」

 オルドナンツの返事が届くや否や、父上は転移陣を両方ともすぐさま燃やしてしまった。転移陣を作るには色々な素材が必要だ。「燃やすなんて勿体ないことを……」と思わず呟いた私を見て、父上は呆れたように息を吐いた。

「用が済んだ物は片付ける。余計な物を残していてはならないのだ、マティアス。……あぁ、あれももう必要ないな」

 そう言って父上は机の引き出しから魔石を取り出して、魔力を加えて粉々に潰した。従属の指輪と対になっている魔石だ。おそらく、今どこかで父上の兵士が消えた。



「小さな包みはベティーナに送っていたようだ。ラウレンツは何か知らないか? フロイデンは君の兄上だろう?」
「結婚して家が分かれているのに知らないよ。……でも、ベティーナは実家に冬支度の品を送るために準備しているとは聞いた。アーレンスバッハは魔力的に相当厳しいようだ」
「ならば、あの小さな包みもアーレンスバッハへ向かったのかもしれないな。父上が何を企んでいるのか正確にはわからないけれど、成功しているかもしれない。用心深くて幾重にも保険をかける人だから」

 ゲオルギーネ様をアウブにしたいという父上の企みがどの程度進んでいるのかもわからない。ただ、私が貴族院へ出発する前は上機嫌だったので、順調に計画は進んでいるのだろうと思う。

「マティアスはどうするつもりだ? ゲオルギーネ様に捧げるのか?」
「……今は待つしかないと思っている。どちらに名を捧げるにしても情報が足りなすぎるし、状況がどのように変わるかわからない」

 父上は間違いなくジルヴェスター様の排除を企んでいる。すぐにでもゲオルギーネ様が戻って来られるようにアウブの座を空けるつもりだ。私はゲオルギーネ様に名捧げをしていないので詳しく知ることができなかったが、兄上達は父上の部屋に呼ばれて何やら話し合っていた。

「ローゼマイン様やアウブにお知らせしないのか?」
「正直なところ、非常に迷っている」

 アウブの暗殺だけをしてエーレンフェストを混乱に陥れることが目的ならば、私は領主一族に名捧げをしてでも全力でゲオルギーネ様に抗っただろう。けれど、ゲオルギーネ様は礎の魔術を手に入れる術を得ているらしい。それならば、新しいアウブが誕生し、ゲオルギーネ様の寵臣とも言える父上と私達一族が主流に返り咲くだけの話になる。

 ヴェローニカ様を切り捨てて主流が入れ替わったのと同じようにジルヴェスター様を切り捨てて再び主流が入れ替わるだけならば、領主一族に名捧げをして、家族を切り捨てて裏切り者になることに何の意味があるのかわからない。

「状況がどのように転ぶのか全く読めない状態で完全に家族を切り捨てる決意がラウレンツにはできるか? 私の家族だけではない。君の家族も巻き込まれるぞ」
「私は今の貴族院の雰囲気も、ヴィルフリート様とローゼマイン様を中心にまとまりつつあるエーレンフェストも気に入っている。少なくとも、他領の第一夫人であるゲオルギーネ様よりは」

 ラウレンツの言葉に、私は領主一族の姿を思い浮かべた。ゲオルギーネ様のお子様はディートリンデ様以外すでにご結婚されている。アウブ・エーレンフェストとなられたゲオルギーネ様がご自分の孫と養子縁組をして後継ぎを得ることを考えているにしても、ヴィルフリート様、シャルロッテ様、メルヒオール様は他領との繋がりを作るためや地盤作りのために使われるだろう。少なくとも命の心配はない。

 ……ただ、ローゼマイン様は。

 私はローゼマイン様の姿を思い浮かべる。夜空の色の髪に真っ直ぐにこちらを見てくる金色の瞳。幼いながらも美しいだけではなく、二年連続で最優秀をとる聡明さと魔力量を誇っている。数々の流行を作り出し、次代の育成に力を入れ、敵味方関係なく公正に評価してくださるところは領主一族の鑑だと思っている。ローデリヒは旧ヴェローニカ派だが、大事にされていると嬉しそうに笑っていた。

「ローゼマイン様を父上は平民上がりの青色巫女見習いだと言っている。ゲオルギーネ様がアウブ・エーレンフェストとなった後、ローゼマイン様の扱いが良い物になるとは思えない。それだけは心配だ」
「今のアウブに名を捧げて家族を切り捨てても、ゲオルギーネ様をアウブとして戴いても、後味の悪い結果になりそうだな」

 深緑の髪を掻きながら静かに漏らしたラウレンツの言葉に私は深く頷いた。両親ともにゲオルギーネ様に名捧げをしているという意味で私とラウレンツの状況はとてもよく似ている。領主一族とゲオルギーネ様のどちらに名捧げするにせよ、私達が動けば旧ヴェローニカ派の子供達に大きな影響を与えることになるのだ。同時に、エーレンフェスト全体のあり方に大きく関わってしまうだろう。

「ゲオルギーネ様や父上がどのように出るのかわかるまでは少しでも時間を稼ぎたいものだ」

 結局、状況が決まるのを待つしかないという結論に二人で頷き合った時には寮に到着していた。



 今日は領主候補生のヴィルフリート様とローゼマイン様が到着する予定だ。部屋の準備が整うまで、領主候補生は多目的ホールで過ごすので、出迎えのために私達も多目的ホールへ向かう。
 実家にいても派閥の変化を意識していなければならない私達にとって、派閥の垣根を取り払ってくれたローゼマイン様がいらっしゃる貴族院はとても居心地が良いのだ。

「ヴィルフリート様が到着いたしました」

 先触れの声に目を瞬いた。本来の順番から考えればローゼマイン様が先に到着されるはずだ。

 ……また体調を崩されたのだろうか?

 不思議に思ったのは私だけではなかったようで、何があったのか、と皆が視線を交わしあう。一人がヴィルフリート様に尋ねた。

「ヴィルフリート様、ローゼマイン様はどうなさったのですか? 体調でも崩されましたか?」
「いや、ローゼマインはこの後で来ることになっている。別の場所で準備されていた本の最後の確認をするため、私が先に出発することになったのだ。貴族院に持ち込む本に関してはローゼマインが管理することになっている。文官が準備してくれていたのだから問題はないはずだが、念には念を入れなければならぬ状況だからな」

 軽く息を吐いてそう言いながらヴィルフリート様がぐるりと多目的ホール内を見回す。笑っているけれど、その目には警戒心が見えた。これまでの貴族院ではほとんど見られなかった、まるでローゼマイン様がユレーヴェに浸かって眠っていた時に旧ヴェローニカ派の子供達を見ていたような目になっている。

 ……まずい状況になっているようだ。

 私はゴクリと唾を呑み込んだ。父上が何を画策していたのか、正確には知らない。けれど、水面下で動いているのではなく、領主一族の周囲で何やら起こっていたらしい。そして、その原因が旧ヴェローニカ派の親達によるものだと知られているのだろう。

 ……ジルヴェスター様に何かあったのだろうか?

 あの用心深い父上がそう簡単に証拠を残すとは思えない。けれど、ヴィルフリート様の目にある警戒心は明らかにこちらに向けられている。

「マティアス、迷っている時間はなさそうだぞ」

 隣に座るラウレンツがほとんど口元さえ動かさずに小声で呟く。領主候補生を歓迎する笑みを浮かべているが、内心は私と同じような焦りを感じているのが伝わってきた。私は小さく頷くことでラウレンツに応える。

「ローゼマイン様が到着されました」

 ヴィルフリート様のお言葉通り、すぐにローゼマイン様も到着したようだ。私達は期待を込めてローゼマイン様がやって来るのを待った。旧ヴェローニカ派が肩身の狭い思いをしていた時に派閥にこだわることから他領との競争へ皆の目を向けさせ、寮内をまとめてくれたローゼマイン様ならば、また何とかしてくれると思ったのだ。

 だが、ローゼマイン様を取り巻く側近達の目がヴィルフリート様と同じように警戒心に満ちたものになっていた。ローゼマイン様の護衛騎士達のピリピリとした緊張感は、始まりの宴でも感じたものと同じだ。あの時は旧ヴェローニカ派の中心である父上の側にいるせいかと思っていたが、貴族院でもこれだけ緊張しているのはおかしい。
 何よりローゼマイン様は以前と違って周囲の警戒を止めるのではなく、気遣うような表情でこちらを見ただけだった。

 ……ジルヴェスター様ではなく、ローゼマイン様に何かあったのか?

 父上が画策した何かの証拠がつかまれていて連座ということになれば、私はもちろん、旧ヴェローニカ派の子供達も何人が助かるかわからない。領主一族の中で最も私達を公正に評価してくださるローゼマイン様がいれば、連座を免れた子供達を保護してくれるのではないか、と漠然と考えていた。けれど、ローゼマイン様が意見を翻し、私達に背を向ければ、生き残ったとしても旧ヴェローニカ派の子供達の行く先は非常に暗いものになる。

 ……どうすれば良い?

 私は膝の上でグッと拳を握った。仮に、領主一族に何がしかの証拠をつかまれているならば、悠長に情勢を見ている場合ではない。貴族院へ向かう私達をアウブがそのまま見送った以上、今年の貴族院が終わるまでの生活は保障されているはずだが、その後はわからないのだ。

 自分の決断に旧ヴェローニカ派の子供達がかかっている。私は思わずラウレンツを見た。同じようにラウレンツの顔色も悪い。知らぬうちに決断の時は迫っていたらしい。

「自分が生きるためにあがいても良いと思うか、ラウレンツ?」
「奇遇だな。私もそう言おうと思っていた」

 何か話を切り出されてから決断するよりも、こちらから話を持ち掛けて行った方が心証は良いだろう。父上が何を画策していたのか知らないけれど、こちらには「ゲオルギーネ様が礎の魔術を手に入れるための何かを知ったらしい」という情報がある。これで旧ヴェローニカ派の子供達の命を買うことはできるだろうか。

 ……いや、何とか交渉して勝ち取るのだ。

「ヴィルフリート様、ローゼマイン様」

 私は拳に力を入れたまま、ゆっくりと立ち上がる。立ち上がっただけでも空気が痛いほどに緊張したことを察して、私はそのまま跪くと胸の前で手を交差させた。

「こうして親や派閥に関係なくお話しできる機会が訪れるのを心待ちにしていました。エーレンフェストに不和をもたらす混沌の女神について大事なお話がございます」

 ヴィルフリート様とローゼマイン様が大きく目を見開いて私を見た。やはり、父上やゲオルギーネ様が何かしたようだ。

「信じるかどうかはお任せいたします。ただ、私は自分の知ることを伝えたいのです。我々は旧ヴェローニカ派の親を持っていても、エーレンフェストの貴族。アウブ・エーレンフェストに忠誠を誓っているつもりです」

 不安と驚きが浮かんでいたローゼマイン様の金色の瞳が一度伏せられ、ゆっくりと開かれる。それだけで静かに凪いだ目になっていた。

「お話を伺いましょう、マティアス」

 私はコクリと息を呑む。そして、自分の背後にいる旧ヴェローニカ派の子供達を一度見た。

「その前に一つだけお伺いしたく存じます。私は忠誠を誓っているつもりですが、アウブ・エーレンフェストは私達をエーレンフェスト貴族として扱ってくださいますか?」
「どういう意味だ?」

 旧ヴェローニカ派の子供であってもローゼマイン様の側近となったローデリヒと同じように扱われるのか、私はじっとヴィルフリート様とローゼマイン様のお二人を見つめながら問いかける。

「……領主一族に名捧げをすれば親の影響下から抜け出せるというお言葉に変わりはないのでしょうか?」
「変わりはない。名捧げをした者は例え旧ヴェローニカ派の子供であっても側近として遇される。少なくともアウブも私もそうするつもりだ」

 ヴィルフリート様がはっきりとした口調でそう言い、ローゼマイン様も頷いた。

「わたくし達領主候補生ではなくアウブ夫妻に名捧げをするのでしたら、領地対抗戦までに名捧げの石を準備できれば受けてくださると思いますよ」
「……私がローゼマイン様に捧げたいと申し上げても?」

 その言葉に反応したのは、むしろ、領主候補生でもなく、側近でもない周囲の者だった。ざわりとざわめきが起こる中、ローゼマイン様は軽く手を上げて側近達を制しながら一歩前に出た。

「もちろん、ギーベ・ゲルラッハの息子であるマティアスを受け入れる覚悟はできています」

 そう言ったローゼマイン様の目はローデリヒの名捧げに戸惑っていた時のものとは全く違った。強い光を宿す金色の瞳は真っ直ぐに私を見ている。その隣に立つローデリヒは誇らしそうに笑って自分の主を見ている。その様子に私の決意は間違っていないと確信を得た。

 私は一度目を伏せてゆっくりと息を吐く。
 家族の顔が次々に浮かんだ。兄達が誇らしげに名捧げをする姿、父上の感極まった姿、母上の幸せそうな笑顔。私の家族の幸福はゲオルギーネ様と共にあった。家族と同じようにゲオルギーネ様に心酔できていれば、それはそれで幸せだったのかもしれない。だが、私が仕えたいと思うのはゲオルギーネ様ではなく、ローゼマイン様だ。

 ……申し訳ございません、父上。私は貴方と道を違えます。

 クッと顔を上げて、多目的ホール全体を見回す。たくさんの視線が自分に向いているのがわかる。

「ゲオルギーネ様がエーレンフェストへいらっしゃった帰り道、我が家に立ち寄られました」

 旧ヴェローニカ派の子供達に自分の立場の危うさを知らせるため、そして、領主候補生の二人の到着を待ちわびていたのだと印象付けるため、私は時を置かず、場所を動かず、その場で自分の知ることを話し始めた。

ギーベ・ゲルラッハの息子マティアス視点でした。
大きな選択を迫られました。
旧ヴェローニカ派の子供達の中心にいるのはマティアスとラウレンツです。
二人が名捧げをし、ローデリヒが言葉を重ねることで旧ヴェローニカ派の子供達は命を長らえることができました。

次は、閑話ヴィルマ視点です。
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