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Wait for War, with the Pain

作者:デイリー
       
 私は死神を待っている。例えば夜、突然襲ってくる痛みに驚いて目を覚まし、ベッドから転げ落ちる時も。
 自身の絶叫でたたき起こされ、両足が何かに撃ちぬかれたように悲鳴を上げ、無様に床をのた打ち回って、それでも両手は床頭台の薬を求めて、まるで溺れているみたいに手を伸ばす。驚いた肺は空気を吐き出すのに必死で、新たな空気を全く取り込んでくれない。
 気づいた時には崩れるように洗面台によりかかり、息を荒げている。鏡に映った私は、自慢のブロンドの髪を滅茶苦茶に乱れさせ、頬も全力疾走した後のように上気させている。私の意志とは無関係に、目じりに涙が浮かぶ。錠剤が床に散乱し、暗がりの中で無機質に白い光を放っていた。私は薬を飲んだのだろうか。多分、飲んだのだろう。でなければ、自分から目を覚ますとは思えない。突発性の神経痛。操縦士になるための強化措置の副作用。発作は確実に頻回になっている。月に一度だったものが、週に一、二回になり、今では一、二日に一度は襲われる。もう少し、強い薬に変えてもらった方がよさそうだ。
 一錠一錠、薬を拾い集めている内に、意識が鮮明になってくる。寝間着が汗でびっしょり。時計の針は三時を指していた。頭は重いけれど、目はすっかり冴えてしまった。こういう夜は、もう眠れない。ひとしきり拾い終えると、私は枕元の資料に目を通して、今日の予定を確認した。機体調整と演習、データ収集。お定まりのメニューが並ぶ。出撃の予定は無い。
 ため息を一つつき、資料をたたむ。まずはシャワーを浴びて、それから何か適当にお腹に入れよう。昨日のシチューの残り、まだあっただろうか。
 頼りないほど細い両足には、まだピリピリとした痛みの余韻が残っていた。次に発作が来るのはいつだろうか。明後日か、明日か、それとも。一つ言えることは、この痛みは一生続くだろうということだ。いつかカガナハが、副作用が、あるいは別の何かが私を終わらせるまで。
 けれどその前に、私にはやるべきことがある。一年前のあの日が、あの忘れられぬ夜が、私にそう決めさせたからだ。
 その日からずっと、この痛みと共に、私は死神を待っている。


  Ⅰ


「突然なんだけどねぇ、シロ」
「うん?」
「あたしもうじき死ぬみたいなんだよね」
その日の夕方、ガレージに併設された資料閲覧用のテーブルでサンドイッチをぱくつきながら、夏樹はこともなげにそう言った。まるで、今日のサンドイッチあんまり美味しくないね、とでも言うように。
「ごめん、何言ってるかわかんない」
「だからね、死ぬんだよ。あたし。多分あと二、三か月くらいで」
 唇の端に卵とマヨネーズをつけながら、夏樹は続ける。
「こないだ、カーリガートのアーカイブに一日籠もってたじゃん? あの時にさ、同じ障害を持ってた操縦士の死亡済みカルテに片っ端から目を通して、今のあたしの状態と照らし合わせて、だいたいそんなもんかなって予測をつけたわけ。すごいっしょ? もちろん、戦闘で死んだ分は含まないけど」
 一日の予定をこなし、メンテナンスを終えた後のいつものおしゃべりの時間。担当官は示し合わせたように先に帰ってしまうため、私たちが羽を伸ばせる数少ない時間。だらだらしたその雰囲気を壊すことなく、夏樹は淡々と話し続ける。奇妙なことに、私はその事実を受け入れるより先に、こんな時になんと言えばいいのかと考えていた。友達が、自分はもうすぐ死ぬのだと言っている。そして、それは多分本当のことなのだ。夏樹はそんな嘘を言う子じゃなかったし、何より、私たちは操縦士なのだから。
「いや、すごいって言われても」
 なるほど、夏樹が死ぬ。死んでしまう。このおしゃべり好きで、一つ年上なのにどこか子供っぽくて、けれど時々すごく大人びた顔をする女の子が、私の前からいなくなってしまう。色が白いから、という理由で私を勝手にシロと呼ぶ女の子が、永遠にいなくなってしまう。けれど、操縦士と言うのはそもそも常日頃から死と隣り合せなのだ。今日どれだけ元気でも、明日戦闘が行われればそれっきりになってしまう可能性はある。それでも、私はとても悲しいと思った。それはきっと、夏樹の口から告げられたからだろう。夏樹にはそういうことを言って欲しくなかったのだ、私は。
 ふむふむ、と言いながら、夏樹は伸ばしっぱなしの前髪から夕焼け色の瞳をちらちら覗かせ、私を眺める。二の句が継げない私は黙り込むしかない。ひとしきり眺め終えると、夏樹は得心がいったように頷いた。
「いやー、良かったわぁ。いきなり泣き出されたらどうしようかと思った」
「良かった、って」
「正直さ、そんなに悲しくならないでしょ?」
 手にしたサンドイッチが不気味なくらい色を失って、けれど取り落とすわけにもいかず、私は彫刻のように固まるしかなかった。
 頬杖をついて夏樹が言う。瞳は前髪に隠れてしまったが、その口元は微笑みを湛えていた。
「実を言うとさ、あたしもなんだよね。なーんか、理解が追い付かないっていうかさぁ、そんなこと言ったって、どうせ明日にも戦闘で死んじゃうかもしれないし、ってさ」
 否定したくて、私は口を開こうとした。けれど、うまく言葉が出てこない。
「どうして、そんなことしたの」
「んー? ちょっとね」
 ようやく絞り出した疑問に、夏樹は紙パックからジュースをチューチュー吸いながら答える。
「何て言うかなぁ、前々からやりたいことがあったんだけど、どうにも踏ん切りがつかなかったんだよね。一人じゃ怖いってのもあったし。だから、何かに背中を押してもらいたかったのかも」
「夏樹のやりたいことって、何?」
 そう聞くと、夏樹は待ってましたとばかりに身を乗り出した。
「あたしさぁ、探してるものがあるんだよね」
「それって?」
「死神」
前髪がカーテンのように揺れて、その向こうの夕陽を覗かせる。綺麗なのに、もうじき暗くなることが分かっている光。いずれ沈むことが分かっている光。けれど、そこには冗談も迷いも無かった。
「脱走しようぜ、シロ。死神を探しに」
 サンドイッチの最後の一かけらを口に放り込み、夏樹は手を差し出した。私より一回り大きい、けれど細くてしなやかな手が、私に向けられている。
 脱走。それが意味するところを思い、心臓が鳴る。脱走。逃げること。でも、何から? 担当官から? 統治政府から? リア・ファルの中でそんなことができるわけがない。まして、私たちは操縦士なのだ。カガナハと戦うために生まれ、そのために生きているのだ。
 それに、死神を探す、とは一体何を指すのかも分からない。あやふやで、場当たり的な提案。
 なのに。それなのに、何かを考えるより先に、私はその手を握り返していた。予感がしたのだ。夏樹の手を握るのは今しかないのだと。そうしなければ、私はきっと後悔することになるのだと。
 折しも作り物の夕陽は沈みかけ、リア・ファル艦内は宇宙が本来持っている暗闇に包まれつつあった。夜が始まるのだ。もう二度とやってこない、今日と言う日の夜が。


 およそ6400年前、人間が正体不明の怪物『カガナハ』に地球を追われて以来、故郷であり、新天地への箱舟でもある、境界面航宙艦『リア・ファル』。それが、私たちが住む世界の名前だ。ジアド粒子という未知のエネルギーを用いて浮かぶ、人類最後の希望。そして私たちは、リア・ファルに襲い来るカガナハと戦うために生まれたロボット兵器、強襲機動装甲『エアゲトラム』の操縦士だ。統治政府曰く貴重な戦力であり未来への希望である私たちは、教育担当官に一対一でその心身状況を管理されなければならない。だから、担当官の許し無しで勝手な行動をすることは本来、許されることではない。少なからず担当官への好意を持つようになっている私たちは、滅多なことではその意に反するようなことはしない。
 それなのに私たちは、普段ならとっくに宿舎に帰らなければならない時間に、操縦士だけで出歩いているのだ。見つかればどうなるだろうか。考えたことも無い。
 夜間帯用の薄暗い照明が作る人口の夜の中、私たちは路地を駆けた。エアゲトラムの整備エリアを抜け、企業のビル群と工場が立ち並ぶ工業エリアを走る。明りの絶えることの無い工業施設。排気熱で常に生暖かい風が吹くこのエリアは、夜だろうが昼だろうが、常に真夏のような熱気に包まれている。何もかもが作り物のリア・ファルの中にある、人口の夏。
 夏樹の背中が揺れる。一つ結びにした後ろ髪が、操縦士服の上から羽織ったジャケットで跳ねていた。ぎこちない、小鹿のような走り方。夏樹の身体能力は決して高くない。その気になれば、私はあっという間に彼女を追い抜かせる。
「ねぇ、どこ行くの?」
「そうだねぇ」
 大通りの交差点で立ち止まると、夏樹は振り返った。大した距離を走ったわけでもないのに、額には玉のような汗を浮かべている。
「どこ行こう?」
「見当もつけずに飛び出してきたの?」
「そりゃ、ねぇ」
 夏樹はこともなげに言う。
「死神がどこにいるかなんてわかんないし」
 死神。後ろを走りながら、その言葉が意味するものを、私はいくつか思い浮かべていた。それは例えば、一緒に出撃した僚機がことごとく沈みながらも、一人だけ生還した操縦士を揶揄するものだったし、時には、担当する操縦士を早期にことごとく死なせてしまった担当官を指すものでもあった。そしてもちろん、終末期に差し掛かった操縦士に訪れるものでも。
「でも大丈夫、作戦がある」
「夏樹が言ってる死神って、何?」
 膝に手をつき、肩で息をする夏樹。ちゃらんぽらんなことばかり言うその顔は、いつも余裕ぶった微笑みを浮かべている。
「いやー、実は、私にもよく分からないんだよねぇ」
「はぁ?」
「でも、確かにいるよ。それは間違いない」
 何に得心がいったのか、うんうん、と夏樹は頷く。
「ねえ、本当なの?」
「何が?」
「夏樹が、もうすぐ死んじゃうって話」
「信じられない? 確かめてみる?」
 夏樹は背後の建物を指さす。入口に、十字を模った象徴的なマークが掲げられている。無機質に立ち並ぶ企業のビル群だが、それでも7大企業ごとに特徴はある。夏樹が指さしたのは、その一つ、カーリガートのものだ。私たち操縦士に提供される医療技術と、クローン技術の担い手。操縦士のメディカルチェックも治療も、ここで受けるのだ。夏樹が自分のカルテを見せようと思えば、簡単に確認できるだろう。でも、そんなことに何の意味があるというのか。
 私は首を振った。夏樹は冗談を言うけど、嘘は言わない。嘘を言って、友達を悲しませるような子じゃないと、私は知っていた。
「このこと、クロには言ったの?」
「あー、言ってないなぁ」
「あの子、きっと怒るよ」
「やっぱりそうかなぁ、私ら二人だけで脱走だもんねぇ、置いてきぼりにされちゃったら」
「そうじゃなくて!」
「分かってるよ」
 困り顔で言う夏樹は、流れ落ちる汗を拭い、ようやく息を整えていた。
「でもさ、クロまで巻き込めないよ。あの子の担当官怖いし」
「そりゃ、そうだけど」
「何に巻き込めないんです?」
 瞬間、私と夏樹はほとんど反射的に振り返っていた。ボブカットにした短い黒髪の下から、真っ黒な瞳が私たちを見上げている。操縦士服の上からブラウスを着た、小柄な身体。夜の暗がりに溶け込んでしまいそうな小さな女の子。
 クロハ。以前、僚機として出撃して以来、仲良くなった操縦士だ。と言っても、この子はとても物静かで、ほとんどは夏樹からの一方的なコミュニケーションがとられているだけだったけれど。クロ、というあだ名も、髪と瞳の色が黒いから、名前をもじって夏樹が付けたものだ。
「二人とも、操縦士だけでこんな時間に何をしてるんです?」
「あー、メンテ帰りにね、その、ちょっと寄り道」
 さも何でもないことのように、熱いねー、と言いながら裾をパタパタさせる夏樹。
「先ほど、脱走、と言っていたのは?」
「いやだなぁ、冗談だよ冗談」
 吸い込まれそうなほど黒い、小さな瞳が夏樹を見つめる。周辺視野拡張処置を受けているせいで、クロの眼球は全く視点が動かない。はた目には、じっと見つめ続けられているように見える。
「それにしては、随分急いでいるように見えましたけれど」
「あんた、どこから見てたの?」
「メディカルチェックルームに併設されている展望室からです。お二人が顔を上気させて走っているのを、私が見たので」
 クロハはいつもどこか調子はずれと言うか、独特な喋り方をする。操縦士に特有の精神障害か、言語障害によるものだろう。別段、コミュニケーションに問題があるわけでは無い。私も夏樹もとっくに慣れっこになっていた。
「あー、そうか、あんた目はすごく良かったもんねぇ」
 夏樹は降参だ、とばかりに両手を上げた。
「降伏して頂けたのなら、私の要求に応えて下さい、夏樹さん」
 夏樹はしかたないなぁ、と肩を竦めた。
「どうしても探したいものがあってさぁ、担当官のとこ抜け出してきちゃった」
「探し物ですか。それは?」
「死神」
 にへら、と笑いながら言う夏樹。対照的に、クロハは表情一つ変えることなく、じっと夏樹の顔を見つめている。
「なるほど。私は分かりました」
 やがて、クロハは小さく頷いた。一体何に納得したのか、それともこの子なりの遊び心だろうか。
「面白そうです。私もついて行きます」
「クロハ」
「担当官なら先に帰りました。今なら私はフリーです。フリーダムです」
「いよっし! じゃあ、クロも一緒に来い!」
 本当にいいの? 私がそう言おうとした矢先、既に夏樹はクロハの手をとっていた。小さな手を握り、ぶんぶんとおおげさに振り回す。とても楽しそうに。蒸し暑い夜、ビル群の明りだけが、私たちを照らし出していた。
 聞いたことがあった。私たちくらいの年齢の、操縦士で無い子供たちは、探検をするのだと。旧市街の路地裏を走り回り、基幹昇降機でひたすらに上り続け、時には企業庁舎に忍び込む。それは主に男の子たちの遊びだった。けれど、私たちにできない道理は無いのだろう。私たちは男の子よりずっと強いはずだから。
「私たち三人で、死神探しだ!」
 私とクロの手を万歳するように掲げ、夏樹は高らかに宣言した。


  Ⅱ


 私たち二人の手を引いて、夏樹は進む。にじんだ汗をものともせず、夜の市街をメインストリートに向けてぐんぐん歩く。私は隣を歩き、クロは半ば引きずられるようにつんのめりながら、それでも私たち三人は止まることなく歩き続ける。
私たちを引っ張るのはいつも夏樹だった。物静かで今一何を考えているか分からないクロと、時折襲い来る発作を恐れて何事にも消極的な私を、持ち前の明るさで半ば強引に、けれど自然に、新しい世界に連れて行ってくれた。ご飯が美味しいお店、穴場の映画館、海洋保存区へ無断侵入するための抜け道。彼女に教えてもらったことは、数えきれないくらいある。だから、私の手を引くその背中が、もうすぐ無くなってしまうのだとは信じられなかった。
 小一時間ほども歩いただろうか。リア・ファルの中でも特に賑やかな繁華街に差し掛かったところで、夏樹は足を止めた。
「さて、御一行様ごとうちゃーく!」
 誰ともなしに宣言して夏樹が指示した場所は、リア・ファル内でも最も規模の大きなショッピングモールだった。立ち並ぶ商店には、食料品や雑貨など日用品を扱う店はもちろん、ブティックショップや、人気のブランドを取り扱う服飾店なども存在している。灰色一色の無骨なガレージや、真っ白な病室ばかりで過ごす私たちには、普段滅多に目に出来ない、煌びやかな光景だ。
「ではここで、あたしからみんなにプレゼントがありまーす!」
 じゃじゃーん、と口で言いながら夏樹が取り出したのは、支払済みの使い捨てカードだった。
「それ、どうしたの?」
「んー、ちょっとね、担当官から拝借」
 悪戯っぽい笑みを浮かべ、夏樹は私たちにカードを数枚ずつ握らせる。額面を見た瞬間、私は思わず悲鳴を上げそうになった。
「ちょっと夏樹、これ!」
 カード単価は一枚1万ルアド。一人あたりざっと見て、7~8万ルアド分はある計算になる。三人合わせれば、新米担当官の一月分の給金が丸々吹き飛ぶ額だ。
「これは、私も驚いています。私は贅沢です」
 心なしか、クロも目を白黒させている。
「さー皆の衆、これから行うのは陽動作戦だ!」
「陽動作戦?」
「そーとも。これから買って買って着まくって、綺麗になって、死神をおびき寄せるのだ!」
 唖然とする私を余所に、腰に手を当て、得意げに言い放つ夏樹。
「おー!」
 聞くが早いが、クロはとてとてと小走りに服飾店へと駆けこんでいく。こういう時のクロは妙に行動が早い。抜け目が無いとも言うのか。
「夏樹。これ、どういうこと」
 クロの姿が見えなくなったのを確認してから、私は手の中のカードを扇子のように広げた。
「ん~? シロってば死に金は受け取らない主義かな?」
「やっぱりそうなんだ」
 夏樹の胸元に、カードを押し付ける。
「いらない」
「堅苦しいこというなよ~」
「これは、夏樹が戦って手に入れたものでしょ!」
 思わず語気を荒げてしまう。買い物客が数人立ち止まり、何事かとこっちを見ていた。
「そうだよ。だから、あたしが何に使おうが勝手じゃん?」
「私、こんなの欲しくない!」
「いいじゃん」
 カードを突き返す私の手を、夏樹が握る。前髪が揺れて、夕焼け色の瞳が覗く。
「楽しくやろうよ。こんなチャンス、きっともう無いよ?」
 私はそれ以上何も言えなかった。もっと他に言いたいことがあるはずなのに。何か言わなくちゃいけないのに。私はただ拗ねたように口を曲げることしかできない。
「シロ」
 うつむいている私の頭に、夏樹の手がのせられる。そのままポンポンと、私の頭を撫でる。柔らかい指先に包まれて、少しくすぐったい。
「あんたは良い子だね。でも、付き合ってくれると嬉しいんだ。こういうの、夢だったからさ」
 そう言って、私に微笑みかける。夏樹はずるい。いつも、私の気持ちを先取りする。そうなると私は何も言えなくて、けれど不思議と安心してしまう。
「お二人とも、何しているのですか。私は待っています。待ちきれません」
 ぐちゃぐちゃした気持ちを持て余して黙り込んでいると、服飾店の店先からクロが顔を出した。見ると、野暮ったいブラウスは脱ぎ捨てられ、小さな身体を黒いフリフリが包んでいた。頭からつま先まで、全身が柔らかそうなフリフリに覆われていて、てるてる坊主みたい。
「おー、クロ可愛い! 似合う!」
「まだたくさんあります。私は着ます。たくさん」
 得意げに胸を逸らしてポーズをとるクロ。
「いよっし、じゃああたしらも突入するとしますかー」
 腕を振り上げて後に続こうとする夏樹。
「ねえ、死神探しってこれでいいの?」
「もっちろん! 真剣にやってよーシロ。重大な任務なんだから!」
 言いながら、目をキラキラさせて店先に突進していく。私はため息をついて、肩をすくめて、夏樹について行く。
 私はいつも、そうして夏樹に甘えていたのだ。今までずっと。


 どれくらいの時間が経っただろう。服飾店からブティックショップ、アクセサリーショップと、思いつく限りのお店を散々まわり、身の丈にあったものから普段なら絶対に手に取らないような高価なものまで、両手の紙袋が一杯になるまで買い物をした私たちは、半ば抜け殻のようになって、転がり込んだ喫茶店のテーブルに突っ伏していた。並べられたコーヒーフロートはアイスが溶け切って、縁からたらたらクリームが垂れている。
「いやー、買いましたなぁ。贅沢しちゃったなぁ」
 夏樹が腕枕からのそりと顔を上げる。
「二人とも、何かいいものあった?」
 私はざっと買い物袋の中身を探り、∴マークを模ったキーホルダーを取り出した。リア・ファル七大企業の内の一つ、パトリキウスのものだ。
 リア・ファル内では、あらゆる産業は主要な七つの企業が担っている。日用品から医療品、食料品はもちろんだが、主要なものとしては、エアゲトラム本体や周辺武装の開発・生産を行っている。本体から武装全般まで、クセの無いパーツをまんべんなく開発している『SSA』、大口径火器に注力する『M.A.L.I』、連射力に優れた携行火器を手掛ける『ヴィーゲンリート』、ジアドアームズのお家元『C3』,ジアド粒子関連全般のエキスパート『パトリキウス』、実体ブレード専門の『我道』、医療技術とクローニング技術を手掛ける『カーリガート』の七つが、主要な企業だ。
 企業は操縦士に対しても大きな影響力を持っている。中には企業に所属する操縦士もいるくらいで、例えば夏樹はヴィーゲンリート所属の操縦士だ。企業には広報目的をかねて、アクセサリーや服飾のデザインを手掛けているところもあり、操縦士に人気のブランドも少なからず存在する。∴マークのパトリキウス製のものは、私のお気に入りだ。
「あー、シロのパトコレクションまた増えたの?」
「だって可愛いんだもん。パトリキウスのマーク」
 つぶらな三つ目が見つめてくるようで、私は結構好きだ。
「私はこれをいいと思いました。シンプルです」
 クロはと言うと、シックなデザインの髪留めを取り出していた。黒地にシルバーの紋様をあしらったそれには、よく見るとSSAのロゴが入っている。
「クロは相変わらず黒好きだなー。そんなにキャラを固めなくてもいいんだぞ」
「私はキャラクターではありません。私は私です」
「いや、そういうんじゃなくてさ。もー面白いなぁクロは」
 夏樹がクロの頭を撫でる。首をすくめるクロは、さながら縮こまる黒猫のようだ。
 いつもと変わらない、三人のやりとり。笑いながらクロを撫でる夏樹の横顔。死神探しなんて口実で、本当は、私たちと思い出を作りたかったのかもしれない。こんな時間がもうすぐ終わってしまうことが、私にはどうしても実感できなかった。理屈では分かっているはずなのに、私はずっと、三人一緒にこうして笑いあえるのだと思っていたから。
「夏樹、この後どうするの?」
 あまり同じ場所に長く留まっていると、今頃血相を変えて私たちを探し回っている担当官たちに見つかるリスクが高くなる。
「んー、そうだねぇ」
 言いながら、思案気な表情を作る夏樹。
 その時だった。チリン、という音と共に、お店のドアが開かれた。誰かが来店したのだろう。ウェイターの迎え入れる声が聞こえた。
 瞬間、夏樹の表情が変わった。おちゃらけた微笑みが消え失せ、瞳が前髪に隠れて見えなくなる。思わず振り返ると、統治政府の制服に身を包んだ壮年の男性と、私たちと同い年くらいの女の子が、ウェイターに案内されているところだった。きっと、どこかの担当官と操縦士なのだろう。操縦士の女の子は、栗色の髪をツーテールにしていて、くりっとした瞳がかわいらしい女の子だった。
「ごめん、もう出よう」
 静かに言い放つと、夏樹は突然席を立った。
「夏樹?」
「いいから、早く」
 紙袋をひっつかみ、そそくさと出口へ歩きはじめる夏樹。あの二人に顔を合わせないように移動しているようだった。
「ちょっと、待ってよ! 行こう、クロ」
 私はコーヒーフロートを啜っていたクロの手を取り、慌てて後を追う。外に出ると、夏樹が見たことの無い顔つきで店の中を見やっていた。引き結んだ口元。前髪に隠れた目元は窺い知れないけれど、悔しさと悲しさがない交ぜになったような感情が伝わってくる。
「知り合いなのですか?」
 何と声をかけていいか分からなかった私の代わりに、クロが口を開いた。
「うん、まぁね」
 夏樹はため息をついた。いつも大きく見えた背中が少しだけ頼りなく見える。
「二人とも、今日はどうだった? 楽しかった?」
「完璧です。私はとても喜んでいます」
 自信に満ち溢れた声でクロが答える。
「私も、楽しかった、よ」
 夏樹が何を考えているのかは分からない。けれど、私は今日を楽しいと思った。だから、迷ったけれど、私は思った通りのことを伝えた。
「そっかぁ、楽しいってこんな感じかぁ。これでいいのかぁ」
 顔を上げた夏樹は笑っていた。
「ごめんね、二人とも。本当はもっと楽しいとこ連れて行きたかったんだけどさ、やっぱりあたし、弱虫だ」
 目元を拭うと、夏樹の夕焼け色の瞳が見えた。真っ直ぐに、私たちを見つめていた。
「あたし、行きたい場所があるんだ。一緒に来てくれる?」


   Ⅲ


 基幹昇降機に乗った時の浮遊感が私は苦手だった。身体がまるごと浮かび上がって、足元が覚束なくなる感覚は、エアゲトラムに乗っている時を思い出す。頼りない地面の上で、一人ぼっちでいる自分がイメージされるからだ。
 夜の街並みの中を、下へ下へと降りていく。やがて地面を通り抜け、次の街並みが見え始める。階層都市であるリア・ファルでは、この昇降機が主な移動手段だ。
 昇降機に乗っている間、夏樹は一言も喋らなかった。壁によりかかり、どこか遠くを見つめているように、物思いにふけっている。こんなに寡黙な夏樹は初めて見た。私も、クロも、声をかけることはなかった。
 やがてリア・ファルの下層部に到着すると、夏樹は黙って昇降機を降りた。夏樹に続いて昇降機を降りると、上層都市に比べて一層暗い、古びた街並みが広がっていた。鉄骨がむき出しになったままのアパート、錆びたシャッターが下りたままの商店街。
 統治政府や企業の管理下にある住宅に住めない人たちの街。ほとんど名目だけの再開発指定を受け、放置されたままの居住区画。リア・ファルの居住圏の中でも最も下層に位置する場所、旧市街だ。操縦士や担当官はもちろん、一般市民も滅多に足を踏み入れる場所ではない。
 夏樹は全く臆することなく、暗い街並みの中へ足を踏み入れていく。その背中が、不意に暗闇に紛れて消えてしまいそうで、私は小走りになってその後を追った。クロはと言うと、全く意に介することなくずんずんと歩みを進めていた。
 小一時間ほども歩いただろうか。夏樹は古びたアパートの前で立ち止まった。5階建てのそれは、コンクリートがすっかり色あせており、門や柵はすっかり錆びついていた。誰も住んでいる様子などない。夏樹が門を押すと、錆びついた金属が擦れる嫌な音がして、ぎこちなく道が開いた。
「所々古くなってるから、気をつけて」
 そう言うと、夏樹は躊躇うことなく中へ踏み入り、外付けの階段をひたすら登り始めた。一段一段、足元を確かめながら、私たちも続く。夏樹は、どうしてこんな場所に私たちを連れてきたのだろう。ここに、夏樹が言っていた死神がいるのだろうか。それを見つけたとして、それから夏樹はどうするつもりなんだろうか。目の前の背中は何も言わない。ただ息を荒げながら、階段を上るだけだった。ぐるぐるとした思考を巡らせながら、一つまた一つ段差を上がる。長い間放置された埃の臭いが鼻をつく。夏樹はどうしてこんな場所を知っているのだろう。どうして、私たちを連れてきたのだろう。
「お疲れ様。着いたよ、二人とも」
 気が付くと、階段は終わり、古ぼけた鉄の扉だけがあった。ガリガリという音を響かせながら、夏樹が扉を開ける。先にあったのは屋上だった。錆と埃が積り、無造作にガラクタが置かれている。所々崩れた手すりから、旧市街の街並みが一望できる。決して良いとは言えない景色だったけれど、それでも、所々に生活の明りを見ることができて、この場所にもちゃんと生きている人たちがいることを思い出させてくれた。
 屋上の端っこ、給水塔の下まで行くと、どこに持っていたのか、夏樹は携帯用のライトを点灯させた。照らし出されたのは二組の椅子だった。塗装が剥げ、すっかり色あせてしまった白い椅子。夏樹は片方に座り、息をついた。
「ただいま」
 一言、そうつぶやくと、夏樹は抱えていた紙袋から何かを取り出した。サイダーの瓶、花柄のデザインされたお洒落なスカーフ、結婚式場に持っていくような豪華なネックレス、ヴィーゲンリートのロゴが入ったパスケース。取り出したそれらを一つ一つ大事そうに、もう一つの椅子に載せていく。最後に、一枚の写真を取り出し、それらの品々のてっぺんに載せた。
 暗がりの中目をこらす。旧市街の街並みを背景に、屋上の椅子に座る二人の女の子が映っていた。一人は夏樹。今よりもっと髪が短くて、あどけない顔立ちをしている。もう一人は、栗色の髪をした女の子。見覚えがあった。先ほど、喫茶店に入ってきた女の子。
「夏樹、」
「友達だったんだ」
 私が何かを言う前に、夏樹は口を開いた。
「同じヴィーゲンリート所属の操縦士でさ。歳も近かったから、何度か僚機として出撃する内に、自然に仲良くなってた。この子、旧市街生まれのナチュラルでさ。このアパートで生まれたんだって言ってた」
 ぽつりぽつりと、噛みしめるように言う夏樹。
「すっごいドジで、弱虫な子だった。自分を企業に売りとばした両親に会いたいって、ビービー泣いた時もあったっけ。ここは、あたしとその子の秘密基地だった。メンテナンスが終わると、終了時間をごまかして抜け出しては、ここに来てた」
 私は黙って聞いていることしかできなかった。思えば、私が出会う前の夏樹の話を聞くのは初めてだった。今まではどんなに聞き出そうとしても、頑なに教えてくれなかった。
「あの子は、ひょっとしたら両親が帰って来るかもしれないからって、この場所に陣取ってた。ここからなら、入口もよく見えるからって。でも、なんとなく気づいてた。あたしもあの子も、本気でそんなこと思ってたんじゃなくて、ただ二人でここにいたかっただけなんだって」
 クロもまた、真っ黒な瞳を向けて、黙って聞き入っている。大規模空調設備の余波が、生暖かい風になって吹き抜けてゆく。
「この子は操縦士としての技量は確かだった。強かった。あたしよりずっとずっと、たくさんのカガナハを倒してたよ。でも、3年前に」
「亡くなったのですか」
 沈黙を守りとおしていたクロの、唐突な、はっきりした声音が響いた。夏樹は静かに、ただ頷いた。
「今は、クローンが代わりに生きてる。でも、あたしが知ってるあの子はもうどこにもいない」
 写真に写った栗色の髪の女の子。夏樹と手をつなぎ、一緒にピースサインをしている女の子は、あの喫茶店の子と瓜二つに見えた。当たり前だ。クローンは、遺伝子情報はもちろん、記憶すらも複製することができる。そうして、優秀な操縦士の戦闘経験と戦力を保持し続けているのだ。それは、操縦士にしてみれば当たり前のことだった。私も、知識としては知っていた。けれど、それ以上のことは考えなかった。そういうものなのだと思っていた。
 けれど、私の友達がそうなったら、私はどう思うだろう? 例えば、夏樹が死んでしまった後、全く同じ顔で、同じ思い出を持った夏樹が現れたら。
 心臓が鳴る。ピリリと、両足に痛みが走る。そうなったら、きっと私は嬉しいだろう。嬉しいに決まってる。私をシロと呼ぶ夏樹が、そうやっていつまでも一緒にいてくれるんだから。
 でも、それなら。
 今ここにいる夏樹は、どうなるんだろう。夏樹の横顔。写真を見つめて、私の知らない表情をしている夏樹。私を引っ張ってくれる夏樹。
 知り合いの操縦士を亡くすのは初めてでは無かった。目の前で沈んでいく僚機を、何人も見てきた。その度に、私は空っぽを見た。空っぽのガレージ。空っぽのテーブル。空っぽの部屋。いつもの扉を開けて、声をかけようとしても、そこにもう誰もいない。空っぽがある。ただ空っぽだけが。その空っぽが、その人がいたということなのだと思っていた。
 けれど、もしそこが埋まっていたら。その人にそっくりな人が、その席に座っていたら。その空っぽが埋まっていたら。死んでしまったその人は、もうどこにもいなくなってしまうのではないだろうか。
 それはひどく、ひどく寂しいことなんじゃないのかと、私は思った。
「あの子は、勇気のある子じゃ無かった。死ぬまで戦い続けるより、生きたくて生きたくて、逃げちゃうような子。でも、それがその子だったはずなんだ。この世界のどこにもいない、その子だったはずなんだ」
 くしゃ、と夏樹の手の中で音がした。写真を握る手が震えていた。
「けれど、統治政府の広報には、その子は僚機を逃がすために玉砕覚悟でカガナハに挑みかかったって書いてあった。相打ちになったって。あたしには信じられなかった」
 英雄的な操縦士。統治政府の広報では時折、絶大な戦果や献身を果たした操縦士を称え、表彰する。そして、そんな操縦士たちはほぼ例外なく、クローンが作られる。
「あたしは、死神が連れて行ったんだと思ってる」
 夏樹が顔を上げる。前髪の向こうに、夕焼け色の瞳が太陽のように輝いているのが見えた。怒っているのか、悲しんでいるのかは分からない。けれど、夏樹のこんな目を見るのは初めてだった。
「シロ、クロ。私たちはカガナハと戦っているけど、もう一つ、何か得体の知れない大きなものとも戦わなきゃならないんだと思う。私たちが私たちであるために。あの子が言ってた。そういう戦いのことを、戦争っていうんだって」
 そこまで言い終わると、大きく息をついて、夏樹は立ち上がった。そのまま両手を大きく広げ、――パン! と叩いた。
「っさて、湿っぽいのはこれぐらいにしようかー」
 浮ついていた足元が急に意識されて、私は少しめまいがした。クロはと言うと、いつも通り全く視線を動かさないままだった。
「でも、夏樹、これからどうするの?」
「ん? あー、ごめんね。名残惜しいけどさ、そろそろ時間切れ」
 夏樹はにへら、と笑うと、階下を指さした。いつの間にか、アパートの入り口に二人の男女が立っている。柔和な笑みを浮かべている男性は夏樹の担当官。その隣で眉間に皺をよせている年若い女性が、私の担当官だ。私の担当官が、両手をメガホンにして何事か怒鳴っている。
「え、なんで、どうして!」
「あっはは、ごめんね。まー普通に考えてさ、担当官に隠れて脱走なんてできるわけないじゃん? 全部、事前に言っておいたんだよね。私の担当官にだけ」
 本日最高に悪戯っぽい笑みを浮かべて、夏樹が言った。そうして、呑気に階下に向けて手を振っている。
『こらーっ! さっさと降りてきなさーい! 出撃命令が出てるのよ!』
 私の担当官が、あらんかぎりの声で怒鳴っている。あの人も年頃のはずなのに、この容赦のなさは一体何なんだろう。
 夏樹はさっさと荷物をまとめ、踵を返した。私も慌てて後に続く。
「今日はありがとう、二人とも。ちょっとだけ、すっきりした」
「別にいい。こんなの、いくらでも付き合う」
 赤さびた扉に手をかけ、夏樹は一度だけ、もう誰も座ることの無い椅子を振り返った。薄明るい人口照明が、闇の中から二つの椅子を浮かび上がらせている。いつの間にか、夜明けの時間になっていた。人工太陽の朝が来る。作り物の朝が。
「でも、死神って、結局何だったの?」
「ん~、それはなぁ……あれ?」
 ふと、夏樹は周囲を見渡した。
「クロ、どこ行った?」
 慌てて周囲を見回すが、屋上のどこにも姿が見えない。
「先に帰ったんじゃない? あの子の担当官超怖いし」
「あはは、そうかもね」
 笑いあいながら、私たちは扉を開けた。今日という日の夜は終わって、また、新しい一日が始まる。最初から、どこにも行くことなんてできやしないのだ。私たちは操縦士で、ここはリア・ファルなのだから。だからせめて夏樹の最後の日まで、私が隣にいられますように。
 この時の私は、そう考えていた。まだしばらくは、今までと同じ日が続くと、無根拠に、信じていた。


       Ⅳ


 どんなに素敵な夜を過ごしても、またいつも通りの日常がやってくる。戦いの日が。
 リア・ファルのエアゲトラム発艦用カタパルトに、自分の機体――『インテレグナ』を接続させながら、私はいつもと同じように、これから飛び込む真っ赤な海を見下ろしていた。隣のカタパルトには、私の機体よりもよりシャープな夏樹の機体――『アンファング』が、既に接続状態で待機している。
 インテレグナは、SSAの標準機体ベースの中量二脚だ。取り回し抜群のライフル『PRAGMATER』と、射程の長いキャノン『SILVER FIRE』を装備した、クセの無い構成。私の技量で扱うには、どうしても安定性が必要だった。
 対してアンファングは、ヴィーゲンリートの標準機体をベースにした高機動型の中量二脚。瞬間火力に優れるアサルトライフル『WG‐Geige』と、重機関銃の『WG‐Klavier』を装備している。瞬間火力と機動力にモノを言わせて、短時間で対象を殲滅することを目的とした機体だ。今回の任務は、接近中のカガナハをこの二機でもって迎撃することだった。
 出撃前、私たちはお互い何も話さないことが多い。どうしても湿っぽくなるし、かと言って笑顔を張り付けて健闘を誓い合うつもりもなかった。ただ、帰ってから食べるサンドイッチの味をどうするかを提案しあう。私たちにはそれだけで十分だった。
 なのに、この時に限って、夏樹は通信を入れてきた。カタパルトから射出される直前、一言だけ、一方的に。
「シロ。祈ってて。あたしが戦争に勝てるように」
 次の瞬間、強烈な重力が私たちをシートに縛り付ける。超深度突入用のブースターが最大出力で点火し、私たちは放り出される。赤い海の底へ。


 個体名称、メトディウス。深度5で待ち受けていたそのカガナハは、ギザギザの鱗を纏った巨大な白い蛇だった。真っ赤なジアド海でとぐろを巻くそれは、竜巻のように高速で回転し、周囲に衝撃波を発生させている。あれに呑まれたらひとたまりもないだろう。
 けれど、私たちは負けない。負ける気なんて、毛頭ないのだ。
「いくよシロ。作戦通りによろしく!」
 たった一言の通信。それを最後に、アンファングが突撃する。次々と襲い来る衝撃波をジグスラストと慣性のみで回避し、竜巻の中心に迫る。白い光が、赤い渦を迷路のように潜り抜けていく。
 言葉は必要ない。私は『SILVER FIRE』を構えると、渦の切れ間に照準を合わせ、発射した。ジアド粒子で構成された実体弾が赤い渦の外縁に命中し、一瞬、隙間を作る。竜巻の間の晴れ間。その向こうに、咆哮するカガナハの白い身体が見えた。
 予想されていたよりずっと小さい。私たちのエアゲトラムの半分ほどの大きさしかない。恐らく、並みのカガナハより本体の防御力はずっと低いだろう。これなら。
「ばっちりだよ、シロ!」
 言うが早いが、アンファングが隙間に向けて突入する。渦が再展開されるまで、1秒もかからないだろう。けれど、あの機体ならやれる。夏樹のエアゲトラムなら。
 アンファングが二丁の銃器を向けた次の瞬間、無数の放火がカガナハの肉体に突き刺さる。『WG‐Geige』と『WG‐Klavier』のダブルトリガー。多少のはずれ弾をものともしない連射能力。夏樹が選び、使いこなしてきたエアゲトラム。
 夏樹は強かった。私よりずっと。きっと、あの子もそう思っていたのではないだろうか。
 やがて竜巻が赤い閃光に変わり、粒子の衝撃波があたりに伝播する。カガナハのドーンコーラスが、断末魔のように一際大きく響く。
 衝撃波が止んだ時、そこには銃器を構えたアンファングの姿だけがあった。
「終わったね、夏樹」
 私は無事戦闘を潜り抜けたことに安堵し、通信で呼びかけた。
 けれど。けれど、夏樹からの返事は無い。そこで気づいた。アンファングが、銃器の構えを解いていない。それどころか頭部カメラを上下左右に動かし、周囲を警戒している。
 他にもカガナハが? けれど、肉眼では確認できず、ドーンコーラスも完全に消失している。この深度宙域に、他にカガナハがいるとは考えにくい。なら、何故?
「ねえ、夏樹。どうした――」
 次の瞬間、私の機体に衝撃が走った。機体が悲鳴を上げ、楔を通して損傷度が伝達される。左腕全損。左腕が武装ごと完全に吹っ飛んでいる。
「シロ、右!」
 反射的にジグスラストし、機体を急旋回させる。私の機体の右側を、ジアド粒子の奔流が駆け抜ける。エスラ化ジアド粒子の光。再度ジグスラスト。慣性が消えない内に、『PRAGMATER』を構え、無照準で発射する。実体弾がジアド海に突き刺さり、粒子を弾き飛ばす。だが、攻撃の主の姿は見えない。
 続けざま、頭上から銃弾の雨が降り注いだ。アンファングが、ジアド海の赤い粒子の塊の中に、放火を浴びせかけている。右へ、左へ、銃身が焼け付くこともいとわないかのように。
「見つけた!」
 通信機から聞こえる夏樹の声。その時、私の視界にも映った。ジアド海の赤が揺らぎ、球体の光が輝く。赤い海が揺れ、蠢き、放火をはじいて。
 私はそれを見たことがある。ジアドスフィア。エアゲトラムに搭載された防御機構だ!
 赤い粒子が弾け飛ぶ。その空間に、赤いジアドスフィアに包まれた機体が現れた。周囲の色から浮かび上がり、その機体本来の色が現れる。赤い粒子の海に浮かぶ、黒いエアゲトラム。
C3のコア『NAD‐C』ベースの、軽量高機動機体。両腕に搭載されているのは、ジアドアームズの『Lmhft03』、通称『軽ラバダ』。速射性能に優れたジアドライフルだ。黒いエアゲトラムが、私たちに銃口を向けている。どうして。 
「シロ!」
 夏樹の声で我に返る。同時に、『PRAGMATER』を発射する。黒いエアゲトラムはジグスラストを行い、弾丸を回避していく。赤い閃光がジアド海に溶け込み、対象の特定を困難にさせている。私は混乱する思考を切り離し、銃口に意識を集中させ、偏差射撃を試みる。ジグスラストで追尾し、黒い機体をスコープに収めた。
「!」
 トリガーを引く。だがその瞬間、振動が右手を突き抜け、『PRAGMATER』が爆散した。あの機体の全景は捉えていたはず。なのに、何故? もう一機いる?
 今ので、私の機体は武装を全て失った。数的にも不利となると、非常に危険だ。
 通信装置のスイッチを入れる。夏樹に逃げるよう言うつもりだった。だが、その前に、夏樹が通信を発した。
「そうか」
 夏樹が上空から、黒いエアゲトラムに銃口を向けている。一切警戒を緩めず、続ける。
「あんただったわけね、死神は」
 黒いエアゲトラムは、慣性飛行を続けながら軽ラバダを構える。同時に、その声が聞こえた。
「何故、私が私だと分かったのですか」
 聞き覚えのある声。人違いだと思いたくても、とても間違えるようなことはない。
 クロハ。あの黒い瞳だけが思い浮かぶ。
 間髪入れず、アンファングが乱射する。クロハの機体はジグスラストとジアドスフィアを最適効率で展開し、銃撃を掻い潜る。
「その無駄の無さすぎる動きで分かった。視野拡張処置に加えて、回避行動のパターンがそのまんまなんだもん」
「クロ、あんたどうして!」
 今度は左足を振動が突き抜けた。ジアド粒子砲であることは間違いない。けれど、どこからのものか分からない。
「これは手続きです。あなたたちを無駄にしないために必要な。特に、近いうちに死んでしまうあなたの経験を無駄にしないために必要な」
 クロハの機体が、アンファングに軽ラバダを発射する。ジグスラストの軌跡を、ジアド粒子の奔流が駆け抜けていく。
「なるほどね。私が元気な内に戦闘して殺して、データを頂こうってわけ。ついでに、最後まで果敢に戦った勇敢な操縦士の一丁上がりっと」
「あなたには名誉も与えられます。それは幸せなことです」
「あんたさぁ、人の話聞いてたわけ?」
 アンファングが『WG‐Klavier』を構える。銃身はとっくに焼け付き、硝煙がジアド粒子に溶けていく。銃声と粒子砲の光、そしてジグスラストの閃光。めまぐるしく切り替わる景色の中で、高速の粒子の中で、三機のエアゲトラムが駆け抜ける。
「あなたは人類のために戦っているはず。なのに、何故それに反することをするんです?」
「御免だね。あたしは弱虫で、わがままで、いつだって逃げ出そうと必死だった。勇敢なんかじゃない。ふつーなんだよ。それがあたしなんだよ。人類のことなんてどうだっていい!」
 武装も無く、脚部スラスターも片方を失った私の機体は、回避行動に徹するしかない。けれど、この場を離れるつもりは無かった。疑問の答えを出す余裕はない。ただ、二人の機体を見ていた。いつも一緒にいた二人の。
 放火を浴びせかけるアンファング。銃弾ごと粒子に還元する、クロハの『軽ラバダ』。
「クロハ。あの子も、あんたがやったの?」
「私ではありません。しかし、同様の手続きが取られたと思われます」
「誰の差し金か、なんて、言うはずないよね」
 いつもと変わらないやりとり。けれど今、私たちはそれに命を懸けていた。
「私は寡黙です。あなたは知ってるはずです。夏樹」
 次の瞬間、アンファングの右脚部が吹き飛んだ。『軽ラバダ』は発射されていない。先ほどと同じ、見えない攻撃――その時、ジアド海に浮かぶ異物を、頭部カメラが捉えた。ジアド海に溶け込むように迷彩化された、浮遊砲台上の異物。エアゲトラムに搭載される自律兵器。
「夏樹! BdCt、3時の方向!」
「!」
 『WG‐Geige』が火を吹く。しかし、自律砲台はその小型さから、火器を命中させるのは至難の業だ。
「『分裂思考』! ちくしょう!」
 アンファングが翔る。連続ジグスラストで、機体の映像がぶれる。赤い海に残像を残して。
「だったらぁ!」
 アンファングが、黒いエアゲトラムに猛然と接近する。同時発射された『軽ラバダ』の一閃が、両手の火器を吹き飛ばす。それと引き換えに。
「つかまえたぁ!」
 アンファングが、黒いエアゲトラムの両腕に組み付いた。抱きしめるように、機体の可動部をホールドする。ジアドスフィアが干渉し合い、粒子が発光し、塵になって消えていく。
「私は分かりません、夏樹。あなたの強さは人間に必要です。クローンも用意されます。あなたの戦闘経験と、その勇敢さは、カガナハに対抗するために、人類のために有益なんですよ」
『BdCt』が、アンファングの背後に迫る。
「馬鹿クロ! どうしてわかんないんだよ! 我慢してたに決まってんじゃん。逃げたかったに決まってんじゃん。何でそんなことも分かんないんだよ!」
 アンファングが、がむしゃらにジグスラストする。夏樹の怒号に答えるように。ジェネレーターの限界出力は、とっくに突破している。
「戦闘が終わったらベッドにもぐりこんで、発作が来る度にガタガタ震えて、けど友達の前では恰好つけたいだけの、それが、あたしなんだよ!」
「そうですか」
『BdCt』の粒子光が収束し、狙いを定める。『インテレグナ』で割り込もうとするが、間に合わない。
「それが真実ならば、あなたは要りません」
「あたしはぁ!」
 その時だった。アンファングの腰部ハッチが展開し、内部から、補助腕と共に内臓火砲が展開される。クヴァルテットジステム。本来は弾幕密度向上のために展開される補助兵装。けれど、今の間合いなら。
「お前たちに必要とされたくなんてない!」
 ジアド粒子砲と、火砲が交錯する。直後、二機のエアゲトラムが、粒子光と爆炎に包まれる。
 二人の機体が崩れ落ちる。
 クロと夏樹、二人のエアゲトラムが沈んでいく。二人の友達が、赤い海へ消えていく。
 私は何も言えなかった。ただ、自分の悲鳴と、痛みと、明滅する赤い光だけが、鮮明に焼き付いていた。
 それが夏樹の終わりだった。誰も知らない、夏樹のたった一人の戦争の終わりだった。


 着替えを終え、簡単な朝食を取っていると、病室のドアがノックされた。
「アリーシェ、起きてる?」
「まだ寝てるわ、チトセ」
「あっそう。じゃあ、丁寧に起こしてあげる」
 ドアが開き、チトセが顔を出す。担当官制服がすっかり板についた彼女は、一年前よりも随分温厚になっていた。余裕が出てきた、とも言うのだろうけれど。
「今日の予定、分かってる?」
「当然。午前は演習、午後はメンテナンス。それが終わったら、チエのとこへ遊びに行く」
「何か一つ勝手に付け加えた気がするけど、よろしい」
 チトセが苦笑する。一日の始まりのこの変わらないやりとりが、私は好きだ。私が生きている限り続いて欲しい、大事な大事な日課。
「ああ、そうだ。チトセ」
「何?」
「私、あの子の名前決めたわ」
 長らく名前が無かった、私の新しい機体。何をつけようか悩んでいたけれど、あれから一年経ったのだ。なら、そろそろ始めたって良い。
 私は私だ。だから、他の誰でもない自分のために、戦わなければならないのだ。それがどれほど非合理でも。私の代わりに私を戦ってくれる人は、どこにもいないのだから。
 夏樹の戦争は終わった。だから、今度は私が始めるのだ。私の戦争を。私が私であるという戦争を。いつかカガナハが、副作用が、あるいは別の何かが、私を終わらせるまでの戦争を。
 私のエアゲトラムの機体データ。そこに、私は一つの名前を書き入れる。
「よろしくね、アンファング」

 
 今も私は、この痛みと共に死神を待っている。


                  Wait for War, with the Pain(了)

                          

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