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本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~ 作者:香月 美夜

第一部 兵士の娘

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トロンベが出た

 朝起きて、布団から出るのが厳しい季節です。布団の中で、寒いなぁ、とうごうごしていたら、朝勤務の父がほとんど仕事の準備を終えた状態で声をかけてきた。

「マイン、今日の体調はどうだ?」
「ん~? いつも通りだけど? どうしたの、父さん?」

 もしかしたら、ベッドでもぞもぞしていたから、体調が悪いと勘違いされてしまったのだろうか。わたしがむくりと起き上がると、父は心配そうに眉を寄せる。

「オットーが冬の打ち合わせをしたいから、体調と天気と相談した上で、来てくれないか、と言っていたんだ」
「わかった。今日は熱もないし、ベンノさんに呼ばれてもないし、門に行くよ」

 開門の2の鐘に向けて出勤する父を見送って、わたしはベッドの上で手早く着替える。

「母さん、トゥーリ。わたし、今日は門に行くから」
「そうだね。そろそろ森で採れる物も少なくなってきたし、マインはもう森へ行くのは止めておいた方がいいんじゃない?」
「トゥーリの言う通りよ。マインが熱で倒れた方が大変だから、子供だけで行くことになる森は止めた方がいいわね」

 最近は寒くなって、風邪を引きやすい季節になってきて、自分でも体調があまり良くないと感じる日が増えてきた。わたしが頑張ると、周囲が迷惑を被ることが多いので、森行きは自重することにしよう。

「よぉ、マイン。今日は門か?」

 トートバッグだけを持ったわたしに、ルッツがそう声をかけてくる。
 風邪を引かないようにたくさん着こまされたわたしと違って、他の子供達は比較的身軽な格好をしている。あまり着こむと動きにくくなるからだ。雪が降るまでの短い期間が、薪拾いのラストスパートになる。

 森に向かう子供達と一緒に門に向かって歩き出す。最近やっと周囲の子供達にあまり離されることなく歩けるようになってきた。もうちょっと頑張ろうと思った瞬間、ルッツに釘を刺されることが多いけれど。

「じゃあ、帰りも寄るから、待ってろよ?」
「うん。ルッツは採集、頑張ってね」

 他のみんなは森に行くので、門でお別れだ。
 父の姿が門に見えなかったけれど、すでに顔見知りになっている門番のおにいさんに敬礼して、宿直室に通してもらう。

「オットーさん、いらっしゃいますか? マインです」

 ドアを開けて宿直室に入ると、壁際にある棚は、予算関係の木札ですでにいっぱいになっているのが見えた。

「やぁ、マインちゃん。よく来てくれたね」
「オットーさん、お久しぶりです」

 ビシッと敬礼した後、暖炉に一番近い椅子を勧められる。少し高めの椅子に、よいしょっと半ばよじ登って座った後、バッグの中から石板と石筆を取り出した。

「冬の予定なんだけど、マインちゃんはどれくらい来られそう?」
「えーと、父さんと相談したんですけど、わたしの体調が良い日で、少なくとも吹雪ではない日で、父さんが朝番か昼番の時という結果になりました」

 まず、冬は体調の良い日が少ない。去年よりは体力がついているはずだから、風邪を引く回数や寝込む日数が短くなることを祈っているが、どうなるか全く予測できない。
 次に、天気だ。吹雪ではない日というのもそれほど多くはない。ピカピカに晴れなくてもいい。チラチラ雪が降るくらいなら構わないと父は言っていたが、実際雪が降ったら止められると思っている。
 そして、父が夜勤の時が冬の間の三分の一あるのだ。

「多分、門に来られるのは、春になるまでの間で両手を越えることはないと思います」
「……まぁ、そんな気はしていたけど、去年の冬に一日手伝ってもらっただけでも、かなり楽になったから、どうしても期待してしまうんだ。できるだけ来てくれると嬉しいよ」
「はい」

 計算するだけで、石筆が稼げるのだから良しとしよう。今年はルッツとの勉強に去年以上の石筆が必要だと思うので、頑張って稼ぐつもりだ。

「あ、予算仕事の時に使う石筆は自腹じゃなくて、経費ですよね?」
「ぶっ、はははは。ずいぶん商人らしい思考回路になってるじゃないか。仕事中に使う石筆は経費だよ。安心して計算してくれ」

 はたと思いついてオットーにそう確認すると、オットーは目を丸くした後、吹き出した。
 笑われてしまったが、これで安心してお仕事ができる。袖で擦れて、文字が消えないように、少しだけ袖をまくって、石筆を構えた。

「準備できました」
「今日の仕事はこれだ」

 オットーがどさどさと木札を持ってきた。お偉いさん達の部署で使った備品の集計だった。この部署の会計は全てオットーが担当しているらしい。下手にしてもらって、計算間違いを指摘する方が面倒の元だからと首を竦めて言った。
 わたしも計算間違いをしないように、確かめ算をしながら、それを合計していく。

「オットー、いるか!? 至急門に立ってくれ!」

 慌てた様子で一人の兵士が飛び込んできた。どこまで計算したかわかるように、木札にピッと線を入れ、計算機は誰にも触らせないように、と言い置いて、オットーが駆けだしていく。

 何となく門全体が騒がしい。ドアの向こうの廊下を足音がたくさん行き交っていて、石畳で反響するせいで、その足音がやたら大きく聞こえてくる。
 バタバタと慌ただしい雰囲気で、とても「何があったの?」なんて、ドアを開けて、誰かに聞くことはできない。

 もう何度も門にお手伝いに来ているけれど、こんな風にざわついた雰囲気は初めてだ。一人宿直室に残されたこともあって、じわじわとした不安が心を占めてくる。

 ここにいれば、大丈夫だよね?

 ゆっくりと深呼吸するように意識して呼吸しながら、ぐるりと誰もいない宿直室の中を見回している途中で、くらりとめまいがした。
 ほんの少しわたしの心が弱った瞬間を見逃さないように、身体の中の熱が暴れだそうとしている。奥の方から出てこようとする熱が、まるで自分の心の弱さを指摘しているようだ。
 わたしは苛立ちを覚えながら、グッと中心に熱を集めるように、身体中に力を入れた。熱が出てくるのを防いで、蓋をするイメージで押し込める。

「……ハァ、疲れた」

 身食いとの攻防に集中していたせいで、攻防が終わった後には不安はかなり薄くなっていた。
 わたしが計算の続きを始めると、じきにオットーが戻ってきた。切りの良いところまで計算を手早く終わらせて、自分の分の書類を片付け始める。

「森でトロンベが出たらしい。子供が応援を呼びに来たから、兵士が半数ほど飛び出していったんだ。俺は門のところで立たなければならないけど、マインちゃんはここで計算していてくれないか? あと、紹介状が来たら、こっちへ回すから、処理頼むね」
「はい、わかりました」

 慌ただしかった理由がわかったことで、少し安心して計算に取り組めるようになった。
 そういえば、前にルッツが、秋になると森でトロンベが出ると言っていたはずだ。もしかしたら、トロンベが手に入ったかもしれない。

 ん? でも、兵士が参戦するくらいだから、成長しすぎて、紙には使えなくなってるかな? どうだろう?

 前は子供だけでも刈れたので、トロンベが出たと聞いてもそれほど心配することもなく、わたしが石板に数字を並べて計算していると、また、ガヤガヤとドアの向こうが騒がしくなってきた。

「マインちゃん、ルッツが帰って来たよ。相談があるから、一緒に帰りたいって言ってるけど、どうする?」
「トロンベを刈ったなら、その話だと思うので帰ります。ここからここまでは計算が終わってます」
「助かったよ。ありがとう」

 兵士達と一緒にトロンベを刈った子供達も帰ってきたようで、トロンベの素材を抱えた兵士や子供達が門のところでうろうろしているのが見える。
 ルッツの姿を探していると、父がわたしくらいの太さの丸太を俵担ぎにして、駆け寄ってきた。

「マイン! 見ろ、こんなに大きなトロンベを父さんが刈ったんだぞ!」
「うわぁ、大きいね。これ、薪になるの?」
「いや、トロンベはそう簡単に燃えないから、薪にはならん。家具にするんだ。火事が起こっても、燃えずに残っていることがあるから、貴重品を入れるのに使われるんだ」
「……へぇ、そうなんだ。すごいね」

 さすが不思議植物。
 火事でも燃えないなんて、それ、もう木じゃないから!

 あまりのビックリ加減に感嘆の息を吐いていると、ルッツが父の後ろから手招きしているのが見えた。

「どうしたの、ルッツ?」
「なんだ、ルッツはそんな細い木しか刈れなかったのか?」

 父がルッツの籠に入っているトロンベを見て、勝ち誇ったように胸を張るが、子供相手に張り合わないで欲しい。恥ずかしい。
 わたしはハァ、と溜息を吐いたが、実際、トロンベは成長するほど切るのが難しくなるため、辺りにいる兵士や子供達の間でも、刈った木の太さや枝の大きさを比べあっているのが見えた。

「細い木は使い道がないからな」

 燃えにくいため、薪にできないのに、若くて柔らかくて細い木は火事に耐えるだけの耐火性もないし、家具にできるような強度もない。

「こんな木、使えねぇよ!」

 比較されて馬鹿にされたらしい子供の一人が癇癪を起して、トロンベの枝をべちっと投げ捨てたのが視界の隅に入った。

「じゃあ、わたしにちょうだい」

 その子にはいらなくても、わたしにとっては良質の紙になる素材だ。細くて柔らかいトロンベを捨てるなんて、とんでもない。

「本当にいらない?」
「……い、いらねぇよっ!」

 周囲の視線が集中したことにカッとした男の子がそう言い捨てて、走っていく。
 わたしが捨て置かれたトロンベを拾い上げると、同じように刈ったトロンベを籠から放り出す子供達が続出した。

「オレのもやるよ。こんなん、持って帰っても困るだけだ」
「わたしのもあげるわ。いらないもの」

 かなりたくさんの枝がわたしの周囲に積み上がる。

「ルッツ、いっぱい手に入っちゃったよ」
「……だな」

 ルッツと一緒に積み上げられたトロンベを拾い集めて、ルッツの籠にぎゅうぎゅうと詰め込んでいく。
 呆然としながら、成り行きを見ていた父が、困ったように眉を寄せて、トロンベの詰まった籠とわたし達を見比べた。

「……おい、マイン。こんなもん、どうするんだ?」
「わたし達が使うのは若くて柔らかい木だから、これでいいの。ルッツ、行こう」

 父に背を向けて歩き出すと、ルッツが困ったように頭を掻きながら口を開いた。

「オレも、つい、材料だって思って、トロンベを刈っちゃったんだけどさ。紙の素材って、採ってから5~7日くらいまでには処理しなきゃ使えなくなるんだよな?」
「うん、そうだよ?」
「……どうする? オレ、この時期に川なんて入りたくないし、鐘一つ分蒸すだけの余分な薪なんてないし、諦めるか?」

 今の時期に森へ行っても、あまり薪がないのはわかっているけれど、それを理由にトロンベを無駄にしたら、ベンノが目の色を変えて激憤するに違いない。

「……言われることはわかりきってるけど、一応ベンノさんに相談してみる?」
「やっぱり、勝手に捨てたら、怒られるよな。ハァ……。こんなに寒いのに川なんか入れねぇぞ」

 ぽてぽてと歩いてベンノの店へと向かったが、さすがに森から帰ったばかりの恰好のルッツを店に入れるわけにはいかないと番人に言われて、ルッツは店の外で待機することになった。
 番人が声をかけてくれて、マルクが出てきてくれたので、わたしはマルクと一緒に中に入った。
 わたしが店の中に入った時、ちょうどベンノの部屋から、お客様が出てきたところだった。通りすがりに店に不釣り合いな格好のわたしをじろりと睨んで、フンと鼻を鳴らすのが聞こえる。

 やっぱり早目に服をあつらえた方がいいかもねぇ。

 ベンノの店の品格を自分のせいで貶めるようなことはしたくない。そのためには、早くお金を貯めなければならないようだ。
 奥の部屋に案内されると、ベンノが軽く目を見張った。

「どうした? 今日は会う予定はなかっただろう?」
「予定はなかったんですけど、相談があって……実は今日、森でトロンベが出たんです」

 わたしの言葉にベンノがガタッと立ち上がって、身を乗り出してきた。

「トロンベだと!? それで、刈ったのか!?」
「はい、結構いっぱい素材は手に入りました。でも、ですね……」
「何だ?」
「紙にするの、難しいんです」
「何故だ?」

 ベンノが理解できないと言うように、眉を寄せて怪訝そうな顔になる。
 この後、絶対に怒られるんだろうな、と予測しながら、わたしは口を開いた。

「えーと、実は、その、鐘一つ分蒸すだけの薪がなくて、川……」
「馬鹿者!」

 川が冷たくて入れない、と理由の全てを述べる前に、せっかちなベンノの雷が落ちた。

「いつでも買える薪と希少なトロンベを比べるな! 原価と利益の計算もできんとは言わせんぞ!」
「……やっぱりそう言われると思ってました。薪を買いたいので、マルクさんと材木屋に行ってきていいですか?」

 洗礼式が終わっている子供にさえ見えないわたしでは、薪にする木が欲しいと頼んでも、胡散臭く見られて門前払いされるだろう。

「……ルッツはどうした?」
「外にいます。森から帰ってきて直接ここに来たので、店に入れる恰好じゃなくて……」

 わたしがそう言うと、ベンノは机の上のベルを鳴らしてマルクを呼んだ。

「マルク、ルッツにマインの今日の状況と材木屋に行けるかどうか、聞いて来てくれ」
「かしまりました」
「マイン、お前はここで発注書を書け」

 バンバン、と机の端を叩かれたが、わたしは首を横に振った。

「えーと、今日は門に行くだけの予定だったので、発注書セットを持ってないんです」
「……ここにある」

 ベンノが木札とインクを出してくれたので、その場でわたしは発注書を書き始めた。

「ベンノさん、鐘一つ分燃やせるだけの薪が欲しいんですけど、何て書いたらいいですか?」
「そのまま書いておけ。多少、余裕を持たせて売ってくれるさ」

 はい、と返事しながら、書いていると、ルッツに話を聞いたマルクが戻ってきた。

「マインはこれ以上出歩かない方が良いそうです。発注書が書けたのなら、私がルッツと行ってまいります」
「よろしくお願いします」

 マルクに書きあげた発注書を預けて見送ると、ベンノはわたしに木札を数枚渡してきた。

「暇なら読んでおけ」
「喜んで!」

 それは商人の心得とも言うべきもので、契約に関するあれこれが書かれている木札だった。
 字を読むことが嬉しくて、ふんふんふふーん、とわたしは鼻歌混じりで目を通していたが、読んでいるうちにどんどん頭の中に疑問符が浮かんでくる。

「ベンノさん、さっきの薪代って、先行投資に入るんですか?」
「……」

 無言でベンノはわたしに視線を向けただけで、何も答えようとしない。

「それに、ちょっと不思議に思ったんですけど、ベンノさんはこの間、試作品ができたから先行投資は打ち切るって言いましたよね? でも、契約魔術では洗礼式まで、じゃなかったですか? 大きい簀桁の代金も、実は先行投資に入りません?」

 ベンノがわざわざ契約に関する木札を読ませる意味を考えているうちに、一つ思い当たったのが、契約魔術の内容だった。

「……ちっ、気付いたか」
「なんで騙すんですか!?」
「別に騙していない。試しただけだ。お前達が交わした契約内容を覚えているかどうか。相手が違反した時にどう動くか興味があったんだ。何も言わないから、覚えていないのかと思ったぞ」

 フンと鼻を鳴らして、ベンノは指先でトントンと机の上を叩きながら、わたしをじろりと睨む。
 うっ、と一瞬言葉に詰まったけれど、わたしはキッとベンノを睨み返した。

「試作品を作ったから終わりだって言われて、あぁ、なるほどって思っちゃったんですよ。まさかベンノさんに騙されるなんて思いませんでしたし、契約魔術って、契約書が燃えてなくなったから、契約の内容を確認できませんでしたから」

 わたしの言葉に、フンと鼻を鳴らして、嘲笑の笑みを浮かべながら、ベンノが肩を竦めた。

「契約書が燃えるから、別の何かに書き留めるか、きっちり覚えておくかどちらかしなければならなかったんだ。お前が甘い」
「……肝に銘じます」

 ベンノの言い分は違っていない。契約書の控えがなければ、自分できっちりとメモするか、記憶しておくべきだった。罰則がきつい契約魔術という言葉に甘えていたのは事実だ。

「ちゃんと追求できたから、先行投資分は払ってやろう」
「払ってやろうって、最初からそういう契約だったじゃないですか。契約違反じゃないんですか?」

 むぅっとわたしが唇を尖らせると、ベンノは勝利の笑みを浮かべて、愉悦に満ちた表情でわたしを見つめた。

「俺が払わないと言いきれば、契約違反。今回はお前の追及不足だ。追求されたので、俺は払う。払えば、契約違反には当てはまらない。商人になるなら、きっちり覚えておけ」
「……うぅ~」

 悔しがるわたしにベンノはますます唇の端を釣り上げて、「契約に関する木札を読んでも何も気づかなかったら、遠慮なくむしり取るつもりだった」と笑った。
 ベンノから気付くためのヒントが与えられたのだから、わたしを商人として育てるために色々考えてくれているんだと、一応前向きに受け取ることにしたけれど、悔しいものは悔しい。

 今度は騙されないように、と木札にもう一度じっくり目を通していると、ベンノがふと仕事の手を止めて、声をかけてきた。

「あぁ、そうだ。マイン、冬の手仕事を少し前倒しでできるか?」
「ウチはもうほとんど冬支度が終わってますから、やろうと思えば何とかなると思いますけど?」

 ウチの冬支度の期間は父の仕事の都合に左右される。門にいる兵士全員に冬支度は必要だが、一度に全員が仕事を休めるわけがないので、交代で休んでいくことになる。
 去年は冬支度休暇がかなり後の方だったので、雪が降るギリギリまで冬支度をしていたが、今年は比較的早く終わっている。

「色合いの違う髪飾りを10~20ほど作れないか? ギルド長が孫娘の髪飾りを自慢しまくって、問い合わせが多いんだ。……断りきれないところもいくつかあるからな」
「冬の洗礼式で付けるのがフリーダだけって特別感がなくなるんじゃないんですか?」

 ぼったくりの理由付けがなくなるようなことをしてしまっていいのだろうか、とわたしが首を傾げると、ベンノはわずかに視線を泳がせる。

「……本人に合わせて作ったのは、アレだけだ。既製のものとは全く違うからさらに目立つだろう。問題ない」
「問題がないなら、別にいいんですけど、急いで仕上げるので、特急料金頂けますか?」

 わたしがニッコリと笑って上乗せ料金を要求すると、ベンノが目を向いて絶句した。

「お前……」
「お金は取れる時に、取れるところから、取れるだけ、取っておくもの、なんですよね? ベンノさんを見習って、商人らしさ、目指してますから」

 ふふっ、と笑うと、ベンノが苦々しい顔になって、顔を引きつらせた。

「髪飾り1つにつき、中銅貨10枚だ。倍にするんだから、文句はないだろう?」
「それじゃあ、ダメです。中銅貨11枚か13枚で、お願いします。ルッツと決めてある花飾りと簪部分の比率を考えると、そうしないと都合が悪いんです」

 花飾りは中銅貨2枚、簪部分は1枚と値段を決めて、家族にも言った。残りをルッツと山分けするので、もらえる中銅貨が偶数だと正直困る。

「仕方がない。11枚だ。この商売上手め」
「お褒めにあずかり、恐悦至極に存じます」
「……本当に、そんな言葉をどこで覚えたんだか」

 呆れたような面白がっているような表情で、ベンノがそう言って肩を竦める。

「あ、それと、髪飾り一つ分の中銅貨が欲しいんです。前払いでも、わたしの貯金から出してくれてもいいんですけど……」
「それは、前払いでも構わんが、どうするんだ?」
「大急ぎの魔法をかけるのに必要なんです」

 雪が降るまでに10個も作ろうと思ったら、母とトゥーリに協力してもらわなければできないし、協力してもらうには、やる気の元が必要だ。
 特に母は何年も手作業をしているので、髪飾りの手仕事料金が他に比べてとんでもなく高いとわかっている。だから、騙されているのではないか、作っても払ってもらえないのではないか、とどこか疑っている節がある。
 一つ出来るたびに、規定通りのお金が手元に入ってきたら、信頼も得られるし、やる気もぐぐんと上がるに違いない。

 その時、ドアがノックされて、マルクが戻ってきた。

「ただ今戻りました。発注した薪は、本日の閉門までに店に届きます。明日の朝、店の者に運ばせますね」
「ありがとうございます」
「では、寒いのでお気をつけて」

 マルクに見送られて外に出ると、ルッツがほとんど空っぽの籠を背負って立っていた。材木屋に行くついでに、倉庫にトロンベを置いてきたらしい。なるほど、わたしを連れて行きたくなかったわけだ。

 日が暮れるのが早くなった街並みを、家に向かってゆっくり歩く。本当は寒いので、急いで帰りたいけれど、本能のまま動いたら、間違いなく熱を出して倒れるのだ。

 ほてほてと帰りながら、わたしはルッツに冬の手作業が前倒しになった話をする。特急料金も約束したし、家族に協力を頼んで、作ろうね、と言ったら、ルッツは一つ頷いた後、不安そうに眉を下げた。

「オレの場合、家族の協力がなくても一人で何とかなりそうな冬の手仕事より、トロンベの方が問題なんだよ」
「トロンベ?」

 わたしが首を傾げると、ルッツは肩を落として、大きく溜息を吐いた。

「……なぁ、マイン。森行くなって言われてるのに、トロンベの作業って、できるのか? もしかして、オレ一人でやらなきゃダメなんじゃねぇの?」
「今回は倉庫前で作業するつもりだから、一緒にできるよ。鐘一つ分は外にいることになるから、家族が何て言うかわからないけど」

 門の外に出るわけではないし、ベンノの店に行くとでも言えば、外出する事自体は難しくないと思う。ただ、外でいる時間が長いので、風邪を引いて熱を出す可能性が著しく高くなるのが困りものだけれど。

「倉庫って……川じゃなくていいのかよ?」

 ルッツがビックリしたように大きく目を見開いた。けれど、よく考えるまでもなく、ルッツ一人で鍋と蒸し器と薪を持って、森へ行くなんて無理だ。

「前は素材と薪を採らなきゃいけなかったから、森で作業した方が効率的だったけど、今回は素材のトロンベも薪も全部倉庫にあるんだよ? わざわざ森で作業する必要ないし、全部森まで運んで作業するなんて無理だよ」
「あ、そうか。アレ、全部運ばなきゃダメなんだ」

 一人で作業することになる不安の方が大きくて、ルッツは自分が運ぶことになる荷物の量を把握できていなかったようだ。

「蒸したトロンベをさっとさらすのが川の水じゃなくなるけど、あれは蒸された木を一度冷たい水にさらして、皮を剥きやすくするためだから。今の井戸水なら十分冷たいよ。水が温くならないように、何度か井戸から水を汲んでもらうことになるけど、森へ行くより楽でしょ?」

 だが、ルッツの気がかりが消えたわけではないようで、顔色がどんよりと暗い。

「そりゃ、楽だけどさ。……その後はどうするんだよ? 白皮で保存するんだよな?」
「できれば白皮まで加工してから、保存する方がいいんだけど、黒皮でも保存できないわけじゃないから、大丈夫。黒皮を剥ぐのがちょっと面倒になるかもしれないけど、この季節にわたしが森に行くのも、ルッツが川に入るのも自殺行為だし、止めとこ」
「おぅ!」

 不安材料が払拭されて、ルッツは顔を輝かせた。「あぁ、よかった。ホッとした」としきりに繰り返しながら、歩く足の幅が少し大きくなっている。

 帰ったら、母さんとトゥーリに手仕事を手伝ってって、お願いして……明日は木を蒸す作業かぁ。

 この後の予定を思い浮かべながら歩いているうちに、お腹が空いたせいか、思考が少しずつずれていく。

 ……蒸し器があるなら、あつあつで甘いふかしいもとか、ほくほくのじゃがバターが食べたいなぁ。サツマイモに該当する芋はないけど、ジャガイモっぽい芋なら、ここでも手に入るんだよね。
 芋はウチから持って行って、ルッツにはバターを持ってきてもらえば、明日はじゃがバターが食べれるんじゃない?
 あぁ、いいね。心も体もあったまりそう。うん、決定。

 幸せな想像にうっとりしているうちに、家の前の井戸のところまで来ていたようだ。ルッツが足を止めて振り返る。

「マイン、明日は鍵を取りに行って、薪を運んだ後で呼びに行くから、それまで家で待ってろよ」
「わかった。ルッツはバターの準備、忘れないでね」

 わたしは大きく手を振って、建物の中に飛び込む。
 階段を上りはじめた時に明かり取りの窓からルッツの動転した声が響いてきた。

「え? はぁ!? バター!? なんでだよ!? 何に使うんだよ!?」

 あれぇ? 言ってなかったっけ? 失敗、失敗。
 マインは戦わずにトロンベを手に入れることに成功しました。
 そして、ベンノさんの愛の鞭で着実に商人らしい思考回路になってきつつあります。

 次回は髪飾り作って、じゃがバター食べます。
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