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五月の雪は斯くて渡る 作者:饗庭璃奈子

第八章 肝試し大会

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 グラウンドに集まった生徒たちの影を、夕日が黒く長く引き延ばしている。
 この頃は随分、日が長くなった。夕食を取り終えて全校生徒が集合するのを待っても、まだ辺りは夕暮れの色に染まっている。グラウンドには悲喜こもごもの声が飛び交い、そのどれもが、これからはじまる一大イベントへの一抹の期待に胸を躍らせている。
 グラウンドには、不機嫌そうな星野の姿もあった。先日の約束などすっぽかしてさぼることだってできただろうに、一本気な星野らしいことだと苺火は苦笑する。
「なあなあ! 星野のやつ確実に、押しに弱くなってるよな」
 晴がひそひそと、声を殺して忍と苺火に囁きかける。忍が、神妙な面持ちで頷く。
「やっぱり、苺火の天然ボケにやられて丸くなったのかもなあ」
「聞こえてんぞ、お前ら……」
「ひっ!」
 いつの間にか、星野が苺火たちのすぐ傍に仁王立ちに佇んでいて、すっかり気を抜いていたらしい忍と晴は仰天して悲鳴を飲み込む。苺火は、くすくすと笑う。のどかだ、本当に。つい先日、壁の内側であんな凄惨な事件があったことなど、まるでうそのように。
「苺火、無理すんなよ? どっか痛くなったりしたら、すぐに言えよ?」
 相変わらず心配性の忍が、気遣わしげに病み上がりの苺火に声をかけてくる。
「大丈夫だよ。傷だって、もう治っちゃったし」
 苺火は一番酷いかすり傷のあった右腕を、友人二人の前に晒して見せた。晴が顔を近づけてまじまじと観察し、驚いたような声を上げる。
「うわっ、ホントだ! 苺火、傷の治り早いなー!」
 晴の言葉通り、苺火の傷はすっかり綺麗になって、もう影も形もないのだった。
「元々そんなに大した怪我じゃなかったから……」
 三人のやり取りを、星野は端で険しい面持ちで見つめていた。
〝その子は、バケモノだよ?〟
 何を今更、と言わんばかりに言ってのけられた、男の不可解な言葉が、脳裏にフラッシュバックする。
「どうしたの、星野」
 視線に気づいた苺火が、不思議そうに星野を見やった。
「──いや。何でもない」
 そうこうしているうちに、周囲の生徒たちが、星野の存在にようやく気づきはじめた。今の星野は殺気を出していないので、団欒の中に混じっていてもなかなか気づかれないのである。
「うわ、おい、星野が来てるよ……」
「え、やだー」
 星野の研ぎ澄まされた聴覚は、否が応でもそんな生徒たちのざわめきを捕らえる。普段の星野であれば、自分に向けられるそんな雑多な言葉の数々など意にも介さないのに、今は酷く、星野を苛立たせる。思考に雑音が混じって、仕方がない。
「あ、ペア決めのくじ引き、はじまったみたい。僕たちも行こうか」
 陰でひそひそと交わされるそんなやり取りにも、常人並みの聴覚しか持ち合わせていない苺火は気がつかないのだろうか。グラウンドの一カ所でわっとはじまったお祭り騒ぎに、すっかり気を取られている様子である。
「いや、その必要はないぜ」
「え?」
 忍の言葉に、苺火はきょとんとして振り返った。
「ホントは二人一組で回る決まりなんだけど、いっちーはあんなことがあったばかりだから、班行動を取るように、との先生方からのお達しでーす」
「よっ、桐島君! 元気そうで何よりね」
「桜子ちゃん、明日葉ちゃん」
 いつの間にか、四人の近くに古賀姉妹まで集まってきていた。
「そーゆーこと!」
 晴が嬉しそうに、にっと白い歯を見せる。
「これで三人一緒に回れるな、苺火」
 夕日を背景に、忍がおおらかに笑っている。
 俄かに賑わってきた場に、苺火は自分の置かれている状況や、時計塔の天辺から落下したあの日、見たもののこともつかの間は忘れて、気持ちが上向いてくるのを感じた。
「というわけで、護衛はあたしたちに任せてね」
 忍と晴には聞こえないように、明日葉がこっそりと苺火に囁きかけてきた。
「え。あ、うん……」
「おばけなんて、あたしがぶちのめしてあげるからね、いっちー!」
 反対に桜子は、ホルダーから取り出した特殊警棒をそれこそバットのように振るいながら大はしゃぎしている。
「いや、ぶちのめすのはちょっと……」
 苦笑する苺火をよそに、晴がにひひっと笑って苺火の方に身を乗り出してきた。
「あっちゃんとさくちゃんがいれば戦力は安心だねっ、苺火!」
「いや、戦力って……」
「おばけ役の教師どもに怪我させんなよな……」
 唯一、心身ともに常人である苺火と忍だけが、ため息をつく羽目になった。
「というわけで! 桐島君護衛隊はあたしら姉妹と忍君と晴君、それに夜鷹で決定ね!」
 しっちゃかめっちゃかになってきた場を取り成すように、明日葉が声を張り上げた。
「は?」
 黙っていられなかったのは、星野だった。
「なんで俺まで……」
 ぶつくさと文句を垂れかけるのを、
「うっさい! どうせあんた、そうじゃなくても桐島君と一緒に行動するつもりだったんでしょ。だったら細かいこと言わない!」
 明日葉がサクッと切り捨て、星野は渋々押し黙った。
「苺火、本当に星野と仲良くなったんだなー」
 感心してしげしげと苺火と星野を見交わす晴に、
「いや、仲良くはない」
 といつかのように二人の声が重なり、団欒は俄かに笑いの渦に包まれた。
「おいおい、なんであそこだけあんな大所帯なの? ずるくね?」
「あー、あの転校生だろ? こないだ時計塔で事故起こした奴って」
「えっ、まじかよ!」
「また変なことしないようにって、見張りつけたらしいぜ」
「なるほどなー。先生達は詳しいこと何も教えてくれないけど、どう考えても自殺未遂だもんな、あれって」
「だよな」
「香西殺したのも、案外あいつだったりして」
「うわっ、よく見たらあのグループ、星野までいるじゃん!」
「あいつ、星野と仲良かったんだってさ」
「まじかよ。やっぱろくでもないやつの周りには、変なのが集まっちまうんだなあ」
「類は友を呼ぶ、ってな」
「あははは」
 星野だけが、生徒たちのあいだでひそひそと交わされるそんなやり取りに、神経を逆撫でされ続けていたが、当の苺火はというとやはりそんなことはまるで意に介さず、
「星野、本当にどうかした?」
 と不思議そうに、相変わらずむすくれている星野に尋ねていた。
「──何でもねえよ」
 明日葉と桜子が、ちらりと星野の顔色を窺い、その表情がほんの僅か翳る。
 日は沈み、群青色の薄暗闇の中、肝試し大会の第一組目が出発しようとしていた。

「ひゃっ!」
 甲高い悲鳴と共に、靴が雑木林の落ち葉の上を滑る湿った音が響く。特殊警棒を片手にはしゃぎ回っていた桜子が、とうとうぬかるみに足を取られたのだ。
「おっと! 大丈夫か? さくら」
 幸い、近くにいた忍が咄嗟に桜子の腕を掴み、事無きを得る。一同が、ほうっと安堵の息を洩らす。
「ごっめーん! ちょっとはしゃぎすぎちゃったよーう」
 桜子は、忍の手を借りて体勢を立て直しながら、へら、と笑う。彼女がそんなへまをかますなんて、珍しいことだった。
「足元暗いから気をつけろよ。結構な山道だし」
「うん! ありがと、しのブー!」
 桜子は元気よく言って、再び軽い足取りで先を歩きはじめる。
「うっはー! なんか早速ラブイベント発生してまっせ、桐島殿!」
 晴が興奮した様子で、苺火に囁いた。
「へえ、純情そうに見えてやるもんだなあ、忍のやつ」
 苺火は心底感心して、頷く。
「あいつ、背ェ高いし、スポーツできるし、面倒見もいいしなー。ま、馬鹿だからモテねえけど!」
 晴はだんだん、声を抑えるのを忘れて、いつもの調子でぺらぺらとまくし立てるように喋りはじめている。
「……あのな、お前ら。言っとくけど、丸聞こえだからな?」
 忍が深く、ため息をついた。
「あれー? しのブーってば、つれないなあ」
 踵を軸にくるりと振り向いて、そのまま器用に山道を後ろ向きに歩きながら、桜子は悪戯っぽく笑う。
「おいおい、さくら。そんな歩き方してると、また転ぶぞ」
 忍はやっぱり、心配性だ。
 さすがは全校生徒を駆り出しての一大イベントというべきか、肝試しの仕掛けはなかなかに手の込んだもので、苺火は何度か心臓が止まる思いがした。それというのも、やはり苺火が壁を越えてきてから幾度となく体験してきた非現実的な出来事のせいで、仕掛けのうちのいくつかは、本当に本物なのではないかと苺火を疑り深くさせたほどだった。尤も、心底おばけに驚かされているのは苺火と忍くらいのもので、晴と桜子はおばけが出る度に楽しそうにはしゃぎ回り、明日葉と星野は終始一貫して冷静な態度を貫き通していたため、でこぼこな一行は、約二名のおかげで大変に賑やかにコースを進むことなった。
 おばけよりも寧ろ晴を驚かせていたのは、コース内に生息する野生動物だった。鹿や野兎、栗鼠、鼠など、確かに彼らの立てる物音は多少苺火を驚かせはしたが、晴の驚き様はというと、それどころの騒ぎではなかった。ことに晴は鼠が大の苦手と見えて、足元を鼠が通り抜ける度に悲鳴を上げ、
「俺、鼠大っ嫌い!」
 と幾度も顔をしかめていた。
 そうして小一時間ほど、広い敷地内を縦横無尽に駆け巡るコースを歩いた頃だったろうか。それまでぺちゃくちゃと喋り、キャッキャとはしゃぎ回っていた晴が、突然押し黙り、足を止めた。
「晴?」
 何事かと窺い見れば、その顔色は暗がりの中にあってもはっきりと見て取れるほど、蒼白だった。
「……ない」
「え?」
 ぽつん、と呟かれた言葉が、何を意味しているのか、はじめ苺火には理解することが叶わなかった。その手は、自身の首筋に回されたまま、硬直している。
「ないって何がだよ、晴?」
 また桜子が転ばないようにと、ずっと傍について歩いていた忍が、不思議そうに晴を振り返った。
「ロケット」
 晴はやにわに制服をぱたぱたと(はた)いて、きょろきょろと自分の体を見渡しはじめた。
「ロケット?」
 桜子が、何のことだかさっぱりわからないといった様子で首を傾げる。
「ロケットって、ペンダントのロケットのこと?」
 星野と付かず離れず歩いていた明日葉が、晴の傍に歩み寄って尋ねる。
「そう」
 自分の体のどこにもそれが引っかかっていないことを確かめると、晴は途方に暮れたように、明日葉を見上げた。
「なんでそんな女々しいもん持ち歩いてるんだよ、お前」
 急にはじまった騒ぎに、それまで一行の最後尾を少し離れて歩いていた星野までもが、晴に近づいてきた。
「大事なものなんだ。探さなきゃ」
 言うが早いか、晴はビニールテープのしらじらと張り巡らされたコースを逆走しはじめた。
「あっ、おい、晴!」
 忍が呼び止める声も、今の晴には届いていない。
「あたしたちも行きましょ」
 こういう時、頼りになるのは明日葉だ。
「仕方ねえな……」
 星野はがしがしと頭を掻いて、次々と晴のあとを追いはじめる一行に続いた。
 晴は地面に這いつくばるようにして、懸命にロケットの探索をしはじめていた。それに倣って、一人、また一人と、地面に屈み込み、晴のロケット探しを手伝いはじめる。最後に一人、残された星野も、とうとう大きなため息を一つつくと、地面に膝を突いた。
「晴、それって、どんなやつなの? 形とか、何か特徴はない?」
 苺火が尋ねる。
「金色の細いチェーンに、小さい楕円のロケットがついてるんだ」
「この暗がりの中で見つかるかしら」
 明日葉が心許なさそうにぼやくのに、
「大事なものなんだよ」
 と晴は泥んこの手と顔で、今にも泣き出しそうに言った。
「とにかく手分けして、探せるだけ探してみよう」
 大きな背中を丸めて地面の上を探りながら、忍が言う。
「そうだね」
 桜子が頷く。
 苺火たちのあとに、時間差で出発したはずのペアが、何組も苺火たちの脇を通り過ぎていった。誰もが皆、不思議そうにその光景を眺め、その中に苺火と星野の姿があるのを見ると、関わり合いになるのを避けるように足早にその場を通り過ぎていった。自身に突き刺さる視線に、問題児である星野はもちろん、香西殺害事件と時計塔からの落下事故によって全校生徒に顔の知れた苺火も、生徒たちからの忌避の対象となってしまったことを、苺火は改めて身をもって思い知った。
 身を裂かれるような思いがした。何故だかふと、きっと今も時計塔の地下室で(とき)を止めているであろう雪見五月のことが思い出された。
「気にするな」
 さりげなく、星野が傍に寄ってきて、ぼそっと苺火にそう言った。
 どれだけ探しても、ロケットは見つからなかった。はじめは互いに声をかけ合い、懸命に探索を続けていた一行も、やがてすっかり押し黙り、黙々と己の持ち場を探すのに没頭した。木々の狭間から見える夜空に次第に暗雲が立ち込め、遠くで雷鳴が轟きはじめていた。心のどこかで、誰もが一抹の諦念を覚えはじめていた。
「もう諦めよう」
 星野が静かに立ち上がり、そう宣言した。全員が一斉に、はっと顔を上げる。
「こんだけ探して見つからないんだ。この暗がりの中でそんな小さなものを見つけるなんて、最初から無理な話だったんだよ」
「星野……」
 誰もが考え、しかし口には出さずにいたことをはっきりと言葉にされて、晴は呆然となる。
「ちょっとあんた、そんな言い方……!」
 それでも世話焼きな明日葉は、まだ何か言い募ろうとしたが、星野に視線で制されて口を噤んだ。
「落ち着け、ちっこいの。それに明日葉もだ。今日はもう暗くて視界が悪い。雨も降ってきそうだ。明日、明るくなってからまた来よう。俺も手伝ってやるから」
「……そうだな、それがいい。もちろん、俺も手伝うよ」
 星野の意外な申し出を、いち早く理解した忍が言う。古賀姉妹がその言葉に同意を示すように頷き、苺火も慌てて首を縦に振った。
「……わかった」
 普段、誰よりも元気いっぱいな晴が、すっかり笑顔を絶やし、口を閉ざしてしまうほどに大事なものなのだ。晴がそう簡単に割り切れたようには思えなかったが、皆をこれ以上不毛な探索に加わらせるわけにはいかないと判断したのだろう。未だ蒼褪めた顔で、素直に頷いた。
 一行は再び、コースを歩きはじめた。今度は誰一人として、口を開く者はいなかった。苺火たちがロケットを探索していた地点から、肝試し用のコースの終着地点まではすぐだった。苺火たちが終着地点に到達した最後のチームだったらしく、幾人もの教師たちが心配そうに苺火たち一行を出迎えた。
 苺火は久しぶりに眠れぬ夜を過ごすこととなった。晴があんな表情を見せるほどに大切にしているロケットのことが無性に気になったというのもあるし、きっと今も不安に駆られているであろう友人が、心配だったというのもある。星野の言葉通り、苺火たちが寮に戻ってすぐ、天候は乱れはじめ、鹿蹄館の外では嵐が吹き荒び、裏手の森をざわめかせていた。一学期の終業式は、明日へと迫っていた。
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