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本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~ 作者:香月 美夜

第四部 貴族院の自称図書委員

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魔術具のインク

 
「属性はこの魔術具で調べることになる」

 神官長が丸いお盆のような物を持ってきた。中心に直径5センチくらいの七色に光る不思議金属のお皿がついていて、放射状に7色に分かれている。皿の縁から3センチくらいの間隔ごとに線が引かれているため、ちょっと見た感じはダーツボードに似ている円盤だ。

「ここに素材を置けばよい」

 やってみなさい、と言われたわたしは、干からびた木の根っこの先を小さく割って、魔術具のお皿の上に置いてみる。

「わっ!?」

 中心のお皿に根っこの欠片を置いた途端、黄色の部分に光が長く伸び始めた。同時に、短く青の部分が光る。

「これは、つまり、風の属性が強くて、ちょっとだけ火の属性もあるということですか?」
「そうだ。そして、この光の伸び方で品質を測ることができる」

 一番小さい円の中で光が止まった場合は品質が悪く、光が伸びるほど品質が良いらしい。この木の根っこは外側の円に触れそうなくらい光が伸びたので、かなり品質が良いのだ。

「面白いですね。じゃあ、これは……」

 わたしは次に粉の属性を調べてみようと手を伸ばすと、神官長に手をつかまれて阻止される。

「待ちなさい、ローゼマイン。一度皿を洗浄しなければ、正確には測れぬ。君は大雑把なところがあるので、よくよく注意するように」
「はい」

 シュタープを出したユストクスがすぐにお皿を洗浄してくれる。綺麗になったお皿がまた中心に置かれた。

「神官長、わたくしもその洗浄の魔術を覚えたいです。とても便利なので」
「側仕えにさせれば良い。君は自分で動きすぎる。周囲の人間の仕事を奪わないように」
「……工房に籠って実験する時は神官長も自分で洗浄しているのではございません?」

 ユストクスは入れないと言っていたはずだ。むぅっと頬を膨らませて抗議すると、神官長がひどく面倒くさそうに手を振った。

「騎士は知っているから、後でダームエルに教えてもらいなさい。今は時間が惜しい」
「あの、フェルディナンド様。私が教えるのですか?」

 困惑するダームエルに神官長が当たり前の顔で頷いた。

「二人しか護衛騎士がいない状態で、どちらが他人に教えることを得意としているか考えれば、簡単に答えは出るだろう?」
「ダームエルはすごいのです。わたくしに座学を教えてくれたのですから」

 アンゲリカが少し頬を染めて照れたようにダームエルを褒める。まるで勉強を教えてもらって、うっかりときめいてしまった乙女の表情だが、騙されてはならない。アンゲリカは自分に不向きな仕事を精一杯回避しているだけだ。
 ダームエルは座学を教える過程で、アンゲリカの表情にはもはや騙されなくなっているので、軽く溜息を吐いて「アンゲリカには任せないので安心していい」と呟いた。

「フェルディナンド様、こちらの液体は何ですか? 油でしょうか?」

 瓶を振ると、とろりと動く液体だったので、わたしは何となく聞いてみた。良質の油ならば、インク工房に情報を回せないかな? と思ったのだ。

「あぁ、クルアイゼという魔木から取れる油だ」
「……クルアイゼとは、もしかして、アイゼの上位種ではありませんか?」
「そうだが、知っているのか?」

 色インクを作るために使われている油のうちの一つがアイゼだった。クルアイゼが上位種ならば、品質は悪くても似たような性質を持っているはずだ。

「アイゼは風の属性が強いのですよね?」
「……そうだが」
「ということは、亜麻仁油は火の属性、ミッシュは水の属性、ペードは土の属性が強いということでしょうか?」
「君が何を言っているのか、理解不能だ。質問するならば、こちらにわかるように説明しなさい」

 神官長に睨まれて、わたしはグーテンベルクのインク工房で作られている色インクの話をした。思うような色にならず、とても苦労した中で、何となく傾向をつかんだのだ、と。

「それは間違いなく属性に左右されているのだろう。魔力が高く、魔石が取れる物を魔物と呼んでいるが、魔力に満たされた土地で生きる者には量の差はあれど、魔力を持っている。平民とて例外ではない。だからこそ、最も魔力を含む血を使うことで契約魔術が使えるのだ」
「そうだったのですか」

 つまり、この属性を調べる魔術具がインク工房にあれば、インクの研究がもっと捗るのではないだろうか。

「神官長、この魔術具っておいくらですか?」
「売り物ではない。欲しければ自分で作りなさい」
「これも自作ですか!?……わたしの分も作ってください」
「断る。これは微量な魔力に反応するための魔石の質を揃え、純粋な属性だけを取り出し、全属性分準備するのが非常に大変なのだ。作り方は教えるので、自分で作りなさい」

 神官長が非常に大変と言うならば、本当に大変なのだろう。挑戦する前に諦めることにした。あったら、便利だが、なくてもインク研究はできている。

 ……ごめんね、ハイディ。わたし、そんな大変な魔術具を作ってる余裕はないの。

「それにしても、品質が悪い素材ばかりとはいえ、平民がよくそれだけの材料を揃えて、確信が持てる程の結果が出るまで研究できたな」
「うふふん、わたくしのグーテンベルクは優秀なのです」

 わたしが胸を張ってグーテンベルクの自慢をしていると、ユストクスが小さく笑いながら肩を竦めた。

「ハイディにとってのインクは、ローゼマイン様にとっての本と同じだと聞いております。ローゼマイン様が育てているグーテンベルクはそれぞれの技能に特化した者の集まりなのです」
「方向性の違うローゼマインが何人もいるということか。納得した」

 ……納得された!?

「無駄話はこのくらいにしてインク作りを始めるぞ」
「はい」
「これから作るのは魔力を含んだインクだ。契約魔術に使われ、平民の商人に向けて売られている物を少し変化させる」

 ベンノが持っていた契約魔術用のインクは、平民の血に含まれる微量の魔力でも反応するように、作成者の魔力を一度魔石に移し、属性や個々の色合いを除いた魔力で作られるらしい。

「意外と面倒な手順を使って作られているのですね」

 貴族は魔術具のペンを使って自分の魔力で書くので、このインクは特に必要ないと言うのを聞いて、わたしはハッとした。

「……魔術具のペンで、布に直接描けば、別にインクなんて作る必要ないのではありませんか?」
「いや。布にも君の魔力を含ませるつもりだ。どちらも同じ魔力同士なので混じり合ってしまい、魔法陣の意味をなさない」

 いまいちよくわからなかったけれど、魔力そのものではなく、魔力が混じり合わないようにするための粘度が高いインクが必要らしい。そして、魔力濃度も上げておく必要があるのだそうだ。

「よくわからないですけれど、言われた通りにします」

 魔術具のインク作りもユレーヴェ作りの時と基本は同じだ。素材を順番に入れて、調合用の棒でぐるぐると掻き回し続ければ良い。前回と違うのは、今回は調合道具をシュタープで作るところである。

「これを細かく刻みなさい。シュタープをナイフに変形させなければならないのだが、やり方を覚えているか?」

 貴族院でやったことをすでに忘れているようなことはないだろうな、と神官長に睨まれながら、わたしはシュタープを出した。

「メッサー」

 シュタープをナイフに変形させて、言われた通りに木の根っこを細かく刻んでいく。こんな干からびた根っこがナイフで切れるのかな、と不安に思っていたけれど、魔力で切るのであまり力を込めなくても切れる。
 調子に乗ってみじん切りにしてみたら、「調合は初めてなのに、ずいぶんと手慣れていますね」とアンゲリカに言われた。

「は、初めてではありません。フェルディナンド様のお手伝いをしたことがあります」
「調合のお手伝いもしていたのですか? すごいですね」

 ……ユレーヴェ作りもしたけれど、みじん切りは麗乃時代と下町時代の料理経験です。

 うふふ、と笑って誤魔化すと、アンゲリカ以外の、わたしが下町出身であることを知っている他の皆は揃って溜息を吐く。「馬鹿者」という神官長の声が聞こえた気がした。

 みじん切りを終えた後は、「リューケン」と唱えて、シュタープの変形を一度解除する。そして、天秤で量を測り、全ての材料が揃ったら調合開始だ。

「最初に入れるのは、最も品質が高く、基本になる素材だ」
「はい」
「今日はこちらの調合鍋で十分だろう」

 神官長が出したのは小さい片手鍋のような調合鍋だった。
 調合鍋にはまず根っこのみじん切りを入れる。次に「バイメーン」と唱えてシュタープを混ぜ棒に変形させる。これまでの癖で自分の身長を超えるような混ぜ棒を作ったわたしを見て、神官長がこめかみを押さえた。

「馬鹿者。この小さな鍋にそのような大きな混ぜ棒が使えるわけがなかろう。もっと短く使いやすい大きさを思い浮かべなさい」
「はい」

 気を取り直してやり直しである。一度「リューケン」と唱えて、変形解除した後、わたしは「バイメーン」と唱えて、鍋の大きさに合わせた擂粉木(すりこぎ)のような大きさの混ぜ棒へと変化させた。

 ぐるぐるぐるぐる……。ぐるぐるぐるぐる……。

「前のように、どろりと解けてきたら、次を入れるので良いですか?」
「あぁ。次はこちらの粉を入れて、そちらの油を入れる。君の魔力濃度を上げるために、最後にこれを入れる」

 神官長によって作業台の上には入れる順番に材料が並べられていく。基本の根っこを入れた後はクルアイゼの油を入れて馴染ませる。その上に、インクに含まれる魔力を増加させるために青の属性の粉を入れ、インクを布に定着させるために赤の属性の液を少し加える。最後に入れるのは、魔石に魔力を込めすぎた時にできる金色の粉だ。

 ぐるぐるぐるぐる……。ぐるぐるぐるぐる……。

 品質の問題なのか、シュタープを変形させた混ぜ棒の方が効率は良いのか、みじん切りは意外と早く解け始めた。
 でろんとした中にクルアイゼの油を入れて、混ぜ続ける。

 ぐるぐるぐるぐる……。ぐるぐるぐるぐる……。

 粉をパラパラと入れて、更に混ぜる。液体をバシャと入れてひたすら混ぜた。
 結構魔力が取られている感覚がしている。

 ぐるぐるぐるぐる……。ぐるぐるぐるぐる……。

「神官長、身体強化していても疲れてきたのですが……」
「もうじきできる。インクを作るといったのは君なのだから、我慢しなさい」

 神官長がそう言った時、パァッと一瞬、でろっとした液体の表面が光った。

「できたのですか?」
「いや、これで最後だ。君の魔力の固まりだからな。魔力濃度は上がるだろう」

 神官長に言われるまま、わたしは金色の粉をパラパラと入れて、ぐるぐる混ぜる。少し混ぜるとまた表面が光った。

「できたな。零さぬように気を付けて、こちらの瓶に移しなさい」

 神官長に言われて、わたしはできあがったインクを瓶に移す。ベンノのところで使っていた契約魔術のインクと同じような青のインクができた。
 自作のインクにわたしのテンションが上がっていく。

「神官長、試し書きをしても良いですか? どのくらいの滲みが出るのか、把握しておきたいのです」

 わたしは工房から出ると、フランにインクの試し書きをしたいので、いらない布がないか聞いてみた。基本的に不要な布などないのだが、雑巾にするような布で良いので一枚欲しい、と言えば、フランはすぐに持って来てくれる。

 工房に戻って、わたしは作業台の上に布を広げると、その上にできたての青いインクで線を引いてみた。スッと線が引ける。驚くくらいに綺麗な線ができた。
 しばらく見ていても滲まない。むしろ、インクがじわっと盛り上がってきた。麗乃時代に使ったことがあるもこもこペンに似ている。

「何だ、これは?」
「……滲みませんね」

 防染剤がなくても、滲む気配はない。これなら、別に防染剤がなくても大丈夫だ。
 ルッツに頼んで、ロウ原紙を作っていた時に実験していた結果から、柔軟性があって割れにくい蝋を準備してもらって、蝋作りから始めるか、米糊の代わりになりそうなものを開発していくか……と頭の中で考えていたのが、一気に霧散していく。

「安心するのはまだ早い。魔力を含んだ布で試してみなければ、本当に滲まないかどうか、わからぬ」

 神官長が眉間にくっきりと皺を刻み込んで難しい顔で、ちょっと膨らんでいるインクの線を睨んだ。

「……どうしてそんなに不満そうなのですか?」
「不満なのではない。予想と違った物ができたようなので、困惑しているだけだ」

 わたしとしては新しくできたもこもこインクが時間経過と共にボロッと外れなかったら成功だと思うのだけれど、神官長は全く納得できないらしい。

「ローゼマイン、この布を魔力で染めなさい。魔力で染めた布でもこのような状態になるのかどうか試したい」
「神官長、わたくし、インク作りに魔力も使いましたし、結構疲れたのですけれど」

 もう成功で良いじゃん、という思いが顔に出てしまったのだろう。ほんの少し心配そうにわたしの顔色を見ていた神官長が軽く片方の眉を上げた。

「ならば、薬を飲め。すぐに回復できるぞ」
「やります」

 無理やり激マズ薬を飲まされるくらいならば、もうちょっと頑張った方が良い。

 ぐるぐるぐるぐる……。ぐるぐるぐるぐる……。

 わたしは神官長が次々と材料を鍋に放り込んでいく間、ずっと混ぜ続けた。
 表面がカッと光って、できあがった赤い液体に、試し書きをした部分が切り取られて半分の大きさになった布が鍋に投入される。ずわっと一瞬で布が鍋の中の液体を吸い取った。

「ひゃっ!?」

 鍋の中の布は液体の赤を吸ったはずなのに、色が変わっているわけでもなければ、濡れているわけでもない。作業台に置かれたままの試し書きがある布と全く同じに見えた。

「全く変化しているように見えませんけれど、これで魔力に染まっているのですか?」
「そうだ。触れればわかる」

 わたしが布をつかんで取り出そうとしたら、全体が淡く光った。

「わぁ!」
「君の魔力で染めてあるので、最も君の魔力に反応する。もちろん、他の者の魔力にも反応はする。こうして魔力で染めておくと、魔法陣を刺繍した時に魔力が通じやすくなり、効力が上がるのだ」
「へぇ……」

 布を魔力で染めること自体はそれほど難しいことではないそうだ。アンゲリカもダームエルも自分のマントは自分の魔力で染めているらしい。

「そのインクが使えるかどうか試してみなさい」
「はい」

 わたしはもこもこインクを使ってみた。線を引く感覚も普通の布と変わらず、時間がたつと盛り上がってくるところも同じだ。

「……大丈夫そうですよ」
「何故だ?」

 不可解そうに神官長がわたしの持っていたペンを取って、線を引く。ほんの少し輪郭が崩れているように見えた。盛り上がりもほとんどない。

「神官長が線を引いたら、ちょっとだけ滲みましたね」
「滲んだな」
「……何故ですか?」
「わからぬ。エックハルト、書いてみろ」
「はっ!」

 エックハルト兄様が線を引くと、はっきりと滲んだ。盛り上がる部分は全くない。ユストクスも面白がって書きたがったので、ペンを渡した。引かれた線は滲んでいた。エックハルト兄様よりも滲んでいると思う。
 神官長がいよいよ難しい顔になった。

「アンゲリカ、ダームエル。其方等もやってみなさい」
「はい」

 アンゲリカ、ダームエルと、どんどん滲みがひどくなっていく。ダームエルが一番ひどい。布の上に書かれたもこもこペンと墨汁くらいの違いがある。

「これはもしかして、書き手の魔力量の違い、でしょうか?」
「もしくは、魔力属性や質……。詳しく調べてみなければわからぬ。ローゼマイン、このインクを預かっても良いか?」

 神官長のマッドサイエンティストスイッチが入ってしまったようだ。素材は神官長の物だったし、神殿の日常生活に害がない限りは別に工房へ籠られても問題ない。

「食事をしてから工房に籠ることと明日の3の鐘までには工房から出ていることを約束してくださるならば、構いませんよ」

 面倒な事を、と睨まれたが、神官長を工房から呼び出すためだけに動員されるのは真っ平だ。わたしはわたしの読書時間を断固として守りたい。

「仕方がない。ユストクス、側仕え達に食事の準備をさせろ。その間に私はできるだけの仕事を片付ける。……ダームエル、ここの片付けは任せる」
「はいっ!?」

 突然の指名にぎょっとするダームエルを放置して、神官長はインクの入った瓶を持つと、ユストクスとエックハルト兄様を連れていそいそと出て行った。

「……何故私が?」
「アンゲリカは道具を粗雑に扱うと思われているのかもしれませんね」
「確かに貴族院でもヒルシュール先生によく叱られましたが、何故フェルディナンド様がそれをご存知なのでしょう?」

 さすがに「しばらくアンゲリカを見ていれば、誰でもわかるんじゃないかな?」とは口に出せず、わたしは軽く肩を竦めた。

「わたくしに洗浄の魔術を教えるように、ということでしょう」
「そういえば、そのようにおっしゃいましたね」

 わたしはそのまま工房でダームエルに洗浄の魔術を教えてもらった。シュタープを出して、魔力を込めながら「ヴァッシェン」と唱えるだけなので、別に難しいことではない。

「水の属性がないと非常に魔力が必要になるのですが、ローゼマイン様には無縁の話ですよ」

 ダームエルがそう言って軽く頭を振った。魔力圧縮で魔力が増えた今はマシになったが、以前は洗浄するのも楽ではなかったらしい。

「では、この辺りの道具を一気に洗浄してしまいましょうか」

 わたしは作業台を見ながら、シュタープに魔力を込めていく。

「ヴァッシェン!」

 その途端、滝のような水が降ってきて、一瞬で工房全体を満たした。
 突然の水流に巻き込まれるように体が浮いて上下もわからないくらいにぐるりと体が舞う。大きく目を見開いて、わけがわからないままにガボガボッと溺れている間に水は消えてなくなった。

 宙に浮いていたわたしの体が重力に引かれて落下する。そこにはちょうどダームエルがいた。ダームエルも水流に呑まれたようで、仰向けに倒れている状態だ。

「ぐはっ!」

 お腹でわたしを受け止めたダームエルが呻く。咳き込みつつ、「お怪我はございませんか?」と聞けるダームエルは護衛騎士の鑑である。

「けほっ! こほっ!」

 アンゲリカも予想外の水攻めに目を白黒させながら、咳き込んでいる。すでに水はないので、服も髪も濡れていないが、水に溺れた感触だけは残っているのだ。わたしはこの間も体験した。

「ローゼマイン様、何という量の水を呼ぶのですか?」

 わたしに圧し掛かられたまま、ぐてっとしているダームエルにそう言って軽く睨まれ、わたしはそっと視線を逸らす。

「魔力量で呼ばれる水の量がこれほど変わるなど、初めて知りました。以後、気を付けます」

 ……洗浄の魔術、恐るべし。



「ローゼマイン、悪いが、午後に予定がなければ工房に入れてくれないか?」
「はい?」

 次の日、お手伝いに向かうと同時に神官長にそう言われた。
 工房へと持ち帰ったインクで色々と実験してみよう、と昨夜一晩工房に籠っていた神官長が様々な紙や布、木札に試し書きをし、仮眠を取って起きたら線が全て消えていたらしい。
 わたしの工房に置きっぱなしだった布がどうなっているのか知りたくて、待ち構えてたのだそうだ。きちんと約束を守って工房から出てきていることに感心していたのが薄れていく。

「インクが消えるのですか? 工房に入るのは構いませんけれど……もし、インクが消えていたら、使えませんよね?」
「このインクが使えなければ、余計なことをせずにおとなしく刺繍をすればよいだけの話だ。何の問題もない」

 ……それが嫌だからインク作ったのに! ひどいよ!

 今日も読書の時間が奪われて、午後からまたしても工房である。わたしもさすがにインクがどうなったのか気になるので、一緒に工房へと向かう。
 昨日片付けた工房の中は綺麗になっていて、ダームエルが試し書きした布を木箱から出してくる。ダームエルが軽く目を見張って取り出した布は、何も書かれていない状態になっていた。皆が試し書きして滲んだたくさんの線が全く見当たらない。

「本当に消えていますね」

 あーぁ、刺繍か、と肩を落としながら、わたしが布に触った瞬間、淡く布が光って線が浮かび上がった。昨日試し書きした通りの線が、全員分、滲みも含めてくっきりと見える。

「何だ、これは?」

 わけがわからないというように、目を細めて布を凝視する神官長に向けて、わたしは布を広げて見せながら、ゆっくりと首を振った。

「神官長にわからない物がわたしにわかるわけないと思います」

 周囲が同意するように頷く。ユストクスは神官長と同じように興味深そうな表情で布を見ながら口を開いた。

「フェルディナンド様が触っても変化なかったということは、ローゼマイン様の魔力だけに反応して浮かび上がるようですね。ローゼマイン様、こちらに貸していただいてもよろしいですか?」

 ユストクスに布を渡すと、線が消える。わたしがもう一度持つと、また線が浮かび上がった。

「君の魔力が籠った魔石ならば、反応するのか? それならば、このままのインクで使えるだろう。このインクで魔法陣を描こうと思えば、君以外にはできぬということは間違いないようだが……。それにしても、一体何がどうなって……」
「神官長、それ以上の考察や実験は御自分のインクを作って、試されてはいかがですか? いちいちわたしに協力を求めるのは面倒でしょう?」

 調合の素材を準備して、分量を量ったのは神官長だ。自分のインクを作って、好きなだけ実験してみれば良い。このインクで魔法陣が作動するならば、それ以上の事はどうでもいいのだ。

「それもそうだな。邪魔をした」

 ……正直マッドサイエンティストには付き合いきれないよ。

 わたしは予定通りに読書を始めた。
 せっかく友禅染のことを思い出したので、明日、ギルベルタ商会に教えてあげようと思う。わたしは使わずに終わりそうだけれど、新しい染め方ができるなら、少しは母さんの役に立つかもしれない。
インクはできました。時間がたったら消えてしまう、もこもこインクです。
神官長にとって予想外な新しいインクです。
ローゼマインは洗浄の魔術を覚えました。
ダームエルは護衛騎士の鑑ですね。うんうん。

次は、ギルベルタ商会と会います。
+注意+
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