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本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~ 作者:香月 美夜

第三部 領主の養女

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閑話 神殿の二年間 後編

 夏の終わり、新しいインクが完成したということで、ローゼマイン工房では新しい紙に新しいインクでトランプ作りが始まりました。
 つるりとした硬い素材の紙で、今までの木で作られたトランプとは全く違うものに見えます。インクも多色あって、印ごとに色が変えられていて、見た目もとても美しいです。

 そして、収穫祭が近付いてきたある秋の日のこと、エグモント様が一人の灰色巫女を連れて、突然神殿長室へとやってきました。連れられている灰色巫女が青ざめているのが見えて、私は少しばかり眉を寄せます。

「エグモント様、こちらでは面会予約を頂いていないのですが……」
「神殿長がいなくて、灰色神官しかいない神殿長室に何の予約が必要なのだ?」

 平然とした顔でそう言われ、私は一つ溜息を吐いて、ザームを見ました。すっとザームが厨房の方へと姿を消します。厨房の方から部屋を出て、神官長に知らせてくれるでしょう。私は神官長が戻るまで、ここで時間稼ぎをしなければなりません。

「大変申し訳ございません。今まで面会予約もなく青色神官を迎えたことがございませんでした。初めての出来事に少々動揺してしまったようです。大変お急ぎのご用件ではないか、と推測できるのですが、一体どのようなご用件でしょう?」
「リリーを返して、新しい側仕えを入れる。灰色巫女をここに連れてくるんだ」

 私は即座にモニカに目配せしました。モニカは即座に身を翻し、退室していきます。孤児院のヴィルマに連絡してくれることでしょう。

「エグモント様、大変申し訳ございませんが、面会予約もなく、突然そのようなことを申し出られてもすぐには対応いたしかねます」
「何だと?」
「灰色巫女も孤児院長であるローゼマイン様からそれぞれに課せられた仕事があるので、呼びに回って集めるのも時間がかかりますし、神殿の清めをしている巫女の身なりは青色神官の前に出られるほど清らかとは言えません」

 よく理解できないというように、エグモント様は目を細められました。身なりを整えた灰色巫女しか知らないのでしょう。

「エグモント様の側仕えに召し上げられるのでしたら、灰色巫女達も仕事中に呼び集められた状態ではなく、少しでも美しく見えるように身を清める必要があるのです。本日は、お話を伺うだけで、灰色巫女を交換するのは予約を頂いてからの方がエグモント様にとっても望ましいのではないでしょうか?」

 美しくないものは視界に入れたくないのが青色神官ですから、エグモント様は不満そうな顔をしながらも、一応納得してくださいました。

「エグモント様にお伺いさせていただきたいのですが、リリーを返すのは何故でしょう? どのようなところがご不満だったのか、お聞かせください」

 灰色巫女が孤児院に戻される理由など一つしかないのをわかっていながら、私は書類に記入するふりをして尋ねました。
 エグモント様はリリーを不愉快そうに見下ろして、フン、と鼻を鳴らします。

「孕んだからだ。毎日毎日気持ちが悪いと暗い顔をしたり、突然吐きだしたりするのだ。側仕えのくせに全く役に立たぬ」
「なるほど。側仕えなのに、仕事ができないようでは困りますね」
「あぁ、そうだ」

 こちらが肯定したことで、エグモント様の口調が少しだけ和らぎました。

「ですが、側仕えの交換ということでしたら、こちらの神殿長室ではなく、神官長の管轄となります。神官長に面会予約をしてください」
「何だと!? 神殿長に言えば、十分だろう!?」

 エグモント様は前神殿長と懇意にしていた青色神官なので、今までは全て神殿長に話を通して、やりたいようにやってきたのでしょう。ですが、今は違います。なるべく前神殿長が支配していた時期より前の状態に戻そうと神官長が頑張っているのです。

「神官や巫女の異動に関しては神官長の業務です。以前はその辺りの境界が曖昧だったのかもしれませんが、今はそうではありません」
「其方、灰色神官の分際で生意気だぞ!」

 エグモント様が手を伸ばしてきた瞬間、チリンと小さなベルの音が響きました。神官長のベルの音に内心安堵の息を吐きます。神官長を呼びに行ったザームが神官長を先導して入ってきました。

「エグモント様、実はこれから神官長と面会の予定が入っているのです。時間をお譲りいたしますから、神官長にご相談されればいかがでしょう?」
「くっ……」

 灰色神官相手ならばいざ知らず、神官長相手にそのような不作法はできません。神殿内で前神殿長派だった者は、神官長に協力しないため、少しずつ予算を削られ、肩身の狭い思いをしているのですから。

「フラン、私が面会予約をしていたはずだが、何故エグモントがここにいる?」

 入室してきた神官長は不快そうにエグモント様を見てそうおっしゃいました。私は正直に答えます。

「エグモント様が突然いらっしゃったのです。緊急に灰色巫女を入れ替えたいそうです」
「ふむ、神官達の異動に関することは私の仕事だ。エグモント、神殿長室ではなく、私に面会予約を取りなさい」

 神官長と入れ替わるようにエグモント様はリリーを引きずるようにして出て行き、結局、エグモント様は神官長に向けて面会予約を取ることになりました。
 ザームがきっちりと閉めた扉を見た後、私は神官長の前に跪きます。

「このようなことにご足労いただきまして、誠に申し訳ございません、神官長」
「いや、良い。ローゼマインがいない以上、このような事態が起こることは想定していたからな。……だが、灰色巫女の入れ替えか。ローゼマインの意を汲んでおかねば、後でうるさいであろうな。まったく面倒な」

 神官長が軽く溜息を吐き、私にローゼマイン様の意向を教えてくださいました。希望する灰色巫女を出すのは構わないけれど、嫌がる者は自分が召し上げてでも絶対に出さない、と神官長に主張したそうです。

 ……本当にローゼマイン様は、孤児院の者に甘い。

 それがローゼマイン様らしくて嬉しくもあり、同時に、ローゼマイン様が神殿長でなくなった時にどのようになるのか、不安でもあります。

「フラン、新しい側仕えを必要としているエグモントは、すぐに面会予約を申請してくるだろう。私は三日後の5の鐘に面会を行うつもりだ。その折、ローゼマインの意を汲んだ上で、其方が孤児院から灰色巫女を連れて来るように」
「かしこまりました」

 私は神官長が退室するのを見送ると、部屋の留守をザームに任せ、真っ直ぐに孤児院へと向かいました。誰かが新しくエグモント様の側仕えとして召し上げられることは確実です。三日後までに準備が必要でしょう。

「フラン、どうなったのですか?」

 私が孤児院へと入ると、ぎゅっと胸の前で手を握って、震えているヴィルマが出てきました。気遣わしげなモニカが隣に付き添っています。

「はい。リリーに子ができたようです。三日後、新しい側仕えの選定があります」
「三日後、ですか……」
「ヴィルマ、神官長はローゼマイン様のご意思を汲んでも良いとおっしゃいました。ですから、ヴィルマが考えているほど、ひどいことにはなりません」

 ヴィルマは男性恐怖症で、孤児院から出たくないと思っていますし、すでにローゼマイン様の側仕えとなっているのでこれ以上を望むことはないけれど、孤児院に残る灰色神官や灰色巫女にとって、側仕えに召し上げられるのは出世です。主がエグモント様とはいえ、側仕えになる事を望む者はいるのです。

 ロジーナやニコラが成人したように、孤児院でも成人した灰色巫女が増えましたが、今この場にいる灰色巫女は二十名もいません。
 並んだ灰色巫女の中には、絶対に行きたくないと主張するように自分の前できつく手を握っている者もいますし、どちらにしようか、と悩む素振りを見せている者もいます。もちろん、昔のデリアのように出世欲で目を輝かせている者もいました。

「この中にエグモント様の側仕えになりたいと希望する灰色巫女はいますか?」

 四人の灰色巫女が勢いよく手を挙げました。周囲を見回し、手を挙げるかどうかもぞもぞと動かしている灰色巫女の存在はすっぱりと無視して、私は「では、この四人を三日後の選定の場に連れて行きます」と宣言しました。

「……フラン、全員でなくてよろしいのですか?」

 年頃の灰色巫女が全員選定のために連れて行かれると思っていたヴィルマは驚いたように何度も瞬きしました。

「なるべく希望の道を見つけてあげたいというのがローゼマイン様のご意思ですから。行きたい者を優先します」

 そして、三日後の5の鐘が鳴ると同時に、私は側仕えを希望した四名を連れて、神官長の部屋へと向かいました。

「たった四人か?」

 エグモント様は並んだ灰色巫女を見て、むっと顔をしかめます。

「……前神殿長によって、ずいぶんと多くの巫女が処分されましたから。エグモント様はご存知なかったのでしょうか?」
「いや、知っていた。……だが、まぁ、質は良い」

 前神殿長によって外見だけを考慮して残されていた灰色巫女ばかりですから、観賞に耐える外見をしているのは当然です。じろじろと下卑た目で灰色巫女達を見比べて、エグモント様は一人の灰色巫女を指差しました。

「よし、お前だ」

 一人が指名されると、その者だけを残して、私は残りの三人と孤児院に戻されることになったリリーを連れてすぐに退室しました。
 後の契約については神官長が行うことになっています。詳しい契約内容は存じませんが、青色神官の側仕えとなる者は、青色神官から貴族へと情報が洩れるのを防ぐため、ローゼマイン様の料理の作り方、工房に関すること、ローゼマイン様の個人事情等を漏らさないように契約魔術で縛るそうです。

「おかえりなさい、リリー。体調が悪い中で仕事をするのは大変だったでしょう? 孤児院でゆっくりと休むと良いわ」

 ヴィルマの出迎えに、リリーが突然ボロボロと涙を零し始めました。ヴィルマが優しく背中を撫でると、リリーは泣きながら、自分の体が自分でも知らないように変わっていくのが怖くて仕方がないのに、邪魔だ、不要だ、と主から罵られて、とても辛かったのだ、と訴えました。

 私はその場をヴィルマに任せ、孤児院を出ました。とりあえず、ローゼマイン様が望んだ通り、側仕えになりたい者が側仕えとなり、辛かったものが側仕えを辞めることができたので、これでよかったのでしょう。



 さて、こうして妊婦が孤児院に戻されたわけですが、妊婦をどのように扱えば良いのかわかりません。リリーは「自分の体が自分でも知らないように変わっていく」と言いましたが、本人にも傍で見ている我々にもどのように変化して行くものなのかわからないのです。

 私が神官長に質問したところ、神官長の答えは「月日がたてば勝手に生まれてくるだろう」というものでした。
 神官長がそう言うならば、そういうものなのだろう、と孤児院全体がのんびりと構えているところに行儀作法を習うためにトゥーリとルッツがやってきました。

「放っておけば勝手に生まれる!? そんなわけないよ! お産は大変だよ!? お貴族様のお産は簡単で楽なの!?」
「準備もなくできることじゃねぇよ! 何人もで助け合って赤ん坊を取り上げるんだぜ?」

 自分の母親のお産に立ち会ったことがあるトゥーリとご近所で出産があれば準備に駆り出されるルッツの言葉に、ざっと血の気が引きました。そういえば、結婚でも平民と貴族では認識や習慣が違ったのです。出産でも常識が違う可能性があります。魔力や魔術具がない孤児院では、おそらく平民のお産の方が近いでしょう。
 神官長のお言葉が当てにならない以上、外部の力に縋るしかありません。ただ、助け合おうにも、孤児院に出産を経験している者はいませんし、孤児が蔑まれているこの現状で、お産の手伝いのために孤児院に来てくれるような奇特な者はいません。

 ……こういう時にローゼマイン様がいらっしゃったら。

 そう思わずにはいられませんでした。ローゼマイン様ならば、弟の出産を間近で見ていますし、下町の関係者に声をかけて人を集めることも簡単にできたでしょう。

「わたしの母さんなら来てくれると思うけど、お手伝いが一人だけじゃどうしようもないもの」
「とりあえず、旦那様に聞いてやるよ。コリンナ様が出産したんだから、必要な物だって知っているはずだ」

 ルッツの言葉を聞いたベンノ様は「勝手に生まれたら苦労しないぞ! 全くお産に関する知識がない神殿孤児院での出産は危険すぎる! 妊婦が死ぬぞ」とおっしゃったそうです。子を産むのがそこまで大変だとは思わず、皆が真っ青になりました。

 何か良い方法がないか、ベンノ様達と考えてくださったようです。ルッツは「とりあえず、収穫祭を機に、リリーをハッセに移動させろ」と言いました。ハッセの小神殿ならば、まだ住民との距離が近いため、神殿長の名前で一筆書き、一緒に冬を過ごしたアヒムとエゴンが頼めば、手伝いをしてくれる女性の数人くらいは見つかるかもしれない。それにハッセ出身の孤児ならば、ここにいる灰色巫女よりお産に詳しいはずだ、とベンノ様がおっしゃったそうです。

 ……さすがベンノ様。お忙しい中の助言、ありがとうございます。

 ベンノ様の適切な助言に従い、我々はリリーをハッセに移動させられるように準備を始めました。出産に必要な道具もプランタン商会の方々から聞いて揃えていきます。

 そして、秋の収穫祭。
 私はリリーの出産に協力をしてもらえるように、リヒトにお願いの手紙を書きました。そして、リリーとアヒムとエゴンの三人を乗せた馬車も収穫祭に向かう馬車と一緒にハッセへと向かいます。

 シャルロッテ様からリヒトに手紙を渡してもらうことで、出産の手伝いに関する協力に関しては快諾していただけました。

 小神殿にいるノーラはやはりお産に立ち会ったことがあるようで、必要な物を確認したり、リリーの体調から出産予定の頃を調べたりと大活躍です。

「多分、お産は次の春の終わりくらいになると思います。ですから、祈念式の時にもう少し巫女を連れてきてください。殿方はお産をする部屋には入れないので、あまり必要ありません」

 ……なるほど、男が立ち入れないのであれば、トゥーリとルッツで知っていることに違いがあるはずです。

 こうして、ハッセにリリー達を置いて、私は収穫祭の続きに出発しました。
 収穫祭では無事にヴィルフリート様とシャルロッテ様のご協力を頂いたことで、冬支度ために必要な物資が集まりました。



 ギルを通して依頼し、去年同様にギルベルタ商会との協力で豚肉加工が行われ、神殿でも次々と冬支度をしている秋も終わりに近づいてきたある日のこと。プランタン商会のベンノ様が呼び出され、印刷業を広げることについて、神官長とお話をすることになりました。何でも、ローゼマイン様のお母様であるエルヴィーラ様がご実家のある土地に工房を作りたいとおっしゃっているようです。

「いくら何でも今からすぐには無理でございます。冬には川が凍るような土地に、これから突然向かったところで、紙一枚作ることはできません。できることがないにもかかわらず、雪と氷に閉じ込められてハルデンツェルから出られなくなる我々の食料や生活はどなたが補償してくださるのですか?」
「生活の保障はギーベ・ハルデンツェルが行うだろうが、できることがないというのは困るな」

 眉を寄せる神官長にベンノ様はものすごく困った顔で、すぐにはできない、と必死に訴えます。この場にもローゼマイン様がいらっしゃったら、ベンノ様はもう少し気が楽だったでしょう。

「どの工房に関しても準備が必要ですし、商業ギルドとも足並みを揃えなければ、売り出すことができません。貴族の権威で無理を通しても、禍根が残り、後々面倒なことになります。貴族には貴族の、商人には商人の、職人には職人の決まり事があります。神官長はもちろん、エルヴィーラ様ならば、根回し、事前準備の必要性と重要さをご理解いただけると存じます」
「では、どのような準備が必要か、冬の洗礼式までに一覧表にして提出しなさい。これだけの準備が終わっていなければ、指導に取り掛かることはできない、と言えるだけのものが必要だ」
「かしこまりました」

 神官長室を出て正面玄関へと向かうベンノ様が頭を抱えていらっしゃいました。

 印刷工房の責任者である神官長が立ち合う中、エルヴィーラ様とベンノ様の間で、商談が行われました。
 冬の社交界で売り出すためにどうしても印刷したいものがあるので、自分の印刷工房が必要なので、すぐに作ってほしい、とおっしゃるエルヴィーラ様のために、ローゼマイン工房でその印刷を引き受けるという形で一応ベンノ様の言い分が通りました。
 その結果、冬支度を放り出して、工房を必死で動かさなければならなくなったのです。

「すまないが、頼まれてくれないか」

 ベンノ様は工房まで足を運んで、灰色神官達に直接頼みました。こちらもプランタン商会にはお世話になっているので、できるだけのことはしよう、と皆が頷きます。
 さっとベンノ様が差し出されたのは、エルヴィーラ様の原稿でした。その厚みにギルとルッツが眉を寄せました。

「これだけの枚数を金属活字で組むには時間がかかりすぎるぞ。文字数の整理もできていないからな」
「今回はガリ版印刷にした方が良いだろ」

 頷き合った二人が、ロウ原紙と道具を抱えて孤児院へと駆け出すと、ガリ版印刷と聞いた者達が準備を始めました。
 その様子を見てホッとしたように息を吐いているベンノ様にフリッツが近付いて行きます。

「ベンノ様、我々は精一杯協力いたします。ですが、冬支度をどうすれば良いのでしょう? 森に行けなくなってしまったから、足りないものがたくさんあるのです」
「とりあえず、特急料金である程度ぼったくっておいた。冬支度の大半は金で解決するしかないな」
「では、必要な物を一覧にまとめますので、お願いできますか?」
「あぁ、こちらが無理を言って仕事をねじ込んだんだ。それくらいはさせてもらう」

 ベンノ様が冬支度に関して請け負ってくださったことで、工房は冬の社交界が始まるギリギリまで作業できることになりました。

「恐れ入ります。でしたら、もうベンノ様はお店に戻られてもよろしいですよ。ベンノ様が手配しなければならないのは、こちらだけではないでしょう?」
「助かる、フリッツ」

 ベンノ様が身を翻して工房から出て行きました。

「フラン、ご覧のとおりです。孤児院の冬支度は神殿長室にお願いいたします」
「わかりました」

 フリッツから工房関係の冬支度の一覧表を押し付けられた私は、孤児院へと足を運びました。こちらの冬支度の一覧表も必要です。
 孤児院の食堂では、ギルとルッツがテーブルに道具を並べていくのが見えます。

「字の綺麗なロジーナに字の部分を、ヴィルマに絵の部分のガリ切りをお願いしてよいですか?」
「他にも字が綺麗な者がいれば、ガリ切りをお願いしてください。……ページによって少々字が違っても問題ないでしょう」
「わたくしは音楽を教えるために孤児院に来ているのですけれど、仕方ありませんわね」

 二人の言葉にロジーナが軽く肩を竦めながら、原稿を手に取りました。

「……あら? こちらの手跡はとても優美ですわ。このままガリ切りすれば、問題ないのではないかしら?」
「よし、それならガリ切りの人数が増やせます。この手跡の通りにガリ切りしてください」

 ルッツとギルが忙しそうに皆に声をかけて回る中、私はヴィルマに声をかけて、冬支度の一覧表を出してもらいました。すでに終わっているもの、これからしなければならないことが一目でわかるように、ローゼマイン様が最初の年に準備した物です。

「フリッツに頼まれて、私が冬支度を請け負うことになりました。ヴィルマはそちらの仕事に力を入れてください」
「フラン、ありがとうございます」

 私はザームとモニカと手分けして、プランタン商会に頼む物をまとめていきます。神殿長室、孤児院、工房関係、冬支度として準備する物はかなり多いのです。
 収穫祭で受け取って、加工が必要な食品に関しては厨房のフーゴとエラとニコラの三人に任せます。皆が自分達の手に余る仕事量を抱えて奔走しました。

 神官長のお手伝いをする余裕もないほど、一丸となって取り組んだ結果、冬の社交界が始まる寸前に、エルヴィーラ様から依頼されていた印刷物は仕上がったのです。
 できた! と喜びに満ちた工房で、私は作り上げられた本をパラリと開きました。

「……あの、ベンノ様。私が見たところ、神官長の絵が付いているように見えるのですが、本当にこれは神官長の許可が出ているのですか?」

 ローゼマイン様が、叱られて禁止された、とぐちぐち言っていた様子を知っている私が首を傾げると、ベンノ様がやつれて少々人相の悪くなった顔で私を睨みました。

「印刷しろ、と神官長から命令が出ていて、エルヴィーラ様から原稿を預かった。それ以上に何が必要だ? 余計なことを言って全部没にされたら、その損害は誰が払ってくれる? あぁ?」

 ギラリと光る赤褐色の目に睨まれて、私は口を噤みました。寝不足で苛立っているベンノ様にこれ以上口を利く気にはなれませんでした。それに、ベンノ様の言う通り、「エルヴィーラの気が済むように印刷してやれ」と投げやりにおっしゃったのは神官長です。

 ……一体冬の社交界はどうなるのでしょう?



 そろそろ一年が来ようとしていますが、ローゼマイン様の目覚めは更に先のことになりそうだ、と神官長がおっしゃいました。私にはよく理解できなかったのですが、魔力が圧縮されすぎていて、解かすにも非常に時間がかかっているようなのです。

 神官長はぶつぶつと文句を言いながら、魔石を取り換えるように私に言って、ローゼマイン様の様子を見ていきます。「これだけの魔力を溜めこんで、どうして生きていられたんだ、ローゼマインは」という呟きに、私はローゼマイン様がいらっしゃることは神の意思ではないかと思いながら、台の上にできあがった本を積み上げました。

 冬の社交界が始まり、神官長が不在となると、我々はまた奉納式の準備を始めなければなりません。指導する者がいなくても準備することにはもう慣れたもので、誰もが手順よく仕事をこなしていきます。
 去年と違って、奉納式までの間に一度神官長が戻ってきて、ローゼマイン様の様子を伺った後、また城へと戻っていきました。
 そして、ローゼマイン様の魔力が籠った魔石で今年も奉納式を終えます。

 冬の印刷はトゥーリの助言により、礼儀作法や貴族特有の言い回しについてまとめた本を作ることになりました。貴族に売れなくても、豪商や町や村の有力者には売れるだろうと言ったからです。

 ローゼマイン様には大きな変化はないまま、春になりました。

 エルヴィーラ様の要請がいつあるかわからない、とプランタン商会が忙しく動き回っている中、ベンノ様は祈念式の打ち合わせに来てくださいました。
 話し合いは孤児院長室で行われ、孤児院から連れて行く灰色巫女を三名とヴィルマが一緒に話を聞くことになっています。そして、プランタン商会は男ばかりなので、巫女達に配慮して、行儀作法で馴染みのあるトゥーリが話し合いに同席してくれました。少しは意見を言いやすいだろう、というベンノ様の配慮です。

「おそらく祈念式の頃には、私もルッツもハルデンツェルへ行っていると思います。こちらと話がしやすいように、今回はマルクを留守番に置いておくので、祈念式当日のやりとりはマルクとしてください。ギルベルタ商会にはトゥーリもいるから安心か、と思います」

 トゥーリがニコリと笑って頷きました。行儀作法を習っている成果は着実に出ているようで、座り方一つとってもずいぶんと姿勢が良くなっています。

「祈念式でお産の手伝いに連れて行く巫女がここにいる四人でよろしいですか?」
「いえ、違います。私は……」

 ヴィルマが慌てたように首を振るとベンノ様が軽く眉を上げました。

「貴女が孤児院の管理者でローゼマイン様の側仕えでしょう? 先程、そのように自己紹介されたでしょう? ならば、孤児院の管理は他に任せて、お産を見て、手伝ってきた方が良いと思われます。やってみなければわからないことは多いですから」
「それは、確かにそうなのですが……」

 ヴィルマが言いよどみ、ふるふると首を振りながら、私に助けを求めるように視線を向けて来ました。おそらく、ベンノ様とお話するのも怖くて仕方がないのでしょう。私はベンノ様にヴィルマの事情を説明しました。

「なるほど、青色神官に無理強いされそうになって以来、男が怖くて外に出られない、と。……甘えるな」

 穏やかだったベンノ様の顔が怒りをにじませた顔になり、声のトーンがグッと下がりました。

「え?」
「お前が孤児院の管理者なんだろう? だったら、これから先、何度同じような妊婦が出るかもわからないんだぞ。お産について上に立つ者が知らなくてどうする!? 毎回毎回ハッセに頼れると思うな。次は自分達で何とかできるように教えてもらってくるということを頭に刻み込め」

 ベンノ様の怒りに晒されたヴィルマはぽろぽろと涙を流しながら、頭を振ります。

「……ですが、わたくしは」
「ローゼマイン様がいなくて、全く協力してくれる者に当てがなくて、こっちに助けを求めてくるから、くそ忙しい時にこっちも助けてやっているんだ。それなのに、助けを求めるお前が、やりたくない、と孤児院に籠る気か!?」
「そ、そんなつもりでは……」

 まさかそんな強い言葉を投げつけられるとは思っていなかったのだろう、ヴィルマが驚いたように目を見張ります。
 けれど、ベンノ様はそんなヴィルマを真っ直ぐに見据えたまま、怒鳴りました。

「だったら、どういうつもりで、他人に任せにして自分はのうのうと閉じこもっているんだ!? 甘ったれるな! 孤児院の管理はお前の仕事だ! 仕事しろ! やる気のないヤツを手助けする余裕なんて、こっちにはない。お前が行かないならば、馬車は出さん! たった半日で着くんだ。歩いて行け!」
「ベンノ様!?」

 ローゼマイン様が世間を知らない灰色神官達が危険な目に遭わないように、とお金を出し、護衛を雇い、馬車を準備しているけれど、普通の平民は半日の距離ならば歩いて移動するのだ、とベンノ様はおっしゃいました。

「やる気と根性のないヤツに俺の時間を割く気はない。ハルデンツェルに向かう準備があるから失礼する」 
「待ってください! 行きます。行きますから……ご協力、お願いいたします」

 ヴィルマは泣きながらそう訴え、ベンノ様は眉を寄せたまま、座り直しました。祈念式のために準備する物をお互いに話し合い、その場は解散します。
 ベンノ様が退室した後、その場に崩れるようにして泣き伏すヴィルマを、私は少しばかり冷めた目で見下ろしました。

「……意に染まぬ行為を強いられる恐怖は理解できますが、ヴィルマは何事もなく助け出されたではありませんか。助け出されることがなく、無理強いを続けられる者もいます。それでも、生きて、少しずつ克服していくしかないのです」
「フラン?」
「今、子を産もうとしているリリーは、子を望んでいましたか? そうでなくても、恐怖と戦いながら出産に臨もうとしています」

 ハッとしたようにヴィルマが顔を上げました。私はヴィルマを見下ろしたまま、静かに言いました。

「ローゼマイン様に守られて、何年がたちましたか? ヴィルマの言葉で、ロジーナは努力して苦手だった書類仕事を克服しました。ローゼマイン様も努力して教養を身につけました。二人に助言したヴィルマこそ苦手を克服した方が良いと思います」



 ギーベ・ハルデンツェルが自分の領地へと戻るのに合わせて、グーテンベルクの移動が行われました。グーテンベルク達と一緒にギルと数人の灰色神官達がハルデンツェルへと向かいます。

 それから、あまり時をおかず、祈念式に出発する日がやってきました。
 やつれたヴィルマを心配したトゥーリが見送りに来てくれ、一生懸命に励ましているのが見えます。

「ヴィルマ、大丈夫です。一緒にハッセへと向かう兵士はわたくし達の父ですもの」
「わたくし達?……あ」

 トゥーリとローゼマイン様の関係性を思い出したらしいヴィルマが、トゥーリと心配そうに見守るギュンターを見比べます。

「ローゼマイン様の大事な側仕えに乱暴したり、からかったりするような者は入れておりません。ですから、ご安心ください」
「ありがとう存じます」

 トゥーリの励ましとギュンターの配慮によって、ヴィルマは震える足を踏み出し、馬車に乗り込みました。

 夏を目前に控えた春の終わり、ハッセの小神殿で子供が生まれた、とヴィルマから便りが届きました。私は夏の初めの気候が良い時期に、マルク様に要請して迎えの馬車を差し向けます。
 ハッセの小神殿から戻ってきたのは、ヴィルマと手伝いに行った灰色巫女達、それから、母となったリリーと新しい赤子。
 外での生活を経験したヴィルマは、表情が明るくなり、瞳に強さが見え、ずいぶんとたくましくなったように見えました。

 ディルクの時と同じように皆で交代しながら赤子の世話をする生活が孤児院では始まったそうです。ヴィルマとリリーがいつも疲れた顔をしているようになりました。



 夏の終わり、モニカが成人しても、ローゼマイン様は起きません。ですが、収穫祭が近付く秋の半ば、神官長は目覚めが近付いてきているとおっしゃいました。
 七割から八割方の治療が終わり、瞼が動いたり、指先が動いたりするようになってきたということです。

 収穫祭の間、神殿に残っていたザームによると、神官長は収穫祭の間も数日に一度は、夜中に騎獣を飛ばし、ローゼマイン様の様子を見に戻られていたようです。

「よほどローゼマイン様が大事なのでしょう」
「……わかるような気がいたします。神官長の仕事を減らそうとした方はローゼマイン様だけでしたから」

 薬漬けは体に悪い、と真剣に神官長の健康を心配して、領主に直談判してくれるような上司が、ローゼマイン様の他にいるでしょうか。

「神官長の健康のためにも早くローゼマイン様に起きて頂きたいものです」

 ……起きれば起きたで、神官長にとっては頭の痛い日々が始まるのでしょうけれど。

 目覚めの兆しが見えたので、風呂の準備をするように、と神官長から声がかかるのは、それからすぐのことでした。
 灰色巫女の妊娠と出産。そして、ヴィルマの苦手克服でした。
 お母様のごり押しでベンノさんが過労死寸前でしょうか?
 大丈夫。グーテンベルクは負けません。
 これで長い閑話は終了です。

 次はやっと第四部に入ります。神官長視点のプロローグです。
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