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本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~ 作者:香月 美夜

第四部 貴族院の自称図書委員

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プロローグ

 私はフェルディナンド。ここ数日の間、ローゼマインはユレーヴェの青い薬液に沈んだまま、時折瞼が開いては、焦点の合わぬ目がすぐに閉じてしまうというのを繰り返していた。目覚めが近いことはわかっていたが、ユレーヴェに沈んだままの体はまだ浮かび上がってこない。
 収穫祭の間、様子を見るために何度も騎獣で戻ってきたのだが、腹立たしいほどに進展が遅かった。そんなローゼマインが、やっと緩慢な瞬きの後、目の焦点が合い、これ以上の治療は無理だというように体がゆっくりと浮かび上がってきた。

 私はユレーヴェに手を入れて、ローゼマインを助け起こし、うまく呼吸できていないローゼマインの背中を叩いてやる。口や気管に入っていたユレーヴェが飛び出したことで、呼吸が楽になったようで、げほげほっと咳き込んだ後、呼吸は整った。

「痛いです、神官長」

 そのような恨みがましい目で見られなければならない理由がわからない。
 何にせよ、冬の社交界が始まる前にローゼマインが目覚めてよかった。貴族院に間に合うか、と懸念していたが、何とかなりそうだ。



「風呂が終わったら、呼びなさい。君が眠っていた期間のことについて話をする。質問があれば、そのときにしなさい」

 ユレーヴェから取り出したローゼマインを抱き上げて工房を出る。主の目覚めを今や遅しと待ちわびていたフランに渡すと、私は自室に戻った。

「神殿長はお目覚めになったのですね。こちらの小さな手形は神殿長のものでしょう?」

 側仕えに指摘された場所は、ローゼマインがつかんだ部分だ。べったりと小さな手形が付いている。ユレーヴェに手を入れて、ローゼマインを起こしたり、抱き上げて運んだりしたので、神官服はひどい有様になっていた。

「神官長、お召替えをいたしましょう」
「あぁ、頼む」

 着替えを持ってきた側仕えもまたローゼマインが目覚めたことにホッとしているのか、表情を緩めて、珍しく軽口を叩く。自分の側仕えもローゼマインの目覚めを待っていたらしい。

 ……目覚めたら、アレにわずらわされることもないからな。

 私は溜息交じりに執務机の一角にいくつも溜まっている黄色の魔石へと視線を向けた。
 ローゼマインはいつ目覚めるのか、と叫ぶだけのオルドナンツが、この半年は本当に多くて、うんざりしていたのだ。
 なかなか解けぬローゼマインの魔力に苛立っていたのは、私とて同じだ。ローゼマインがいつ目覚めるのか、聞きたいのはこちらだ、と何度怒鳴りたくなったことか。

 無事に目覚めてよかった、という大きな安堵と共に不安もある。ユレーヴェに浸かっていた以上、当たり前のことだが、ローゼマインには全く変化がない。意識や記憶はもちろん、姿も二年前で止まっている。
 先程もローゼマインは成長している側仕えに驚いて目を見開き、私を見上げ、ひどく不安そうな顔で私の袖口をつかんでいた。ローゼマインが周囲の進歩と自分の在り様に折り合いをつけていかなければならないのは、これからだ。

「後でこの二年間の説明をするために神殿長室に向かうことになっている。あちらの側仕えが来たら通せ」
「かしこまりました」

 着替えを終えた私は執務机へと向かい、机の一角に溜まっている黄色い魔石を次々とシュタープで軽く叩いて魔力を注ぎこんでいった。一斉に20近くの魔石全てをオルドナンツに変化させると、周囲は白い鳥だらけになった。それに向かって私は告げる。

「ローゼマインが目覚めた。体調に問題がなければ三日後の3の鐘の頃に城へ連れて行く。まだ本調子ではないため、神殿には来ないように」

 そう言って、シュタープを振れば、オルドナンツが一斉に飛び立って行った。ちなみに、十数羽のオルドナンツがボニファティウス様への返信である。
 一羽のオルドナンツが三度同じ伝言を繰り返すのだから、同じ伝言を30~40回も聞かされることになるだろうボニファティウス様の姿を思い浮かべて、私は少しばかり溜飲を下げた。ここ数カ月の間、毎日のようにローゼマインが目覚めたかどうか尋ねるオルドナンツを飛ばしてきたことに対するちょっとした報復だ。

 だが、私の溜飲が下がっていたのは、ほんの少しのことだった。ローゼマインが貴族院に向かうまでに覚えておかなければならない項目をまとめた資料を取り出していると、すぐに喜色に満ちた雄叫びを携えたオルドナンツが戻ってきたのである。

「うおおおおおおぉぉぉ! ローゼマイン! 目覚めたか!」

 神殿中に響きそうな声を三回も聞かされて、私はこめかみを押さえるしかなかった。ローゼマインが寝ていても、起きてもボニファティウス様は面倒くさい。
 もうこれ以上相手にする気にもなれなくて、私が黄色の魔石に戻ったオルドナンツを放置して資料の確認をしていると、側仕えが声をかけてきた。

「神官長、神殿長の準備が整ったそうです」
「わかった。行こう」



「神官長、さぁ、お話を聞かせてくださいませ」

 ローゼマインは長椅子に力なく横たわったまま、こちらをじとりと睨んでそう言った。金の瞳と口調だけは元気そのものだが、二年間眠り続けていたローゼマインの体は自分で支えるのが難しい程弱っているようだ。

 ……これほど長くユレーヴェを使う者の記録はなかったからな。貴重な資料になるかもしれぬ。

 どの程度弱っているのか調べてみようか、と私が考えていると、ローゼマインが「お話をするのでしょう?」と口だけは元気に言いながら、ぺしぺしと指先だけで長椅子の座面を叩く。どうやらこれが今のローゼマインにとっては精一杯の抗議らしい。

「……ここではできぬ話もある。あちらで良いか?」

 城で起こった様々な出来事は、神殿で大っぴらに話してはならないこともある。私が隠し部屋を示すと、ローゼマインは頷く代わりに一度目を伏せた。

「向うへ行くなら連れて行ってください。まだ体に力が入らないんです」
「そのようだな。目覚めてから全く感覚は変わらないのか? それとも、少しずつ動く部分は増えているのか? どのくらいで以前と同じように動けそうか、わかるか?」

 私が質問すると、ローゼマインは胡散臭いほどににこやかな笑みを浮かべて「神官長は本当にマッドサイエンティストですね」と言った。マッドサイエンティストという言葉がどういう意味か知らないが、悪態を吐かれていることだけは理解できたので、ローゼマインの額をビシッと弾いておく。
 ローゼマインが「あうちっ!」と叫んだけれど、いつもはすぐさま額を押さえる手がほとんど動いておらず、鈍くゆっくりとした重そうな動きで上がっていった。

 ……今がこの状態ならば、普通に動ける程度まで筋肉が回復するのに、どのくらいかかるだろうか。すぐに復活すればよいが、元々ない筋力をつけるのにあまり時間がかかるのでは貴族院に間に合わぬ可能性もあるな。

 ローゼマインの状態を観察しながら、私は隠し部屋の扉を開けてフランとザームにローゼマインごと長椅子を運ばせる。私はローゼマインの前へと椅子を持って行き、向き合って座った。
 フランとザームが去り、扉が閉まると、ローゼマインの表情が見る見るうちに不満たっぷりのものへと変化していった。

「神官長、わたし、何だかとっても『浦島太郎』なんですけれど!」
「……何だ、それは? 意味がわからない」
「ここから出る前は、眉間の皺まで全く変化のない神官長しかいなかったから、二年もたってることがあんまり実感なかったんです。でも、ここから出たらニコラもモニカも成人して、髪を上げているし、スカートが長くなっているし、ギルがすごく大きくなってるし……」

 実はシャルロッテとヴィルフリートにも置き去りにされている。シャルロッテの「お姉様」であるために、馬鹿みたいに努力していたローゼマインが、シャルロッテに身長を抜かれていることを知れば、一体どうなるか。

 ……どうなるも何も、どうしようもないな。

 ハァ、と私が溜息を吐いた瞬間、ローゼマインの魔力が不安定に揺れた気がした。興奮したように不安を訴えるローゼマインの目の色が、見慣れた金色から油膜がかかったような虹色へと変わる。

「わたし、完全に置いてきぼりを食らってるじゃないですか! 周囲がわたしの知らない世界みたいで、気持ち悪いんです!」
「ローゼマイン、落ち着きなさい」
「無理ですって! だって、周りが全然違うんですよ!? わたし以外、皆……」
「この二年の間に君の魔力の流れも変わっているんだ。落ち着かねば、暴走するぞ」

 すでに魔力の揺らぎが見えている。こうなるだろうと予測はできていたので、私は腰の革袋に準備していた魔石を取り出し、ローゼマインの額に魔石を押し付けた。あっという間に魔力が溜まる。

 いくつかの魔石が自分の魔力であっという間に染まっていく様子を見たローゼマインが驚いたように目を見開いた後、何度か瞬きし、ゆっくりと深呼吸をして息を整えていった。そして、力が入らず震えている手を伸ばして、先程のように私の袖をつかんだ。

「……神官長、この二年間に何があったのか、ちゃんと教えてください。皆が変わりすぎてて、外に出るのが怖いです」
「何があったと言われても、さて、どこから話すか……」
「襲撃犯は捕まったんですか? シャルロッテは無事でしたか?」

 私にとっては二年前に終わったことだが、ローゼマインにとってはつい先程の出来事なのだということに思い至る。これだけ感覚が違えば、二年間の空白を埋めるのは、予想以上に大変なことであるかもしれない。

 シャルロッテの誘拐犯がローゼマリーの親族で、すでに処刑されたこと。ただし、彼はローゼマインの誘拐や投薬には関与していないこと。彼に身食いの兵士を提供したゲルラッハ子爵が怪しいけれど、証拠もなく、襲撃があったと知らされた時に封鎖された大広間にいたこと。護衛騎士はそれぞれ間違った動きをしたわけではないが、主を守れていなかったため、減給処分となったことを話していった。

「護衛騎士達にひどい処分がなくてよかったです。そういえば、指示は出していましたけれど、冬の子供部屋はどうなりました?」
「冬の子供部屋に関しては、シャルロッテとヴィルフリートが君の指示通り、運営しようと奮闘していたそうだ。子供部屋付きの側仕えから報告があったし、絵本の運搬と貸し出しをしていたダームエルからも同様の報告があった。教材の回収や貸し出しには、フィリーネという下級貴族がずいぶんと協力してくれたらしい」

 ずいぶんとローゼマインを慕っているらしい下級貴族の名前は、ダームエルからもヴィルフリートからもシャルロッテからも出てきた。ローゼマインにとってもすぐに思い当たる名前だったらしく、少し表情を緩めた。

「そうですか、フィリーネが……」
「その子供部屋で各地のお話が集まったけれど、書かれているのが子供の話し言葉で、とても本にはできなかったそうだ。君の側仕え達が嘆いていた」

 その様子が思い浮かんだのか、ローゼマインがクスと小さく笑った。

「ハッセはどうなりましたか? ちゃんと祈念式は行われましたか?」
「自分のせいで大変な目に遭ったのだから君の代わりをしたい、と申し出たシャルロッテが、ハッセでの祈念式を務めた」
「……魔力は足りたのですか?」

 目を瞬くローゼマインに私は軽く肩を竦める。

「全く足りるわけがなかろう。ユレーヴェに解けだした君の魔力を利用して、シャルロッテとヴィルフリートが祈念式を行ったのだ。収穫祭でも回ってもらって奉納分をもらって来てもらった。今年の祈念式にも手伝ってもらったぞ。二人とも魔石の扱いに多少は慣れてきたようだ」
「そうですか。……成長、しているんでしょうね」

 ローゼマインが目を伏せて、ひどく寂しそうに呟いた。

「二年たったからな」
「……ですよね。下町の方はどうなりましたか? 二年もたっているなら、父さん達、すごく心配していると思うんですけど……」
「君の家族がどうしているかは、こちらに報告は上がっていない。下町関係でこちらに報告が来ているのは、手押しポンプが少しずつ普及し始めたことだ。家族に関しては、工房を預かる側仕え達が何か知っているのではないか?」
「……後で、ギルやフリッツに聞いてみます。印刷業は停滞ですか? イルクナーの紙作りはどうなったんでしょう?」

 せっかくいい調子で進んでいたのに、と呟くローゼマインにイルクナーの紙作りは順調で、フォルクの売買契約も無事に終わり、今年の収穫祭の時にはフォルクに子ができたことを伝える。

「二人できちんと貯められたんですね? よかった」
「それから、君が指揮する印刷業が停滞することを懸念したエルヴィーラが、自分の実家のあるハルデンツェルで印刷業を始めた。そのためにグーテンベルクという集団が総動員され、今年の春から秋にかけてハルデンツェルに行っていた。収穫祭後に戻ってきた、と先日ベンノから報告があった」
「え? お、お母様が印刷業を?」

 信じられないと言うように目を丸くするローゼマインに、私は深く頷いた。エルヴィーラは仕事に忙殺されそうな私の代わりに、母としてローゼマインの推進する印刷業を広げようと骨を折ってくれたのだ。
 エルヴィーラは上級貴族なので、当然のことながら商売のやり方には詳しくない。そのため、無茶振りをされるベンノは大変そうだったが、私は少し楽をさせてもらった。

「エルヴィーラの母心に感謝すると良い」
「もちろん、わたくしはお母様に感謝していますけれど……」

 何とも微妙な表情でローゼマインが私を見上げた。ほんの数秒の間に、何か言いたげな目をしていたローゼマインが軽く目を閉じて何か考え込んで、「まぁ、いっか」という顔になる。

「……何だ、何が言いたい?」
「いいえ、何でもありません。神官長がよく許可を出したな、と思っただけです」
「正直、私は印刷業にまで手が回らなかったからな。エルヴィーラが代わりにしてくれるならば、それに越したことはなかった」

 ローゼマインが抱え込んでいた仕事量は、子供のものではなかった。それはすでにわかっていたことだが、私一人で背負い込める量ではなく、周囲にかなり分散しなければならなかったのだ。
 計算係がいなくなっただけでも私には痛手だったのに、各種儀式、孤児院と工房の運営、プランタン商会とのやり取りが私の仕事に加わった。神殿関係だけでも頭を抱えたくなるような仕事量だ。

 それなのに、ローゼマインという防波堤もなくなったため、城に呼び出される回数も増えた。そこには、ジルヴェスターだけではなく、犯人はゲルラッハ子爵で間違いないから、適当な罠を準備してでもゲルラッハ子爵の証拠を上げろなどと無茶な事を言う上に、早くローゼマインを起こせ、とうるさいボニファティウス様もいた。

 そして、ローゼマインが寝ている間に、領主一族の護衛騎士を鍛え上げ、少しでも強くする、とボニファティウス様が張り切ったせいで、私の助手を務めることができるエックハルトや、主の代わりに働け、と仕事を振り分け始めたばかりのローゼマインの護衛騎士まで訓練に取られてしまったのだ。最悪である。

「それで、旧ヴェローニカ派は落ち着いたのですか?」
「今のところエーレンフェスト内では特に動きがない。ゲルラッハ子爵も尻尾をつかまれないように巧妙に逃げている。わなを仕掛けてでも証拠を上げろ、と無茶なことを言う者もいたが、目の前の仕事をこなすだけで、精一杯だった」
「わたくしのお仕事が全部神官長に流れましたものね。お疲れ様でした。明日からはなるべく復帰します。……この体が何とかなれば、の話ですけれど」

 確かにこの状態ではローゼマインは仕事を手伝うこともできないだろう。ゆっくり経過観察している場合ではない。早急に手を打たねば。

「ゲオルギーネの再来は防いだ。今のところ、領地としてはアーレンスバッハと全く交流を持たぬように心がけているので、あちらも動きようがないだろう。……ただ、そうだな。次はランプレヒトが騒動の種になりそうだ、と懸念している」
「ランプレヒト兄様が?」

 私はここ二年間の動きを思い返しながら、少しばかり目を細める。
 ローゼマインが眠りについた二年前の冬の終わり、ランプレヒトは恋人の卒業を祝うため、貴族院の卒業式へと赴いた。在学中は恋人よりもランプレヒトの方が魔力は低かったため、彼女の父親に難色を示されていたが、ローゼマインから魔力圧縮のコツを教わったことで冬の間に少しだが魔力が増えた。

「それで、彼女さんのお父様が認めてくださったのですか?」
「そうだ。まだ増える余地があるならば悪くない、と言われたらしい。ランプレヒトは貴族院から戻ってきた。そして、自分の父親であるカルステッドとジルヴェスターに結婚許可の申請を出した」

 ほぅほぅ、とローゼマインの目が輝いて先を促す。どうして女はこのような他人の色恋沙汰の話が好きなのだろうか。全く理解できない。
 溜息を一つ吐いた後、私は先を続ける。どうせローゼマインが喜ぶような話ではないのだ。

「だが、ランプレヒトの恋人はアーレンスバッハの上級貴族だったため、申請は即座に却下された。本人もエーレンフェストの情勢から却下されるのはわかっていたのだろう。やはり、と頷いただけで、すぐさま恋人に別れの手紙を送ったそうだ」

 恋人同士で結婚したいと言い合っていても、親の許可と領主の許可がなければ婚姻は成立しない。貴族院の卒業式に共に出席するまでは個人の感情で許されても、その先には様々な制約がある。貴族院を卒業して、その先が続かない恋愛は珍しくない。

「……ランプレヒト兄様はヴィルフリート兄様の護衛騎士ですからね。さすがにアーレンスバッハのお嬢様との婚姻は難しいでしょう」

 ローゼマインはわずかに眉を寄せながら、納得の声を出す。

「本来ならば、申請が却下されて、別れの手紙を送り、それで終わるはずだった。だが、ランプレヒトの恋人は領主の姪だったようで、去年の春の領主会議でアウブ・アーレンスバッハから何故申請を却下したのか、と問われたのだ」
「うわぁ……」

 領主会議で問われたジルヴェスターは、ランプレヒトの他にもアーレンスバッハの娘との結婚を望む貴族がいること、今の貴族が少ない時世では力の強い子を産む上流貴族の娘を余所に出したがる領主がいないこと、アーレンスバッハに比べて弱小なエーレンフェストではいくら結婚させてあげたくても男を出す余力もないこと、どちらかだけの婚姻を許可するような不平等なことはできないことなど、思いつく限りの理由を述べて、アウブ・アーレンスバッハを退けたそうだ。

「だが、今年の領主会議でも絡んできそうだとは思っている。故に、貴族院に入ったら、アーレンスバッハの情勢をよく探ってくるように」
「……はぁ、まぁ、できる限り努力します」

 全く興味がなさそうなローゼマインの返事に、私はこめかみを押さえた。

「聞いているのか、ローゼマイン?」
「聞いてはいますけれど、領地間の問題で結婚できないことが確定しているランプレヒト兄様はどうでもいいです。それよりも、ブリギッテとダームエルはどうなりました?」
「……君は家族である兄の結婚より、護衛騎士の結婚の方が気になるのか?」
「一緒にいる時間が違いますから」

 ローゼマインの言葉に私はわずかに息を呑んだ。ヴィルフリートやシャルロッテにさえ心を砕いていたので、家族という枠組みに入っていれば自動的にローゼマインの身内に入ると思っていた。
 だが、ローゼマインの身内意識が血や家族という枠組みによるものではなく、自身との交流で優劣がつくようだ。誰でも彼でも身内扱いし、どんどんと身内を増やすローゼマインの中で、身内にも明確な区別があることに初めて気付かされた。

「ダームエルの求婚はどうなったのですか?」
「わくわくしているところ悪いが、あの二人の婚姻は成就しなかった」
「な、なんでですか!? 両想いでしたよね!?」

 ローゼマインが驚愕に目を見開く。

「ダームエルが君の護衛騎士を続けることを希望したからだ。想い合っただけではどうにもならぬ」
「……両想いでも、うまくいかないなんてことがあるんですね」
「周囲の事情でどうにもならぬことなど、多々あるではないか。君は一度成人したことがあるのだから、そのくらいは知っているだろう?」
「本で読む分には色々ありましたけれど、その、わたしの周囲では両想いでうまくいかなかった人がいなかったのです」

 あぁ、そうか、と納得の息を吐く。彼女がいた世界は、似て非なる世界だ。様々な物に違いがあった。そういう方面でも色々と常識が違いそうだ。

「彼らの婚姻が成立するためには二つの道があった。中級の土地持ち貴族の一族であるブリギッテが貴族街の下級貴族に身分を落とすか、下級貴族の次男であるダームエルが婚姻によって中級貴族に上がるか、どちらかだ」
「ダームエルが上がれば、全く問題ないですよね?」

 ダームエルの身分も上がるし、と気軽に言うローゼマインは、全く貴族間のことを把握していないようだ。

「馬鹿者。それはダームエルが護衛騎士を辞めて、イルクナーに入るということだ。普通の下級騎士ならば、それでも良かっただろう。実際、下級貴族が護衛騎士を続けるよりも、より魔力を持った中級や上級騎士を君に付けた方が良いという意見もあった。だが、ダームエルは特殊だ。君の事情に通じすぎているし、君によって救われ、引き上げられた。君に辞めろ、と言われるまで、自分の意思で辞められない立場なのだ」

 第三者はもちろん、求婚されたブリギッテさえ、ダームエルが平民だった時の情報を持っていることを知らない。ダームエルがブリギッテの申し出を断った時は、「もったいない」という言葉が方々で出ていた。反面、ダームエルの忠義心を称える声も上がっていたが。

「じゃあ、今すぐにダームエルに辞めてもいいよって言えば、二人は結婚できるのですか!?」
「もう遅い。ブリギッテはエルヴィーラに紹介された中級貴族の三男とこの夏に結婚し、イルクナーに戻った」

 私の言葉に「急展開すぎるよ。信じられない」とローゼマインが呆然とした顔で呟いた。
 二人を祝福するためならば、自分の重要な情報を握っているダームエルを本気で解任してイルクナーに送り出すつもりだったらしいローゼマインを見て、私はエルヴィーラの手腕に内心拍手を送る。

「そういえば、君の専属料理人からも結婚の許可を求める申請があった。こちらもまた主である君でなければ、許可が出せないので、保留にしてある。もう終わった二人のことよりも、こちらの処理を先にしなさい」
「……とうとうフーゴにも春がやってきたのですね」

 笑おうとして失敗したような顔でローゼマインが「おめでたいです」と呟いた。先程の「周囲が変わりすぎて怖い」と言っていた時と同じ顔だ。

「孤児院や工房に関しては君の側仕えの方が詳しいだろう。そちらの報告は側仕えに任せた方がよくわかると思われる」
「……はい」

 明らかな緊張を見せ、強張ったローゼマインの顔に、どうしたものか、と私はしばし悩んだ。ユレーヴェを使ったことがある者を何人も知っているが、十日から季節一つ分だった。何年も眠っていた者を知らないし、私から見たローゼマインには変化がないので、周囲の変化に戸惑うローゼマインの気持ちが正直わからない。
 むしろ、いつ起きるのか、本当に目覚めるのか、とずっと心配していた側仕えの心情の方が私にはよくわかる。

「ローゼマイン、何を恐れているのか知らぬが、君の側仕えは皆、君が目覚めるのを待っていた。君が残した指示に従って、神殿長室、孤児院、工房を切り盛りしてくれていたのだ。君が目覚めたら喜んでもらえるように、と努力を重ねていた。彼らの成長を恐れるのではなく、労ってやりなさい」
「はい」

 返事しながらローゼマインは、にへっと笑った。私が知るいつも通りのローゼマインの姿だった。
神官長視点による二年間のダイジェストでした。

次は、浦島太郎状態のローゼマインと側仕えや下町組の再会です。
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