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本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~ 作者:香月 美夜

第四部 貴族院の自称図書委員

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領地対抗戦の始まり(二年)

 領地対抗戦の準備において、わたしの担当は文官コースだが、本当に指示を出しているのは上級貴族で最上級生であるハルトムートだ。わたしは来年に役立てるためにハルトムートの仕事振りを見て、メモを取っているのがほとんどである。
 てきぱきと仕事を振っていき、確認をする姿は神官長やユストクスの影響を大きく受けているのがわかった。それを指摘すると、ハルトムートは嬉しそうに顔を綻ばせる。

「去年、フェルディナンド様とユストクス様に色々と注意を受けました。あのお二人をよくご存知のローゼマイン様から見て、仕事ぶりが似て見えると褒められるのは非常に嬉しいです」

 領主候補生の三人で指示系統を分けたことで、準備はとてもスムーズに進んだ。他のことをあまり考えることなく文官見習い達のやることに集中できるのと、ヴィルフリートやシャルロッテの側近のレベルを直接知ることができたのが、わたしにとって大きな収穫だった。

 ……結論。神官長に揉まれてるウチの文官、マジ優秀。

 もちろん、優秀であると言うことはそれ相応の負荷がかかっているということだけれど、使い勝手が全く違う。特にフィリーネは下級貴族なので、ハルトムートの助手の立場でくるくると動いているのを見ると、その成長が著しいのがよくわかった。

 そんなフィリーネを焦った目で見ているのは、側近に入ったばかりのローデリヒだ。多少の引継ぎでハルトムートに振り回されているとはいえ、まだまだ二人のテンポとは違う。

「私も頑張って追いつかなくてはなりません」

 ローデリヒがとてもやる気になっているので、「一年間神殿でフェルディナンド様に揉まれれば、嫌でも成長できますよ」と激励しておいた。

 今年入学したシャルロッテは自分の側仕えや一緒に準備しているブリュンヒルデ達のアドバイスを素直に聞いているようだし、ヴィルフリートはわたしやシャルロッテの護衛をしていて、練習や打ち合わせに参加できなかった騎士見習いへのフォローも頑張っているようだ。時々進捗状況を確認し合うだけで、特に問題なく準備は進んだ。



「では、会場に荷物を運び込んでいきましょう。手順は昨日打ち合わせた通りです」
「かしこまりました」

 あっという間に領地対抗戦当日である。朝早くに朝食を終えると、すぐに設営だ。わたしの言葉に文官見習い達が動き出した。

「ブリュンヒルデ、そちらは順調ですか?」
「はい、ローゼマイン様。エーレンフェストからはオトマール商会のカトルカールが届いていますし、厨房でも次々と持て成しのためのお菓子が焼かれています」

 ブリュンヒルデの言う通り、寮内は甘ったるい匂いが充満している。シャルロッテは茶器の確認や搬入の指示を出しているようだ。騎士見習い達の姿が見えないので、何となく探していたら、護衛騎士としてわたしに付いているコルネリウスが教えてくれた。

「ヴィルフリート様と騎士見習い達は対戦相手として出て来そうな魔獣の弱点や攻略法の最終確認に加えて、魔力回復のために回復薬を配っていらっしゃいますよ」
「コルネリウスは最終確認に参加しなくて良いのですか?」

 わたしがコルネリウス兄様を見上げて尋ねると、コルネリウス兄様は「大丈夫です」と力強い笑みを浮かべた。

「すでに練習は重ねていますし、弱点や攻略法は覚えています。後は指示通りに攻撃するだけですから」
「それは、つまり、指示を出すレオノーレとは打ち合わせの必要もないくらいに通じ合っているという惚気ですか?」
「違います。私の言葉のどこをどのように聞いたら、その結論に行きつくのですか!?」

 ……えぇ? 絶対に惚気だよね。

 護衛騎士はコルネリウス、側仕えはリヒャルダで、わたしは文官達と一緒に会場へ向かった。領地対抗戦は騎士の専門棟にある最も大きな訓練場で行われる。

 騎獣に乗って飛び交うことを前提にした楕円形の訓練場は去年のディッター勝負で使ったのと同じタイプだ。雪のちらつく灰色の雲に覆われた空が大きく見えているので、屋外の競技場のように見えるけれど、風も雪もちっとも感じられない。まるで、透明の屋根があるように見えるところも同じである。でも、広さが違った。前回はほぼ円形だった競技場だが、今回は円が二つ入っていて全体を見ると楕円形になっている。

 その楕円形の競技場を取り巻くように観戦部分がある。競技を行う部分よりもぐっと高い位置にあり、平坦であるところも前回と同じだ。あの時は階段状にも斜めにもなっていないので見にくいな、と思ったけれど、この部分で社交のお茶会や研究発表をすると知って、平坦であることに納得した。

「ここに線が引かれているでしょう? ここからあちらの線までがエーレンフェストの使用できる範囲です」

 文官達が慣れた様子で設営を始める中、コルネリウス兄様が競技場のことを教えてくれる。床の部分は白の建物と同じだ。そこに赤の線が引かれていて、壁には領地のマントと同色の布が張られている。それで、どこの領地がどこで観戦するのかわかるようになっていた。

「真ん中辺りの広くて見やすいところは上位領地なのですね」
「エーレンフェストも10位まで浮上しましたから、昔に比べるとずいぶんと広くて良い場所になりましたよ。私が一年生の時はあの辺りでしたから」

 コルネリウス兄様はそう言って肩を竦めながら、小領地がたくさん集まっている一角を指差した。順位で観戦場所の広さも変わるので、中領地なのに小領地と肩を並べていた昔はかなり狭かったらしい。今は中領地として胸を張れる位置になっている。

 他の領地からも次々と学生達がやってきて、それぞれの準備をしているのが見えた。様々な色のマントが忙しそうに出入りしていて、実にカラフルだ。
 そして、それぞれの寮と連絡を取り合っているのだろう、オルドナンツがたくさん行き交っているのも面白い。そう思いながら見ていると、一羽のオルドナンツがわたしの前に飛んできた。コルネリウス兄様がわたしの前に腕を差し出すと、そこに降り立って、リーゼレータの声で話し始めた。

「ローゼマイン様、アウブがいらっしゃいました。事前打ち合わせをしたいと仰せです。至急お戻りくださいませ」

 三回繰り返して魔石に戻ったオルドナンツをシュタープで軽く叩いて、了承の返事を返した。

「ハルトムート、アウブに呼ばれたので戻ります。こちらの準備が終わったら側仕え達の手伝いをしてください」
「心得ています」



 大急ぎで寮に戻るのに、わたしの足では遅すぎるということで、訓練場を出たところで騎獣に乗り、上空を飛んで寮へと戻った。かなり広い貴族院の敷地の中で、わたしは自寮がどこにあるのか、全く知らなかったけれど、リヒャルダはちゃんと知っていた。

「昔は宝盗りディッターで上空をかけるのが当たり前でしたからね」

 騎士棟からは結構離れていたけれど、騎獣が使える分、わたしが歩いて中央棟の扉までたどり着くよりは早かったし、疲れなかった。

「ローゼマイン様、こちらの会議室でアウブがお待ちです」

 寮に戻ると、すぐさま養父様の側仕えに会議室へ案内された。会議室には養父様、養母様、神官長、ヴィルフリート兄様、シャルロッテがいるのがわかった。その中で、わたしの視線は神官長に向いた。今日の神官長は貴族らしい恰好に、エーレンフェストの明るい黄土色のマントを付けているのだ。

「フェルディナンド様がエーレンフェストの色のマントを使っているのを初めて見ました。普段使っていないせいか、ずいぶんと新しく見えますね」
「今日、もらったところだからな」
「はい?」

 いつも通りに青のマントで来ようとしていたらしいが、養父様に「ダンケルフェルガーの者と間違われる。今日くらいはエーレンフェストの色をまとえ」と言われたそうだ。

「残念ながら持っていない。私が授与式で父上にいただいたマントは神殿入りが決まった時、神官には必要ない、と其方の母親に取り上げられたからな」
「そういうことは早く言え!」
「其方の母親に関することは言わなくても許すと言ったではないか」

 そんなやりとりを経て、神官長は新しいエーレンフェストのマントを手に入れたらしい。「全く守りの魔法陣がないのが心許ない」と文句を言っているが、少しばかり機嫌が良さそうに見えなくもないので、多分嬉しいのだろう。青いマントはユストクスが荷物と一緒に持ってきたそうだ。

「それで、何のお話合いですか?」
「ヴィルフリートからそれぞれ担当を決めていると聞いたのだが……」
「そうです。ヴィルフリート兄様からの提案のおかげで、とても円滑に準備を進めることができました」
「そうか。準備段階はそれで良かったのかもしれぬ。だが、領地対抗戦における領主候補生の仕事は社交だ」

 領地対抗戦は将来の領主会議の予行演習をする場らしい。他領の領主達との顔繋ぎもしなければならないらしく、領主候補生は全員、社交をこなさなければならないと言った。それは想定外だ。わたしはすぐに領主候補生全員が社交をこなすこと、文官見習い達の責任者をハルトムートにすることをオルドナンツで連絡する。これで何とかしてくれるだろう。

「それで、領主候補生の席なのだが……」

 去年はアウブ夫妻とヴィルフリートで席を分けて、客の重要度で対応を分けた。今年は去年よりも多くの、そして、上位領地の客が訪れることが予想されている。できれば、男性の社交と女性の社交の両方に対応できるようにするのが望ましい。

「ヴィルフリートとローゼマイン、シャルロッテとフェルディナンドに分けて、対応できる者を増やした方が良いと思う」
「ローゼマインと、ですか?」

 不安そうな声を出したヴィルフリートを見て、養母様が軽く息を吐いた。

「婚約者となったのですから、お披露目の意味も込めてヴィルフリートとローゼマインを組ませるのが一番良いのですけれど、ヴィルフリートはローゼマインの手助けをしながら社交をこなす自信があって?」
「それは……」
「ヴィルフリート、この場では正直に言ってちょうだい。領地対抗戦における社交の成功と失敗は後々まで影響を及ぼしますから」

 貴族院の中の子供ばかりの社交とは違う。他領のアウブ達の目が光るのだ。養母様が優しく答えを促すと、ヴィルフリートは答えにくそうに口を開いた。

「……本が絡まなければ、大丈夫です」
「お兄様、今の話題に本が出て来ないことは少ないですよ。少なくとも女性の間では頻繁に出ますから」

 シャルロッテの言葉を聞いたヴィルフリートが困りきった顔でわたしを見る。養母様はその表情でおおよその事情を察したのだろう。ニコリと微笑んだ。

「でしたら、ヴィルフリートとシャルロッテを組ませて、ローゼマインのことは後見人のフェルディナンド様にお願いいたしましょう。それが一番無難です。領地対抗戦という大舞台での失敗の要因は少しでも少ない方が良いですから」

 大きな舞台で失敗しない方を選んだ方が良い。養母様の言葉で、社交の組み合わせは決定した。いつも通り、わたしには神官長がお目付け役として付くことになった。

「ヴィルフリート、シャルロッテ。時間ぎりぎりまでローゼマインの報告書に目を通しておけ。重要な情報がよく整理されている」

 わたしの報告書は文官達によって書き写されていたらしい。養父様が二人に一つずつ渡している。ヴィルフリートとシャルロッテが目を通し、驚いた顔でわたしを見た。

「……この報告書をローゼマインが書いたのか?」
「お手紙ではなく、仕事の報告書が欲しいと言われたので、神殿で書く形式に合わせました。フェルディナンド様、どうです? 今回は文句ないでしょう?」

 うふふん、とわたしが胸を張ると、神官長がフッと表情を緩めて「大変結構」と褒めてくれた。養父様とお父様は苦笑いだ。

「あぁ、文句の付けようがない。これまでの報告書との落差に驚いた。フェルディナンドが神殿で重宝するわけだ。城でも仕事をするか?」
「これ以上はいりません。むしろ、減らしてくださいませ」

 軽いやり取りをしているうちに騎士見習い達の出発の時間になったようだ。側仕えが呼びに来た。

「ローゼマイン様、騎士見習い達が去年と同じように祝福をいただきたいそうです」

 コルネリウス兄様を先頭に跪く騎士見習い達に武勇の神アングリーフの御加護を与え、出発を見送ると、自分達も会場に向かわなければならない。わたしが歩くスピードを考慮した結果、わたしと神官長とその側仕えだけは騎獣で会場へ向かうことになった。



 領地対抗戦はディッターの開始宣言と同時に始まった。クラッセンブルクの領主候補生の宣言があり、一番にディッターを行う領地が呼ばれる。前半は下位領地がランダムで呼ばれるらしい。エーレンフェストは初めて後半になったそうだ。

「15位 フレーベルターク!」

 その声と同時にフレーベルタークのところから、わっと声が上がり、騎士見習いが水色のマントを翻しながら次々と騎獣で競技場へ降り始めた。ぐるりと競技場内を駆け巡り、位置に付いて、魔物の出現を待つ。
 先生が騎獣で競技場に降り立ち、魔法陣に魔力を注ぐと、カッと光って大きな魔獣が出現した。巨大な猫のような魔獣には見覚えがあった。

「あれはゴルツェかしら?」
「いや、一つ下位のズィルツェだ。そんなことはどうでもよい。ローゼマイン、席に着け」

 やっと勝負が始まったところで、わたしは神官長に呼ばれて、顔をしかめた。自領が戦う時は席を立って観戦に行っても良いが、基本的に領主候補生は席から離れない方が良いらしい。

 ……席に座っていたらディッターが見えないし、ちょっとつまらないね。

 唇を尖らせていたが、すぐに「つまらない」などと言っている場合ではなくなった。ディッターの始まりは、領地対抗戦の始まりである。開始と同時に来客である。去年の領地対抗戦でカトルカールを食べそこなった貴族達が、今年こそは、とやってきたのだ。

「領主会議でいただいたのですけれど、ぜひ他の味も賞味したくて……」
「数日前から楽しみにしていたのです」

 ……言動は優雅だけど、限定品に群がる目の輝きはバーゲンセールの時のおば様達と一緒だよ!

 お菓子が目的の人にはお土産として渡して自領の席で食べてもらうように誘導し、取引を願う人はヴィルフリートとシャルロッテの席へ行くようにお願いする。アウブの席に誘導するのは上位領地だけで十分である。

 そう思っていたら、こちらに向かって来ていた人々の足が止まり、道を開けるようにその場を退き始めた。何だろう、と目を瞬いていると、人々が退いてできた道を光の女神様が歩いて来る。光を帯びて光る金の髪が複雑に結われ、金髪を引き立てているのは赤いコラレーリエの髪飾りだ。おっとりと微笑み、周囲の人達に軽く言葉をかけながらこちらに向かってやって来る。去年よりもずっと大人っぽくて綺麗になった。

「エグランティーヌ様! とアナスタージウス王子ではございませんか。わざわざ足を運んでくださって光栄です」

 神官長に太腿を軽くはたかれた。アナスタージウスが目に入っていなかったのがバレたらしい。貴族らしい挨拶を交わし、アウブの席に案内しようとしたら、アナスタージウスが首を振って、わたし達のテーブルに座った。

「私は其方に話があるのだ、ローゼマイン」

 エグランティーヌもすっと席に着いた。即座に側仕え達が動き出し、お茶の支度が整っていく。今年初めて貴族院に出したクッキーとカトルカールをわたしは一口ずつ食べて見せ、二人に勧めた。
 アナスタージウスは目新しい物に興味を引かれたのか、クッキーに手を伸ばし、エグランティーヌはカトルカールを頼む。側仕えが慣れた動きでカトルカールを盛り付ける。

「ローゼマイン、聖典の祝詞の研究とは何だ? 別の者の名前で展示されているが、神殿育ちである其方の研究だろう?」

 アナスタージウスに問われ、わたしは提案者である神官長へと視線を向ける。わたしの、ではなく、神官長の研究という方が多分正しい。神官長は貴族らしい微笑でアナスタージウスを見た。

「聖典を検証する折り、先生方にはご遠慮いただいたので、せめてもの埋め合わせです」
「其方が首謀者か。時を経て少し近付いたように見えた神の家はまた遠ざかり、聖女の祈りを待つ者も現れたのだが、どうお考えか?」
「我らは王のお召に従ったまででございます」
「……その殊勝な態度が果たしてどこまでもつかな」

 フンとアナスタージウスが鼻を鳴らした。神官長とアナスタージウスはわかり合っているようだけれど、わたしにはさっぱりだ。アナスタージウスの相手は神官長にお任せして、二人のやりとりを聞き流し、わたしはエグランティーヌに微笑みかけた。

「エグランティーヌ様にお会いできて嬉しいです」
「わたくしも嬉しいです。ローゼマイン様はまた新しい流行を生み出したのですって?」
「はい、こちらは新作のロウレのカトルカールです。ダンケルフェルガーのハンネローレ様にいただいて、早速作ってみたのです。一口いかがですか?」

 干したロウレをお酒に漬けてカトルカールを作ってみた。かなりイイ感じである。

「とてもおいしいです。このようにうまく取り込めば、それぞれの領地の特産で色々なカトルカールが作れそうですね。わたくし、卒業してしまったことが、とても惜しく感じられます」

 エグランティーヌが「卒業した後で貴族院を訪れると、とても寂しい心地がいたします」と言った。麗乃時代に卒業を経験しているわたしにはその気持ちがよくわかった。

 ……許可なく図書館に入れなくなってて、すごく距離が空いた気分になったよ。うんうん。

「それに、今年はエーレンフェストで作られた楽しいお話があると伺いました。次は本を流行させるのですか?」
「そうです。エーレンフェストで作った本なのですけれど、皆様に楽しんでいただけているのです。恋物語はとても人気があります。できれば、エグランティーヌ様にも楽しんでいただきたいのですけれど、今、手元になくて……」

 神官長に「少し落ち着きなさい」と小声で叱られ、わたしはビクッとして背筋を伸ばした。クスクスとエグランティーヌが笑う。

「こちらがフェルディナンド様かしら?」

 あの伝説の、と小さく付け加えられた言葉に、わたしは恐る恐る神官長の様子を窺った。貴族向けの笑顔だけれど目が、目が怒っているのがわかる。

 ……やばい。神官長伝説のこと、すっかり忘れてたよ。

「人伝の噂は誇張されるものです。信用する価値はございません」

 神官長の言葉にエグランティーヌが頷き、不意に心配そうにわたしを見た。

「ローゼマイン様の噂が誇張されているのか、事実なのか、わたくしにはわかりません。けれど、時の女神に翻弄されるのではないかと心配はしています」
「エグランティーヌ様?」
「どうぞお気を付けて」

 アナスタージウスとエグランティーヌは他にも向かわなければならないところがあるから、と去っていった。

「どういう意味でしょうね?」
「アナスタージウス王子のおっしゃったままの意味であろう。聞いていなかったのか?」
「聞いてもよくわかりませんでした」

 ハァと溜息を吐いて、神官長が盗聴防止の魔術具を出した。わたしがそれを握るのを見て、口を開く。

「あの聖典検証の結果、中央神殿と王族の溝は広がり、彼等の星結びの儀式には中央神殿の神殿長ではなく、エーレンフェストの聖女を呼べと言い出した者がいるらしい。どうするつもりだ、と言っていたではないか」

 神官長に解説されると、非常に大変な事態になっているように聞こえるけれど、発言している神官長の表情が変わらないので、どの程度大変なのかわからない。

「……えーと、大変な事態、なのですよね?」
「王族にとっては、な。だが、招集したのも、検証したのも、王の意向だ。どのように事態が転がろうとも、こちらの責任ではない。君は否応なく巻き込まれるのであろうが」
「ちょっと待ってください。どうしてそんなに悠長なのですか? わたくしの後見人なのですから、フェルディナンド様も完全に巻き込まれるのではありませんか」

 わたしの言葉を聞き流していた神官長が突然苦虫を噛み潰したような嫌な顔になった。

「王の言葉でどのようにも事態が変わる。今から慌てていても仕方がない。今はむしろアレをどのように捌くのか考えろ。手にしている紙束から考えると君の客だぞ」

 あっという間に貴族向けの笑顔に戻った神官長の視線の先には青いマントの集団がいた。三十人以上いるように見えるが、わたしにわかったのはハンネローレだけだ。時折、隣を歩く大柄な男性の様子を窺う仕草から察するに、おそらく現代語訳した原稿を抱えた大柄な男性はアウブ・ダンケルフェルガーではないだろうか。

 ……それにしても、二人の側近にしてはずいぶんと数が多いよね? 

 首を傾げていたわたしは、ダンケルフェルガーの騎士らしい人達の視線が自分ではなく、明らかに神官長へ向けられていることに気が付いた。そういえば、神官長は在学中にダンケルフェルガーをけちょんけちょんにしていたはずだ。

 ……これは、もしや、厄介事では!?

 助けを求めて養父様達のテーブルに視線を向ければ、アウブ・ドレヴァンヒェルと話をしているし、ヴィルフリートとシャルロッテに視線を向けると、知らない貴族がたくさん集まっているのが見える。助けを求められる状態ではない。

「ハイスヒッツェもいるのか。面倒な……」

 神官長の呟きにわたしは首を傾げる。聞いたことがない名前だ。

「ハイスヒッツェさんはどちら様ですか? フェルディナンド様のお友達ですか?」
「友人ではなく、青いマントの本来の持ち主だ」

 敗北の証に、とマントを差し出して来たくせに、勝って奪い返すのだ、と何度もしつこく勝負を挑んできていたようで、ルーフェンの数倍面倒な男らしい。結局、ハイスヒッツェは卒業するまで神官長に勝てず、青いマントを取り戻すことはできなかったそうだ。

「また勝負と言い出すのではなかろうな……」

 その呟きが終わる頃、ダンケルフェルガー御一行がずらりとわたし達のテーブルの前に並んだ。アウブ・ダンケルフェルガーと思われる男性が一歩前に進み出る。大柄でとても強そうで、見るからにダンケルフェルガーの騎士達を率いるのに相応しい容貌に見えた。

「ダンケルフェルガーの歴史書を現代語訳して本にしたい、とハンネローレに願い出たローゼマインという領主候補生は其方か?」

 思わず「そうです!」と身を乗り出そうとしたわたしを神官長が太腿をはたいて止める。危ない。相手は大領地のアウブだ。優雅と気品を忘れないようにしなければならない。

「そうです。わたくしがローゼマインです。お許しいただけるのですか?」

 できる限り上品さを心掛けて尋ねたわたしに、アウブ・ダンケルフェルガーはニッと笑った。

「其方が勝てば許す。こちらが勝てばこの原稿は私がもらい、ダンケルフェルガーで本にする」
「……はい?」
「其方にディッターでの勝負を申し込む!」

 バンと原稿がテーブルに置かれ、ハンネローレの「お父様、突然何をおっしゃるのですか!?」という悲鳴のような声は、おおぉぉ、と周囲の騎士達が上げた雄叫びのような声で掻き消される。

 ……ダンケルフェルガー相手に優雅も気品も必要なかった! 必要なのはディッターだったよ!
準備を整え、ローゼマイン初めての領地対抗戦です。
ディッター観戦よりも社交が優先。
アナスタージウスとエグランティーヌがやってきました。
そして、ダンケルフェルガー御一行。出版権をかけて勝負!

次は、ディッター勝負です。
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