挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~ 作者:香月 美夜

第一部 兵士の娘

しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

2/677

新しい生活

 
 ダンッ! ダンッ! と何かを床や台に叩きつけているような音と共に、わたしが寝ている場所がぐらんぐらんと揺れた。振動するたびに、まるで頭を殴られているように頭が痛み、わたしは小さく呻きながら眉をきつく寄せた。

 うるさい……。マジうるさい。

 その迷惑な騒音と揺れはすぐに終わるものではないようで、一定のリズムで続いてて、とても寝ていられない。
 ぐわんぐわんと頭に響いてくる振動に意識が覚醒したわたしは耳を塞いで騒音をやり過ごそうとした。
 それなのに、身体が自分の思った通りに動かない。インフルエンザにでもかかったような高熱と関節の痛みが全身に広がっている。

「うっ……」

 現状把握には眼鏡が必要だ。わたしは目を閉じたまま、いつだって枕元に置いてあった眼鏡を探した。身体中がじんわりと痺れているようで、手の動きは鈍い。
 もそもそと動く手の動きに合わせて、カサカサと自分の体の下で紙や草のようなものが擦れるような音がした。

「……何の音?」

 熱のせいでかすれているはずなのに、高くて幼い声がわたしの口から出た。どう考えても聞き慣れた自分の声ではない。
 高熱で全身がだるいので寝ていたいが、自分を取り巻く異常性をこれ以上無視することもできず、わたしはゆっくりと重い瞼を開けた。
 結構高い熱があるようで、わたしの視界は潤んで歪んでいる。涙が眼鏡の役割でもしているのだろうか、普段の視界よりずっと鮮明に見えた。

「え?」

 目に入ったのは、元はおそらく白かったのだろうが、煤けて黒く汚れた天井と何本も組み合わされた黒っぽい太い柱と巨大な蜘蛛の巣。
 どれもこれもわたしの記憶には全くないものだった。

「……ここ、どこ?」

 潤んだ目から涙が零れないように気を付けながら、眼球だけで周りを見回せば、明らかにわたしが生まれ育った日本ではないことだけはすぐにわかった。
 天井の形状から察する建築様式は和風ではなく、西洋風。それも現代の鉄骨のものではなく、昔のものっぽい。
 わたしが寝かされているベッドは固くて、マットレスがない。そして、異様にチクチクする素材がクッション代わりに使われている。上掛けとして掛けられている薄汚れた布からは変な臭いもするし、ノミやダニがいるのか、身体のあちこちが痒い。

「ちょっと、待って……」

 わたしの記憶の最後にあるのは大量の本に押しつぶされたことだが、何とか救出されたというわけでもないようだ。少なくとも、こんな薄汚れた布に患者を寝かせる不潔な病院は、わたしの知る限り、日本には存在しない。
 恐る恐るわたしは自分の手を目の前にかざしてみた。視界に映ったのは痩せこけた細くて小さな子どもの手だった。
 わたしは基本的に屋内に引きこもって、本を読んでいたので、日焼けしていなくて不健康そうなところは同じだ。だがしかし、22歳だったわたしの手はきちんと大人の手だった。こんな栄養失調っぽい小さな子どもの手とは違う。
 握ったり、開いたり、わたしの意思で動く子供の手。自分の意思で動かせる身体が見慣れた自分のものではない。あまりの衝撃に口の中が干上がったようにからからになっていく。

「……何、これ?」

 これはもしかしたら転生だろうか。わたしの願いを聞き届けた神様が、また本を読めるように転生させてくれたのだろうか。
 わけがわからない。
 わたしは少しでも情報が欲しくて、重たい頭を上げて熱のある身体をゆっくりと起こす。汗でべったりと髪が首元に張り付いているのにも構わず、部屋の中を見回した。
 ベッドらしき台と、その上にかけられた薄汚れた上掛けと物を入れておくための木箱がいくつかあるだけで、本棚は見当たらない。

「本、ないし……」

 ドアが空いたままの出入り口があった。いつの間にか、頭に響く騒音はなくなっていたが、誰かがいて、バタバタと足音を立てて歩きまわり、何かしている音が聞こえている。
 どういう状況なのか全くわからない。
 柱や壁の様子、部屋の中の家具を見れば、昔の西洋風だと思う。ただ、現代のものではない。あまり文明的ではない国か、過去にタイムスリップでもしたのだろうか。一体どうすれば現状把握ができるだろうか。

「死に際に変な夢でも見てるってこと?」

 高熱でぼんやりとする頭で悩んでいると、わたしの動く音に気付いたのか、声が聞こえたのか、一人の女性が姿を現した。
 三角巾のようなものを頭にした20代後半くらいの残念美人だ。顔立ちは美人なのだが、小汚い。服も顔も洗って、清潔で小奇麗にすればいいのに、残念すぎる。
 わたしは清潔で見苦しくなければ、自分に対しても他人に対しても恰好には大してこだわらない。裏を返せば、不潔で見苦しいのはいくら美形でも勘弁してほしい。

「マイン、%&$#+@*+#%?」
「ぃあっ!?」

 意味がわからない女性の言葉を耳にすると同時に、一気にわたしのものではない記憶が堰を切ったように流れ込んできた。
 数回瞬きするくらいの時間に数年分の記憶が押し込まれて、脳味噌がぐちゃぐちゃに掻き回されるような不快感にわたしは思わず頭を押さえた。

「マイン、大丈夫? 全然目覚めないから心配したのよ」
「……母さん?」

 ゆっくりと頭を撫でて顔を覗きこんでくる女性は自分の母親だと、マインというのが自分の名前だと、流れ込んできた記憶が訴えてくる。
 先程まではわからなかった言葉もわかるようになっているが、大量の情報をいきなり受け取った頭はひどい混乱状態だ。正直、情報を流しこむにしても、体調を考慮してほしい。
 本が読みたくて転生したいと望んだのは自分だけど、実際に転生してしまうと、目の前の女性を母親だと認識していても素直に受け入れることなどすぐにはできない。

「気分はどう? 頭が痛そうね」

 自分の額に向かって伸びてくる指先が、黄色や緑で斑に染まっている。この母親は染色を仕事にしているのだろうか。日本で見た藍染職人の指先がこんな感じに染まっていたことを思い出した。
 記憶の中には存在して、知っているけど知らない母親に何となく触れられたくなくて、伸ばされた手を避けるように、わたしは臭い布団に寝転がった。
 そして、そのまま目を閉じることで、接触を拒否する。

「……まだ、頭痛い。寝たい」
「そう、ゆっくり休みなさい」

 ぎゅうぎゅうにベッドが並べられた寝室らしき部屋を出ていく母親を待って考える。
 高熱で頭がくらくらしているが、こんなに混乱したまま、おとなしく寝ていられない。

「間違いなく……死んだ、んだよね?」

 ふと脳裏に浮かんだのはわたし自身の母親の姿。もう会えない母に心の中で謝罪する。
 きっと怒っているはずだ。「だから、本の数を減らせって何度も何度も言ったのに!」って、泣いて怒っているに違いない。
 だるくて重い手を持ち上げて、目尻の涙を拭った。

「母さん、ごめん……」

 届かない謝罪を呟いた後、わたしは意識的に思考を切り替えて、たった今流れ込んできた幼いマインの記憶の数々をゆっくりと反芻し始めた。
 マインの直近の記憶は熱で苦しくて、苦しくて、たまらなかったこと。
 何となくだけれど、この身体の本来の持ち主であるマインが死んで、わたしが憑依したのではないかと思う。それとも、高熱に浮かされたため、前世の記憶を取り戻したのだろうか。

「どっちでもいいよね。これからマインとして生きていかなきゃいけないのは変わらないんだし……」

 ならば、覚えている限りのマインの記憶から周囲の状況を少しでも理解しないと、いきなり家族に不審がられてしまう。
 必死に思い返すが、マインの記憶はまだ言葉が発達していない幼女の記憶なので、父親や母親の言葉がはっきりと理解できない。意味がわからない。必然的に使える語彙が少なくて、記憶の大半が意味不明だ。

「うわぁ、ちょっと、これ、どうするよ……」

 幼いマインの視線から見た記憶から確信を持てたのは、4人家族で、先程の女性が母親であること。姉、トゥーリがいること。マインの父親は兵士のような職業についていること。
 そして、大事なことは、ここが地球ではないことだ。
 マインの記憶の中に、三角巾を取った母親の姿もあったのだが、髪の色がなんと翡翠のような緑だった。染めているような不自然な色ではなくて、本当に緑。驚きのあまり引っ掴んで、かつらじゃないか確認してしまいたくなるような色だ。
 常にかつらをつけて生活している薄汚れたコスプレイヤーが母親だと考えるよりは、世界が違うと考えた方が現実的だろう。
 ちなみに、姉の髪は青緑で、父の髪は青。マインの髪が紺色だ。黒に近くて良かったと思うべきか、コスプレ家族の仲間であることを嘆くべきか。
 とりあえず、家の中には鏡がないようで、いくら記憶を探っても、髪の色以外の自分の詳しい容姿についてはわからない。まぁ、両親の顔立ちと姉の顔立ちから察するに、元はそれほど悪くないと思う。そして、薄汚れているのは間違いない。

「あぁ、お風呂入りたい。……けど、あるのかな?」

 実際、生活する上で自分の顔立ちなんて、それほど問題ではない。一番問題なのは、新しく生活することになるウチがものすごく貧しいことだ。
 自分の回りを見てみれば、嫌でもわかることだが、病人である自分が包まれている布が擦り切れて薄くなっていて、すでにぼろぼろだ。姉のお下がりにしてもひどすぎる。
 最初は嫌がらせでもされているのかと思ったが、マインの記憶にある母の服も継ぎ接ぎが当たり前の襤褸だし、姉の服も似たり寄ったりだ。これが新しいウチの標準なのだろう。
 父親だけが比較的丈夫そうで、継ぎ接ぎの少ない服を着ているようだが、これは兵士の仕事着で数年に一度支給されるかららしい。
 この家も一軒家ではないようで、一番間近にあるレンガのような石造りの壁の向こうからは階段を上るような足音とお隣さんらしき人の声が聞こえてくる。もしかしたら、集合住宅のようなところだろうか。

 ねぇ、転生ってさ、普通お貴族様みたいな……生活に不自由しないところに生まれない?

 あまりの環境に思わず溜息を吐いた。前世は日本でごく普通の一般家庭だったのに、ずいぶんと生活力に差がある。
 今生きているここが、いつの時代のどこの国か知らないけれど、日本は良い国だった。当たり前に良いものが溢れていた。肌触りの良い布とか、柔らかいベッドとか、本とか、本とか、本とか……。

「ハァ、本読みたい。読んだら熱が下がる気がする」

 どんなに劣悪な環境でも、本があれば我慢できる。わたしは軽く頭に指を当てて、記憶の中で本を探す。一体家の中のどこに本棚があるのだろうか。

「マイン、起きてる?」

 思考を邪魔するように、7~8歳くらいの幼女が足音も軽く入ってきた。記憶にあった姉のトゥーリだ。
 無造作に三つ編みにした青緑の髪は大した手入れをされていないのがすぐにわかるぱさつき具合。母親と同じく薄汚れた顔も洗って欲しい。可愛い顔立ちなのにもったいない。
 わたしがついついそう思ってしまうのは、外国からは病的な清潔好きと言われる日本人の視点で見るからだろうか。
 でも、貧乏ならなおさら衛生環境に気を付けなければ、病気になって医者にかかる方がお金はかかるはず。
 だが、そんなことはどうでもいい。今、この状況で一番大事なのは一つだけだ。

「トゥーリ、『本』持ってきて?」

 これくらいの姉もいるのだから、家の中に絵本の10冊くらいはあるはずだ。病気で寝ていても本くらいは読める。
 せっかく生まれ変わったのだ。異世界の本を堪能することが何より大事に決まっている。

「トゥーリ、お願い」

 可愛い妹のおねだりに、トゥーリはきょとんとした顔で首を傾げた。

「え?『本』って何?」
「何って……えーと、『絵』や『字』が『書かれた』もので……」
「マイン、何言ってるかわからないよ? ちゃんとしゃべって?」
「だから、『本』!『絵本』がほしいの」
「それ、何? わからないよ?」

 どうやらマインの記憶にない言葉は日本語の発音になってしまうようだ。
 わたしがどんなに一生懸命に説明しても、トゥーリは不思議そうに首を傾げるだけだ。日本語で「本を出せ」と言っても通じるはずがない。さっさと言葉を覚えなければ。

「あぁ、もう!『翻訳機能、仕事しろぉっ』!」
「マイン、なんで怒るの!?」
「怒ってない。頭が痛いだけ」

 言葉が通じないことをトゥーリのような子供に八つ当たりするのはさすがにおとなげなさすぎる。もうしちゃったけど。
 まずは、人の声に耳を澄まして、少しでも多くの言葉を覚えることに全力を尽くさなければならない。幼い子供であるマインの柔軟な脳味噌に、大学卒業した22歳のわたしの理性と知性が加われば、言葉を覚えるのは簡単……だったら、いいけれど。
 少なくとも、前世で他国の本を読もうと言語を覚えるために苦労したことを思い出せば、大した苦労ではない。わたしの本にかける情熱と愛は、失敬な事に周囲の人が引くレベルだった。

「……まだ熱あるから怒るの?」

 熱を測るつもりなのだろう、トゥーリの汚い手が自分に向かって伸びてくる。わたしは思わずその手をはしっと掴んだ。

「まだ熱いから、うつるよ?」

 相手を心配しているように見せかけて、自分にとっては嫌なことから逃げる。大人ならではのテクニックでわたしはトゥーリの汚い手で触られることを回避した。

「そうだね。気を付ける」

 セーフ。
 清潔にしてくれたら良いお姉ちゃんだが、今は触られたくない。こうなったら、何とかして衛生観念を叩きこむしかない。環境の改善をしなければ、生きていけない気がする。
 記憶にある限りでは、どうやらマインは身体が弱い子で、よく熱を出して寝込んでいたらしい。ベッドでの記憶が多すぎる。
 わたしが心置きなく本を読むためにも、自分とその周囲は健康でなければならないのだ。貧乏っぽいのだから、病気になっても医者になんてかかれない気がするし、この環境の生活レベルから想像する医療行為にもお世話になりたくない。

「トゥーリ、夕飯の支度を手伝ってちょうだい」
「はい、母さん」

 どうやら、どこからか母の声がして、トゥーリがパタパタと駆けていく。
 窓の外の日差しの傾き具合から考えれば、おそらくこれから夕飯準備だろう。トゥーリはまだ見た感じ小学校の低学年くらいなのに、しっかりお手伝いをしているようだ。
 この貧しい状況だ。間違いなく子供も労働力の一つと考えて間違いない。

「うわぁ、嫌だ……」

 自分が成長した時のことを考えると憂鬱な気分になる。どう考えても、一人だけお手伝いを免れるはずがない。読書の時間が減るのは確実。
 日本の家電を使うお手軽な家事でさえ面倒で、読書に時間を使いたい駄目人間だったわたしが、ここの生活に馴染めるだろうか。

 ダンッ! ダンッ! と豪快な音が断続的に響いてくる。夕飯の準備をすると言っていたので、多分料理をしている音だとは思うが、一体何が起こっているんだろう。寝転がっているこの場からは見えないが、正直見たくない気もする。
 せっかく転生できたのだから、もっとポジティブに考えなければ駄目だ。地球にはなかった本が読めるのだから、そのためにも、まずは体調を整えよう。
 そう考えながら、ゆっくりと目を閉じていく。

「ただいま」
「おかえり、父さん」

 ガッシャガッシャと金属の擦れる音をさせながら、父が帰宅する頃には夕飯の準備はできたようだ。
 まだご飯を食べることができない高熱のマインを除いた家族団欒を少し遠くに感じつつ、意識がゆっくりと落ちていくのがわかった。
 意識が暗闇に落ちながら、考えることは一つだけ。

 あぁ、何でもいいから本が読みたい。

はい、本編の始まりです。
まぁ、下剋上ですからね。底辺からの始まりで当然ですよね。
町民だから、完全に底辺ってわけでもないんですよ。頑張れ、マイン。
……これを書いてみて、私自身は転生するなら、やっぱり日本人に生まれたいなぁ、と思いました。
現代日本、便利すぎ。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ