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本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~ 作者:香月 美夜

第四部 貴族院の自称図書委員

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神官長の館

「どうぞお入りくださいませ」
「フランが何故ここに?」

 わたしの側近達はもちろん、わたしが眠っている間の祈念式や収穫祭で同行していたため、シャルロッテやヴィルフリートとも面識がある。皆が目を丸くしているのを見て、フランが困ったように微笑んでわたしを見た。

「フェルディナンド様は神殿で過ごされてきたので、普段はこちらに置いている側仕えや下働きが少ないのです。今日はお招きする人数が多いので、元々フェルディナンド様の側仕えだったフランやザームにもお手伝いしてもらっています」

 神殿で見たことがある顔が屋敷内を歩いているのを見つけた皆が軽く息を吐いた。

「フェルディナンド様はこれからアーレンスバッハに向かうのですから、今から人を増やしても仕方がありませんものね」
「これからも引継ぎでほとんどの時間を神殿で過ごすことになるでしょうし」
「ここで立ち働いている者が神殿の側仕えということはディートリンデ様には秘密ですよ」

 神殿の者をこちらでも使っていると知れば良い気はしないだろうから、とわたしが付け加えると、皆が納得してくれた。

 基本が白の建物なのは、お父様の館と同じだが、神官長らしいというか、女っ気がないのが一目瞭然というか……シンプルで実用的で華やかさが全くない館だった。ちょっとダンケルフェルガーの雰囲気に似ている。

 応接室で側仕え達に指示を出していた神官長がわたし達の到着に気付いて振り返る。

「あぁ、よく来たな」
「フェルディナンド様の館は本当に飾りっ気がないですね」
「機能美という美しさが君には理解できないようだな」

 玄関ホールを通り、大きな応接間に通された。テーブルや椅子、長椅子がたくさんあり、敷物や必要な魔術具が配置されていることで少しだけ生活している場だとわかる。そこにザームがお菓子を運んできた。

 お茶を飲みながら、ディートリンデが来るまでの間に最終確認が行われる。飲食しても良いのはこの部屋だけで、ギルベルタ商会が来たら、神官長とライムントと男性の文官は邪魔にならないように図書室に引っ込んで研究談義を行うらしい。ライムントと研究の話でもすればいい、と提案したのはわたしだが、図書室で行うとは聞いていない。

「そんな……わたくしも図書室に行きたいです」
「君は髪飾りや流行に関する話をして、ディートリンデをもてなすと言っていたではないか」
「フェルディナンド様の図書室が目前にありながら、わたくしに我慢しろとおっしゃるのですか?」

 二度と来られないかもしれないのに、そこには読んだことがない本がいくつもあるはずなのに、お預けなんてひどすぎる。

「わたくし、今日だけ殿方になりたいです。ヴィルフリート兄様、服を交換しませんか?」
「服を交換したところで男にはなれぬぞ」
「知っていますよ。わかっていますけれど……」

「フェルディナンド様、一言よろしいでしょうか?」
「構わぬ」
「男女別で社交を行うのは珍しくございませんけれど、今回は婚約者との交流を深めるのが目的の社交ですから、フェルディナンド様が完全に別室へ下がってしまうのは良くないと思います」

 ブリュンヒルデがそう言うと、リーゼレータも頷きながら案を出す。

「図書室も応接室も扉を完全に開けておいて、自由に出入りできるようにすればいかがでしょう? いつでも出入りできる状態を作っておくことが大事だと思うのです。ディートリンデ様としても婚約者の姿が見えれば安心でしょう」

 二人の意見を聞いて少し考えこんでいたシャルロッテが顔を上げて、わたしに微笑みかけた。

「殿方ばかりのお部屋に出入りするのはどうしても躊躇ってしまいます。お姉様が図書室にいらっしゃれば、ディートリンデ様も躊躇なく出入りできると思いますから、お姉様は図書室で読書をしていてもよろしいですよ」

 ……シャルロッテ、マジ天使!

「其方、少しローゼマインを甘やかしすぎではないか?」
「そうかもしれませんけれど、そわそわと上の空で図書室の方ばかりに注意を向けるお姉様にディートリンデ様との社交を任せるのは難しいと思うのです。ディートリンデ様は本にそれほど興味を示されませんから」

 困ったように笑ったシャルロッテの意見に頷きながら、ブリュンヒルデとリーゼレータが胸を張ってニコリと笑った。

「ローゼマイン様がご不在時の対応には慣れていますから、わたくし達にお任せくださって大丈夫ですよ、フェルディナンド様」
「……つまり、やる気のないローゼマインは邪魔なので最初から図書室に入れておいた方が良いということか。一理あるな」
「確かに、本が絡むとローゼマインは何をするのかわからないので、隔離しておくのが一番平和だと思います」

 皆から次々とダメレッテルを貼られ、わたしはぐっと顔を上げた。

 ……このままじゃダメだ。メルヒオールもいるんだし、わたし、お姉様としてできるところも見せなくては!

「待ってください。やっぱり社交を頑張ります。わたくし、フェルディナンド様のために頑張ろうと決意していたのです」
「いや、君は図書室に引っ込んでいなさい。貴族院で君に振り回されているせいか、周囲の者にはとても安定感がある。君以外に任せた方が安心な気がしてきた」

 ……神官長が他の人に任せる気になったことを喜ぶべきか、わたしが全く役に立っていない現実を悲しむべきか。

 うーん、とわたしが考え込んでいると、神官長が一つの扉に向かって歩き出し、カチリと音を立てて鍵を開けた。すぐに側仕えが進み出てきて扉を大きく開け放つ。

「ローゼマイン、ここが図書室だ」
「今行きます」

 考え事は丸めてポイして、わたしはいそいそと開け放たれた扉に向かう。大きく開いた扉からはずらりと並んだ本棚に分厚い本が整然と並んでいるのが見えた。お父様の館の図書室よりも本の数が多い。個人が所有している本の数としてはかなり多いと思う。素晴らしい。さすが神官長である。

「神に祈りを!」

 パァッと祝福の光をまき散らし、わたしは図書室に突進しようとしたが、戸口ですぐさま神官長に阻止された。

「ギルベルタ商会が来て髪飾りの商談が始まってからだ、馬鹿者」
「だったら、どうして今開けたのですか!? わたくしの楽しみはお預け週間ですか?」
「初めての図書室に興奮のあまり祝福が飛び出す気がしたからだ。私の予想通りだった」

 思わず祈りを捧げてしまった自分に頭を抱えていると、ヴィルフリートがふむ、と一つ頷いた。

「なるほど。ローゼマインが新しい図書室に入った時には高確率で祝福が出るのか」
「あぁ、よく覚えておきなさい。魔力の固まりが解けた分、倒れる確率は減ったが祝福が飛び出す確率は上がっている」

 ……やめて! 皆でメモしないで!

「フェルディナンド様、馬車が入ってくるのが見えます。ディートリンデ様が到着されたようです」

 側仕えの言葉に神官長が玄関ホールへ向かう。わたし達も一緒に向かった。ディートリンデとその側近達を出迎えた。ディートリンデの側近は女性ばかりなので、神官長の要望で連れて来られたライムントはひどく居心地が悪そうに最後尾で小さくなっているのがわかった。
 玄関ホールで挨拶を終えると、応接間に移動してお茶の時間だ。今日のお菓子はディートリンデが一番好んでいる蜂蜜のカトルカールと魔術具の氷室でキンキンに冷やしたアイスクリームだ。夏ならではの冷菓である。
 ユストクスがしっかり調べてあったようで、好みのお茶を準備することができたらしい。ディートリンデが喜んでいる。

「こちらの冷たいお菓子もおいしいですね」
「アイスクリームは夏のお菓子ですから、貴族院では出せないのです。気に入ってくださって嬉しいです」

 わたしがニコリと笑うと、ディートリンデもニコリと笑った。

「わたくし、気に入りました。この料理人はアーレンスバッハにも連れて来てくださるでしょう?」
「いや、エーレンフェストとアーレンスバッハでは食材に大きな違いがある。同じ料理が作れるとは限らぬ。それに、アウレーリアが嫁いできた時も料理人は連れていなかった。私が連れて行くのはおかしいだろう」

 神官長の言葉にディートリンデが緑の瞳を何度か瞬いた。そして、振り返って自分の側仕えを見上げる。

「マルティナ、アウレーリアは料理人を連れて行かなかったのかしら?」
「えぇ。まさか料理人を連れるのさえ許されないとは思わなかったのです」

 マルティナの言葉にわたしはポンと手を打った。アウレーリアの荷物が食材ばかりだったのは、料理人を連れて行くのが前提だったからのようだ。

「あぁ。ですから、アウレーリアの魔術具には食材しか入っていなかったのですね。故郷の料理を食べられるように準備してもらったはずなのに料理が入っていなくて、アウレーリアがとても驚いていたのです。意地悪をされたのかもしれないと落ち込んでいたのですけれど、そうではなかったのですね」

 マルティナがふるふると首を振りながら、自分の胸の前で指を組んだ。

「意地悪だなんて、そのようなことはいたしません。でも、お姉様はまだ故郷の味を召し上がっていないのですよね? わたくし、できればお姉様に故郷の味を……」
「大丈夫です。こちらにもアーレンスバッハの料理を作ることができる料理人はいますから、食材を調理してもらってアウレーリアには食べていただきました。故郷の味を喜んでくれました」

 心配しなくてもアウレーリアは大事にしているよ、とアピールしたつもりだったのだが、マルティナは何故か顔を曇らせる。

「あの、ローゼマイン様。わたくし、今回の訪問でお姉様に面会したいのですけれど、お姉様の旦那様から許可をいただけないのです」
「アウレーリアの結婚相手はヴィルフリートの側近なのでしょう? フェルディナンド様とヴィルフリートからもお口添えいただけません?」

 ディートリンデが「マルティナが不憫で……」と言いながら、そっと頬を押さえる。わたしはヴィルフリートに視線を向けた。ヴィルフリートはゆっくりと首を振る。

「それはできぬ」
「まぁ、何故ですか? マルティナはこれほど姉を思いやっているのに……」
「アウレーリア自身が望んでいないと聞いている。それに、アウレーリアが住んでいる場所は騎士団長の家だし、夫であるランプレヒトが私の側近なので、エーレンフェストの機密が漏れることを考慮しても面会は許可できぬ。手紙には許可が出ているはずだ」

 ヴィルフリートがきっぱりと断ると、ディートリンデはガッカリしたように肩を落とし、潤んだ緑の瞳で神官長を見つめた。

「フェルディナンド様、わたくしのお願いを聞いてくださいませ」
「残念ながら、ランプレヒトの主はヴィルフリートだ。婚約者のお願いならば、何とか聞き入れてやりたいとは思うが、私の手が及ぶところではない」

 優しげな笑顔を曇らせて本当に残念そうに神官長はそう言った。ディートリンデがちらりと神官長を見ながら「わたくしの婚約者は春を迎えたエーヴィリーベのようですね。本当にマルティナが不憫でなりません」と溜息を吐く。

 ……はぁ? アウレーリアとの面会を取り付けられない神官長は役立たずだとおっしゃいました?

 神官長の笑みが深まるのと一緒にわたしの笑顔も深まる。エックハルト兄様を押さえるユストクスが視界に入った。ユストクスの行動は正しいけれど、気分的には「心置きなくどうぞ」とエックハルト兄様に言ってしまいたいくらいだ。

 ピリッと周囲の空気が尖ったことに気付いたマルティナが慌てた様子でディートリンデの肩を押さえる。
 その時、ザームが入ってきた。

「フェルディナンド様、ギルベルタ商会が到着いたしました。こちらに通してよろしいでしょうか?」

 ギルベルタ商会の来訪に尖った空気がふっと和らぐ。ギルベルタ商会は救世主だ。
 オットーとコリンナが見知らぬ女性を連れて来た。彼女が腕を上げている髪飾りの職人だろう。髪をきっちり上げている姿を見ただけだが、成人して数年がたっているくらいの若い女性だ。

「火の神 ライデンシャフトの威光輝く良き日、神々のお導きによる出会いに、祝福を賜らんことを」

 ディートリンデ達に初対面の挨拶をすると、早速髪飾りについての話し合いが始まる。平民の職人にはなるべく対応させないように、ブリュンヒルデがするりと割って入った。

「まず、ディートリンデ様のお好みを教えてくださいませ。卒業式でお召しになる衣装はもう注文されているのでしょう? どのような色でしょう? お好みの花はございますか?」

 エグランティーヌやアドルフィーネに似合う物を見繕い、これまでいくつもの髪飾りの注文をこなしてきたブリュンヒルデの本領発揮である。シャルロッテも注文したいと言い出し、メルヒオールは初めてのことにわくわくしたように目を輝かせている。
 応接間が和やかな雰囲気になったのを見て、神官長がすっと立ち上がった。

「ゆっくり選んで、好みの物を注文すると良い。女性の買物は長いので、我々は図書室にいる。行くぞ、ライムント」
「はい、フェルディナンド様」

 図書室に向かうアーレンスバッハ側の者はライムントだけだ。

「では、わたくしも図書室に参りますね。ユーディットとアンゲリカはここに残ってちょうだい」

 わたしも文官達とコルネリウス兄様とダームエルとレオノーレを連れて、図書室へ向かう。ずらりと並んだ本にわたしは幸せの溜息を吐いた。

「ハルトムート、フィリーネ、ローデリヒ! 蔵書目録の準備です」
「……わざわざ作らずともすでにある。この棚はおそらく君が読んだことがない本だと思う。この辺りは貴族院の本を写本した物で、そちらはすでに君に貸したことがある」
「さすがフェルディナンド様!」

 わたしが喜ぶのと神官長が嫌な顔になるのはほぼ同時だった。

「ローゼマイン、読書はライムントと魔術具の話を終えてからだ」
「やっぱりお預けですか」
「君が欲しいと言っていた物だからな」

 ライムントは緊張した面持ちでバッグの中からそれほど大きくはない布を二枚取り出した。魔石を使った省エネモードの転移陣の試作品らしい。ライムントが出した転移陣を神官長が検分し始める。

「私に準備できる素材は品質が良くないので……」
「そうだな。私が持っている素材を使えばもう少し魔力を節約できそうだ。だが、魔法陣の作成に関してはよくできている」

 神官長の褒め言葉にライムントが嬉しそうに顔を綻ばせつつも、首を傾げる。

「フェルディナンド様、これは一体何に使うのでしょう? あまり大きな物は送れませんから役に立たないと思うのですが」
「ローゼマインが本を運ぶのに欲しがったのだ」

 ライムントが大丈夫かな、という目で部屋の中の本を見つめる。個々の本は分厚いけれど、エーレンフェストで作っている本は和綴じの薄い本なので、心配いらないと思う。

「一冊送ってみましょう」

 わたしは転移陣を二つ広げて、片方に紙を一枚置いた。魔法陣に触れて魔力を流し込むと、紙はもう一枚の転移陣へ移動する。ほとんど魔力がいらなかった。

「フェルディナンド様、全くと言っても良いほど魔力が必要ありませんでした。本を送ってみてもよろしいでしょうか?」
「……フィリーネやダームエルに送らせなさい。どの程度魔力が必要なのか、君では全くわからない」

 ダームエルとフィリーネに紙や本を送ってもらい、送れる物の限界やどの程度の魔力が必要なのかを実験していく。神官長が持っている分厚い本が一冊は送れたけれど、二冊目は物によっては送れなかった。

「送る物の大きさや重さによって必要な魔力も変わってきます。平均的な下級貴族は十回ほど使ったら、魔力がかなり少なくなると思います。回復がなければ、ずっと行う仕事にするのは難しいのではないでしょうか」

 ダームエルとフィリーネに散々付き合ってもらい、結果は出た。納本制度のためにできあがった本を送ってもらう分には何の支障もないことがよくわかったし、魔力もそれほど必要でないことが確認できた。将来的にコンラートやディルクの仕事にすることができそうだ。

「ライムント、わたくしがこの魔法陣を買い取りたいと思うのですけれど、よろしいですか?」

 わたしの言葉にライムントは驚きと喜びに満ちた顔をした後、困惑したように神官長を見た。

「……わ、私が作成した魔術具を買っていただけるなんて光栄ですが、よろしいのですか? その、これはフェルディナンド様の指導があって完成した物です。本来ならば、師であるフェルディナンド様が……」
「気にするな。実際に作ったのは其方で、私は今のところ特に名誉も金銭も必要としていない。君の魔術具として扱えば良い」

 弟子が作った物を師匠が取り上げることは珍しくないらしい。ヒルシュールがそのようなことをしているのか、と一瞬疑ったけれど、ヒルシュールは追求して新しい物を作り出すのが好きなだけで、名誉にはあまり頓着しないそうだ。

「研究にどうしても必要な時は弟子にも補助金や素材をたかることがあるので、断れる強い心を育てるように。……裕福ではない君にたかる前に私のところへ連絡が来るに違いないので、それほど心配はいらぬ」

 ヒルシュールがやりそうな行動が想像できて、わたしは小さく笑った。

「次の課題は録音の魔術具を小さくすることだ。こちらに設計図がある」
「フェルディナンド様がアーレンスバッハに行く前に完成させたいのです。大丈夫ですか?」

 いくつかお小言を吹き込んで、スイッチで聞けるようにしたいのだ、とわたしは自分の希望する魔術具について述べていく。ライムントだけではなく、ハルトムートが興味深そうに覗き込んできた。

「長時間の音を録音するにはそれに合わせた魔石や魔術具を準備しなければならないけれど、ほんの一言を封じるだけならば、それほど難しい課題ではありませんね」
「だが、何度も再生できるという制約がつく。使いきりでは駄目だ」

 神官長の言葉にライムントとハルトムートが揃って難しい顔になった。

「……同じ言葉を何度も再生させるだけの使い方であれば、保存のための魔法陣が必要ですよ。どうしても大きくなります」
「シュバルツやヴァイスのお守りの陣形を応用してみなさい」

 設計図を見ていた神官長がぼそりとそう言った。その途端、二人がバッと神官長を振り返る。

「つまり、保存の魔法陣を切り離し、このような形で一言につき、魔石を一つ使うようにすれば、かなり魔石の大きさも魔力も抑えられるということですね?」

 二人が完全に理解した顔をしているのはわかるけれど、何故それだけのヒントで理解できるのかわからない。

 ……わたし、文官コースの最優秀なんて取れるのかな?

 ものすごく不安になったけれど、神官長に「もう本を読んでも構わない」と目の前に本を置かれた瞬間に不安は忘れた。書見台に立てかけられた本の重たい表紙をローデリヒに捲ってもらい、読み始める。文字列に没頭すると、だんだん周囲の音が遠くなっていった。



「ローゼマイン、終わりだ」

 神官長の低い声と共にバタンと本が閉じられて、わたしは現実に戻った。髪飾りの注文はとっくに終わって、ギルベルタ商会はいなくなっていたし、ディートリンデも帰ってしまったらしい。

「早く戻らねば夕食に間に合わず、リヒャルダに叱られるぞ」

 わたしは側仕えによって帰り支度をさせられ、馬車に追い立てられる。わたしが馬車に乗り込むのを見ながら、神官長が皆を見回した。

「今日の対応はヴィルフリートもシャルロッテも、ローゼマインの側仕えも実に見事だった。其方等の成長を目の当たりにして少し安心している。このまま精進しなさい」

 ヴィルフリートとシャルロッテが嬉しそうに笑って神官長に手を振る。馬車は城に向かってゆっくりと動き始めた。



 わたし達がディートリンデと直接会ったお茶会はこれだけだった。もっと長く滞在している予定だったのだが、アーレンスバッハから火急の知らせが届き、ゲオルギーネとディートリンデが慌ただしく帰ることになったからだ。

「またいつか時の女神 ドレッファングーアの紡ぐ糸が重なる日まで、神々の御加護と共に健やかに過ごされますように」

 エーレンフェストからの別れの挨拶にゲオルギーネは赤い唇をニィッと釣り上げて、愉しそうに笑った。

「えぇ。時の女神 ドレッファングーアの円滑な糸紡ぎをお祈りしています」
ローゼマインは役に立ちませんでしたが、側近達はとても役に立ちました。
ヴィルフリートとシャルロッテもディートリンデ相手の社交で大活躍です。
そして、本当は自分で魔術具を作って主を喜ばせたいハルトムート。

次は、貴族院に向かってさくさく時間を進めていきます。
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