人との付き合いに必要なものってなんだろうか。
悩んだところで僕が解答を導けるわけもなくて。いつもの独りよがりな疑問はループ・ループ。
寮の自室で寝転がり、何をするでもなく高校時代の青春をただただ無為に過ごしていく。
三年になって一人部屋になった事を、八月の時期になって今更だが良かったと思うな。
といっても根詰めて勉強するためではなく、なんということない独占を得たからだ。一人の心地よさってのを、夕刻一人、僕は四畳半の空間で確かめる。
「眠……」
ごろごろ横になっていると、どうも眠気に襲われる。学校での課題も、自分で設定した今日分の受験勉強も、とりあえず終わっているしな……。だいぶ早いけど寝てしまおうか。
脳内会議で全会一致。僕は目を閉じた。
その矢先だ。部屋の扉が、ノックというか拳骨で殴られているんじゃなかろうかという、乱暴な挨拶に鳴いていた。
そんな常識に非がつくような行動をとる人間は、まあ、一人だけ心当たりがある。
ゆっくりと上体を起こす。キョロキョロ見渡してみたりするが、一人部屋には僕しかいない。となると、ノックの呼び出しは僕宛てか。
ん。わかってはいたけど。自覚した上での現実逃避ってやつも、いつものことだ。
もっとも。あいつからの逃避なんぞ可能なはずもなく、事態は常に退っ引きならない。
やれやれだ。重いわけじゃないけどノロノロと腰を上げ、僕は頭を掻きつつ扉へ向かう。
どうということない普通のドア。部屋の中にいる僕からは、押し開ける形になる。
蝶番を軸に右に回る扉を避けるように、左脇のほうにそいつはいた。
小柄な身体。長髪漆黒。スレンダーな体型を敢えて表現するなら、ちょいボンキュッキュッといったとこだろう。
僕と彼女との関係を述べるなら、彼女曰く常識人と朴念仁の一時停戦、僕曰く、同じクラスの僕と浴衣弐。
浴衣弐。浴衣弐‐夜空(ゆかたに‐よぞら)。
「どうした。何の用だ? 浴衣弐」
「な──。や、約束忘れたの渚くんあんた!」
とりあえずドアを閉めてみた。
はて。気のせいだろうか。浴衣弐の口から『約束』なんて単語が出たのは。
約束。状況的に考察して僕と彼女が結んだのだろう。自信ないけど。
もう一度ドアを開けた。そこには眉を詰め、お怒りのご様子の浴衣弐がいて、
「渚くんあんたっ! いきなり閉めるとはどういう了見な──」
「怒鳴るのもわかるがまあ待て。浴衣弐、まずは落ち着け。深呼吸だ。そう、吸ってー吐いてーリラッークス。やってみろ」
「やらないわよ。それより渚くん、約束の時間が過ぎてる件についてなんだけど」
正面、浴衣弐の険の色が濃くなっていく。どうやら結構に重要な約束だったらしい。でも僕にはさっぱりだ。
「その、非常に言い出しづらいんだが……」
「言ってみなさい。……言いなさい」
誘導から命令に言い直す彼女だった。
「じゃあ単刀直入にいくが、約束ってなんの?」
「……は?」
浴衣弐は、信じられないと口をパクパクさせる。愕然の表情は次には困惑か焦りかに変わって、いつもの彼女からじゃ想像不可能な、らしくない弱気な声で、
「夏祭りの約束……ほんとに覚えてないの?」
「えっ、えーとだな」
夏祭り。僕と浴衣弐が? あーっと待て待て。落ち着け、落ち着けよ。まずはあれだ、ひとまずここ数日間の記憶を総動員。
昨日は気が乗ったから学校の図書館で自習して一昨日はずっとこの部屋で……。いや、そもそも、そんな人が混みそうなイベントへの参加を僕が表明するはずがない。やっぱり浴衣弐とそんな約束した覚えは……あった。
「あ」
あー。思い出しました。
「……夏祭り。だったな、そうだった」
「そうよ。六時に私の部屋に来てっていったのに。……結局私から来ちゃったじゃない」
そう呟く浴衣弐は、やや視線を下げている。万華鏡みたくコロコロ表情色が変わるやつだ。いまはどうやら拗ねているらしい。細かい判別はできないが。
んー、としばらく僕は悩んだ。二秒くらいじっくり悩んだ。悩んだ末、
「悪かった。今から着替えるから中で待っててくれ」
「着替えるのになんで中なのよっ! 変態っ!」
なぜだか怒鳴られドアを閉められた。
○●○●
夏の夜。陽が長い時期とはいえ、七時を回るとさすがに空は夜に染まる。とはいえ僕と浴衣弐の左右には屋台が立ち並び、電球の明かりと店員の熱気が祭りを盛り上げている。
個人的には、こんな人が多い蒸し暑い場所での夕涼みは望むところではないのだけれど(涼めないし)、かき氷で涼を採れるのは幸いといったところか。
祭り独特の賑わいの中、浴衣弐は少し間をあけて僕の隣を歩いている。抹茶味のかき氷を頬張る様子には、なんというか嗜好が表れてるな。渋い。
と、僕は彼女の服装に目がいった。
浴衣弐は、その珍名字通りとはいかず普段と変わらないような私服姿(といっても何度も見たわけではないが)だった。特に期待していたわけじゃないけど、何故だか損した気分になる。
夜空の下、浴衣弐が浴衣を着ている図。名が体を表す、とはその時ならば的確なんじゃなかろうか。
まあいいか。いっても、浴衣弐はそれこそ敬遠するだろう。もったいない気もするが、その辺は他人の心の在り方だ。プライバシー領域を侵犯するつもりは毛頭ない。
てなことを考えている僕に、浴衣弐が話を振ってきた。
見上げる視線で、
「渚くん。どこか腰掛けられる場所で、座りながらそれ食べない?」
それ、と浴衣弐が代名詞で示すのは、僕の左手首に引っかけてある袋の中身。二人分の焼きそばと焼き鳥だ。
「しかしこんだけ人がいて、座れる場所なんてあるのか?」
「えっと……ほら、あっちの方」
あっち、と代名詞で浴衣弐が示すのは、花火を近くで見るために設けられたスペースで、主催者の計らいだろう、ブルーシートが敷かれていた。
が、僕はかぶりを振る。
「人が多い。あんな窮屈なのは正直避けたいな、僕は」
「じゃあ他に案があるわけ?」
「そうだな……河川敷の辺りはどうだ? そんなに人数も多くないだろうし、花火もよく見えるはずだ」
浴衣弐は僕の案に賛同も反論もしなかった。ただ、シャクシャクと気持ちよい音でかき氷を咀嚼しながら、感心するような視線を送ってくる。
「渚くんあんた、花火見たいんだ」
いやいや。
「別にそういう訳じゃないが……」
「照れなくていいのに」
「照れてない」
「デレなくていいのに」
「間違いなくデレてはいない」
なんだか妙な会話だ。まあ、浴衣弐がこんな奴だから、過去の僕も夏祭りなんぞ行く気分になって返事などしたのだろう。まったく、物好きな過去の僕だ。
ともあれ。河川敷までの道すがら、僕らはゆっくりした歩調で歩きながら、色々と話をした。学校の事とか、友達の事とか、昨日の音楽番組の事とか、そして将来の事とか。
将来。高校三年生の僕らにとって、将来がどこを指すにせよ今が分岐点に違いない。
実をいうと、進路に関して僕はまだ何も決めていなかった。
就きたい職業はある。けど理想の職業と就職可能な職業とはやっぱり違いが生じてしまうわけで、今のところ勉強はしているが、果たして志望の学部に進めるものか。偏差値という他人との比較数字の結果は、夏現在、僕にとって喜ばしくない。
そんな言葉を聴いていた浴衣弐は、怪訝そうに眉をひそめていた。
「理想と現実が違うだなんて、戯れ言でしょ」
没頭していたかき氷を食べる作業を中止して、彼女はさも当たり前のように言ってくる。
「戯れ言って……そりゃ、それなりに頭いいお前からしてみればそうかもしれないが、誰にも通用するとは限らないぞ。それ」
「限るわよ」
浴衣弐は断言する。
「理想と妄想は別。理想なんだから、やっぱりそれを目指さなきゃ。渚くんは、現実と理想が今のところ一致しないから、泣き言をいってるだけよ」
「……そうなのか」
そうよ、と浴衣弐は頷いた。力強く、励ますように、しっかりと頷いてくれた。
「泣き言をいってる内は、まだまだ全力じゃないんだと思う。泣き言いう暇もないくらいに頑張ってみれば? だって、そうやって私に話すってことは、たぶん渚くんはまだ夢を諦めきれていないんだから」
「あ……」
ふと、錯覚に襲われる。なぜだか自信満々で胸を張る浴衣弐の姿が、僕と同じくらい大きく見えた気がしたのだ。
それは明らかに気のせい。けれど、気のせいであって気のせいでない。何とも例えがたい微妙な感覚。
変なやつだ。浴衣弐‐夜空。名前だけじゃなく、中身と雰囲気も。まるで僕の対極だ。
ふふん、と上機嫌に笑顔を滲ませる浴衣弐は、僕より一歩分前を歩いている。そして肩口で僕を見上げながら、自身について話し出した。
「私もね、夢あるんだ」
見つめと沈黙を、僕は促しとして返す。僕と浴衣弐が知り合ったのはごく最近だけれど、無言の意味を彼女はちゃんと理解し、続けた。
「叶うかどうかは相手次第だけど、やっぱり花嫁になること!」
一瞬言葉を失った。ええと落ち着け大脳あんど僕。どうにかこうにか冷静になり、浴衣弐の発言を数秒かかって理解した。
率直に感想をしてみる。
「小学生みたいだな浴衣弐」
「な、なんで? こう、スケール的にはこのくらい大きいことなんだよ。こ〜のくらいっ」
といって、フォローのつもりなのか両腕を目一杯広げる浴衣弐。その仕草がますます子供っぽいことは、ひとまず黙っておいてあげよう。僕が楽しむためだけれど。
しばらくすると僕の無反応に慌てたのか、いつもの強気な彼女はどこへやら、必死に腕を振りながらいかに花嫁が素晴らしいか結婚式はどういった式場がいいだとか子供は何人でマイホームは何色の壁が最高だとか、ひっきりなしに説明を加えてくる。
浴衣弐。それこそ理想でなしに妄想だな。目の前で具体例をありがとう。
○●○●
「おおっ。本当に人がいないじゃん渚くん」
「そりゃね。そのために選んだ場所だから」
祭り会場を川向こうに、橋を渡ってより離れた側の長堤。名前もよく知らない小さな草の茂りは、陰りに濃く月明かりに薄く、幽寂の一言に尽きる。
少し歩いて、おそらくは一番見晴らしがいいだろう地点に僕らは腰を降ろし、
「……」
「……」
互いに唇を結んでいた。顔を合わせ見つめ合うわけでもなく、遠く、さっきまで紛れていた祭りの騒ぎがある位置へ視線を絞り、もっと遠く、今度はその上空へ移した。鏡像のように二人揃って。
涼の、快い心地よい夜風が舞う。ふと隣りが気になった。
浴衣弐‐夜空。空気の流れに遊ばれる浴衣弐の髪は散るかのようで、ともすればこのまま夜闇に溶けていきそうで。僕に絡む際はやたら血の気が多いくせに、実は貧血体質の彼女が、儚げにみえた。
なぜだかね。不治の病でもなく、もうすぐ死んでしまうわけでもなく、少しだけ運動が苦手で、時たま朝会でぶっ倒れて、かなり体質に対する同情を嫌って、そのくせどうしようもなく誰かに構って欲しいだけの、大人の魅力も何もない、ありきたりな女子高生なのに。
「ねえ、焼きそば食べよう。焼き鳥も」
「そうだな」
あとは食欲も旺盛、と。
提案に沿って、左手の袋からガサガサと焼きそばのパックを取り出し、二つ重なった上のほうを浴衣弐に手渡した。
冷め気味のそれを、だけど嬉しそうに、彼女は開く。箸でごっそり麺をつかみ、そのまま口へ運んでいく。咀嚼、咀嚼、飲み込んだ。
追加の焼き鳥を手に取りながらその豪快な食べっぷりを観察している僕は、珍しく微笑を零した。どこまでも子供じみた奴だ、ほんと。
「あ」
と声をあげ、最初に気付いたのは浴衣弐だった。彼女が指差す空、そこには、
「花火か」
「うん。花火だ」
静寂の河川敷から、囃しの会場を経由して、向こうの空。
高々と火花が散っていた。輪を描いて広がる有色の光は、刹那、夜空に誇り咲く。証の音色は、距離の分だけ遅れて届く。
粒の輪は次第に数を増やしていき、波紋を重ね束ね連ね、大円から模様へと移り変わって、飾り、焼き付け、そして溶け消えて。
余韻を奏でるのはやはり音色だ。拡散したような低音の、遅れて耳を打つそれはまるで見送りの拍手。なのだろう。
「……そういえばさ」
呆然でも注視でも、その両方でも間でもなく、残滓とともに夏の匂いを振り撒いていく花火の群に目を奪われながらも、僕はそう切り出した。
「すごく今更な感じもするんだけど……」
「ん。なに?」
夜空への一発ごとに、その色を重ねる浴衣弐の瞳。その自然な笑顔と喜の色の声に対し、僕はちょっとだけ迷い、
「……楽しいな」
「そうだね。楽しいじゃん、夏」
妥当な発言に、妥当な返答。
ああ、我ながら情けない……。そんなことじゃなくて。言うべきも、想っていることも、本当は別にあるんだが。
『そういえばさ』『好きだから』
言えるなら、これが最良だったんだけどな。理想と妄想、か。
もう一度再び、僕は遠くを眺めた。さっきより少しだけ、ほんの少しだけ高い視線の高さで。
幾重の花火が彩る波の上、そこには、柔和な光で包まれる月が浮かんでいた。
静かに、だからこそ優雅に存在する満月は、限りなく完璧なものに思える。
僕は、自分らしくもない、まるで僕の対極が思いそうなことを、この時は胸に秘めていた。
まるで満ちた月の陰りの模様が、夜空の名を持つ女の子の横顔みたいだ、なんて、そんな僕に似つかわしくない例えを。
浴衣弐。それと僕。
彼女曰わく、常識人と朴念仁。僕曰わく、クラスメートの浴衣弐と僕。
渚の夜空。夜空の渚。
僕曰わく、想う人と受け入れる人。
さて、これはどっちだろう。妄想か、理想か。願わくば、現実であって欲しいけど。 |