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本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~ 作者:香月 美夜

第四部 貴族院の自称図書委員

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別離

 神官長の工房の入室制限を解除したことで、他の人も入れるようになった。他の人が入れるようになれば、背が低くて力がないわたしはすぐさまお払い箱である。エックハルト兄様が嬉々として工房へ入り、神官長を手伝っているのを見て軽く肩を竦めた。

 神官長がアーレンスバッハへ持っていく物とわたしの工房に運び込む物と館に持ち帰る物に分けられた荷物が運ばれていく。これまでにも多少の片付けはしていたが、まだまだ持ち出さなければならない物は多い。

「館の片付けもある。ここの片付けは今日中に終わらせてほしい」

 神官長の言葉を聞いた側仕え達が大きく目を見開いた。神官長の生活を整える通常業務もあるのに、神官長の雑多な工房から全ての物を出して片付けるのは大変だ。

「神官長の側仕えだけでは大変ですよ。どう考えても時間が足りません。孤児院から灰色神官達を応援に呼びましょう」
「側仕えではない者を呼んでどうする?」
「別に手伝ってもらったからといって、側仕えに取り立てる必要はありません。相応の報酬を渡せばよいのです。モニカ、孤児院へ行って、力仕事が得意な灰色神官を十人ほど呼んで来てください」
「かしこまりました」

 モニカがくるりと身を翻して孤児院の方へ歩き出す。わたしは困惑している神官長を見上げて肩を竦めた。

「馴染みがない者に触れられたくはない物の片付けにはエックハルト兄様や側仕えにしてもらい、応援の灰色神官達にはできあがった荷物を運ぶ仕事をしてもらえばいかがです?」
「……君は他人に仕事を振り分けるのが本当に上手いな」
「わたくしは他人に頼まなければ自分では何もできませんからね。できる人にずっと任せてきました。神官長は何でも自分でやってしまいますけれど、もっと味方を作って任せることを覚えた方が良いと思いますよ」

 そう言いながら、わたしは神官長にも簡単にできる味方の作り方を考えてみる。身を守る術には長けていても、神官長は警戒心が強すぎて積極的に味方を作らない。今いる者だけで何とかしようとするのだ。しかし、周囲に味方らしい味方がライムント以外にいないアーレンスバッハへ行って、エックハルト兄様とユストクス以外に信用できないのでは困る。

「フェルディナンド様、せっかく貴族が多く集まっている冬にアーレンスバッハへ向かうのですから、歓迎の御礼というふうに理由を付けてフェシュピールを弾いて女性貴族を味方につけるのはいかがでしょう? 手軽で簡単です。新しい曲があれば興味を持ってくれる方は絶対にいると思います。せっかくの腕前と声と顔は有効利用しましょう」

 エーレンフェストでもフェシュピールの演奏で神官長にときめいた貴族女性が多かったのだから、アーレンスバッハでもやってみる価値はあると思う。

「あ、それから、お菓子を準備しています。レティーツィア様の教育を任されるのですから、何かが達成できたらご褒美にお菓子をあげるのです。叱ってばかりでは育ちません。褒めることを忘れずに。それから、レティーツィア様の側近と教育の仕方についてはよく話し合ってくださいませ。自分の計画だけで動いてはダメですよ。後は……」
「もう良い。君は君のやるべきことをしなさい」

 わたしが思いつく限りの注意をしていると、神官長が溜息を吐きながら手を振った。しかし、やるべきことと言われても困る。
 神官長に持たせたい色々な物に関する手配は終わったのだ。後は集まってくるのを待つだけだ。料理はどんどん仕上がっているし、オトマール商会から届けられたのをユストクスが確認しながら詰めている。レティーツィアに贈るための髪飾りはギルを通して購入したし、教材はフリッツが詰めてくれた。ロジーナはすでに主旋律の楽譜を書き終え、ギリギリまで編曲したいとフェシュピールを抱えて奮闘している。

「神官長、わたくしのやるべきことは何でしょう? わたくしが神殿に戻って来たのは神官長のお手伝いのためですよね?」
「フラン達と共に図書室へ行き、私が持ちこんだ本を回収してきてくれ」
「本を、回収ですか……」

 神官長の個人的な本なのだから、神官長が神殿を去るならば持って帰るのは当たり前だが、神殿図書室から本が減るのはとても悲しい。わたしは自分の側仕えを連れてとぼとぼと図書室へ向かった。

 暖炉のない図書室はキンと冷えた空気でいっぱいだ。わたしは小さく身震いすると、「これと、これと、それと……」と言いながら神官長が持ち込んだ本を指差して、フランに鍵を外すように指示を出した。

 書見台と本を繋いでいた太い鎖がジャラリと音を立てて外され、書見台の上から本が一つ、また一つ取り去られていく。寂しい気持ちでわたしはザームとフランが持ち上げた本を見つめる。

 ……あ、あの本……。

 この神殿図書室はわたしが初めて入った図書室で、ここに置かれていた本はわたしが自由に読むことを許された最初の本だ。神殿に青色巫女見習いとして入った初めの日に読んだ本も神官長の本だった。

「どうかされましたか、ローゼマイン様?」
「……フランが手にしている本はわたくしが初めてここで読んだ本だったな、と思い出していました」

 フランは本を見下ろし、何かを思い出したように小さく笑った。

「ギルを軽く威圧しながら昼食よりも読書を優先したローゼマイン様の姿を私も覚えています。昼食を抜いたせいで、その後、倒れたでしょう?」

 フランがそう言うと、ザームもクスリと笑ってわたしを見た。

「あぁ、ギルベルタ商会が寄付金を持って来た時ですね。神官長がひどく驚いていらっしゃいましたよ。ローゼマイン様が回復して神殿に来られるまで毎日フランに確認していらっしゃいましたから」
「……フランもザームもそういうことは綺麗に忘れると良いですよ」

 フランとザームはポツポツと神官長にまつわる思い出話をしながら大事に一冊ずつ布で包んで運んでいく。その思い出話の大半がわたしの言動に頭を抱える神官長だった。

「ローゼマイン様はモニカと共にこちらでお待ちくださいませ。神官長に届けて参ります」

 フランとザームは何冊も一度に抱えて運ぶのではなく、数回の往復をしながら一冊ずつ丁寧に運ぶらしい。神官長には側仕えと一緒に本を回収しろと言われたけれど、神官長が持ち込んだ本は分厚くて重い物ばかりだ。わたしに持てる本はない。
 わたしは二人の背中を見送った後、本が減ってガランとした図書室をぐるりと見回した。

「……この本棚にはメスティオノーラが彫り込まれているのですね」

 神殿長の鍵がなければ開けられない扉付きの本棚は周囲の本棚に比べて彫刻も凝っていた。こんな彫刻があったのか、とわたしはまじまじと本棚を見つめる。

「わたくし、もう何年もここに入って本棚を見ているはずなのに、本しか見ていなかったようで気付きませんでした」
「ローゼマイン様らしいですね。先程のフランとザームの話も興味深かったです。孤児院が救われる前のことはほとんど存じませんから」

 クスクスとモニカが笑ってそう言った。

「本棚の彫刻にも気付かなかったローゼマイン様はご存じないでしょうけれど、実は神殿のあちらこちらにこのような彫刻はあるのですよ」

 モニカはとっくに本棚の彫刻に気付いていたらしい。実は神殿の色々なところに色々な神様が隠れているそうだ。初めて知った。清めで磨いていないと気付かないらしい。

「ローゼマイン様、お待たせいたしました。神官長が着替えて移動できるように騎獣を準備してほしいそうです」

 フランとザームによって本が運び終わったので、図書室を出てわたしは神殿長室に戻り、服を着替えた。着替え終えると護衛をしていたアンゲリカがわたしのところへやってくる。

「ローゼマイン様はフェルディナンド様のところに荷物を送った後、城へ戻るのでしょう? 今日はわたくしが神殿に残りますから、ダームエルを帰してください」
「わかりました。では、ダームエルは明日お休みしても良いですよ。冬の社交界の準備もあるでしょう?」
「恐れ入ります」

 毎日神殿の護衛では冬の社交界に必要な準備もできない。今日はダームエルを帰らせて、アンゲリカに残ってもらうことで決まった。

「そういえば、アンゲリカは準備が終わっているのですか?」
「優秀な妹がいるので、準備に抜かりはありません」
「リーゼレータに全て任せず、アンゲリカも自分でできるようになった方が良いですよ」
「実はわたくしもそう思っています」

 恥ずかしそうにアンゲリカが頬に手を当てて微笑んだ。やらなきゃいけないことはわかっていても、やる気がない時の返事である。この返事の時は改善されることはないと思っておいて間違いない。

「アンゲリカ、そのようではリーゼレータがお嫁に行ってしまうと困りますよ」
「つまり、あと二年くらいは大丈夫ということですね」
「そういう意味ではありません」

 アンゲリカの意識改革は早々に諦めて、わたしは正面玄関前に大きなレッサーバスを出しに行く。荷物をたくさん載せることを考えて出したので、レッサーバスではなく、もはや、レッサートラックである。みょんと出入り口を開けば、灰色神官達が次々と荷物を積み込み始めた。

「神官長、騎獣を出しました」
「ならば、君は暖炉の前にいなさい。多少健康になっているとはいえ、この寒さだ。体調を崩すぞ」

 神官長に注意されて、わたしは暖炉の前に準備された椅子に座って、皆の働きぶりを眺めていた。たくさんの灰色神官達が出入りするおかげで荷物の運び出しもスムーズだ。ユストクスが指示を出し、時を止める魔術具が数人がかりで運ばれていくのも見える。

 昼食を挟んで少し休息をとった後、また作業は再開される。神官長の工房は完全に空っぽになり、衣類の入っていたクローゼットも青色神官の衣装を除いて運び出されていた。
 空になった工房の扉を閉め、神官長が扉に手を当てて、魔力を通す。魔石が色を失い、神官長の工房は完全に消滅した。

「これで私の魔力は解除した。後はハルトムートが好きに使うと良い」
「恐れ入ります」

 ハルトムートが礼を述べ、自分の魔力を登録し、ハルトムート自身の隠し部屋を作っていく。

「私はこれから館に戻ってそちらの片付けと荷物の準備を行い、アーレンスバッハへ出発することになる。もう神殿へ来ることはないだろう。この神官服は清めて貸し出し用の衣装と共に置いておくように」
「かしこまりました」

 神官長は青の衣装を脱いで側仕えに渡す。これから先、見慣れたあの青の神官服を神官長が着ることはないのだ。それがわたしにはとても不思議に思える。神官長は神官服を脱ぐと、貴族用の上着を羽織り、青のマントをつけた。

「ローゼマイン、ぼんやりするな。私の館へ荷物を運ばなければならぬ。移動するぞ」
「は、はい!」

 わたしは神官長と一緒にレッサーバスのある正面玄関へ向かう。今日の見送りは神官長の側仕えが全員揃っていた。側近達が神殿を出て騎獣を出し始める中、神官長の側仕えはずらりと並んだ。

「神官長の向かう先に神々の御加護がありますように、高く亭亭たる大空を司る、最高神 広く浩浩たる大地を司る、五柱の大神 水の女神 フリュートレーネ 火の神 ライデンシャフト 風の女神 シュツェーリア 土の女神 ゲドゥルリーヒ 命の神 エーヴィリーベに祈りと感謝を捧げましょう」

 ザッと一斉に側仕え達が神に祈りを捧げる。そして、その後、跪くと、両手を胸の前で交差し、首を垂れた。神官長は自分の側仕え達を何とも複雑な表情で見下ろし、わずかに唇の端を上げた。

「……私によく仕えてくれた其方等へ最後の命令だ。これからはハルトムートを主としてよく仕え、神殿長であるローゼマインを支えるように」
「仰せの通りにいたします」

 一つ頷いて側仕えへの挨拶を終えた神官長は、わたしの見送りに出ているフランとザームに向き直った。二人ともわたしのために異動した神官長の元側仕えだ。忠誠心が厚く、有能だったからこそわたしに付けられたと聞いている。

「フラン、ザーム。ローゼマインを頼む」
「心得ています。神官長はどうぞご自愛ください」
「神官長にお仕えできたことは私の誇りでございます」
「……そうか」

 二人の言葉にフッと少しだけ嬉しそうに顔を綻ばせた神官長がバサリと青いマントを翻して神殿を出る。そして、騎獣に乗るとずらりと並ぶ側仕え達を一度見て、バッと空へ駆け出した。わたしはレッサーバスのハンドルを握って、先を行く青いマントを追いかける。

 ……これで神官長は神官長じゃなくなっちゃったんだね。



 神官長の館に到着すると、今度はレッサーバスから荷物がどんどんと運び出されていく。アーレンスバッハへ持っていく物とこの館に置いておく物が分けられてそれぞれの部屋に運ばれていた。

 荷物運びには役に立たないわたしは護衛にユーディットを付けられ、おとなしくお茶を飲んで待っているしかできない。本当は図書室に入りたかったけれど、図書室にも持ち込む荷物があるので邪魔だと言われてしまったのである。

 ……皆が動き回っている中で一人だけお茶を飲んでいるのがちょっと居たたまれないんだけどな。

 青いマントを羽織ったままで指示を出している神官長を見ていたわたしは、あれ? と首を傾げた。

「フェルディナンド様、そういえばマントはどうするのですか? さすがにアーレンスバッハへ向かうのにダンケルフェルガーの色をまとうのはまずいですよね? エーレンフェストの色をまとうのですか?」
「……忘れていたな」

 神官長はむむっと眉間に皺を刻み込み、トントンと軽くこめかみを叩く。エーレンフェストの新しいマントは守りの魔法陣がないと言っていたはずだ。アーレンスバッハへつけていくにはとても心許ないと思う。

「ローゼマイン、工房でインクを作れ」
「え?」
「刺繍をするような時間はない。描くしかなかろう」

 確かに出発を数日後に控えて、複雑な魔法陣を刺繍するのは難しいと思う。例の消えるインクならば描いても消えるのでどのような守りを付けているのかもわかりにくくて良いと思う。

「どうしてわたくしのインクなのですか?」
「自分の物を使うと光るではないか。それに、君は暇だろう? ダームエル、其方がローゼマインに付け。インクを作らせる」

 教師役ができるダームエルとユーディットが護衛を交代し、わたしは神官長の館の工房へ放り込まれた。

「どうせやることがなかったので構わないのですけれど、ただね、不思議なのですよ。他人のインクで魔法陣を描いてもお守りになるのでしょうか?」

 マントの刺繍は親子や夫婦でなければできなかったはずだ。インクで描くのだから良いというものではないだろう。

「効力は弱くなりますが、他人の魔力の魔法陣でも全く効果がないわけではありません。自分に近い魔力の方がぐっと効力が強くなるだけです」
「そう言われてみれば、フェルディナンド様のマントも他の方の物ですから、確かに他人の物でも全く効果がないわけではないのですね」
「それに、フェルディナンド様がエーレンフェストの色をまとうのは星結びまでのことです。その後はアーレンスバッハの色をまとうので、簡易な物でも良いと考えられたのではありませんか?」

 ダームエルの説明を聞きながら、わたしはインクを作るのに必要な物を準備していく。神官長はどの工房も同じ配置で素材を置くので非常にわかりやすい。性格が出ているな、と思う。

「それにしても、フェルディナンド様がご結婚ですよ。私はいつになれば結婚できるでしょう?」

 ぐるぐると混ぜている間、わたしはダームエルの嘆きを聞く。ずっと独身だと思っていた神官長が結婚するのが結構ショックだったらしい。

「わたくしの魔力圧縮を覚えて、魔力の釣り合いが取れる下級貴族のお嬢さんがいればダームエルも結婚できるのではありませんか? 魔力圧縮を教える条件に合致する時点で派閥には問題ないだろうし、魔力と階級が釣り合えばきっとお母様が紹介してくれると思います。ただ、お母様の紹介ならば、ダームエルはお断りできないでしょうけれど、その辺りは良いのですか?」
「……自力では諦めていますから」

 入れていく物を次々と差し出しながらダームエルが肩を落とした。何とかしてあげたいけれど、わたしではどうにもならない。わたしにどうにかできる範囲にいるのはフィリーネくらいだ。

「フィリーネの将来を予約すればいかが? わたくしの側近同士ですから派閥の問題はありませんし、魔力圧縮も頑張っているでしょう? 下級貴族同士ですから階級にも問題ないと思いますけれど」

 わたしの提案にダームエルは困った顔で「止めてあげてください」と首を振った。

「……おそらくフィリーネはローデリヒに好意を抱いていますよ」
「え? そうなのですか!?」
「以前にローデリヒから手紙をもらっていたこともございますし、ローデリヒが側近になってからはずいぶんと親身になっています。先日、想い人の眼中に入らないという恋愛相談も受けたので、おそらく相手はローデリヒではないか、と」

 ……ダームエルに恋愛相談? フィリーネ、どう考えても相談相手を間違ってるよね?

「でしたら、ダームエルの結婚相手に推薦するのは止めておいた方が良いかもしれませんね」

 そう言いながら、わたしは最後の粉を振りかける。カッと表面が光ってインクが完成した。

「フェルディナンド様、完成しました!」

 わたしができあがったインクを持って行くと、神官長は大きなテーブルの上にエーレンフェストのマントを広げ、手早く魔法陣を描き始める。少々にじんでも大丈夫なように大きめに描いているらしいけれど、早くて手の動きに全く迷いがない。

「……ふむ。星結びの儀式が終わるまでの短い期間だからな。これで十分であろう」

 複雑な魔法陣を描き終わった神官長が満足そうに頷いて、ペンを置き、インク壺の蓋を閉める。
 星結びが終わると、アーレンスバッハの新しいマントが与えられるらしい。本来は婚約期間中に花嫁が刺繍してくれるそうだ。ディートリンデに神官長の望む基準を満たす刺繍ができるのか、わたしはとても心配になった。同時に、ちょっとホッとする。

 ……神官長の花嫁がわたしじゃなくてよかった。インクで描くくらいならまだしも、あんな刺繍、無理、無理。

「フェルディナンド様、そのマントはきちんとハイスヒッツェさんにお返ししてくださいね」

 ディッター勝負の戦利品として指定するような大事なマントだ。使わないならば返してあげた方が良いと思う。

「……アーレンスバッハの状況がわからぬのに、他人の大事な物まであちらに持っては行けぬ。当日、君から私が受け取って返すか、貴族院でダンケルフェルガーの領主候補生を通じてハイスヒッツェに返しておくか、どちらかが確実であろう」
「わかりました。わたくしが領地対抗戦に持って行きます。本人の手でお返しした方が良いですから」
「では、頼む」

 神官長はマントをユストクスに外させる。ユストクスは青のマントにヴァッシェンをかけて洗浄すると、綺麗に畳んでフィリーネに渡した。

「フィリーネ、貴族院に向かう時の荷物に青いマントを入れておいてほしい、とリヒャルダに頼んでくださいね」
「わかりました」

 荷物を全て降ろし、マントを預かって、わたしは城へ戻る。それから、神官長は出発までの間を忙しく過ごしていたようで、顔を合わせることなく数日が過ぎた。
 わたしは出発当日のために体調を崩さないように注意しつつ、ヴィルフリートやシャルロッテ、メルヒオールと共に養母様の執務室へ行って、旧ヴェローニカ派の子供達について話をしたり、孤児院に必要な予算を計算したり、エックハルト兄様やユストクスに渡すお守りを作ったり、貴族院へ向かう準備をしたりしながら過ごしていた。



「ローゼマイン、今日は叔父上が出発する日だぞ。体調は大丈夫か?」
「大丈夫です、ヴィルフリート兄様。フェルディナンド様の荷物を運ぶという重要な任務があるのですから少々体調が悪くても向かいますよ」

 神官長を送っていく人員は領主夫妻とヴィルフリートとわたし、そして、側近達。それから、騎士団の面々だ。シャルロッテとメルヒオールはおじい様と共にお留守番である。

 神官長の館から荷物を載せた馬車が二台やってきた。そして、城で保管されていた贈り物の中からリヒャルダとお母様が選んだ贈り物が運ばれて来る。おおよそ馬車三台分の荷物だ。アーレンスバッハには予め荷物の量を連絡しているようで、馬車が三台以上で出迎えに来てくれることになっているらしい。

 次々と荷物が載せられていく間にわたしはエックハルト兄様とユストクスに一生懸命に作ったお守りを渡す。

「フェルディナンド様を守る二人が一番危険な位置にいるでしょうから、こちらのお守りをお持ちくださいませ」
「恐れ入ります、姫様」
「エックハルト兄様、絶対にフェルディナンド様を守ってくださいませ」
「あぁ、必ず」

 二人が約束してくれても不安が消えないわたしの肩をアンゲリカが安心させるように軽く叩いた。

「大丈夫です、ローゼマイン様。エックハルト様はとてもお強いですから、きっとフェルディナンド様を守ってくださいます。わたくしはエックハルト様の強さと主への忠誠心を信じています」

 アンゲリカの青い瞳にはエックハルト兄様への揺るぎない信頼がある。エックハルト兄様もふっと表情を緩めてアンゲリカを見下ろした。

「私も其方の強さに対する探究心とローゼマインに対する忠誠心は本物だと思っている。ローゼマインに何かあればフェルディナンド様が悲しまれる。必ずローゼマインを守ってほしい」
「はい!」

 アンゲリカがぐっと拳を握って肘を曲げた。エックハルト兄様が同じようにして肘を曲げ、拳を軽く合わせる。兵士がお互いの健闘を祈る時の仕草と同じだった。わたしも二人の仲間に入りたくて、拳を握って肘を曲げた。

「エックハルト兄様、わたくしも! わたくしもエーレンフェストで頑張ります」
「あぁ、時折フェルディナンド様に料理を送ってくれると非常に助かる」

 せっかく肘を曲げて主張したのに、頭を軽く撫でられて終わってしまった。違う。一緒に健闘を祈り合いたかったのだ。

「何をしているのだ、君は?」
「フェルディナンド様……。エックハルト兄様とアンゲリカがお互いの健闘を祈り合っているので、仲間に入りたかったのにさらりと流されてしまったのです」

 肘を曲げてゴツンというのをしたかったのに、と神官長に訴えていると、エックハルト兄様が嫌な顔をする。

「健闘を祈りたいとは言っても、其方に守る主はないではないか」

 あれは騎士が己の矜持をかけて行うやり取りで、領主候補生であるわたしが行うことではない、と言われてしまった。兵士の健闘を祈るのとは少し意味が違うようだ。お断りされてしまったわたしがむぅっと唇を尖らせていると、神官長が呆れたように溜息を吐いた。

「ならば、君は私と約束しなさい」
「……何の約束ですか?」

 もしや、何か無理難題を言い出すのだろうか。わたしが思わず身構えると、神官長はわたしと視線を合わせるようにその場に膝をついた。薄い金色の瞳が真剣に真っ直ぐにわたしを見る。神官長の突然の行動に驚くわたしに構わず、神官長は口を開いた。

「私はアーレンスバッハへ行って、あの地からエーレンフェストを守る。だから、ローゼマイン。君にはエーレンフェストの聖女としてここを守ってほしい。たとえ、中央や他領の甘言があっても乗せられず、余所見をせずに、エーレンフェストを守ると約束してくれ」

 予想外の真剣な言葉にわたしがゴクリと唾を呑む。周囲がシンと静まって視線が集まって来た。視線が痛くて、空気が重い。それを気にもかけていないように神官長が少しだけ唇の端を上げる。

「……だが、口でいくら約束したところで、君は基本的に考え無しなので本や図書館を餌にされたらすぐに飛びつくだろう。私との約束など忘れて飛びつく姿が目に浮かぶようだ」
「うっ……」

 何とも答えられないわたしを見て、神官長は一度目を伏せると軽く息を吐く。そして、腰につけている革袋の中から一つの鍵を取り出した。金属で作られていて黄色の魔石が付いている鍵だ。

「私はこれで君をエーレンフェストに繋いでおこうと思う」
「この鍵で?」

 目の前で揺らされた鍵をわたしはじっと見つめる。何の鍵なのかわからない。本や図書館に飛びつくわたしを抑えられるような鍵なのだろうか。
 神官長はわたしの手を取って、鍵をそっと乗せた。手に乗せられた金属の鍵はずっしりと重い。

「これは私の館の鍵だ。私の工房、素材、本、資料、魔術具、館、そこで働く者達……。私がエーレンフェストに残す全てを君に譲る」

 思わぬ言葉に目を大きく見開くわたしに神官長は真剣な目でわたしを見ながら、一言、一言が耳に残るような深い声でゆっくりと静かに語る。

「いつだったか、君は魔力を与える代償に自分の図書館が欲しいと言った。覚えているか?」
「覚えています。フェルディナンド様は魔木の研究をしたい、と……」

 エーレンフェストに魔力の余裕ができる十年以上先の話だったはずだ。わたしの魔力で変わった素材ができそうなので、研究用に魔力が欲しいと神官長は言っていた。そして、わたしは「魔力の代償に図書館をください」と答えたと思う。

「そうだ。だから、私は自分の館を君に図書館として与える。その代わり、私に与えられるはずの君の魔力はエーレンフェストを守るために使ってほしい。エーレンフェストが私のゲドゥルリーヒだ。君に守ってほしい」

 神官長がわたしの手を包み込んで鍵を握りこませ、「エンダーン」と唱えた。ずわっと魔力が鍵に吸い込まれていく。所有者の変更がされたのがわかった。

 自分の手を包み込んでいた大きな手が離れた瞬間、とても冷たい風が当たる。今まで守ってくれていた神官長がいなくなった後の自分が思い浮かんで、寒さが急に増した気がした。

「自分の図書館を守るためならば、少しは甘言に惑わされることも減るであろう?」

 フッと得意そうに笑いながら立ち上がる神官長をわたしは軽く睨んだ。相変わらず全然信用されていないのが歯痒い。父さん達もいるし、ルッツやベンノさんもいるし、フランやギルのいる神殿もあるし、製紙業や印刷工房がたくさんできつつあるエーレンフェストを守るのは領主候補生であるわたしの役目だと思っている。

「別にもらわなくても守りますよ」
「ローゼマイン、私は確実にエーレンフェストを守ってほしいのだ。報酬の前払いだと思え。それとも何か? 私の館では君の図書館には不足だと言うつもりか? 必要がないならば返してくれても一向に構わぬ」
「そんなことはありません。本がたっぷりで嬉しいです!」

 わたしは鍵を取り上げられないようにギュッと自分の胸元で握りしめる。もういっそ泣いて「行かないでください」と言ってしまいたい。「王命なんてどうでもいいよ!」と言えたらどれだけ気が楽になるだろうか。

 けれど、それは神官長が望む領主の養女の姿ではないはずだ。込み上げてくる涙をぐっと抑える。

 それでも、自分の中の感情はそう簡単には止められない。理不尽な命令に対する怒りと、相変わらず自分が信用されていない悔しさと、些細な約束を覚えてくれている嬉しさと、神官長がいなくなる寂しさと、自分の図書館という嬉しい響きが溢れんばかりの魔力と共に体の中をぐるぐると回りだす。

 ……他の人の前で泣くのがダメなら、込み上げてくる涙がそのまま魔力になってしまえばいい。

「ローゼマイン様!?」
「目が虹色ですよ!」

 側近達の焦った声が響き、神官長が「ローゼマイン、抑えなさい」と言いながらわたしに向かって手を伸ばしてくる。

「抑えません」

 右手に現れたシュタープを握り、「スティロ」と唱える。ペンの形になったシュタープを動かせば、溢れる魔力が光となって空中に魔法陣を描いていく。

「ローゼマイン、何をする気だ?」
「これは図書館のお礼です。エーレンフェストを発つフェルディナンド様に祝福を」

 家族への想いを全てぶつけるだけだったあの時の祝福とは違う。
 今のわたしは神殿長となり、正しい祝福の仕方を知った。
 貴族院へ行って自分の魔力を扱うためのシュタープを得た。
 魔法陣に関する知識を教えられた。
 わたしに全てを与えてくれた師に、最高の祝福で応えたい。

「全属性の魔法陣? この魔法陣は何だ?」

 神官長の言葉にわたしは唇の端を上げる。

「聖典の最後のページに載っている、神殿長だけが知ることのできる魔法陣です」

 貴族院で習う、自分の望みをかなえるための複雑怪奇な魔法陣ではない。聖典の最初に浮かぶ王を目指すための魔法陣でもない。神殿長となった者がただひたすらに全ての神に祈りを捧げるためだけの魔法陣だ。自分のためには使えない、誰かのために神々に祈るためのものである。
 わたしは覚えているままに手を動かして魔法陣を描いていく。

「高く亭亭たる大空を司る、最高神は闇と光の夫婦神」

 祈りの言葉と共に魔法陣が眩く金色に光り、その光の縁を闇のような黒が取り巻き始めた。周囲のどよめきが耳に入って来るけれど、わたしは構わずに祈りの言葉を紡いでいく。

「広く浩浩たる大地を司る、五柱の大神 水の女神 フリュートレーネ 火の神 ライデンシャフト 風の女神 シュツェーリア 土の女神 ゲドゥルリーヒ 命の神 エーヴィリーベよ」

 神の名を唱えるごとにシュタープから魔力が流れていき、その神々を表す記号がそれぞれの貴色で光り始める。

「我の祈りを聞き届け 御身の祝福を与え給え 御身に捧ぐは我が力 祈りと感謝を捧げて 聖なる御加護を賜わらん 穢れを清める水の力を 何者にも切れぬ火の力を 災いを寄せぬ風の力を 全てを受け入れる土の力を 決して諦めぬ命の力を 旅立つ者達へ」

 魔法陣がふわりと動き、神官長とエックハルト兄様とユストクスに祝福の光が降り注いでいく。全ての貴色が入り混じる虹色の祝福だ。

 呆然とした顔で魔法陣を見上げ、祝福を受けている神官長を見て、わたしは精一杯胸を張って笑って見せる。

「わたくしだって成長しているのです。いつまでも同じではありませんよ」

 これで少しはこれまでの献身に報いることができただろうか。
 少しは成長したと認めてもらえるだろうか。
 少しは安心してアーレンスバッハに向かってもらえるだろうか。
 じっと見上げていると、神官長がわたしを見下ろしてフッと笑った。

「君にエーレンフェストを任せる。私の代わりに守ってくれ」
「はい」



 そして、わたし達は境界門へ移動する。すでにアーレンスバッハからの迎えは着いていて、荷物を載せ替え、挨拶を交わした。
 神官長は養父様と別れの言葉を交わすと、エーレンフェストのマントを翻し、境界門の向こうへ旅立った。

 神官長に「エーレンフェストを任せる」と言ってもらえた日は少しばかり雪が散る寒い日だった。
 わたしは精一杯の笑顔で神官長を見送った後、隠し部屋に入るまで涙をこらえることができた自分を褒めてあげた。
これで第四部は終了です。
以後の予定については活動報告で。

次は、第五部 女神の化身です。
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