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五月の雪は斯くて渡る 作者:饗庭璃奈子

第五章 黄昏のお茶会

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「えっ、十三人兄弟!?」
 そう言ってどよめいているのは、野球部の練習用ユニフォームを着た生徒たちだ。場所は部室だろうか。若草色のロッカーが壁一面に並び、黒い革張りの長椅子が二つ、部屋を縦断するようにして置かれている。火照った体に、きんと冷えたポカリスエットが沁みる。独特の汗臭さは、苺火にはあまり馴染みのないものだ。
「なんだよ、茅崎。犬童と仲いいお前まで知らなかったのか?」
 ロッカーに背を預け、ペットボトルの飲み物を(あお)りながら一人の生徒が言う。
「初耳だよ。家族の話とか、別にしねえし」
 そう応じる声は確かに苺火の知る茅崎晶午(かやざきしょうご)のもので、苺火を内に宿す誰か(・・)の腰かけた、すぐ背後から聞こえてくる。誰か(・・)は革張りの椅子の一番隅っこに横を向いて腰かけていて、茅崎はその角を挟んだ背後に腰を下ろしているらしい。──あれ、でも、今は確か茅崎は、部活に所属してはいなかったような気がするのだけれど。
「しっかし十三人って。月舘ン中でも一番兄弟多いんじゃねえの?」
 また別の生徒が問う。皆、この話題に興味津々のようだ。
「まあ、確かに、今どき十三人も兄弟がいるなんて、ちょっと珍しいかもしれないな」
 苦笑混じりの優しい声が唇から漏れ、苺火は己を内に宿すのが、彼の友人、犬童忍その人であることをようやく確信する。桜子の時と同じく、苺火は忍の内で息を潜める傍観者で、彼らの会話に介入することは適わない。
 それにしても、と苺火は思う。忍が十三人兄弟だなんて、初耳だ。自己紹介の時もそんな発言はなかった気がするし、普段の会話でも、兄弟の存在を示唆するようなことは言っていなかったと思う。もっとも忍の性格を考えれば、別に言う必要に差し迫られなかったから口にしなかっただけで、そこに大した意味はないような気もするけれど。
「忍、何番目?」
「俺はちょうど真ん中だよ。上に六人、下に六人」
「どういう構成なの?」
「一番上に兄が二人、その下に姉が四人。俺を挟んで弟が四人に、末の妹が一人」
「なんか、そりゃまた随分と偏ってんなあ」
 野球部員たちは、苺火の疑問を代弁するかのように次々と疑問をぶつけてくる。忍は気を悪くすることもなく、かといって得意げに話すこともなく──桜子の時と同じく、苺火は忍の感情の動きや、五感の全てを共有していたので、そう確信することができた──至って穏やかに、興味本位を隠そうともしない質問の数々に答えていく。
 見た目の印象だけではない。忍は本当に内面から穏やかで、心のすがしい少年なのだ。己の友人を、苺火は心の底から誇らしく思った。
 忍の背後で茅崎は、珍しく物静かに飲み物──茅崎のは、ストロータイプの水筒だ──をちゅうちゅうやりながら忍の背中を眺めていたが、やがて何か悪戯でも思いついたかのようにニヤッと笑うのが、気配だけでもはっきりとわかった。
「だけど、へえ……忍、お前んちの父ちゃんと母ちゃんって、お盛んなのな。やっぱり田舎の人間って、性欲も猿並みなの? それだけ兄弟いたら、ヤッてるとことか見ちまったことあるんじゃねえ?」
 笑いと非難、半々の声が、どっと湧き起こった。
「ちょっ、お前、デリカシーなさすぎだろ!」
「茅崎、最ッ低!」
「親がヤってるとことか、この世で最も見たくないものの一つだよな」
「想像するだけで萎えるわー」
 野球部でも、茅崎は冗談を言って皆を笑わせることに長けているらしい。ちょっとデリカシーに欠けているところも、同じだ。苺火が苦笑気味にそんなことを考えていると、はたと、忍が飲み物を口に運ぶ手を止めた。はっとする間もなく、苺火は忍の心象の変化に、みるみるうちに飲み込まれていく。忍の異変に、まだ部室の誰も気がついてはいない。
 押し黙ったまま、忍はすっくと立ち上がり、固い声音で言い放った。
「俺の家族を馬鹿にするな」
 鋭く冷ややかな声に、その場にいた全員がはっと凍りついた。
 忍は怒っていた。静かに、まるで氷のような冷たさで。
 普段温厚な人間ほど怒らせると怖いというのは本当のことのようで、皆が固唾を飲んで忍と、忍の怒りを買った発端である茅崎の様子を窺っているのがわかる。
「な、何だよ、忍。そんなにマジで怒るなよ。ちょっと冗談言っただけだろ?」
 茅崎はどうにかその場の空気を取り繕おうと、へら、と笑おうとして、しかし振り向いた忍のあまりに凄んだ表情に、口角が曖昧に歪んだだけだった。
「冗談でも言っていいことと悪いことがあるんだよ」
 恐ろしく低い忍の声。茅崎晶午という人間への軽蔑の全てを込めて、見下げた瞳。腹の底からどす黒く湧き起こって止まない怒り。忍を育てた雪国の、氷のように、冷たい。
 ふっと、茅崎の顔から笑みのなり損ないが消えた。ストロータイプの水筒を床に置いて立ち上がると、ゆっくりと、忍と向かい合う。平均以上の背丈はある茅崎も、忍からすれば随分小さく見えることに、苺火は気がつく。自分より遥かにがたいのいい忍にも一切物怖じすることなく、茅崎はじろりと忍を睨み上げた。
「──あっそ。なあ、忍。この際だから言わせて貰う。お前さあ、前から思ってたけど、ちょっと頭カタイんじゃねえの? 俺、お前のそういうとこ、いけすかねんだわ」
 茅崎の言葉に、忍は自嘲気味に笑った。それは茅崎晶午に対する、一抹の諦念だった。
 本当は少しだけ、期待していたのに。
 晶午(しょうご)が、それは多少デリカシーに欠けているところはあっても、本来は気さくで気のいい人間であること、自分の言葉が本当に相手を怒らせてしまったのなら、素直にそれを認めて、きちんと相手と向き合って謝れる人間であることを。
 自分は茅崎晶午という人間を見誤ったのだ。期待を、し過ぎたのだ。
 おしまいだ、と思った。晶午は、俺が思うような人間じゃあ、なかった。これだけ一緒にいて、そんなことにも気づかずにここまで来てしまったなんて。
「はっ、そうかよ。お前に好かれようが嫌われようが、どうでもいい。俺の知ったことか。──とにかく、」
 忍はそこで言葉を切り、改めて茅崎を見る。自分より小さな、友人の姿。敵意と、ほんの少しの戸惑いを滲ませているのがわかる。
 たった今、決別を告げる、かつての友人の姿だ。
「晶午。俺はお前を許さない。お前なんかもう、友達でもなんでもない」
 茅崎が、小さく息を飲むのがわかった。──ああ、どうしてだろう。こんなことを口にしてしまってなお、晶午に僅かな期待を抱いている自分がいる。
「──はっ、そうかよ。勝手にすれば」
 しかし、その期待は完膚なきまでに裏切られた。茅崎はくるりと踵を返すと、乱暴に部室のドアを閉め、出ていってしまった。手にしたままだったペットボトルを、忍はぐしゃりと握り潰す。たぷん、と未練がましく、濁った液体が一度、揺れた。



「……ふわーあ」
 鉛筆を動かしていた手を止め、苺火はノートも鉛筆も、勉強道具一式を全部マホガニーの丸テーブルの上に投げ出して、背もたれに上半身を預けて伸びをした。
「何だよ、苺火。寝不足か?」
 難しい顔でノートと睨めっこしていた忍が、ふと顔を上げて問う。
「いや、別にそういうわけじゃないけど。どうも最近、夢見が悪いんだよね。悪夢、とまではいかないんだけど、なんか、後味悪い夢ばっかり見るっていうか」
 そう言って、苺火は曖昧に苦笑した。まさかその悪い夢に、当の忍が出てきただなんて、本人を前にして口にできるはずもない。
 忍は心配そうに眉をひそめた。
「おいおい、大丈夫かよ、試験前にそんなんで。ここの教師陣、試験に関しては相当えげつないぜ。ちゃんと勉強しとかないと、マジで落第しかねないレベル」
「それ、忍にだけは言われたくない言葉だよねー」
 ノートを広げはしたものの、さっきから落書きばかりでろくに勉強もしていない晴がケラケラと笑う。
「うるせー」
 このやり取りも、もう随分と耳に馴染んだものだ。
 苺火が月舘に転入してきてから一ヶ月と少しが経ち、中間考査が近づいてきていた。試験の一週間前からは全校を通じて部活動も禁止令が敷かれるため、ここのところは放課後、忍も一緒になって、苺火と晴と一緒に図書館で缶詰になっている。
 体格がよく、完全なるアウトドア派、見た目通りのスポーツ少年の忍が、真面目くさった顔をしてテーブルと向き合っている姿というのは、新鮮だった。成績は常にトップクラスだと話に聞いていた晴はというと、金魚のフンのように忍と苺火にくっついて回ってはいるものの、ろくに勉強もせずに二人の横で遊んでいるばかりで、まともに試験対策をする素振りは少しも見せない。
 そんな調子で、忍はノートを前にうんうんと唸り、晴は勝手気ままに遊び、という具合だったので、結果としてまともに勉強することが叶っているのは苺火だけなのだった。
 グラウンド西に位置する図書館は、一歩足を踏み入れただけで苺火を虜にした。青銅色の屋根を持つドーム状の建物は、入ってみると外から見るのよりずっと広かった。一階に、生い茂る木立のように立ち並ぶ、数えきれないほどの書棚も壮観だったが、何よりも苺火の気に入ったのは、螺旋階段に沿って三階までずらりと壁に造り付けられた書棚だった。後から造り付けられたものではなく、あらかじめ壁に彫り込んで誂えられたものだ。本当にこの建物は、図書館としての用途を果たすためだけに、綿密に設計された建物なのだった。
 一階から三階までは天井が吹き抜けになっており、開放感がある。各階には一人用や複数人で使用できるテーブル、靴を脱いでくつろげるスペースまで用意されていて、生徒たちは皆、思い思いに図書館での時間を過ごしている。
 中間考査が近づくにつれてよく見かけるのは、やはり程よい静けさを湛えた図書館を試験勉強のための場所として用いる生徒の姿だ。苺火たちもそんな生徒の一群で、三人の特等席は図書館の三階の窓辺に位置する、マホガニーの古びた丸テーブルなのだった。
 端でいつもの如くはじまってしまった忍と晴の応酬を尻目に、苺火はぼんやりと、燦々と光り輝く窓の外に目をやった。
 ──小鳥の少女は、今頃どうしているだろうか。
 灰色の地下室に閉ざされた美しい少女の姿が、ふと、思い出される。
 白痴の少女。空っぽの少女。
 彼女の内包する漆黒と、相反するおぞましいほどの、白。
 忍が部活に励み、晴がそのエネルギーの赴くままにあちこちを奔走しているあいだ、苺火はほとんど毎日のように少女の元に通い──少女が苺火のことを覚えていたことは、一度として、なかった──それが済むと図書館で本の森に埋もれながらあり余る時間を過ごしたものだけれど、試験期間が近づいて放課後、忍と晴も一緒に図書館に籠るようになってからは、あの地下室も訪れていなかった。本音を言えば今すぐにでも全てを放り出して彼女に会いに行ってしまいたかったが、忍と晴と一緒に放課後を過ごしている以上、機会がないのだ。
 今も少女は夜ごと、二階堂鶫美のいいようにされているのだろうか。
 死人。事件。二階堂鶫美はその事件の関係者。身に危険が迫る──。
「──ねえ、あのさ」
 苺火はおもむろに口を開いた。
「うん?」
 相変わらず切り替えの早い晴が、今の今までやり合っていた忍にはもうすっかり興味を失った様子で、心ここにあらず、といった風情の苺火の方を見た。
「この学園で、過去に死人が出るような事件とかって、何かあったのかな」
 唐突な話題と深刻な表情に、晴は目をぱちくりさせたが、やがて何か思い当たったらしく、ぽんと手を打った。
「あー、なんか昔、時計塔で事故があったって話は聞いたことあるなー」
 急にほっぽり出されてふてくされていた忍も、ああ、という顔をした。
「俺も詳しくは知らないけど、そんな話は聞いたことあるぞ。でも、七不思議とか、そんなレベルの話じゃないのか? よくあるだろ、そういう根も葉もない噂って」
 至極現実的な忍の言葉に、晴はやれやれ、といった様子で両手を広げてみせた。身振り手振りがやけに大袈裟なのも、晴が、ハーフだからなのだろうか。苺火のお母さんにもちょっとだけそんなところがあるのを思い出し、苺火は思わずくすっと笑った。
 蜜蜂たちは、元気でやっているだろうか。
 ──泣いては、いないだろうか。
「忍ってホント、頭カッタイよなー。ロマンが足りねえよ、ロマンが。馬鹿のくせに」
「うるせー」
 晴の言葉が気に食わなかったのか、忍は大層むすくれたが、すぐに気を取り直して苺火の方に目を向けた。
「でも苺火、何で急にそんなこと言い出したんだ?」
 不思議そうな忍に、兼ねてからの疑問を何気なく口にしてみただけで、何の言い訳も考えていなかった苺火は途端に慌てふためいた。
「べ、別に大した理由はないんだけど、ちょっとそういう噂を小耳に挟んでさ。時計塔の正門側って立入禁止になってるし、何となく、気になっちゃって」
「む……そうか?」
 そんなに気になるものだろうかと、生真面目に首を傾げる忍の横で、晴は今にも椅子を吹っ飛ばしてしまいそうな勢いで、苺火の方にずずいと身を乗り出してきた。
「なになに? もしかして苺火ってオカルトに興味ある系!?」
「へ? いや、別にそういうわけじゃ……」
 予想だにしていなかった晴の食いつきに、苺火は狼狽えて、助けを求めるように忍を見た。
「苺火、こいつの言うこと真に受けなくていいぞ。晴のオカルト話は、一度はじまると止まんねえから」
 隣で忍が訳知り顔で溜め息をつくのに、晴は憤慨した。
「お前はそう頭がカタイから成績ワリーんだ!」
「お前みたいに頭のネジが数本ぶっ飛んでる奴がなんでそんなに勉強できるのかって方が、俺は不思議だよ……」
 それを皮切りに、またもはじまってしまった二人の応酬をよそに、苺火の意識は再び遠のいた。
 過去、時計塔で、死人を出したという〝事故〟──時計塔からの転落事故と考えるのが妥当な線だろうか。それも、事件ではなく事故して一般の生徒たちに語り継がれていることを考えると、これまでに得た情報と照らし合わせる限り、事故に見せかけた殺人だった可能性が高い。そして、真相の隠蔽に一枚噛んでいるのが二階堂鶫美の存在だ。直接手を下したのか、あるいは犯人に手を貸したのか、それは定かではないけれど。
 ──と、不意に膝の上にポトリと小さな紙切れが落ちてきて、苺火ははっと目前の現実に引き戻された。見れば、星野の後ろ姿が遠ざかっていくところだ。苺火は他の二人には気づかれないように、そっとテーブルの下で、小さく折り畳まれた紙切れを開いた。
〝二〇三〇、花園にて待つ〟
 綺麗でも汚くもない、素朴な筆跡の走り書きが、ノートの切れ端に綴られている。もうすっかり、見慣れてしまった文字だ。苺火が、ある一定の時間帯になると図書館に現れることに目敏く気がついた星野は、これまでにも幾度かこうして、苺火を呼び出したことがあった。花園というのはもちろん、花蝶館の花魚子の私室のことだ。訊けば、いつ、どこに、誰の目があるかわからないから、互いに何か話し合わなければならないことがある時の呼び出しは、原則的にこうした形で行い、話し合いを設ける場所も花魚子の部屋に限定するという。それからしつこいくらいに〝合言葉を忘れるな〟と念を押されたが、それに関しては既に耳にたこができるほど言い聞かされていたことだったので、軽く聞き流しておいた。
 それにしても、はじめて出くわした時の殺気がうそのような気配のなさだ。忍も晴も、傍らを星野が通り過ぎていき、ましてや苺火の膝元に走り書きのメモを残していったことなど、まるで気がついていない。
「──ねえ、忍」
 ふと、思い立って苺火は尋ねる。
「ん? なんだ?」
 相変わらず、晴を諌める手は止めず、忍は視線だけ苺火に投げて寄越す。
「忍ってさ、もしかして十三人兄弟だったりする?」
「え、なんで知ってるんだ?」
 忍は驚いた様子で、目を丸くして苺火を見つめる。
 苺火は、小さく息を飲む。

「女の人?」
 床に腰を下ろしたまま、苺火はベッドの上で胡座を掻く星野を訝しげに見上げた。いつもは星野兄妹がベッドで、勉強机の椅子が苺火の定位置なのだけれど、今日は花魚子も机に向かって試験勉強の真っ最中だったので、苺火は必然的に床の上となったのだ。花魚子はやはり、苺火にもベッドにかけることを勧めてくれたけれど、この日もどうにも気が引けて、丁重に断った。何度訪れても女の子の部屋というものは肌に馴染まず、苺火は妙に改まって、床の上に正座、という体勢で星野の話に耳を傾けていた。
「ああ。素性は一切不明。歳は二階堂と同じくらいかな。一つ確かなのは、女が月舘の教師じゃないってこと。そいつが、最近になってちょくちょく二階堂を訪ねてきてるんだ。厳密に言えば、見かけるようになったのは新年度に入ってからだから、今年の四月からになる。俺一人でもある程度調べはつけたんだが、何一つ手がかりになるようなものは掴めないし、一応、お前にも話しておいた方がいいと思ってな」
「そんなにしょっちゅう月舘に出入りしてるなら、生徒の誰かの保護者とかかなあ」
 苺火は首を傾げた。それ以外に、〝月舘にちょくちょく出入りできる部外者〟というものが思いつかなかったのだ。
「どうだかな。さすがに俺も全校生徒の保護者の顔までは把握してないし」
「……もし把握してたら、お前の情報網が僕はちょっと怖いよ」
 苺火がぼそりと洩らした言葉は華麗にスルーして、星野は話を続けた。
「だが、俺が見た限り、女と二階堂はどうも保護者と教師って感じの雰囲気じゃない。女と二階堂は薔薇園のガーデンテーブルを囲んで何か話してることも多かったから、何度か盗聴器をしかけてみたこともあったんだ。だけど、全部見つかってぶっ壊されてたから、外から会話の内容を探るのはひとまず諦めたんだが──、」
「お前、それ犯罪じゃあ……」
 苺火が思わず再び口を挟むと、星野はむっとしたような顔をした。
「〝犯罪者を知ることは犯罪を知ること〟──古賀のおっさんの言葉だ。あいつらだって、犯罪紛いのこと……っていうか、まんま犯罪やらかしてる可能性があるんだから、それを暴こうってんならこっちだって手段なんて選んでられるかよ」
「……そりゃ、まあそうだけど」
 言われてみれば確かにその通りなので、苺火は渋々頷いた。
 しかし、こいつは一体どこで盗聴器なんて物騒なものを仕入れてくるんだろう。未来の警察官の双子であれば、そういったルートにも精通していそうだから、彼女らの手を借りたのだろうか。それに、女と二階堂が薔薇園で話している場面を目撃したというのも、考えてみれば疑問が残る。西棟の屋上からなら、それも可能だろうか?
「でもさ、恋人とか、奥さんとかって線はないの? 二階堂先生の年齢なら、充分にあり得る話だと思うんだけど」
 気を取り直して、苺火は星野に話の続きを促した。
「二階堂は独身だよ。恋人ってのも、俺はそういうのはよくわかんねえけど、違うんじゃないかなあ。……たぶん。それに、例え恋人だったとしても、そう簡単に月舘の壁を越えることは不可能だ。物理的な意味じゃなくって、あの壁は分厚いからな。例え教師の家族だろうと、部外者はそう簡単にあの壁を越えられないんだ」
「そうなんだ……」
 月舘の徹底した部外者排除っぷりに、苺火は半ば呆れ、半ば感心してしまった。世界の果ての孤城というのは、あながち間違ってもいない感想だったようだ。
「そうだな……仮にもし、月舘の法をかいくぐって壁を越えられる部外者ってのがいれば、かつての事件の関係者とか、捜査に加わっていた警察とか、それくらいのもんだろう。──お前、本当に何も知らないんだろうな」
「しつこい」
 ぶすっとして切り捨てた苺火に、星野はぺろりと舌を出した。
「まあ、幸い古賀のおっさんがその捜査を管轄していたから、俺たちもいざとなったらそこを頼れるわけだけどな。──で、だ。俺が見かけたのは二階堂の居住スペースである裏門側から女が時計塔に入っていくところと、薔薇園であいつらが話してるところ。何つうか、俺が漠然とそう感じただけかもしれないけど、女の方が偉そうに見えた、かなあ」
 最後の方はやや自信なさげに、小首を傾げて星野は言った。
「その女の人が、外部から二階堂先生に指示を出してる可能性もあるってことだね」
「そういうこと」
 苺火の合点の早さに、星野は満足げに頷いた。
「あるいはバックグラウンドにもっと大きな組織がついてるって線も、否定はできないな。何たって、過去に死人を出してるくらいだし」
 星野の口から何気なく出た〝死人〟という言葉に、苺火は思わずぎくりと身を固くする。
「組織……もしかして、例の鳥の会ってやつ?」
「そうかもしれないな」
 星野は仰々しく頷いてみせた。
「あ、あのさ。一体何なの? 鳥の会って」
 苺火はおずおずと、兼ねてから疑問に思っていたことを口にした。それは、苺火が始業式の日に星野と口論になった時からずっと気になっていて、けれど訊きそびれていたことだった。星野は呆れたように頬杖を突いたまま、じろりと苺火を見下ろした。
「なんだ、お前まだ知らなかったのか? 壁や法の存在と同じくらい、月舘じゃ常識だぞ」
「どういうこと?」
 そう言われてもわからないものはわからず、苺火は途方に暮れて星野を見上げた。
「……お前にはまず、この学園の成り立ちから話した方がよさそうだな」
 星野は何事か思案するように腕組みをすると、如何にも物々しく、月舘の歴史を語りはじめた。
月舘小五郎(つきだてこごろう)。私立月舘学園の前理事長にして、創立者だ。ちなみに現理事長はその甥っ子である月舘三日嗣(つきだてみかつぐ)。──が、その姿を見た者は生徒じゃ誰一人としていない……っておいおい、そんなことも知らなかったのかよ? そっちの方が驚きだぜ」
 苺火の表情に驚愕の色が滲んだのを見て、星野はますます呆れの色を深めたようだった。
「──知らなくて悪かったな」
 苺火はますますぶすっとして、恨みがましく星野を睨んだ。転入してきてからひと月と少しは経ったものの、苺火はまだまだ月舘の生徒としては新米なのだ。しかし、星野は苺火の恨めしげな視線など意にも留めたふうもなく、しれっとして話を続けた。
「で、この月舘小五郎ってのがこの辺りじゃ有名な資産家だったんだが、かなり変わり者の爺さんでな。野鳥と本をこよなく愛していたが、大の子供嫌いで、生涯に渡って妻も娶らず、もちろん子供も作らなかった。それなのに、私立月舘学園の完成には並々ならぬ強い執着を見せ、財を惜しまなかったという。学園の創立後は、時計塔の奈落に手を入れて、理事長──すなわち王として、ひっそりと暮らした」
「それって、二階堂先生が暮らしてるあの……」
 苺火は、いつだったか屋上で星野に聞いた話を思い返していた。未だお目にかかったことはないけれど、既に幾度となく立ち入っている灰色の地下室から通じる、もう一つの扉の向こうに、二階堂鶫美の居住スペースはあるはずなのだ。
「そ。あいつは事件にかこつけて、王の玉座を手に入れたってわけさ。──ああ、ちなみにあの時計塔だけは、月舘小五郎が学園を創立する以前からこの地にあったものなんだ。今みたいに重っ苦しい煉瓦塀で囲まれてたわけじゃなくて、あの時計塔だけ、森の中にぽつんとな。明治時代に造られた建造物らしいんだが、程なくして村を焼いた大きな山火事によって、詳細な記録は失われてしまっている。時計塔の設立に携わった人間や、市や村の要人がこの火事で亡くなっていること、火事のあと村の人口が激減してしまったことなどが相まって、今となっては謎も多い。他に何もない田舎の村に、何故こんなにも立派な時計塔が構えられたのかってのも、謎の一つだな。──まあ、それは置いといて、」
 少々脱線してしまった話の軌道を、星野は元に戻した。
「月舘小五郎は喧噪を嫌って、野鳥観察に出かけるほかはほとんど部屋に籠もりっきりだったから、〝幽霊理事長〟なんて呼ばれてたらしい。だが、決して理事長としての役割を放棄したわけじゃなかった。学園の頂点に君臨する王として、お前も知っての通り、様々な法を定めたのさ。今にして思えば、月館小五郎は学園っていうよりも、自らの小さな王国か、あるいは箱庭を作りたかったのかもな。で、その法の一つに定められているのが、学園の理事会、つまり〝鳥の会〟についてだ。すなわち──、」
 星野はそこで勿体ぶって言葉を切り、朗々とよく通る声で言葉を紡いだ。
「鳥の会は理事長と、六人の理事会員から構成される。しかし、公に名を明かしていいのは理事長だけで、他の理事会員は顔はおろか、名前すらも明かしてはいけない。つまり、鳥の会はどこに潜んでるか何をやってるのか、全くもって正体不明の集団ってわけだ。ま、現状、理事会員どころか理事長さえも、生徒の前に顔を明かしてないわけだけどな」
「妙なシステムだね」
 苺火は顎に手をやり、考え込んだ。そこまで外界に対して固く閉ざされた鳥の会という集団は、確かに不可解だ。そういえば、始業式やなんかには、普通は理事長の長ったらしいお言葉が付き物だけれど、月舘の始業式ではそれもなかった。確かに、理事長──月館三日嗣という男は、生徒たちの前に姿を晒すことを意図的に避けているようにも思える。
 苺火の言葉に、星野は神妙な面持ちで頷いた。
「そう、妙なんだ。例え教師であっても、鳥の会の面々を知っているのはごく限られた人間に限ると聞く。たぶん、校長とか、教頭とかな。つまり奴らは平然と、俺たちの隣に潜んでいて、何食わぬ顔で壁の内側に常駐している可能性が高いのさ」
「僕、ちょっと怖くなってきたよ……」
 星野の言わんとしているところはつまり、苺火たちは二階堂だけでなく、学園そのものをも敵に回してしまった可能性がなきにしもあらず、ということだ。しかも敵は壁の内側の、どこに潜んでいるのか検討もつかないという。ふとした瞬間、背後に忍び寄られていて、ズブリとひと突きにされてもおかしくはないというのだから、苺火が恐れを抱くのも無理はないことだった。
 珍しく弱音を吐いた苺火を見て、星野は眉を吊り上げた。
「おっと! 言っとくが、今から逃げようってのはナシだからな。こっちは持ってる情報、既にこんだけ明かしてるんだから」
「逃げないよ!」
 苺火は憤慨した。いくら苺火が体力面ではからきしだからといって、一度首を突っ込んでしまったことからこんな半端なところで身を引くほど、意気地まで腐りきってはいない。それに苺火は、どちらかと言えばおとなしそうに見えて、負けん気だけは強い方なのだ。目前に立ち塞がる壁は高ければ高いほど、燃え上がってしまうタイプなのである。
「──俺が思うに、」
 星野は腕組みをしたまま、とっぷりと考えてから言った。
「二階堂鶫美は鳥の会のメンバー、もしくは鳥の会と何かしらの関わりのある人物なんじゃないだろうか」
 苺火は眉根を寄せた。
「教師の中に理事会員がいるってこと? それはちょっと、無理があるんじゃない?」
 校長や教頭の下に、実はそれ以上の権力を持つ者が潜んでいるなんて、現実的ではなく、些か考えづらい。しかし星野は、首を横に振って苺火の言葉を否定した。
「いや、いたとしても不思議はない。この学園だったら、生徒の目を欺くために多少のフェイクくらい入れてきてもおかしくないからな。表向きの権力なんてさして重要じゃなくて、絶対的なのは壁と法だけ。そういう場所だ。なんせ創立者が大の子供嫌いときてるし、その創立者と血の繋がりを持つ現理事長とやらも、どんな奴だか知れたもんじゃない。そして、学園内でちょくちょく見かける謎の女——そいつは八割方、鳥の会のメンバーなんじゃないかってのが、俺の考えだ。あくまでも、状況に基づく憶測に過ぎないけどな」
「なるほどね……」
 星野の言葉とは別のところで、苺火は妙に納得していた。始業式の日、星野が苺火に言ってきた〝身内に鳥の会の関係者がいるのではないか〟という言葉の意味するところがようやくわかって、やっと気分がすっきりしたのだ。
「……一つ、提案がある」
 暫くの間があって、思い立ったように星野は言った。
「何?」
 なんとなく、嫌な予感を覚えつつも尋ねると、星野は悪い顔をしてニヤリと笑った。
「外からが駄目なら、中から探りを入れてやるっていうのは、どうだ?」
「……マジで言ってんの?」
 苺火が呆れた眼差しを向けると、星野はおどけて肩をすくめてみせた。
「マジもマジ、大マジだよ。外では警戒を怠らないあいつらも、二階堂の私的な居住スペースに盗聴器を仕掛けようなんて馬鹿がいるとは、さすがに考えつきもしないだろ」
 苺火は思わず眉をひそめた。二階堂の居住スペースに盗聴器を仕掛けるということは、つまり二階堂の留守を狙って、彼の私的な領域に忍び込まなければならないということだ。いくらなんでも危険過ぎる、と思った。
「でも、危険だろ? そんな機会なんて、都合よくあるのか?」
 声音は覚えず厳しいものとなったが、星野の態度は飄々としたものだった。
「確かに危険が伴う懸けだが、俺に考えがある。それに、二階堂はお前に目をつけてるみたいだったから、放っておいてもそのうち動きがあるかと思ったんだけど、あれ以来何も仕掛けてこないしな。だったらこっちから動くしかねえだろ」
「僕は撒き餌かよ……」
 ぞんざいな扱いに苺火は不服を漏らしたが、
「そんなようなものだな」
 と鼻で笑う星野に軽くあしらわれてしまっただけだった。
「決行は試験が終わったその日の夜、夕食後だ。早めに晩飯を済ませて、一八三〇(ヒトハチサンマル)には花園に集合。教師たちは試験後の処理に追われて大忙し、日の高さから言っても見つかるリスクは低い。これまでの経験則からすると、二階堂も試験後、その時間帯は時計塔の居住スペースじゃなく職員室にいるはずだ。これ以上はないってくらいのチャンスだぜ。念のため、俺は職員室に二階堂が留まっていることを確認してから花園に向かうよ。でもって時計塔に着いたら、転校生、お前を戸口に見張り役として立てて、そのあいだに俺がよさそうな場所に盗聴器をいくつか仕掛ける。最悪、職員室から帰ってきた二階堂に見つかっちまったとしても、幸いお前はあいつに目をつけられているからな。高等部教諭であるあいつに近づく口実もばっちりってわけだ。お前が適当に足止めをしてるあいだに俺は講堂側から逃げて、お前も逃げられるようにまたその辺の窓でも割ってやるから、その辺は案ずるな」
 星野の説明に、うん、うん、と頷きながら、ふと、苺火は落ち着かない心地になった。苺火が度々小鳥の少女の元を訪れていることは星野にも話していないし、この様子だとおそらく気づかれてもいない。小鳥の少女が白痴であること、自身が度々あの地下室を訪れていることを星野に話すべきか、苺火の心は一瞬迷ったのだ。
「──と、その前に、まずはテストをクリアしねえとなあ」
 しかし、不意に星野がうんと伸びをして、そんな呑気な──二人の置かれている現状からすれば、とても呑気な──ことを言ったので、すっかり話を切り出すタイミングを逃してしまった。
「星野も意外に、勉強はちゃんとするんだな」
 星野の見せた意外な一面に、苺火は思わず笑った。星野はそのままばったりとベッドに仰向けに倒れ、腹立たしげなジト目で苺火を睨んだ。
「ったりめーだろ。月舘の秘密を暴く以前に、落第して、壁の外に閉め出されてたら話になんねえよ。……まあ、お前は優等生っぽいから、そんな心配ないのかもしれないけど」
「お兄ちゃん? あんまり危ないことしちゃ駄目よ?」
 ふと、花魚子がノートに鉛筆を走らせる手は止めないまま、横からのんびりと口を挟んできた。
 自分の兄がこうした厄介事に首を突っ込んでいるのを、花魚子は知っていた。星野と苺火が部屋に陣取って物騒な話をしていても、花魚子はいつもおっとりとしたペースを崩さない。今日だって、二人の会話を背に平然と試験勉強を続けていたし、こう見えて案外、肝の据わった性格なのかもしれない。何せ花魚子も、あの古賀姉妹と親好が深いのだ。ひょっとしたら彼女も、その気になれば人間離れしたことを平然とやってのけられるのではないか──そう考えて、苺火はそら恐ろしく思った。女の子って、つくづく奥が深い。
「わかってるよ、花魚子」
 しかし次の瞬間には女の子という生き物へのそんな畏怖も忘れて、苺火は思わず押し黙った。花魚子にかける星野の声音が、自分へのそれとはあまりにもかけ離れていて、優しさと慈愛に満ちあふれたものだったからだ。
「──何だよ」
 沈黙と、食い入るような視線に気づいたのか、星野は気まずそうな顔をした。
「いや……星野ってさ、花魚子ちゃんにはデレデレでキモいよね」
 真顔で言われて、星野は暫し沈黙した。花魚子が、堪えきれずにくすっと笑う声が聞こえて、ようやく星野は、はっと我に返った様子で跳ね起きた。あんまりな言われように、咄嗟に何を言われたのか、思考が追いつかなかったのかもしれない。
「──いや、前から思ってたけど、お前、俺に対してだけなんか扱いが酷くね!? いつもつるんでるでっかいのとかちっこいのには物腰柔らかな営業スマイルで、そんなこと絶対に言わないだろ」
「うん、言わない」
「いい笑顔だな……」
 にっこりと笑う苺火とは対照的に、星野はげっそりとした顔をしてみせた。
「とにかく、試験最終日の夜だね。わかったよ。──花魚子ちゃん、試験前にごめんね。お邪魔しました」
「いいえ、桐島さんならいつでも歓迎ですよ。また、いらして下さいね」
 花魚子は振り向いて、おっとりと微笑んだ。本当に花魚子ちゃんが、この粗暴な兄に似なくてよかった、と苺火は心の底から思う。
 苺火がおもむろに立ち上がって窓のサッシュに手をかけたので、星野も急いでいつもの無愛想な顔を取り繕って、言った。
「ああ、腹拵えが済んだら花園で。合言葉を忘れるなよ」
「了解」
 いい加減、聞き飽きてきた〝合言葉〟という単語に内心嘆息しながら、苺火は窓を飛び越えた。何しろ星野は毎度の如く、合言葉を忘れるなと、しつこく苺火に念を押してくるのだ。
 斯くして作戦の決行は、多くの生徒たちを恐れおののかせる恐怖の中間考査の最終日へと、その照準を定めたのだった。
 ちなみに、日々その身に降りかかる様々な出来事に翻弄されながらも、毎日地道にコツコツと勉強を重ねてきた苺火にとっての中間考査は、周囲が大騒ぎするほどの大した脅威ではなかったことは、言うまでもない。
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