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本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~ 作者:香月 美夜

第四部 貴族院の自称図書委員

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ローデリヒの願い

 名を捧げると言いだした時のローデリヒの緊張した顔と酷似して見えて、わたしも知らず知らずのうちに緊張してしまう。自分で側近にしようと思ったことがあるローデリヒの名を受け取る覚悟ができるかどうかは、わたしのこれから先に大きく関わってくる。コクリと喉が鳴った。

「姫様、お心の準備をよく整えた上でお望みくださいませ」

 リヒャルダの静かな声が降ってくる。わたしが振り返ると、リヒャルダが柔らかく微笑んだ。

「名を捧げることはとても重大なことです。それは捧げる方にとっても受け取る方にとっても同じこと。姫様のお心の準備も大切なのですよ」

 ローデリヒの決意を秘めた顔にリヒャルダもわたしと同じ事を考えたのだろう。年長者の意見にわたしが頷くと、ローデリヒがゆっくりと頭を振った。

「いきなり名を捧げようとは思いません。今はローゼマイン様と話をしたいと思っています」
「一体何のお話ですか?」

 名を捧げるのでなければ何だろうか。全く思い当たらない。首を傾げるわたしを見て、ローデリヒが少し考えるように視線を巡らせる。

「……私が名を捧げたいと思った経緯や、これまでに考えてきたことです。ローゼマイン様にお話しなければ、名を受けるかどうか判断することもできないだろう、とローゼマイン様の側近に言われたので」

 わたしが思わずユーディットやフィリーネへ視線を向けると、ユーディットが軽く肩を竦めて「ハルトムートですよ」と呟いた。どうやらハルトムートが暗躍しているらしい。けれど、ローデリヒの話を聞く機会は必要だ。

「リヒャルダ、個室を準備してちょうだい」
「かしこまりました、姫様」
「本当ならば二人でお話した方が良いのですが、護衛騎士や側仕えが付くことになります。許してくださいね」
「私が別の派閥のため、警戒対象であることは理解しています」

 リヒャルダが話をするための個室を押さえている間に、わたしは軽く目を伏せるようにして、勉強していた紙をまとめていく。フィリーネにも緊張が移ったのか、ローデリヒとわたしを交互に見ながら筆記用具を片付け始めた。

 護衛騎士のユーディットやフィリーネも連れて、わたし達はリヒャルダが準備してくれた個室へと移る。小さな部屋でローデリヒにも席を勧め、向かい合った。

「ローデリヒのお話とは何かしら?」

 一度目を伏せたローデリヒが顔を上げて、フィリーネを見て、ユーディットを見て、リヒャルダを見て、最後にわたしで視線を止めた。

「マティアスにはよく考えろと言われましたが、私はローゼマイン様に名を捧げたいと思っています。もちろん、ローゼマイン様が受け入れてくださるのでしたら、の話です。ローゼマイン様は名を捧げられることを望んでいない。私が名を捧げることは負担にしかならない、と言われていますから」

 これを言ったのもハルトムートだろうな、と軽く息を吐きながら、わたしは頷く。

「同時に、ローゼマイン様にわかってもらえるように言葉を尽くせとも言われました。貴族院にいる間にしかできないことだから、と。……ですから、少しお話がしたいのです」

 言葉を探すようにしながら静かにそう述べるローデリヒは、初対面の印象からはずいぶんと面変わりしていた。

 ……初対面ではやんちゃな印象だったんだけどな。

 ローデリヒはヴィルフリートの友人という印象が強く、一年目は一緒にはしゃいで走り回っていたと思う。わたしに雪玉を投げた子供達の内の一人だったし、教材の貸し出しに関しても、絵本ではなくカルタとトランプを希望していたと思う。ヴィルフリートを失態に追いやったことで、ローデリヒに大きな変化があったのは間違いない。

「私は初めての子供部屋がとても楽しかったのです」

 ローデリヒはそんな言葉から話を始めた。初めて見る玩具の数々、ゲームに勝てば身分には関係なく与えられるおいしいお菓子、周囲のレベルを確認して発奮できる勉強環境。そして、お金ではなく、わたしが知らないお話と引き換えに貸してくれる教材。

「最初はカルタ欲しさでした。お話だけで借りられるならばカルタがいいと思って、ローゼマイン様に話し始めました。けれど、話している途中で話の筋がわからなくなってしまったのです。とりあえず、何とか話を終わらせなければ、と即興で作って話を続けました」

 視線を泳がせながら、必死に話を続けていたローデリヒの姿を思い出して、わたしは小さく笑う。

「えぇ、子供らしい発想でとても面白かったです」
「そうやって、ローゼマイン様が面白がってくれたことが嬉しくて、私は調子に乗ってもう一つお話を作り、トランプも借りることができました。来年も借りられるようにお話を集めようと、春の間に親から話を聞きだし、本当に子供部屋を楽しみにしていたのです」

 ローデリヒは冬の子供部屋に先駆けて、秋の狩猟大会で貴族街にいる子供達と再会できるのをとても楽しみにしていたらしい。狩猟大会では子供ばかりで集まって、ゲームをして遊んで、大人達の言葉に乗って、白の塔を目指して探検を始めた。

「木々に目印を付けているから迷うことはないけれど、白の塔は領主一族しか入ってはならない、と父に言われていました。ちょっとした冒険があのような結果になるとはつゆ知らず、普段は許可なく入ることができない森の探検を私は楽しんでいたのです」

 そして、白の塔へ入ったヴィルフリートが罪に問われ、唆した貴族達も罪に問われた。貴族達への罰は軽かったけれど、その後、ローデリヒを取り巻く周囲の様子はガラリと変わってしまった。

「私は第二夫人の子で、元々あまり大事にされていませんでした。ただ、ヴィルフリート様と同学年で同性なので、近付く機会は多くなります。その部分が父から評価されていました。仲良く遊んでいた頃は優しく笑顔が多かった父は、私がヴィルフリート様に遠ざけられると同時に、笑顔を消しました。そして、失態を責められるようになり、私は途方に暮れました。探検を唆したのは父ではないか、と」

 どちらにでも付けるようにしたかったのに、ローデリヒの失態で、父親は領主一族に近付くことができなくなった、とローデリヒに辛く当たるようになったらしい。わたしの魔力圧縮方法を自分の派閥に広げるようになってからは尚更だそうだ。

「家で肩身の狭い思いをするようになり、子供部屋でも皆と一緒に騒ぐことが難しくなり、沈んだ気分になりました。本でも読んで時間を潰す方が、周囲の目を気にしながらゲームをするよりずっと気が楽だったのです」

 わたしが眠った後の子供部屋については、運営していたヴィルフリートやシャルロッテの視点でしか聞いていないけれど、旧ヴェローニカ派の子供達にとっては非常に肩身の狭い場所だったようだ。

「そんな時、ローゼマイン様の護衛騎士が今年の子供部屋のために新しく作ったという本を見せてくれました。襲撃にあって眠らなければ、ローゼマイン様が見せてくれたはずだ、と言って。……その本の中に自分が語った物語がありました」

 ローデリヒは遠くを見るようにして目を潤ませ、「本当に嬉しかったのです」ときつく拳を握った。子供部屋に居場所がないように感じていた時に見つけた、ローデリヒの居場所だったそうだ。

「何度も繰り返し読むうちに、自分が語っためちゃくちゃな文章がきちんと本として読めるように直されて、物語になっていることに気付きました。それから私は本に書かれた文章を注意して読むようになりました。どのように書けば良いのか、考えながら文章を作るようになったのです。まだ、稚拙ですが」

 子供部屋でゲームに熱中して遊ぶのではなく、ローデリヒは聖典絵本や騎士物語を読みこみ、フィリーネの集めたお話を元に新しい話を作ってみたり、自分で集めた話を読むための文章に直したりしていたらしい。手元に本がほとんどないローデリヒには大変な作業だったと思う。

「努力がよく表れていると思います。ローデリヒの持ち込むお話は丁寧に作られていますから」
「恐れ入ります。ローゼマイン様はそのように派閥に関係なく誰の行いも評価してくださいます。去年、私のお話を買い取ってくださいました。私はあの時にローゼマイン様に仕えたいと強く思ったのです」

 自分は完全に警戒されている派閥の者で、婚約者となったヴィルフリートに対する失態も犯している。成人して派閥を抜けてもそう簡単に信用は得られない。
 ローデリヒは指を組んだ自分の手を見下ろすようにして、わたし達から視線を外し、言いにくそうに先を続けた。

「私は側近になれないのに、自分と同じように話を集めていた下級貴族のフィリーネが側近として仕えることを許されました。それが非常に羨ましく、私は派閥が違う自分の立場を恨みました」

 ローデリヒの言葉にフィリーネが申し訳なさそうな表情になって、そっと顔を伏せる。

「私がローゼマイン様の側近になれる機会は絶対にないと思っていました。けれど、名を捧げることで信用が得られる、とアウブ・エーレンフェストは示してくださった」

 ローデリヒがくっと顔を上げて、わたしを見た。

「名を捧げることで信用されるのならば、私は名を捧げたいと思います。フィリーネがあらゆる物語を集めてローゼマイン様に捧げることを誓うならば、私はローゼマイン様のために物語を作って捧げることを誓いたいと思うのです」

 指を組んでいる手に力が入る。指先が白くなるほど力が籠っていた。ローデリヒの焦げ茶の目が強い光を孕み、わたしをじっと見つめる。

「お願いです。……ローゼマイン様が私を側近に召し上げても良いと思える物語を作ることができれば、その時、私の名を受けていただけませんか?」

 名を受けてほしいと願うローデリヒは、側近として召し上げていなくても、とっくにわたしの臣下だった。わたしはもうローデリヒが持ち込んだ物語を読んで楽しんでいる。側近にしたいと周囲に願い出て却下されている。

 ……養父様が名を捧げれば、信用しても良いって言ったんだよね?

 ローデリヒの名を受けることで周囲が納得するならば、側近に召し上げても良いのではないだろうか。

「わたくしはローデリヒの名を受けたいと思います」
「ローゼマイン様!?」

 信じられないというようにローデリヒが目を丸くして、わたしを見る。

「わたくしが一番欲しい物をローデリヒは捧げてくれるというのですもの。物語と一緒に名も受け取ります」
「姫様にとっては名がおまけなのですね」

 リヒャルダが呆れたようにそう言ったけれど、本当にそうなのだ。わたしは名を捧げられなくてもローデリヒを信用できるのだから。

「ただ、こちらでもローデリヒの受け入れ態勢を整えなければなりません。まず、自分の家族とよく話し合ってくださいませ」
「話し合う必要はありません。家族にとって、私はいてもいなくても良い存在です」

 その表情が辛そうに見えて、わたしはローデリヒの顔を覗き込んだ。

「わたくしと繋がりができれば、家族の方から近付いて来るのではありませんか? それを機会に……」

 家族と仲良くすれば、と言いかけたわたしをローデリヒがきつく目を瞑ることで拒否する。

「父の言葉で私はヴィルフリート様の信用を失い、子供部屋での楽しい時間をなくし、ローゼマイン様の側に近付くことが難しい立場へと追いやられました。私が名を捧げるのは、私が信頼を得るためであって、父のためではありません。もし、父の言葉や行動でローゼマイン様が不利益を被ることがあれば、私は二度と父を許せなくなります。家族と離れることを許してください」

 家族と離れたいというローデリヒの姿はかつてのルッツを思い出させる。あの時、神官長は全てを詳らかにしなければならない、と言った。それぞれを思う心がずれている可能性もある。ローデリヒが父の言動に傷つき、辛い思いをしたのは事実だが、それだけで判断はできない。

「ローデリヒをフィリーネと同じように家族から離す方が良いのか、家族と共に過ごせる方が良いのか、わたくしには情報が足りません。冬の社交界で情報を得てから判断させてくださいませ」

 ローデリヒが安堵したように肩の力を抜いた。ゆっくりと頷いた後、先を見据える強い瞳で嬉しそうに微笑む。

「ローゼマイン様が受け入れの準備を整えてくださる間に、私も名を捧げる準備を整えます。まずは名を刻む魔石の作り方から勉強しなければなりませんから」



 わたし達が話し合いを終えた時には一年生がぶつからないように少しずつ間隔を空けて順番に戻ってきていた。腕に見えない物を大事そうに抱えているのがわかる。

「すぐに自分の部屋へ入るのですよ。誰にもぶつからないように気を付けて」

 リヒャルダが一年生にそう声をかけた。シャルロッテが誇らしげな笑顔で頷きながら階段を上がっていく。これから一年生は「神の意志」が自分に馴染むまで部屋から出ずに過ごすのだ。去年の自分を思い出して懐かしくなった。

 一年生がいない分、静かな食堂で夕食を終え、明日の休日をどのように過ごすのか、側近達と話し合う。わたしの動向によって、側近達は行動が変わるのだ。

「わたくし、できれば図書館に行きたいです」
「ローゼマイン様、わたくしとリーゼレータはお茶会など、社交の打ち合わせのために外出したいと考えております」

 ブリュンヒルデとリーゼレータは早くから始まる社交の下準備に動きたいと言い、コルネリウス兄様とレオノーレは魔獣狩りに行きたいと言い出した。

「上級の文官コースが講義で使う素材を共同で準備するのです」

 騎士見習いの人数が少なく、一つの領地で準備をするのが大変な領地ばかりが集まって、協力し合って狩りを行うのだそうだ。

「ローゼマイン様の護衛にはユーディットを残します」

 それぞれやることがあるから寮でおとなしくしていてくれると嬉しいな、という側近達の意見が透けて見える。わたしが図書館を諦めきれないでいると、ハルトムートがニコリと笑った。

「ローゼマイン様、フェルディナンド様の本を読むのはいかがでしょう? お部屋で読んで勉強すると良いと思われます。フィリーネも一緒に」

 ……神官長の新しい本!?

 思わずわたしが振り向くと、ハルトムートは橙の目にニコリと笑みを浮かべて、「決まりですね」と言った。ハルトムートの思い通りに動くのはちょっとだけ悔しいが、新しい本の誘惑には抗えない。
 わたしの明日の予定は部屋で神官長の本を読むことに決まった。



 次の日、朝食を終えると、わたしの側近達はさっさと動き始めた。リーゼレータとブリュンヒルデは支度を整えて、側仕え達の集まりに出かけていく。

「ローゼマイン様、リーゼレータとわたくしは社交のために出かけますね」
「えぇ、お願いね」
「私とレオノーレは素材のために魔獣を狩ってきます。ユーディット、後は頼んだぞ」
「はい」

 コルネリウス兄様とレオノーレだけではなく、上級生の騎士見習い達が準備をしている。ヴィルフリートやシャルロッテの護衛騎士も寮に残すのは最低限の人数になるらしい。
 側仕え達や騎士見習い達を見送ると、ハルトムートがわたしに部屋へ戻るように言う。

「リヒャルダに本を渡します。ローゼマイン様はお部屋で待っていてください」

 部屋で待っていると、リヒャルダがハルトムートから神官長の本を受け取ってきてくれた。そして、机の上で広げてくれた本を、フィリーネと二人で覗き込む。

「思ったよりも薄いですね」

 ダンケルフェルガーの本をずっと写本していたフィリーネが神官長の本を見てそう言った。確かにダンケルフェルガーの本と比べると薄いけれど、一日で読み終わらない程度の厚みはある。

「これは魔法陣ですね」
「……魔術具の作り方ではないかしら?」

 神官長が貸してくれた本は魔術具の作り方に関する本だった。魔術具を作るために必要な素材や品質などが詳しく書かれていて、魔法陣が載っている。

「フェルディナンド様の手跡のようですから、研究成果をご自身でまとめられたものでしょうか?」

 神殿で手伝いをしているフィリーネは神官長の手跡もよく見ている。わたしは軽く頷きながら、ページをめくる。貴族院の図書館の二階で読んだことがある先生方の研究成果の一部についての記述があった。間違いなく神官長が自分のためにまとめた本のようだ。

「……ローゼマイン様、間に紙が挟まっているようです」

 フィリーネが指差す部分を見てみると、まるで付箋のように植物紙が挟まれていた。羊皮紙とは色が少し違うのでわかりやすい。植物紙にはメモ書きがあり、メモによるとそのページにはわたしが語った理想の図書館に欲しい魔術具を作る上で必要な情報が書かれているらしい。

「こちらの魔術具はものぐさな先生が失くしては困る物が自分のところへ戻ってくるように、と作った魔法陣だ。この魔法陣に期限を付け加えることができれば、君が欲していた返却期限を過ぎれば自動的に戻ってくる本ができるかもしれない。しっかり勉強して、一つの魔法陣に組み込んでみなさい……だそうです。フェルディナンド様はすごいですね」

 わたしの理想の図書館は現実的ではないと却下しつつ、できそうな部分に関してはこうして探してくれていたようだ。神官長の中ではすでに正解の魔法陣ができあがっていそうだが、それを教えてはくれないところがとても神官長らしいと思う。

「やってみましょう」

 フィリーネと一緒にああでもない、こうでもない、と言いながら、本を何度も見直しては魔法陣を作ってみる。

「移動させたいのですから、ここに風が入るのですよね?」
「風を入れてしまうと、ここに命が入るので起動しませんよ。でも、こちらに土を入れると動きが変わるでしょう? どうすればいいのかしら?」

 二つの魔法陣の機能を合わせ、新しい魔法陣を作るのは難しい。二年生のわたし達では全く歯が立たない。

「ユーディット、わかりますか?」
「今年はもう難しい魔法陣を習わないので、わたくしの知識はローゼマイン様やフィリーネとさほど変わりませんよ」

 ふるふると頭を振って辞退しようとする姿がアンゲリカを思い出させる。ユーディットがアンゲリカのようになってしまっては大変だ。

「ユーディットもなるべく頭を使った方が良いですよ。一緒に考えましょう。自動的に目的地へと動く魔術具ができればディッターで役に立つかもしれません」
「……それは騎士の仕事ではないと思うのですけれど」

 三人寄れば文殊の知恵とも言うので、渋るユーディットも引きこんで一緒に悩み始めた。けれど、やはりどうにも上手くいかない。

「ハルトムートにも意見を聞いてみたいですね」

 上級文官見習いで優秀者に選ばれるハルトムートならば、少しはわかるかもしれない。リヒャルダに個室を押さえてもらって、ハルトムートを呼んでもらうことにする。

「姫様、ハルトムートは不在でした」
「……ハルトムートに外出の予定はなかったですよね?」

 わたしが首を傾げると、フィリーネは頷き、ユーディットは「もしかしたら」と呟き、楽しそうに菫色の瞳を輝かせた。

「お相手に会いに行ったのかもしれませんね。他領の方ならば、約一年ぶりの逢瀬でしょうし……」

 ……何ですと!?

「つまり、フェルディナンド様の本を餌にわたくしを部屋に閉じ込めて、自分は恋人に会いに行ったということですか?」
「わたくしの思い付きですから、本当かどうかはわかりません。ただ、そうだったら面白いと思っただけですから」

 ユーディットが慌てたようにわたしの目の前で手を振った。

「でも、わたくし、ハルトムートのお相手について聞いていなかったことを思い出しました。ユーディットはどなたなのか、ご存知ですの?」
「いえ、残念ながら存じません。ハルトムートは人当たりが良いので知り合いも多いですし、情報を得るために他領の方とお話していることが多いですから、他領の方かもしれないと思ったことはございます」

 ……今日もこっそりデートなのだろうか。

 せっかくの機会なので絶対に聞きだしてやろう、とわたしが玄関ホールで待ち構えていると、帰ってきた騎士見習い達の方がぎょっとした顔でわたしを見た。

「ローゼマイン様、何かございましたか?」

 レオノーレの言葉にわたしは玄関扉から目を離さずに答える。

「ハルトムートが内緒で出かけたのです。これはお相手の方と逢瀬かもしれないと思って、どなたなのか聞き出すためにここで待ち構えているのです」
「そんなことのために寒い玄関ホールで立っていると体調を崩しますよ。せめて、多目的ホールに入ればいかがです?」

 コルネリウス兄様が呆れたような顔で溜息交じりにそう言って、多目的ホールを示した。

「ハルトムートを驚かすためにもわたくしはここで待ちます」
「……そうですか。では、私は着替えて参ります」

 やれやれ、とコルネリウス兄様が階段へと向かって行く。レオノーレはこちらを気にするように何度か振り返りながらも階段を上がっていった。

 ……絶対に聞き出すんだ!

 仁王立ちで待ち構えていると、ハルトムートが帰ってきた。わたしを見て、目を瞬き、首を傾げる。

「ローゼマイン様、こんなところでどうしました? フェルディナンド様の本を読み終わったのですか?」
「わたくしに本を与えて、こっそりと逢瀬ですか? どなたと会っていたのです? わたくしには紹介できないような方ですか?」
「……まるで悋気を起こした恋人のようなセリフですね」

 クックッと楽しそうに笑いながら、ハルトムートが紙の束を取り出す。羊皮紙とインクの匂いにつられて、わたしはついついその紙の束を目で追った。ハルトムートが右に動かせば右に、左に動かせば左に視線ばかりか体まで動いていく。

「私が会っていたのは他領の文官です。写本したものをいただく約束をしていたのです。私が敬愛する方のために集めてもらった騎士物語ですが、ご機嫌は直りましたか?」
「直ったので、見せてくださいませ!」

 早く、早く、と催促すると、ハルトムートがフィリーネに紙の束を渡した。

「ずっとここで待っていたのでしたら、体が冷えたはずです。部屋に戻ってから読んでください」
「わかりました。すぐに戻りますよ、ユーディット、フィリーネ」

 うきうきで部屋に戻る途中、着替えたコルネリウス兄様が階段を下りてくるのが見えた。

「わたくし、今からお部屋で騎士物語を読みます」
「温かくして読むように。わかったかい?」
「はい」

 コルネリウス兄様が階段を下りていき、ハルトムートに呼びかけるのが聞こえる。何だろうと思って階下を見ると、ハルトムートがコルネリウス兄様に向かって魔石か何かを投げているのがちらりと見えた。



 他領の騎士物語を読み始めたわたしは、ハルトムートのお相手について聞こうと思っていたことをすっかり忘れていた。
ローデリヒのお願いとローゼマインの決意です。
名前を捧げるためのお話合いでした。
そして、神官長の本を読んで過ごす土の日。

次は、奉納舞と調合をサクサクこなします。
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