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エーテルを販売した男

作者:朝比奈和咲
空想科学祭2011【BLUE部門】参加作品です。
2050年 アンビリバボ・カズゥ賞委員会による発表

 1905年にアルベルト・アインシュタインが発表した特殊相対性理論によりその存在を否定され、物理学の世界から抹消された『光エーテル』(以下、『エーテル』と記載する)という架空の物質をアメリカ合衆国のあちこちに復活させたばかりでなく、それをおよそ光を知らない無知なアメリカ市民に売りつけたことでエーテルを世界中に知らしめたセールスマン、リーガル・J・アーグレットにアンビリバボ・カズゥ物理学賞を授与する。
 なお、アンビリバボ・カズゥ賞委員会はエーテルの存在を信じてこれを買った、およそ光を知らない無知なアメリカ市民に対しても、エーテルの効用に未知なる可能性を信じた勇知な市民として称えたい。
 なお、リーガルが販売していた『エーテルが詰められた小瓶』は、現在もweb上のオークションサイトで売られている。(2050年10月現在)


 総評

「エーテルを買いませんか?」
 2049年7月頃、アメリカ合衆国ミズーリ州の小さな住宅街で、エーテルを訪問販売する男が現れた。男の名前はリーガル・J・アーグレット、年は25歳と若く、小柄で逃げ足の速そうなついでに気の弱そうな好青年であった。
 幼い頃からSF小説が大好きだったとされるリーガルは、エーテルの存在を信じていたのかもしれない。ワシントン大学を卒業するも職に就けず生活に困り、悩んだ彼が自身の手で製造して販売を始めた物、それは『エーテルが詰められた小瓶』だった。彼はこの商品を逮捕されるまでにおよそ7000個も売ったのである。
 このニュースを聞いて特に驚いたのは全世界にいる物理学者たちであったに違いない。
 1905年にアルベルト・アインシュタインが発表した特殊相対性理論によって、それまで数百年も多くの物理学者たちが愛して信じてきたにも関わらず、その存在を否定され物理学の闇に葬られたエーテルが、最近になってミズーリ州で売られている。それも若いセールスマンの手によって。
 もし本当に小瓶の中身がエーテルだったら、物理学、量子力学、光学などなどの根本的基礎理論を覆す大事件であったに違いない。
 多くの物理学者の間で話題になるばかりでなく、このニュースはマスコミ、インターネットを通じて全世界に知れ渡ることで多くの人類にエーテルの存在を知らしめ話題になった。
 リーガルは全世界にエーテルの存在を改めて認知させた人物だと言えよう。

 そもそもエーテルとは何か。
 それは、1905年になるまで、物理学者たちの間で信じ込まれていた架空の物質である。その物質は、私たちのいたるところに存在するが、誰も見ることが出来ず触ることも出来ないために、極めてその存在を証明するのが困難だった謎の物質である。
 リーガルが実際に『エーテルが詰められた小瓶』を訪問販売している音声テープが残っているので ―しかもそれはリーガルの最後の訪問販売となった― その内容を少しばかり編集をして、ここに掲載しよう。筆者が長々とエーテルについて語るよりも、彼のセールストークを聞いていた方がよっぽど楽しく理解できる。
 リーガルの最後のお客となった彼女の名前は、ステファニーという。読者もステファニーと共にリーガルの話を聞いて、エーテルについて学習しよう。

 〈以下、ステファニーが録音して警察に証拠として提出した会話内容の書きおこし〉


 ピンポーン(ステファニーが住んでいる家のインターホンが鳴った音)
「はい?」(若い女性、ステファニーの声)
「こんにちは。ドリームサイエンス社のリーガルと申します。耳寄りなお話がありましてこちらにお伺いさせて頂きました。お時間ありましたら、お話だけでも」
「……(数秒間の沈黙)。はい、ちょっとそこで待っていて下さい」
 ブチッ(インターホンマイクが切れた音)

 ― ここまで、インターホンマイクにより録音された内容 ―

 玄関でリーガルとステファニーが何か会話をしていた模様。そして、リーガルは家に招き入れられ、リビングにあるソファーに座らされる。ソファーの前にはテーブルがあり、そこにグラスに入れられたジュースを出されたとのこと(本人談より)

 ― ここから、ステファニーが用意した音声レコーダーに録音されていた内容 ―

「まいったな……。まさか、ああ、神さま……」(落胆したリーガルの声)
「訪問する顧客情報ぐらい調べておかないとね、リーガルさん」(少し笑い声が混じっているステファニーの声)
「すっかり騙された……。まさかあなたが物理学者だなんて……」
「まだ学者ではないわ。それに、あなたの二つ下の後輩なのよ、私」
 (何かを飲む音。そしてテーブルにグラスが置かれる音)
「結婚して、子どもがいるっていうから、うまくいくって思ったんだけどなあ」
「うふふ(そんな笑い声)。ほら、落ち込んでいないで早くやってみてよ。じゃないと警察に突き出しちゃうわよ」
「……(短い沈黙)。分かったよ。だから、その拳銃をしまってくれないかな」
「それは無理よ。だってまだあなたのこと信じていないもの」
「……。OK。じゃあ、とりあえず結婚しているってことで、子どもが二人いるって設定でいい?」
「いいわよ。あなたがエーテルの存在を証明するところを楽しませてもらうわ」
「そっちもそれなりに演じてくれよ、ステファニーさん」
「ええ、もちろん」

 数秒間の沈黙。その後、何かを飲む音、そしてグラスをテーブルに置く音。

「初めまして、ステファニーさん」
「どうも。今日はどういったご用件で?」
「ステファニーさん。私はドリームサイエンス社のリーガルと申します」
「あらら、どうも名刺までご親切に。それで、どういったご用件で?」
「はい。ステファニーさん。先ほどは不躾ながらのご質問、誠に申し訳ございませんでした。初対面の方にお子さんがいるとか聞くなんて、失礼なことだとは思いましたが、そのことを聞かないとこちらとしてもお話が進まないもので」
「はあ、そうですか」
「お子さんはいま何歳になられましたか?」
「えっと、十五歳と三歳。二人とも女の子ですね」
「はい!? ストップ、ストップ。それじゃあ、あなたは八歳で長女を産んだことになってしまうよ!!」
「妹の年を言っちゃった。だって、そんなこと急に言われても、私、結婚もしてないし、子どもなんかいるはずないじゃない」
「でもさあ、合わせるって言ったでしょ」
「うるさいわねえ。私はエーテルの話が聞きたいの。セールストークなんかどうでもいいから、エーテルのとこだけ喋ってよ」(何かでテーブルを叩く音)
「ううぅ……。間違ってその引き金を引くことだけは止めてくれよ、頼むから」
「早くしないと間違えちゃうかも」(ステファニーの笑い声が小さく聞こえる)

 ここで皆様に筆者から二人の状況を簡単に伝えておきたいと思う。
 リーガルはステファニーに『エーテルが詰められた小瓶』を売るために訪問した。ステファニーはリーガルのことを家に招き入れ、リビングのソファーに座らせた。ステファニーはリーガルのことを拳銃で脅し、エーテルを売るために用いた証明、あるいは説明を聞かせてくれと頼んだ。拳銃で脅されたリーガルは嫌々ながらステファニーの要望を聞き入れた。
 簡単な状況説明は以上である。補足をしておくと、ステファニーは現在もなおワシントン大学で宇宙物理学・量子力学を学んでいる学生であり、同じワシントン大学を卒業したリーガルの二つ下後輩になる。ただ、リーガルはワシントン大学で人間感情心理学を主に学んでいたため、二人の所属した研究室は全く違う場所にあった。
 つまり、この二人、この会話だけを聞いていると顔見知りのように感じられるかもしれないが、実はこれが初対面であったらしい。リーガルもステファニーもワシントン大学で一度も顔を合わせたことがない。リーガルはステファニーのことを全く知らなかった。
 だが、ステファニーはリーガルのことをどこかで知っていたようではあるらしい。逮捕されたリーガルが取り調べを受ける際に、ステファニーはこの音声テープを警官に渡した。その時の警官が「リーガルのことを本当に知らなかったのか?」と聞いたそうだ。ステファニーの答えは「うふふ」という笑いだけだったらしい。
 ステファニーはリーガルにエーテルの説明と証明を聞かせてくれと言い、リーガルはそれをしぶしぶ受け入れた(拳銃で説得された、とリーガルは取り調べで語っている)。その時、リーガルは自分が『エーテルが詰められた小瓶』を販売する時のように演じたかったらしく、ステファニーにおよそ光を知らない無知なアメリカ市民を演じてくれ、と頼んだそうなのだが、ステファニーはアドリブも出来ぬほどお芝居が下手くそだったようで、先ほどのような笑えないコントが起きたというわけだ。
 先ほどの会話から5分ほど二人の口論が後に続くのだが、犬も喰わない痴話喧嘩よろしく物理学とはほど遠いつまらない会話なので、失礼ながら割愛させて頂こう。生物の恋愛を主に研究する生物学者にこの痴話喧嘩を聞かせたところ、「仲が良さそうで何よりだ」と答えてくれた。つまり、それだけの内容である。


 ― 口論終了。やがて静かになっていき、リーガルはステファニーに対し、ある程度科学的知識を得ているアメリカ市民を演じるように頼み、それをステファニーは了承する―

(リーガルの咳払いの音)
「突然ですが、ステファニーさん。あなたは科学に興味がありますでしょうか?」
「ええ、少しはあるわ。でも、何が何だか分からないことばかりで、私にとって縁のないお話だわ」
「そうですか。では、エーテルについてご存じでしょうか?」
「エーテル? なんですかそれは」
「エーテルとは、常に私たちの身の回りにある物です。言ってみれば空気、いや失礼、空気よりも軽い、密度の低い物質なのです。そして、とても頑丈。お分かりでしょうか?」
「言っていることがよく分からないわ」
「では、エーテルについてご説明致しましょう。お時間は大丈夫でしょうか?」
「ええ、けど、それが私と、なんの、か、かんけいが?」(ステファニーが笑いを堪えている音あり)
「ああ…、これは失礼致しました。私が本日、あなたにお売りになりたい物、それが今から説明するエーテルなのです。17世紀フランスの哲学者デカルトがそれを見いだしたとされ、そして未だに全ての謎が解明されていない未知なる物質、それがエーテルなのです」
(少し沈黙。やがてステファニーの笑い声が響く)
「頼むから、笑わないでくれよ」
「だって、可笑しいんですもの。私、一度も舞台に立ったことないのよ」
「じゃあもう止めてくれよ、こんなこと」
「だって、可笑しいじゃない。物理学者が数百年もかけて発見出来なかった物質を、あなたは小瓶につめて7000個も売ったのでしょう。で、私はその7000人の中の1人を演じているって思うとね、もう、信じた人も私も、おかしくておかしくて。
 ああ、演技が下手なのは許して。そうだ、もう私はあなたの話を全部信じていることにするわ。あなたがまるでイエス・キリストのような存在で、エーテルから万物を作り出せるんじゃないかって、そう思っている女性ってことでいい?
 それでいきましょ。ね。あなたの話が流れに乗ったら、もう私は一切の口を挟まないで聞き惚れるってことで、それでいきましょ、ね」
「あのねえ……、わかったよ、もう」

(短い沈黙。その間、何かゴソゴソという音)
(グラスをテーブルに置く音)

「まず、光とは何か。ご存じでしょうか?」
「神が与えし物では? 聖書では最初に天と地が、次に光と闇が神によって生み出されたとされていますが」
「はい。その通りですが、少しばかり違います。天と地は神が創りだした物かもしれませんが、しかし光と闇について科学の知識をいれると、もっと理解が深まります」
(短い沈黙)
「そうですね。身近な例として、まず雷を考えてみて下さい。
 遠くで雷が鳴ったとき、まず最初に黄色く空が光ります。そして、次に雷が落ちた音が聞こえてきます。どうして音の方が後からやってくるのかと言いますと、音の方が光よりも私たちのところまでに伝わる速度が遅いからですね。
 気温15℃の場合、音は約340メートル毎秒の速さで空気中を伝わっていきます。光はというと、約30万キロメートル毎秒。もう、圧倒的に光の方が早いわけです。
 ただ、これで分かってほしいことは、光にも速度の限界があるということ。つまり光の速さは有限であり、約30万キロメートル進むために光は一秒かかるということを知ってほしいのです。そして、光の速さが有限、つまり速さに限界がある、それは、光が進む速さ、言いかえると空間を伝わる速さに限界があるということでして……、
 この例で簡単に言ってしまえば、光も空間を通して伝わっているということなのです。空間と聞きますと、何もないところを考えますが、そこには空気があり、言ってみれば酸素と二酸化炭素と窒素やその他の気体の集合体があるわけです。それすらない場合、その空間を真空状態、真空と呼びます。ここ、覚えておいて下さい。ちなみに、先ほど言いました光の速さ、約30万キロメートル毎秒は、真空中で伝わる光の速さです。
 話をまとめると、音にも伝わる速度があり、光にも伝わる速度があります。音や光について、気温や湿度、さらに言いますと音を伝える物質、例えば空気や水、ガラスなどですね、これらを媒質と言います。音や光はこの媒質によって伝わる速度が変わりますが、なぜそうなるのかということを説明しますと、さらに時間がかかりますし、エーテルについての説明から離れてしまうので、省略させて頂きます。
 では次に、どうして音と光は私たちのところまで伝わるのかという疑問が考えられます。姿の見えない音、姿は見えるが聞こえない光。これらがどうして伝播するのか、伝播するにはどのような媒質を通るのかということを考えてみると、光と音の似ている点や決定的な違いがみられて面白いのです。ああ、すみません。伝播という言葉の意味は、伝わるという意味でとらえてもらって結構です。
 音は、知っておられるかもしれませんが、音は振動です。音波という音の振動が、空気や水などの媒質を振動させて、音を伝播していく。私がこうして話していますが、これも気体である空気を媒質として音波を伝えています。余談ですが、音色の違いは、音波の振動数の数値の高さや低さによって決まり、あまりにも振動数が高いと私たちの耳はその音を聞きとれなくなる、これを超音波と言います。
 光も実は音と同じで、光も振動しているのです。光の波を電磁波と呼び、光はこの電磁波を空間に伝播するのです。雷の光が私たちに見えたとき、それは空気を媒質として光の電磁波が空気中を伝播してきた結果、私たちのところまで光として伝播してくるのです。伝播してきた光が物体に当たると、その物体が光を吸収あるいは反射して、反射した光が私たちのところまでやってきて、そして私たちは物体を目で認識できるのです。簡単に言えば、物体が目の前にあるのに光がなければ私たちは何も認識できない、周りは暗黒の世界になるのです。
 つまり、音も光も、伝わり方は一緒なのです。どちらも波としての特徴を持っている。ちなみに光は音と違い直進して進んでいく性質があります。音は音波の発信源から円状に進んでいきますが、光は発信源から一つの方向に直進していく、つまりは懐中電灯です。もし光が音のように円状に広がってしまったら、懐中電灯はものすごいことになってしまいますね。これは光が音と違い、波の性質を持ちながら粒子のように直進する、という性質をもつ、すみません、うまく説明できないのですが、粒子というのは原子よりも小さい世界で一番細かい粒だと思って下さい、その粒子のような性質をもつからなのです。
 意味が分かりませんね、やっぱり。粒子についてはエーテルの説明と関係ないので忘れて下さって結構です。現代の科学でも分からないことだらけの粒子をここで説明するのはやはり難しい。
 光も音も、波としての性質を持つ。つまり、媒質を振動させて伝わるということを知って頂ければそれでいいです。言いかえれば、振動する物質が何もなければ、音は伝わらないのです。ですから空気の無い宇宙ではたぶん音は聞こえません」
(短い沈黙)
「ただ、光と音には決定的に違う点がここ、宇宙であらわれるのです。
 宇宙とは空気のない世界、つまり真空の世界です」
(何かごそごそという音。次にテーブルに何か重たい物を置く音)
「こちらをご覧ください。これを使って面白い実験が見られます」
「これは、って、まさか真空ポンプ!?」
「そう、正真正銘の家庭用小型真空ポンプ。どうして家庭用なのかっていうと、一つは家庭用電気コンセントで簡単に動いちゃうってこと。もう一つは、バッテリーを搭載していて、フル充電で6時間は使えちゃう優れ物。ボストンバックに入る大きさなのに、性能はどこの研究所にある真空ポンプと変わらない。まさに一家に一台の優れ物」
「こんなのどこで仕入れられるのよ。研究室にもないわよ、こんなの」
「この世には需要のなさそうな物まで作る変人がいるってことだよ。日本の秋葉原で売られていてびっくりしたよ。さすが日本、オタクの国だ」
「信じられない……。で、これをどうするの?」
「この頑丈なガラス瓶の中に真空を作ります」
「少しうす暗い瓶ね。ビール瓶よりはよっぽどマシだけど」
「これしか家になかったんだよ。稼働する真空ポンプの振動で割れない瓶は」
「ああ、そう。ずいぶんと大量にジャムを作るのね、あなたの家では」
「今度差し上げるよ、我が家の特製ブルーベリージャムを」
(チリンチリンチリン、という音)
「このガラス瓶に小さなベルをこうして吊るす。このゴム栓でまずは蓋をする」
「瓶を振れば音は鳴る。空気が入ってるから」
「そう、ベルはこのように鳴る(チリンチリン)。
 では、この瓶の中に入っている空気を抜く」
「待って。あなた、セールスマントークを忘れていない?」
「ああ、失礼。……、それではステファニーさん。今からこの瓶の中にある空気を、この真空ポンプで全て抜いてしまいます。大丈夫です、少しうるさい音は致しますが、瓶が割れることはありません。では、スイッチを入れます。よく見ていてください」
(機械が動く音が聞こえる、ベルが小刻みに鳴る音がする)

 筆者からここで真空ポンプについて少し説明を加えよう。この会話内容だけでは、読者にどのような状況であるか誤解を招くかもしれないからだ。
 真空ポンプとは、ある密閉された空間の中にある空気を全て抜き取り、空気も何も無い状態を作る、つまり真空を作る機械である。私はリーガルが持つこの機械を実際に見させてもらい、同時に真空を作るところも見させてもらった。リーガル氏による改造が数点見られたが、形は市販で販売されている小型真空ポンプと変わらない。業務用通販サイトでその形は確認できるかと思う。
 リーガルが取りだした瓶は円柱型で、高さ約20cm、直径13cmのほんのり薄茶の色がかかるガラス製の瓶だった。瓶の口は直径9cmで、朝食でトーストと共に見られるジャムが詰められている瓶を想像してくれればそれでだいたい形は合っていると言えよう。
 瓶の蓋となるゴム栓には、その中央に太さ2cmの透明で頑丈なチューブがゴム栓を貫通してついている。このチューブは真空ポンプと繋がっており、機械のスイッチを入れるとこのチューブを通して空気が抜かれていくという仕組みだ。
 瓶の中のベルは、ベルの上部に紐を通すための小さな穴があり、そこに細く頑丈な銀色の針金のような紐で通されて括り、そして瓶の中心より少し下らへんにベルがくるように吊るされている。その紐の上端は特殊な接着剤でゴム栓に付けられていて、特殊な薬品を使わないと接着部分を絶対に剥がすことはできない。
 この装置の全体を大雑把に見て説明すれば、うす暗い大きめな瓶の中にベルが吊るされており、瓶の口はチューブ付きのゴム栓によって密閉されている。チューブは家庭用小型真空ポンプに繋がっており、真空ポンプの電源を入れれば瓶の中の空気が抜けていく仕組みである。
 以上で説明を終了する。二人の会話に戻ろう。

(やがて機械音が静かになっていき、止まる)
「はい、完了。これでこの瓶の中は真空になりました。真空というのは、先ほども説明しましたが、とりあえず何もない状態だと考えて下さって結構です。この中には空気もありません。ですから、音について先ほど説明致しましたが、音を伝える媒質が何もない状態であります。
 ですから、こうして瓶を左右に振っても……」
「音が聞こえない」
「はい、その通りです。音波を伝える媒質が何もないと、このように音は私たちの耳に入ってこないのです。
 ですが、ここで一つ疑問が。どうしてベルが見えているのでしょうか?」
(短い沈黙)
「ベルが見えているということは、ここに光があるということです。
 瓶の中は真空、つまり波を伝える物質が何もない状態のはずなのに、見えています。光も波の性質を持ち、音と同じように伝えるものがないと私たちに伝わらないはず、目に見えないはずなのに見えている、私たちのところに伝わっている。
 これは、明らかに矛盾があるのです。光の波の性質はどこに消えてしまったのでしょう」
(短い沈黙)
「答えを言いましょう。実は、この瓶の中にはまだ物質が残っているのです。
 それが、エーテルなのです」
「やっと、エーテルが出てきたわね」
「エーテルは空気よりも桁違いに密度の低い、空気より軽い物質なのです。目には見えず、しかも至るところに存在する物質。この瓶に、別にエーテルを入れたわけではなく、私たちの身の回り、つまり私たちが呼吸をするとき、大事な酸素と同時にエーテルも吸っていることになります。そして、このエーテルは音の振動を伝える媒質になることはできませんが、なんと光の電磁波を伝えることはできるという不思議な物質、媒質なのです。
 エーテルにはまだ特徴があります。それは化学的に恐ろしく頑丈であり、どんな化学反応もしない、例えば水素と酸素がくっ付いて水になるという化学反応といったこと、それが一つもないのです。あまりにも頑丈過ぎて、どの原子にも反応しない、故に、エーテルに関する化学式は未だに解明されていません。エーテルを生み出す化学式は未だに見付からないままです。
 他にもエーテルについて多くを語る事も出来ますが、またしても時間が要します。ですから、エーテルの最大の特徴、光の波動を伝えるということを知ってくれれば結構です」
「ふーん。それで?」
「では、この瓶の中にあるエーテルを抜いてみましょう」
「は!?」
「この真空ポンプには、実はエーテルも抜く機能が備わっています。わが社が生み出した技術の賜物。そして、まさに本物の真空となります。エーテルもなくなった世界、そこは古代の人が地獄の一つとして恐れた、光も伝わらない暗黒の世界です。それをこの瓶の中で再現してみましょう」
(機械が動く音)
「ウソでしょ。どうなってるの? みるみる黒くなってく」
「エーテルを抜いている最中ですので、このように瓶の中は光も通さぬ暗黒の世界となっていきます。エーテルは空気よりもはるかに軽い物質ですので、こうして瓶底から無くなっていく。ほら、もう半分くらいのエーテルが無くなりました。ベルはもう見えなくなります」
「ねえ、これどうなってるのよ。手品でしょ、こんなの」
「手品だと思われますが、これは科学なのです。古代の人間が天動説を信じていたように」
「黙って。どうしてこうなるのか解明してやる」
「はあ……。じゃあ、瓶が真っ黒になるまで黙っていますね」
(やがて機械音が止まる)
「真っ黒になりました。答えをどうぞ」
「分からない。もしこの中に黒い何かしらの気体を入れたとしても……」
「入れたら、ベルの音が鳴っちゃいますねえ。瓶を揺らしても、この通りです」
「私は瓶を触っちゃだめなの?」
「止めて下さい。怪我でもしたらどうするんですか」
「怪我? 何か怪しいわね」
「まだ続きがあるのですが。どうします。ここで終わりにします? どうせあなたには売れないんだし」
「あら、その商品が良かったら買うわよ」
「そうですか、それじゃあ勝手にセールスを続けさせて貰いますね。
 では、最後に、ステファニーさんには、空気があってエーテルがない世界をお見せしますね」
「……。やってみせてよ」
「いいでしょう。では、スイッチを入れます」
(機械の音)
「あらら、失敗のようね? みるみる瓶の中が明るくなってきたようだけど」
「当たり前でしょう。真空じゃなくなるんだから。光を伝えるための空気が瓶の中に戻ってきているんだから。空気は振動を伝えますよ、あれ、そんなことも分からないのですか?」
「……、うっさいわね。知ってるわよ、お芝居の途中でしょ、まだ」
(機械の音が止まる)
「はい、エーテルのない世界の出来上がりです。が、この瓶の中の世界は、最初のときと何ら変化はないように思われます。このように瓶を少し振って鈴を鳴らせば(チリンチリン)このように音が鳴ります。これは、瓶の中に空気が戻った証拠ですね」
「エーテルは?」
「ありません。ですが、エーテルを確認したくでも確認する方法がないことはあなたもご存じのはず。だから、この中にエーテルはないのですが、その証拠をこれでお見せになることは大変難しく、現状では無理なのです」
「現状も何も、もともと存在しない物質でしょうが」
「さて、エーテルを別のところに集めましょうか」
(短い沈黙。ごそごそと音がする)
「それは?」
「ただの試験管と水を張るためのたらいです。この(試験管)中に、先ほどのエーテルを入れます。この真空ポンプのここ、この小さなタンクの中に、いま瓶から抜き取ったエーテルが入っています。タンクの横にある排出口、ここに細長いチューブを刺して、っと。そして、実験用のたらい、水を入れる。水は?」
「水上置換法でエーテルを集めるつもりなの?」
「はい、よくご存じで。エーテルは驚異的に頑丈だと説明したでしょう、しかも化学的に不活性で水にも溶けない。そして空気にはものすごく軽い。上方置換法でも集めることは出来ますが、それだとエーテルを見ることができないでしょ」
「それだと見れるって言うの?」
「はい。だから水を下さい」
「それに水を入れてくればいいのね。OK」
(歩いて行く音)
「はい、ありがとうございます。この試験管を水に入れて空気を抜いて、チューブの出口を試験管のところにくるようにして、はい完成。
 では、スイッチを入れます」
「泡が試験管に入っていく……」
「はい、これがエーテルです」
「いや、空気でしょ」
「いや、エーテルです。そういうことにしておいて下さい。話が進みませんので」
「いやいや、最初に出てくる気体はチューブの中に溜まっていた空気だから捕集しちゃダメだって学校で習わなかったの?」
「……、あなたはガキですか? もうそんなことどうだっていいでしょうが」
「うっさいわね、でも事実は事実でしょ」
「カリカリしてますね。生理ですか、それとも便秘?」
(短い無音、カチャリという音)
「失礼しました。お客様を怒らすなんてもっての他でした」
「あとで瓶が黒くなった理由を教えてよね」
「あなたと手品を見たくはないですね。手品師が可哀想です」
「で、泡が出るのが終わったようだけど」
「はい、この試験管の中にエーテルが溜まっています」
「ふーん。それで」
「しかし、エーテルがこの中に入っていると言って、あなたは信用しても他の方が見られたとき、信じてはくれないでしょう」
(ごそごそという音)(状況説明すると、リーガルがカバンから何かを取り出した音)
「そこで、我がドリームサイエンス社は、このエーテルを目に見える形にしてみました。それが、これです」
「何これ?」
「エーテルが詰められた小瓶です」
「これが、こんなちっこい小瓶が?」
「はい。今の実験で見せたようにして集めたエーテルをいっぱいに小瓶に詰めたものです。この小瓶の中はエーテル100%、まさに小さな宇宙と言っても嘘ではありません。
 先ほどのご説明の通り、エーテルはそのままだと目に見ることはできません。ですが、エーテルも物質です。物質であるからには、何かしらの化学反応を起こすことが出来るのです。今回は、その化学反応をこの目で見る事で、エーテルを確認できるようにしてみました」
「どんな化学反応なの、これは。見たところ、小瓶の底に水が少し溜まっているだけのようだけど」
「水ではありません。これはエーテルを見るための魔法の水なのです」
「魔法の水?」
「失礼、エーテルを可視化するための物質、つまり、エーテルをこの目で見えるようにするためにわが社が作りあげた物質なのです。
 見方は簡単。小瓶にはエーテルとこの魔法の水しか入っておりません。この水のような物質は無害です、ご心配なく。この水の正体は企業秘密です」
「はあ」
「見方は簡単。小瓶を振ります。すると」
「泡が出来た」
「はい、この中にエーテルが入っています。さらにこの泡、七色に輝いてみえますよね」
「ええ」
「この七色がエーテルなのです。エーテルが放つ光なのです」
「……、これだけ?」
「はい。どうですか。どうせ買わないでしょうが、おひとつ3ドルです」
「買わないでしょ。こんなの誰が買うのよ」
「買うんだよ。知らない人は。例えば、子どものためとか言うと」
「は?」
「だから……、(ゴホン)
 お子様のためにおひとついかがですか? お子様もきっと奥さまのように興味を持たれると思います。すると、科学についての関心が芽生えますね。そしたらチャンスです。今、私が説明したことを、お子様にそのまま伝えるのです。お子様はきっと、もっとあなたのお話を聞きたがるでしょう。そこで、あなたはこのエーテルが未だに解明されていないものだと言い、この世には未だに解明されていないことが多く存在するの、私にも分からないことがたくさんあるから、いつかあなたがそのことを解明して、私に教えてちょうだいね。とか言いまして、上手に子どもに無理なく学習させるきっかけを作れるかと思います。
 と言えば、一つ3ドルのおもちゃみたいなものだ、買っても損はないだろう」
「そんなんで買うの?」
「買った奴がいるから言ってんだ。もちろん、全てのお客様が子どものいる奥さまでもない。だから、そこはお客様に対して話を合わせる。
 彼女のいる男だったら、このエーテルの話をするときっと喜んで貰えるし、しかも物知りでカッコイイって思われる、とか言うと簡単に買う。カップルの前だったら、この小瓶を振って、水が七色に輝くところを見せて、一つ3ドルというと、女は男に払わせるのがほとんどだったな。酔っ払っている奴らなんか、いい商売相手だったよ。不思議なエーテル、一つ3ドルと言って売ればさっさと金を払うし、ラスベガスのホテルでは、この真空ポンプを使ってのさっきの実験をお客の前で披露すると、みんな買ってくれたよ」
「で、この小瓶の水の正体は?」
「企業秘密」
「撃たれたい?」
「おうおう、そりゃないさ。言うよ、シャボン液だよ、洗剤を薄めただけ」
「シャボン液!? 馬鹿じゃないの、あんた。小瓶を開けられたら一発でばれちゃうじゃないの。どうせ真空じゃないんでしょ、この小瓶の中は」
「もちろん、真空なんかじゃないさ。真空なんか危なっかしくて売ってられるか。
 でも、誰も開けやしないって。どうしてそんな勿体無いことをする。鳥のように逃げて行くぞ、エーテルが」
(短い沈黙。すぐにステファニーの大笑い声)
「馬鹿じゃないの、あんたも客も。あー、おかしい。
 なるほどねえ。小瓶を開けた瞬間にエーテルが消滅するのね。まるでシュレディンガーの猫を飼ってるみたい。瓶の中身が存在するかどうか、それを確認する方法がないなんて、あんまりな話ねえ。なんて馬鹿馬鹿しい。
 信じた人だけにエーテルは存在してしまうってことね。なるほどねえ。しかし、あんたの手にかかれば、放射線N線でも作られそうね」
「そもそもエーテルを考え出したのは僕じゃない。遠い遠い過去にいた物理学者さまたちだろう。彼らは本当にエーテルの存在を信じていたのだから。その知恵を僕は使わせて貰っただけじゃないか」
「17世紀フランスの哲学者デカルトによって考えられ、20世紀初頭にアルベルト・アインシュタインによってついに存在を否定されたエーテルが、まさかこんな形で復活するとはねえ。たぶん、何を言い返しても反論されてしまうのでしょうねえ」
「そりゃあ、もちろん。決め台詞は、『残念ながら、空気と混じってしまったのでしょう』だ。うっかり小瓶の蓋を開けても、もとから空気中にエーテルが存在することを説明したのだから。どっちみち、その小瓶には、確かにエーテルが入っているんだ」
「物理学者はそうはいかないわよ。私だったら、ガラス瓶の中に真空を作って、その真空中でこの小瓶を開けて、果たしてこれがエーテルかどうかを調べるわ」
「無理だろう。現代の科学ではエーテルをガラス瓶から抜く方法などない」
「…、七色に輝く理由はどう説明するの?」
「エーテルが揺れると、光も屈折を起こしますので…、とでも言っておけばいいじゃないか。虹を思いだして貰えればいい、とでも言っておく」
「このエーテルが抜かれた瓶は、どうして黒くなったのよ」
「そこまで聞くか、ああ、もういいや、言おう。特殊な偏光板を使っているんだよ。
 大変だったんだぞ。偏光板を7枚重ねて、下から黒くなっていくように見せるのは。偏光板を二枚重ねると光を全く通さなくなることぐらいは知っているだろ」
(短い沈黙)
「呆れた。そんな、馬鹿じゃないの、あんた」
「この瓶は二重になっていて、つまり外側の瓶と内側の瓶ね、ロシアのマトリョーシカ人形みたいな感じ、瓶と瓶の間に薄い偏光板がセットされていて、エーテルを抜くっていう時に、チューブと一緒にゴム栓が回転するからそれと共に内側の瓶が少しずつ回転する仕組み。内側の瓶に付けられた偏光板が、外側の偏光板と少しずつ重なっていくと、さっきみたいに見えるように作ったんだ。真空ポンプの作動音と震動で誰も内側の瓶が回転しているなんて気がつかないし、そもそも内側にも瓶があるなんて気がつかないだろう」
「まあ、私も気がつかなかったわ」
「本当に大変だったんだぞ。三日もかかったんだから」
「三日ですって。この瓶を三日で作ったの?」
「ああ、もう疲れた。これで商売もあがったりだ。でもまあ、君と話せて楽しかったよ」
「そう。……ねえ、この小瓶も自費で購入したの?」
「それかい。そんな訳ないだろう。全て大学から頂いたものだよ。大学の薬品室の前に薬品を入れるための小瓶が段ボールに入って大量に置かれていたから、それをちょっと頂いただけさ。馬鹿な奴もいるもんだ、あんなとこに置いといて盗まれないとでも思っていたんだろうな」
「あなただったのね! 許せない!」
「え!?」
「置いたのは私よ! あの事件のせいで私がどんだけ辛かったか!」
(以下、二人の大声が混じり合い、音声解読不能)
(ガザガザ、ガシャンという音)
 ブチッ

 〈録音テープはここで終わっている。以上、書き起こし終了〉


 エーテルについての説明は以上で終わる。エーテルについてあえて補足するのならば、エーテルという物質は、古代ギリシャの哲学者アリストテレスが「天空は何かによって満たされている」という仮定したときから科学者の間で考えられていたということだろうか。アリストテレスはその時にそれを「アイテール」と名付けた。そしてその言葉を元にして、17世紀の哲学者デカルトは「エーテル」という仮定の物質を考え出した。
 このエーテルという物質は、アインシュタインが特殊相対性理論を発表する時まで信じられていた。どうして特殊相対性理論によってエーテルの存在が否定されてしまったのか、それはこの理論によって、光の速さが観測者の位置や速度に関わらず常に一定の速度であるということが証明されたからなのだが、特殊相対性理論についてここで詳しく説明すると非常に長くなるので割愛させて頂く。興味を持たれた方は、特殊相対性理論について書かれた文献、あるいは光について説明されている文献を参照するとエーテルの存在が消滅した理由も分かるだろう。

 さて、この会話の後、リーガルはステファニーが呼んだ警官たちに逮捕された。
 架空の物質、エーテルをあたかも存在するかのように見せかけ、それを信じた人に販売して現金を騙し取った罪として逮捕されたリーガルの話は、すぐさまマスコミに知れ渡り、全米を震撼(特に物理学者たち)させた。
 リーガルの悪事は次々と警察の捜査によって暴かれていった。その情報がマスコミによって報道される度に大笑いと驚嘆が全米のあちこちで起きたとされる。
 まず、リーガルはこの1個3ドルで販売した『エーテルが詰められた小瓶』をミズーリ州で50個売ったらしい。売上金を使ってラスベガスに行った彼は、そこでさらに3000個売ったらしい。ラスベガスの客はたいそう気前が良かったらしく、ほとんどの客が5ドル札で払ってお釣りはいらない、10ドル札で払ってはお釣りはいらないというお客までいたそうだ。お釣りを確認するのは、アジア系の人ぐらいだったそうだが、それもインターネットのwebサイトで笑いのネタになったらしい。― お釣りを確認、商品未確認。お釣りは本物、商品はない! ―
 15000ドル以上の大金を手に入れた彼は、一旦ミズーリ州の自宅に戻り、しばらくそこで悠々と暮らした後、今度はニューヨーク州に行って同じようにそれを販売したらしい。彼は住宅街のおばさまたちだけでは飽き足らず、ニューヨーク州のとある大学にエーテルを持ち運んで、キャンパス内で500個は売ったと証言している。このリーガルの証言に全米中の教授、学生、知識ある一般人がショックを隠せずに大笑いをしたとされる。― 世界で唯一、アインシュタインをぶちのめした大学があるんだって! ―
 ニューヨークでエーテルを売りさばき、大金を手に入れて自宅に帰って来たリーガルは、また悠々としばらく自宅で過ごしたとされる。その間もちょこちょことエーテルを売っていたらしい。そして、ステファニーに捕まった。彼の証言によると、「あの時の私には、もうエーテルを売ることが使命のように感じていたのかもしれない」と語っており、本人曰く、「お金を騙し取ることが目的ではなく、エーテルについて説明することを楽しんでいた」とも証言している。この言葉を聞いたワシントン大学のK教授が「彼は物理学の楽しみを知っている数少ない優秀な学生だ」とコメントをして、多くの学生や学者から拍手を貰い、ついでに真面目な人々から顰蹙も買った。
 全米にエーテルの存在を知らしめたリーガルだが、そもそもエーテルなど存在しないのだから、逮捕されたリーガルはもちろん詐欺罪として訴えられる、はずだった。ところが、どういうわけかリーガルに騙されたという被害報告が一件も出て来ない。被害総額は30000ドルにもなる立派な詐欺事件なのだが、平均して1人5ドルという小額な被害であるせいだろうか、それとも他の理由があるのだろうか、被害者がまるで出て来ない。被害報告なしでは詐欺を立件することも出来ず、困った検察はリーガルを詐欺罪で立件することを諦め、代わりに大学の備品である薬品を入れるための小瓶を盗んだ事実を取りあげて、窃盗罪として彼を起訴することにした。これも全米中で笑いを起こすことになった。― ねえねえ、クイズだよ! 詐欺を窃盗に変える物ってなーんだ!? 答え、エーテルが詰められた小瓶 ―
 こんだけリーガルは世間を楽しませたのだから、いっそ無罪でいいのではないだろうかというコメントがweb上のあちこちで現れ、物議をかもす。web上では彼を有罪にするか無罪にするかという議論で盛り上がるところもあれば、『エーテルを買ってしまった会』というサイトまで作られて、会員数が30000人を超すという可笑しな事態にまで発展した。彼に騙された人が、誇らしげにその話を楽しそうに語るという不思議なこともあった。
 ミズーリ州の議員であるジャック・ブラン氏は「私の妻がリーガルの商品を買ってしまっていた。やはりきちんとした科学の教育は必要だ」と議会で言い、ミズーリ州の教育費予算の更なる計上を求めた。これも笑いのネタになった。
 これ以上、この事件によって引き起こされた事例を挙げていってもキリがないので、ここまでにしておくが、リーガル・J・アーグレットの販売した『エーテルが詰められた小瓶』がここまで全米に波紋を起こすとはもちろん本人すら分からなかったであろう。
 全米を震撼させるほどの、物理学の定義を超える力を秘めたエーテルの存在を作り販売したリーガル・J・アーグレットに2050年度アンビリバボ・カズゥ物理学賞を授与する。
 なお、リーガル氏本人は、近日開かれる授賞式に参加出来ないと思われる。理由は、窃盗罪によって科された奉仕活動6カ月による、ワシントン大学物理学研究室での奉仕活動に忙しいと考えられるためである。
 そこに現在、リーガル氏の彼女とされるステファニーも在籍している。余談、マスコミの調べによると、彼らはあの日を境に交際が始まったとされる。どうやらエーテルには男女の愛まで育む効用まであるらしい。この効用に目を付けた玩具メーカーが、何やらエーテルを含む商品を作ろうとしている、という噂もある。ついでに言うと、『エーテルが詰められた小瓶』はどういうわけかweb上で未だにオークションで売られており、落札された事例も存在する。
 最後に、ワシントン大学では最近、ある物が流行っているそうである。ついこの間、その大学で筆者が聞いたあるカップルの会話を掲載してこの総評を終わりにしたいと思う。

「なあ、君。もし結婚するとしたら指輪はこれでいいかな」
「何よこれ、ちっさいダイヤね。流行りのエーテルで出来た指輪の方がまだ夢があるんじゃないの」
「いや、ガラス玉だよ、これは。騙されてやんの、あっはっは」
「……。」
(人間の皮膚が平手で叩かれる音。すぐ後に男の短い悲鳴)

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空想科学祭2011

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