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本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~ 作者:香月 美夜

第二部 神殿の巫女見習い

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夢の世界 前編

 私はフェルディナンド。
 今から行うことはあまり気持ちの良いことではない。しかし、この街にとって、国にとって、マインが災いとなる有害な存在なのか、利益をもたらす有益な存在なのか、確認だけはしなければならない。

 薬と魔術具で深い眠りに落ちてしまったマインを見下ろす。力の抜けた手からカツンと簪が落ちた。
 それを拾い上げて、眺める。ただ削っただけの木の棒で髪を結うのはマインだけだ。平民ならば誰もがしている事かと思ったが、最近の洗礼式で見るようになった髪飾りも結った髪に差し込むだけで、マインのように簪で髪をまとめている者はいない。

 不思議な子供。

 まるですでに高度な教育を受けているような思考回路、そのくせ、考えや注意深さが全く足りない。どう探してみても存在しないメルヴィル・デューイ、この国のどこにも存在しない十進分類表を知っていて、自分が欲しい物を次々と発明していくその発想。

 孤児院を立て直し、子供達に仕事を与え、代わりに食料を与えた。本をこよなく愛していて、子供向きの聖典まで作りだした。
 マインはどう考えても普通ではない子供だ。厳しく教育を受けた貴族その子供でも、マインが行ったことはどれもできないだろう。洗礼式を終えたばかりの幼子にできるようなことではないのだ。

 元々変わった子供だったが、悪い方向に向かっていることが全くないので、奇異というだけでは領主もこの魔術具を貸してはくれなかった。

 だが、マインは先日の癒しの儀式で信じられないような魔力を見せつけた。あれだけ広域の荒れ地をあっという間に魔力で満たすのは、普通の身食いではあり得ない。
 正直、今の時点で領主を上回るほどの魔力だった。成長すれば、どこまで魔力も伸びるのかわからない。

 魔力量が恐ろしく豊富で、発明により多額のお金を稼げる平民の娘など、誰もが取り込もうとするので、貴族間の争いの火種にしかならない。私の庇護下に置くと宣言したことで、この街ではある程度守ることができるであろうが、余所の領地の貴族に存在が知れるのは時間の問題だ。

 そうなれば、私では守りきれるかわからない。そして、そこまで守る価値があるのかどうかも、現時点では明言できないのだ。
 だからこそ、今回、領主はこの魔術具を使え、と言った。記憶を探り、マインが口にした「夢の世界」を見ることで、マインの価値を探り、有害無害の判断をせよ、と。

「せめて、無害であることがわかれば良いのだが……」

 犯罪者が相手ならば、本当に犯罪を行ったかどうかを記憶の中から確認するだけだから容易いが、マインの場合は、どれだけの価値があるのか、我々に害を成す存在かどうか、記憶の中から見出さなければならない。判断は非常に難しいと思われる。

「……何より、(うと)まれるであろうな」

 魔術具を使って、記憶を覗くのだ。以降は警戒され、側に寄ってくることもなくなるだろう。感情を隠し、揚げ足を取られぬよう言動に細心の注意を払わなければならない貴族社会では、マインのように思考回路が顔に出ているような者はいない。

 神殿に置いても神殿長とどれだけの付き合いのある相手か、どれだけ信用できるかを常に考えていなければならない中、マインだけは裏表を考える必要もなかった。感情が透けて見えることに頭を抱えつつも、警戒する必要がない存在があるのは気楽でよかった。
 失うことになって初めて知ったが、どうやら私は自分でも意外なほどマインのことを気に入っていたようだ。

 私は軽く溜息を吐いて、机の上に置かれたままの魔術具を手に取った。マインと同じ赤の魔石がついた環を額にはめる。
 長椅子に横たわるマインの傍らに膝をつき、お互いの額の魔石をカチリと合わせた。魔力をゆっくりと流し込み、意識を同調させていく。

 普通は自分と異なる魔力が入っていくのだから、反発があって当然だ。しかし、マインに魔力を流し込んでも全く反発もなく、抵抗もない。どんどんと自分の魔力がマインに向かって流れ込んでいく。
 それ自体は今回の目的を考えると非常に助かるのだが、少しは自己防衛しろ、無抵抗で他人を受け入れるな、と叱責したくなるのは何故だろうか。
 舌打ちしたい気分で、私はマインに話しかけた。

「マイン、聞こえるか?」
「あれ? 神官長の声がする。どこですか?」

 マインの呑気すぎる声に力が抜けた。もっと、こう、怯えるとか、嫌がるとか、怖がるとか、何かないのか。

「今は意識を同調させている。君の魔力が予想以上に多すぎた。夢の世界で教育を受け、夢の世界を知っている、と言う君が、この地において有害な人物であるか否か、私は判断しなければならない。悪いが、これから君の記憶を覗くことになる」
「はぁい、わかりました。いいですよ」

 軽く返ってきた返答に私は気が遠くなるのを感じた。記憶を覗かなければならないこちらが身構えているのに、何故マインは全く抵抗感を示さないのだろうか。

「君の記憶を覗くことになるが、本当に良いのか? あまり気分の良いものではないだろう?」
「それは、まぁ、そうですけど……。話してわかってもらえるようなものでもないですから。見てもらえるなら、それが一番手っ取り早いじゃないですか。無実の罪や言いがかりや思い込みで処分されるよりよっぽどマシです」

 神官長はそれができるのに、わざわざ魔術具を使って判断してくれるんでしょ、とマインは言った。同調している私には、マインが本気でそう思っているのがわかる。
 潔いと言うべきなのか、少しは疑えと叱るべきなのか……。マインならば後者だと結論は出たけれど、説教は後回しにした方が良さそうだ。これほど疲れそうな同調はなるべく早く終わらせたい。

「では、君が以前に言った夢の世界へ私を連れて行ってくれるか? 強く思い浮かべてくれればそこへ行けるはずだ」
「え? それって、行きたいところへ行けるってことですか?」

 何故だ!? 記憶を覗かれるというのに、マインがわくわくしている。楽しみで仕方ないような弾んだ気分がこちらに伝染してきた。
 まずい。非常にまずい気がする。私に暴走するマインの手綱が取れるだろうか。気を強く持って立ち向かわねば、こちらが引きずり回されそうだ。

「私が見たいと思うものを見せてくれなければ困る。まずは君の知識の元を見たい」
「任せてください! では、わたしの愛する図書館に案内しますね!」

 明るいマインの声と共に、私は見知らぬ大きな建物の前に立っていた。一体どのくらい高い建物なのか知りたいと思ったが、マインと視界も同じくしている私にはマインが顔を動かさなくては見える範囲が限られている。
 見える範囲の足元は石畳で美しく、肌を撫でる風は優しい。汚れも汚臭もないところを見ると、下町ではない。ここは貴族街だろうか。

「うわぁ、懐かしい!」

 マインの声が響き、視界が動いて建物の中へと移動していく。この風景を懐かしいと言い、躊躇いもなく中に入っていくマインの足取りは弾むように軽い。確かに彼女の知っている世界なのだと確信を抱くことはできる。
 触れもせず、魔力を通すでもないのに、信じられないくらい透き通っていて均一な厚みの大きなガラスの扉が、ウィンと微かな音を立てて開いていった。

「マイン、ここにも魔術があるのか? マイン十進分類法では、魔術に関する項目が存在しないからわからないといっていなかったか?」
「あ~……魔術ではないですけれど、別の法則で動いている自動の扉ですから、似たような物だと考えればいいと思います」

 魔術はないけれど、別の法則が生きていて、魔術のようなものがあるマインの世界。ここは一体どこなのだろうか。

「マイン、ここは何という国だ? 少なくとも私の知る国ではないようだが?」
「日本と言います。わたし、前はここで生きてて、本に埋もれて死にました。そして、気が付いたらマインでした」
「は?」

 マインが何を言っているのか理解できないが、何も隠す気がなく、事実をただ述べているだけの心情は伝わってきた。素直だからこそ、理解できないというのは私にとって初体験だ。

「……本に埋もれて、死ぬ?」

 私には本に埋もれて死ぬという事態が理解できなかった。埋もれるほどの本が想像できない私の前に、驚くほどの書架と本が詰まった空間が見えてくる。

「……何だ、ここは?」
「わたしの行きつけの市立総合図書館です」

 そこは見回す限りに本が詰まっている図書館だった。貴族院の図書館でもこれだけの本はない。埋もれるというのもあり得る量だった。

「これは……全て本か?」
「はい、図書館ですから。あ、でも、最近は『ビデオ』 や『CD』、『DVD』なんかもありますし、本だけではないですけれど、基本的には本ですね。あぁ、幸せ。これよ、これ! これこそが私の楽園!」

 マインの心が本当に、泣きたいほどの幸せだけで占められているのがわかる。お気に入りの場所があるのか、マインは真っ直ぐに書架の間を早足で抜けていく。
 この図書館という場所は、床に柔らかなカーペットが敷き詰められていて、足音が全く気にならない。この建物には一体どれだけのお金がかかっているのか、考えただけでも目眩がしそうだ。

 なるほど。このような場所で生きた記憶があって、これほどまでに心の底から本と図書館を求めていたのならば、神殿の図書室を見つけて号泣するのも少しわかる。どうやらこの世界では、本はとても愛されている物らしい。

 マインが足を進める途中で、視界の端にやたらと色彩豊かだが、粗末な服を着た者達が本に触れている姿が映った。私の常識ではあのような貧民が本に触るなどあり得ない。

「マイン、あれは狂人か? あのような者が本に触れて大丈夫なのか?」
「狂人? どの人ですか?」

 マインの視線が通路から離れて辺りを見回した。

「左だ。成人女性でありながら、膝を露出している。それほど布が準備できない貧民なのに、布は色を染めているではないか。染めるのをやめればよいだろう? 不可解すぎる」
「ここでは、女性のスカート丈は決まっていないんです。好きな服を着ているだけですから、お気になさらず。それにしても、すっごいですね、この夢。手触りや匂いもする」

 マインは女性に興味を失ったようで、すぐに視線を本棚に戻した。ずらりと並ぶ本はマインが作っていたような紙の表紙の本だが、その美しさや量は私の想像を越えている。
 本棚の端から端まで視線をゆっくりと動かしたマインは一冊の本を取り出して、抱きしめて、匂いを嗅ぎ始めた。同調しているせいで、強制的に私の意識にも本とインクの匂いが飛び込んできて、強制的に満足感に浸らされる。もう同調を止めたい。

「うふふん」

 浮かれたマインが本棚の端にある、ふかふかとした椅子に座って本を読み始めた。板に布を張っているだけの椅子ではなく、座り心地はひどく柔らかくて心地良い。何だ、これは。

 それにしても、視界に映るものが本と本棚と床しかない。開かれたページが目に映っているけれど、それは私には読めない文字が整然と並んだものだった。人の手によるとは思えない文字の羅列だが、これはマインが言っていた印刷で作られた本だろうか。マインが作った本と同じように白黒だ。

「君の夢の世界では、本に絵がついていないのか?」
「え? あ? 何? あ、そっか。神官長」

 私が言葉をかけると、マインは驚いたような声を出した。どうやら本に浮かれて、没頭して、私が同調していることを完全に忘れていたようだ。
 どうしてくれよう、この馬鹿者。記憶を覗かれていることなど、そっちのけで完全にこの世界を楽しんでいる。

「えーと、絵ですね?……絵が見たいなら、それだけが集められた本もありますよ。これは『画集』で、こっちが『写真集』です」

 色とりどりの絵が並んだ大きめの本をマインが取り出した。そこにあるのは驚くほど色彩豊かで、驚くほど細密な絵だった。その素晴らしさに私が目を見張って、魅入っていると、マインはパタンと本を閉じた。

「神官長、続きを読んできていいですか?」
「いや、駄目だ。これは君が作っていた子供用の絵本というものか?」
「これは有名な人の絵を集めた『画集』で、子供用じゃないです。子供用コーナーはこっちですよ」

 そう言って、マインが図書館の中を歩いていく。マインの知る図書館では、本が鎖で繋がれているわけでもなく、マインが作っていたような表紙が簡素な本を好き好きに取っては読んでいる。男も女も老人も子供も、立派な身形をした者も、擦り切れたような服を着た貧民も。

「これが絵本で、本物のシンデレラです」

 以前にマインが持ってきた話と絵を照らし合わせて考えれば、更に話が理解不能になった。描かれた衣装や髪型はもちろん、顔の大半を目が占めるような人間がいるわけがない。
 いや、待て。この世界には存在するのかもしれぬ。

「……君の話だけを聞いた時より、絵がついた方が一層荒唐無稽だが、ここでも絵は色彩豊かではないか。君の本にも色を入れなさい」
「入れたいとは思っていますよ。……でも、インクが高いんですよ。なるべく作る方向で努力しますけど。あぁ、夢の中で絵具が買えたらいいのに」

 マインがそういった瞬間、奇妙な物がずらりと並んだ場所に移動した。色と文字がついた奇妙な形の物が見回す限りの棚に並んでいる。

「あ、『画材屋』に来ちゃった。神官長、夢の中で買っても持って帰れませんよね?」
「無理に決まっているだろう、馬鹿者。ここは何だ?」
「ウチの母親がよく通っていた『画材屋』です。これは絵具なんですよ」

 本にしろ、絵具にしろ、マインの世界は物が豊富に溢れているようだ。私はこの視界に映るだけしかわからないが、それでも文化の豊かさに恐れを抱く。

「ずいぶんとたくさんの種類があるのだな」
「そうですね。あの街に比べたら、何でも揃いますよ。わたしは『画材屋』より、『本屋』の方が好きですけど」

 マインがそう言った瞬間、また場所が変わった。マインは行動だけではなく、思考も落ち着きがない。いや、思考に落ち着きがないから行動も落ち着きがないのか。

「ここは何だ?」

 図書館と同じように本棚に本が大量に詰め込まれた場所だ。ただ、図書館とは違って、大きな音で音楽が響き、周囲は目をすがめたくなるほどに眩しく感じる場所だった。

「新しい本を売っているお店です。うふふん、『新刊チェック』……って、のおおぉぉぉ! 記憶のある限りしか見えないんだった!」

 よくわからない叫び声を上げて、マインは勝手に落ち込んだ。感情の起伏が激しくて、同調しているのにも疲れる。マインがよく倒れるのは感情の起伏が激しいせいではないのだろうか。

「マイン、建物の中なのにずいぶん明るいのは何故だ?」
「あぁ、それは『電気』がついているからです」

 マインがそう言いながら、上を向いた。本棚が途切れて、白く眩しく光る小さな太陽がそこにあった。

「あれはどのような法則で動いているのだ?」
「えーと、『スイッチ』を入れたらつくようになっているんです。あ~、わたしが魔術の説明を受けても理解できないように、基礎知識がない神官長にわかると思えないので、詳しくは省略します」

 そう言いながらもマインの視界は本棚に固定された。マインがもう少し周りを見回してくれなければ、本以外見えない。本以外で視界の端に映る物からも、この世界の異質さが伺えるというのに、マインは全くそちらに視線を向けようとしない。

「マイン、私はそろそろ本以外が見たい」
「え~? わたしは本が見たいんですけど。こんなにリアルにはっきり五感を堪能できる夢なんて自力じゃ見えないですから」

 マインの中が不満でいっぱいになる。本当に、どこまでも、本のことしか考えていない。まさか記憶を覗いて、ここまで本しか映らないとは思わなかった。意識的に他を映してもらわなければ、このままではこの世界の本を見ただけで終わってしまいそうだ。

「マイン、この夢を見せてもらう目的を覚えているか?」
「もう忘れたいですけど……ハァ、神官長は何が見たいんですか?」

 至極面倒くさそうにマインが溜息を吐いた。何が見たいと言われて、私は個人的に一番気になっていたことを尋ねる。

「そうだな。君が教育を受けたところを見てみたい」
「学校ですね」

 一瞬で風景が変わった。
 それほど広くない部屋の中、端から端まで整然と机が並び、同じ服を着た者達が何やら書いている。小さな机の上には理解不能な文字や記号が書かれた本と薄くて美しい紙の束が広げられており、見たこともないような絵がついた金属の箱に、色のついた棒が何本も入っていた。

 彼らは時折顔を上げ、色や柄のついた棒をペンのように動かして文字を書いている。視界の先には一人の男が立っていて、大きな石板にカツカツと音を立てて、文字を書き連ねながら、説明している。あれはこの学び舎の教師だろうか。

「よって、この『余弦定理』を使い……」
「マイン、これは何をしている?」
「授業を受けています。これは高校時代の記憶かな? 数学の授業ですね。三角関数……。懐かしいけど、数学はあまり好きな授業じゃなかったんです。どちらかということ国語の方が良かったな」

 パッと視界に映る風景が変わる。同じ部屋の中で今度は少し年かさの女性が本を読みながら、部屋の中をうろうろしている。

「ここ、日本ではこんな風に国民全員が勉強するんです。そうですね、洗礼式くらいの小さい頃から……成人しても」

 マインの言葉と共に、パッパッと視界に映る景色が変わっていく。どれもこれも同じような部屋の中で勉強する姿だが、年恰好や前に立って教える教師の姿に違いがある。洗礼式くらいの年頃の子供達から成人しているような背恰好の者まで、どの場面でも全て勉強していることに慄然とした。

「勉強以外はしないのか?」
「えーと、勉強する教科がたくさんあって、こうして机に向かうのと実技があります」

 揃いの服を着て外で走る光景、あられもない恰好で水に入る男女の姿、見慣れない笛を吹き、聞き覚えのない曲を奏でる情景が浮かんでは消えていく。

「君は音楽の教育も受けていたのか……」
「そうです。学校で習うのは簡単な部分だけですけれど。だから、フェシュピールで弾くのも、わたしが作曲したのではなくて、こちらの世界の曲なんです」

 なるほど。初めて触ったフェシュピールで曲が奏でられるわけだ。マインの凄さはこの世界での知識と教育の賜物らしい。普通の平民と違って当然だ。

「こういう教育は国が定めたものだから、日本では国民全員が文字を読めて、計算ができて当たり前なんです。わたし、孤児院にこういう勉強を取り入れて、皆が文字を読んで簡単な計算くらいはできるようにしたいと思っているんです」
「それは一体何のためだ?」

 わざわざ全員に文字を教える意味がわからない。訝る私にマインは至極当然のように言った。

「文字読める人が増えなければ、本を読む人が増えないじゃないですか。本読む人が増えなければ書く人も増えないでしょう? わたしがあそこでも本を楽しむためには、まず本を読める人を増やさなきゃダメなんです」

 今までならば、一体どんな裏があるのか、何を企んでいるのか、と疑っただろうけれど、マインと同調している今は心の底から自分が本を読むことしか考えていないのがわかる。ある意味では安心だが、ある意味では頭が痛い。
 だが、こうしてマインの記憶を見ることで、私が抱えていた疑問のいくつかは解消された。

「……君は字を覚えるのが異様に早いと思ったが、学び慣れているのだな?」
「慣れ? そうですね。自覚はないけれど、あの街の人に比べれば、勉強し慣れているとは思います。それに、わたしは本が読みたくて、読みたくて仕方がなかったから、文字を覚えたくて堪らなかったんです」

 マインが苦い笑いを浮かべた。
 私は視界に映る光景をできるだけ端から端まで見る。同じ服を着て、授業を受ける姿は整然としていた。建物は大きく美しくどこも汚れていないように見えた。

「マイン、ここはずいぶん美しく整っているな」
「えぇ、ちょうど建て替えられたばかりですからね。でも、この学校の素敵なところは、この辺りの学校の中で一番の蔵書量を誇る学校図書館なんです。わたしの志望理由ですよ」

 それと同時にまた図書館に光景が切り替わる。マインが嬉々として説明していた学校図書館なのだろう。古い本が多いのか、独特の少し埃っぽい匂いがしていた。
 マインはそれを嬉々として吸い込んで、うっとりしている。勘弁してくれないだろうか。

「マイン、図書館はもうよい。外に出てくれ」
「外?」

 マインが首を傾げると、風景は穏やかな庭園になった。石畳に芝生、立ち並ぶ木々に整えられた花壇が並ぶ。私にはなじみ深い光景に見えた。

「マイン、ここは貴族街なのか?」
「……うーん、厳密には違いますけれど、似たようなものですね。あの下町のような環境に比べれば、日本は貴族街の方が近いと思います。まるで魔術具のような道具もいっぱいありますから」
「ほぅ? どのような物だ?」

 魔術がない世界で、別の法則で動く魔術具のような物に興味を引かれて、私は問いかけた。

「そうですね。例えば、乗り物」

 マインが視界を上に向けて、白い物を指差した。騒音を立てて空を飛んでいくのが見える。マインが横を向けば、金属の固まりがすごい速さで駆け抜けていく。

「何だ、あれは? 魔石ならばともかく、金属が何故あのように……? あれだけ大きな物を高速で動かすならば、魔力量も相当……」
「だから、魔力で動く魔術具とは違う、別の法則があるんですって。石が魔力で形を変えて動く方が、わたしには不思議ですよ」

 そう言われてみれば、魔術具に関する知識がないマインには、石が形を変えて動くことも不思議に見えるのかもしれない。騎士団と行動した時には些細なことに一々驚いていた。今の私は、あの時のマインと同じなのだろう。

「他にはどのような魔術具があるのだ?」
「うーん、『電化製品』は家の方が多いかな?」

 マインの呟きと共に、私はどこかの建物の中に立っていた。窓には薄いレースのような素材の布がかかっている。あれほど繊細なレースを惜しげもなくカーテンに使えるのは、かなりの上級貴族に違いない。
 窓からは光がやんわりと入っていて明るいのに、部屋にはデンキがついていて明るい。皮張りの大きな長椅子があり、正面には黒い四角のぶ厚い板が低い棚の上に乗っているのが見えた。

「うん?」

 ドクンドクンといきなり鼓動が速く、大きくなった。背筋を冷たい物が走り、すぅっと血の気が引いていく。マインの心が緊張と不安と恐怖に包まれていた。そのくせ、心の内から湧きあがっていくのは、喜びと懐かしさがぐちゃぐちゃに混ざった期待。
 マインの感情が全て流れ込んできて、目が回りそうだ。

「どうした、マイン?」
「……ここ、ウチの『リビング』なんです」

 そう言ったマインの声は小さく掠れていた。
 マインの記憶を覗いた神官長、本ばっかりでうんざりです。
 予想されてた方、いらっしゃいましたね。

 次回は、後編。麗乃の記憶に振り回される神官長です。
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