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五月の雪は斯くて渡る 作者:饗庭璃奈子

第六章 生贄の羊

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 香西が死んだ。もう少し正確に言うのであれば、何者かの手によって殺された。
 昨夜、苺火たちが鹿蹄館に戻ったあとも、当直の警備員や一部の教師たちは、逃亡した香西たちを探し続けていたのだという。一晩中探しても見つからず、空も白みかけてきたかという頃、香西の亡骸は鹿蹄館の裏手の森を入ってすぐの茂みから無惨な姿で発見された。一種妄念を感じさせるほどに、その遺体は執拗に殴打されていたそうだ。香西の素行や現場の状況から、犯人の動機は私怨である可能性が高いと見られている。
 苺火たちが食堂へ向かうために外に出た時には、森には既にブルーシートが張られて一般生徒の立ち入りができないようになっており、パトカーの回転灯がギラギラと赤い光を網膜に焼きつけ、幾人もの警察官が現場の検証に当たっているらしかった。
 その様子を見た時、喉の奥から何かがせり上がってくるような気がした。昨日、最後に目の当たりにした香西の姿と、原型も留めぬほどぐちゃぐちゃに叩き潰された空想上の〝香西だったもの〟が、幾度となく目の前をちらついて、苺火に吐き気を催させた。
 顔色の優れない苺火を、忍と晴は気遣ったが、その態度が未だどこかぎこちないものであるのも確かだった。それというのも、この事件における重要参考人として、星野夜鷹、星野花魚子、古賀明日葉、古賀桜子、そして桐島苺火の五名の名が挙げ連ねられているとまことしやかに囁かれているからで、更には〝星野の一派が何やらまた、それもどうやら今回ばかりは冗談では済まされない、大変なことをやらかしたらしい〟ということになっているからに他ならなかった。食堂への道すがら、二人には既に昨夜の事の顛末は搔い摘んで話してはあったが、今回の事件に少なからず苺火が関わっていることは事実だった。自分が〝星野の一派〟と見なされてしまっていることを、苺火は大変に遺憾に思ったが、不本意ながら星野と懇意の仲にあるのは確かだったので、何も文句は言えなかった。
 食事は当然ながら全く喉を通らず、事件に関する様々な情報は、食堂にいれば嫌でも耳に入ってきた。生徒たちの話題は専ら事件に関するものばかりであったし、苺火は周囲からの好奇の視線に晒され続け、逆立った神経は、香西の死に関する話題を、否が応でも捕らえた。
 香西の死は自業自得のものであったのだと吹聴する者。星野はやはり、極悪非道の悪魔のような奴だったのだと畏怖する者。香西の取り巻き二人がすっかり怯えておとなしくなってしまったことに、密かに安堵の声を漏らすもの。
 生徒たちのあいだでも様々な情報が錯綜し、混乱が生じていることは明白だった。
 (たちばな)入江(いりえ)──それが金髪と長髪の、香西の取り巻きの名であるのを、察することは容易だった──は、香西の遺体が発見された地点からそう遠くない木陰で、身を寄せ合うようにしてがたがたと震えているところを、教員の一人が発見した。
 警察にその身柄を引き渡されてからも、
「あいつじゃない」
「あいつは、バケモノだ」
 と、意味不明の供述を繰り返すばかりで、まるで話にならないのだという。二人は一体、香西の死に際に、何を見たというのだろうか。考えて、苺火はぞくりとする。転校初日、廃屋から感じた眼差しや、肌の下を這い回る冷たい感触が、今になって思い返される。
 全校生徒に、本日の授業全てのの中止と、学寮での待機が言い渡された。手放しで喜ぶ生徒は、むろん誰一人としていなかった。
「桐島君、」
 担任の木村が、食堂で苺火に声をかけてきた。傍らには、既に明日葉が控えている。
「警察の方が、昨夜の一件できみや星野君たちに話を聞きたいと言っているんだ。大丈夫かな?」
 木村の気遣わしげな様子に、苺火は心底申し訳なく思った。
「はい。大丈夫です」
 気分は優れなかったが、それもあの森の横を歩いた時ほどではない。苺火はおとなしく警察側の意向に従い、席を立つと、ほとんど手つかずのままの食器を下げ、木村と共に食堂をあとにした。忍と晴は無言で、食堂から出ていく苺火を見送った。
 苺火と明日葉を部屋に通すと、木村はそそくさとその場を立ち去った。
 職員室や校長室のある北棟の一階、応接室らしきその部屋には、低いテーブルをコの字に取り囲むようにして、二人がけのソファーが二脚と、一人がけのソファーが一脚並べてあり、既に〝星野の一派〟の他の三名が集められていた。桜子と花魚子が隣り合わせに座り──苺火と明日葉が姿を現すと、花魚子は律儀にも小さく会釈をしてきた──星野がその向かいに腰を下ろしている。
 窓辺には、やはり参考人としてなのか、二階堂鶫美の姿もあった。窓の桟に半ば凭れるように身を預けるその姿は、彫像めいている。薄暗い室内と、窓の外の奇妙なまでの空の青さが、元より彫りの深い顔立ちに鮮やかな濃い陰影を描き、レースのカーテンが榛色の目元に淡い影を落としている。
 苺火に気づくと、二階堂はこちらに向かって微かに微笑んでみせた。その表情にも、僅かな疲れの色が見て取れる。二階堂も昨夜一晩中、他の教師や警備員たちと一緒に香西たちを探してくれていたのかもしれない。超人然としていても、二階堂鶫美は人間だ。
 二階堂は薄く笑んだけで、すぐにまた窓の外に視線を戻してしまった。暗黙の内に、二階堂が生徒たちから話しかけられることを拒んでいるような気が、苺火はした。
 兄の死の記憶と、今この現状を、重ね合わせているのだろうか。
「おい、お前、大丈夫か」
 女子生徒三人が席を詰め、明日葉が花魚子の隣に、苺火が星野の隣に腰を下ろすと、すぐさま星野が眉をひそめて声をかけてきた。苺火の心象を気遣っている、というよりは、苺火の顔を見たら思わずそう口にせずにはいられなかった、といった方が正しい様子だ。
「大丈夫だよ」
 苺火は苦笑気味に答えた。よほど顔色がよくなかったのだろう。
 そう言う星野は、昨夜香西たちにやられた包帯や、宛てがわれたガーゼは痛々しいものの、顔色は普段と変わりなく、古賀姉妹も驚くほど落ち着いている。さすがは刑事の娘というだけあって、こういう状況には慣れているのかもしれない。花魚子だけは多少不安げに見えたが、それでもきちんと折り目正しく背筋を伸ばして座っているだけ、華奢な見た目とは裏腹に、そこらの女の子たちよりよほど気丈に思えた。
 これは自分ばかり甘ったれてはいられないと、苺火もしゃんと姿勢を正した。
 暫くすると、数人の教師に伴われて二人の警察官が現れた。教師たちは警察官二人を部屋に通すと、やはりまたすぐに部屋を立ち去った。
花鹿辺(はなかべ)警察署の平岡(ひらおか)です」
 まずは二人のうち、格上と思われる恰幅のいい壮年の刑事が、胸ポケットから慣れた手つきで警察手帳を取り出してそう名乗った。スッと目前に差し出されたそれに、苺火の目は思わず釘づけになる。金ぴかの記章が配された、掌サイズの立派な手帳だ。平岡の精悍な顔立ちや、堂々たる態度にも、刑事としての並々ならぬ貫禄が感じられる。それでもさすがに、ピンク髪に白衣を纏った異様な男の姿には面食らわずしていられなかったのか、ちらちらと視線が窓辺に泳いでいるのが見て取れた。
「平岡刑事、どうぞおかけになって下さい。僕はこれでも教鞭を取っていますので、立ち続けることには慣れています。そちらの方、椅子が足りなくて申し訳ない」
 今、この部屋に居合わせた月舘側の人間では、唯一の教師である二階堂が、てきぱきとその場を仕切る。
「いや、これは先生、どうもすみませんなあ」
 はじめは奇抜な容姿に困惑していたのか、しきりに二階堂の様子を気にしていた平岡も、その至って常識的な態度と言葉遣いに、すぐに認識を改めたらしい。深々と一礼してから、空いた最後のソファーに座った。二階堂はこれまでにもこうして、多くの生徒や保護者たちの心を、思うがままに掴んできたに違いない。
 もう一人の警察官は、まだ年若い青年だった。背広姿の平岡とは異なり、制帽を目深に被り、見る者にどことなく陰湿でじめついた印象を与える。平岡の背後にただ亡霊のように佇んで、微かに一礼しただけだった。
 ──ちょっと感じの悪い人だな。
 思わず抱いたそんな感想も、青年のあまりの気配の薄さに、脳裏を掠めただけですぐに遠のいて忘れてしまった。
「僕は私立月舘学園高等部教諭の二階堂鶫美です。化学を教えています」
 制帽の警察官の挨拶が僅かな会釈のみで済んだことを察して、二階堂が後に続く。二階堂、という名を耳にした途端、平岡がぴくりと眉をひそめたのがわかった。
「二階堂? 二階堂さんといいますと、まさか、あの(・・)二階堂さんのご親族の方ですか?」
「ええ、八年前に時計塔の事故で亡くなっているのは僕の兄です」
 驚くほど淡々と、二階堂は言った。
「──ああ、あの時の! いやあ、八年前の事故の時には、私も一刑事として捜査に携わっていたんですが、随分と雰囲気が変わっていらしたから全く気がつかなかった。髪が、伸びましたね。あの頃は二階堂先生、短髪でしたから。こうして見るとお兄さんにそっくりだ。もっともお兄さんの長髪は、あとから染め入れたような深い漆黒でしたが……此度は生徒さんまでもがこのような憂き目に遭いまして、深くお悔やみ申し上げます」
「いえ、兄のことはもう、八年も昔のことですから」
 平岡はぺらぺらとよく喋る。二階堂は能面のような微笑を絶やさない。二階堂の長髪が兄のそれを真似たものであるらしいことを、苺火は意外に思う。彼なりの、供養のつもりなのだろうか。或いは何かもっと他に、理由があるのだろうか。
「生徒さん方のお名前も、お聞かせ願えますかな」
 サラサラと手帳にメモを取りながら、平岡が言う。テーブルを囲む生徒たちのあいだに、誰が最初に口火を切るのかという、一瞬の逡巡があった。
「……中等部二年一組、古賀明日葉です。花鹿辺警察署の古賀副署長の娘です」
 一拍ののち、口を開いたのは明日葉だった。刑事の娘らしく、はきはきと折り目正しく名乗る。
「ああ、はい、話には聞いてますよ。古賀君のお嬢さんたちが、今回の件の参考人として名を挙げられているってね。とすると、そちらのお嬢さんが……」
「二年二組、古賀桜子。双子の妹です。宜しく」
 桜子の名乗りは、ちょっと生意気だ。双子のあいだに挟まれた花魚子も、急いで立ち上がって両手を揃え、ぺこんとお辞儀をした。
「星野花魚子、中等部の一年一組です。宜しくお願いします」
「二年二組、星野夜鷹。花魚子の兄だ」
「二年一組の桐島苺火です」
 刑事相手でも少しも物怖じせず、偉そうに腕組みをしたまま星野が名乗り、最後に残された苺火が名乗ると、平岡は大きく頷き、もう一度ひとりひとりの顔をぐるりと見渡した。
「まずはこのような場にお集まり頂いたことと、捜査へのご協力、感謝いたします」
 平岡が深々と頭を下げ、それに倣って背後に控えた制帽の警察官も微かに一礼したので、苺火はようやく青年の存在を思い出す。聴取のあいだじゅう、彼はずっと亡霊のように平岡の背後に佇んでいるつもりなのだろうか。彼がこの場に居合わせることに、何らかの意味はあるのだろうか。青年がこの場に存在することに、苺火は意義を見出せない。だからすぐに、忘れてしまう。彼がこの場に存在しているという事実を。
「それでは早速ですが、昨夜の事のあらましを、お聞かせ願えますかな。既に捜査にご協力頂いている先生方からは、桐島君と星野君が、時計塔に構えられた二階堂先生の私室を訪ねたのが発端だと聞いておりますが」
 平岡の視線が苺火と星野のかけたソファーの方に向けられ、苺火は平岡が自分たち二人に発言を求めていることを知る。どこから話したものかと言い淀んでいるうちに、先に口を開いたのは星野だった。
「確かに俺と桐島は、昨日二階堂先生の私室にお邪魔しました。でも、その前に俺は、香西たち三人から妹──花魚子をダシに、呼び出しを食らってたんです」
 意外なほど、星野は捜査に協力的だ。うそ偽りなく、起こったありのままの事実を正確に話している。態度はともかく、言葉遣いも礼儀正しいものだ。いざとなったら古賀姉妹の両親を頼ろうとしていた節もあるし、やはり幼馴染に刑事の娘を持つだけあって、警察というものに対して、星野は意外に信用を置いているのかもしれない。
「香西君は日頃からそういった行いをする生徒さんだったのかな」
 その問いには、少し考えてから星野は言った。
「香西とは学年も随分離れているし、他の奴に対してはどうだったのか……詳しいことは知りません。その辺は俺たちよりも、香西の同級生に訊いた方がわかると思います。でも、いい噂を聞いたことはありませんでした。俺も何度も香西たちに呼び出しを食らって、殴り合いの喧嘩なんてしょっちゅうでしたし。たぶん、俺のことが、気に食わなかったんだと思います」
「ふむ。きみの話は実に興味深い。続けてくれたまえ」
 早々にして自分の出る幕はなさそうだと悟った苺火は、もはやすっかり傍観に徹し、星野の話に耳を傾けることだけに意識を集中させることにした。
 星野は頷いて、話を続けた。
「俺は昨日、香西たちの呼び出しには応じませんでした。先約があったし。でもだからといって、もし花魚子に何かあったら困る。俺は花魚子を時計塔の表の薔薇園に隠してから、桐島と落ち合うことにしました。その、ちょっと──校則違反ではありましたが、香西たちの目を欺くには、それが一番だと思ったので」
「星野君と桐島君は、何故二階堂先生の私室に? 二階堂先生は高等部の教諭、ということは、きみたちと直接の繋がりはあまりないはずだよね」
「それは……、」
 はじめて星野が言い淀んだ。苺火は思わずぎくりと身構える。平岡の目元が、一瞬剣呑な光を帯びたように思ったからだ。しかし、救いの手は思わぬところから差し伸べられた。
「ああ、僕が二人を招いていたんです。確かに僕は高等部の教諭ですが、苺火君のお姉さんは僕のかつての教え子でしたし、夜鷹君のお父さんは僕の大学時代の先輩でした。だから、二人とは一度ゆっくり話してみたいと思っていたんです」
 二階堂鶫美は息をするようにうそをつく。それも、事実と虚構とを巧みに織り交ぜて人を誑かすから、なおのことたちが悪い。二階堂の言動のひとつひとつを冷静に分析しながらも、苺火は内心でほっと安堵していた。二階堂も、雪見五月のことを警察に知られてはいろいろと都合が悪いのだろうか、とも考えたが、星野も素知らぬふりを決め込んでいるので、今回ばかりは二階堂の出した助け舟にありがたく乗り込むことにしたのだろう。
「なるほど。で、その帰りに星野君と桐島君は香西君に遭遇した、と」
「はい」
 暗黙のうちに交わされた密約など、星野はただの少しも匂わせない。
「星野君が香西君の気を引いている隙に、桐島君が星野花魚子さんを女子寮に誘導したとも聞いているが、それも間違いないかな」
「え? ……あ、はい!」
 ひやひやしながら一連の応酬に全神経を注ぎ込んでいた苺火は、突然話を振られて慌てふためいた。隣では星野が、如何にも鈍臭いものを見る目つきで苺火を眺めている。苺火はコホン、と喉の調子を整えるふりをして、どうにか遣る瀬のない間の悪さを誤魔化した。
「星野の指示で、僕は花魚子ちゃんを、明日葉ちゃんと桜子ちゃんの元に送り届けました。二人なら、その……香西たちも適わないだろうということだったので」
 当人たちを前にしてそんなことを口にしていいものだろうかと、苺火はこわごわ双子の顔色を窺おうとしたが、それが叶う前に平岡が目を剥いた。
「上級生、それも男三人がかりで、中学生の女の子二人に適わないだって? それは本当かい?」
 それについては苺火よりも他四名の生徒たちの方が詳しいだろうと、察しをつけて苺火は口を噤む。星野があとを引き継いで、頷いた。
「事実です。俺が明日葉や桜子と一緒にいる時は、香西たちは俺に近づこうともしませんでした。入学してまだ間もない頃、取り巻き二人が明日葉と桜子に喧嘩売って返り討ちにされたことがあったんですけど、あいつらにしてみたらそれがトラウマだったんじゃないですか。それに、取り巻きはともかく、香西自身は女に手を上げること自体、嫌ってたみたいですし」
 自分の知らない彼らの過去にそんなことがあったのか、と呆れ返る苺火をよそに、平岡はこの話題に興味を示したふうだった。
「とすると、古賀さんたちには何か体術の心得でもあるのかな?」
 今度は明日葉と桜子の方を向いて問う。
「はい、幼い頃から父に仕込まれていたので」
 すぐに明日葉が、きびきびとした仕草で頷いた。
「えーっと、それで、あの、私たちも父や母の背中を追いかけて警察官を目指しているので、昔っから男の子にも、喧嘩で負けたことはありませんでした」
 取って付けたように桜子が続けるのに、平岡はさも面白いものを見るように笑った。
「ほう、それはまだお若いのに、感心なことだ」
〝あんたには夢が──、〟
 夢に見た桜子の、行き場のない憤りを思い出して、苺火の意識は目前の現実から遠ざかる。あれは本当に、ただの夢だったのだろうか。
「──ところで、」
 平岡の視線が、ある一点で、止まる。
「古賀──桜子さんの方かな。その左脚のものは、特殊警棒だよね」
 応接室のテーブルは低く、平岡の位置からでも、桜子の左脚に取りつけられたホルダーを見て取ることができる。警官である彼にとっては、それが何であるかを判別することも容易い。
「はい、そうですが」
 そこに目をつけられるとは思いも寄らなかったのか、桜子はきょとんとしている。
「常時携帯を?」
「はい」
「少し預からせて貰っても、構わないかな」
「……はい、構いません」
 平岡の意図を察した桜子の顔が、僅かに強張る。
「おいお前、これ、鑑識に回せ」
「……」
 平岡の背後に影のように佇んでいた青年が、白い手袋を嵌めた手でそれを受け取り、応接室を出ていった。
 暫し、重たい沈黙が流れた。
「……あんたまさか、桜子を疑ってかかってるんじゃないだろうな?」
 あからさまに表情を険しくして、星野が平岡に問う。平岡はそんな星野に動じたふうもなく、奥まった小さな目を星野に向けた。
「少し調べさせて貰うだけだよ。何、大した話じゃあない」
「桜子は昨日、花蝶館で花魚子を匿ってたんだ。そのあとは保健室で、他の奴らと一緒に俺に付き添っていた。ここにいる奴らは全員、それを知ってる。桜子に犯行はできない」
「夜鷹、」
「お前は黙ってろ!」
 剣呑な眼差しで一喝されて、口を挟みかけた桜子はびくりと肩を震わせて押し黙る。
「遺体の状態から見て、犯行が行われたのは昨夜未明から今朝方にかけてだ。その時間帯には、きみたちもそれぞれ寮の自室に戻っていたはずだね」
 淡々と紡がれる言葉に、星野は今にも殴りかからんばかりの勢いでキッと平岡に向き直ると、なおも詰め寄った。
「どうして桜子が香西を殺さなくちゃならない」
「犯人の動機は私怨である可能性が高い。星野君、きみは昨夜、香西君ら三人から暴行を加えられたと聞いている。その怪我がそうだね。それに、日頃から殴り合いの喧嘩がしょっちゅうだったとも言っていた。ここにいる生徒さんはみんな星野君と近しい仲であるようだから、そういった意味では動機はきみたち全員に平等にあると言えるね」
「ふざけるな!」
 ダンッとテーブルを叩いて、星野が勢いよくソファーから立ち上がった。
「俺たちは、誰も! 殺しなんかしちゃいない!」
 元来、気の長いたちではなさそうな平岡も、とうとう痺れを切らしたのか、片眉をつり上げた。
「きみこそ、勝手な妄想で級友を犯人に仕立て上げようとするのは困りものだね。捜査の妨害となり兼ねない」
「何だと……!?」
「夜鷹君、その辺にしておきなさい。あんまり刑事さんを困らせるものじゃないよ」
 見兼ねた二階堂が、整った眉を神経質そうに寄せて星野を嗜める。こみ上げる言葉をぐっと飲み込んだ星野は、棒立ちに佇んだまま両手を体の脇できつく握り締め、低いテーブルの一点を睨むように見下ろした。
「花鹿辺警察署──立地もあって、さほど規模の大きな署ではなかったはずだ。人員があり余っているわけでもなかろうに、古賀のおっさんはどうして来ていない? 八年前の事件を管轄していて、月舘の内情にも精通しているはずだ」
「あれは事件じゃない、事故だよ」
 平岡の口調は、もはやすっかり駄々を捏ねる子供を宥めるそれになっている。
「古賀のおっさんはそうは考えてはいなかった。事件は強制的に事故として処理され、古賀のおっさんは半ば月舘から追い出されるようにして、壁の外へお払い箱にされたんだ」
 星野は、そして短くはっと息を飲むと、握り込んでいた拳をやがてゆるゆるとほどいた。
「桐島。誰か──いるぞ」
「え?」
 はらはらしながら事のなりゆきを見守っていた苺火は、突然名を呼ばれてびくりと体を強張らせた。星野は、半ば放心しているようにも見えた。
「そうか……誰かいるんだ。俺たちの動向を把握し、何かあれば古賀のおっさんと連絡を取ろうとしてたことを知った奴が。そして何としてもそれを阻止したかった奴が」
 誰かいる、と星野は繰り返す。その視線はテーブルの一点を捕らえたまま、離さない。
「どういうこと?」
 わけがわからず途方に暮れて顔を上げた苺火を、星野はもどかしそうに見下げた。
「わからないのか? 香西が殺されたことによって、俺たちの置かれた状況は一変したんだよ。今回の事件の第一の容疑者は、他でもない桜子だからだ」
「桜子ちゃんが、第一の容疑者……?」
「星野君。勝手な憶測で話を進めるのも大概にして貰いたい」
 平岡が苛立った様子で、口調を荒げる。しかし星野は全く耳に入っていない。まるで熱にでも浮かされたように、言葉を続ける。
「事件の犯人かもしれないって奴の親族が、刑事として事件に口出しできると思うか? 桜子の警棒を調べたら、犯行に用いられた鈍器と形状は一致するが、証拠不十分でうやむやに終わるとか、大方そんなオチだろ。おかしいと思ったんだ、月舘で死人が出て、花鹿辺警察署が動いてるのに、古賀のおっさんが真っ先に出てこないなんて。クソッ、やられた。古賀のおっさんは、月舘から完全に締め出されちまった。手詰まりだ……!」
「星野夜鷹君、すまないが今は私語を謹んで貰いたい。職務の妨害となる」
「何が職務の妨害だ!」
 星野が再び吼え、平岡はもはや嫌気が差すのを隠そうともせずに顔をしかめた。
「俺たちはみんな……平岡さん、あんたもだ。揃いも揃って嵌められたんだよ。まだ影も形も見えてこない、誰かにな!」
「少し落ち着きなさい、夜鷹君」
 些か声音を尖らせた二階堂を、星野はあの日と同じマグマを煮え滾らせて睨みつけ、
「二階堂、俺はあんたのこともまだ信用したわけじゃない。俺に指図するな」
 言うが早いか、ドアに向かって突進し、乱暴に開け放つと、応接室から出ていってしまった。
「コラ、夜鷹君!」
 二階堂が急いでそのあとを追ったが、既に遠く駆けて行ってしまったあとだったらしく、ドアから覗かせていた顔をすぐに引っ込めて、困ったように笑った。
「すみません、ああいう生徒なんです」
「ああ、構いませんよ、先生。しかし、弱ったな。あの調子じゃろくに聴取もできない」
 やれやれ、といった風情で天井を仰ぐ平岡をよそに、二階堂は至極自然な動作で苺火の隣の空いた席に腰を下ろすと──突然距離を縮められて、苺火は思わずどきりとした──気まずくなった場の空気を取り成すように微笑した。
「話の続きでしたら残っている者でお話ししましょう。あとは、彼でなくとも話せることがほとんどかと思われますので」
「そうですか? でしたら、そうして頂けると助かります」
 平岡も慌てて居住まいを正し、聴取を続ける姿勢を取った。
「幸い、夜鷹君が香西君たちに暴行を受けはじめてからいくらも経たずに、時計塔にいた僕が外の喧騒に気がついて、香西君たちを一喝しました。香西君たちはわっと逃げ出して、彼を見たのはそれが最後です。夜鷹君に抵抗の意志はなかったようで、短時間の出来事とはいえかなりの怪我でしたが──あとは既にご存知の通り、教師や警備の者で夜通し探しても香西君は見つからず、今朝方変わり果てた姿で発見されました」
「はあ、なるほどねえ」
 取り立てて目新しい情報はなかったと見えて、平岡は釈然としない顔つきをしていた。
「それにしても、先生のことを呼び捨てにしたり、このような場で感情に任せて声を張り上げたり──香西君の素行もよくなかったようだが、失礼ですが星野君も、やはり上級生から目をつけられてしまうなりの理由があったのですかな?」
 努めてさりげなく、星野の日頃の振る舞いに探りを入れてくる平岡に、二階堂は微苦笑を浮かべた。
「ええ、まあ、根は悪い子じゃないんですけどね。僕は彼を幼い頃から知ってますから。でも、ほら。八年前のどさくさで父親がいなくなったの、あの子なんです」
「ああ。例の、ね……」
 平岡は、複雑そうな納得顔で頷いた。
 えっ、と苺火は驚いた。周りの様子から察するに、その事実を知らなかったのは、今朝月舘に来たばかりの平岡と、苺火だけだったようだ。あとの者は様々な形で星野と近しかったり、事件に関わっていたりしたから、さほど耳新しい話でもなかったのだろう。つまるところ花魚子も、八年前に父親が行方不明になっているはずなのだが、動じる素振りもない。星野がやたらと八年前の事件に執着していたのはそういうわけだったのかと、苺火はようやく合点がいった。とすると、星野の父親は、当時の月舘の関係者だったのだろうか?
「桐島君は、彼と親しいのかな」
 またしても、意識があらぬ方へと向いていたので、平岡に何気なくそう声をかけられた時には、苺火は危うくソファーから跳び上がりそうになった。
「ええ、まあ……懇意には、させて頂いてます」
 昨日まで、名前すら呼んで貰えませんでしたけど、という言葉は、どうにか喉の奥に引っ込めた。そのあとを引き継いで、二階堂がにこやかに続けた。
「苺火君は今年度から月舘に編入してきた転校生なんです。苺火君自身は真面目で、取り立てて問題もない生徒なんですが、どういうわけか夜鷹君、苺火君には気を許しているみたいでしてね。クラスも違うのに、話しているところをよく見かけます」
 二階堂の口はぺらぺらと、ありもしない戯言を並べ立てる。二階堂鶫美は、息をするようにうそをつく──。苺火は改めて、冷静にその事実を俯瞰した。
「そちらの双子のお嬢さん方は、えっと……あなたが明日葉さん、あなたが桜子さんでしたね。古賀刑事と細君のところのお嬢さんだ。私も彼のことはよく知っているよ。それで、星野君の話によると、彼は妹の花魚子さんをきみたち二人に託すように桐島君に頼んだようだが、きみたちも星野君と日頃から交流が?」
「私たちと夜鷹は、生まれた時からの幼馴染みです。両親も親しくしていましたし、保育園も、小学校も、ずっと一緒でした」
 明日葉が、些か頬の辺りを引き攣らせて答える。
「なるほどね」
 動機は十分、とでも考えているのだろうか。それが仕事だとわかってはいても、苺火は平岡に対して一抹の憤りを覚えるのを抑えきれなかった。
 さらさらとメモを取り続けていた平岡が、不意に手帳をぱたんと閉じた。
「いやあ、どうもありがとうございます。あなた方の話は非常に参考になった。事件を解決する、重要な糸口になることでしょう。──それにしても、」
 そこでふっと息をつき、平岡は一人がけのソファーの背もたれにどさりと身を預けた。
「八年前の事故といい、今回の事件といい、私立月舘学園はつくづく、悲運の学園ですなあ」
 静まり返った室内に、平岡の声だけが、鈍く谺した。
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