十二章 どうしてこうなった。
リーラからの手紙の返信、お土産の購入、カトリアの意外過ぎる一面を見た、その日の翌朝。
まだ日の光が辺りに満ち始めるよりも前に、定期便の馬車に荷物が詰め込まれていく。
プリマヴェラから出発する時の朝と同じだ。
「配置は行きと同じく、ソルさん達のパーティが前方を。その他の方達が後方に。よろしいでしょうか?」
カトリアの指示の元、コントラクター達は自分達の役回りを確認して頷く。
その彼女の横顔を盗み見つつ、一真は「(もういつものカトリアさんだな……)」と声にせず呟いた。
昨日のあの、デザートスライムのぬいぐるみをぎゅっとしていたカトリアは、実は夢幻か何かではないかと思った一真だが、カトリアの荷物の中に一真が買ったデザートスライムのぬいぐるみの入った紙袋があるのを見ると、やはり本物のカトリア・ユスティーナその人であった。
確認を終えたところで、商人の代表者がカトリアに話し掛ける。
「ギルドマスター、荷物の積み込みが完了しました。いつでも出れますよ」
「分かりました」
カトリアの号令によって、コントラクター達は各々の馬車に入っていく。
その途中でカトリアと一真、ユニ、ソルの四人は、見送りに来ていたラズベルとイダスに向き直る。
「クヴァシルマスター、それとラズベルさん。三日間ありがとうございました」
カトリアはプリマヴェラを代表し、一礼する。
「なんの。礼を言うのはこちらの方です。あなた方のおかげでエスターテは救われた。本当に、助かり申した」
イダスは深く感謝の意を込めて頭を下げる。
「あたしからも礼を言わせてもらうわ。あんたさん達がいなきゃ、今頃どうなってたか。ありがとうね、カトリア」
ラズベルもイダスほど丁寧ではないものの、感謝の意を込めて頭を下げた。
イダスが頭を上げてから、ラズベルは一真に向き直る。
「カズマ」
「はい?」
一真に数歩歩み寄るラズベルは、彼の顔をまじまじと見つめる。
「……うーん、そうねぇ。まだまだ青臭いガキ、ね」
「え、は……?」
品定めをするかのように、ラズベルは一真を睨めつける。
しかしそこには怖気はなく、何かを確かめるようなものがある。
一真からすれば、カトリアとはタイプの違う美人に顔を近付けられて戸惑っているだけだが。
「でも素質はある。磨き上げれば、きっといい男になるだろうね」
「あ、ありがとうございます?」
少なくとも褒められているのだろうと思って、一真は戸惑いながらも頷いた。
だから、とラズベルは徐に一真の左横からさらに顔近付ける。
「これは、あたしからの"研磨剤"だ」
そうして――一真の左頬へ唇を浅く押し付けた。
「んなっ!?」
予想外なことをされて一真は驚愕し、
「えぇっ!?」
ユニも同じように驚き、
「おっと?」
ソルは意外そうに目を見開き、
「ッ?」
カトリアも動揺はしたもののすぐに立て直し、
「な、な、なんだと……!?」
この中で一番衝撃を受けているのはイダスだろう。
頬へのキスを落としたラズベルはパッと一真から離れる。
「今度会った時、あたしを口説けるくらいの男になっときなさい。そしたら、酒くらいは一緒に付き合ってやるからさ」
じゃね、とラズベルはヒラヒラと手を振りつつ背を向けて町の中へ消えていく。
暫しの間沈黙が支配していたが、いち早くカトリアが号令をかける。
「……では、そろそろ出発しましょう。各員、持ち場に着いてください。……クヴァシルマスター、お気持ちは分かりますが」
「む、う、うむ、そ、そうですな。では、またお会い出来る日を……」
最後にカトリアと(多分に動揺している)イダスが握手を交わしてから、定期便は出発していく。
持ち場の馬車の中で、一真はずっと左頬に手を触れていた。
「("アレ"は、一体どう言うつもりだったんだ……?)」
アレと言うのは、もちろん先程のラズベルによる頬のキスである。
そして、その後の「今度会った時、あたしを口説けるくらいの男になっときなさい」と言う言葉。
少なからず、ラズベルから好意を持たれていることは間違いないかもしれない。
「むーーーーー……」
ふと気付くと、対面にいたユニが不機嫌そうに頬を膨らませている。
「ユ、ユニ?そんな顔してどうしたんだ?」
声をかけた一真だが、ユニは口を尖らせてぷいっと顔を背けてしまう。
「べっつにー。ただ巨乳で美人なお姉さんにチューされてポケーってしてるカズくんの顔がだらしないなーって思っただけですー」
「そ、そんな顔して……る、な、多分」
そんな顔してない、と言いかける一真だが、その途中で肯定せざるを得なかった。
だらしないかどうかはともかく、ポケーっとしているのは一真にも自覚があるからだ。
「えぇ、全く注意力散漫ですね。いつどこで襲撃を受けるか分からないと言うのに、こんなことでは商隊を守りきれません」
それどころか、カトリアまで呆れたように一真を睨む。
言われようはひどいが、商隊を守る立場にあると言うのに注意力散漫では話にならない。
「す、すいません……」
軽く頬を叩いて気を引き締め直す一真。
「(カトリアさんに、リーラちゃん、ラズベルさん……ライバルは多いなぁ。……うぅん、カズくんのことだからこの先もしかしたら増えるかも……)」
ユニは、昨日のゴーレムとの戦いが佳境を迎えていた時のことを思い出していた。
自分を殴り潰そうとしていたゴーレムの死角から飛び掛かり、一刀の元に腕を切断してみせた。
そして、その後で動けなかった自分を抱きかかえて助けてくれた。
それはまるで、子どもの頃に読んだ童話のような、お姫様の窮地に颯爽と現れて悪者を蹴散らしてみせる王子様そのものだった。
惚れるな、と言う方が無理だ。
だと言うのに、先程にラズベルに頬をキスされてこのザマである。
むぅむぅと唸るユニに、一真はどうしたものかと戸惑うばかり。
商隊が中継拠点に到着し、一晩を明かしてから馬車を入れ替えて、また早朝に出発だ。
プリマヴェラと中継拠点との間は比較的危険は少ないため、行きと同じく襲撃を受けることなく、スムーズにプリマヴェラに帰還出来た。
荷物の積み下ろしを終えた頃にはもう夕暮れ時になっている中、今回の定期便の護衛として同行していたコントラクター達は集会所に集まっていた。
その彼らの前に立つのはカトリア。
「皆さん、一週間近くの間お疲れ様でした。予想外の事態にも見舞われましたが、皆さんの尽力のおかげで誰一人欠けることなく帰還することが出来ました。ベンチャーズギルドを代表して、感謝致します。この後は解散になりますが、忘れずに報酬を受け取ってからでお願いします。それでは、解散です」
答辞を終えるなり、コントラクター達は一気に気を抜いた。
報酬だけ受け取ってさっさと帰る者、ソル達のように早速散財して飲み食いをする者といる中、ユニは一真に声をかける。
「カズくーん、夕飯食べてから帰る?」
「あ、ごめんユニ。俺ちょっと寄るところがあるから」
「寄るところ?」
「ハミングバード。リーラにお土産渡そうと思ってさ」
それじゃ、と軽く手を振ってから一真は集会所を後にしていく。
それを見送るユニは「やっぱりライバルは多いね」と苦笑した。
旅の荷物を自宅に下ろし、戦闘用の装備から私服に着替えて、財布とリーラへの土産物を手に『ハミングバード』へ向かう。
とは言え今は夕食時で忙しいだろう。
リーラにお土産を渡して、夕食だけいただいたらさっさとお暇して、土産話はまた今度にするかと考えつつ、『ハミングバード』の戸を開けた。
「あら、カズマくんだったかな?」
意外なことに、厨房の中で立っているのは、ここの経営者――リーラが言うところの『女将さん』だった。
「お久しぶりです女将さん。さっき帰ってきたところで、リーラにお土産渡そうと思いまして」
手にした紙袋を見せる一真に、女将はカウンターから出てくる。
「あぁ、わざわざありがとうね。……でも、ちょっと間が悪かったかな」
「リーラは……どこかに出掛けてたり?」
だったら夕食がてら少し待たせてもらおうかと思った一真だったが、女将からの返答は予想と異なるものだった。
「あの娘、今ちょっと具合悪くしててね……部屋で寝かせてるの」
「そうなんですか?」
これもまた意外だった。
加えて、タイミングが悪かった。
「じゃぁ、リーラには「お土産買ってきたよ」って伝えてもらっていいですか?あ、もちろんここで食べていくんで……」
「んー、そうねぇ。せっかくリーラちゃんに会いに来てくれたんだし……」
ふと、何かを考えるように視線を泳がせる女将。
数秒の思考の後、ぽんと手を鳴らした。
「良かったら、顔だけでも見せてく?」
くしゅん、と毛布の中でリーラはくしゃみをした。
「ぅ〜……」
まだ熱が下がった感覚はしない。
昨日の夕方頃、エスターテにいる一真から手紙が送られて、明日の夕方に帰ってくると、そしてお土産もちゃんと買えたと文面に書かれており、思わずはしゃいでしまった。
きっと明日、プリマヴェラに帰ってきたら『ハミングバード』に夕食を食べに来てくれると信じて、腕によりをかける……つもりだった。
はしゃいでしまったせいで昨夜は寝付けず、寝付けないからと言って夜風に当たりながら夜更しをしていたらいつの間にか眠ってしまい……当然、風邪をひいた。
女将からは素直に寝ているように言いつけられ、しょんぼりしながら眠っていた。
ぼんやりする頭で、せっかく来てくれた一真が残念そうに帰っていく姿を想像してしまう。
けれど仕方のないこと。
また明日、明日こそは……と意気込みつつ、もう一度眠ろうとして、
ふと、コン、コン……と控えめなノックがされる。
聞き覚えのないノックの音だった。
「……女将さん?」
女将が少し早い夕食を作ってきてくれたのだろうか。
しかし今のは女将のノックではない。
そっとドアが開けられ、廊下から顔を覗かせるのは、
「えっと……お邪魔します?」
一真その人だった。
「……か、カズマさんっ?」
現れるはずのない人物が部屋に来たことで、リーラは慌てて毛布から上体を起こす。
「あ、ごめん。リーラが具合悪くしてるって女将さんに聞いてさ。顔だけでも見せていったらって勧められて」
「わ、わざわざありがとうございます……」
ペコペコと頭を上下するリーラ。
「え、えーっと……おかえりなさいカズマさん。一週間近くもお疲れ様でしたっ」
「うん、ただいま。そうそう、お土産は女将さんに渡してるから」
「は、はいっ……」
………………
…………
……
何故か沈黙してしまう二人。
一真としてはリーラに無理をさせないよう早めに切り上げようにと思い、リーラとしては突然一真が部屋に来たのでどうしたものかと思い、こうして二人して固まっているのである。
「熱も下がってそうだし……じゃぁ俺、今日のところはこの辺で」
顔は見せたのだから女将に文句は言われまい、と自分に言い訳しつつ、一真は踵を返そうとして、
「ままま、待ってくださいっ!」
リーラに呼び止められた。
「ね、熱は下がってません!立とうとしたら頭がフラフラして背筋の悪寒と関節痛がひどいくらいには具合が悪いです!どうしましょうカズマさん!このままじゃわたし死んじゃいそうです!」
あれちょっと待ってわたし何言ってるの、とリーラは自分に待ったをかけようとするが、熱に浮かされた頭では混乱を助長するだけだった。
「だから誰かに看病してもらわなくちゃいけません!でも女将さんは忙しくて手が離せないんです!そうだカズマさんがいるじゃないですか!さぁカズマさん!今なら弱って抵抗できないわたしをおそっ、けほけほっ……」
「?????」
当然、聞いている側の一真の反応は疑問符だらけだ。
しかし、熱弁を振るっている(?)途中で咳き込むリーラを見る限り、やはり体調は良くないのだろう。
「リーラ」
「はははいっ」
一真の声を聞き、シーツの上でびしすと正座するリーラ。
「はい、まずは横になって」
「アッハイ」
彼の指示通り、リーラは正座をやめてシーツの上に横たわる。
続いて一真はベッドに歩み寄って毛布の端を手に取ると、リーラの身体を包むようにかけてやる。
「うん、おやすみなさい」
「はーい、おやすみなさ……じゃないですぅっ!」
目を閉じようとして、カッと見開くリーラ。
「いや、じゃないですぅって言われても。具合が悪いなら、ちゃんと治るまで大人しくしてないと」
「でででも、せっかくカズマさんが来てくれたのに寝ちゃうなんてもったいない気がして……」
俺のどこがもったいないんだろうか……と思いつつも、一真は優しくリーラの額に掌を乗せる。
「ひゃんっ」
「またいつでも会いに行けるんだから、何ももったいなくなんてない。だから、今は体調を治さないと」
額から手を離し、続いてリーラの頭を優しく撫でる。
「わわっ……カズマさんになでなでされちゃってます……」
「そうそう。リーラが寝てくれないと、俺はずっと撫で続けるからな」
「カズマさんになでなでしてもらえるならずーっと起きられる自信がありま、……えへへ」
ふにゃりと頬を緩ませるリーラ。
しかしそれも長くは続かなかった。
「すぴぃ……」
三分が経過した辺りで、安心しきったリーラの瞼が閉じられたと思った瞬間には寝息を立て始めたのだ。
「は、早すぎだろ……」
自信があるならせめて五分くらいは粘ってほしかったな、と呟いてから一真はリーラの頭から手を離した。
「おやすみ、リーラ」
静かにそう告げてから、一真はそっと部屋を出ようとして、
くい、と袖を引っ張られた。
リーラの手が、一真の右腕の袖を掴んでいる。
「あの、リーラさん?俺、そろそろ帰ろうと思うんだけど……」
そう言ってみる一真だが、リーラからの返事はない。
少し力を入れてリーラの掴む手を振り払おうとするが、逃さないとばかり、しっかりと固定されてしまっている。
「もしもーし、実は起きてるな?」
一真は空いている左手の人差し指で、ちょんちょんとリーラの頬をつつく。
「ふ……ぁん」
「ッ」
いやに艶かしい声が発され、一瞬動揺する。
「(……そんな声出すなよっ)」
変なことしたみたいじゃないか、と一真は声にせず呟く。
普通には振り払えないと判断し、右腕を掴んでいるリーラの手を、左手で解こうとする。
「むー……」
しかしリーラは嫌がるように首をもたげ、帰ろうとする一真に抵抗する。
「あぁもう、やめてくれって……」
もうこうなったら力尽くしかないかと、握力を加えようとする一真だが、
「うー、やぁっ……」
あろうことか、リーラは思い切り一真の腕を引き込んだ。
「ちょっ、うわっ……」
不意に引き込まれた一真は体勢を崩してしまったが、辛うじて倒れないように耐えてみせた。
だが、事の解決にはならない。
それどころか、リーラに右腕を抱き着かれているような形に。
当然、一真の右腕はリーラの発達途中の控えめかつ柔らかな"双丘"の谷間に納められる。
「(あ、リーラって意外とある……じゃないっ)」
この間に抱き着かれたユニと比較すれば、大きさや弾力に差はあるものの、女の子らしい膨らみは確かに感じられる。
「……どうしよ」
この状態でリーラを起こさずに立ち去るのはほぼ……否、間違いなく不可能だ。
とは言え、
「んー、えへへ……」
リーラのこの幸せそうな寝顔が目の前にあるのだから、無理矢理起こすのも気が引ける。
「ま、いいか……」
どうせこのあとの予定はない。
帰りが少し遅くなるだけだ。
一真は早々に諦めて、右腕をリーラの抱きまくらにされるがままになることを決める。
その後、リーラが起きた時に思い切り謝られ、夕食代を無料にしてもらったのは、また別の話――。
と言うわけで、十二章でした。
ラズベルにチューされてユニにツンされる一真、風邪ひきさんと化したリーラ、役得なんだけど多分明日には筋肉痛になりそうな体勢を維持する一真の三本でお送りしました。
次回にもう一話だけ挟んでから、次の舞台へ進もうと思います。