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本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~ 作者:香月 美夜

第四部 貴族院の自称図書委員

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奉納式と城への帰還

「神官長、3の鐘が鳴りました。お仕事の時間ですよ」
「……わかった」
「わたくしが呼ぶのは一日一回にしているのですから、そんなに怖い目で睨まないでくださいませ」

 工房から出てきた神官長に睨まれて、わたしはむむっと睨み返す。わたしも好きで声をかけているわけではない。工房に引き籠ってしまうと、鐘の音なんて全く聞こえなくなるので、わざわざお知らせしているだけだ。
 エックハルト兄様はあんまり何度も呼びかけすぎたせいで、声をかけてもシャットアウトされてしまっているらしく、届かないらしい。

「わたくしに呼びかけられるのがお嫌でしたら、エックハルト兄様の声が聞こえるようにすればよろしいのではございませんか?」
「……君は一日一回しか来ないが、エックハルトは一日中声をかけてくるのだ。いつぞやのボニファティウス様を彷彿とさせる」
「え? おじい様が何かなさったのですか?」

 わたしが首を傾げると、神官長は「もう終わったことだ。思い出したくもない」とひどく苦い顔で首を振った。どうやら、おじい様は神官長をうんざりさせるようなことをしていたらしい。
 神官長を工房から出した後はお仕事の開始である。わたしはいつもの指定席に座って、石板を取り出した。

「ローゼマイン様はいつも神殿でこのようなお仕事をされているのですか?」

 初めて神殿でのお仕事風景を見たアンゲリカが信じられないと言わんばかりの顔で、わたしと積み上がる資料を見比べる。

「神殿の書類を処理しているのは神官長なのです。本当は神殿長であるわたくしがしなければならないことをお任せしています。わたくしにできるのは、計算のお手伝いをするくらいで、まだ書類の決裁などは任せていただけません」
「……いいえ、これだけ計算をするなんて素晴らしいと思います」

 座学が苦手で騎士になったアンゲリカは感嘆の溜息を吐いた。そんな中、神官長が次々と仕事を割り振っていく。この部屋にいる者には平等に仕事が与えられるのだ。

「エックハルトはこれ、ダームエルはあちらでこれを、アンゲリカはダームエルと一緒に……」
「わたくしは護衛騎士として、この扉を死守いたします」

 ひぃっ! と息を呑んだアンゲリカが、ビタッと扉に張り付く。「やっと貴族院の座学が終わったのに……」と目を潤ませる様子を見て、神官長は軽く溜息を吐いた。

「そういえば、落第ギリギリの問題児とボニファティウス様が言っていたな」

 無能に仕事をさせようとするだけ時間の無駄だ、と神官長はあっさりアンゲリカを切り捨てて、書類仕事を始める。
 ダームエルはアンゲリカが「無能」と切り捨てられたことに軽く目を見開いて、心配そうにアンゲリカを見たが、当人は明らかにホッとした顔をしていた。心配するだけ無駄である。
 この部屋の中にいながら、一人だけ書類仕事をしていないアンゲリカは表情を引き締めて扉の前に仁王立ちになった。護衛仕事は完璧にするつもりらしい。

 そして、皆が黙々と書類仕事をしているうちに、4の鐘が鳴り、お昼ご飯の時間となる。

「神官長、きちんと昼食を食べてから工房に籠ってくださいね」

 テーブルの上を片付けて、わたしが自室へと戻る準備をしながらそう言うと、神官長がわたしを見て、目を細めた。

「いや、午後は君の体調を診察する」
「……え?」
「昨日の夕食時、そして、本日の執務中の動きを見る限り、魔術具に頼りきりで回復が非常に遅い気がする。貴族院から戻ってきてから全く状態を見ていなかったな。……そして、今の君の顔色から考えると、非常に良くない状況ではないか?」
「そ、そんなことはございませんよ?」

 何とか誤魔化したいが、研究から一度目を離してしまった神官長を誤魔化せるはずがない。わずかに唇の端を上げる神官長の目が、ゆっくりと細められる。

 ……まずい。怒られる。全く何もしていなかったことがバレてしまう。

 わたしは周囲に助けを求めてみるが、ダームエルとアンゲリカには目を逸らされ、フランには「良くない状況とはどういうことでしょう?」とちょっとだけひんやり感のする笑顔で問われてしまった。神官長の全面的な味方であるエックハルト兄様では、わたしの味方になってくれそうにない。

「フラン、午後に行く」
「かしこまりました。お待ちしております」

 ……フラン、勝手に決めないで! わたし、まだ返事していないよ!?

 おーい、と心の中で反論しても誰も聞いていない。神官長の側仕えは「神官長の研究が一段落したのでしょう」と喜び合っている。

「では、ローゼマイン。部屋に戻って昼食を終えなさい」

 味方を探しておろおろしているうちに、わたし抜きで午後の予定を決められて、神官長に診察されることになってしまった。

「神官長は工房で研究をすると良いですよ。ほら、シュバルツとヴァイスの新しい衣装は急がなければなりませんし……」
「次の冬までに作れば良い、と君は言ったはずだ」

 ……あ、あぅ。そうだった。昨日のわたしのバカバカ!

「えーと、そうそう。ヒルシュール先生も魔術具を直してもらえるのを待ち構えているでしょうし、そちらを優先してくださいませ」
「もう直した」

 ……え? え? もう?

「では、音楽の編曲はいかがでしょう? こちらはわたくしが貴族院に戻るまでなので、お急ぎでお願いしたいのです。光の女神に捧げる曲を……」
「明日の午後、君のフェシュピールの練習と共に行う。楽師がいない今、練習から逃れようと考えているかもしれないからな」

 ……バレてる!?

「そのようなことはございませんわ。ほほほ……ほほ……」
「ローゼマイン、往生際が悪い。本日の予定は決定した。早く部屋に戻って、昼食を取りなさい。私が向かうまでに魔術具を外しておくように」
「……はい」

 神官長の部屋を出て、わたしはトボトボと自室に戻る。やっぱり誤魔化しきれなかった。午後に神官長が来るのでは、今から筋力トレーニングをしても絶対に間に合わないではないか。

「フラン、どうして勝手に予定を決めたのですか?」

 部屋に戻ってわたしが八つ当たり気味にフランを睨むと、フランは穏やかな微笑みを返してくれた。

「プランタン商会との面会が終わった今、本日の午後は予定がございませんし、なるべく早く診察していただいた方が良いではありませんか。私もローゼマイン様のお身体の具合は気掛かりでしたから、神官長に診ていただけると安心できます」

 貴族院へと向かう前の状態しかわからないので、今の状況を把握しておきたいというフランの言葉に、わたしの側仕えは全員が「神官長にお任せしておけば大丈夫です」と賛成の意を示した。
 わたしのユレーヴェを作り、解毒をして、二年間わたしの管理をしていた神官長にわたしの側仕え達は心酔している。多分、わたしよりも神官長を信頼しているのだろう。
 完敗である。わたしは口を噤むしかない。

「神官長がご自身の研究のためのお時間をわざわざ割いてくださるのです。ローゼマイン様がそれだけ心配なのでしょう」

 厳しいことをおっしゃいますが、お優しい方ですから、とフランが尊敬の眼差しでそう言う。

 ……違うよ。わたしが、ヤバッ! って、思った時、ニヤッとしたもん。フランは神官長に洗脳されてる!

 エックハルト兄様と側仕え達に懇願されても、わたしの体力や筋力が回復するまで、神官長は工房に籠らせておけばよかった。わたし、大失敗。

 ……天岩戸、カムバーック!

 そして、昼食後。わたしは借りてきたオルドナンツで、オティーリエにギーベ・ハルデンツェルとの面会をセッティングしてもらえるようにお願いした。
 その後、モニカとニコラによって、魔術具が外された。途端に体が重くなり、準備してもらっていた椅子に座り込んでしまう。

「ローゼマイン様!? 大丈夫ですか!?」
「大丈夫ですよ。何ともありません」
「何ともないようには見えませんよ」

 魔術具を手に持ったまま、泣きそうな顔でわたしを覗き込んでくるニコラとモニカに軽く手を振りたいけれど、すぐにはできなかった。集中して魔力を全身にまとわせるようにして、わたしは身体強化をする。

「ほら、大丈夫でしょう?」
「……いきなりカクンとなったので、驚きました。本当に大丈夫なのですか?」
「えぇ。ほら」

 わたしは立ち上がって普通に動いて見せる。ニコラとモニカがホッとしたように表情を緩めたので、普通に服を着て、神官長を待っていた。

「ローゼマイン、身体強化の魔術は解きなさい」

 入ってきた瞬間、溜息を吐いた神官長にそう言われて、わたしはそっと視線を逸らす。いきなりバレていた。

「それとも、何か? 身体強化を解除せざるを得ないほどの攻撃を受けたいということか?」

 冷たい無表情で静かにそう言われ、神官長の右手にシュタープが出現したのを見た瞬間、わたしは慌てて身体強化を解除した。同時に、魔剣シュティンルークを構えたアンゲリカがわたしと神官長の間に割って入る。

「神官長、いきなり暴力に訴えるなんてひどいですよ!」

 わたしはアンゲリカの後ろから神官長を非難したけれど、神官長はフンと鼻で笑っただけだった。

「人聞きが悪いことを言うな。今の言葉は、手間をかけさせるな、という意味だ」
「そんな貴族の言い回しは聞いたことがございません!」

 身体強化の魔術を解除したせいで、立っているのが辛くなって、その場に座り込みながらそう言うと、アンゲリカも同意してコクコクと頷く。

「勉強が足りぬ」

 やれやれと言うように頭を振った神官長の言葉に、わたしの盾となっていたアンゲリカがハッとしたように目を見開き、「確かにわたくしは不勉強です。そのような意味だとは存じませんでした」とすっと身を引いた。
 ちょっと待って。あっさり放って行かないで、とアンゲリカにすがろうとしたわたしを見て、神官長は軽く頭を振る。

「エックハルト、貴族門の前の広場でアンゲリカと少し訓練をしてくるといい。アンゲリカもずっと部屋に詰めていては体が鈍るだろう?」
「よろしいのですか!?」
「ここの護衛はダームエルがいれば良い。オルドナンツで呼ぶまで戻ってくるな」
「はい!」

 アンゲリカは喜んで、エックハルト兄様と出て行ってしまう。診察するような場所にこそ女性騎士が必要なのに、今、出て行ってどうするのか。

 ……アンゲリカのバカバカ! 簡単に操られすぎだよ!

「神官長……」
「私に躊躇いなく剣を向ける程度には忠誠心はあるようだが、驚くくらいに考えなしだな。ローゼマイン、本当にアレが護衛騎士で大丈夫なのか?」
「……今までで一番不安になりました」

 神官長の指示で、わたしはフランに抱き上げられて、椅子に座らされ、神官長の指示通りに足を動かしたり、腕を動かしたりとさせられる。

「貴族院で全く訓練をしなかったな?」
「……色々とあったので、毎日忙しかったのですよ」
「後半は毎日図書館に通っていたという報告だったが?」
「図書館への往復がわたくしの運動時間でした」
「不用意に隙を見せない方が良い貴族院ならばともかく、ここでは襲撃の危機はまずないので、神殿にいる間はしっかり回復に努めると良い」

 ほとんど体力と筋力が回復していないことを見抜かれ、わたしはフェシュピールの練習の他に、魔術具を付けたままの奉納舞のお稽古と魔術具を外してのリハビリが義務付けられてしまった。

「奉納式の時は大量の魔力を使うことになるので、身体強化を補佐するための魔術具は外した方が効率は良いのだ。そのためにも少しは自力で動けるようになっておきなさい」
「身体強化を使えば、大丈夫です。ちょっと上手になったのですよ」
「大丈夫とは限らぬ。君は慣れていないからな」

 そんな診察が終わってからは、厳しいリハビリの毎日となった。
 フランを始めとしたわたしの側仕え達は、神官長に「ここで放置しておけば、ローゼマインは一生魔術具なしでは生きていけなくなる」などと真顔で言われ、わたしのリハビリに必死だ。側仕え達の心配と愛は嬉しいが、わたしは声を大にして言いたい。

 ……神官長は自分の研究時間が欲しいだけなんだよ、皆、気付いて!

 わたしは神官長の作ったメニュー通り、魔術具を外して足を上げたり、腕を動かしたりと時間をかけて、色々とさせられた。これまで魔術具任せで、碌に動かしてこなかったので、毎日ぐったりである。

 おまけに、ロジーナではなく、神官長がフェシュピールの先生となったため、要求レベルがグンと上がった練習をさせられるようになった。

「うぅ、早く貴族院に帰りたいです。貴族院は図書館があって、こんなにたくさんの課題がなくて、最高の環境でした」
「君が奔放に振る舞う分、周囲が苦労するのだ。君が貴族院に戻るのは、領地対抗戦があるギリギリの時期だ。冬の社交界で少し貴族の社交について学ばせなければ、危険すぎて貴族院へは帰せぬ」
「そんな、ひどい。……わたくしの図書館が」

 落ち込むわたしに、神官長がニヤッと笑った。「もう少しひどい計画もある」と。

 ……何それ、怖いっ!



 奉納式の朝は忙しい。身を清め、神殿長の儀式用の衣装に身を包み、冬の貴色である赤と白の花の髪飾りを挿して、準備を整える。
 今日はすでに魔術具を外しているので、わたしは自分が動けるように身体強化の魔術を全身にかけている。

 身体強化の魔術のイメージはアレだ。バイクに乗っている人が着ているような全身をぴったりと覆う革の……何と言ったか、ほら、全身タイツである。わたしは今魔力の全身タイツを着ている状態なのだ。
 神官長が身体強化を覚えるための補助の魔術具と言っていた通り、ずっと魔術具を付けていたわたしは、体力や筋力の回復を犠牲にした分、身体強化が少し上達している。

「奉納式とは一体何をするのですか?」

 そんなアンゲリカの質問に答えるのはダームエルだ。小聖杯に魔力を込めて、春の祈念式でエーレンフェストのギーベに配って回ると説明している。アンゲリカの成績を上げ隊で頑張っていたダームエルは、アンゲリカに噛み砕いた説明をするのが上手い。

「ダームエルはすごいですね。騎士なのに、神官長のお仕事まで手伝えるのですから。まさかローゼマイン様の護衛騎士には計算能力まで必要とされるとは全く考えていませんでした」

 アンゲリカが計算仕事を手伝うと、大体の場合、二度手間になるので、手伝わないのが最高のお手伝いになるらしい。両親にそう言われているそうだ。

「アンゲリカはローゼマイン様を守るということに関しては、全く躊躇いがない。それには感心している。私はフェルディナンド様に剣を向けるなど考えられなかったからな」

 神官長がシュタープを出した時にいつもの脅しの一種だと瞬時に理解したダームエルは、護衛失格とも言える。主に武器が向けられているのだから、守るのが護衛の役目なのだ。

「アンゲリカは訓練におびき寄せられて、わたくしから離れなければ、満点の護衛だったのですけれど……」
「次回からは惑わされません」

 キリッとした顔でアンゲリカが答えたが、その後、エックハルト兄様との訓練の様子やその強さについて楽しそうに話しているのを見れば、また簡単に釣られそうだ。

「神殿長、神官長がお呼びです」

 灰色神官に呼ばれ、わたしは衣装の裾を踏まないように気を付けて儀式の間へと向かった。儀式の間に入れるのは、神官のみだ。護衛騎士は扉の前で待機することになる。エックハルト兄様が待っていることで、すでに神官長がそこにいることがわかった。

 儀式の間に入ると、すでにカンフェルやフリターク、他二名の青色神官が神官長に配られた魔石を手に待っていた。

「お元気そうなお姿を拝見して、安心いたしました」

 わたしの代わりに、と神官長のお手伝いを任せられていたカンフェルとフリタークが心底ホッとしたような声でそう言った。青色神官達にここまで目覚めを喜ばれるとは思っていなかったので、わたしは少しばかり驚きながら、笑顔で礼を言う。

「わたくしが不在の間、カンフェルとフリタークがずいぶんと頑張ってくれたと側仕え達から聞いています。助かりました」

 青色神官達を労い、わたしは祭壇に向かって歩き、一番前で跪くと、両手を床に敷かれた赤い布に当てる。

「……準備は良いか? では、始めよう」

 神官長の声に促され、軽く息を吸った。

「我は世界を創り給いし神々に祈りと感謝を捧げる者なり」

 わたしが祈りの言葉を口にすると、後ろの五人が復唱し、低い声が儀式の間に朗々と響いていく。

「高く亭亭たる大空を司る、最高神は闇と光の夫婦神 広く浩浩たる大地を司る、五柱の大神 水の女神 フリュートレーネ 火の神 ライデンシャフト 風の女神 シュツェーリア 土の女神 ゲドゥルリーヒ 命の神 エーヴィリーベ 息づく全ての生命に恩恵を与えし神々に敬意を表し、その尊い神力の恩恵に報い奉らんことを」

 祈りの文句を口にするうちに、するりと自分の中から魔力が流れていくのは、いつも通りの感覚だった。魔力を吸った赤い布がキラキラと光り、魔力が光の波となって祭壇の方へと流れていくのも見慣れた光景になっている。
 光の波はわたしの後ろからも次々と流れてきて、その勢いに乗るように、更にわたしの魔力が引き出される。

 ……のぉうっ! 脱げるっ!

 魔力がどんどんと引き出されていく感覚に、自分の周りに薄くまとっている身体強化の魔術に必要な魔力まで、一緒に流れていきそうになる。全身タイツが引っ張られていくような感覚にわたしはぎょぎょっと目を見開いた。いくら耐えようとしても、後ろからどんどんと流れてくる魔力の力が強くて、抗えない。少しでも身体強化に魔力を使おうと思っても、放出する魔力は勢いよく赤い布の上を流れていくばかりだ。

 ……あ、あ、あぁっ!? 脱げた!

 自分を覆っていた魔力が剥がれて、流れていってしまった。想定外のビックリだ。

 ……儀式が終わったら、もう一度身体強化の魔術をかけ直さなきゃ。

 床にへちゃりと頬を付けながら、わたしは引き出されるままに魔力を流していた。

「もう良いだろう。ずいぶんと効率良く魔力が流れたようだ」

 神官長の言葉で、青色神官達がホッとしたように息を吐き、立ち上がったのがわかった。
 わたしはもう一度身体強化の魔術をかけようと魔力を流す。赤い布に付いたままの手から魔力がずるんと流れていく。

「儀式は終わりだぞ」

 神官長の呼びかけに、ぼてりとわたしの体はその場に倒れた。
 跪いて両手を床に付けるという土下座状態だったので、横に転がっただけで大したダメージはない。けれど、わたしが倒れたことで周囲は騒然となった。

「神殿長っ!?」
「騒ぐな。大したことではない。原因はわかっている」

 神官長の静かで迫力のある一喝に儀式の間はシンと静まった。

「神殿長の側仕えを入れるので、其方等は退室せよ」
「かしこまりました」

 青色神官達を追い出し、わたしの側仕え達を呼びに行かせた神官長が、転がるわたしを見下ろして「だから、慣れておらぬ者には難しいと言っただろう。馬鹿者」と言った。

「こんな状態で冷静にお説教しないでください」
「大事なことも、忠告も、すぐに忘れてしまう君の記憶に残しておくためには、それなりに衝撃的な状況や強烈な印象が必要だろう? 状況によっては身体強化を使うことができなくなる。その程度は想定しておきなさい」
「うぅ……。神官長に言われた通り、真面目にきちんと訓練して体力も筋力も付けるので、助けてください」
「反省したか?」
「しました」

 神官長に助け起こしてもらった後は、血相を変えてやってきたフランに渡される。

「身体強化の魔術が使えない状況になることを想定してなかっただけだ。体調に別状はない。部屋に戻って魔術具を付ければ問題ないので、心配はいらない」
「かしこまりました。……ローゼマイン様の大丈夫は全く当てになりませんね」

 フランにしみじみとした口調でそう言われ、わたしはしょぼんと項垂れた。



 わたしが身体強化のためにどんどんと魔力を流したことで、小聖杯を満たす魔力は予想外に早く溜まったようだ。五日ほどの予定が三日で終了した。

 奉納式で倒れたとは言っても、赤い布に手をついた状態では身体強化の魔術ができなかっただけなので、いつもと違って体調を崩したわけでも、熱を出したわけでもない。
 神官長に「少しは丈夫になっているのではないか」と言われ、わたしは自分の変化に気付いた。このまま元気な体を目指すのだ。

「いや、君が張り切ると碌なことがない。体力をつけるつもりで訓練をやりすぎて倒れる未来が見える」

 過ぎたるは猶及ばざるが如し、という意味の事を神官長が滔々と語る。身に覚えがあるわたしは、おとなしくお説教を聞いていた。

「ここで訓練が続けられれば体のためには良かったのだろうが、社交に関してもう少し知らなければ、貴族院に戻せないからな。仕方がない。城に戻るぞ」
「はい」

 神官長がお仕事セットに加えて研究セットまで準備して、神殿から城へと移ることになった。ちょっと大きめのレッサーバスにしなければ、荷物が載らない。

「半分以上は君の依頼だ。文句はあるまい」

 シュバルツとヴァイスに関する資料、ヒルシュールの魔術具、楽譜やフェシュピール、どれもこれも神殿に置いておいて困るのは誰だ、と言われ、わたしはレッサーバスを大きくする。
 車体が大きくなると、吹雪に煽られてふらふらするので、できるだけコンパクトな方が良いのだが、仕方がない。

「吹雪で変な方向に飛んでいきそうになったら、助けてくださいね」
「魔力さえ流せば何とかなるのだから、自力でついてきなさい。これ以上の面倒をかけないように」
「うぐぅ、頑張ります」

 ……お母様にこの実態を教えてあげたい! 神官長に騎士物語みたいな優しさや甘さはないんだよって!

 そう思いながら、猛吹雪の中を城へと戻る。ノルベルトが開けてくれた扉へとレッサーバスごと飛び込むと、すぐさま扉は閉められた。

「おかえりなさいませ、ローゼマイン様」

 そう言いながら、ノルベルトがレッサーバスから降りるわたしの手を取り、下ろしてくれた。すでに指示がなされていたようで、下働きの者がわらわらと現れて、レッサーバスの中から荷物を運び出していく。

「おかえりなさいませ。お待ちしておりました、ローゼマイン様。お部屋でゆっくりと印刷業のお話をいたしましょう」

 城で出迎えてくれたのは、お母様だった。
神殿の生活に、実は驚きの連続のアンゲリカです。
奉納式も無事に(?)終わり、城へと戻りました。

次は、お母様とハルデンツェルの印刷業です。
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