あなたに送るよ、メッセージ
あなたはこの当然の生活が何色に見える?
あなたは高校一年生で、都立高校に自転車で通い、そこのサッカー部に所属している。
父と母と兄の四人暮らしだ。
あなたの兄は大学一年生で、高田馬場にあるYMCAというホテル業を専門とした短大に通っている。
あなたの父は外資系のコンピュータプログラムの開発会社で働き年収850万円である。日本ではまあ、裕福な方だ。
あなたの母は青山学院大卒の英語が堪能な専業主婦である。あなたの親はいずれも50代中頃で、少し白髪とシワが目立ち始めている。
大学で培った英語を使い時々大学で通訳の仕事をしている。
ざっとあなたの周りの人はこんな感じだ。家は一軒家の普通の家で、近くを、都心の側にもかかわらず小川が流れている。
さて、あなたはあなたの母が嫌いだった。母の全部が嫌いというわけではなく、あなたの兄に対する母が嫌いだった。
というのもあなたの家庭では母が教育係で父はあまり口を挟まない。
あなたの母は特に兄を医者にしようと兄の進路を線路の如く片っ端から決めていった。例えば、都内で有数の先進高校として名高いS高校に通わせたり、朝から晩まで猛勉強させたり、最近流行しているスマホをあなたの兄がどんなにねだっても与えず、それよりも勉強だと参考書を渡したり、漫画を買えばすべて捨てられそれよりも本を読みなさいと言って誕生日プレゼントは参考書と夏目漱石だった。
あなたの兄はしかし高校2年の夏のある日、とうとうあなたの母に怒りをぶちまけ、部屋に閉じこもり、あなたの母が強引に開けようとするとドアを蹴飛ばし、大穴を開けてしまった。しかし部屋の中は見ることができなかった。机でバリケードしてあったからだ。
あなたの母ははじめて反抗したあなたの兄のせいで泣き、錯乱し、挙げ句の果てにはノイローゼにかかってしまった。
あなたとあなたの父は母の看病で精一杯だった。あなたは割と兄弟仲の良かったことを利用して、なんとか一言も喋らない兄に頼み、部屋の中に入れてもらう。
あなたはそこであなたの兄がぼうっと壁に寄っ掛かり、虚ろな目をして虚空を見ていることに気が付く。あなたは驚愕する。これがあなたの母の教育の末路だったのだと。
あなたは今まで自由だった。あなたの母はあなたの兄につきっきりであなたにまで目が回らなかったからである。
あなたはどうにか兄にご飯を食べてもらおうと、夕食のカレーを部屋に運び込んで食べてもらった。
こうして3日が過ぎた。この3日間あなたは大いに働いた。母を看病し、兄のご飯を運び、洗濯から炊事、掃除から亀の餌やりまで全てを行なった。
あなたの母はノイローゼから回復すると、自分の教育の欠陥に気がつく。あまりにも束縛し、自分の欲望通りに息子を使っていたのだと気がつく。
するとあなたの母はどうやってあなたの兄に接すれば良いのかわからなくなった。そこで頼ったのが、「思春期の息子を持つ母へ」「精神医学入門」「心理学とは」、近くの図書館から借りて読み始めたのだった。
あなたの母はそれまでの不安、緊張、疲れが全て吹っ切れた気がした。何故ならそこに書かれていたのはそうした母を落ち着かせるために書かれた本だからである。例えば「息子が反抗するのは当たり前。あなたの責任ではない。」とか、「.時間が解決してくれる。」とか「他の家でもそうした問題はたくさん起きている。あなただけではない」と言ったセンテンスをまるで催眠するかのように何度もなんども繰り返し使う。
そうした催眠術にかかったあなたの母はその日から兄に対する接し方が変わった。
兄はその頃ようやく部屋から出てきていたが、僕を含めて家族の全員とほとんど口を聞かず、虚ろな目をして、夜中にどこかに行ってしまうと次の日の昼頃帰ってくる。
当然S高校には通わなくなる。
あなたの母はそうした兄を今までであれば激怒し、勉強させていただろうが、打って変わって、「帰る時間を教えて。」とか「早く帰ってきてね。」とか「学校には連絡してるから」といったことを猫なで声で言う。
さぁもう一度こちらに戻ってくるんだといったような目論みを持つ優しい母を演じる。
そうして兄が出て行くと、急にリビングをウロウロし始め、手をあごに当てて考えるポーズをとったり、あなたの兄がいない間に兄の机を物色したりした。その甲斐あって、あなたの母は兄がバイトをしており、バイト先には彼女がいることまで突き止めたのだった。
あなたの母はどうにかして兄のバイトを辞めさせ、学業に戻すように思索する。大学受験の勉強を始めなければならない時期だった。
当然夕食はおざなりで風呂掃除や洗濯などを全てあなたに押し付ける。
あなたがやらないと「今、あなたのお兄さんが大変なんだから、少しは手伝いなさい。」と怒る。
あなたは心の中では母への苛立ちを持ちながら、しかし従順にあなたの母の命令に従った。
あなたは別に兄がそこまで勉強しなくてもいいのではないか、医者でなくとも、サラリーマンなり、最悪鳶職でもいいのではないかと思っていたが、あなたの母の理想とするビジョンとは程遠いことをあなたは知っているからそんなことは口にしない。
ただ、あなたは親に見えないあなたの母を嫌悪する。そんな時あなたの父は何をしていたかというと何もしていなかった。
あなたの父は会社では寡黙で人付き合いが悪く、家に帰ると神経質で母やあなたに対して目に付いたことを次々と言ってくる。
口数が多くつまらないジョークを言ったり、うんちくを垂れたりする。しかしあなたの兄に対しては少しも触れない。
あなたは何故触れないのかと疑問に思う。というのも、あなたの父とあなたの兄との関係性はギクシャクとしたものだった。
あなたの兄は母親の異質な教育のせいか生まれ持った性質からか平気で嘘をつき、人を利用して、自分の利益になることを第一に考える癖があった。(なら何故今まで母親の束縛から抜け出そうと思わなかったのかとあなたは疑問に思う。兄は今まで母親に反抗するという発想がなかったのだ。)
父親はそんなあなたの兄に対して、嫌悪した。しかし、父親と息子という関係が嫌悪という感情を否定しなければならず、結局彼らの関係はギクシャクした。
今までずっと母は兄のことばかりに気をかけて、あなたも以前は兄や母と仲良く話せたため父一人が家族から疎外されていた。
あなたは疎外されている父親が実は家族を養うために一生懸命に働き、会社では知り合いはいるが友人と呼べる人がいないそんな父親が愛おしく思えたのだった。
だからあなたは積極的に父親と話をして、肩を揉み、感謝の気持ちが言葉にせずとも伝わればと思うのだった。そして少しでも父親が生きることを幸せに感じ、辛いゲマインシャフトを耐えてくれるように願うのだった。すなわちあなたは今まで家族の連結部であったのだ。
ところがあなたの兄が母に反抗したことによって、あなたの母をリーダーとする、組織が生まれる。
皮肉にもあなたの兄があなたたちを家族たらしめることになった。
あなたとあなたの父はあなたの母の命令のもと、別に話さなくてもいいのに無理に兄と話そうとし、結局はギクシャクしたまま終わるのだった。
あなたの母も猫なで声でいちいち「今日はご飯たべる?」とか「テレビみないの?」とか「お風呂空いてるよ」とか終いには「電気ついてるけど消そうか」と言い出す。
あなたはそんな、回りくどくて無理やりもう一度兄を家族に引き込み、良い大学に行かせるためのアウシュビッツ行きの線路に乗せようとする母を嫌悪した。確かに良い大学に行くことは大切だとあなたは思う。ただ、それは自分が決めることであって親が決めることではないと思った。
しかし、あなたの母の努力の甲斐なく、あなたの兄はそのままS高校を中退し、バイトをして、貯めたお金で漫画やゲームを買い、挙げ句の果てにぼそりと「面接で受かる大学に行く」と言いだし興味があるかどうかあなたは知らないが、ホテル業を専門とするYMCAに入学する。その頃からあなたの兄はタバコを吸うようになる。
ところであなたにも問題が起きる。あなたは今までサッカー部のキャプテンとしてレギュラーで出ていたが、
足首を捻挫したためにしばらくの間サッカーをせずリハビリ組として別メニューで行っていた。
そして復帰するとあなたは考えられないようなミスを連発してしまう。当然すぐに交代させられ、監督からこっぴどく叱られる。
まだそれだけならいい。しかし問題はこれからだった。
あなたと同期でポジションを奪い合って負けたYがあなたからポジションを奪う。
さらにあなたより下手だったはずのTとAがあなたが知らないうちに急成長し、レギュラーで出るようになる。
あなたはそんな彼らをみて、劣等感や焦りを感じる。あなたはYやTやAのせいでベンチになった他のメンバーを見ると、安心と同族意識を感じる。
また、自分の背番号である10がプリントされたユニフォームを見ると、
恥ずかしさと
Yの方が似合うのではないかというのを感じる。
YやTやAが活躍するたびに他の部員が盛り上がるのをみると
画一化されていく危機感と
彼らが感じているであろう優越感を嫉妬する気持ちを感じる。
そしてあなたはこんな惨めなあなたにした監督を憎むようになる。
監督を虚ろな目で見て、表面上、従順な様子を見せるが内心では監督を罵倒し続ける。
あなたはサッカーに意欲を無くしていく。
あなたははやく部活が終わらないかと常に時間を気にするようになる。そして家に帰ると監督にイライラし、YやTやAを恐れる。
というのもあなたに対するYやTやAが段々と見下すような関係性になっていることに気づく。そして他の部員も、大きなものに巻かれるようにあなたを見下すようになる。
あなたはそうしてやっと人の普遍性、あなたの醜さ、弱さ、差別に気づく。
あなたがそうした暗い日々を送っている時あなたの兄はYMCAを休むようになり、バイトを更に入れるようになる。
あなたはたまたま新宿駅で兄が風俗店のボーイとしてビラ配りをやっている姿を見つける。あなたは風俗店なるものを知っている。
あなたはあなたの兄がとりあえずあなたの母のビジョンからかけ離れた、真反対の場所にいるなあと思う。
あなたはふと思って、新宿のネオンサインの大通りから一本外れた暗い通りに行くと案の定浮浪者が一人ゴミ袋を漁っていた。
裸足は真っ黒く、いかにも固そうな皮膚で、指先は変なふうに曲がり、身体中プルプル震えている。
灰色の煤けたジーパンとブルゾンを着て頭は白髪の混じるハゲ頭だった。
あなたは浮浪者の一挙手一投足を観察する。浮浪者はしばらくして食い残しのある弁当を取り出し、中の余ったコメをその汚い変なふうに曲がった黒い指で掴みひげもじゃな口に押し込む。全て食べ終わると指を舐めて、ジーパンでふく。口からはとろーりとよだれが垂れる。
時々風向きが変わると、ビルの裏手に寄っかかって、浮浪者を見ているあなたの元に異臭がくる。ゲロとフンと加齢臭が混ざり合う匂いである。
あなたは浮浪者が何のために生きているのか疑問に思い、あなたは更にしばらく観察した後家に帰って寝た。
あなたはその日危険な夢を見る。車のボンネットに体が乗り上げ、そのまま車は加速し、ストレートの二車線からカーブになるところで目の前のビルに突っ込み死ぬ夢だ。視界は真っ白くなり身体中溶けるくらい熱くなり、最後ビリッとしてはね起きる。
あなたはそしてダイニングキッチンの窓に誰かいることに気づいて、寝ながら首をあげてもっと注意深く見ようとするとあなたは金縛りにあい、耳元で救急車のサイレンが大音量で響く。
あなたはしかしどうにかして窓を見ようとする。そしてあなたはもう一人のあなたがあなたをのぞいてることに気づく。もう一人のあなたがあなたをのぞいてる。
あなたは次の瞬間、視界が真っ白くなり、気を失う。
あなたはいつも通りの時間に起きるといつも通りに朝食を食べてまだ寝ているあなたの母や父を起こさぬように外に出る。
自転車に乗って小川沿いを走る。
学校まで20分だが、あなたはその間、ウォークマンでボーイツーメンを聴きながら小川にいるガチョウの群れと一匹の白鳥を見る。
あなたは白鳥がほとんど微動だせずその屹立した真っ白い姿が雨上がりの青い空と相まってはっとさせられるほど美しいことに気がつく。それに比べてガチョウの群れはグゥアーグゥアーと鳴き、
親ガチョウの後を何も考えずに泳いでついていく子ガチョウと孫ガチョウや、
グゥアーグゥアーと威嚇しあって喧嘩する男ガチョウや
日向ぼっこできる岩の上を独占して他のガチョウが入ってきたら突き落とす権利者ガチョウとかがいた。
あなたはその白鳥とガチョウの様子を見て何だか考えさせられる。何か考えなくてはならないことがある。
あなたはしかしそんなことを考えて、耳元では救急車のサイレンの音を使って歌うボーイツーメンのミュージックを聴いていると、
気づかないうちに赤信号のまま横断し、横から猛スピードって走っていたタクシーのボンネットに体が乗り上げて二車線のストレートの道からカーブになるところでビルに突っ込み、
熟れて腐ったリンゴのように弾け飛ぶ。