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本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~ 作者:香月 美夜

第三部 領主の養女

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診断結果と貴族街

 神官長にお嫁にいけない体にされましたっ!……と言い張って、政略結婚はお断りして、将来は実家に居座ってやるんだ。
 そんなことを考えていた健康診断の結果、わたし、一度死んだことがあると言われました。

 うん、知ってる。以前はよく死にかけていたので、一度と言わず、数回死んだと言われても驚かない。
 だがしかし、お父様は驚いたような声を上げる。

「一度死んだことがあるのというのは、どういうことだ!?」

 あぁ、そうだよね。普通の人は驚くよね? でも、わたしは魔力が固まっているという方がよくわからない。体の中で動かそうと思えば動くのに、固まっていると言われても実感がわかないのだ。

「カルステッド、魔獣の場合、死んだら魔力を溜める器官へと魔力が流れ込んで固まる。これは知っているだろう?」
「む? うむ。魔石の元となる場所だろう?」

 お父様は当たり前のことのように頷いたけれど、わたしは目を瞬いた。

 え? 魔力を溜める器官なんて知らないよ? あれ? 人体の構造が違うの? 見た目が一緒だから全く同じだと思っていたんだけど……。

 皮膚を切れば血が出るし、泣けば涙が出るし、口から食べて下から排泄するので、髪の色や目の色が奇天烈な人は多いけれど、人体構造については全く同じだと信じて疑っていなかった。魔力を溜める器官なんて、知らない。

「今、生きて動いているわけだから、ローゼマインも完全に死んだわけではなく、仮死状態から生き返ったのだと思う。だが、その時に中心に近い位置まで魔力が戻り、ところどころ固まっているところがある」

 図に描いてもらったり、状態を色々と教えてもらったりした結果、魔力を溜める器官は、場所から考えると、多分心臓。そして、魔力が固まっているというのが、雰囲気的には動脈硬化っぽいものではないかと理解した。

「ローゼマインの体は、魔力があちこちで固まっているせいで流れが悪くなり、倒れやすいのだと思う。興奮するとどうしても流れが速くなろうとするが、うまく流れなくて、体を守るために、意識を切って感情を抑えるのだろう」
「ならば、感情を抑える訓練をしなければならないな。貴族として生活するには必要なことだ。ちょうどよい」

 興奮しすぎると意識がすこーんと途切れるのは、体の防衛反応らしい。けれど、図書室見ただけで興奮して倒れるわたしに感情を抑えるなんて高度なことができるとは思えない。

「神官長、体内の魔力を少なくしておけば、多少興奮しても大丈夫ですよね?」
「君は少なくしても動けなくなると言っただろう? 君の場合、魔力が少なすぎると魔力の流れが固まりを越えて行けず、体が動かなくなる。そのため、程よく常に魔力を体内に満たした状態にしておかなければならないのだ」

 うーん、魔力って血液のことかと思ったけれど、やっぱりちょっと違うみたい。わたしが知っている人体と違う。

「ローゼマイン、君は自分がいつ死んだのか、わかるか?」
「え? えーと……」

 最初は部屋の掃除をしたらぶっ倒れていたし、井戸まで行ったら息を切らしていたのだ。わたしがマインになる前から虚弱だったようだし、すでに魔力の固まりがあったとも考えられる。正直、いつ死んだのか、全くわからない。

「えーと、わたしが意識を持ったのは、5歳の時ですから、その時は多分死んだと思います。でも、魔力の固まりが原因で虚弱だというならば、生まれた頃からずっと虚弱だったと言われていたので、最初に死にかけたのがいつかわかりません」
「自分の体のことだぞ。そのようにどうでもよさそうな顔をするな」

 細かく調べたがる神官長には苦い顔をされたけれど、別にいつ死んだのかは大して重要ではないと思っている。

「だって、いつ死んだのか、何回死にかけたのか、は正直どうでも良いんです。今、生きて動いているので。わたくしにとって大事なのは、これが治るかどうか、なんですよ。神官長は治す薬が作れるのですか?」

 わたしが神官長を見上げると、神官長はぐっと眉を寄せた。

「できなくはない。が、非常に難しい」

 魔術具とかで、パパッと終わらせられるのかと思えば、そうではないらしい。意外と役に立たないな、魔術具。
 心の声が顔に出ていたのか、神官長がうにっとわたしの頬をつねった。

「難しいのは私にとってではなく、君にとってだ」
「わたくし、ですか?」

 え? それって、作ろうと思ったら作れるってことですか? 神官長って、どこまで万能?

「基本は仮死状態を生き返すための薬を使えば良い。魔力が固まるのを防ぎ、溶かす薬はある。ただ、必要な材料の入手が難しい」
「領主の養女でも買えないお値段ということですか?」

 死にかけを生き返すような薬なのだから、希少価値は高いだろうけれど、領主の養女になっても、わたし、お金に苦労するということでしょうか。
 おおぉ、と頭を抱えていると、神官長が肩を竦めた。

「いや、値段ではなく、自分で採ってこなければならないのだ。素材を採るうえで、自分の魔力が必要になる」
「死にかけの人に自分で採って来いって、なかなか酷い薬ですね」

 そんな薬、緊急で必要な時に使えない、と唇を尖らせていると、神官長が心底馬鹿にしたような目でわたしを見た。

「君は馬鹿だろう? ほとんどの上級貴族は、貴族院に在籍している間の健康な時に予め作ってあって、常に携帯している類の薬だ。実際、ジルヴェスターも私もカルステッドも持っている」

 なんと、上級貴族にとっては常備薬に当たるらしい。

「わたしは健康な時がないのですけれど、そういう場合はどうしたら良いのでしょう?」

 ぜひとも賢い神官長に教えていただきたいと思って質問すると、神官長は軽く溜息を吐いた。

「だから、君にとっては難しいと言っただろう?」
「あの採集を虚弱なローゼマインが行うのは……なぁ」

 お父様も顎を撫でながら、難しい顔になる。

「騎士で周りを固めて採りに行き、最後の採集だけローゼマインにさせれば、何とかなるだろう。そのためには自分で騎獣に乗れるようにならなければ、話にならぬが」
「うむ。洗礼式と神殿関係の儀式、諸々が終わったら特訓だな」

 うひぃ、上級貴族にふさわしい礼儀作法、一般常識に加えて、そんな特訓まで? 正味の話、薬を手に入れる前に、わたしは死ぬんじゃないだろうか。

「ローゼマインが貴族院に行く前に集め終われば良いが……」
「え? そんなに時間がかかるのですか?」
「あぁ。上手くいけば一年。下手すると数年かかる」

 わたしが貴族院へ行く10歳までは、まだ三年もある。それでも、素材が集まるかどうかわからないらしい。それだけ時間がかかるならば、素材を集めても腐ったり、傷んだりするのではないだろうか、と一瞬思った。けれど、一年以上かかることが前提となっている薬の材料だ。何か保存方法があるのだろう。

「フェルディナンド、冬の素材はどうする? 貴族院の周辺ならば、よく知られた定番の場所があるが、中央に騎士が連れ立って侵入することはできんぞ。完全に宣戦布告になる。どこで採集するつもりだ?」
「この領地で相応しい物を探さなくてはならない。いくつか候補はある。それに他の素材に関しても、品質を考えると、今までの物では少し足りない」
「そうなのか?」
「あぁ、本人も記憶にないほど昔から固まっている魔力だ。品質が高くなければ、効かないと思われる」

 二人だけでどんどんと話が進んでいく。わたしのことなのに、わたしは完全に置いていかれている。

「し、質問です! 品質の良し悪しはどこで決まるのですか? どうすれば高品質の物が手に入るんですか?」

 びしっと手を挙げて質問すると、二人は「いたのか」と言うような目でわたしを見下ろした。身長が高い二人の視界にわたしの姿が入らないので、本当に忘れられていたらしい。

「品質はいかに魔力が豊富なところで採集されたかに左右されるな。それから、素材が溜めこんでいる魔力の量にもよる」
「高品質の物を手に入れようと思えば、採集日、採集場所、採集物をよく選ばなければ手に入らぬ。もちろん、採集する者の魔力量にもよる」
「もちろん、と言われても、さっぱりわかりません」

 もう少し説明してください、とお願いすると、神官長は非常に面倒くさそうな顔で首を振った。

「今は時間がない。こちらで手筈は整えるから、君は余計なことは考えず、まず洗礼式を乗り切ることを考えなさい。貴族街へと移動するのは三日後だ」

 天幕の陰で着替えてこい、と神官長に軽く手を振って追い払われた。
 二人はどこで何を採るのが、品質や効率を考えて、採集するのは何が良いか、話し合っていたけれど、わたしは着替えが終わるとすぐに部屋から出され、フェシュピールの練習でもしていろと言われてしまった。いつも通りだけど、蚊帳の外だ。

「神官長は何のお話だったのですか?」

 神官長の部屋から外に出されると、人払いされていたフランが問いかけてきた。隣にはダームエルもいる。

「三日後に巫女見習い、あ、いや、ローゼマイン様は貴族街へと移られると伺いましたが、その話では?」
「えぇ、お部屋の準備ができたのだそうです。洗礼式までダームエル様、違う、ダームエルともお別れですね」

 ダームエルは癒しの魔術を受けたようで、すぐに騎士団に復帰したらしい。そして、わたしが貴族街にいる間は騎士団で鍛え直しになるそうだ。
 わたしが領主の養女となった後は専属護衛として、わたしに付くことになるとお父様が言っていた。慣れた人がいるのは安心できる。けれど、身分の上下が入れ替わるので、お互い、敬称に苦労している。

「あとは、わたくしの体を治す薬が作れるかどうか、診断されました」
「あぁ、親の承諾もなく勝手なことはできない、と神官長から以前に伺ったことがございます。カルステッド様がお父様となられたので、診断なさったのでしょう」

 確かに娘の服をひん剥いて、魔法陣の上に立たせるような診断をウチの父が承諾するとは思えない。変なことをするな、と言いそうだ。
 親馬鹿な父が言いそうな言葉が頭をよぎり、くすっと小さな笑みが思わず浮かぶ。直後にどーんと寂寥感が胸を占めた。

 ……うぅ、会いたいなぁ。

 洗礼式が終わるまで、下町の方へ向かうことも、ギルベルタ商会を含む下町の人間と会うことも禁止されている。周囲にマインが死んだことを納得させ、ローゼマインの設定を根回しして浸透させる時間が必要なのだそうだ。寂しすぎる。
 そんなわたしの今の癒しは新しい側仕え達である。

「おかえりなさいませ、ローゼマイン様」

 部屋に戻ると、モニカが出迎えてくれた。エメラルドグリーンの髪を飾り気なく、ひっつめに後ろで一つにくくっている。ヴィルマが大好きで真似っこしているらしい。
 最初の挨拶は「孤児院から出られないヴィルマの分もわたしがローゼマイン様にお仕えたします」だった。

 こげ茶の瞳は理知的で、雰囲気は真面目な委員長のような感じだ。フランとは真面目同士とても気が合うようで、ロジーナの書類仕事を引き継げるように、今は一生懸命に勉強している努力家さんだ。孤児院ではヴィルマの書類仕事のお手伝いをしていたようで、予想以上に呑み込みが早くて助かる、とフランが褒めていた。

「ただいま戻りました、モニカ、ニコラ」
「おかえりなさいませ、ローゼマイン様。すぐにお茶の準備をいたしますね」

 ぱぁっと明るい笑顔を浮かべて、厨房へと向かったのは、量の多いオレンジに近い赤毛を二つに分けて三つ編みにしているニコラだ。美味しいものが大好きで活動的な13歳である。いつも元気なにこにこニコラと、心の中でこっそり呼んでいる。
 以前のデリアの仕事は完全にニコラが引き継ぎ、エラの助手をするのを楽しみにしている。

 二人とも、冬に料理の助手として出入りしていたせいもあるのだろうけれど、あっという間に部屋に馴染んで、くるくるとよく働いてくれている。この二人が今の癒しだ。

 二階に上がるとロジーナがいた。貴族街へと向かう前にこれだけは終わらせてほしいとフランに仕事を積まれている。
 神殿長の部屋に入れる調度品の選定だ。新しい部屋をどのような色でまとめるのか、どのような道具が必要なのか、リストアップしなければならないらしい。執務机一つをとっても、どの程度の大きさで、どの程度の高さの物が必要なのか。引き出しの大きさや数を書き出さなければならないようで、大変だ。
 そのリストを元にお父様が材質やデザインを選んで品物を注文するのだそうだ。

「ローゼマイン様、お留守の間にお父様からの贈り物が届いていますよ。貴族街へと向かう時の衣装ですね」

 貴族街へと向かうための衣装がお父様から贈られてきた。わたしの分だけではなく、楽師のロジーナ、料理人のエラの分も入っている。

「神官長に言われたのですけれど、わたくし、三日後には貴族街に移るようです」
「では、急いで終わらせなければなりませんわね」

 ロジーナはフェシュピールを見て、きらりと目を光らせた。楽師という立場になれるのが嬉しくて仕方がないようだ。



 少しでもお嬢様らしく見えるようにロジーナの猛特訓を受けているうちに、すぐに出発の日になった。

 朝食を終えて、貴族街へと向かう準備をする。お父様に贈られた衣装を着せてもらい、布の靴を履く。簪は儀式用の豪華な物を。
 エラとロジーナもそれぞれの部屋で着替えているので、わたしの着替えを手伝ってくれるのはモニカとニコラとヴィルマだ。

「エラを連れて行ってしまうし、もう少ししたらフーゴ達も修行に出てしまうから、モニカとニコラはお料理、大変でしょうけれど、よろしくお願いね」

 わたしの言葉にヴィルマも少し困ったように眉を下げる。

「マイン、あ、ローゼマイン様のお部屋で作らなければ、孤児院へ回す神の恵みも減ってしまうから、頑張ってくれると助かるわ」
「安心してください、ヴィルマ」
「冬にたくさん練習しましたから、おいしいものを作ります」

 孤児院から移ってきたばかりの二人は、青色神官や巫女が一人いなくなるだけで神の恵みがどれだけ減るかよく知っている。

「食材は今までと同じだけの予算で購入するようにフランに伝えているから、気にせず作ってね」
「ありがとうございます、ローゼマイン様」

 モニカとヴィルマが声を揃えて、よく似た笑みを浮かべる。モニカがヴィルマを本当に好きな様子が伝わってきて、とても可愛い。

「わたし、ローゼマイン様がお戻りになる頃には、たくさんのレシピを作れるように頑張ります」
「楽しみにしているわ、ニコラ」

 着替え終わり、皆で一階へと向かうと、フランとギル、それから、フーゴ達も一緒に並んで跪いて待っていた。

「フラン、皆の取りまとめと神殿長のお仕事の引継ぎについて、よろしくお願いしますね。神殿長のお部屋を整える件については、わたくし、家具は今のままでもよいのですけれど……」
「いいえ、神殿長のお部屋にある家具は女性らしさが全くございません。全て入れ替えるように、と神官長から指示が出ています」

 その費用がもったいないと思うのは、わたしの平民思考が抜けていないせいだろう。貴族には見栄が大事で、女性用の家具は優美で華やかな物を揃えなければならないらしい。
 下町の人間との会合場所として使われるこの部屋は、このままの家具を使うことで合意してもらったが、神殿長室は青色神官や貴族も訪れることになるので見た目が大事なのだそうだ。上級貴族の娘が犯罪者のお下がりなど、とんでもないらしい。家具に罪はないのにね。

 わたしは上流貴族の娘が使うような家具には全く知識がないし、図書室みたいに本棚と本を大量に置きたいという希望を最初に却下されている。すでにどうでもよくなって、側仕えと神官長とお父様に丸投げである。家具選びも費用も。

「ギル、わたくしがいない間に近くの町への視察があるのでしょう? ギルベルタ商会の人達と一緒になるべく行動するのよ。神官長から文官にわたくしの代理だと伝えてもらったけれど、身分差がどのように作用するかわからないから」
「気を付けます」

 わたしが上級貴族の娘となったことで、ギルはフランから徹底的に口調と態度を矯正されている。領主の養女となり、神殿長となってしまえば、この先気軽に撫でることもできなくなるかもしれない。わたしはギルの頭を撫でて、「ギルはよく頑張ってるよ」と褒めておいた。
 そして、珍しく一階のホールに出ている二人の料理人の前に立つ。

「二人とも、毎日おいしい料理をありがとうございました。次に会う時はイタリアンレストランでしょう。ここで学んだことを生かしてくださいね」
「恐れ入ります」

 神殿の正面玄関まで迎えに来てくれたお父様にエスコートされ、貴族の服を着ている神官長も一緒に馬車に乗り込む。
 ロジーナとエラは側仕えが使う別の馬車だ。側仕えが乗り込むと同時に、側仕え用の馬車は先に走り出した。貴族門の開門をするらしい。

「では、いってまいります。フラン、留守を頼みます」
「お早いお帰りをお待ちしています」

 馬車が軽やかに走り出す。ベンノと乗っていた馬車とは全く違って、あまり揺れないし、乗り心地が良い。

 すでに貴族門が大きく開いていた。止まっている側仕えの馬車の横を通り抜け、貴族街へと入っていく。
 トロンベ討伐の時に騎士が集合していた広場を通り過ぎ、ずっと続く真っ白の綺麗な石畳を馬車が走る。公園が並んでいるように見えるけれど、一つ一つが貴族の館らしい。貴族門から奥に向かうほど高級住宅地になっていくのだそうだ。門から遠いほど、高級住宅地になるのは貴族街も同じらしい。

 汚れらしい汚れが見えない馬車が行き交っているけれど、歩いている人の姿は見えない。大人ならば騎獣を使うし、幼い子供を連れる時は馬車なので、街を歩く者は滅多にいないらしい。下町は徒歩が基本だったので、とても変な感じだ。

「あれ?」

 建物は大きいけれど、日本の住宅地のように庭の狭い家が立ち並ぶ区域が見える。門からかなり進んだので、この辺りは門の近くより高級な住宅地のはずだ。

「庭が大きい家と小さい家がありますが、どう違うのですか?」
「冬にしか使わない家に広大な庭は必要ない。この辺りは領主から土地を与えられている貴族達の冬の屋敷だ」

 祈念式から収穫祭までを農村で過ごし、冬の社交シーズンに戻ってくる貴族の家らしい。確かに、雪に埋もれてしまうだけなので、広大な庭は必要ないだろう。領主に仕え、エーレンフェストで暮らす貴族の館は庭も広くなるらしい。

「あの壁までが貴族街ですか?」

 貴族街の奥に高い壁が見えた。それを指差して、尋ねるとお父様は軽く首を振った。

「いや、あの奥に領主の城がある」
「君が行くのは洗礼式の後だ」

 高い壁に近い場所に、これからわたしの家となるお屋敷があった。公園のように広い庭を馬車で進むと、神殿や壁と同じ素材を使っているのか、真っ白の建物が見える。

「ここに住んでいるのは、私と正妻であるエルヴィーラと息子が一人だ。もう二人、息子はいるが、すでに成人していて騎士寮にいる。そして、第二夫人であるトルデリーデとその息子が一人、離れに住んでいる。おそらく顔を合わせることはほとんどないだろう」

 扉の前には人が並んでいて、馬車が到着すると同時に扉が開いた。中から一人の女性がゆったりとした歩調で歩み出てくる。

「正妻のエルヴィーラだ。これから先、其方の母となる。エルヴィーラとはうまく付き合っていけ」

 お母様となる人は深い緑の髪を複雑に結い上げて、色とりどりの刺繍がなされたひだの多い衣装をまとっていた。見た感じ、年のころは30代半ばだと思われる。静かに立っているだけでも姿勢が良く、動きの一つ一つが優美で上品だ。今まで見たことがあるこの世界の女性とはあまりにも違いすぎて、会話の内容さえ思い浮かばない。

「あの、うまくと言われましても、どのようにすればうまくいくのでしょう? 上級貴族の奥様とうまくやる方法なんてわかりません」

 神官長も困ったように目を細めて息を吐く。

「エルヴィーラは息子にしか恵まれなかったからな。ひとまず、従順な娘であればよいのではないか? 領主の養女になるとわかっている子供に無体な真似をするほど愚かな女ではない。ただ、なるべく気に入られた方がこれから先の女性社会では生きやすい」

 女ばかりでの茶会や集まりとなれば、いくら保護者とはいえ、お父様や神官長が入れるわけがない。女性ばかりの貴族社会での味方を得なければならないらしい。いきなり難易度が高そうだ。

「娘を着飾らせるのを楽しみに、部屋や衣装を整えていたから、気が済むまで付き合ってやればよいと思う」
「わかりました。ひとまずお人形さんに徹してみます」

 嬉々として衣装を整えていたのならば、リンシャンや髪飾り、お茶会のお菓子で機嫌が取れないだろうか。共通の会話を探すところから始めるしかない。

「おかえりなさいませ、カルステッド様。それから、ようこそいらっしゃいました、フェルディナンド様」
「あぁ、エルヴィーラ。これから世話をかけるローゼマインだ」

 神官長とお父様に軽く背を押されて、前に立たされる。
 わたしは神殿で何度も練習されられた通り、なるべくゆっくりと腰を落として跪いた。

「お初にお目にかかります。ローゼマインと申します。水の女神 フリュートレーネの清らかなる流れに導かれし良き出会いに、祝福を祈ることをお許しください」
「許します」

 これは貴族ならば、出会いを喜んでいますということで、誰もが行う祝福らしい。初対面のベンノに神官長が与えた祝福も同じものだと言われた。

「水の女神 フリュートレーネよ 新たな出会いに 祝福を」

 練習した通り、少し魔力を指輪の魔石に籠めれば、ふわりと浮かび上がった緑の光が降り注ぐ。
 祝福を受け取ったエルヴィーラがにこりと笑った。

「歓迎します、ローゼマイン。これから、わたくしが貴方の母です」

 一応挨拶は及第点をもらえたようです。
 せっかく登場したけれど、舞台が貴族街に移るので、モニカとニコラはしばらく登場しません。可愛くて、お気に入りなんですけど。

 次回は洗礼式の準備です。
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