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本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~ 作者:香月 美夜

第三部 領主の養女

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入れ替わり生活 前編

 
 ヴィルフリートが大はしゃぎしながら神殿へと向かうのを見送ると、わたしはリヒャルダと一緒にヴィルフリートの部屋へと向かった。
 リヒャルダは部屋の設備に大きな違いがないことを確認すると、ヴィルフリートの筆頭側仕えを呼んで、教師が来る前にテーブルに勉強の準備をさせる。

「オズヴァルト、早く準備しなければ、先生がいらっしゃるでしょう」
「ヴィルフリート様はいつも逃げ出しますから、勉強道具を揃えても使われることが稀なのです。このように、普通の側仕えらしい仕事ができるのは嬉しいものですね」
「何を呑気なことを……。逃げ出したならば、捕まえなければならないでしょう。護衛騎士に仕事をさせなさい」

 ジルヴェスターを育てたリヒャルダが、キッと眉を吊り上げた。オズヴァルトは失敗したと言わんばかりに肩を竦めて、ささっと勉強道具を準備する。
 すぐに教師はやってきた。

「風の女神 シュツェーリアの守る実りの日、神々のお導きによる出会いに、祝福を祈ることをお許しください」
「許します」
「風の女神 シュツェーリアよ、新しき主に祝福を。……お初にお目にかかります。姫様方の教師を拝命しております、モーリッツと申します。以後、お見知り置きを」

 早速わたしは勉強しようと、わくわくしながらモーリッツを見上げた。

「ヴィルフリート兄様はどのような勉強をされているのですか?」
「今は基本文字の練習をしております」
「んまあぁぁ! では、まだ基本文字も書けないというのですか!? 計算が得意で、そちらばかりに比重が偏っていらっしゃるの!?」

 わたしはヴィルフリートが文字を書けないことを知っていたけれど、リヒャルダはヴィルフリートの勉強の進度を知らなかったようだ。つかつかと大股で歩いてモーリッツに詰め寄る。

「……いえ、どちらも、まだ……」

 モーリッツが非常に小さい声で答えにくそうに呟くと、リヒャルダはカッと目を見開いて特大の雷を落とした。

「オズヴァルト、モーリッツ! 其方達は一体何をしているのです!? ヴィルフリート様をお育てする気があるのですか!? 全員そこに整列なさい!」

 そこからはリヒャルダ無双だ。側仕えと残っていた護衛全員を集めて、リヒャルダのお説教が始まる。リヒャルダの怒り具合を見ても、ヴィルフリートの放置度合いは最悪なのだと思う。

 側仕えや護衛達の言い訳がましい言葉は、リヒャルダに一蹴されていたけれど、それを掻き集めてみたところ、ヴィルフリートの環境には大きな問題点があることがわかった。簡単にまとめると「ほとんどジルヴェスターのせい」だ。

 ジルヴェスターは年の離れた姉と争って領主の地位に就いたらしいが、そのような争いが嫌で、自分の跡継ぎをヴィルフリートに決めたらしい。自分が嫌だったことをさせないように、というジルヴェスターなりの親心なのかもしれないが、それが完全に間違いだったのだ。

 本来ならば、正妻から生まれた領主の子には等しく相続権があり、魔力の量と本人の資質により選ばれる。そのために、領主の子に付いた側仕えや教師は皆が一丸となって子育てをするのだ。自分が仕える主が領主となるかどうかで、自分達の将来や一族の繁栄に大きな差が出るのだから当然だろう。

 だから、ジルヴェスターの場合は、勉強から逃げ出そうとすれば、本気のカルステッドが追いかけて捕まえたし、リヒャルダは目を吊り上げて叱りつけていた。成長のために必要なことは、本人が嫌がってもやらせるのが当たり前だった。

 しかし、ヴィルフリートはすでにジルヴェスターの意向で、次期領主となることが決まっている。ならば、誰が本気で対応するだろうか。子供を叱れば嫌がられるに決まっている。やりたいことをさせて機嫌を取っておく方がよほど簡単で、自分達の将来のためになるのだから、誰もヴィルフリートを叱らない。「困った方です」で済ませてしまう。

「オズヴァルト、一体何のために領主の子の筆頭側仕えに領主と血縁関係のある上級貴族が付けられると思っているのですか!? 身分差を振りかざそうとする子供の我儘を毅然と止めるためでしょう! ヴィルフリート様にはランプレヒトも付けられていたはずなのに、何をしているのです!?」

 逃げ出しても捕まって勉強させられたジルヴェスターと逃げ出せば好き放題ができるヴィルフリートでは、同じように逃げ出していても、全く違う。いくら気性が似ていようと、同じように育つはずがない。

 おまけに、リヒャルダの怒りに任せて語り始めた過去のお話によると、ジルヴェスターはフェルディナンドという異母弟が城に入ってきて、変わったらしい。末っ子だったジルヴェスターは初めての弟に、ちょっとイイところを見せようと頑張ったそうだ。年が離れているため、神官長がいくら優秀でもすぐに抜かれるということはなく、ジルヴェスターの成長へと繋がった。

 けれど、年の近い弟妹がいるヴィルフリートの場合は、同じようには行かないはずだ。ずっと怠けていた兄は、あっという間に弟妹に抜かれてしまうだろう。このままではヴィルフリートがいじける未来しか見えない。

「……リヒャルダ、これ以上側仕え達を叱っても、根本が変わらなければ意味がありません。養父様と養母様と一度ヴィルフリート兄様の教育方針と勉強計画についてお話をした方が良いのではないかしら?」

 お説教されている側仕えや護衛騎士が全員、魂の抜けたような顔になっている。これ以上言っても頭に入らないだろうし、時間の無駄だ。まずい状況ならば早急に改めた方が良い。

「えぇ、姫様。ジルヴェスター様はご自分が逃げ出していたのだから、少々勉強から逃げようとしたところで、大したことはないだとか、勉強が好きな子供がいるわけもないから当たり前だとか、そのような甘い考えで、未だに基本文字も読み書きできないというヴィルフリート様のひどい現実が見えていらっしゃらないのでしょう。わたくし、すぐに面会の手続きをして参りますわ」

 リヒャルダが怒り心頭で鼻息も荒く退室していくのを、魂が抜けたような顔で側仕えと護衛騎士が見送っている。彼らもヴィルフリートを甘やかすことが日常となりすぎていて、ここまで叱られることだと認識していなかったのだろうが、これは職務怠慢だと思う。

「では、モーリッツ先生。ヴィルフリート兄様の教育計画を立てましょう」
「姫様のお勉強は……」
「わたくしとしては、教育計画を立てるより、お勉強がしたかったのですけれど、モーリッツ先生が持っていらっしゃる教材は基本文字の一覧表と数字の表と簡単な計算式だけではないですか。わたくしが面倒を見ている孤児院の子供達でも簡単にこなすような物……今更、わたくしの勉強にはなりませんわ」

 せめて、わたしが読んだことがない本の一冊くらい準備しておいてよ、と心の中で付け加えておく。

「冬までに基本文字と数字くらいは読み書きできるようになっておかなければ、困るのでしょう? 今からならば、何とか間に合うかどうか、というところでしょうか」
「……ローゼマイン姫様、お言葉ですが、数年かけてできなかったことが冬までにできるようになるとは思えません」

 自分の腕が悪いのではなく、ヴィルフリートが逃げ出すのだから仕方がない、というようなことを遠回しに言っているが、数年かけても読み書きができないのは、やり方も悪いと思う。何故、教え方を工夫して興味を持てるようにはしなかったのだろうか。

「わたくしが面倒を見ている孤児院の子供達は、一冬で全員が基本文字の読み書きと簡単な計算ができるようになりました。必要なのは、興味が持てるやり方と競争相手でしょう」

 わたしが神官長に渡した予定表通りに事が進んでいれば、今頃ヴィルフリートは孤児院で子供達とカルタをして、惨敗しているはずだ。
 冬の社交界で貴族の子供達を相手に、じゃじゃーん! と絵本とカルタとトランプを持ち込んで営業するつもりだったが、一足先にヴィルフリートに与えればよい。本当にジルヴェスターと気性が似ているならば、勝つために必死で覚えるだろう。

「リヒャルダにオルドナンツを飛ばしてもらって、フェルディナンド様に教材を持って来ていただきましょう。明日の午前の勉強時間にはその教材の使い方をモーリッツ先生に教えることにいたしますね」

 そして、子供の集中力は続かないものだから、一つの教科は飽き始めたら違う教科にする。毎日少しずつ、確実にやらせる。小さな課題をたくさん作って、できた分だけを夕食の席で領主夫妻に報告して褒め言葉をもらうなどの教育の基本について話し合う。
 教師は最初目を白黒させていたが、段々と恐れの混じった目でわたしを見るようになってきた。

「……ローゼマイン姫様は……その、とても洗礼式を終えたばかりだとは思えません」
「フェルディナンド様の教育の成果でしょう。……それ以外にも秘密は色々ありますが、女の秘密を知ろうとすると、碌な結果にならないと神話や物語にございましてよ」

 フフッと笑うと、今度こそ教師は完全にわたしを恐怖の目で見た。

 ……怖がらせるつもりじゃなくて、詮索しないでね、ってくらいの軽い気持ちだったんだけど、失敗したっぽい。

 ここ最近、わたしを普通の子供扱いしない人達にばかり囲まれていたから、自分が異常だってことをすっかり忘れていた。普通の子供は教師に向かって教育方法を説明なんてしないし、同じ年の兄の教育計画を立てるなんてしない。

「わたくしは普通の子供ではないとフェルディナンド様がおっしゃっていました。普通の子供であるヴィルフリート兄様に、わたくしと比較するような発言はなさらないでくださいね。やる気を削ぐだけですから」

 モーリッツは不気味な物を見る目でわたしを見ながら、コクコクと頭を動かした。



 5の鐘が鳴ってもリヒャルダは戻ってこない。面会予約を取るのに時間がかかっているのか、かなりヒートアップしていたからジルヴェスターを叱りつけているのか、どちらかだろう。後者かな?

「オズヴァルト、この後は何をする時間かしら?」

 冬までの教育計画を抱えてモーリッツ教師が退室したので、わたしはリヒャルダに叱り飛ばされ、解任の危機に震えているオズヴァルトに声をかけた。
 オズヴァルトは恭しい態度で答えてくれる。

「自由時間でございます。ヴィルフリート様は剣の鍛錬をしたり、面会依頼が通っていれば、本館の妹君や弟君に会いに行ったりしております。ローゼマイン姫様はどのように過ごされますか?」

 わたしの自由時間の過ごし方など、一つしかない。わたしはポンと手を打って、うふふふ、と楽しい笑みを浮かべる。

「この城にも図書室はございますよね?」
「もちろん、ございますが……」
「案内してくださいませ」

 オズヴァルトに案内され、わたしは自分の騎獣で図書室まで移動する。わたしについて来るヴィルフリートの側仕えや護衛騎士が不思議な物を見るように何度も首を傾げながら見たり、中を覗き込んだりしているが、気にしない。
 おそらく文官だと思われる貴族がぎょっとしたように、二、三度振り返るけれど、そのうち慣れるだろう。

「この図書室、なんて広いのでしょう!」

 神殿の図書室より、城の図書室はずっと広かった。蔵書も多い。大きな本がいくつも並び、棚からはみ出そうな資料も詰まっている。ざっと見た感じ、わたしには運べないくらい大型本が数十冊、運ぶことができる大きさの本が数百冊はあると思う。
 資料室という意味合いが強かった神殿図書室と違って、ここは本当に図書室だった。古びた紙の匂いが心地よくて、この空間にいるだけで元気が出てくる感じだ。

 将来は聖女伝説を加速させて神殿図書室を私物化するつもりだったけれど、文官になって、ここの司書としてお仕事する方が良いかもしれない。ここを自由にできるなら、領主になると言われているヴィルフリートの嫁になるのも一つの手段として考慮する価値がある。

「ハァ、幸せ……。こんなにたくさんの本に巡り合えるなんて。オズヴァルト、あの棚の一番左端の本を取ってくださる? 取って下さったら、他の仕事をしてくださって結構ですわ」
「……他の仕事でございますか?」
「側仕えは忙しいでしょう? リヒャルダはいつも動き回っているもの。護衛騎士と側仕えを最低限だけ残して、部屋に戻られてもよろしくてよ」

 本を取ってくれたオズヴァルトが不思議そうに目を瞬くが、不思議そうにされる意味がわからない。神殿の側仕え達はわたしの世話以外にも大量の仕事を抱えていたし、リヒャルダもわたしに本を与えた後は部屋の中で忙しそうに動き回っている。やるべきことはたくさんあるはずだ。

「わたくしと共に読書したい方がいれば、その方を優先的に残してちょうだい。この幸福を分かち合うのも素敵だと思うの。それから、よほどの用がない限り、夕食の時間まで声をかけないでくださいね」

 言いたいことだけを言ってしまうと、わたしは本をパラリと開いた。初めて読む本に顔が自然と緩んでいく。

 ……いいなぁ、ヴィルフリート兄様は。毎日自由時間があるなんて。

 読み始めたのは、吟遊詩人が歌う騎士の歌を集めた騎士物語集だった。これから先、わたしが本を作るうえでも、とても参考になる本だ。
 ここしばらくは忙しくて、フランが時々差し入れてくれた時くらいしか、ゆっくりと本を読む時間が取れなかった。ヴィルフリートと生活を入れ替えてよかったと心から思う。

 紙の表面をそっとなぞり、インクの匂いに目を細め、わたしは物語の世界へと意識を完全に落とし込んだ。視界は文字をなぞるだけに使われ、余計な音はシャットアウトされる。

 邪魔の入らない至福の時を過ごしていたわたしは、本に没頭するわたしの周りで、ヴィルフリート兄様の側仕えと護衛騎士が戸惑った顔で立ち尽くしていることに全く気が付いていなかった。



「姫様、夕食の支度に参りますよ!」

 リヒャルダに本を取り上げられて、わたしはハッと我に返る。
 父王を守って呪いを受けた姫を助けるために、姫の護衛騎士が魔獣退治を始めたところだったのに、残念だ。

「リヒャルダ、この本を借りて、部屋に持ち帰ることはできるかしら?」
「えぇ、かしこまりました。手続きいたしましょう。オズヴァルト、この本の貸出し手続きをお願いします。わたくしは姫様にお召替えをさせて、食堂へとお連れしますからね」

 オズヴァルトに仕事を任せて、リヒャルダはわたしと一緒に食堂へと向かう夕食時にヴィルフリートについて話をする約束を取り付けたようで、みっちり話し合わなければならないと息巻いている。予想通り、約束を取り付ける段階で、すでに色々と意見を述べてきたようだ。

「リヒャルダ、フェルディナンド様にオルドナンツを飛ばしてほしいのです」
「おや、フェルディナンド坊ちゃまに一体何の用でしょう?」
「ヴィルフリート兄様のための教材を持って来ていただきたいの。夕食の時は神官長も自分の部屋に戻るはずですから、6の鐘が鳴った後ならば、ヴィルフリート兄様に伝言内容を聞かれることもないと思うのです」
「6の鐘はすでに鳴りましたよ、姫様」

 リヒャルダが呆れたように溜息を吐いた。本に没頭しているうちに、すでに鐘は鳴ったらしい。知らなかった。
 部屋に戻るとすぐにリヒャルダはオルドナンツを準備してくれる。魔力を帯びて形を変えた鳥に向かって、わたしは話しかけた。

「フェルディナンド様、ローゼマインです。養父様とヴィルフリート兄様の教育計画について話し合うので、フランにわたくしのカルタと絵本とトランプを準備させて、こちらに持って来て下さると助かります。兄様が寝た後でも結構ですから……」
「明日までにお持ちくださいませ、フェルディナンド坊ちゃま」

 リヒャルダのダメ押しが入ったので、明日までには届くだろう。リヒャルダのシュタープの動きに合わせてオルドナンツが飛んでいく。
 着替えをしている途中でオルドナンツが戻ってきた。

「フランに準備をさせて持っていくので、話し合いは私の到着を待つように。私の夕食はすでに終えたので、必要ない」

 冷ややかな怒りが籠った声で三回言って、オルドナンツは魔石へと戻る。ヴィルフリートが一体何をしたのかわからないけれど、今日の神殿での様子が聞けるので、ちょうど良いかもしれない。

 着替えを終えたわたしは、怒りがまだ継続中のリヒャルダと肩を落として胃の辺りを押さえているオズヴァルトと一緒に食堂へと向かう。
 食堂には苦い顔をした養父様と頭の痛いような顔をしているお父様、そして、穏やかな笑みを浮かべている養母様がいた。

「遅くなって申し訳ございません。お待たせいたしました」

 席に着くなり、わたしは養父様にじろりと睨まれる。

「リヒャルダが執務室に怒鳴りこんできたが、其方の差し金か?」
「……リヒャルダでなくても、怒鳴りこみたくなると思いますけれど? どれほどひどい状況か、ご存知でそうおっしゃっているのですか?」

 わたしが首を傾げると、養父様とお父様が揃って目を細めた。二人とも全く現状がわかっていないような顔をしている。わたしが何か言うより、神官長の辛口批評を待った方が良さそうだ。

「後ほどフェルディナンド様がいらっしゃるので、ヴィルフリート兄様に関する話し合いは食後にして、先に食事をいただきませんか?」

 養父様は「フェルディナンドも来るのか」と、心底嫌そうに顔をしかめた。

「ヴィルフリートのことはフェルディナンドから聞くとして、其方はヴィルフリートと生活を入れ替えてどうしていたのだ?」

 食事が運ばれて食べ始めると、沈黙を破るようにジルヴェスターがわたしに問いかけた。お父様も興味深そうにこちらを見る。
 逆に、関わったリヒャルダはむっと眉を寄せていて、オズヴァルトは肩身が狭そうに俯いた。

「午後のお勉強の時間はヴィルフリート兄様の現状に怒ったリヒャルダのお説教が半分、もう半分は兄様の教育計画をモーリッツ先生と立てていました。兄様の教材にはわたくしの役に立ちそうな物が何一つなかったのです。今まで兄様に関する報告を聞いて、何とも思わなかったのですか?」

 側仕えや教師も都合が悪すぎることはやんわりと隠していた上に、自分の経験があったので、「今日も逃走して捕まった」と報告されれば、その後は当然勉強させられていると思っていたらしい。
 お父様にしても、ジルヴェスターが逃げ出すのが常だったので、ランプレヒトから「今日も逃亡した」と言われても、自分も通った道だ、と笑い飛ばしていたようだ。

「5の鐘の後は久し振りの自由時間でしたので、図書室に参りました。こちらの図書室はとても広くて、蔵書数も多くて、心が弾むというか、幸せというか……。至福の時間を過ごしました。わたくし、しばらくヴィルフリート兄様と生活を交換して、図書室に籠って、端から順番に本を読んでいたいです」

 どれほど楽しかったのか、をわたしが語ると、ジルヴェスターは理解できないと言うように頭を振った。

「全く理解できんが、本くらい自由時間に読めばよかろう?」
「……わたくし、今、自由時間などございませんよ? 朝食が終われば3の鐘までフェシュピールの練習で、それからお昼まではフェルディナンド様の執務のお手伝い。昼食後は工房関係者との会合があったり、ハッセを含めた孤児院の見回りをしたり、儀式に関することのお勉強をしたり、魔力を扱う訓練をしたりしておりますから」

 これだけの自由時間があるヴィルフリートがわたしの代わりとして神殿に行っているのだから、さぞかし大変でしょうね、と付け加えると、ジルヴェスターが目を剥いた。

「いくら何でも子供がやる仕事量ではないぞ」
「その子供に仕事を振ったのは、養父様ではないですか。養父様のご命令だったイタリアンレストランの開店の前倒しや印刷業の拡大がなければ、もっと楽だったのですよ?」

 無茶振りしておきながら、何を言っているんですか、とわたしが溜息を吐くと、ジルヴェスターは愕然とした顔でわたしを覗き込んだ。

「……其方、フェルディナンドに任せていないのか? 私はフェルディナンドが大半をこなす前提で割り振ったのだぞ?」
「え? それは無理ですよ。フェルディナンド様は神官長としてのお仕事に、わたくしができない神殿長のお仕事が加わって、城に来れば養父様の補佐、騎士団にも時折顔を出しているのでしょう? わたくしの教育も一手に引き受けていらっしゃるのに、一体どこに新しい事業に関わる余裕があるのですか? フェルディナンド様に期待しすぎですよ。いくら優秀でも限度があります」

 忙しすぎて死にますよ、と思わず言ってしまったわたしに、養父様は初めて気付いたような顔で呟いた。「……神殿の業務は大変なのか?」と。

 ……え? 今頃何を言っているの、この人?

「百名を超える組織をフェルディナンド様一人で動かしていると考えれば、その大変さがわかりませんか? 役割分担できる人材がいないのですよ?」
「いや、だが、神殿は暇で仕方がなくて、やることがないから本を送れだの、魔術具を作るから道具を送れだの、言ってきていたんだぞ? やることができてよかった、と思っていたのではないのか?」

 どうやら、養父様は神殿で神官長が暇をしていると思っていたらしい。もしかしたら、それは青色神官がたくさんいた頃の話ではないだろうか。今の神官長は一目でわかるくらい仕事が山積みで忙しい。

 無茶ぶりをしたがる養父様と、できないとは言いたがらない神官長の間では、現状の報告が正確に伝わっていなかった。わたしが今まで養父様に報告していたことも、神官長の伝言や采配だと思っていたそうだ。

「養父様、印刷業に関してはわたくしが中心で進めております。今は本を読む自由時間さえないほど忙しいので、印刷業に関してはもう少し余裕をいただけると嬉しく存じます」
「……わかった。其方の進度で進めよ」

 ジルヴェスターは大きく息を吐いて、手を振った。「気付かなくて悪かった」と小さく呟く。

 ……ベンノさん、マルクさん、ルッツ、ちょっと余裕ができたよ! やったね!

 わたしがグッと心の中でガッツポーズした時、食堂の扉が音を立てて開き、不機嫌極まりない顔の神官長が入ってきた。
 神官長の目が半眼になり、眉がきつく寄っている。食堂の空気が凍ったように冷たくなり、全員が自然と背筋を伸ばした。
 真っ直ぐに養父様の元へと歩いていった神官長が口を開く。

「ジルヴェスター、アレは駄目だ。ヴィルフリートは跡継ぎ候補から外せ」
 リヒャルダ無双、第二弾です。
 ローゼマインは至福の時間を過ごしました。

 次回は、後編。神官長のトラウマ生産は好調です。
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