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本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~ 作者:香月 美夜

第三部 領主の養女

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祈念式終了

「ひわっ!?」

 ガクンとバランスを崩し、わたしは斜めになった葉っぱの上を滑るようにして、空中へと飛び出す。
 ローゼマイン様、と叫ぶ皆の声と騎獣を出すブリギッテの姿が見えた。

 ブリギッテの騎獣よりも速く、木々の向こうから何かが飛び出してきた。空中で重い頭の方が下がって視界がぐるんと回る中、残像のように見えた何かがこちらに向かって突っ込んでくる。

 重力に囚われて、頭から真っ逆さまに落ち始めたわたしの体が何かにガシッとつかまれた。次の瞬間、ぶわっと上昇する感覚に内臓が刺激され、うぐ、と呻き声が出る。
 一体何が起こったのか、と目を瞬きながら、視線を巡らせると、何故か神官長の怖い顔が間近にあった。眉間の皺が普段の五割増しくらいひどい。

「……神官長? どうしてここに?」
「落下する君を回収するためだが?」

 気に入らなかったならば、もう一度落としてやろうか、と睨まれて、わたしは振り落とされないように、慌てて神官長の腕にしがみつく。

「助かりました。ありがとうございます」
「……あぁ」

 落下からは助かったけれど、あまり助かった気がしないのは、この後にお説教がくるのを確信できるからだろうか。
 不機嫌極まりない神官長の様子にブルブル震えながら、わたしはレッサーバスの前に下ろされた。

「ローゼマイン様、ご無事ですか!?」

 フランが心配顔で駆け寄ってくる。わたしが「神官長に助けていただきましたし、大丈夫です」と答えると、フランはホッとしたように体の力を抜いた。

「さて、ローゼマイン」

 騎獣を片付けた神官長の低い呼びかけに、すわ、お説教開始か、と身構えたけれど、神官長は疲れたような声で「採集はできたのか?」と尋ねただけだった。
 少しばかり肩透かしを食らった気分になりながらも、わたしは頷いて、ライレーネの蜜を詰めた瓶を神官長に見せる。

「はい、無事にライレーネの蜜は採集できたのですから、褒めてください」

 わたしが差し出した瓶を手に取ると、神官長は瓶の蓋を開け、ほんの少しだけ蜜を手のひらに零した。そして、目を細めて蜜に魔力を流し込んだ後、ゆっくりと息を吐く。

「……あぁ、予想していたことだが、これは君の魔力に染まっているようだな。魔力が通らない」
「え? そんなはずは……。だって、神官長に言われた通り、これですくいましたよ?」

 採集方法は間違っていなかったはずだ。わたしが採集道具のスプーンを取り出して、「これが不良品だったのではないですか?」とむくれると、神官長は緩く首を振った。

「そうではない。君の魔力で成長したライレーネだ。花自体が君の魔力に染まっていたのだろう」
「う……。もしかして……わたくし、失敗してしまいました?」

 せっかくタルクロッシュをやっつけて、女神様にお願いして、ライレーネの蜜をもらったのに、失敗してしまったのだろうか。神官長はもちろん、同行してくれた皆に申し訳ない気持ちで尋ねると、神官長は緩く首を振った。

「いや、君の素材採集という点から見れば、問題ない。問題はないが……ハァ。とにかく、なるべく早くフォンテドルフの冬の館に戻るぞ」

 神官長だけではなく、フランもエックハルト兄様もダームエルも、男性陣は皆疲労の色が濃い。顔色が悪くて、疲れ切ったような息を吐いている。

「何かあったのですか?」
「森の不思議に関する話は明日だ。早く帰って休む方が先だろう。君達もろくに寝ていないはずだ」

 なんと、神官長達も森の不思議に振り回されて大変だったらしい。ただ、詳しい話は明日だと言われて、話は打ち切られてしまった。
 何があったのだろうか、と首を傾げながら、さっさと帰り支度を始める男性陣をわたしは呼び止める。

「ちょっと待ってください。ここの泉の水を少し汲んで帰りたいのです。ちょっとした傷や病に効く癒しの水なんですよね? 孤児院で病気の子が出た時に使えるし、数日間お世話になっているのだから、フォンテドルフの村長にも少し分けてあげれば喜ぶと思うのですけれど」
「好きにしなさい」

 幸いにも、道中の水を運ぶためにレッサーバスに乗せられていた樽がある。数リットルが入るくらいの大きさの樽で、すでに二つが空になっている。昨夜の食事とわたしとブリギッテが体を拭うために使ったせいだ。
 わたしは側仕え達にその樽に泉の水を汲んでもらい、レッサーバスに乗せてもらう。

「せっかくですから、飲み水も補給いたしましょう」

 各自、飲み水用の皮袋に泉の水を補給してからフォンテドルフの冬の館に戻った。
 疲労の色が濃い男性陣はもちろん、楽しかったとはいえ、夜中にはしゃいだ女性陣も寝不足だ。皆が欠伸を噛み殺し、目を時折擦っている。疲れているため、一日しっかりと休息を取ることになった。

「ローゼマイン、寝る前にこれを飲んでおきなさい」
「はい」

 湯浴みをして、すっきりした後、わたしは神官長に手渡された疲労回復の薬を飲んで寝台に潜り込んだ。



「それで、神官長達は一体どのような不思議な体験をしたのですか?」

 次の日の朝食後、わたしは食後のお茶を飲みながら、神官長に尋ねた。
 わくわくしながら問いかけたわたしと違って、神官長とエックハルト兄様とダームエルが揃って顔をしかめる。楽しい思い出ではないようだ。

「……端的に説明すると、女神の嫌がらせを受けていた」
「え?」

 わたし達がキラキラと光る不思議な光と遊んでいたフリュートレーネの夜は、男性陣にとっては大変な夜だったそうだ。

「ローゼマイン、夜の間、我々は交代で見張りをしていただろう?」

 エックハルト兄様の言葉にわたしは頷いた。交代で起きて見張りをするのは、訓練で慣れている騎士が請け負うことになったのだ。
 事が起こったのは、神官長が見張りをしていた時間帯だったらしい。

「ざわざわと木が動き出した。最初は風かと思ったのだが、風は吹いておらず、ただ、木々がざわめいていた」

 警戒しながら周囲を見回していると、突然木々がうごうごと動き出し、レッサーバスを枝から枝へと受け渡し始めたらしい。神官長の説明から、わたしは木々にバケツリレーのように運ばれるレッサーバスを想像して、そのシュールさに思わず眉を寄せる。

「君が信じられないのも無理はない。実際に見ていた私でも目を疑った。木々が意思を持ったように君の騎獣を運んでいくのだからな。あり得ない光景だった」

 レッサーバスがバケツリレーされるのを見た神官長は、即座に全員を叩き起こして追跡し、レッサーバスを取り返そうと木々に攻撃をしかけたらしい。しかし、わたし達が乗っているレッサーバスに直接攻撃を当てるわけにもいかない。
 攻めあぐねている間にレッサーバスは、女神の水浴場へと連れて行かれてしまったそうだ。

「……神官長やエックハルト兄様の全力で攻撃されなくて良かったです」

 泉の方へと騎獣で行こうとしても木々が立ちふさがり、邪魔されて、どんどんと距離が離されていく。邪魔する木々を打ち払いながら、泉の前へと到達したものの、今度は分厚い魔力の壁に阻まれて、入れない。

「泉の周辺だけが雪もなく、寒さも感じなかっただろう? あの場に満ちていた魔力が関係しているのはタルクロッシュの討伐の時からわかっていたが、まさか自分達が弾き出されるほど強い魔力に満ちているとは思わなかった」

 魔力が豊富で、ほとんどの魔力の壁は突破してきたらしい神官長は、苦い顔でそう言った。
 木の間から泉とレッサーバスが見えているのに、その場に入ろうとしても入れないという非常に腹立たしい状態だったそうだ。

 魔力に満ちた光が飛び回り、レッサーバスへと群がっている時には一体何が起こるのかとハラハラし、レッサーバスからわたし達が出てきて遊び始めた時には「この馬鹿者!」と思わず怒鳴ったらしい。全く聞こえなかったけれど。

「とにかく、あのような魔力の固まりが大量にうごめく危険な場所にふらふらと出て行くような考えなしの行動を二度としないように望む」

 騎獣の中はわたしの魔力で満たされているので、中にいる限りは安全だ、と神官長は言った。魔力を持つ相手が敵かどうかも判別しないまま、外に出るのは危険行為だったそうだ。

「あのキラキラに敵意は全く感じませんでしたよ」
「……最初に敵意を感じなくても、君達があれらの機嫌を損ねた場合、どうなっていたかわからぬぞ」
「あぁ、そういう可能性もありましたね」

 魔力の壁に隔てられた先で、神官長を初めとして、フランもダームエルもエックハルト兄様も、わたしの達の行動には頭の痛い思いをしていたらしい。
 いくら呼びかけても誰も聞いていない。多分、聞こえていない。
 見守っている方の心情も知らず、楽師はフェシュピールを弾き始め、料理人達と側仕えはお菓子を広げてピクニックを始める。

 泉の中を覗き込み、タルクロッシュを狩るくらいならば、自分達がいないことに気付くべきだ、と言って、神官長がわたしとブリギッテを睨んだ。

 わたしとブリギッテは顔を見合わせる。そう言われてみると、男性陣が周囲にいないことに気付かなければならなかったのだが、あの時は全く頭に思い浮かばなかった。

「周囲の光景があまりにも現実味が薄くて、夢の世界みたいだ、と思っていたせいかしら?」
「わたくしも騎獣の中では、連絡を取らなくては、と思っていたのですが、騎獣から出た瞬間に忘れました。あの時は本当に人数が足りないことを全く不思議に感じなかったのです」

 ブリギッテはレッサーバスから出る時にはオルドナンツを飛ばすつもりで、魔石を握って外に出たらしい。けれど、外に出た途端、何のためにオルドナンツを飛ばそうと思ったのかわからなくなったそうだ。
 君達にも魔力の影響があったのかもしれないな、と神官長が眉間を押さえた。

「そのうち、君が泉に向かって歌いだした。歌に合わせて魔力が広がり、花が育ち始める。あの時の我々の焦りが君にわかるか?」

 ライレーネの蜜を採ることが本当にできるのか。花が開き始めているのに、まだ悠長に歌っているわたしを見て、非常にやきもきしていたらしい。
 エックハルト兄様も肩を竦める。

「ローゼマインは葉に乗って、蜜を採りに向かっただろう? 本当に驚いたのだよ」
「足場がしっかりしない葉に乗るようなことを普通の人はしない。何のために騎獣があるのか、私が君に騎獣を与えたのか、よく考えろ」

 神官長に言われて、わたしはポンと手を打った。
 なるほど。騎獣で採集に向かえば、朝日が当たって葉っぱが小さくなっても落ちなかったに違いない。

「普通の人は賢いですね」
「違う。君が愚かなのだ」

 風が吹いたら落ちそうな葉っぱの上でせっせと採集するわたしの様子は、胃がキリキリするほど危険そうに見えたらしい。

「いつ落ちるか、とハラハラしながら見ていたら、空が明るくなるにつれて壁が薄くなっていった」

 朝の光に不思議な光が消えていく。それと同時に不思議な光景は消えていき、自分達が知る泉の姿を取り戻していく。

「全てが元に戻っていくのが見えているというのに、足元の葉が見る見るウチに小さくなっているのに、君はまだぼんやりと空を見ていただろう? あまりの危険さに騎獣を出し、薄くなった魔力の壁を破って駆け始めたら、案の定、茎が折れた」

 茎が折れるより先に、騎獣で駆け出していたから、わたしが空中に投げ出されたところを捕まえることができたそうだ。

「本当にお世話になりました。作れるものならば、わたくしが神官長に胃薬を作ってあげたいくらいです」
「そんな危険な物は飲まない。気持ちだけで良いので、あまり危険なことをしてくれるな」
「……善処します」

 後のことはわかるだろう、と言われて、わたしはハァと息を吐いた。

「まさか、殿方はそれほど大変だったとは思いませんでした」

 わたし達は夢心地でとても楽しかったので、男性陣がそこまで苦労して、胃をキリキリさせているなんて全く考えていなかった。

「それにしても、どうして殿方は入れなかったのでしょう? 泉の女神様は殿方が苦手なのでしょうか?」
「水浴場と呼ばれるくらいです。もしかしたら、フリュートレーネの夜は男子禁制なのかもしれません」

 わたしとブリギッテが考えてみても、男性と女性の差がわからない。もしかしたら、レッサーバスの中のお菓子を狙っていたのかもしれない。
 色々と答えを考えていたが、結局誰にも正解なんてわかるはずがない。

「ひとまず、ライレーネの蜜は収穫できた。当初の予定は果たせたので、明日からは祈念式だ」
「はい」

 春の素材も収穫できたので、フォンテドルフを出発して、わたし達は祈念式の行程へと戻る。
 フォンテドルフを出発する前に、当初の予定通り泉の水を分けてあげた。

「しばらくお世話になりました。これは泉の水です。怪我人や病気の方が出た時に使ってください」
「恐れ入ります」
「おそらく、他の水よりも効力が高いはずだ。エーレンフェストの聖女が汲んできたからな」

 神官長が村長に向かってそう言うと、村長は驚いたように息を呑み、わたしと密閉できる容器に入った水を交互に見つめる。

「なんと!? そのような貴重な水を頂けるとは……」
「神官長!?」

 わたしがじろりと神官長を睨むと、神官長は「そういうことにしておけ」と小声で言った。
 春の泉は魔力が高いと知られるのは、色々と不都合なことがあるらしい。それを隠すために神官長が妙なことを言ったせいで、わたしが渡した水は癒しの聖水として丁重に扱われることになってしまった。

 ……まぁ、大事に使ってくれるなら、それでいいけど。



 無事に残りの祈念式も終えて、神殿へと戻った数日後、わたしは興奮気味の神官長から呼び出しを受けた。

「何の御用ですか? 本日はギルベルタ商会との面会があるのですけれど……」
「いいから来なさい」

 神官長の工房となっている隠し部屋に引っ張り込まれ、今回採集したライレーネの蜜について、話をされた。神官長が興奮気味に早口で説明してくれたけれど、専門用語が多すぎてよくわからない。

「……つまり、どういうことですか? 専門用語抜きでもうちょっと簡単にお願いします。それか、専門用語がわかる本をわたしにください。今すぐに読みますから」

 簡単にしてくれた説明によると、採集したライレーネの蜜はわたしの魔力を帯びているけれど、完全にわたしの魔力に染まっているわけではないらしい。

「意味がわかりません」
「完全に魔力を込めると、このようになる。君の薬に使う分をこのように結晶化しなさい」

 きちんと魔力を込めると、緑の魔石のような結晶になるそうだ。神官長の魔力で染めてできた結晶を見せられ、わたしは瓶を一つ渡された。
 魔力を注ぎながら、わたしは神官長の話を聞く。

「君が採集した蜜は君の魔力で育った花の蜜であるため、最初から君の魔力を多く含んでいる。魔力をたくさん含んでいて品質が良い素材だ」
「わたしの魔力に染まっていると、他の人は使えないのですよね?」
「普通はそうだ。だが、このライレーネの蜜は他の者の魔力で染め上げることもできるのだ。君の魔力があるので、染めるためには反発が大きいけれど、染める価値がある品質だ」

 神官長は手のひらで緑の結晶を転がしながら、そう言った。

「このようなことができるのは、フリュートレーネの夜に採れたライレーネの蜜だからか、他の素材でも同じことができるのか、非常に気になる。ローゼマイン、其方、魔力で色々な魔木を育ててみないか?」
「紙の研究にもなりそうなので、魔木を育てるのは構わないのですけれど……」

 神官長の許可の下、魔木を育てて紙作りの研究に生かせるならば、わたしはぜひやりたい。けれど、それには大きな不安があるのだ。

「わたくしの魔力を魔木の成長と実験に費やせるほど、エーレンフェストに魔力の余裕があるのですか?」

 トロンベをこっそりと育てていることは胸に秘めて、わたしは首を傾げて見せる。
 神官長は軽く目を見張った後、眉間にくっきりと皺を刻んで、苦渋の表情でゆっくりと首を振った。

「……ない」
「ですよね?」

 魔木栽培計画はすぐさま頓挫したけれど、神官長は諦めが悪かった。

「ローゼマイン、十年後くらいになって、領地の魔力に多少の余裕ができたり、君が成長して魔力が増えたりしてから実験してみないか?」

 新しい素材だが、魔術に関する新説だか知らないが、神官長はやる気に満ちている。まさかの十年計画だ。

「わたくしの魔力は高いですよ?」

 わたしがフフンと笑って胸を張ると、神官長は馬鹿にするようにフンと鼻を鳴らした。

「何が欲しい? 金ならば準備するぞ?」
「神官長、わたくしがお金を欲しがると思いますか?」

 ニィッと笑うと神官長が少しばかり警戒した顔になった。
 警戒はしても、やっぱり止めた、とは口にしない以上、実験のためにわたしの魔力はどうしても必要らしい。
 ずいぶんと価値を高く見積もってくれているようなので、できるだけ高くふっかけておくことにする。

「十年後でも結構です。わたくしの魔力と引き換えに、わたくしに図書館をくださいな」

 神官長は眉間に皺を刻み、明確な返答を避けた。
 男性陣は苦労していました。
 不公平ですね。

 次回は、新しい衣装です。
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