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本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~ 作者:香月 美夜

第四部 貴族院の自称図書委員

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来訪者と対策

 工房に籠って領主候補生の予習をしている中で言われた今後の予定に、わたしは目を瞬いた。

「アウブ・アーレンスバッハはお体の調子が悪いのですよね? その時期に長期滞在をされるのですか?」

 神官長への引継ぎを少しでも早く行いたいほどに余裕がないのではなかったのだろうか。わたしが首を傾げると、神官長が顔をしかめた。

「ローゼマイン、アウブ・アーレンスバッハの体調が本当に悪いかどうかはわからぬ」
「え?」
「私はユストクスの情報だと言ったはずだ。完全に信用しても良いものではないし、周囲には伏せていることかもしれない。少なくとも、アウブの体調に関しては大っぴらに口にして良いことではない。妙な疑惑の目を向けられて、警戒され、情報源を探られても困る」

 本来、領主交代に関わりそうなアウブの体調不良は口外される情報ではないそうだ。ゲオルギーネやディートリンデにアウブの体調を問うようなことは絶対にしてはならない、と言われた。

「アーレンスバッハにとっては極秘事項ということですか? 神官長は情報源が何か知っていて隠していますね?」
「あまりにも馬鹿馬鹿しくて信用に足るものではないからな」

 神官長自身もあまり情報源を信用していないような顔で軽く肩を竦めた。情報源は胡散臭くても、周囲の状況を見ればあながち間違いではなさそうということらしい。

「……でも、神官長の婚約期間中に亡くなる危険性があるのでしたら、かなり体調が悪いということになりますよ?」
「ローゼマイン、死は病気だけで近付くのではない。身の危険はもっと別のことでも感じるものだ」

 神官長はそれだけしか言わなかったけれど、想像できる答えが怖すぎて、とてもそれ以上は聞けない。早々に話題を変更した方が良さそうだ。

「それはそうと、神官長とディートリンデ様は結婚できるのですね」
「どういうことだ?」
「わたくしの記憶にある世界というか、住んでいたところでは、叔父と姪は結婚できないのです」

 法律で決まっているのですよ、とわたしが言うと、神官長が少し興味を示した。それで、親族との婚姻に関して少し述べる。

「国ごとに法律は違うので、叔父と姪でも不思議はないのでしょうけれど。ユルゲンシュミットに婚姻に関する禁忌はないのですか?」

 わたしの質問に神官長は「ないわけでない」と言った。

「子供の魔力に大きな影響を与えるのが母親であるため、母親の血筋が重視されるのだ。私の母がヴェローニカでないから結婚できてしまうだけで、同じように叔父と姪とはいえ、ジルヴェスターとディートリンデでは結婚できぬ」

 同母か異母かが大きな分かれ目になるそうだ。同母の場合は従兄妹で結婚が許されるらしい。

「異母であれば、兄妹でも結婚できる。君とヴィルフリートがそうだろう?」
「養女と異母妹が同じ扱いなのですか……」

 久し振りに常識の違いを感じて、わたしは目を瞬く。

「これからはそのような常識の違いを埋めるのも大変になるな」
「どなたかに知らせるのですか? わたくしが別の世界の記憶を持っているということを」

 わたしの質問に神官長がじっと考え込んだ後、ゆっくりと首を振った。

「エーレンフェストの聖女という君の虚像が大きくなりすぎている今、そのようなことは広げない方が良い。どのように祭り上げられるか見当もつかぬ」

 領主の養女にするためには都合が良かった聖女伝説も、中央神殿に目を付けられた今は危険でしかない。

「今度からこういう質問をしたくなった時はどうすれば良いですか?」

 わたしがこちらの常識に馴染めずに頭を抱えることはこれからまだまだあると思う。わたしの言葉に、神官長がしばらく考え込んだ後、工房の棚に向かった。

「これを使って手紙を書きなさい。作成者の魔力にしか反応しないインクならば、特に問題なく境界門を越えられよう」

 コトリとわたしの目の前に置かれたのは、神官長の魔力で作られた消えるインクだった。オルドナンツは領地の境界を越えることができない。領地を跨いだやり取りは基本的に魔術具の手紙になる。手紙の鳥は境界門で一度検閲を受けて、問題がなければ、相手に向かって飛ばされるのだそうだ。

「この消えるインクで重要なことを書き、普通のインクで上から当り障りのないことを書いて送りなさい。そうすれば、私も返事を書く。君のインクで」
「秘密のお手紙ですね。……ゲオルギーネ様と前神殿長もこんな感じでやり取りしていたのでしょうか?」

 消えるインクは使っていなかったけれど、たくさんあった手紙の束を考えると、前神殿長は本当にゲオルギーネにとって大事な支えだったのかもしれない。

 ……わたし、きっとゲオルギーネ様にすごく恨まれてるだろうな。

 ゲオルギーネにとっての前神殿長がわたしにとっての神官長と同じ立場だと思うと、前神殿長を死に追いやったわたしはものすごく嫌われて恨まれていると思う。神官長も同じように恨まれているかもしれないと思うと、ゲオルギーネの来訪も神官長の婿入りもとても怖いものに感じる。

「お二人がこちらに来られるのでしたら、しばらくは予習もおやすみになりますね」
「……そうだな。会食やらお茶会やらの予定が詰まることになる」

 何とか早く帰らせる方法はないものか、と神官長が嫌そうに呟く。そんな態度で迎えられる婚約者も可哀想だ。ディートリンデ自身が神官長に何かしたわけではないのだから。

「そんなに憂鬱そうな顔をしないでくださいませ。もっと前向きに楽しく考えましょう。ディートリンデ様がアーレンスバッハの本を持って来てくれないかな? とか、お魚を持って来てくれないかな? と考えると楽しくなれますよ。神官長ならば、珍しい研究素材を持って来てくれないかな? と考えるのはどうでしょう?」

 わたしの提案に神官長が深い溜息を吐いて首を振った。

「君は自分の欲望に忠実すぎる」
「心の中で思うだけです。気分を前向きにするためのコツですよ。実際にお願いするわけではないのですから、良いではありませんか」

 本当にお願いしてしまったら厚かましい人だが、心の中で思って、前向きな気分になるだけならば誰にも迷惑はかけないと思う。

「要望を出しておけば、本はともかく、魚は持って来てくれるかもしれぬぞ」
「本当ですか!?」

 わたしがバッと神官長を見上げると、神官長がニィッと唇の端を上げる。

「本当に要望を出せば、厚かましいと思われるのだろう? 我慢しなさい」
「期待を持たせて、我慢させるなんてひどいですよ!」

 わたしが怒ると、神官長が面白がるように鼻をフンと鳴らした。ここ最近、わたしは神官長の気分によってコロコロと転がされる玩具になっている気分だ。

「あ、でも、要望が出せるのでしたら、ライムントを同行者に加えてほしいと言ってみてはいかがでしょう?」

 お茶会や会食などの話のネタになるし、どうしてもディートリンデが苦手ならば、神官長がライムントと話をしている時にわたしとシャルロッテで髪飾りや流行の話をしても良い。

「……ライムントか」
「ヒルシュール先生の弟子で、神官長の弟子でもあるのです。アーレンスバッハでの側近にする予定だから、とお願いすれば連れて来てくれるかもしれません」

 なるべく神官長の機嫌が良い状態でディートリンデとの初交流を成功させたいと思う。これは神官長がアーレンスバッハで少しでも居心地良く過ごすためには大事なことなのだ。警戒心も必要だが、歩み寄りも必要だろう。

「ローゼマイン、旧ヴェローニカ派がどのように活気づくのか、ゲオルギーネが最も信頼する中心人物は誰なのか、何が目的でエーレンフェストに戻ってきたのか、調べなければならないことはたくさんある。悠長にライムントと研究の話をしている余裕などない。ディートリンデにかまけているうちにゲオルギーネがどのように暗躍するかわからないではないか」

 神官長はディートリンデよりもゲオルギーネを重視しているようだし、それは多分間違いではないのだろう。けれど、「婚約者に挨拶をし、交流を深める」という建前があるのだから、神官長が相手をしなければならないのはディートリンデだ。

「でしたら、最初から養母様やお母様にも協力を要請しておいた方が良いですね」
「協力?」
「えぇ。ゲオルギーネ様もディートリンデ様も女性ですから、おそらく、女性ばかりのお茶会にも参加するでしょう。その時に情報を得られるのは女性です。ヴェローニカ派が全盛期の頃から養母様やお母様の情報網は作られていました。今は旧ヴェローニカ派の切り崩しも順調ですから、わざわざユストクスが女装しなくても良質の情報が集まりますよ。どのような情報を集めてほしいのか、打ち合わせしてお願いしてはいかがです?」

 神官長のためならば、お母様が張り切って情報取集をしてくれると思う。恋愛ネタを掻き集めているお母様の情報収集の手腕は素晴らしいものだ。

「……協力を要請か」

 基本的に自分で何でもこなしてしまいたいところがあり、他人を信用していない神官長は周囲に協力を要請することも滅多にしない。だから、今回のように標的以外の相手をしなければならない事態になれば困るのだ。

「こちらも引継ぎが忙しいのですから、滞在期間を短縮してもらえばいかがです? それから、同行する人員に関する要望を出さなくては。まだ来訪までに時間があるのですから、ぼんやり待っている必要はありませんよ。アーレンスバッハへの交渉が忙しくなりますね」
「私が、な」

 これ以上、やらなければならないことが増えるのか、とわたしの予習状況を見る神官長にわたしは首を傾げた。

「別に神官長がしなくても、領地同士のお話合いなのですから養父様に要望を出して丸投げすればいかがですか? 神官長はなるべく城の業務に手を出さないようにするのです。これも引継ぎの一種ですよ」
「……君は本当に保護者の悪いところばかりを真似るのだな」

 呆れたようにそう言った神官長だが、養父様へアーレンスバッハに向けた要望を出し、養母様とお母様へ協力を要請し、神官長自身はわたしの領主候補生の予習に時間を割いてくれた。



 すぐに他領の商人達で下町がにぎわい始め、星結びの季節がやってくる。星結びの前に緊急家族会議が開かれ、エックハルト兄様とアンゲリカの婚約破棄について話し合うことになった。

「お師匠様、エルヴィーラ様。わたくし、エックハルト様と離れることになって傷心ですから、そっとしておいてくださいませ。しばらくはエックハルト様をお慕いしていたいのです」
「まぁ! アンゲリカ!」

 シュティンルークの指導もあったようで、アンゲリカは見事に失恋した可憐な乙女を演じ、お母様は目を輝かせてすぐさま二人の悲恋をメモし始める。アンゲリカとわたしは視線を交わして、よし、と一つ頷いた。
 何をメモしているのか、しばらくペンを走らせていたお母様がすっと顔を上げる。そして、ニッコリと笑う。

「アンゲリカの切ない気持ちはよくわかりますけれど、恋物語と現実は別物ですよ」
「え?」
「しばらく待っていてはお相手を探すのも難しくなります。婚約だけでもしておかなければ、貴女のご両親に面目が立ちません」

 アンゲリカを一族に入れておきたいおじい様も何度か頷いている。それはそれ、これはこれということで、すぐさま次の婚約者探しが始まった。アンゲリカは練習損である。

「ランプレヒト、其方がアンゲリカを第二夫人に……」

 おじい様の言葉にランプレヒト兄様がすぐさま首を振った。

「ありがたいお話ですが、妊娠中のアウレーリアに第二夫人を娶るというような話はできません。せめて、数年は待っていただきたいです」

 第二夫人を娶るのは結婚して数年後になるのが普通だし、妊婦を不安にさせたくない。それに、アウレーリアはアーレンスバッハからもらった嫁だ。すぐに第二夫人を迎えることでアーレンスバッハを不用意に刺激したくない、とランプレヒト兄様が断りの理由を述べる。

「では、コルネリウスか」
「私はすでにレオノーレと婚約済みです。その状態で、レオノーレより年上のアンゲリカを婚約者にするわけにはいかないと思います」

 コルネリウス兄様もおじい様に必死に訴えてアンゲリカを第二夫人にするのを回避する。

 おじい様が「もうトラウゴットくらいしかおらぬ」と呟いたところで、アンゲリカがひどく悲しい顔になった。

「我儘だとは重々承知していますけれど、わたくしが婚約者に望むことは一つだけです。エックハルト様くらいとは言わなくても、コルネリウスくらいは強くあって欲しいです」

 自分よりも弱い男は嫌、とアンゲリカが言ったことで、おじい様がグッと拳を握った。

「ならば、トラウゴットを鍛えるしかあるまい」
「ボニファティウス様、それでトラウゴットがコルネリウスよりも強くならなかった時はどうされるおつもりですか? アンゲリカの適齢期はそれほど長くありません」

 現実派のお母様の言葉におじい様はむむっと眉を寄せる。

「アンゲリカが嫁ぎ遅れと言われるまでにトラウゴットが成長しなければ、私かカルステッドが責任を取るしかなかろう。他にアンゲリカの技量に到達しそうな孫はおらぬ。ニコラウスでは年が離れすぎているからな」
「おじい様、いくら何でもお父様やおじい様の第三夫人はあんまりですよ。アンゲリカの年を考えてくださいませ」

 わたしは思わずそう言ったけれど、アンゲリカは今までで一番嬉しそうな顔になった。

「それでしたら、わたくしに不満はございません」

 ……え!? ないの!? おじい様やお父様と結婚でもいいの? アンゲリカの好みが一点突破すぎる!

 おじい様でもお父様でも、基準を満たしたトラウゴットでも、アンゲリカは構わないらしい。アンゲリカの発言に呆然としたのはわたしだけではなかったらしい。お母様も頭を抱えて、先程まで書いていたエックハルト兄様とアンゲリカの悲恋物語に大きくバツを付けた。

「では、アンゲリカに関しては父上が責任を取るということで良いですね? 頑張ってトラウゴットを鍛えてください、父上」

 お父様は自分がアンゲリカを娶る道を早々に塞いで、手早く家族会議を終わらせた。



 そして、あっという間に星結びの儀式だ。下町の儀式を終えると、わたしと神官長は城へ拠点を移す。ゲオルギーネとディートリンデの来訪が終わるまでは、神殿に戻る予定はない。

 貴族街の星結びの儀式も特に問題なく終わる。儀式自体に特筆すべきことはなかったけれど、星結びの儀式で神官長がアーレンスバッハに婿入りすることになったため、ゲオルギーネとディートリンデが近いうちにやってくることが発表された時は騒然となった。

 領主会議の後の報告会で述べられたため、貴族街では周知の事実でも、ギーベの元にいる貴族達は知らなかった者も多いようだ。旧ヴェローニカ派はにわかに活気づき、その様子を首脳陣が静かに見つめる。誰がどのような反応を見せるのか、観察しているのだ。

「なんとめでたいことだ」
「神殿に入っていたフェルディナンド様が大領地アーレンスバッハの配偶者になられるとは」
「神殿に入っていた者を娘婿に迎え入れるなど、ゲオルギーネ様は何と慈悲深い」

 神官長の逆玉の輿を羨み、アーレンスバッハとの交流が復活の兆しを見せていることに喜びの声が上がる。その様子を神官長が作り笑いで見ていた。お母様もまた素敵な作り笑いになっていた。

「ゲオルギーネ様は本当にエーレンフェストを掻き回すのがお得意な方ですから、こちらも気合を入れてお迎えしなければなりませんね。フェルディナンド様からのお願いはいつだって大変なものばかりですけれど、その分やり甲斐がありますもの」

 わたしを引き取り、上級貴族の娘として恥ずかしくないように教育してほしい、と頼まれた時も大変だった、とお母様が呟く。

「養母様とお母様の手腕に期待しています」

 わたしではとても太刀打ちできなそうな女の戦いがあることを悟って、お母様と養母様に全面的にお任せすることにする。

「……ゲオルギーネ様はこちらに任せていただいて構いません。けれど、ローゼマイン。貴女はなるべくフェルディナンド様に付いているのですよ。フェルディナンド様が作り笑いで対応すればするほど、フェルディナンド様とディートリンデ様の心の距離が開いていくでしょうから」

 婚約者がすでに決まっているわたしがヴィルフリートと共に近付く分には、周囲から妙な誤解や嫉妬をされることもないらしい。そういう意味ではシャルロッテが近付きすぎるのは誤解の元になりうるそうだ。

「周囲を見ながらその場を宥めるのはシャルロッテ様の方がお上手なのですけれど、フェルディナンド様の表情や感情を見分けるのは付き合いの長いローゼマインの方が上手ですからね」

 上手くフォローするように、と言われた。わたしに神官長のフォローなどできるだろうか。むしろ、足手まといになりそうだ。

「今回の来訪はエーレンフェストの貴族達に見せるための正式な求婚の場でもあるのです。ディートリンデ様はおそらく求婚の魔石を持っていらっしゃるでしょう。フェルディナンド様はお返しする魔石を準備されているのかしら?」

 お母様の言葉にわたしはざっと血の気が引いていくのを感じた。わたしの予習と並行して自分がアーレンスバッハに持っていく回復薬を作ったり、お守りの魔術具を作ったりしているのは見たけれど、求婚の魔石を作っているような様子は見たことがない。

「……きっと準備していないと思います。わたくしの予習に付きっきりで、神殿の引継ぎを最優先にしていましたから」

 ディートリンデが求婚の魔石を差し出した時に、こちらが準備できていませんとは言えない。二人の来訪はずいぶん早くに知らされていて、婚約者への挨拶や交流が目的と言われているのだから。

「フェルディナンド様、求婚の魔石は準備できていますか?」

 わたしは神官長にオルドナンツを送った。できていればそれで良いし、できていなければ今からすぐに作るだろう。そう思って飛ばしたオルドナンツだったが、返事に度肝を抜かれた。

「求婚の魔石はすでにある。相手の属性が何でも大丈夫なように全属性だ」

 求婚の魔石は相手の属性に合わせて作るものだ。全属性にすれば形式上は問題ないのかもしれないが、相手のことを知る気もないという不誠実さに頭を抱えたくなった。

「せめて、アーレンスバッハに問い合わせてディートリンデ様の属性を調べましょう。おざなりにも程があります! 他の方への求婚の魔石と誤解されたらどうするのです?」
「貴族院時代に作ったので、誤解でも何でもないな」

 全くやる気のない答えに本当に頭を抱える羽目になった。

「ブリュンヒルデ、これは問題ないのでしょうか?」
「……そ、そうですね。全属性ですから、魔石の品質と刻まれた言葉によっては、喜ばせることもできるかもしれません」

 ブリュンヒルデの言葉に一縷の望みをかけて、わたしは魔石に刻んだ言葉を尋ねてみる。
 いつでも誰にでも使えるように魔石に入れる言葉も「私の心を貴女に」という最もシンプルで愛情の一つも感じられないものらしい。さすがのブリュンヒルデもフォローしようがない顔になってしまった。

「作り直しましょう。いくら何でもあんまりです。それをもらって嬉しい女性はいませんよ」
「すでにあるのに問題なかろう。問い合わせて作り直す時間が勿体ない。どうしてもディートリンデの属性に合わせた魔石が必要ならば、家族同然の君が作れば良かろう」
「わたくしが作る物ではないでしょう! わたくしが結婚するわけではないのですよ」
「笑顔で甘ったるい言葉と共に渡せば問題あるまい。これ以上のやり取りは時間の無駄だ。私は忙しい」

 その後はもうオルドナンツの返事さえ戻って来なくなった。全属性の魔石で押し通すつもりらしい。

 ……この人、マジで結婚に向かない! 結婚相手には最低だ!

 ゲオルギーネや旧ヴェローニカ派に意識を向けていて、肝心の婚約者に対する対応が杜撰すぎる。このままではエーレンフェスト滞在中にディートリンデから神官長への心証が最悪になってしまう。

「フェルディナンド様の印象を悪くしないように、全力でディートリンデ様に立ち向かわなくてはなりません。ブリュンヒルデ、リーゼレータ、リヒャルダ、オティーリエ、滞在期間中は大変でしょうけれど、わたくしに力を貸してくださいませ」
「かしこまりました」

 正直なところ、わたしもこちらの恋愛事情や表現に疎い。わたしのフォローをしてくれる人も必要だ。

「ヴィルフリート兄様だけではなく、シャルロッテにもメルヒオールにも声をかけて、皆で楽しく過ごすことを第一目標にいたしましょう」

 婚約者だけの冷え冷えとした空間にするよりはよほど良いだろう。ディートリンデが好むお菓子や話題について、従兄弟同士のお茶会に参加したヴィルフリートやシャルロッテの側近達に話を聞き、協力を要請する。

 滞在するための部屋が整えられ、お茶会や会食に出すメニューについて話し合いが行われ、神官長と旧ヴェローニカ派の面会が増え、準備が着々と進んでいく。

 夏の盛りをやや過ぎて、ゲオルギーネとディートリンデの御一行がエーレンフェストにやってきた。次々と馬車が到着し、それぞれの側近達も出てくる。こちらの要望が通ったのか、ライムントが降りて来たのが見える。
 エーレンフェストへの贈り物の箱が下男達によって次々と運び込まれて来る中、アーレンスバッハのヴェールをまとった二人が馬車からゆっくりと降りて来るのをわたしは窓から見ていた。

 正式に挨拶をするのは、今夜の歓迎の宴である。

 ……今回の来訪が穏便に終わりますように。

 前回のゲオルギーネの来訪は穏便に終わったように見えたけれど、その後に旧ヴェローニカ派によるヴィルフリートの白の塔事件があったことを思い出す。油断大敵だ。わたしは気を引き締めるために軽く頬を叩いた。
エックハルト兄様とアンゲリカは正式に婚約破棄です。
二人の来訪の準備に右往左往するエーレンフェスト陣営。
神官長のフォローのために領主候補生は一丸となって頑張ります。

次は、神官長のお宅訪問です。
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