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本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~ 作者:香月 美夜

第二部 神殿の巫女見習い

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閑話 騒ぎの後始末

 私はジルヴェスター。アウブ・エーレンフェストという面倒くさい地位に就いている26歳の男盛りだ。
 たった今、肉親の断罪と一つの家族を引き裂くという嫌な仕事を終えたばかりである。褒め称えろ。

 本当に、誰かに「間違っていない」と言われなければ、とてもやっていられない。そう思いながら、私は自分の娘の前に跪く親の姿を見ていた。

「本日はありがとうございました。また会える日があることを心より望んでいます」

 ローゼマインが立ったまま、腰を曲げて、深く頭を下げて、家族だった者達を見送る。
 見慣れない動作だった。神に感謝するならば、両方の膝をついて平伏する。立ったまま、頭を下げると言う動作を今まで見たことがない。確かに異なる世界で生きた記憶を持つ子供だと実感する。

 ただ、見慣れない動作でも、そこに籠っている心情だけは嫌というほど伝わってきた。家族への感謝と思いが目に見えるようだ。お互いを思い合う家族を引き裂いたのが自分であるという自覚があるだけに、別れの光景が鋭い痛みを突きつけてくる。
 パタリと閉められた扉を見つめて、一人ポツンと佇む小さな後ろ姿が頼りなげに揺れた。

 私が少し目を伏せて視線を逸らせるのと、隣に座っていたフェルディナンドが立ち上がるのは同時だった。まるで予測済みだったように、大股で歩いたフェルディナンドが腕を伸ばして、ふらりと傾いだローゼマインを抱き留める。
 そのまま扉に向かって、鋭い声を出した。

「フラン、入れ!」

 フェルディナンドの鋭い声に、扉の向こうに控えていた灰色神官が機敏な動きで入ってきた。確か、先程までは体を動かすにも顔をしかめるほどの怪我をしていたローゼマインの側仕えだ。

「マイン様!」

 ローゼマインに駆け寄る姿に祝福の光の残滓が見える。あの父親と同様に祝福の光を受けたのだろうか、怪我らしい怪我は見られなかった。慌てた様子からも主に対して思い入れが深いことがわかる。

 側仕えの灰色神官にも祝福の光が届いたということは、一体どれだけの範囲に祝福の光が届いたのだろうか。本日、目の当たりにしたように、大事な者に何かあれば、ローゼマインは強大な魔力を簡単に暴走させてしまう。祝福の届いた者が一体どれだけいたのか、調べてみなければなるまい。

「それほど心配せずとも、魔力の使い過ぎだ」

 そう言いながら、フェルディナンドが常備している薬入れを手にして、ローゼマインの口元に何やら薬を流し込むのが見えた。もしかしたら、あのくそまずい薬だろうか。味を犠牲にした分、効果はあるが、あれを意識のない子供の喉に流し込むとは酷い所業だ。フェルディナンドは相変わらず効率しか考慮していない。可哀想に。

「フラン、このまま部屋に連れ帰り、寝かせてやれ。これからのことについては、明日の午後、説明に向かう。側仕えを全員、集めておくように」
「かしこまりました」

 フランがくたりとして意識のないローゼマインを抱えて、退室していく。
 その様子が何だか記憶に残っている過去の情景と重なって見えた。

「アルノー、お茶を頼む。その後は控えていろ」
「はい」

 フェルディナンドが重用している地味な側仕えに命じている様子を見ながら、私は小声でカルステッドに話しかける。

「なぁ、カルステッド。見れば見るほど、ローゼマインはブラウに似ていると思わないか?」
「ブラウ? あぁ、お前が昔飼っていたシュミルか」

 シュミルは人懐こくて、ぷひぷひ鳴いて可愛くて、愛玩動物として貴族の間では人気のある魔獣だ。幼い頃に飼っていたのだが、いかんせん、ブラウは虚弱だった。
 ローゼマインとブラウは黒と青の間の艶のある毛並みもくりくりとした金色の目も、虚弱なところも、私よりもカルステッドに懐くところもよく似ていると思う。
 私がカルステッドに同意を求めると、カルステッドはむむっと眉を寄せた。

「私に懐いたと言うが、あれはお前が悪い。構っていじりすぎたせいで、瀕死に陥っていたじゃないか。私に懐いたのは、命の危機を回避するためだったぞ」
「人聞きの悪いことを言うな。私はちゃんと可愛がっていた」
「子供の頃のお前は本当に手加減を知らなかったからな。あれだけ追い回して、抱き潰して揉みくちゃにすれば、小動物は死にかけるものだ」

 ハァ、とカルステッドが溜息を吐いて、こめかみを押さえる。
 なんと。ブラウが遊んでいる途中で、ぐてっとしていたのは、虚弱なのではなく、私のせいだったのか。

「今度は手加減しろ。フェルディナンド様の報告から考えても、ローゼマインはあのシュミルより虚弱だ」
「ブラウより虚弱だと? それは難しいな」

 魔獣だからこそ私の偉大さを知って恐れているのだと思っていたが、命の危機を感じて逃げ回っていたのか。

「……ローゼマインにはまだ嫌われてはいないよな? 助けてやったばかりだし」
「初対面では、どの程度の忍耐力があるか、突き回って嫌がられていただろう? うんざりした顔をしていたぞ。それに、今は家族と切り離されたところだからな」
「ぬぬぅ……」

 地味な側仕えが飲み物を乗せたワゴンを押してくるのが見えたので、私は口を噤む。カチャリと小さな音を立てながら、カップが並べられていくのを見ながら、そっと溜息を吐いた。
 ……全く華やかさがない。
 側仕えが男ばかりで、どいつもこいつもフェルディナンドの教育のせいか、無駄な動作一つなく淡々と仕事をこなしていく。優秀だが、本当に面白味と華がない。

「フェルディナンド。お前、巫女は側仕えにしないのか?」
「愛人狙いで色気を出してくるような女は必要ないし、女が一人いるだけで周囲の雰囲気が浮つくので仕事の邪魔だ」

 フェルディナンドは「自分の周りに華やかさは必要ない」とバッサリ切って捨てる。

「アルノー、人払いを頼む。誰も近づけるな」
「かしこまりました」

 余所の貴族が入ってきたことも、神殿長を更迭したことも、ローゼマインの改名と養子縁組も本日不意に起こったことだ。側仕えや他の神官に説明する前に、打ち合わせの時間が必要になる。

 完全に他の気配が消えたところで、こくりとお茶を飲みながら、フェルディナンドがゆっくりと息を吐き出した。

「何とか目的は果たせたようだな」
「……そうだな」

 貴族との契約を嫌がり、ギリギリまで逃れようとしていたマインの確保。目に余る行為が増えていた神殿長の処刑。神殿長を庇う母親の隔離。加えて、神殿長と繋がっていた貴族の確保できたし、それによって隣の領主に対する切り札も得た。これで、母親を持ち上げていた領地内の貴族もおとなしくなるだろう。

「結果だけは上々だ。……後味は悪すぎるが」

 肉親を罠にはめるような真似をしたり、仲の良い家族を引き裂いたりした重苦しい気分を無視すれば、満足のいく結果に終わったと言ってよいだろう。

「あまり落ち込むな、ジルヴェスター。これが最善の結果だったはずだ」
「お前は効率を重視しすぎだ」

 私が時折腹黒いとか、計算高いと言われる原因の八割はフェルディナンドが立案するせいだ。

「私には神殿長にも領主の母にも思い入れなど全くないからな」

 フンとフェルディナンドは鼻を鳴らした。私にとっては血族でも、フェルディナンドにとっては、ただの邪魔者だ。わかっていても、正面からそう言われると少々胸が痛い。

「ローゼマインに関してはどうなのだ? マインという存在を消し、ローゼマインとすることに関しては何も思わないのか?」
「……最速かつ、将来を思えば最善だったとは思っている」

 そうは言っても、先程と違って表情が少し暗い。マインの家族は、一族の存続と繁栄を一番に考える貴族ではありえない仲の良さだった。お互いを思い合う家族を引き離したことに関してはフェルディナンドも多少の罪悪感があるらしい。

「アレはおそらく……しばらくの間、精神的に不安定になるだろう」

 フェルディナンドはそう言って困ったように眉を寄せた。冬の間、神殿に籠るだけでも不安定で、魔力の揺らぎが見えて、目が離せなかったと言う。
 情の薄いところがあるフェルディナンドが気に掛けるとは珍しい。ローゼマインの存在は効率しか考えないフェルディナンドの情操教育に良いかもしれない。

「家族を失って不安定になったローゼマインを慰めたり、甘やかしたりするのは、お前達二人に任せる。私は手を出さぬからな」
「ジルヴェスター?」
「私はアウブ・エーレンフェストだ。実の息子さえ甘やかしてはならないのに、養女を甘やかすことなどできぬ」

 養女であるローゼマインを甘やかすくらいなら、これから先、自分と同じ重責を担うことになる我が子を甘やかしてやりたい。だが、次代の領主を育てるためには、甘やかしてならぬと周囲にくどいくらいに言われている。
 私はフェルディナンドと違って、割り切るのが下手なのだ。領主という立場に縛られてできないことが多すぎる。

「お前は昔から不器用だったからな」

 カルステッドが苦い笑みを浮かべた。フェルディナンドのように合理的で効率的な奴が領主になれば良かったのだ。本当にフェルディナンドの母親が正妻でなかったことが悔やまれる。

「それよりも、ローゼマインは大丈夫なのか? 最高神と五柱の大神へと呼びかけていたのだ。健康な者でも倒れると思うのだが、本当に死んでいないか?」

 カルステッドがちらりと扉の方へと視線を向ける。つられるように視線を扉の方へと向けて、私は軽く肩を竦めた。

 複数の神に一度に祈るなど普通はしない。魔力はごっそりと削られるし、成功率は著しく落ちる。特に命の神は土の女神を隠すので、女神の兄弟神に疎まれているのだ。まとめて祈って成功した例を私は知らない。しかも、その祝福を複数人に授けるとは。

「むしろ、成功する方がおかしいだろう。あの祝福は絶対に失敗すると思ったぞ」

 私が腕を組んでそう言うと、これから先、ローゼマインの実父という扱いになるカルステッドは、うぅむ、と唸って、空を睨んだ。

「とんでもない事をしでかしてくれたが、ローゼマインは自分がやらかした事の重要性も貴重性も理解していないのだろう?」
「あぁ、全く」
「フェルディナンドは祝福を受けていただろう? お前が魔力の使い方を教えたのか?」

 私とカルステッドを避けていた祝福の光はフェルディナンドには届いていた。それだけの関係を築いてきたのだろうが、あれだけの祝福が受けられなかったことは少々面白くない。私が養父になるのに、とフェルディナンドを睨むと、逆に睨み返された。

「しつこい。何度も言わせるな。マインは最初から使えたんだ」

 トロンべ討伐で騎士団の要請がマインにとって初めての儀式だった。だから、フェルディナンドは魔力の増幅と補助のために魔術具の指輪を貸したらしい。ここまでは理解できる。
 そうしたら、マインはいきなり戦いの神の祝福を騎士団に与えたと言う。本人はトロンべを見て怖くなって、皆の武運を祈りたいと思っただけらしい。わけがわからない。

「貴族が言いそうな言葉を選んだら、勝手に祝福になってビックリしたと言っていたが、いきなり祝福を与えられたこちらの方が驚いたのだ。私は魔力の使い方については何一つ教えてなどいない」
「手慣れた様子に見えたが、まさか初めて、偶然に起こった祝福だったとはな」

 戦いの神の祝福を受けたカルステッドが感心したような呆れたような息を吐きながら、顎を撫でる。
 溢れそうになる魔力を誰にも何も教えられず、補助も受けずに自力で圧縮していたことも、武運を祈って意図せず祝福になるというのも、正直理解不能だ。

「勝手に祝福になるというのが、信じられないのだが、何故、あの年でそこまで魔力の扱いに慣れているんだ?」
「……異なる世界で成人するころまで生きた記憶があり、学習能力が高かったからではないかと思う」

 子供の精神力では魔力は抑えこめない。マインは幼い子供の体に異なる世界で成人した記憶を持っていた。だから、抑えこめたのだろう、とフェルディナンドは推測する。

「青色巫女見習いとして神具に奉納することで魔力が動く状態に慣れ、偶然とはいえ、神の名を出したことで祝福になった。魔石があれば、魔力を自由に使えるということを知ったのだ。ついでに、騎士が武器に闇の神の祝福を付与する現場を見ていた。マイン自身も実際に神具を使って祈りを捧げて祝福となった。ここで神に祈り文句を捧げれば祝福を得られることを覚えたらしい」
「覚えたと言っても、咄嗟にあれだけの文句が出てくるか?」

 神の祝福を得るための祈り文句は長い。神の名前はもちろん、どのような祝福を与える神か、全て覚えていなければならない。トロンべ討伐が騎士団の仕事なので、闇の神の祝福を得るために祈り文句を覚えるのは騎士見習いが初期にやらされることだが、皆覚えるのに苦労していたはずだ。

「マインに言わせると、祈り文句は一つ覚えておけば、後は聖典に載っている神の名前や文句を組み合わせればいいだけ、らしいぞ」

 確かに、マインが春の祈念式の際に言ったのは「神に祈れば魔法になるんですよね」という乱暴なものだった。間違ってはいないが、貴族院で教育を受けた者はそんな無駄な魔力の使い方はしない。

「……これから先はローゼマインとして、魔術具を持って行動するようになる。少し魔術について教えておいた方が良いのではないか?」

 魔術具は貴族には必須だ。普通の子供ならば、溢れそうになる魔力を受け止めるだけの魔術具で問題ない。だが、ローゼマインは何に巻き込まれるか、予想ができないので、魔力を放出する魔石も与えるつもりなのだ。

「ジルヴェスターの言う通り、自己流で勝手な使い方をされる方が危険だ。どこで何を見て覚えてくるかわからない」

 私の提案にカルステッドが頷いた。フェルディナンドが眉を寄せて、顎に手を当てた。あの考え込む姿は見慣れている。教育計画作成中でフェルディナンドの熱血指導が行われる前触れだ。可哀想に、いい気味だ。

「あぁ、そうだ。フェルディナンド、ローゼマインの健康診断もしておけ。以前に少し気になることを言っていただろう? 魔力の流れに問題があるなら、お前が薬を作れるのではないか?」

 領主の養女となってしまえば、医者が仰々しく検査して、何か異常があれば騒ぎ立てる。珍しい症状ならば、研究好きな変わり者が見せてほしいとやってくるかもしれない。内々に終わらせるならば、貴族街に移る前に身内だけでやってしまった方が良い。

「ローゼマインの場合は、何をしても普通に終わらない気がするので、ジルヴェスターの言うように神殿で行う方が良さそうだな」

 フェルディナンドがぐっと眉を寄せてそう言った。ローゼマインに関しては、あのフェルディナンドが予想を立てることができないのだ。異なる世界の記憶を持つ子供だなんて、あの魔術具を使わなければ信用できなかっただろう。利用価値は高いが、なるべく内密に事を運んだ方が良い。

「それから、これをギルベルタ商会のベンノに渡しておけ」
「何だ、これは?」
「口裏合わせのための設定とこれから先の予定だ」

 ローゼマインはカルステッドの娘で、世間から隠すために神殿で育てられていたと我々三人が言いきれば、貴族街や神殿内はどうにでもなるが、さすがに下町には今までほとんど関わっていないので、どの範囲でマインの存在がどのように知られているのか全くわからない。

「下町に関することは下町の人間にやらせればよい。ベンノは実に使い勝手が良さそうだった。指示を出しておけば何とかするだろう」

 普段、私から指示を出されて、丸投げされている立場のフェルディナンドが物言いたげな微妙な顔で書類を受け取る。その書類にざっと目を通したフェルディナンドがくわっと目を剥いた。

「ジルヴェスター、口裏合わせの件は理解できる。だが、このイタリアンレストランでの会食というのは何だ!?」

 ちっ。小うるさい説教が始まってしまった。真面目で頑固で融通が利かない合理主義者。一体どうしてこんな男に育ってしまったのだろうか。遊び心に欠けるから、そんなに老けるのだ。

「聞いているのか、ジルヴェスター?」
「それは、あれだ。……ほら、印刷業を広めるに当たって、ベンノと決めなければならないことが多々あるだろう?」

 私の答えにカルステッドまでが目を吊り上げる。

「呼びつければよかろう。領主自ら下町に行く必要がどこにある!?」
「嫌だ。面白くない。それに私はあのご飯が食べたいのだ」
「本音の前に建前を述べろ!」

 建前がなければ、自分の街さえ自由に歩けないとは、領主などなるものではない。面倒くさいが、建前があれば良いのだろう。
 小指で耳をほじりながら、私は建前を述べる。

「……まぁ、建前としては、文官達に取り囲まれた堅苦しい雰囲気の中では、下町の商人と碌な話し合いなどできるわけがないだろう? こちらが命令を下して終了になる。すでに成功している商人の意見を取り入れることができなくなるではないか」

 大勢の文官に囲まれた中では平民に直答を許すことさえ難しい。ましてや、相手から意見を聞き出すなどできるはずがない。

「印刷業に関してだが、すでにベンノと話をしているのだ。少なくともギルベルタ商会にとっては突然の話ではない」



 孤児院の視察に行った時にベンノと顔を合わせたのは、私にとっては偶然だった。まさか孤児院の工房に領主である私を知っている者がいるとは考えていなかったのだ。
 ベンノに口止めをすると同時に、商人としての見解を聞いた。私やフェルディナンドだけではなく、ベンノも印刷事業で歴史が変わると考えていることがわかった。

 急激な変化は反発が大きい。だが、急激な変化があるのはマインが異なる世界の知識を持っているからだ。「最悪の場合、マインを殺せば、流れは止まるか?」と私が問えば、ベンノはゆっくりと首を横に振った。

「いえ、もう羊皮紙と違って量産できる植物紙が流通しています。印刷に適したインクの作り方はインク協会を通じて工房へ伝えられ、量産され始めています。印刷に必要な金属活字の作り方も鍛冶工房へと流れています。そして、試作品ながらも印刷機ができました。全てに関与した上に、この街に留まらず、あちらこちらへと本を売るのが夢だと言う商人見習いもいます。すでに、マイン一人がいなくなったところで、止まる流れではございません」

 だからこそ、マインの存在を隠し、持ち込まれる商品を選別しながら売っているのだとベンノは言った。

「マインがいれば、流れが加速するでしょう。呆れるほど、マインは本のことしか考えていない」

 印刷業が世の中に出回るのは時間の問題。植物紙工房を潰し、マイン工房を潰し、インク工房を潰し、鍛冶工房を潰し、インク協会に出回った情報を全て潰すのは、いかに領主であろうと難しい。
 流れを変えることができないならば、その流れを領地のために役立てるしかないのだ。



「ギルベルタ商会にはマインを中心とした印刷業をエーレンフェストの産業とすることと、マインが貴族となった時に加速できるよう、準備を整えておくことはすでに伝えてある。手始めに近隣の町の孤児院で同じように工房を作る予定だ」

 文官とギルベルタ商会を近隣の街に向かわせて、どのくらいの規模の工房ができるのか、広さ、人数、必要な道具などを視察させなければならない。

「いずれにせよ、ローゼマインを外に出せるのは洗礼式が終わって、神殿長の就任式が終わってからだ。多少の猶予はある。それまでに視察とイタリアンレストランの完成を終わらせるように言っておけ」

 これで建前は整ったし、問題なかろう、とフェルディナンドを見ると、眉間に深い皺を刻んで、こめかみを押さえていた。

「自分の楽しみ以外のためにも、その能力を使ってくれないか?」
「楽しみ以外にも私はいつも全力だが?」

 フェルディナンドの目を盗んで仕事から逃げ出すことにも、いかに周りに仕事を割り振って楽をするか画策することにも全力を出している。自分の楽しみだけに全力だと思われるのは心外だ。

 カランカランと7の鐘が鳴り響く。ずいぶんと話し込んでいたようだ。私が立ち上がると、二人も席を立った。

「今日はここまでだ。洗礼式に関する詳しいことは、領主会議が終わった後にする。これから私は中央に戻らねばならない」

 領主会議の夕食会をカルステッドと二人で抜け出してきたのだ。本会議が始める明日の朝までに戻っておかねばならない。

「護衛は副団長を連れて行かれるようお願いいたします。私はローゼマインの洗礼式の準備をしなければなりません。こちらに残らせていただきたく存じます」
「わかった。では、フェルディナンド、カルステッド。健康診断を行い、カルステッドの方で受け入れ態勢を整え次第、ローゼマインを貴族街へ移動させるように」

 その間に神殿側では、ローゼマインを神殿長として受け入れるための準備をしてもらわなければならない。

「ベンノへの説明と神殿における諸々の処理や準備はフェルディナンドに、洗礼式の準備と本日捕えた犯罪者に対する諸々の処理はカルステッドに任せる」

 私の言葉に二人がざっと跪いた。
 要望の多かったジル様視点でした。
 領主様は大変なのですが、補佐する周囲はもっと大変です。

 次回は、アルノー視点で、フランとその周囲です。
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