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本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~ 作者:香月 美夜

第四部 貴族院の自称図書委員

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シュバルツとヴァイスの着替え

「午後の講義が始まりましたね。そろそろ出発しましょうか。迷惑をかけないように静かに移動するのですよ」
「わかっています」

 本日午後は図書館での着替えがある。午後の講義が始まり、人の気配が少なくなってから移動することになっていた。少しでも目立つのを防ぐためだ。同行することになった女の子達は皆、楽しそうに衣装や小物の入った箱を抱えて動き出す。
 男で同行するのは神官長から直々に報告を義務付けられたハルトムートとわたしの護衛騎士であるコルネリウス兄様だけだ。シャルロッテが同行者に選んだのは、女の子ばかりだった。

「お部屋の中だけはシュバルツ達に触れるように許可を出すので、着替えさせてあげてくださいね」

 わたしの言葉に女の子達が嬉しそうに顔を綻ばせた。顔にはあまり出さないように本人は気を付けているようだけれど、笑み崩れた顔を時々引き締めているリーゼレータが一番嬉しそうに見える。

「リーゼレータは本当にシュミルがお好きですね」

 ユーディットがリーゼレータをからかうようにそう言うと、仕事中には私的な部分を出さないようにしているリーゼレータは未熟な部分を指摘された気分になったようだ。わたしの反応を気にするように一度視線を向けた後、「可愛らしいではありませんか」と小さく呟いた後、恥ずかしそうに頬を染めて俯いた。

「リーゼレータがシュミルを好きでなければこの衣装は完成しなかったのですから、わたくしは助かりましたよ」
「ローゼマイン様」

 貴族の令嬢らしくしずしずと歩き、図書館に到着すれば、閲覧室の扉を開けてシュバルツとヴァイスがひょこりと顔を出した。

「ひめさま、きた」
「きょうはきがえ」

 頭を左右に少し振るようにして歩いてくるシュバルツ達の後からソランジュがゆったりとした足取りでやってくる。わたしの側近だけでなく、シャルロッテとその側近もいるのを見て、クスクスと笑った。

「まぁ、今日はずいぶんとお伴が多いこと。では、早速着替えのための場所にご案内いたしましょう」

 ソランジュが先に立って、執務室の奥へと入っていく。登録するために学生達が出入りしたり、お茶会をしたりできる応接スペースがあり、その奥にはソランジュの執務机や鍵がかかった本棚があり、閲覧室と繋がる扉がある。更に奥には衝立があって、今日はその奥へと案内してくれた。

 ……ベッドなんかがあるプライベートスペースだと思ってたけど、違うみたい。

 わたしの部屋の作りとほぼ同じで、初めて来た時には長椅子にシュバルツとヴァイスが並んで座っているのが見えていたので、勝手にベッドなどがあるプライベートスペースだと思っていた。けれど、違う。長椅子があるだけのちょっとした憩いの空間で、ソランジュの生活スペースではなかった。

「ここでシュバルツとヴァイスの着替えをさせてくださいませ。お昼休みに登録作業は済ませてありますから」
「はい」

 護衛騎士見習いであるコルネリウス兄様とレオノーレが衝立の手前に立ち、着替えをするスペースの中はユーディットとシャルロッテの護衛騎士が見張ることになっている。
 リーゼレータが指示を出し、持ち込んだ箱を並べていくと、ブリュンヒルデ達は次々と箱を開けていって、忘れ物がないか確認を始めた。領主候補生であるわたしとシャルロッテは一緒に作業をすることができないので、準備が整うのを見ているだけだ。

「そういえば、ソランジュ先生はどちらで生活されているのですか? 寮監はそれぞれの寮に部屋がありますし、教える科目によって専門棟にもお部屋がありますよね?」

 ヒルシュールが文官の専門棟にある研究室で寝泊まりして戻って来ないように、それぞれの専門棟に先生の部屋があることは知っている。寮監ではない先生は専門棟の部屋だけだ。

「わたくしの、正確には図書館司書の私室はあの扉の奥ですよ」

 ソランジュは衝立に完全に隠れる位置にある扉を指差した。

「寮と同じです。一階には食堂があり、二階が男性の部屋、三階が女性の部屋になっています」

 司書の生活空間が図書館の中にあった。図書館の中に住めるだなんて、ソランジュが羨ましすぎる。わたしもここに自室が欲しい。

「わたくしは閲覧室に戻ります。ローゼマイン様、シュバルツ達の着替えをよろしくお願いいたします」

 着替えさせる準備が整ったのを見て、ソランジュが踵を返す。わたしはソランジュを見送ると、準備万端で待ち構えている女の子達を見回した後、シュバルツとヴァイスへ視線を向けた。

「シュバルツ、ヴァイス。これから新しい衣装に着替えます。そのお手伝いをしてくれるのが、このスペースにいる人達です。今、ここにいる者には着替えが終わるまで触る許可を与えます」

 わたしの言葉に、シュバルツとヴァイスがスペースにいる人間を認識するようにゆっくりと顔を動かしていく。

「いま、ここにいるもの」
「きょかでた」
「では、皆様。シュバルツとヴァイスに着替えをさせてあげてくださいませ。シャルロッテも触って大丈夫ですよ」
「はい、お姉様」

 シャルロッテが藍色の瞳を輝かせ、着替えさせるための輪に入っていく。シュバルツとヴァイスの服を着替えさせるのはわたし以外の者達だ。わたしはしない。サボっているわけではなく、不用意に触れない方が良いからだ。

 ……だって、わたしが触ったら魔法陣が光るからね。

 いくら刺繍でわかりにくくなっていても、光ればわかる。一緒に刺繍をしたシャルロッテやわたしの側近は魔法陣の形や配置を知っているけれど、他の学生達にはなるべく秘密にしておいた方が良い。

「シュバルツ、ボタンを外しますね」
「ヴァイス、こちらの腕をあげてください」

 華やいだ声を上げ、服を脱がせながら、シュバルツとヴァイスを触っている。シャルロッテが手を伸ばしてシュバルツに触れた後、嬉しそうに破顔したのがとても微笑ましい。

「ローゼマイン様、ソランジュ先生がいらっしゃいました」

 衝立のところにいたレオノーレがやってきて、耳打ちするようにそう言った。わたしはシュバルツとヴァイスから視線を外し、レオノーレと一緒に衝立の方へと向かう。ソランジュがものすごく困った顔で歩いて来た。

「ソランジュ先生、どうかなさいました?」
「ヒルデブラント王子がシュバルツとヴァイスを見にいらっしゃったのです」
「え?」

 予想外の王族との接触に、わたしは昨夜神官長に言われた「強制送還」の文字が脳内を巡った。

 ……学生に見つからないようにお部屋に籠っているんじゃなかったの、王子!? ふらふら出歩いちゃダメでしょ!

「今新しい衣装に変えているところなのです、とご説明したのですが……」

 ヒルデブラントは終わるまで待っていると言ったらしいけれど、側近の文官達が興味を示したらしい。魔石を得るためにわたし達が回収することになっているこれまでの衣装を見たいと言ったそうだ。

 ヒルデブラントの側近達は中央の上級貴族で、ソランジュにとっては上司に当たるし、王族に近い上級貴族ならば、領主候補生であるわたしよりも立場が上の場合もある。簡単には却下できない。

 寮でこっそりと着替えさせれば、中央の文官達の立ち入りは阻止できたけれど、王族の魔術具に関することで、王族が管理する図書館で行われているのだから、拒否するのも難しい。
 今年は図書館で着替えをしたのが裏目に出たらしい。

「……入っていただいても良いですよ」
「恐れ入ります」

 ソランジュがホッとしたように胸を撫で下ろすと、すぐに閲覧室の方へと身を翻した。コルネリウス兄様とレオノーレが表情を引き締める。

「これからヒルデブラント王子と側近の方々がいらっしゃいます。シュバルツとヴァイスをご覧になりたいそうです」

 その場がざわりとした。和気藹々とした和やかな雰囲気が一気に凍りつき、皆がその場に跪いた。王族がやってくる予定などなかったので、雰囲気が変わるのは当然である。
 ソランジュに導かれ、すぐにヒルデブラントと側近達が入ってきた。ヒルデブラントはゆっくりと執務室の様子を見回しながら、ソランジュの後をついてくる。本当はもっと色々みたいけれど、好奇心を抑えているようにも見えた。洗礼式を終えた直後の男の子だと考えればとてもお行儀が良い。洗礼式を終えたばかりのヴィルフリートと比べて、わたしはそっと感嘆の溜息を吐いた。

 ……これがよく教育された本当のお坊ちゃまか。

 ヒルデブラントは皆が手を止めて跪いているのを見て、足を止めると、「続けてください」と軽く手を振る。皆が動き始めると、ヒルデブラントが一人外れて見ているわたしの方へとやってきた。
 目の高さがほぼ同じで、身長がさほど変わらないのがわかる。年上のプライドを守るためにできるだけ背筋を伸ばして、ちょっとだけ踵を上げて背伸びしてみたが、ふくらはぎがプルプルする。長く続けることはできないので、内心ちょっと落ち込みながら踵を下ろした。

 ……今年洗礼式を終えた子よりちょっと高いだけだよ、わたし。低いよりマシだけど。

「先日、私が図書館を訪れた時に案内してくれたヴァイスが可愛かったので、今日も見に来たのですが、閲覧室にいなくて驚きました。シュバルツとヴァイスはこのような着替えをするのですね」
「主が変わると新しい衣装を与えなければならないと言われ、新調したところなのです。シュバルツとヴァイスは可愛いだけではないのですよ。とても優秀で働き者なのです」

 シュバルツとヴァイスが着替えさせられている様子を物珍しそうに見ているヒルデブラントにわたしはシュバルツとヴァイスのすごさを語る。本の貸し出しやキャレルの管理だけではなく、滞納者や持ち出した者を全て覚えているのだ。図書館の管理には必須の魔術具である。

「シュバルツ達は昔の王族の姫君が作ったのだと伺っていますけれど、貴族院の先生方にもどのように作られたのか、わからないそうです。王族の素晴らしさに感動せざるを得ません。王宮にはシュバルツ達が作られた頃の資料があるのでしょうか?」

 わくわくしながらわたしが尋ねると、ヒルデブラントは少し首を傾げた後、答えを求めるように側近の一人を見上げた。

「誠に遺憾ながら、王宮図書館の我々が出入り可能な場所では拝見したことがございません」

 ……王宮図書館! なんて素敵な響き!

 側近の答えにわたしは目の前が明るくなっていくのを感じた。新しい図書館には新しい本との出会いが詰まっているものだ。王宮図書館に詳しそうな側近にもっと質問しようとした途端、レオノーレに軽く袖を引っ張られた。レオノーレの方を向くと、ニコリとレオノーレが微笑んでいる。

 ……これ以上は喋るな、ってことかな?

 図書館の話題になると暴走するので気を付けろと言われていたことを思い出し、わたしは口を噤んだ。貴重な王宮図書館の情報が手に入りそうな機会だが、王族の気分を害する結果になると立ち入り禁止にされるかもしれない。

 ……ここは慎重に行かなきゃ。シャルロッテに言われた通り、共通の話題から徐々に図書館に話題をスライドさせていくんだ。共通の話題? 何がある?

 うーん、と考え込んでいると、ヒルデブラントがおずおずとした様子でそっと問いかけてきた。

「あの、エーレンフェストのローゼマインには婚約者がいると伺っていますが、シャルロッテに婚約者はいないのですか?」

 ……共通の話題はシャルロッテ!?

 突然振られたシャルロッテの話題にわたしは目を丸くして、何度か瞬いた後、ゆっくりと首を振る。

「婚約者はいません。恐らく領地対抗戦か、領主会議……近いうちに打診はあると思います」

 ドレヴァンヒェルのアドルフィーネがシャルロッテを見ている視線はそういう視線だった。オルトヴィーンとシャルロッテを娶せて、ドレヴァンヒェルが利益を得ようとする目だ。領地対抗戦や領主会議でわたしにもそれらしい打診がいくつか来たので、シャルロッテならばもっと来ると思う。
 わたしの言葉にヒルデブラントは明るい紫の瞳を見開いた後、ゆっくりと伏せていく。

「年下はやはり頼りなく思われますか?」

 ……え? ヒルデブラント王子って、もしかして、シャルロッテに関心があるの? どうしよう、わたし、シャルロッテの男の好みなんて知らないよ!

 そんな難題をわたしに振らないでほしい、と思いながら、わたしは急いで無難な答えを探す。

「頼りになるかどうかは、年齢で決まるものではございませんから、わたくしからは何とも申し上げられません……」
「そうですか」

 ヒルデブラントがあまりにもガッカリしているので、とりあえずシャルロッテに聞いてあげた方が良いだろうか。

「あまり気になるのでしたら、本人に聞いて参りましょうか?」
「……え?」

 ポカンとしたようにわたしを見たヒルデブラントが慌てた様子で、シュバルツとヴァイスの側にいるシャルロッテとわたしを見比べる。

「いえ、大丈夫です。少し疑問を持っただけですから。この話は内密にお願いします。私の疑問で周囲が混乱すると大変ですから」
「そうですね。わかりました」

 確かに王族から打診があるかもしれない、となれば、エーレンフェストは大騒ぎになるだろう。それが決定でもなく、ヒルデブラントが少し疑問に思っただけ、のことを言いふらしてしまえば、周囲を混乱させるだけだ。

 ……ヒルデブラント王子の気持ちがある程度決定するまで黙っていようっと。

「お待たせいたしました、ヒルデブラント王子、お姉様。いかがでしょう?」

 シャルロッテがシュバルツとヴァイスを連れて、わたしの前へとやってくる。
 貴族院だからということで黒を基調にした衣装で、メイドと執事っぽいイメージから出発したけれど、シュバルツとヴァイスが着ている衣装に、最初のイメージはほとんどない。

 シュバルツのシャツは白いがベストを着ているので、袖の白が見えるだけだ。ベストは複雑な魔法陣に加えて、それを誤魔化すための刺繍がびっしりと刺されている。ズボンの裾にも色とりどりの花や葉の刺繍がされていて、リーゼレータの意気込みがよくわかった。染めた布で作られたリボンタイも可愛い。胸元にヴァイスとお揃いの花飾りが飾られているのは、わたしの意見が採用されたからである。

 ヴァイスはワンピースだが、裾にはシュバルツと同じように花や葉の刺繍がされている。ヴァイスはエプロンに複雑な刺繍がびっしりと刺されていて、元の白い布が見えるのは肩のところのひらひらした部分くらいだ。首元には絞り染めのリボンと花の飾りがついている。本当は耳の辺りにも飾りを付けたかったらしいけれど、ヴァイスが耳を動かすのに邪魔になるため、諦めたようだ。

「ひめさま、にあう?」
「ほめて、ひめさま」
「シュバルツもヴァイスもとても可愛いですよ。皆の頑張りで素敵な衣装に仕上がりましたね」

 わたしがシュバルツやヴァイスだけでなく、皆を褒めると、ヒルデブラントもニコリと穏やかに目を細めた。

「素晴らしい物を見せていただくことができて、嬉しく思います」

 わたしはこれまで着ていたシュバルツとヴァイスの衣装を手に取り、ヒルデブラントへ差し出した。

「こちらがこれまで着ていたシュバルツとヴァイスの衣装です。ボタンをかけると魔法陣が完成になるのですけれど、ボタンをかけないように気を付けてくださいませ。魔法陣に魔力が流れて、守りが作動いたします」

 ヒルデブラントの側近がコクリと頷くと、衣装を手に取ってじっくりと見始める。

「エーレンフェストの新しい衣装はこのままの魔法陣が使われているのですか?」
「いいえ、フェルディナンド様が改良していらっしゃいます。わたくしは魔法陣に詳しくございませんから、フェルディナンド様の師であるヒルシュール先生に尋ねてみてくださいませ」
「恐れ入ります」

 よくわからないことには答えない。魔術具や魔法陣関係の質問はできるだけヒルシュールとライムントに流せ、と言われている。神官長に言われた通り、わたしは答えて、シュバルツとヴァイスを手招きする。

「魔力供給をしましょう」

 わたしはシュバルツとヴァイスの額の魔石に手を伸ばし、そっと撫でながら魔力を流し込んでいく。シュバルツとヴァイスが心地良さそうに軽く目を閉じた。

「わぁ、可愛いですね」

 そう言って、横からヒルデブラントが手を伸ばしてきた。「触ってはなりません!」と急いで止めたけれど、間に合わなかったようだ。
 ヒルデブラントの指先が触った瞬間、バチッと音がして、静電気のような光が一瞬だけ浮かんだ。ヒルデブラントが「わっ!?」と叫んで自分の指先を押さえ、ヒルデブラントの護衛騎士がシュタープを手にする。

「主として登録した者、主が許可を出した者以外はシュバルツとヴァイスに触れないのです。……そのような魔術具がヒルデブラント王子の身近にはございませんか?」

 王宮ならばわたしが知っているより、もっと多くの魔術具があり、使える者、使えない者が明確に分けられているはずだ。わたしの言葉にヒルデブラントの側近が軽く息を吐いた。

「王宮にある魔術具は王族として登録された時点で、全て触れるようになっています。ヒルデブラント王子に触れぬ魔術具は周囲にありませんでした」
「私にはシュバルツとヴァイスを触ることができないのですか」

 ヒルデブラントが肩を落とすと、側近の一人がわたしに向き直った。

「この魔術具は王族の遺物である。ならば、暫定的に主として定められたローゼマイン様ではなく、ヒルデブラント王子が管理すべきではありませんか?」

 主の地位をヒルデブラントに譲れと言われて、わたしは去年のレスティラウトの時と違い、すぐさま頷いた。

「王族の魔術具ですから、図書館で滞りなくシュバルツとヴァイスが活動できるのであれば、わたくしは構いません。王族が管理する方が望ましいと思います。わたくしが貴族院を不在にする春から秋の間も、ヒルデブラント王子でしたら魔力供給に来られるでしょう。魔石や魔力を準備する必要もありませんし、とても助かります」

 シュバルツとヴァイスがいなければソランジュが困るので、魔力供給をしているだけだ。代わってくれる人がいるのならば、その方が良い。わたしがあっさりと同意したことに、申し出た側近の方が驚いたような顔をした。
 同時に、シュバルツとヴァイスの衣装を見ていた文官達は眉をひそめる。

「主として魔力供給をすると簡単におっしゃいますが、洗礼式を終えたばかりのヒルデブラント王子には少し大変ではないでしょうか。お体への負担が大きいと思われます」

 ヒルデブラントの魔力量と体調を気遣う側近に、わたしは他の心配事も並べていく。魔法陣や魔術具に詳しい文官ならば判断できるはずだ。

「他にも心配なことはあります。学生がいない間だけしか行動できないヒルデブラント王子に滞りなく魔力供給ができますか? それから、完全に主を交代してしまうと、新しい衣装がまた必要になりますけれど、人手や素材は大丈夫ですか?」

 神官長はかなり溜め込んでいた希少な素材を使ったと言っていた。中央ならば心配いらないのかもしれないが、この刺繍は時間がかかる大仕事である。刺繍を指でたどっていた文官が答えを避けるように視線を伏せた。あまりやりたいことではないようだ。

「後、これが一番大事なことなのですけれど……」

 わたしはきょとんとしているヒルデブラントに向き直る。

「ヒルデブラント王子に覚悟が必要です」
「覚悟ですか?」

 首を傾げるヒルデブラントに大きく頷き、わたしは真面目に尋ねた。

「はい。シュバルツとヴァイスの主として登録されると、ひめさまと呼ばれることになります」
「え?」
「殿方でも、ひめさまと呼ばれます。これまでの男性の司書はそのように呼ばれていたそうです」

 これくらいの男の子は女の子に見えるような男の子もいる。ヒルデブラントは綺麗な顔立ちをしていて、穏やかな雰囲気なので、衣装によっては女の子に見えなくもない。そんな子が「ひめさま」と呼ばれるようになるのだ。男装しているように見えるかもしれない。男の子としての自尊心が傷つく可能性はある。

「ヒルデブラント王子にはこれから先ずっとひめさまと呼ばれる覚悟はございますか?」
「私は男です。ひめさまと呼ばれたくはありません」

 ヒルデブラントが「絶対に嫌です」とぶるぶると首を振った。もしかしたら、女の子と間違われることに何か嫌な思い出でもあるのだろうか。

「でしたら、主ではなく、供給の協力者として登録しましょう。それならば、名前で呼ばれますし、シュバルツとヴァイスに触ることができます。定期的に図書館を訪れなくても大丈夫です」
「そちらが良いです。お願いします」

 わたしの案にヒルデブラントが顔を輝かせた。側近達も負担が少ない方が良いだろうと許可を出してくれる。

「ただ、闇と光の属性が必要ですけれど、大丈夫ですか?」
「はい!」

 こうして、ヒルデブラントを協力者として魔力登録し、図書委員が一人増えることになった。



 シュバルツとヴァイスを撫でまわし、ご機嫌で戻っていくヒルデブラントを見送って、わたしは王族の機嫌を損ねることなく、この場を乗り切ったことにホッと安堵の息を吐く。

「……お姉様の社交は何が起こっているのかよくわからなくて、止める隙もありませんね」

 王族との接触を止めたかったけれど、止め処がわからなかった、とシャルロッテが落ち込んだように呟いた。

「早く寮に戻りましょう。他にも何か起こりそうですもの」

 シャルロッテがそう言いながら、皆を促す。着替えの手伝いに来ていた女の子達は皆、王族と会うという体験にぐったりしているように見えた。
 疲れている皆と一緒に部屋へと戻りながら、わたしはふと思い出してシャルロッテに尋ねた。

「シャルロッテ」
「何ですか、お姉様?」
「シャルロッテは年下の殿方をどう思われますか? その、やはり頼りなく感じるのでしょうか?」

 シャルロッテはわたしを見て、何かを悟ったように軽く目を閉じた後、そっと息を吐いた。

「頼りないかどうかはその方によりますが、わたくしはやはり年上の方が頼りがいはあるように思えます。これでもお兄様っ子ですから」

 ……あらら、残念。振られちゃったね、王子。

 シャルロッテは年上が好み、と脳内に書き込んでいると、シャルロッテが少し心配そうにわたしを見下ろした。

「お姉様もヒルデブラント王子よりお兄様の方が頼りがいはあると思われませんか?」
「……そうですね。図書館を好きにしても良いという度量が男には一番必要ですから」

 寮の本棚を好きにして良いと言ったヴィルフリートのことを忘れていないよ、と言うと、シャルロッテはとても不安そうな顔になった。

着替え完了です。
ヒルデブラント王子が図書委員になりました。
ローゼマインの綱渡り社交にシャルロッテが頭を抱えています。

次は、名捧げの石です。
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