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本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~ 作者:香月 美夜

第四部 貴族院の自称図書委員

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聖典検証会議

 会議前日の5の鐘が鳴る頃、神官長がユストクスやエックハルト兄様を連れて寮にやってきた。報告書だけではわからないことを聞き、会議の打ち合わせをするためである。出迎える学生達が緊張して待つ多目的ホールで、神官長がずらりと並ぶ学生達を一度見回し、指示を出し始めた。

「リヒャルダ、ローゼマインと話をするための部屋の準備を」
「かしこまりました」

 リヒャルダとブリュンヒルデがすぐに出ていき、神官長は真ん中に立つヴィルフリートとシャルロッテに視線を向ける。

「ヴィルフリート、シャルロッテ。今回の呼び出しはターニスベファレンの討伐に関連して行われたことだ。エーレンフェストが討伐したことを周囲に漏らさぬことになっているので、私の呼び出しも大っぴらに語られるようなことではない。ローゼマインの後始末は私が全面的に引き受けるので、其方等は寮を取りまとめ、社交の手を抜かぬように」
「よろしくお願いします、叔父上」

 保護者呼び出しという事態は、子供だけでは解決できないと教師陣に言われたようなものだ。どれほど大変な事態になっているのか、と戦々恐々としていたヴィルフリートは安心したような笑顔を見せた。

「ユストクス、部屋の準備を終えた後は領地対抗戦の準備の進捗状況を把握せよ」
「心得ています」

 ユストクスは神官長が今夜泊まるための部屋の準備をするために身を翻す。その様子をちらりと見た後、すぐさまハルトムートに視線を定めた。

「文官見習いは最上級生であるハルトムートを中心に準備状況を報告できるように資料等の準備をして、ここに再度集合するように」

 神殿で手伝いをすることで神官長の仕事の振り方に慣れているハルトムートとフィリーネはすぐさま踵を返す。だが、大半の文官見習い達は状況の変化について行けていないようで、ポカンとした顔をしている。ハルトムートが自室に戻りがてら、ローデリヒの肩を軽く叩いた。

「ぼんやりするな、ローデリヒ。急がねば、ユストクス様は驚くほどに仕事が早いぞ」

 ローデリヒがハッとしたようにハルトムートを追いかけ始めると、他の文官見習い達も慌てたように動き始めた。多目的ホールの雰囲気が慌ただしくなる頃には、個室の準備を終えたリヒャルダが戻ってくる。

「ローゼマイン、君はこちらだ。来なさい」

 神官長に呼ばれ、わたしはリヒャルダの案内の元、小さめの会議室に連れて来られた。席に着いた神官長から正面に座るようにと言われ、わたしはリーゼレータに席を引かれて座った。

 ……うぅ、「貴族院から呼び出しとは、また厄介なことを」って怒られるんだろうな。

 感情が浮かんでいない神官長の顔をチラチラと確認しながら、わたしはそっと胃の辺りを押さえる。わたしはそれほど悪くないけれど、神官長を面倒事に巻き込んだのは動かしようのない事実だ。

「神殿長のみが扱うべき聖典に関する話をするので、神殿関係者ではない其方等は出ていろ。扉前で護衛をする護衛騎士だけいれば良い」

 神官長が側近達を全員追い出そうとした途端、リヒャルダが目を吊り上げた。

「フェルディナンド坊ちゃま、二人だけでお話をすることはなりません!」
「リヒャルダ、下がれ。他に聞かせられる内容ではない。何より、一刻が惜しいのだ」
「坊ちゃま! 婚約者もいらっしゃる姫様があらぬ誤解を受けるような機会を設けるわけには参りません。側近は同席させてくださいませ」

 リヒャルダの言い分は貴族の常識として考えるならば、至極当然のことだ。パッと追い払って工房に籠れる神殿の状態の方がおかしい。けれど、ここで神官長と話し合うのは、聖典に浮かび上がった魔法陣の扱いについても含まれると思う。側近達に聞かせるのはあまりにも危険だ。

 神官長は眉間に深く皺を刻んで少し考え込んだ後、「……仕方がない。中に入れるのはエックハルトとコルネリウスだけだ。そこまでならば、譲歩する」と言って、それ以外は部屋から出るように軽く手を振った。
 リヒャルダは「できれば女性の護衛騎士を残してほしいところですが、血族の方が安心できるでしょうから仕方がありませんね」と納得しながら、退室していく。

 エックハルト兄様とコルネリウス兄様を残して完全に扉が閉まったのを確認してから、神官長が護衛騎士の二人に命じた。

「二人とも扉に向いて立っていろ」
「はっ!」

 神官長に命じられるまま即座に体の向きを変えたエックハルト兄様と違って、コルネリウス兄様は「え?」と目を瞬く。護衛騎士が護衛対象から目を離すことに戸惑うコルネリウス兄様を神官長が叱責した。

「コルネリウス、遅い!」
「はっ!」

 二人を扉に向かって、つまり、わたし達には背中を向ける状態で立たせ、神官長は盗聴防止の魔術具を取り出した。唇の動きさえ読ませるわけにはいかないということらしい。神官長が厳重な態勢を取る様子に嫌でも緊張感が増していく。

「フェルディナンド様、大変申し訳ありませんでした。その、呼び出しとか、聖典比較を止めることができなくて……」

 ガッツリ怒られる前に自分から! と考えて盗聴防止の魔術具を握りこむと同時に、わたしが謝ると、神官長は首を振った。

「私が呼び出されるのは予想の範囲内だ。むしろ、呼び出しの理由を作るために回答に私の名を入れるように指示を出したのだ。君しかいない状況で聖典の比較など行わずに済んだのだから、まだ良い結果に終わったと言えよう」

 どうやら神官長にとって、保護者呼び出しは予想の範囲内だったらしい。怒っているわけではないようなので、わたしは胸を撫で下ろして、明日の会議を思い浮かべる。

「でも、神殿長の聖典を見比べるなんて、大変なことになりましたね」
「何が大変なのか、私にはよく理解できないのだが?」
「え? だって……あの、魔法陣が見えてしまったら困るのではありませんか?」

 あれだけ怖い顔で口外するな、と厳命されたのだ。他に見られたら、非常に困る物ではないのだろうか。わたしの疑問に神官長が軽く肩を竦めた。

「我々に見えなければ何の問題もない。つまり、君が口を滑らせたり、うっかり余計なことを言ったりしなければ良いだけの話だ。私はそれを防ぐためにここに来たのだ」

 神官長はユストクスにも魔法陣は見えていなかったことから、見るための条件にその者が持つ適性や加護を得た属性、魔力量などがあり、それに加えて、他にも何か条件があるだろうと予測しているらしい。そうでなければ、突然わたしや神官長に見えるようになったのはおかしいのだそうだ。

「おそらく、会議の場にいる者でも魔法陣が見える者はほぼいまい」
「仮にいた場合、わたくしはどのようにすれば良いのですか?」
「どのようにも何も、我々には見えないのだ。目に見えるままにうっかり読み上げるような愚か者が王族から睨まれる事態になろうと、黙っていてこっそりと王位を狙おうと、それはその者の選択だ。私の知ったことではない。エーレンフェストに害がないようにすることだけに力を注げば良いのだ」

 そんな物が見えるのですか? と驚き顔を作ってすっとぼけろ、と言われて、わたしは魔法陣が見える上に、驚きのままに素直に口に出しそうな人物に心当たりを覚えて、神官長に尋ねる。

「ターニスベファレンの事情聴取の場にはヒルデブラント王子がいました。王族ですから、貴族院で起こる問題に立ち会っていたのですけれど、今回の会議にも立ち会う可能性は高いです。ヒルデブラント王子にあの魔法陣が見えたら、困りませんか?」
「王の子の中から本物の王が立つことに何の問題がある? 全く無関係の我々に見えることに比べれば些細なことではないか。ジギスヴァルト王子とヒルデブラント王子の両方に見えるのならば、二人が真っ当に王位を争えば良い。片方しか見えぬのならば、見える方が王となれば良い。両方とも見えないのであれば、今までと何も変わらない」

 神官長の言い分にわたしは首を傾げた。臣下として育てられているヒルデブラントが王になる素質を持っていることがわかれば、側近はにわかに活気づくだろうし、次期王が決まりかけているジギスヴァルトとの対立は避けられなくなるだろう。それは非常にまずい状況だと思う。

「でも、ヒルデブラント王子は臣下となるように育てられていると……」
「洗礼式を終えたばかりで、正式なお披露目さえ終わっていないのであろう? 素質があるならば、これからの教育でどうとでもなるし、母親がダンケルフェルガーの出身ならば、後ろ盾もある。仮に、ヒルデブラント王子がグルトリスハイトを手に入れることができれば、王は彼を次期王とすると思うぞ。グルトリスハイトなしに統治する大変さを最も体感しているのは、他ならぬ王であろうからな」

 神官長の言葉がわたしにとってはとても不思議で、思わず首を傾げた。

「グルトリスハイトがないと、王としてユルゲンシュミットを統治するのが大変なのですか?」
「……おそらく、領主が次期領主に礎の魔術について教えることなく急死した状況と同じようなものだと思う。礎の魔術を我が物としていない領主は一族として供給の間から魔力を供給しつつ、礎の魔術を探すことになるのだ。魔力さえ供給し続ければ、保つことはできる。だが、領地の大事に関わる時に関与することができない。補修も何も、手を加えることができないのだ」

 下町のエントヴィッケルンも礎の魔術に関与して行われた。ハッセの小神殿も領主の許可を得て建てられた。礎の魔術を得ていない領主は真の領主とは言えず、領主だけに許されている魔術の行使ができないらしい。

「神官長はよくご存知ですね」
「礎の魔術に関しては、領主候補生である君もそのうち習う内容だ。覚えているかどうかはともかく、ジルヴェスターでも知っている」

 明日の会議を前に、神官長の顔には何の不安も見られない。安心感はあるけれど、何故そこまで平然としていられるのかがわからない。

「フェルディナンド様は聖典検証会議が不安ではないのですか?」
「我々がしなければならないのは、エーレンフェストの聖典に闇の神の祝福に関する祝詞が載っていること、黒の武器を得るための呪文と祝詞が別物であること、エーレンフェストの学生が王の定めを破ったわけではないこと、以上を証明することだけだ。聖典に書かれているのだから、それを見せるだけで良い」

 神官長の言葉に、わたしは聖典を見せることになった発端を思い出した。途中から中央神殿と騎士団長が睨み合って、それに巻き込まれたけれど、元々はターニスベファレンの事情聴取だった。

「中央の聖典の現状など、エーレンフェストには何の関係もない。中央神殿と中央の騎士団長には勝手にやらせておけ。双方を抑えるなり、対立を煽るなりするのは王の役目だ。君が首を突っ込むことではない。正直なところ、私の不安要素は君だけだ」

 神官長にやるべきことを示されると、少し気が楽になった。勝手に話が大きくなってどうしようかと思っていたが、明日の会議は神官長にお任せしておけば問題なさそうだ。

「わたくし、全面的にフェルディナンド様にお任せして、おとなしくしています」
「そう願っている」



 他にも細々とした打ち合わせを終えた翌日、三の鐘と同時に会議は始まった。前回の事情聴取と同じような机の並びだが、正面に座るイマヌエルの隣には中央神殿の神殿長が座っている。自分も着ている白い衣装なので、間違えようがない。神殿長という役職を聞くと、どうしても前神殿長の印象が強いけれど、中央神殿の神殿長は壮年のおじさんだった。

「こちらが中央神殿の神殿長レリギオン。中央神殿の聖典を持って来てくれました」

 それぞれの紹介があり、挨拶を交わし、会議が本格的に始まる。
 騎士団長が立ち上がり、朗々とした声で、前回の事情聴取におけるわたしの発言により中央神殿の聖典が欠損していないかどうかを確認することになった、と述べられた。

「では、エーレンフェストの聖典を見せていただこう」
「異議がございます」

 騎士団長が聖典を見せるように言ったのを遮って、神官長が聖典を抱えたまま立ち上がった。

「なんだと?」

 目を瞬く騎士団長に神官長は貴族らしい笑みを浮かべて口を開く。

「今回は、ターニスベファレンの討伐において、エーレンフェストの学生が王の定めを破ったわけではないことを証明するための会議だと招待状には記載がありました。中央神殿の聖典に欠損があることを調べる会議に招集されたわけではございません。私はどうやら全く違う会議に足を踏み入れてしまったようです」

 ……これって、わたしが騎士団長の立場だったら「当初の目的を忘れているのではないか? この馬鹿者」って言われてるよね。

 神官長は、中央神殿の聖典が欠損しているかどうかはエーレンフェストには何の関わりもないことを述べて、騎士団長と笑顔で睨み合った。神官長の牽制が通じたようで、騎士団長がフッと笑って退く。

「あぁ、確かにそのような理由で召喚したのだったな。……では、エーレンフェストが王の定めを破っていないか、証明するために聖典を見せていただこう」
「かしこまりました。ローゼマイン、鍵を開けなさい」

 神官長がうっすらと微笑んで騎士団長の前に進み出ると、聖典を置いた。対貴族用の作り笑顔だが、わたしには怖い笑顔にしか見えない。
 わたしはヒルシュールの手を借りて椅子から降り、神官長が台の上に置いた聖典に鍵を差し込んで開ける。表紙を開けたところには、この間と変わらずに魔法陣と文字が浮かび上がっていた。

「……白紙ではないか」

 騎士団長がパラパラと捲って顔をしかめ、わたしの手伝いをする名目でついて来たヒルシュールが聖典を覗き込んで「何も書かれていませんよ、ローゼマイン様」と眉を寄せた。

「んまぁ! この期に及んで偽物を持ってきたのですか!? なんて非常識な!」
「なるほど。政変以降、卒業生の質が落ちているとは思っていましたが、生徒ではなく、教師の質が落ちていたのですか」

 神官長は不快感を隠そうともせずにフラウレルムを見て、そう言った。その意見には同意するけれど、もうちょっと歯に衣着せて欲しい。神官長の弟子であるわたしが更に目の敵にされそうだ。

「説明されるまで黙っていられないような能無しは邪魔です。お静かに。……神殿長の聖典は神殿長の許可なく読むことはできないので、白紙に見えていて当然なのです」
「では、この場にいる全員に許可を出してくださいませ」

 うきうきしているのか、弾んだ声でそう言ったヒルシュールの頼みを、微かな笑みと共に神官長は一蹴した。

「それはできません。神殿関係者ではない者に閲覧資格はありませんから」
「え?」
「なっ!?」
「んまぁ!」

 驚きの声を上げる貴族院の教師陣をぐるりと見回しながら神官長は静かに言った。

「聖典は本来神殿から出す物ではございません」
「ですが……」
「ターニスベファレンの討伐に関する見届け役であるヒルデブラント王子、黒の呪文をご存知で今回の討伐に参加された騎士団長、それから、中央神殿の関係者にお見せすれば十分かと」
「フェルディナンド様!」

 ひどいです! と叫びそうなヒルシュールを見ながら、神官長は軽く息を吐いた。

「闇の神の祝詞が黒の武器と似たような効果を持つ以上、許可を得ていない者に不用意に知らせるのは得策ではありません。先生方の研究意欲は素晴らしいですが、別問題です」

 黒の武器の呪文を許可されているのは、それが必要な領地の騎士に限られている。文官で研究者のヒルシュールが不用意に知って良いことではないし、教えて良いことではない。神官長がつらつらと述べた理由に、マッドサイエンティストの先生方は反論したくてもできないような顔になった。

「ローゼマイン、閲覧許可を」
「騎士団長、ヒルデブラント王子、レリギオン様、イマヌエル、そして、フェルディナンド様の閲覧を許可します」

 わたしはそれぞれの名前を呼んで、閲覧許可を与えた。ヒルデブラントと騎士団長、中央神殿の神殿長レリギオンとイマヌエル、そして、神官長の五人だけである。

 ……ヒルデブラント王子は大丈夫かな?

 わたしはヒルデブラントの様子を窺う。王族であるヒルデブラントならば、この魔法陣が見えるかもしれない。神官長はヒルデブラントに見えても問題ないと言っていたけれど、どうにも不安で仕方がないのだ。

「あ、文字が見えるようになりました」
「ふぅむ、神殿長の聖典は魔術具だったのか」

 心配していたが、ヒルデブラントには見えなかったようだ。ページが捲られるのを静かに待っている瞳には、何の驚きも見当たらない。中央の騎士団長も全く表情が動かなかった。二人ともどうやら浮かび上がる魔法陣や文字は見えていないようだ。

「中央神殿の聖典も開いてください。そして、閲覧許可をお願いします」

 神官長に促され、レリギオン神殿長が置いた聖典はエーレンフェストの聖典と全く同じ物に見えた。鍵を開け、同じように表紙を開き、閲覧許可が与えられる。もちろん、わたしにも。

 ……あれ? 魔法陣と文字が見えない。

 聖典に書かれている文字は同じだが、浮かび上がるような魔法陣と文字はなかった。

「内容は全く同じですね」

 ページを次々と開いて見ていくが、内容は全く同じだった。いや、エーレンフェストの聖典には洗礼式や成人式の祝詞のカンペが所々に加筆されているので、全く同じとは言えないかもしれない。

「エーレンフェストの聖典にはずいぶんと加筆が多いですね」

 イマヌエルが目をすがめてそう言った。わたしが不用意に口を開かないように神官長が即座に口を開く。

「これを書いたのは以前の神殿長でしょう。下町の者に教えるのに、古い言葉ではわかりにくいので、新しい言葉に書き換えられている部分が多いのです」

 ……カンペとも言うけどさ。

「それで、闇の神の祝福に関する祝詞はどこに載っている?」

 騎士団長の声に、わたしは該当ページまで聖典を捲っていく。使用頻度が低い闇の神に関する祝詞はかなり後ろの方に載っているのだ。

「ここです。この部分が闇の神の祝詞になります」
「……どこですか? 何も書かれていないようですが」

 わたしが指差すと、イマヌエルが訝しそうな顔になった。中央神殿の二人は目をすがめて見ているが、文字が見えないらしい。

「いや、見えるぞ。言葉が古くてすぐに判読はできないが、文字自体は見える」
「はい。私も見えます。……読むのは難しいですけれど」

 騎士団長とヒルデブラントには見えるようだ。中央神殿の二人が何度も目を瞬き、聖典を覗き込んだ。

「中央神殿のお二人はどの辺りまでを読むことができますか?」

 神官長の言葉に、中央神殿の二人が聖典のページを捲り、真ん中辺りまで戻した。そこはちょうどカンペが増えてくるあたりでもある。

「この聖典は魔術具ですから、魔力や属性が足りない場合、読めない可能性があります。中央神殿の聖典も欠損ではなく、魔力や属性が足りない結果かもしれません。領主候補生のローゼマインと比べれば、当然の結果でしょう」
「なるほど」

 そう言いながら、騎士団長が中央の神殿長の聖典を同じように捲っていった。けれど、途中から真っ白になって、手が止まる。わたしも騎士団長が手を止めたところから先が見えなくなった。

「全員、見えなくなったページが同じだったことから、管理者である神殿長の属性や魔力量によって、閲覧できる上限があるのかもしれません。全ての聖典を集めて、検証してみれば色々とわかることが増えるでしょう」

 神官長の呟きは完全に研究者モードだ。わたしは神官長の袖をくいくいっと少しだけ引っ張って、ヒルシュールを指差した。

 ……神官長こそ、当初の目的を忘れてない? 聖典検証じゃなくて、エーレンフェストの無実を証明するんでしょ? ヒルシュール先生と同じ目になってるよ。

 無言の指摘が通じたのか、神官長がコホンと咳払いする。神官長が我に返ったけれど、聖典が見える者は見比べるのに夢中である。

「私が見る限りではローゼマインの聖典はここで切れています。うん? こちらは見えますね。何故でしょう?」
「私もここには少し空白がありますが、ここからはまた読めるようです。ここで切れました」

 ヒルデブラントと騎士団長がわたしの聖典でどこまで文字が見えるのか話し合っている。どうやら騎士団長の方が先のページまで読めるようだが、二人とも途中で切れているページがあるらしい。

 ……もしかしたら、命に適性がないのかな?

 二人が揃って空白だと述べたページの内容から二人の属性を推測していると、ヒルデブラントがニコリと笑いながら、わたしを見つめた。

「ローゼマインはどの辺りまで読むことができるのですか?」

 ……最後まで。

 心の声をそのまま声に出したら、また面倒なことになりそうだ。わたしは片方の手を頬に当ててゆっくりと首を傾げながら、一歩下がった。代わりに神官長が一歩前に出る。

「ローゼマインが読めるのも、私が読めるのも、騎士団長と同じところまでですから、騎士団長ではなく、ローゼマインの限界がそこかもしれません」
「ほぉ?」

 騎士団長が片方の眉を上げて、わたしと神官長を見比べる。難しそうな会話は全部神官長に丸投げするつもりなのがバレたかもしれない。ドキドキするわたしと違って、神官長は平然としながら、聖典のページを闇の神の祝詞に戻した。

「こうして、二つの聖典を見比べたことで、中央神殿の聖典に祝詞がないのは、欠損ではなく、管理者である神殿長の属性や魔力によるものであること、エーレンフェストでは領主候補生が神殿長であるため、闇の神の祝詞が聖典にあることがこれで証明できたと存じます」

 神官長の言葉に騎士団長が緩く首を振る。

「残念ながら、書かれた言葉が古くて、我々が普段使っている呪文と祝詞がどのように違うのか、すぐには判別できぬ」
「呪文と祝詞の違いに関する検証は私が引き受けます。ローゼマインは領主候補生で、騎士ではございません。黒の呪文を知らせてはなりません」

 神官長はそう言って、騎士団長に盗聴防止の魔術具を差し出した。それぞれが魔術具を握り、もう片手にシュタープを出すと、ナイフに変形させる。そして、口元を読ませぬようにして、黒の武器に変化させた。

「ほほぅ、黒の武器とはこのような物ですか。初めて見ました」

 そんな声が先生方の中から上がったところを見れば、貴族院の先生でも呪文を知らない者は何人もいるようだ。

 しばらく騎士団長と神官長が話し合い、祝福を解除した後、騎士団長は「エーレンフェストの祝詞と黒の呪文は別物だ」と断言してくれた。後から神官長に聞いたことだが、呪文で変化させた黒の武器は、敵から奪った魔力を神に奉納するのではなく、自分の物にできるのだそうだ。

 騎士団長が断言したことで、わたしを始め、エーレンフェストの騎士見習い達が黒の武器を使用したことに関してはお咎めなしという結果になった。わたしは閲覧許可を取り消して、聖典を閉じると鍵をかけ直す。

 ……よし、終わった。

 特に何事もなく会議を終えることができて、わたしは安堵の息を吐いた。顔を上げた瞬間、イマヌエルのギラギラとした灰色の目とぶつかった。奇妙な熱を孕んだ目がわたしと聖典に注がれる。

「ローゼマイン様はエーレンフェストではなく、中央神殿の神殿長にこそ相応しいのではございませんか? エーレンフェストはあのような青色神官達ではなく、ローゼマイン様を中央神殿に移動させるべきでした」

 わたしはイマヌエルの目が怖くて、すぐさま後ろを振り返ると、神官長の袖をつかんでこの後ろに隠れようと引っ張った。神官長がわたしをイマヌエルの視線から庇うように前に出て、ひやりとするような視線で見下ろす。

「ローゼマインは領主候補生だ。中央には移れぬ。その程度の貴族社会の常識も知らぬ神官が余計な口を利くな」

 神官長がぴしゃりと言い切ると、イマヌエルは「領主候補生は中央神殿には移れないのですか」と残念そうに呟き、静かに目を伏せる。
 イマヌエルの突然の発言に、神殿長の座を退け、と言われたと同然のレリギオン神殿長がムッとした顔になり、貴族院の先生方が明らかな余所者を見る目でイマヌエルを見た。騎士団長も何か考えるようにわたしと神官長とイマヌエルを見比べている。そんな刺々しい空気の中、わたしは神官長の袖の陰で、安堵の息を吐いていた。

 ……うぅ、神官長がいてよかった。さっきのイマヌエルは何か怖かった。めっちゃ怖かったよ。

 わたしがいつでも神官長の後ろに隠れられるように袖を握ったままでいるうちに、騎士団長とルーフェンの間で呪文と祝詞の違いが簡単に話され、ヒルデブラントの承認を経て、会議自体は終わった。

「すぐに戻るぞ、ローゼマイン」
「はい」

 聖典を抱えた神官長が身を翻す。なるべく早く寮に帰るのは大賛成だ。わたしも神官長についていこうとした。

「少々お待ちください、フェルディナンド様。ローゼマイン様の騎士コース受講についてお願いが……」
「却下だ」

 全てを言う前に保護者である神官長が却下した。

「あのアンゲリカを卒業させるために奮闘したことで、ローゼマインは騎士コースの座学のほとんどを独学で勉強し終えている。受講する意味がない」
「ですが、ディッターが……」

 次の瞬間、神官長が盗聴防止の魔術具をピッと指で弾くようにして、ルーフェンに投げた。それを受け取ったルーフェンに何事か言い、「返せ」と手を広げた。驚愕の顔でわたしを見下ろしたルーフェンが盗聴防止の魔術具を神官長に返す。

「まさか、そんな……本当のことですか?」
「嘘を言ってどうなる? 決して口外するな。そして、二度と騎士コースに勧誘せぬように。エーレンフェストでは絶対に許可を出さぬ」

 神官長が何を言ったのか知らないが、それから先、わたしはルーフェンから騎士コースに勧誘されることはなくなった。
聖典を並べて検証しました。
全面的に神官長にお任せしたので、特に問題なく終わりました。
ローゼマインに任せてはいけません。(笑)

次は、お茶会です。
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