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本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~ 作者:香月 美夜

第四部 貴族院の自称図書委員

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出発準備

 聖典を取り戻したことで無事に秋の成人式は終わった。貴族の誰かが聖典の確認に来るのかと思っていたけれど、確認係はエグモントだったようだ。成人式でわたしが聖典をきちんと開いて使ったかどうかを尋ねる手紙がエグモント宛に実家から届いた。

「神官長、これはどうしましょう?」
「儀式に持ち込んだだけで聖典を開こうとしなかった、とエグモントの名前で返事をしておけばよかろう。冬の社交界で一体どれだけの貴族が釣れるのか楽しみだ」

 神官長がとても愉しそうに唇の端を上げて笑っていて、ハルトムートも「ローゼマイン様にとって危険な貴族は一掃しておかなければ」と一緒に頷いている。

 ……ある意味で一番危険な貴族ってハルトムートじゃないかな?

 わたしはモニカにエグモントの側仕えの振りをして返事を書いてもらった。魔術具の手紙だったようで、返事を書いて封筒に入れると白い鳥になって飛んでいく。

「冬の洗礼式が終わるとすぐに城へ移動して社交界に備えなければならないのですけれど、また貴族が忍び込んでくるのではと思うと神殿が心配ですね」

 わたし達が移動した後も冬の社交界に向けて南の方から貴族達がやってきて神殿内を通っていくのだ。何かちょっかいを出してくる者もいるかもしれない。今回は冬の社交界が始まるギリギリまでダームエルに残ってもらうことに決めた。わたし達は領主一族の会議に呼び出されたので、冬の洗礼式を終えるとすぐに城へ移動しなければならないのだ。

 今回の領主一族の会議は、ダールドルフ子爵から仕入れた情報を騎士団の上層部と共有し、冬の粛清の計画を詰めるためのものである。極秘で行われるので、同行しても良い側近は口が堅く、最も信頼できる者を文官、側仕え、護衛騎士、各一人だけと決められている。わたしが同行しているのはハルトムート、リヒャルダ、コルネリウス兄様の三人だ。

 養父様から冬の粛清に関する予定が説明され、捕らえる予定の貴族についての話がされる。これまで粛清の計画について聞かされていなかったヴィルフリートとシャルロッテとメルヒオールは驚きに顔色を変えたし、その側近達も気を引き締めているのがわかった。その中で旧ヴェローニカ派の名捧げについても述べられる。

「父上、名捧げをしている貴族の扱いはどうなさるおつもりですか?」

 ヴィルフリートが緊張した面持ちで尋ねた。これまで取り込みができなかった旧ヴェローニカ派を思えば、名捧げをした貴族の数がエーレンフェストの常識では考えられないほど多いことはすぐにわかる。

「先代領主の第一夫人であるヴェローニカに名を捧げた者は不正に関わっていない限り、特に処分はしない」

 ヴェローニカが白の塔にいる限りは新たな命令を下すことはできないので、名捧げをしていない他の貴族達とさほど変わらないと養父様は判断したようだ。

「あの、ヴェローニカ様に名を返してもらうことはできないのですか?」

 神官長は神殿に入る時、エックハルト兄様達に名を返そうとしたと聞いたことがある。ヴェローニカから名を返してもらえば良いのではないだろうか。けれど、わたしの質問に頭を振ったのは神官長だった。

「ローゼマイン、名を捧げられた己だけの臣下を彼女がそう易々と手放すと思うか? 名を返してほしいと持ちかけて、妙な命令や取引を口にされる方が面倒ではないか」
「それに、そのような大事な物が保管されているのはおそらく隠し部屋だ。母上がはるか高みに上がれば、その魔石で隠し部屋を開けることは可能だが、その場合は名捧げをした貴族達も一緒にはるか高みに向かうことになる。余計な死者を出したくはないし、エーレンフェストのために働くことを誓ってくれればそれで良い」

 養父様は「ただし」と言って深緑の瞳をキラリと光らせる。

「姉上に名を捧げた者は別だ。姉上はアーレンスバッハの第一夫人で、エーレンフェストのためではなく、アーレンスバッハのために動く立場にある。その姉上の命令に逆らえぬ貴族など、エーレンフェストにとっては危険でしかない。自分で派閥を選べぬ子供はできるだけ救いたいと思っているが、すでに姉上に名捧げをした者には容赦しない」

 ダールドルフ子爵は親から名捧げをするように言われたと聞いている。ならば、今回の来訪でゲオルギーネに名を捧げるように言われた子供もいるかもしれない。わたしの脳裏に旧ヴェローニカ派の子供達の顔が思い浮かんだ。

 ……皆、大丈夫かな?

「名捧げをしていなくても連座で処分される予定の者もいる。だが、去年の表彰式の時にローゼマインの盾に全員が入れたことを考えても、子供達に領主一族への敵意や悪意を持っている者はいない。私はできるだけ命を救いたいと思っている。其方等には領主一族に名を捧げ、連座を免れるように子供達を説得してほしい」

 貴族院では皆が協力し合って上手く動いていた。この粛清であの心地良い関係が壊れるのはできるだけ避けたい。養父様の言葉にヴィルフリートとシャルロッテが決意を秘めた目で頷き合う。

「私もできる限り皆を救いたいと思います」
「わたくしも頑張ります、お父様」
「養父様、貴族院の子供達は自分で判断させるので問題ないと思います。けれど、子供部屋の子供達はどうなさるおつもりですか?」

 わたしの質問に養母様がニコリと笑った。

「そちらはわたくしが担当する予定です。ひとまず、全員を保護し、寮で生活をさせます。その中で親の罪と危険性を説明し、連座で処分されるか、他の者と城の寮で生活していくかを選択させます」

 シュタープを持っていない幼い子供は名捧げの石が準備できないので、名捧げをしている可能性が全くない。そして、洗礼式を終えていれば魔術具や指輪を持っているので、貴族として生活するために最低限必要な物は整っている。貴族院へ入るまでの数年間の生活を保障してあげれば、見習いとしてお給料をもらえるようになるので、貴族として何とか生活できるようになる、と養母様は言った。

 残っている親族がいれば引き取ってもらえるかもしれないし、引き取ってもらえなくても貴族として独り立ちすることができるように面倒を見る計画が立っているらしい。ホッと安心したのも束の間のことで、わたしはその計画に入っていない子供のことが気になった。

「では、洗礼式を終えていない子供はどうなるのでしょう? 洗礼式を終えるまでは正式に子供として認められませんけれど、彼等の存在をどのように扱うかで数年後の貴族の数に大きな違いが出てきます」
「ふーむ、魔力が高い子供ならば引き取ろうとする貴族もいるかもしれぬが、罪を犯して処分された者の子を引き取りたがる者は少ないであろうし、幼すぎる者は母親がいなければ育つのが難しいのではないか?」

 洗礼式を迎えなければ正式に子供として数えられないし、コンラートのように魔術具を奪われたり、与えられなかったりするような子供が何人いるのかわからない。そして、彼等の養育にどれだけの人数とどれだけの予算が必要なのかわからない。彼等に関しては生まれなかった者として扱う、と養父様が言う。

「でしたら、洗礼前の子供達は孤児院で引き取ってもよろしいですか? 魔術具を持っていない子供でも神具に奉納すれば命を長らえることはできますし、魔力を持つ子供が増えると奉納式が少しは楽になります。冬の粛清によっては実家の状況が変わることで、青色神官が減ると思うのです」
「青色神官か……」

 そこまでは考慮していなかったな、と養父様が呟いた。大半の貴族達にとって青色神官は貴族の範疇に入っていないせいだろう。

「これ以上青色神官が減ると、神殿は金銭的にも魔力的にもとても困ります。せめて、魔力のある子供は神殿で確保したいです」
「子を養うためのお金はどうするつもりだ? 貴族の子を養育しようと思ったら金がかかるぞ。何人も引き取れるものではあるまい」

 養父様の言葉にわたしはニコリと笑った。子供を育てるお金は親からもらうに決まっている。

「その子達の親の資産から養育費を分けてくださいませ。彼等のために蓄えられている物を孤児院に移動したところで大して困りませんよね?」
「……まぁ、そうだな。ローゼマインは無駄遣いもしなさそうだし、よかろう」

 養父様が苦笑しながら、了解してくれた。

「わたくしの孤児院で養育すれば、洗礼式までに中級貴族の子供と同程度の教育は受けられます。……さすがに生まれてすぐに与えられる魔術具がなければ貴族院に向かうのは難しいでしょうけれど、魔術具を持っている優秀な子供には奨学金を出すなどして貴族の子として洗礼式をしても良いと思うのです」

 親のないままに洗礼式をして、領主か孤児院長が後見人となり、洗礼式の後は城の寮で生活をして貴族の常識を学ぶようにすればどうか、とわたしは提案した。

「貴族になれなかった子はどうするつもりだ?」
「魔力のある子は魔術具が動かせます。貴族として生きていくことができなくても、神殿で神具に魔力を注ぐお仕事はできます。魔力を注ぐ青色神官達に与えられているのと同じ金額がアウブから彼等に与えられれば、十分に生活できます」

 魔力を注ぐ仕事をするからといって、青色神官達と同じ水準の生活をする必要はない。前神殿長がわたしにさせようと思っていたように、孤児院で生活させて、魔力を注ぐ仕事をさせれば良い。そして、城からの援助金で馬車や料理人を雇えば、祈念式や収穫祭に向かう仕事もできるはずだ。

「仮に、青色神官がまた増えて、魔力を奉納する仕事がなくなっても、わたくしの本を転移陣で届けたり、魔力が必要なお手紙を書いたりする仕事はできます。わたくし、いずれは孤児達を商人に雇ってもらえるようにするつもりなのです」

 魔力を使う仕事を準備すれば平民として生きていくことはできる。何もしていない幼子を連座で死なせる必要はないし、必ずしも貴族として育てる必要はない。

「……なるほど。君も全くの考え無しではないのか」

 神官長の失礼な物言いにムッと唇を尖らせたものの、基本的にわたしは考え無しなので反論は難しい。

「わかった。幼い子供の面倒が見られるのならば孤児院で確保しても構わぬ」
「恐れ入ります」

 養父様からの許可が出て、子供達に対する扱いがおおよそ決まった時、文官が入室許可を求めて来た。全員が口を閉ざして発言を止め、入ってきた文官を注視する。

「アウブ・エーレンフェスト、アウブ・アーレンスバッハより緊急の書状が届きました」

 今、まさにアーレンスバッハ系の貴族の排除について話をしていたところだ。あまりのタイミングにざっと周囲に緊張が走る。嫌な予感を覚えたのは誰しも同じに違いない。

「なるべく早いお返事を、とのことです」

 養父様が厳しい表情で書状を受け取り、その場でさっと目を通す。眉間に皺が刻まれていき、顔色が変わる。そして、視線を上げて困ったように神官長を見た。

「アウブ・エーレンフェスト、私に関係があるのでしたら書状を拝見してもよろしいでしょうか?」
「……あぁ」

 神官長が書状に目を通し、こめかみを軽く叩きながらゆっくりと息を吐く。厄介事を前にした時の神官長の仕草にざわりと胸の奥が震えた。アーレンスバッハからの厄介事などこれ以上必要ないのに、また何か起こったのだろうか。
 養父様が一度きつく目を閉ざした後、感情を排した無表情で神官長を見た。

「フェルディナンド、返事は三日以内だ。……私としては断ってほしいと思っているが、決断は其方に任せる」
「恐れ入ります。よく考えさせてください」



「フェルディナンド様、何があったのですか?」

 会議が終わって退室する時にわたしは神官長の袖をつかんで捕まえる。神官長は周囲を見回し、しばらく沈黙した後で「其方は無関係とは言えぬな」と呟いて、執務室に来るように言った。わたしはハルトムートとコルネリウス兄様とリヒャルダを連れたまま、神官長の執務室へ向かう。

「……アウブ・アーレンスバッハがいよいよ危険らしい。冬の間にアーレンスバッハの貴族との繋がりを少しでも持たせたいので、できればアーレンスバッハへ来てほしいと書かれていた」
「ただでさえエーレンフェストにいられる期間が短いのに、これ以上短くなるのですか?」

 普通の婚約期間から考えればアーレンスバッハの都合でずいぶんと短くなっている。それなのに、更に短くされるのだろうか。

「できれば、と書かれているお願いなので断れないわけではないと思うが、私個人としてはアーレンスバッハへ向かいたいと思う」
「何故ですか?」
「まず、ゲオルギーネに名捧げした貴族に関する情報、粛清理由、証拠など、冬の粛清に必要な物は全て集まっている。後は私がいなくても騎士団とアウブがいれば問題なく片付くだろう。それに、神殿の引継ぎもほとんど終えた」

 いなくなれば戦力は落ちるけれど、何とかできるだけのお膳立てはしている、と神官長は言った。

「そして、ゲルラッハに手が及ぶ前に私を引き離しておきたいというゲオルギーネの思惑が感じられる」

 ダールドルフ子爵夫人が行方不明になったことは貴族間では伝わっている。灰色神官が予定されたところに届かなければ何かあったことは推測できるはずだ、と神官長が呟く。
 神殿で事を起こして防がれたのならば、神官長が動いたと認識するだろう。実際にエグモントの記憶を探った時も、ダールドルフ子爵の館に向かった時も、派手に動いているのはわたしではなく神官長だ。

「あちらはかなり用心深くやってきたのだ。どこまで情報がつかめているのかわからぬが、計画を潰していく危険な私を排除しようと考えたのではないだろうか。本当に計画を潰したのが君だとは知らずに」

 神官長さえいなければ容易いと思われているのだろう。あながち、間違いではない。わたしは違和感を覚えただけで、後は基本的に神官長が片付けてくれたのだ。

「このような幾重にも罠を張る面倒な相手ですよ。わたくし、フェルディナンド様にそんなところへ行ってほしくないです」
「引っ込んでいては好き放題やられるだけだ。こちらからも行動を起こさなければならぬ。エーレンフェストにいればあちらが仕掛けてきた時に防ぐだけしかできぬが、あちらに向かえばできることがある。少なくとも、ゲオルギーネの動きを知り、情報を送るなり、牽制するなりできることがあろう」

 繋がりが薄い大領地に向かってこちらから何かを仕掛けることはできない。防戦ばかりになる。アーレンスバッハへ向かえばあちらでできることがある、という神官長の言葉は正しいのかもしれない。

「……でも、すぐに出発しなくても、春で良いではありませんか」
「おそらく春では遅いのだ。アウブ・アーレンスバッハが危険なのは事実に違いない。レティーツィアの教育のために私を呼ぶのだから、貴族との繋がりを少しでも作らせたいと考えているのも間違いないと思う。貴族との伝手を作ろうと思えば、領地中の貴族が集まる冬にアーレンスバッハにいる方が都合は良い。そして、今ならばアウブ・アーレンスバッハ主導で貴族との繋がりを作ってもらえる。アウブがはるか高みに向かった後ではゲオルギーネの権力が強まりすぎて身動きが叶わぬ可能性もある」

 アウブがいなくなればゲオルギーネの権力はいや増す。その前に貴族間の繋がりが欲しい、と神官長が言った。

「何より、冬であればディートリンデが貴族院に行っていて不在だ。邪魔されることなく、動ける。これは大きい」

 夏の滞在ではゲオルギーネの動向を見たいのにディートリンデに始終まとわりつかれていた。アーレンスバッハで同じことをされては碌に動けない。ディートリンデの不在期間があるのは非常に助かる、と神官長は言い切った。

「フェルディナンド様はもう決意しているのですね?」
「……一つ気がかりがある」
「気がかりですか?」
「私がアーレンスバッハに行くと、君を奉納式で呼び戻さざるを得なくなる」

 今年は奉納式で戻ることなく貴族院で過ごせることになっていたのに、それを反故することになってしまう、と神官長が難しい顔をした。

「奉納式で戻ってくることになっても例年通りですから、わたくしは……」
「フェルディナンド様、今年は魔力の豊富な罪人が大量に集まるとわかっていますし、やる気に満ちた青色神官がたくさんいます。全員に魔石と回復薬を使わせながら儀式を行えば問題ありません」
「ハルトムート……」
「ローゼマイン様は貴族院生活を楽しんでください」

 奉納式は何が何でも青色神官達にやらせます、とハルトムートが爽やかな笑みを見せる。何だかとても青色神官達が心配になってきた。

「わたくし、帰ってきた方が良い気がしてきたのですけれど……」
「いや、帰らなくても良い。ハルトムートが君のためにやると言ったことは間違いなくやるのだから」

 神官長は軽く手を振って、ハルトムートに神殿の奉納式を任せると言った。ずいぶんとハルトムートに対する信頼が厚い気がする。わたしにはきっと任せてもらえないのに。

「ローゼマイン、神殿と君に問題がないならば私はアーレンスバッハに向かう。だが、生活に必要な物は整えたとあちらに言われても、それを鵜呑みにするわけにはいかぬ。身を守るためにもこちらで至急荷物を整えたい。忙しい中悪いが、境界門まで荷を運ぶ役目を頼んでも良いか?」

 返事をするまでに三日分の時間を稼ぎ、馬車を使わずにレッサーバスを使うことで更に数日の時間を稼ぐ。その期間でできるだけの準備を整えたいと神官長が言った。神官長が行くと決意したのならば、引き留めるのはただの迷惑にしかならないだろう。わたしはできれば迷惑ではなく役に立ちたい。

「……わかりました。わたくしもできるだけのお手伝いをいたします」
「助かる」

 決断すると、神官長の動きは早い。自分の館の者に手紙を書き、衣類や日用品の準備を整えるように命じ、オルドナンツで養父様にアーレンスバッハへ向かうと返事する。アーレンスバッハへの返答は三日後にするように、と念押しをして。

「アウブ・エーレンフェスト、申し訳ないがローゼマインを連れて神殿に戻ります。工房の閉鎖等、急がねばならぬことが多いので」
「あぁ。敵地に切り込むようなものだ。決して準備は怠るな」
「心得ています」

 誰に向かって言っている、とでも言いたげな顔でオルドナンツを送った神官長が立ち上がる。神殿に戻ろうとしたところでまたオルドナンツが飛んできた。今度はわたしに。

「ローゼマイン、フェルディナンドの荷に不足がないか、リヒャルダやエルヴィーラに確認させろ。フェルディナンドには女性視点が足りなすぎる」

 養父様のオルドナンツに神官長がとても嫌な顔になった。ついでにわたしもちょっと唇を尖らせる。

「この養父様の言葉は、つまり、わたくしが付いているだけでは女性視点が足りてないという意味ですよね?」
「なるほど、確かに足りぬな」

 ……ひどいっ!

 わたしでは足りないと断定すると、神官長はわたしの後ろに控えているリヒャルダを見た。

「リヒャルダ、そういうわけだ。アーレンスバッハへ持ち込む贈り物の選別を頼んでも良いか? 贈り物はそれほど多く載せられぬが、全く何もなしというわけにはいかぬ。こちらに品が良い物や誰に贈るのが適当かまとめた一覧がある。これを参考にしてほしい」

 神官長が前に調べていた贈り物リストを取り出し、「手が足りなければ私の文官を使ってくれ」と言いながらリヒャルダに手渡す。

「お任せくださいませ、フェルディナンド坊ちゃま。……いいえ、ご結婚が決まったのですからこれからはフェルディナンド様とお呼びしなければなりませんね」

 リヒャルダの言葉に神官長が軽く目を見張る。クスと寂しげにリヒャルダが笑った。

「呼び方を変える時にはもっと喜ばしい気分になれると思っていたのですよ、わたくしは。このように不安な気持ちで忙しなく送り出すことになるとは露ほども考えていませんでした」
「私もリヒャルダに坊ちゃまと呼ばれている方がまだしも救われる気分になるとは予想外だ」

 神官長は苦い笑みを浮かべた後、リヒャルダに背を向ける。

「私は神殿の工房を閉鎖しなければならぬ。その後は館で荷をまとめることになる。すまぬが、よろしく頼む」
「かしこまりました、フェルディナンド様」



 神殿に戻ると、神官長は手早く騎獣を片付けて足早に自分の部屋に向かおうとする。わたしは「待ってください、神官長」と呼び止めた。

「神官長、時を止める魔術具が必要です。お料理やお菓子をたっぷり詰めてアーレンスバッハへ持っていかなければ」
「……君はこの数日間で本当に料理を準備する気か?」
「当然ではありませんか。神官長は忙しいと食事を後回しにするので、今回もお料理を準備する物から切り捨てるおつもりだったでしょう?」

 図星だったのか、神官長が少し目をすがめて口を閉ざした。

「わたくしが準備するので、時を止める魔術具を貸してくださいませ」
「後でユストクスに運ばせる。それで良いな?」

 神官長が大股で歩きながら側仕えに指示を出しているのを見ながら、わたしは騎獣を片付け、フランに孤児院と工房へ行って側仕え達を呼んでくれるように頼む。モニカと一緒に神殿長室へ戻ると、ニコラと二人で着替えさせてもらった。

「ニコラ、お菓子と食事の準備を大量にお願いします。フェルディナンド様の出立までに時を止める魔術具をいっぱいにするだけの食事を作らなければならないのです。イタリアンレストランにも応援をお願いしますが、こちらの厨房でもよろしくお願いします」
「かしこまりました」

 ニコラが厨房へ駆けていくと、わたしはすぐに下町へ向けた手紙を書き始める。手紙を書き終える頃にはフランに呼ばれた側仕え達が部屋へ集合していた。

「ギル、こちらをベンノに渡してください。神官長がザックに長椅子の依頼を出していたので進捗状況が知りたいのです。これがギルベルタ商会です。ディートリンデ様のような金髪によく合う髪飾りで、売りに出している髪飾りの中で最も高級な物が一つ欲しいのです。こちらはオトマール商会へのお願いです。フェルディナンド様の食事やお菓子の準備の応援をお願いしてくださいませ」
「かしこまりました」

 フリッツには教材や本を一揃い準備してもらい、ヴィルマには冬の間に孤児院の子供が増える可能性が高いことを告げる。そして、ロジーナには新しい曲を楽譜に書き写してもらう。本当は貴族院でこっそりと完成させるつもりだったが、全く間に合わない。主旋律だけを贈って、編曲は自分でしてもらうことにしよう。



 そして、次の日。ユストクスによって時を止める魔術具が運び込まれ、フーゴとエラの作った料理が詰め込まれていく。ユストクスは一つ一つ毒見をして、何の料理が入っているのか丁寧にメモしているのが見えた。
 わたしの部屋には3の鐘の頃から神官長の側仕えが出入りするようになり、神官長の工房から出てきた木箱がわたしの工房へいくつか運び込まれていく。
 そんな中、ベンノから返事が届いた。ザックが注文を受けた長椅子は破れにくい強い布が届いていないため、まだ完成していないそうだ。冬の間には完成する予定と書かれている。

 わたしはいつもの仕事のお手伝いに加えて、報告をするために神官長室へ行ったけれど、荷物運びや衣装の片付けのために側仕えが減っていて閑散としている神官長室に神官長が見当たらない。

「エックハルト兄様、神官長はどこですか?」
「フェルディナンド様は工房の片付けで、木箱を出す以外はほとんど部屋に出てこない。急ぎの用件ならば、呼びかけてみれば良い。せっかくなので、ローゼマインはフェルディナンド様を手伝っていくと良いと思うぞ」

 エックハルト兄様はそう言って中に呼びかける魔術具を指差す。わたしが言われるままに「神官長、報告があるので入れてください」と声をかけると、神官長が工房から顔を出した。わたしが報告のために口を開くより先にエックハルト兄様がわたしをぐいっと前に押し出した。

「フェルディナンド様、ローゼマインがぜひお手伝いしたいそうです」
「え? そんなことは……。あぅ、ぜひお手伝いさせてくださいませ」

 エックハルト兄様の笑顔に負けて、わたしは自らお手伝いを申し出る。神官長に「入れ」と言われて書類の片付けを手伝いながら、わたしは自分が準備している料理やお菓子、髪飾り、教材に加えてベンノからの手紙について報告する。

「そういうわけなので、春になったら完成した長椅子と新しいお料理をお届けしますね。それまでにきちんと準備するお料理は食べてください」

 こうして神官長の健康ライフを維持するのだ、とわたしが決意していると、神官長は少し考えた後、ゆっくりと首を振った。

「いや、届ける必要はない。新しい長椅子は君のところに置いておくと良い」
「何故ですか?」

 せっかく神官長がマットレスを気に入って作らせたのに、とわたしは目を瞬いた。クッションの良い長椅子があれば、神官長も少しは寛げるはずだ。わたしとしてはぜひともアーレンスバッハへ持って行ってほしい。

「……私が持っていく物は取り上げられる恐れがある。それならば、君が使った方が良い」

 神官長の不快そうな脳裏に浮かんでいるのはもしかしたら過去の情景だろうか。わたしは「そんなことありませんよ」とは言えず、口を噤んだ。

「それに……寄りかかる長椅子がなくなってしまっては、君が寛ぐ場所がなくなるであろう?」
「え?」

 わたしの長椅子は部屋にある。なくなってもいないし、なくなる予定もない。意味がわからなくてわたしは神官長を見上げる。神官長は薄い金色の目を少し細めて嫌そうに顔をしかめると、わたしを見下ろして軽く息を吐いた。

「私を長椅子に例えたのは君ではないか。……言うなれば、私の代わりだ」

 神官長は「察しろ、馬鹿者」とぽすっと軽くわたしの頭を叩き、木箱を工房の外へ出しに行く。そんな難しくて回りくどいことがわたしに察せるわけがないでしょう、と心の中で呟きながら、神官長の背中を見た。神殿に入ってからずっと見てきた背中だ。

 ……あの後ろにいたら安心だったんだけどな。

 一瞬のうちに神殿に入ってから今までの思い出が脳裏に浮かんだ。突然の出発に準備で忙しいはずの神官長がわたしの残してくれる優しさが胸に痛い。
 神官長が工房を出た瞬間、消えるように姿が見えなくなった。こんなふうにこれから先、わたしの前にいてくれる人はいないのだ。案内人のいない道を自分で歩いていなければならないような心細さが胸に広がる。

「ローゼマイン、そちらの書類をまとめてくれ」

 木箱を外に出した神官長はすぐに戻って来た。
 自分の目の前に神官長がいる安心感に泣きたくなる。

 ……代わりの長椅子なんていりませんから、せめて、出発を春にしましょう。

 そんな言葉が喉元まで出かかった。言えるわけがない身勝手な我儘だ。言いたい言葉を呑み込んで、わたしはぐいっと目元を拭う。

「ローゼマイン、どうかしたのか?」
「……ねぇ、神官長。忙しくて時間がないのですから、他の人が入れるように工房の入室制限を解除してはいかがですか?」

 とりあえず、わたしは我儘の代わりに有益な提案をしておいた。
アーレンスバッハからの緊急要請で神官長がアーレンスバッハへ出発することになりました。
リヒャルダの坊ちゃま呼びがなくなりました。寂しいです。

次は、別離です。
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