挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~ 作者:香月 美夜

第二部 神殿の巫女見習い

150/677

孤児院と工房見学

 祈念式から神殿へと帰ってきた次の日は、孤児院と工房の掃除を行い、その次の日は3の鐘から神官長とジルヴェスターの見学会である。朝早くから皆、バタバタと忙しい。

「マイン様、ちょっといいか? あ、いや、いいですか?」
「えぇ、大丈夫よ。……ギル、少しずつ良くなってるわね」

 祈念式から戻るとギルの口調が少し改善されていた。孤児院の幼い子供達が元側仕えの灰色神官から色々と教育されて、工房でのギルの言動にいちいちチェックを入れてくるようになってきたらしい。

「だって、あいつら、ギルは側仕えなのですから言葉遣いも態度も主に相応しく改めなければなりませんよ、なんて言うんだ。……違う。言うんです」

 子供達が得意そうに指摘するとギルはむくれている。覚えたての言葉を使いたがる子供達の言動はよくわかるし、指摘されて面白くないギルの気持ちもわかる。

「わたくしの側仕えである以上、ギルがいずれは覚えなければならないことだったのですから、ちょうど良い機会よ。頑張ってね」
「マイン様、オレ、頑張るから……オレを辞めさせて、他のヤツを入れないでほしい、です」

 わたしの近くに跪いたギルが、そんなことを言って悔しそうに唇を引き結んだけれど、一体何故そんなことになっているのかわからない。

「え? ちょっと待って、ギル。どうしてそんな話になっているの?」
「オレより優秀なヤツなんて、いくらでもいるから……」

 ボソリと零してギルが項垂れる。
 何でも、悪戯小僧で反省室の常連だったギルが側仕えになれたのだから、わたしの側仕えなら自分でもなれると闘志を燃やしている男の子が何人もいるらしい。ギルは他の子にとって代わられる不安でいっぱいで、他の子にはできない仕事を覚えようと必死になっているようだ。

 ……ここしばらくの間、工房の仕事を覚えたり、ルッツに対抗意識を燃やしていたりしてたのは、それでかな?

 わたしは椅子に座っているお陰で、ちょうど撫でやすい位置にギルの頭があった。手を伸ばして、そっと撫でる。

「ギルが頑張ってるのはよく知ってるもの。人手が必要になって、他の子を側仕えに召し上げることはあっても、ギルを辞めさせるなんてあり得ないわ」
「そっか……」

 安心したようにギルが表情を緩めた。わたしはよほどひどい仕事をしない限りは、辞めさせるつもりなどないけれど、主の気分で簡単に辞めさせられるのが側仕えの立場らしい。

「そういえば、わたくしに話があったのでしょう?」
「神官長達が見学に来るのに、今日も工房で仕事をしていていいんですか?」
「えぇ。神官長達はどのような作業をしているのかをご覧になりたいのではないか、と思うの。わたくしが工房に入っただけでも皆が緊張するのですもの。神官長や他の青色神官ならば更に緊張するでしょうけれど、頑張ってほしいわ」
「わかりました」

 へへっと笑ったギルが工房へと向かっていく。
 ギルと入れ替わるように、フランがギルベルタ商会の面々を連れてやってきた。ベンノとルッツとレオンの三人だ。マルクは残って店を切り盛りしているらしい。

「おはようございます、マイン様。本日はお招きいただき光栄に存じます」

 二階へと三人を通してもらうと、ロジーナとデリアには一階へと下がってもらって、軽く人払いした。人払いをすれば、砕けた口調でも聞こえない振りをしてくれることになっている。

「マイン、これ。頼まれていた服と、一応靴も準備してみた」
「ありがとう、ルッツ」

 布に包まれた服と靴を受け取った。これをジルヴェスターに渡さなければならない。わたしはルッツから受け取った包みを執務机の上に置いて、テーブルへと戻った。
 貴族と会ってもおかしくない服を着たベンノが、商売欲でギラギラした目でわたしを見据える。

「……それで、神官長以外のもう一人の青色神官って、どこの貴族なんだ?」
「存じません」
「おい」

 事前情報を少しでも集めたかったらしいベンノに睨まれたけれど、そんなことを言われても困る。

「お名前はジルヴェスター様ですけれど、その実家までわたしが知っているわけないでしょう?」
「聞き出せ。少しでも情報を集めろ、阿呆」

 確かに、商人ならば実家情報は大事なことかもしれないけれど、わたしが知りたいのはジルヴェスターの回避方法だ。
 何も答えられなければ、また怒られそうなので、わたしは祈念式の間に知り得たことを思い出す。

「そうですね。かなり変な人です。神官長によると、性格は悪いけれど、性根が腐っているわけではない、とのことです」
「そんな情報はいらん。実家の規模や家同士の繋がり、個人の好み、商売に結び付く情報が必要なんだ」
「はぁ、すみません。距離を取りたいとは心から思ったのですが、ジルヴェスター様のことを知りたいとは全く思わなかったもので……」

 わたしが思わず本心を告げると、ベンノはがっかりとしたように肩を落として息を吐いた。

「ハァ……」
「工房へ見学に行った時に紹介しますから、商売相手のことなんて、ベンノさんが見極めれば良いじゃないですか。わたしの目に頼るより確実です」
「まぁ、そうだな。お前に多くを求めても無駄だな。紹介することを忘れなかっただけで、上出来としよう」

 神官長とジルヴェスターが見学に来ることにパニックを起こして、事後報告されなかっただけマシだ、とベンノは自分を納得させている。
 失敬な、と言えない自分が悲しい。

「では、後ほど。失敗しないように、気を付けろ」

 ニッと笑ってそう言うと、ルッツとレオンを連れて工房へと向かっていった。



 約束していた3の鐘が鳴り始めた。
 緊張にビクッとしながら立ち上がると、フランはルッツが持って来てくれた包みを手に「参りましょう」と言って、先導するように歩き始めた。フランの後ろをわたしが歩き、ダームエルがわたしの隣を歩く。

「ロジーナ、デリア、留守をお願いね」
「いってらっしゃいませ、マイン様。お早いお帰りをお待ちしております」

 わたし達が神官長の部屋に着くと、神官長は執務机に向かって書き物をしていたが、すでにジルヴェスターも到着していて、待ち構えていた。

「お待たせいたしました」
「よし、行くぞ」

 冒険とか、探検とか、そういうのに向かうような楽しそうな顔をしているのが、解せない。孤児院や工房の視察なんて、別に楽しいものではないと思う。もしかしたら、孤児院はともかく、工房は神殿にも貴族街にもないので、楽しみなのだろうか。

「ジルヴェスター様、先にこちらを……。頼まれていた服と、一応下町で一般的に履かれている木靴でございます」
「ふぅん、ずいぶん早かったな」
「中古服ですから。わざわざ仕立てたものではございません」

 ジルヴェスターの側仕えにフランが荷物を手渡すと、彼は受け取って、困ったように眉を寄せた。

 ……平民の中古服なんてもらっても困るかもしれないけど、それ、あなたの主が注文した物ですから。

「お前達はここで残れ。伴はフランとダームエルがいれば良い。それほど広くもないところに何人もで行っても狭いだけだからな」

 ジルヴェスターがアルノーや自分の側仕えにそう言った。確かに孤児院はともかく、工房はあまりぞろぞろ来られると狭く感じるかもしれない。

「待たせたな。行くぞ」

 片付けを終えた神官長の言葉に動き出す。フランを先頭に神官長とジルヴェスター、その後ろからわたしとダームエルが続いた。

「ダームエル、それを摘まみ上げて歩け。遅すぎる」
「……せめて、抱き上げるくらいの言い方にしてください」

 五人で孤児院へと向かう道中、わたしの歩くスピードにジルヴェスターが合わせられなかったようで、くるりと振り向いたジルヴェスターがわたしを指差して、ダームエルに命じた。

「本来なら、護衛の手を塞ぐようなことはできんが……ダームエルよりわたしの方が強いからな。今日は特別だ」

 これでも頑張って早足で歩いていたのだ。長身の二人にすたすた歩かれたら、わたしなんて走っていても追いつけない。ちょっと息が切れそうだったので、抱き上げてもらえたことにはホッとした。

「こちらが孤児院でございます」

 そう言いながら、フランがギギッと扉を押し開く。そこは孤児院女子棟の食堂であり、中にはヴィルマと二人の灰色巫女、それから、二人の灰色神官が跪いて待っていた。成人に隠れて見にくかったが、その後ろには洗礼前の子供達も揃って跪いているのが見える。今日は工房に立ち入り禁止なのだ。

 下町においても原則的に洗礼前の子供を働かせるのは禁止されている。そのため、神官長達が見学する時は、洗礼前の子供達を働かせているところを見せるのを止めた方が良いとベンノに言われた。

「ようこそおいでくださいました」
「わたくしの側仕えで、ここの管理と洗礼前の子供達の世話を一手に引き受けてくれているヴィルマです」

 わたしが跪いたままのヴィルマを紹介すると、神官長は、あぁ、と思い出したように軽く眉を上げた。

「あの見事な絵を描いた側仕えか。これからも励むように」
「お、恐れ入ります」

 褒められたことに驚いたようで、ヴィルマが震える声でそう言った。神官長が灰色巫女のことを認識していると、ヴィルマは思っていなかったのだろう。きっちりと髪がまとめられているせいで、照れて真っ赤に染まった耳元がよく見える。

「ほぉ、孤児院は幼い者が多いから、もっと雑然としているのかと思えば、ずいぶんと綺麗だな」

 ジルヴェスターはスタスタと食堂の中ほどまで歩いていって、ぐるりと周囲を見回した。

「皆できちんとお掃除していますから」

 わたしは胸を張って答えた。ご飯を食べるところは清潔にするように、言い続け、ヴィルマが率先して掃除することで、孤児院の中は清潔に保たれているのだ。

「小さいのはお前くらいの子供ばかりか。これより小さいのはいないのか?」
「……今はいません」

 孤児院にあの子達より小さい子供達がいないのは、世話をする者がいなくて、食料が当たらなくて、生きていけなかったからだ。それを知っているはずのジルヴェスターの物言いに少しばかり苛立ちを感じたけれど、今更そのような事を言っても仕方がない。

「お言葉ですけれど、ジルヴェスター様。わたくし、もう洗礼式を終えているのですよ」
「見た感じは同じくらいだ」

 身長だけを見れば、もしかしたら、わたしが一番小さいかもしれないけれど、夏になれば洗礼式から一年になるのに。
 むすぅっと頬を膨らませるわたしに目もくれず、ジルヴェスターは食堂の端に並べられている木箱に興味を引かれたのか、そちらへと向かってパッと開けた。

「マイン、これは何だ?」
「字を覚えるための教科書と玩具です。ここにあるものは基本的に工房で作った物ばかりですね」

 ジルヴェスターが子供用聖典を取り出して、パラパラと見た後、カルタやトランプを見て、眉を潜める。横から同じように覗きこんできた神官長がカルタを手に、じろりとわたしを見た。

「マイン、これの話は聞いていないぞ」
「それはカルタです。字を覚えるのに役立つ玩具で、わたくしの側仕えが字を覚えたいと言ったので、作った物を孤児院用にも準備したのです。一つ一つに絵を描くのが大変なので、印刷できるようにならなければ、とてもここの工房では量産できませんけれど」

 わたしの言葉に神官長は、ふぅむ、と何やら考え込む。

「……量産はしていないのだな?」
「はい。権利はベンノ様にお譲りしましたけれど、量産したというお話は伺っておりません」

 売れるだろうとベンノは言っていたけれど、まだ商品化した話は聞いていない。絵師が見つからないのかもしれない。

「でも、これを作るために聖典を読みこんだお陰で、わたくしは神様の名前や神具を覚えられました。孤児院の子供達は読み札も絵札も完全に覚えておりますから、とても強いのですよ」
「ほぉ、見てみたい。やってみろ」

 ジルヴェスターの突然の無茶振りに子供達がおどおどとした表情でヴィルマとわたしを見比べる。
 わたしは何となくジルヴェスターの言いそうなことが予測できていたので、カルタを手に取って、子供達に笑いかける。

「では、わたくしが読みますから、皆で取ってくださるかしら?」
「はい、マイン様」

 子供達の顔は緊張に強張っていたが、カルタに熱中し始めると、目がだんだん真剣になっていき、顔から強張りが取れていく。
 一番たくさん取れた子にジルヴェスターが「よくやった」と褒め言葉を贈る。カルタを片付ける子供達から視線を外した神官長がわたしを見下ろした。

「マイン、これは全て覚えているのか? 子供達も読み札が読めるのか?」
「はい。孤児院の子供達は誰でもあの絵本が読めますし、カルタの読み札も読めます。冬の間に覚えましたから」
「……冬の間に、だと?」

 ジルヴェスターが驚愕したように目を見張った。わたしは胸を張って大きく頷く。

「えぇ、そうです。冬は雪に閉じ込められて、することがありませんから。大きい子達は工房の手仕事をしていましたけれど、幼い子供達にできることは限られます。ですから、皆で本を読んだり、こうしてカルタで遊んだりしていたのです。あちらのトランプでも遊んでおりましたので、数字も多少は読めますし、少しなら計算もできるようになりました」

 わたしが冬の神殿教室の成果を発表すると、フランから報告を受けていたはずの神官長が頭を抱えた。

「マイン」
「何でしょう、神官長?」
「……後で良い」

 ものすごく何か言いたいことがあるのを精一杯努力して呑み込んだような顔で、神官長は溜息を吐いた。何だかお説教が待っているような気がひしひしとする。何故?
 首を傾げるわたしの肩をジルヴェスターがガシッとつかんだ。

「では、工房に案内してくれるか?」
「はい」

 わたしはいつもの調子で女子棟の地階から裏口を抜けようと階段へ足を進めた。

「マイン様、そちらはお客様には……」
「あ」

 ヴィルマから困ったように声をかけられて、ハッとしたわたしは足を止めて、くるりと方向を変える。さすがに見学するお客様を裏口から通すわけにはいかない。
 しかし、わたしがいきなり方向転換をしたのが、神官長には隠し事をしているように見えたようだ。眉を寄せて、階段の方を見た。

「待ちなさい。そちらには何がある?」
「普段工房に行く時に使っている裏口です。神官長もジルヴェスター様もお客様ですもの。きちんと表からご案内しなければなりませんよね。うっかりしておりました」

 わたしの言葉に神官長は眉間の皺を深くする。

「……孤児院の裏口? 見たことがないな」
「そちらに案内しろ」

 二人の要望があったので、わたしはいつもどおり階段を下りて、地階を通り、裏口を抜けて、工房へと向かうことにした。
 女子棟の地階では昼食準備の真っ最中だった。大きな鍋にスープがたっぷりと煮込まれている。わたし達の姿を見るや否や、壁際によって全員がザッと跪く。

「ここで孤児院の食事を作っていたのか」
「そうです。ここで作るのは基本的にはスープくらいですけれど」

 神官長には神の恵みで足りない分の食事を孤児院で作ることに関しては報告している。おそらく、自分達の厨房さえ覗いたことがなさそうな二人には、実際に作っているところを見るのも珍しいようで、鍋の中を覗きこんでいる。

「このスープは祈念式の時に半分こした物に似ていないか?」
「わたくしが作り方を教えたのですから、そうなりますね」
「孤児が毎日食べる物にしては、贅沢すぎるのではないか?」

 ジルヴェスターが目を細めて呟く。わたしは軽く息を吐いた。青色神官や巫女が減って、神の恵みが減ったので、自分達で稼いで自分達で作らなければ食べていかれなくなったのだ。贅沢などできるはずがないだろう。
 もちろん、そんなことを青色神官であるジルヴェスターに言えるわけもない。

「そういえば、何やら平民の甘味も作っていたのだろう? ダームエルからの報告にあったと記憶している」
「甘味だと!? 贅沢な!」

 神官長の言葉にジルヴェスターがくわっと目を見開いた。

「贅沢と言われましても、貴族ならばお金を払って手に入れられる砂糖や蜂蜜と違って、冬の晴れた早朝にしか採れない果物ですよ? 毎日食べられるようなものではございません。それに、孤児院は人数が多いので、食べられる量も決して多くはないのです。季節の味でおいしいですけれど。ねぇ、ダームエル様?」

 神官長とジルヴェスターの二人を交互に見ながら、突き刺さるような視線を気にするようにコクコクとダームエルが頷く。ジルヴェスターが妬ましそうにじろりとダームエルを睨んだ。

「ダームエルはずいぶんおいしい思いをしていないか?」
「おいしい思いは少ないと思いますよ。苦労の方が多いです」

 わたしがぶっ倒れて心臓が縮みあがったり、上級貴族からこうして睨まれたりしているダームエルがおいしい思いばかりしているわけがない。

「わたくし達がいると、スープが焦げ付きそうですから、工房へ参りましょう」

 わたしはパルゥケーキをジルヴェスターが食べたいと言い出したら面倒なので、話を切り上げて、さっさと裏口から外へ出ることにした。そして、礼拝室を挟んで反対側にある孤児院の男子棟へと向かう。

「こちらの男子棟の地階がマイン工房でございます」

 フランの言葉に頷きながら工房に入ると、女子棟と同じように、ザッと皆が仕事の手を止めて、壁際に寄って跪いた。その中にはギルベルタ商会の三人もいる。

「春になったので、植物紙の生産を始めています。紙をたくさん作ってから、絵本を作るのです」

 今日は森に行けないので、紙漉きと紙を干していく作業をしていたようだ。工房内をぐるりと見回していたジルヴェスターがフンと鼻を鳴らす。

「マイン、玩具はどこで作っている?」
「玩具を作っていたのは冬の間です。もう作る期間は終了しました。また、材料を注文すれば、比較的簡単に作れますけれど、ここで作るのは紙と絵本が最優先ですから」

 わたしの言葉にジルヴェスターは不思議そうに目を瞬いて、首を傾げた。

「玩具の方が面白くて売れそうなのに、何故、紙と絵本が最優先なのだ?」
「わたくしが欲しいからです」

 わたしの工房でわたしが欲しい物を作って何が悪いというのか。売れる売れないは関係なく、本が欲しいのだ。そのためのマイン工房である。
 わたしの主張にジルヴェスターが信じられないと言わんばかりに、ポカンとした顔で目を瞬いた。

「……何と言うか、やりたい放題しているな、お前」
「え? ジルヴェスター様がそれをおっしゃいますか?」

 やりたい放題という言葉がこれ以上なく似合っているジルヴェスターにだけは言われたくない。お互いがお互いの発言に驚いて目を見開いていると、神官長が深い溜息を吐いた。

「どちらも私の頭痛の種であるという事実に変わりはない」
「うぐぅ……」
「それより、マイン。私は実際に工房が動いているところを見たい。皆、働け」

 神官長の言葉をバッサリと無視したジルヴェスターの言葉に、灰色神官達がザッと立ち上がり、動き出す。絶対にわたしよりも自由奔放のやりたい放題だ。
 工房で灰色神官達が動き始めると、壁際で跪いているのはギルベルタ商会の三人だけになった。

「神官長はすでにご存じですけれど、ジルヴェスター様にはご紹介させてくださいませ。この工房で作った物を売ってくださっているギルベルタ商会のベンノ様と、ダプラ見習いのレオンとルッツです」
「あぁ、この商品を扱う商人か」

 動き出した工房をちらりと見ながら、ジルヴェスターがベンノ達を見下ろす。

「えぇ、マイン工房で作った物は基本的にギルベルタ商会が取り扱っております。ジルヴェスター様が興味を持たれたお食事処もギルベルタ商会が始める新しいお店です。ぜひ、ご贔屓下さいませ」
「ほぉ、顔を上げよ。直答を許す」
「恐れ入ります」

 そう言って顔を上げたベンノの口から、すぐには挨拶の言葉が出てこず、一度コクリと息を呑んだのがわかった。

「ベンノ様?」
「……水の女神 フリュートレーネの清らかな流れのお導きによる出会いに、祝福を賜らんことを」

 ベンノがそう言って、もう一度顔を伏せた。
 ジルヴェスターは少し目を細めて、ベンノを見下ろし、フッと笑った。獲物を見つけた猛禽類の目に見えるのは何故だろう。

「ベンノ、お前は面白い食事処を作るのだろう? 一度ゆっくりと話をしてみたいと思っていた。私は少し部屋でベンノと食事処について話をしてくる。来い、ベンノ」
「かしこまりました」

 ゆらりとベンノが立ち上がる。その顔色があまり良くないように見える。わたしは思わずジルヴェスターに声をかけた。

「ジルヴェスター様、料理人の交換はしない約束ですからね」
「……そのような話はせぬ。ただの商談だ」
「だったら、良いです」

 商談なら、商人であるベンノの仕事だ。わたしが口出しするようなことではない。

「マイン、この機械は何だ?」

 神官長に声をかけられて、わたしはジルヴェスターに連れ去られるベンノを気にしつつ、説明へと向かう。
 神官長が見ていたのは、圧搾機から変身途中の印刷機だった。

「これは新しい印刷機です。まだ完成はしていないのですけれど、祈念式に行っている間にずいぶん形になりましたね。完成が楽しみです」
「どのようにして使うのだ? ダームエルから一応の報告は受けたが、よく理解できなかったのだが……」

 神官長の質問に、わたしはギルを呼んで、大体のやり方を実演してもらうことにした。

「ギル、インクの準備をお願い。神官長、これが金属活字なんですけれど、こうして文字を拾って文章に組み立てます」
「……金属活字? まるで小さな印章のようだな」

 神官長が金属活字を手にして眺める横で、わたしはフランに活字を取ってもらって、短い文章を作った。それを組版に入れて、金属活字が動かないように、隙間に板を入れて固定する。

「マイン様、できました」
「では、これを刷ってみてくれるかしら? 紙は失敗作の物を使ってちょうだい」
「はい!」

 印刷機の上に組版を置いて、ギルがインクを付けていく。その上に紙を乗せた。

「この後、本当はこれを動かして、ぎゅっと押してインクを付けるのですけれど、今回はまだ完成していないので、この馬連で擦ってインクを付けますね。できたら、乾かして次の紙にまた刷ります。今回は紙がもったいないので、別のところに刷りますけど」

 ギルが一枚の紙に何度か同じ文章を刷っていく。わたしは愕然としたように紙を見つめる神官長に「プレスだと馬連でゴシゴシするより速くできるんですよ。すごいでしょ?」と胸を張った。
 新しい印刷機を褒めてもらえるかと思えば、神官長が頭を抱えてしまった。

「歴史が変わる……なるほどな」
「……え? あれ?」

 あんなに高価な本をたくさん持っている神官長なら、喜んでくれるかと思ったのに、予想外の反応だ。わたしを見下ろして、フッと笑う神官長の金色の目が座っていて怖い。

「マイン、君に聞きたいことと言いたいことが山ほどできた」

 ……あれ? わたし、ちゃんとフランやダームエルを通して報告はしてたよね? なんで?
 報告だけではわからないことってたくさんありますよね? 百聞は一見にしかず。
 マインの周囲は胃痛と頭痛で大変そうです。

 次回は、青色神官の贈り物です。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ