第四章 最後の鍵
どれくらい意識を失っていただろうか。
ふと気が付いて周囲を見回す。
白くて細長い通路の只中だった。どうやら廊下のようだ。窓一つ無いことから、地下と知れる。
空気はひんやりと冷たい。地下特有の、どこか饐えた匂いが鼻をついて思わず明菜は顔をしかめた。
落下したのは覚えていた。幸いにも、身体に痛みは無い。
明菜はゆっくりと歩き出した。廊下のずっと奥がどこか広い空間へ続いていることに気が付いたからだ。そこまではまだ、かなりの距離がある。
敵との遭遇を考えて、常に全身を緊張感で包むことは忘れない。いつでも身体は攻撃や防御、回避へと移れる。
しかし、廊下の終わりまで襲撃は無かった。
一歩、明菜は廊下を抜けた先のその空間へと足を踏み入れた。
かなり広い部屋。先ほどまで戦っていたドーム型の建物よりは劣るも、それでも十分な広さを備えている。
ドロドロとした空間だった。
赤黒い、洞窟のような部屋。
まるで生きているかのように、内臓の中のようにドクドクと脈打っている。
卵のような、繭のような不気味なものが、天井や壁に埋め込まれ、ダラダラと、粘液を滴らせている。
腐臭がする。
「大したものですね、先生」
その声は、部屋全体に響いた。
気配がまるで感じられなかった。だが、声は聞き覚えがある。
「念のために、用意しておいて正解でした」
そう言いながら頂に姿を見せたのは、山岡だった。
真っ白な、ローブのようなものを巻きつけたその姿は、いかにも高潔な聖職者を思わせるが、この汚わいな空間にはまるでそぐわない。
「お前達」
山岡の口調が鋭くなり、それは明菜以外の何者かに向けられていた。
何時の間にか、部屋の隅に二人の男が立っていた。
長髪、唇に付けたピアスの細身の男。
パンチパーマ、右手には木刀を下げた男。
二人は山岡と同じく、真っ白なローブを纏っているが、醸し出す雰囲気や、ヘアスタイルとまるで釣り合っていなかった。
「初めて会ったとき、あなたは意識を失っていた。だから俺達を知らないだろう。自己紹介させてもらうよ。キドだ」
ピアスの男はそう名乗った。
「俺はオニヅカだ」
パンチパーマは短く、ぶっきらぼうに名乗った。
尋常でない殺気が全身から放たれている。
こいつらも、魔人!
先ほどまで戦ってきた実行委員会に勝るとも、劣らぬ実力者とすぐに知れた。
「かかれ」
その一言で・・・・・。
オニヅカが仕掛けてきた。キドは一歩も動かない。
凄まじい鬼気が吹き付けてくると同時に、彼が木刀を振り上げるのが見えた刹那・・・。
突如として、オニヅカが二人になったように見えた。
内の一人が何時の間にか、明菜のすぐ目の前にいた。
回避は間に合わないと見るや、明菜は右腕を繰り出す。
だが、手ごたえは無かった。
逆に、背中と腹部に、硬い一撃を受けたのを感じて、明菜は仰け反った。
ただの打撃ではない。
それは熱のような感触を内側へ残すや、血飛沫の奔流として表出した。だが、驚くことに、傷口はなく、血のみを、絞り出すようにして噴出させたのだ。
実に奇怪な傷みだった。打撃の痛みでもなく、火傷でもなく、内側にダメージを受けたのともまた違う。それでも、血は流れる。
「分身剣」
静かに、オニヅカは自身の技の名を明かした。
ゆらり、とその身体が動いたかと思えば・・・・。
再度。
オニヅカが二人になって内の一人が攻撃を仕掛けてきた。先ほどと全く同じ。
「二度も通じないわ」
最初は戸惑ったが、今回は目で追える。
再び、右腕を振るい、拳を顔面へ叩き込む。
だがやはり・・・・。
手ごたえは無い。殺気も、動きも、幻を感じさせないのに、だ。
「無駄だ。分身は打ち抜けんよ」
と、当の分身が言った。
木刀が振るわれる。傷口無くして、血だけを迸らせる木刀が来る。
打たれた。
「・・・・ぐ・・・・あッ」
胸から血が、噴水みたいに飛び出す。
全身から力が抜けていく。
「その程度か?まだその腕の力・・・・、すべて見せてるわけじゃあるまい。目覚めた・・・はずだ」
再び・・・、明菜は右手に力を込める。
あの、感覚を呼び戻そうとする。
禍々しい衝動を、解放しようとする。
不意に。
ドロドロとした何かが、脳髄を染めようとしていた。
ぞくりと、全身が震える。強烈な悪寒が走ったためだ。
「・・・・我を御せると、思ったか?身の程を知れ、女」
脳内に、冷たい声が響いた。
「望むがままを、執り行うだけ。我は誰にも束縛されないし、命令もされない。おまえなど、器に過ぎない。それを忘れるな・・・・」
凶悪な感覚だけが、意識を染めていく。
視界が塗りつぶされていく。
暗転・・・・した、刹那。
明菜は疾駆していた。
既に、右腕は異形と化し、黒い炎に包まれて滾る破壊の衝動を存分に湛えていた。
「そいつか」
満足したように、オニヅカは頷いた。
直後。
その顔に、明菜の拳がヒットする。
手ごたえはあった。
だが・・・・、それも一瞬。すり抜けるようにして、消失する。
今の明菜が、驚愕を感じたかどうか。
両目は、朱に染まっている。
「なるほど。まだ奥行きがあるのか」
声が背後から響いたと同時に、振り向きざま、明菜は拳を振るうが、捕らえることはできなかった。
「そこのキド。何もしていないと思ったか?」
確かに、キドは先ほどから静かに佇み、二人の戦いを見守ることしかしていない。
「彼の能力はサポート系でな。気づかないのも無理は無いが、先ほどからおまえの力、戦術、筋肉の癖まで逐一、分析され、データとして奴へ送られ、フィードバックされたそれを、俺が受け取っているのだ。したがって、おまえがどれほどの力を秘めていようと、それを少しでも見せた途端、キドによって分析され、俺に送られてくる」
オニヅカの言葉がどれほど明菜に通じただろうか。
彼女は、右腕に力を込めた。
「無駄だ。次に放つ攻撃が何か、もう俺には分かってるぞ。おまえの筋肉の動き、予備動作の型、その動作時間、継続時間、視線の位置、吸い込む空気の量、それに伴う肺の膨張、縮小の度合い、その他、各データが、次に繰り出す攻撃を正確に予想している。その対処法も既に俺の中にはある。だが、俺の次の攻撃は、おまえには読めない」
理性ある状態の明菜ならば、攻撃を躊躇ったかもしれない。と言って、他に有効な手があるとも思えなかった。どうあれ、攻撃は予測されている。
そして、今・・・・・。
凶暴な衝動に塗りつぶされている彼女は、臆することなく、予測された一撃を放った。
右腕が伸びたかのように見える一撃だったが、それは、周囲を包む、黒い炎が巨大な腕の形状をとり、発現したものだった。
だが、オニヅカは攻撃の出始めで既に回避に移っている。決して、その攻撃は鈍いものではない。繰り出されたのを確認してから避けるのでは、間に合わない一瞬の速度だ。攻撃が予測されているという言葉が、偽りではなかったことを物語る動きだ。
同時に、分身が来る。
「そこからの足の運び、力の入れ具合、視線の方向から次にどう動くかは見えている。俺の攻撃を避けることはできないぞ」
分身は、流れるような動きで迫ってきた。捉えきれないほど速いわけではないが、遅いわけでもない。速度の問題ではなかった。影のように、付かず、離れずと言った奇妙な動きで確実に迫ってくるのだ。分身は、現実的である一方、靄のような、霧のような肉ある存在が感じる物理法則の壁をもろともしない動きを可能としているのだ。
故に、いくら距離を取ろうとしても、追いつかれる。明菜の動きは、格段に速さを増していたが、それですら、振り切ることができない。どれほどの速度で逃れようと、既に、木刀の間合いにある。
だが、今の明菜は、オニヅカの攻撃を逃れるために、闇雲に動いているわけではなかった。
たとえ、漆黒の闇に塗りつぶされていようと、本能にも似た動きか否か、何かしらの算段は持っているらしい。
明菜は、キドへ向かった。
まずは、自分の動きを分析、送信するキドから潰そうと作戦を変更したのだ。
「笑止」
短く、キドが言葉を放った。
同時に、明菜は拳を振るっていた。
だが・・・。
殺戮の拳は、急速にその勢いを失った。
「この円の内側は、俺のテリトリーだ。ここでは、おまえの力は封じられる」
見れば、キドから周囲、約二メートルに渡り、銀色の円が描かれているではないか。
右腕だけではない。明菜全体を包み込んでいた、黒く、禍々しい力が、急速に失われていた。目の輝きも失せ、元の明菜のものに変わっている。
「どのような力で、身を包もうと、ここでは無為。大人しく、死の定めを受け入れろ」
現実的な感覚が蘇り、思考が正常に戻って、明菜が状況を把握しかけた時・・・・。
明菜の胸部から、木刀が生えた。背後からオニヅカが貫いたのだ。
しかし、血は出ない。木刀だけが、生えている。それは実に、奇怪な光景だった。
「このポイントでいいんだな?」
「ああ。心臓から右肺寄り、下三ミリの位置。そこが・・・・源だ」
「正確に貫けたはずだが・・・・?」
「その感触から行けば、そうだろう」
静かに交わされる二人のやり取りを、明菜は不思議な感覚で聞いていた。
胸を貫かれているはずなのに・・・・。
痛みは無い。
いえ・・・何も、感じない。
感覚が無い。
冷たい。
死んで・・・・・しまう?
本当に。
今度こそ・・・。
救いは・・・・・無い、の?
来て・・・。
あの・・・・・感覚が、欲しい。
奥底から沸いてくる・・・・あの感覚。
黒い。
闇。
生暖かいような、凍てつくような・・・。
塗りつぶされていくような・・・。
ブラックアウト。
欲しい・・・。
来て欲しい。
私を・・・・。
支配して・・・・・・。
蘇らせ・・・・・・て。
まだ・・・・死ぬわけに・・・・・・は。
「我を求めるか?女」
声がした。
天啓とすら、感じる。
闇が。邪悪が。
「俺は滅びはしない。我は、どこにでも居、また存在しない。おまえが望む、望まぬ、関わらず、既におまえは魔道に囚われている。おまえの意思など、無関係だ。おまえは、我の餌。ただの、餌なのだ。絶望と、怒りに染まり、歪んだ心と、身体こそが、最上の供物なのだ。おまえが我を求めようと、拒絶しようと関係は無い。餌である限り、おまえは俺に貪られる。食われる定めなのだ。おまえに訪れる本当の死とは、我がおまえを喰らい尽くした時に訪れると知れ」
ゆっくりと・・・。
明菜は突き出た木刀を掴んだ。
見る見る、その右腕が、異形のそれへと変じていく。
キドのテリトリーによって、力を封じられ、さらにオニヅカの木刀で、正確にその「源」を破壊されたはずの力が・・・。
当然のように、二人は驚愕した。
「馬鹿な」
突き出た木刀は、目の前で叩き折られた。
拳が唸る。
「そこまでだ」
一撃を、寸でのところで食い止めたのは、山岡だった。
禍々しい殺戮の一撃を、彼は平然と平手で受け止めている。
直後、凄まじい衝撃が明菜を吹き飛ばす。
中空で彼女は一回転し、着地した。
「必要なデータは、収集させてもらいましたよ、明菜先生」
山岡は不敵に笑った。
「・・・・出でよ」
すうっと、彼は右手を持ち上げた。
すると・・・・。
床から、何かが現れた。
奇怪で、不気味な、肉塊。
中央部分に三つ、心臓が凝集されていた。ドクドクと、三つの心臓は鼓動を打つ。
心臓だけではない。臓器の断片とも付かぬ、肉の欠片が寄せ集まり、血管で縫いつけられて、繋がっている。
キドと、オニヅカはその左右、肉塊を挟むようにして立っていた。
その表情。
一種の、大悟に至った求道者のように、そこには何の表情も浮かんではいなかった。どこかに辿り着いた者だけが持つ眼差し。あるいは、高潔な覚悟に至れた者だけが持てる眼差しを、確かに二人の魔人は備えていた。殺気すらも、姿を消している。
「汚濁で遊ぶ幽玄たる魂。月ヶ原の孤児。処女の裂けたる腹より出でし、双頭の蛇よ。発狂せし、呪われた生命を祝福し、許したまえ」
山岡が、怪しげな呪文と共に掌を切った。
鮮血が、滴り、醜悪な肉の塊に垂れ落ちる。
すると・・・・。
肉塊は急速に、破裂したかのように膨張したかと思うと、巻きついている血管を解き放ち、それをオニヅカとキドの丁度、心臓部分へと突き刺した。
だが、二人は微塵も、苦痛の表情を見せぬ。
肉塊は、血管を通じて、二人の血を・・・・、吸い取っていた。それに伴い、肉塊が、徐々に、巨大化を始めていく。逆に、二人の身体は少しずつ痩せ細りだす。
膨張する、肉は、そのうちに、キドと、オニヅカの身体を徐々に取り込み始めた。むくむくと、歪に、悶えるようにして不気味に膨らむ肉壁に、食われるようにして飲み込まれながらも、やはり二人の表情には何の変化も無い。
そうしてついに・・・・。
キドとオニヅカを完全に飲み込んで尚、より一層、肉塊は膨張した。
その、あまりの光景に、一時は息を呑んだ明菜は、しかし、すぐに攻撃を開始した。
肉塊へと跳躍しつつ、右腕の力を解放する。
殺戮を欲する拳は、ただの肉壁など、易々と四散させうる力を備えて余りあるはずだった。
が・・・・。
必殺の一撃は、弾き返された。
脆弱そうな肉の塊は、そのまま鉄壁の防御となり、明菜の拳をまるで通さなかったのである。
二発、三発、続けざまに明菜は右手を振るうが、全く無力化された。
「・・・・そんな」
「無駄ですよ、先生。その肉は外からの一切の攻撃を遮断します。中のものを保護するためにね。従って、先生の腕でも、傷一つつけられません」
膨張した肉に隠れて見えなくなった山岡が、肉の背後から言った。
「そして見えますか?宿った新しい命が」
今・・・・。
巨大で歪な肉塊は、いつしか卵型にその形を整えていた。
その内部。
薄く、透き通って見えるそこには、確かに、何かが蹲るような格好で浮遊していた。
「産まれ出でよ・・・・」
呪文のような山岡の声に、反応してか・・・。
肉の表面に、亀裂が生まれる。そこから、何やら液体が零れ出した。さながら、羊水と言ったところだろうか。
不意に、中のものが、もがく様にして暴れだした。呼応するように、亀裂が大きく広がる。
そいつは・・・・、欲していた。
出口を。
解放を。
出現を。
そんな動きだった。
明菜は、今度は動けなかった。
亀裂から液体と共に生じる鬼気に、全身が行動を拒絶してしまったのだ。悪寒が止まらない。震えも。その凄まじい魔力は、呪縛のようにして、彼女を捕らえてしまった。
やがて・・・・・。
爆発するようにして、肉塊が破裂する。
一気に、満たされていた液体が流れ出し、一帯へぶちまけられた。
その肉塊の、残骸の中に・・・・・。
そいつは、立っていた。
すらりとした、長身の体躯は、一糸纏わぬ。そこには、豊満な乳房、そして、肢体にあるは、隆起した男根が見て取れる。異形の肉から生まれた、そいつは、両性の象徴的な特徴を備えていたのだ。それだけではない。無駄の無い筋肉を供えているかと思えば、綺麗に括れた腰が目につく。指も、長く、繊細だった。
だが、もっとも、その特徴を現すは、顔だった。
美、としか形容はできない。いや、それすら陳腐で有り触れた形容に過ぎないだろう。
美男美女と言うが、まさにそれを体現した顔立ちは、中性的であり、男にも、女にも見えただろう。髪は長く、肩までかかる。髪質は女のものだ。無駄な体毛は一切無い。
これが、あの不気味な肉の塊から生まれた生命体だとは、とても思えまい。全能の神から成人のままに生まれた奇跡の結晶と誰もが思ったはずだ。
しかし、それは表面的な見解に過ぎない。
美が放つには、余りにもおぞましく、恐ろしい鬼気。殺気、魔力。
人形のように、生命を感じさせない冷たい眼差しは、世界のすべてを憎み、見下し、卑下して嘲笑っているかのようだった。
絶対的な美は、時としてそれ以外のすべての破壊へと及ぶ。自分以外のすべてを醜悪とみなし、排撃にかかる。
今・・・・明菜の目の前に屹立するそれは、紛れもない、美の形を借りた破壊神そのものだった。絶対的な美とは、もはや神の領域なのである。
「すべての超人不良連の力を融合させた生命体です。名は・・・・ルクチレオルド。あまりに危険すぎるので、ここ数百年は、生み出すことを戒めていたんですが、仕方ありません。お互い、もう残された時間は少ない。私は、学園祭の、最終段階の準備へと移らせてもらいますよ。止めたければ、それを倒してみることですね」
と、言い残し、山岡は暗がりの中に紛れるようにして姿を消した。
「待ちなさい」
明菜は後を追うように跳躍した。
が・・・・。
その前に、人形みたいなそいつ、ルクチレオルドが立ちはだかっていた。
冷たい、眼差し。
「退け!」
明菜は右腕の力を容赦なく解放した。
渾身の力を込め、それを叩きつける。
だが、攻撃は左掌で受け止められた。
直後、同じ掌から凄まじい衝撃が放たれて、明菜は吹き飛んだ。
肺の中の空気が、すべて吸い出されてしまうかのような重く、鋭い一撃に、明菜は咳き込んだ。
ルクチレオルドは、追撃するわけでもなく、その場に佇んだままだ。
言葉を発しない無表情な顔つきからは、いかなる感情も読み取ることができない。
再度・・・・、明菜は攻撃を繰り出した。
刹那、腕全体が巨大化したかと思えば、強大なる力の奔流が、ルクチレオルドへと襲い掛かる。
胸元へと吸い込まれた拳は、しかしその胴体を打ち抜けなかった。ルクチレオルドの肉体は、鎧のような強度で明菜の一撃を無効化したのだ。
「・・・・クレナイ・・・・アキ・・・ナ」
初めて、初めて、この人形みたいな生き物が、言葉を発した。
まさにそれは、幼児が、言語を獲得したかのような拙さだった。美や、完璧さからは程遠い。
ルクチレオルドはゆっくりと、右手を持ち上げると・・・・。
なんと自身の胸を貫いた。
そこからは、人間並みの赤い血がドクドクと流れ出す。
手首まで埋没させてから、引き抜いた時、ルクチレオルドの右手には、何かが握られていた。
骨だった。どうやら、肋骨のようだ。
手を引き抜いた後は、胸の傷は嘘のように治癒していた。
一瞬。
ルクチレオルドの姿がブレたかと思えば・・・・。
「ああああああああああッッッ」
明菜は凄まじい激痛を感じた。
右腕が、切り落とされている。
気絶する暇すらないまま、左手でのど元を掴まれて、高々と持ち上げられる。
「・・・シネ・・・」
拙い一言が発せられると、ルクチレオルドは、肋骨の剣で明菜の胸を刺し貫いた。
息苦しさと、激痛で、しばし明菜はもがいたが、長くは続かなかった。
すぐに・・・・・。
意識は暗黒の彼方へと飛ばされていく。
通じない・・・・。私の力は・・・・この化け物には。
私だけの力では・・・・この化け物を倒せない。
あああ・・・・・助けてもらわなければ。
あいつに・・・・・。
ねえ・・・死にそうなの。
こんなところでは・・・死ねないの。
お願い。助けて・・・。私を救って。私が死ねば・・・・困るんでしょ?
早く・・・・。
「無様だな、女」
声が・・・する。
「惨めに命乞いか」
そうよ。死にたくないの。
「何度、我に縋り付くつもりだ?非力な人間が、何を自惚れているのだ?」
私はただ、死にたくないだけ。まだ、死ねないだけ。
「もうおまえには、骨ほどの価値もない。残り僅かな、食うにも値しない肉片がこびりついただけの、捨て置かれるだけの、か細い骨よ」
私を、見捨てないで。助けて。死にたくない。死にたくないの。
「絶望し、復讐に身と心を焼き焦がし、殺戮し、破壊する。我が求めるのは、そういう身と心。哀れな、命乞いをするだけの、力なき実存ではない。望めば、おまえを助けてやると勘違いするなよ。おまえが使えないのなら、別の餌を探すまで。おまえを助けるために俺は在るんじゃない。おまえが死のうと、どうなろうと、そんなことは、俺にはどうでもいい。生きる価値が無いんだから、死んで当然だ。俺が求めるのは、修羅になることを喜んで望む穢れた心だ。夜叉になることを自ら望む呪われた魂だ。おまえにはそれが無い。だから、おまえは自分の力に限界を感じている。俺にばかり頼ろうとする。死にそうになれば、俺を求める。その繰り返しだ。俺には、なんの得も無い。見返りが期待できないんじゃ、これ以上、おまえの元にいても仕方がねえよな」
意識が遠のく。
痛み故に。
死が近い故に。
「本当に死ぬってことがどういうことか、いっぺん、本当に死んでみるか?」
嫌。
死にたくない。
暗いところへ行ってしまいたくない。
生きていたい。
まだ、死ねない。
「性根が腐った魂ほど、不味いもんはねえんだよ。どんどん、どんどん、おまえは腐ってきてる。もう食えるところなんて、ほとんどねえんだよ。俺が、おまえを、どうこうする理由は、もう、ねえ。さあ、決めな。あとは、おまえ次第だ・・・・・」
死ぬのか?
生きるのか?
生きるためには、
修羅になれ。
夜叉になれ。
羅刹になれ。
鬼となれ。
獣となれ。
畜生となれ。
人を捨てろ。
死を厭うな。
痛みを避けるな。
血を嫌うな。
殺しを喜べ。
破壊を楽しめ。
でなければ・・・・。
死ね!!!!!!!!
ルクチレオルドは、明菜の身体が動かなくなったのを確かめると、肋骨の剣を引き抜いて、明菜を地面へと放り投げた。
「ニンゲン・・・ノ・・・・・ニク。オンナ・・・ノ・・・・ニク」
その興味は、怪しげな方向へと向けられている。
ゆっくりと、動かない明菜に近づく視線には、好奇の色が濃かった。人形めいた生き物が、初めて、感情らしい感情を表出させた瞬間だった。
肉体の反応は尚、正直だった。
両の乳首は立ち、肢体の男根は天を仰ぐ。
それからゆっくりと、明菜の身体へ触れる。
硬直が始まり、冷たく、硬くなった身体。
死装束である黒いレザージャケットのファスナーを、ゆっくりと引き下ろしていく。手探りをするようにして、ルクチレオルドは剥き出しになった、明菜の乳房に触れていく。確かめるような指使いだ。張りもなく、しな垂れたその乳房を、むしろ楽しむようにして、ルクチレオルドは愛撫した。
切断された右腕と、胸元の刺し傷から流れ出す血はもはや無く、生々しい傷跡があるだけだ。それらに、愛おしそうに指を這わせた後に、ルクチレオルドは完全に明菜を裸に剥いた。
硬直した両足を強引に開いていく。
男根は荒々しく反り立ち、侵入の準備は万端と告げていた。
死肉の塊から生まれた故に、同じ、温度を失った肉に執着するのか。
絶対的な美が求めし情欲の対象は、刹那時を止めたものにしか向けられないのかもしれぬ。やがては腐り、朽ちていく定めであると知って。生の衰えよりも、死しての崩壊こそ、正しい基準なのかもしれない。
ゆっくりと、隆起する男根を、温もりを失った中へ沈めこもうとした刹那・・・・。
それが、握られた。
動かないはずの左手によって。
死んだはずの、女によって。
「・・・・化け物も、死姦ってするのね」
生気を失い、百蝋のような肌になったはずの女、紅明菜は呻くようにそう言った。長い夢から覚めたかのように。
「化け物にしちゃ、随分と立派なもの持ってるのね」
みるみる、その皮膚に、生気が戻る。
切断された右腕は・・・・・再生を始めている。
その腕に、明菜は力を込めた。
ドロドロと、沸き立つ熱いものがそこに流れ込んでくるのが分かる。
力を抑え、暴走を抑え、不要な殺戮と破壊を恐れること。
それが、私の限界だった。
塗りつぶされても構わない。支配されても。
そして、その結果、破壊の女神となろうと。死の女神となろうと。
それこそ、私が望んだものだったはず。
慈悲なんて、捨てたはずだった。でも、それは違う。私はずっとそれを持ってた。そのせいで、私は自分の力をも押さえつけてしまった。
さあ、どんどんと私を汚しなさい。奪いなさい。犯しなさい。
生きることを許してはいけない者達を処刑するのが私。
そのために、私は羅刹になる。修羅になる。
不要な殺戮や破壊なんて無い。
すべて必要だから、それらはある。
この腕に宿り、好きなだけ暴れなさい。私が身体と心を貸してあげる。
右腕は、異形のものへと形を変えていく。
膨張し、増長し、巨大化していく。
荒々しい力が溢れ出し、黒い炎が噴出し、まとわりつく。
奇怪な文様が赤く輝きだす。
凄まじいフレア。怒気、魔力。
一瞬にして、明菜はルクチレオルドの男根を叩き潰した。
流石に・・・・・、奇声を放って、相手は悶えた。だらだらと、鮮血が滴り、潰れて千切れかけた男根がぶらぶら揺れている。
「カオスの右腕」
思い切り振りぬいた右腕が、ルクチレオルドの胴体に叩き込まれると、凄まじい破裂音と共に、大きな風穴を開けて、その身体を吹き飛ばした。
追い討ちをかけるように、明菜は跳躍する。
まだ敵は倒れたままだ。
中空から、巨大化した腕を叩きつける。
黒い炎が地面から吹き上がる。
煙に、一帯が包まれた。
明菜はゆっくりと、立ち上がり、山岡が消えた暗がりを目指す。
と・・・・。
背後から叩きつけられてきた、肋骨剣を、彼女は右手で受け止めた。
「やっぱり。この程度じゃ無理みたいね」
ルクチレオルドは、何事もなかったかのように立ち上がっている。
傷一つ無い。
「でも分かったわね。私の腕は、通じる」
再度、攻撃を繰り出そうとしたが、先に仕掛けたのは、相手だった。
その身体がブレる。
繰り出される分身。
それは、オニヅカの技、分身剣ではないか。
分身が目の前に迫ったとき・・・。
明菜も攻撃を繰り出す。だが、それは先ほどから虚しい手ごたえを伝えてくるだけだったはずだ。
しかし、今度放った攻撃は一発ではなかった。
無数の拳。
無数の腕が繰り出されたかのようだった。
それが分身をかき消す。
刹那、実体が、明菜に切りかかる。
だが、無数に繰り出される拳の中から、巨大化したフレアのような拳の塊が、炎のように襲い掛かる。
黒い炎の拳の直撃を受けて、ルクチレオルドは派手に吹っ飛んだ。
明菜は追撃する。
未だ、炎に包まれている敵に、先ほど見せた無数の拳を叩き込む。
手ごたえは確かだった。皮膚を打ち抜き、骨を砕き、鮮血を撒き散らす感覚。
これ。
これを求めていた。
殺戮。
破壊。
血。
生きることを許されぬものに拳を振るっているだけ。
なぜ、慈悲を?
許しを?
そんなものは要らない。
さあ、もっと。
もっと、私を楽しませて頂戴。
こんなもんじゃ無いんでしょ?
不意に・・・・。
身体が後方へと引っ張られるような感覚が走る。攻撃はやむなく、そこで中断された。
目の前でルクチレオルドが立ち上がってくる。
傷は・・・・すべて綺麗に消えている。
だが、眼が。
怒りに燃えていた。
「そうよ。来なさい」
と言ったものの、明菜は自分が動けないことに気づいた。
見えない何かが、身体の自由を奪っている。
「タカガ・・・・・ニンゲンノ・・・・・ブンザイデ・・・・・・・」
全身から凄まじい怒気が撒き散らされた。
刹那。
明菜は全身から血を吹いた。
自分を束縛する見えない何かが一瞬で切り刻んだと知った。だが、それだけではなかった。
身体が宙吊りにされた。
それから・・・・・。
捻じ曲がっている。身体の各所が、正しい身体の向き、関節、骨、筋、神経に逆らい。
刻まれると同時に、傷口を基点に身体が変形していく。
凄まじい激痛が走る。
急速に酸素が失われていく。
息苦しさにもがこうにも、上手く手足も動かない。
その中で、首に凄まじい力が加えられる。
ゆっくり、右側に、少しずつ、少しずつ、首が捩れ出す。
このままでは、程なくして首は捻じ切られてしまうだろう。
どうにかして・・・・こいつを解かないとッ!
迫り来る瞬間に、明菜は焦りだした。
せめて、右腕さえ、自由にできたら・・・・・。
拳を握り、右腕に力を取り戻そうと意識するが、痛みのせいで、上手くいかない。
その間にも、首へかかる負担が限界を超え始める。
もう一度・・・・。
意識を右腕に集中する。
凶悪な破壊の力の解放をイメージする。
血が・・・・巡りだす。
痛みが、刹那、消えた。
禍々しい、殺戮の力は、不可視の拘束を打破した。
その腕が、異形の姿を現すや、黒い奔流となって、ルクチレオルドへ飛ぶ。
片腕を上げて、敵は迎撃体勢へ移る。
易々と、弾くかと思いきや・・・・。
黒き、炎の奔流は、そのまま、ルクチレオルドを圧倒する。片手で受け止めたまま、ルクチレオルドは後退した。
もう一方の腕を出す。
両腕で御そうとする。
が・・・・。
後退は止まらない。
防御に、神経を向けたためか、明菜の拘束が緩んだ。捩れていた肉体が、神経が、血管が、元に戻り、正常な活動を再開する。
自由を取り戻したとは言え、動けるにはしばしの時間が必要だった。
その間・・・・。
黒い炎は、ルクチレオルドの防御を突き抜け、その身体を包み込み、吹き飛ばした。
「ソノテイドカ?ニンゲン」
声は、背後でした。
明菜の反射神経は申し分ない速度で機能した。
振り下ろされた肋骨剣を、叩きつけた右手がへし折ったのだ。
拳はそのまま、ルクチレオルドの胸元へと叩き込まれる。
「ムダ。イタク・・・・ナイ。オマエノチカラ、スベテ、キオクシタ」
腕の力は些かも抑えていないし、弱まってもいないはずだったが、拳は虚しい手ごたえを伝えてきた。
「オレ・・・オコラセタナ。ヒトオモイニ、コロシテヤル、ニンゲンメ」
凄まじい、これまで以上の殺気、怒気、そして魔力が、ルクチレオルドの全身から噴出した。
空間一体が振動する。
明菜を・・・・・悪寒が包む。
鳥肌が立つ。
全身の筋肉が弛緩して、危うく失禁しそうになった。
右腕に力を集中させていなければ、失神してしまっただろう。今は辛うじて、この腕の力だけが、目の前の魔人と対峙して尚、意識を維持できている唯一の支えだった。
しかし、その力も、すべて読み込まれ、記憶され、反映されている。この分析力はキドの能力を生かしたものだろう。打破するには、さらなる、予想を超えた力を叩き込むしかないが、それすらも、分析され、記憶されてしまうだろう。キリが無い。
仕留めるなら一瞬、そして一撃。それには、明菜自身も予想できない力を放つ他あるまい。
空気までも、振動を始めた。
そして・・・・・。
魔人は、咆哮した。
聞くものを、震撼させずにはいられない雄たけびだ。奇声と言ってもいい。気狂いするのが当然かもしれない。
その声が、空気を叩き、地面を揺さぶった時・・・・。
明菜は吹き飛ばされた。
壁に勢いよく叩きつけられるが、幸い、硬くは無く、激突によるダメージは無かった。その代わり、腐臭のする、汚液に塗れたが、気にしている暇は無い。
ルクチオレオルドはゆっくりと、明菜へ接近を始める。その身体に無数の血管が浮き出ていた。
再び、空気が震える。
震えた空気は・・・・・帯電していた。
少しずつ、それがルクチレオルドへ集まりだしていると分かるや、無数に浮き出た血管は、いよいよ体表にまで露出し、蛇のように、不気味にうねっていた。
それから、目に見えて、火花が、放電が、スパークが、ルクチレオルドの身体を取り巻き始めた時、電撃を帯びた空気が、辺りに満ち始める。
つられるようにして、地面が再度揺れた。
空間一帯は、凄まじい熱気に包まれている。肉壁が、その熱に耐え切れぬのか、随所で破裂を始める。中の汚液が、そのたびに飛び散り、耐え難い悪臭を撒き散らす。
大きく・・・・・・。
ルクチレオルドが息を吸い込んだ。
それからあの、獣の雄たけびを放出し、敵が両手を広げた刹那・・・。
周囲は、白光に染められた。
何も見えぬ。
音さえ、消失した。
その光の中に、明菜もまた、飲み込まれた。
それは凄まじい、凄まじいまでの放電だった。何万という稲妻が、一気に放出されたに等しいパワーが、炸裂したのだ。
雷を自在に駆使する、荒ぶる神のそれには及ばぬ力かも知れない。だが、それでも、別の世界を現出させるには十分過ぎたようだ。
あの、赤黒い、不気味な肉の空間は、ルクチレオルドの放電により、どうやらすべて蒸発、消滅してしまったようだ。代わりに、広がっていたのは、広大な石造りの部屋だった。
肉壁の部屋は、この部屋の中に設けられていた一種の閉鎖空間だったようで、この地下室こそが、部屋の本体らしかった。
明菜はどこか。
小部屋とも言うべき、肉の空間が消失したのと一緒に、彼女も跡形も無く蒸発の運命を辿ってしまったのか。
確かに、あれだけの放電を、至近距離で食らえば、いかなるものも、五体を満足な形状で留めることなどできはしないだろう。
ルクチレオルドは、外の世界を見回した。
あの、肉の部屋を、胎内とするならば、この無機質な地下は、彼、ないし彼女にとって初めて接する外界となるだろう。
だが、ここには命を祝福する暖かさはない。
もとより、その存在は、望まれたか、拒絶されたか。
あるのは、ただ破壊と破滅。それのみに生ける生命体を、望み、祝福するのは邪神くらいだろう。生まれながらにして完璧。だが、生まれた直後故に、それは未熟でもあった。
その、境界でさ迷える孤独で、奇怪な命は、そのまま、あてもなく歩き出した。
分かるのだ。
さらに外、上、その世界で渦巻いている、命の躍動が。
それは同胞を見つけた喜びなどではない。
壊し、殺し、蹂躙する相手を見つけた歓喜に他ならない。玩具を見つけた子供のようなものだ。
しかし、それはすぐ傍には無い。すぐ手の届く場所に無い。
その時、子供はどうするか。
ヒスを起こすしかない。
ルクチレオルドも・・・・・。
疾駆し、辿り着いた壁に阻まれた。
四方を駆け抜ける。凄まじい速さだ。この、競技場のトラックほどもあろうかという地下の周囲を、ざっと五秒ほどで精査してしまった結論。
この地下には、出入り口が無いということだった。そして、壁や床、天井の厚みは、計り知れぬという、ある意味、隔離された空間だった。
破壊し、殺戮するに足る、命の蠢きを感じつつも、手に入らぬもどかしさ。
そのもどかしさが、怒りへ転じるのに時間は要らなかった。
拳が、次々と、壁を叩く。
「ダセ・・・・・ダセ。ココカラダセ。ダセ、ダセ、ダセ、ダセ、ダセ、ダセッ」
その拳は石壁を砕くも、到底、抜け出せる活路を切り開くには至らない。
「コロシタイ、オカシタイ・・・・ダカラダセ、ココカラ、ダセ、ダセッ」
と、尚も、ムダと知ってか拳を次々叩きつける。そのたび、地下室全体が、崩落するんじゃかいかと思える振動が生じるが、そう思えるだけで、実際は、不動の空間だ。
「大人が駄々こねてるのって、みっともないわよ」
平然とした声が、その背後からかけられたのと同時に・・・・。
疾風の勢いで、ルクチレオルドは声の方向へ飛んだ。
明菜は、繰り出されたパンチを、こちらも右腕で払いのけた。
勢いあまり、ルクチレオルドは大きく飛んだが、着地は綺麗に二本足だった。
その顔に、驚愕は無い。ただ、殺すに足る相手が、予期せず現れた喜びだけがある。まず、手始めにこいつから・・・・。心境はそんなところだろう。
「あの気持ち悪い肉がクッションになってくれたわ。ま、どうして生きてるのかなんて、どうやら興味無さそうね」
あの放電の刹那。
右腕の力を最大限に発揮し、明菜は肉壁をぶち抜いてその中へ身を沈めたのだ。一瞬の早業だ。肉を突き破る感覚で、さらに外に空間が広がっていることに気づき、そのまま、進み続けると同時に、雷電による凄まじい衝撃が叩きつけてきたのだ。丁度、それに押し出される格好で明菜は一足先に肉を突き抜けて、地下へ脱出していたのだ。それからどこへ身を潜めていたものか。一度、この地下室は、ルクチレオルドに探査されていたのだが・・・。
「そんなに殺したいんなら、まず私からになさい。他の人たちは関係無いわ」
言われなくてもそうするさ、というようにルクチレオルドが突進する。
繰り出した手刀は・・・・。
あっさりと、明菜に食い止められていた。
「遅いわよ」
反撃とばかりに、明菜の右手が、ルクチレオルドの右手を手首から握りつぶす。
「どうやら、さっきのですべての力を出しちゃったようね。あるいは、あの変な部屋が、あんたに力を与えていたのか、あるいは、この地下があんたの力を押さえつけているのか・・・・。どっちにしても、もう終わりよ」
さっと、手首を離してから握りなおされた拳が・・・。
ルクチレオルドの心臓部目掛けて叩き込まれた。
その刹那に開放された、闇のパワーは、深く、手首まで減り込み、大胆な破裂音を轟かせて、ルクチレオルドの身体を吹っ飛ばし、硬い壁に叩きつけた。開いた風穴からは、黒い炎が噴出している。鮮血は、無かった。炎に蒸発させられたのかもしれぬ。
手ごたえはあった。キドの能力により、すっかり分析され、把握されたに見えた明菜の攻撃は、ここへ来て再度、有効となったのだ。致命傷だろう。
それでも・・・・。
ルクチレオルドは起き上がってきた。
開いた風穴はそのままに、ドクドクと溢れ出す鮮血もそのままに、唇から滴る血を拭いもせず。
活動を再開したものの、その動きは、とても戦えるものではない。ふらふらと、今にも倒れそうに歩いてくる。全身が百蝋のように白くなり、死相が浮き出ている。顔は、百も年を取り、あの美貌は見る影も無い。しなやかで逞しい筋肉は、弛み、乳房も張りを失い、千切れかけて終ぞ再生しなかった男根は、干からびた人参みたいだった。
「・・・バカ・・・ナ。コンナ・・・ハズデハ・・・・・。イッタイ・・・ドウシテ。ドウシテ・・・・コンナ・・・」
声は、拙くわなわなと震えている。
「イヤダ・・・・。シニタクナイ。ボクハ・・・・・ボクハマダ・・・・・シニタクナイ」
その目が、明菜を射抜いた。
人形みたいに冷たかった目に今は、紛れもない恐れが。絶望が宿されている。
「タスケテ・・・・・。ボクヲ・・・・・・タスケテ・・・・・コロサナイデ・・・・・・コロサナイデ・・・・・」
それを見つめ返す明菜の目が、逆に人形のように感情を喪失していた。
トドメを刺せ。
どこからか声がする。
許されぬ者は、殺せ。
それが、オマエだ。
それこそが、おまえだ。
慈悲などかけるな。
情けなど無用だ。
殺せ。
トドメを刺せ。
躊躇うな。
そのための、力だ。
明菜は、右手に力を込める。
そのまま思い切り振りぬこうとした刹那・・・・・。
ルクチレオルドが爆裂した。
何かが飛んでくる。
無数に。
矢かと思ったが、すぐに違うと分かった。
骨だ。
無数の骨が矢のように、弾丸のようにして一斉に飛び散ったのだ。
力を最大限に解放し、明菜は目の前に飛んできたものを、振り払った。すぐに腕を振り戻して、振り払う。それを何度と無く繰り返した末、骨の奔流は収まっていた。ルクチレオルドの命をかけた最後の一撃の名残が部屋の壁や床、天井に突き刺さった無数の骨として残された。明菜に一矢報いようとしたのか、あるいは、明菜がトドメを刺す前に、肉体が限界を超えたのかは分からないが。
そして今、出入り口のなかったはずの部屋に、人が一人通れるほどの隙間が生じていた。
今はまるで、墓標のように突き刺さる骨を潜り抜け、明菜は黒々と開いた、異界への扉の如き闇へ身体を捻りこんだ。
出口はすぐだった。
いきなり、開けた空間に、明菜は圧倒された。
無数に並ぶ観客席。遥か奥に望めるステージ。その上から吊られた大掛かりな照明、左右でゆったりと垂れ下がる緞帳、壁に埋め込まれた巨大なスピーカー、時刻を知らせる電子時計。観客席から天井を見上げれば、ぼんやりとした照明が、そこをぼんやりと薄暗く浮かび上がらせて、逆にステージには、強い光が当てられている。
紛れもないここは、どこかの劇場かコンサートホールか何かのような空間だった。先ほどまでとは全く異なる光景に、しばし明菜は面食らって立ち尽くしていた。
しかし、そこは無人ではなかった。
ステージの上。
居並ぶは、オーケストラと呼ぶにはやや人数を欠くが、吹奏楽と呼ぶには人数が多い楽団だった。そして、その前には、彼らを指揮する指揮者、マエストロが、指揮台の上に立っている。
楽団は全員、楽器を構え、指揮者の最初の指揮棒の一振りで、今にも演奏が始まろうという状態だ。緊張感が、会場全体に満ち溢れる。観客がいるのなら、彼らは息を呑み、その瞬間を待ってることだろう。
指揮者はだが、タクトを振らず、ゆっくりと明菜を振り向いた。
山岡だった。楽団は楽器を下ろさない。楽団同様、タキシードに身を包んだ堂々たる佇まいである。
「おめでとうございます。よくぞ、ここまで辿り着きました。素晴らしい。全く素晴らしい」
パチパチと、彼は拍手した。
「ルクチレオルドまで倒されるとはね・・・・。ですが、奴も不安定で不完全な部分があったが故、仕方がないところでしょう。奴のような生命体を安定させるのは、時間が必要ですし、なかなか難しいんですよ」
明菜はゆっくりと、観客席の合間の階段を下り始めた。右腕はいつでも始動可能だ。
「ですが、総仕上げの準備はもう、万端整っています。そう、彼ら、この楽隊が音楽を奏でた瞬間、大地にエネルギーが満ち、校庭に建造されたピラミッドに注がれ、そのエネルギーを受けた校長先生が、選ばれし巫女と交わり、それによってこの学校、この地域一帯が、共通のラインで結ばれ、太古から闇に住まう神々が目を覚まし、天上のラインダンスを踊りだす。そしてその時、人間はその闇の神々のささげ物となり、貪り食われ、暗黒の時代が始まる・・・・・・」
「させないわ」
明菜は跳躍した。
「ムダですよ」
飛び掛る明菜に背を向けて、山岡は・・・・。
タクトを振った。
刹那、壁に弾かれたように明菜は吹っ飛んだ。
演奏が・・・・、始まった。
マーラーの「巨人」。
最初の出だし。そのいかにも、巨人が屹立し、大地にその一歩を記すが如き、あるいは、その巨大な拳を振り上げ、一撃の下に振り下ろすが如き、いずれにしても、力強いその出だしこそ、明菜に壁のようにして立ちはだかった音塊だった。
吹き飛んだ明菜など、存在すらしないかのように、楽団は各々の楽器を繰り、山岡はタクトを力強く振る。
負けじと、明菜は再度挑んだ。
狙うは山岡ただ一人。しかも、相手は無防備背を向けている・・・・。
だがまたも、見えない壁に阻まれてしまうのだ。分厚い音の塊がそうさせているのか、あるいは別の力が働いているのか・・・・。
「演奏中に騒ぐなど、マナーの欠片もないですね」
背中を向けて指揮を続ける山岡は、声を発しては居ないが、その声がはっきりと脳内に響いてきた。
「偉大なマーラーの作品だ。しばし、ご清聴なさっては如何です?身体と、心を、沈めるのも悪くはありませんよ」
「ふざけないで」
ぐっと、腰を落として明菜は力を溜めた。
ふうっと息を吐くと同時に・・・・。
腕から力を解放する。
黒い炎が、巨大化した腕みたいにして、山岡を鷲摑みにしようと伸びた。
が・・・・。
それすらも、易々と掻き消される。
「何をしてもムダです。神聖な楽曲は既に、この一帯にエネルギーを送り出していますからね。だがしかし、正確に言えば、この曲は電源に過ぎません。荒ぶる大地の回路を揺さぶり、始動させるための一曲。ですが、これなくして次のステップもありません。喜んでください。人類滅亡のための組曲は、まだ始まったばかりなのですから。先生は、何もしなくていいんです。ゆったりとしたソファーで寛ぎ、ただ静かに、芸術の調べに耳を傾けているだけでいいんです」
背中で山岡は語ってくる。口からではなく、直接脳内へ響く声として。
どうすれば?どうすれば、こいつを止められるの?
じわじわと、焦燥が明菜を染め始めた。
近づけない。攻撃も通じない。
ただ・・・・見ていることしかできないの?
その間にも、演奏は続いていく。崩壊へのプロローグが加速する。世界が終わる。闇に沈む・・・・。
「力によらず、権力によらず、ただ我の霊により、我々は既に勝利したのだ・・・・」
陶酔した山岡の声が、脳内に響く。
この拳を届けるには、さらなる力でなきゃ駄目。
でも・・・・。
明菜は感じていた。
集中できないのだ。
右腕に宿る力を、さらに増幅し、全身に広げ、身も心も、破壊と殺戮の希求へと染め上げることでしか、山岡に打ち勝つ術は無い。
だが、そのための意識の集中が、阻害されていた。
この音楽が原因とはすぐに気づけなかった。
「やっと分かったみたいですね。もう少し聡明な人だと思っていましたが、どうやら買いかぶり過ぎたようです。そうです。この空間では、このオーケストラの奏でる調べの前では、先生の力は抑えられてしまうのですよ。引き出すこともできなくなります。もっとも、引き出せても、拳が届くことはありませんが・・・・。従って、今一度、繰り返しますが、先生にできることは、そこで大人しくして、美しい調べに耳を傾けることだけ。血も流れず、誰一人、死ぬことも無い。これだけの芸術を目の前にして、どうして戦い、争う必要があるのですか?」
楽曲は・・・・終わろうとしている。
「さて、次は先生のための、レクイエムを・・・・。恥ずかしながら僕が作曲したオリジナルです。これより、大地にエネルギーは注がれ、この一帯へと拡散していくのです」
その身体が、明菜を向いた。
タクトが、振られる。
打楽器隊が、唸る。
シンバルが、ティンパニーが、大太鼓が、アンサンブルを奏で、重厚な音の調べを叩きつけてきた。
同時にそれは、凄まじいまでの破壊の調べでもあった。
客席のシートが吹っ飛んだかと思えば、煽りを受けて明菜もまた、吹き飛ばされた。まるで、足元の辺りで爆発が生じたようだった。
中空でどうにか体勢を立て直して、彼女は着地した。ダメージは幸いにも無い。
山岡はもう、楽隊を見てはいないが、タクトは振り続けている。そして、楽隊も、そのタクトの動きに忠実に従い、強弱、テンポ、バランスに注意している。背面を向いても尚、山岡のタクト捌きはオーケストラを支配しているのだ。タクトだけでなく、身体全体の動きが彼らを導いているからだ。
打楽器に重なるようにして、トランペット、サックス、トロンボーン、チューバ・・・・金管楽器隊が、吹き鳴らすは、地獄の喇叭だ。今にも、火が吹き出てきそうな、狂ったような粘着質の恒温と低音が混ざり合い、それは突如、明菜の眼前で発火した。
辛うじて、明菜は横へ飛ぶ。観客席が一直線に走る炎に吹き飛ばされた瞬間だった。
「なぜ、この曲を先生のためのレクイエムと呼んだかお分かり頂けましたか?先生の望む戦いの時間です。争いの、殺戮と破壊のお時間です。しかし、先生の力は通じませんが・・・」
明菜の正面を向きながらも、口からではなく、依然としてその声は脳内へ届けられた。
「オリジナルを聞く最初の観客だ。選ばせてあげましょう。苦痛に彩られた死を欲するか、安楽に彩られた死を欲するか。その希望によって、曲の構成は柔軟に変えられます」
明菜は跳躍した。
「それが答えですね」
明菜の拳が山岡に届く前に、彼女の身体は、吹っ飛ばされた。メガトンパンチを食らったような、巨大なものと衝突したかのような、凄まじい衝撃だった。打楽器が、狂ったように唸りをあげたのだ。
明菜は客席へ叩きつけられた。
金管楽器隊が打楽器隊に続く。地獄の喇叭隊どもだ。
火の玉が・・・・・。
突如として明菜の落下点目掛けて中空から降り注ぐ。管から放たれる粘着質の高音低音が召還したものだ。
直後、空間が乱れた。
漆黒の、渦のようなものが上空へ向けて巻き起こるや、紅蓮の流星をかき乱した。
乱された火球は、火の粉ほどの細かさにまで分散された。
明菜が右腕から放った一撃だった。
だが、上空からは新たなる火球が生まれ、降り注ぐ。
さらに・・・・・。
地面が振動したかと思えば、細かな亀裂が走り、赤色の炎が血管を流れる血液のように亀裂に沿って走った。
金管楽器隊の調べは、まさに、終末をそこに具現化させんとしているかのようだった。
「唸る、第三楽章」
一気に、金管楽器のアンサンブルは、山岡の激しいタクト捌きに合わせて空間を揺さぶり、掻き乱し、圧倒するように激しさを増した。
刹那。
世界は紅色に塗りつぶされた。
空間全体が、真っ赤な、火口のような色に染まる。
地面が一気に持ち上がり、噴火のようにして火柱を吐き、上空から降り注ぐ火の玉と交差したためだ。炎と、炎がぶつかり、交じり合い、渦を巻いて空間を嘗め尽くす様は、まさに地獄そのものだった。何もかもが火に包まれた、苦痛と苦悶に染まる地獄。
逃げ場の無いこの全包囲攻撃に包まれては、明菜も無事ではあるまい。
山岡はその光景を見ながら、悠然とタクトを振るい続けた。
彼は左手を駆使し、楽隊をコントロールした。地獄の喇叭隊はそれにより一旦、引っ込み、次なるメロディーへと移行を始めようとしていた。
それに伴い、渦巻く炎が消え始める。
観客席は灰燼と化していた。
と・・・・・、その中に・・・・・。
蹲るようにして明菜はいた。
「ほう・・・・」
山岡に驚愕の色は浮かんでいなかった。タクトを振る腕に微塵の停滞も迷いも無いのがその証左と言えた。
「ですが、ダメージは流石に大きいようですね」
その証拠か、明菜は蹲ったままの姿勢で動かない。
煤に塗れた全身は、同時に重度の火傷を負っていたのだ。
「心配は要りません。既に、葬送の旋律は始まっています。安らかな終わりが、訪れることでしょう」
金管楽器の次は、弦楽器が前線へ躍り出て新しいメロディーを紡ぎだした。
先ほどの喇叭隊の激しさとは正反対の、緩やかで、まさに鎮魂歌のような壮大なる弦楽器によるアンサンブル。
思わず聞きほれるそん幻想的な調べはしかし、明菜に異変を齎していた。
すうっと、全身から温もりが引いていく感覚。
何かが、両手を掴んだように思えた刹那、彼女ははっとして周囲を見回した。
白い、靄のようなものが、灰と化した地面の中から屹立を始め、中空へ舞い上がり、飛び回っていた。
それらが身体に触れるたび、激しい悪寒が走り抜けた。加えて、明菜の身体からも、何かが抜け出していくような感覚に囚われた。
声が・・・・・・聞こえたようだった。
童子の笑い声に似ていた。
幻聴?
振り払おうとするも、身体が上手く動かない。
まどろむようにして意識が遠のき始める。その癖、音楽だけはしっかりと耳に響いて残っている。弦楽器の奏でる、その旋律が深い眠りへと誘ってくる。何かに手を取られ、自分の意思とは関係なく歩き出しているかのようだった。もはや、それが夢か現か。自分は歩いているのか、座り込んでいるのか倒れているのかの区別もつかない。幻と現実の境界は曖昧になっていた。
私は・・・・どこへ?
ここは・・・・?
声がする。
童子の。
笑い声。
行こうよ。
一緒に行こうよ。
笑い声。
ねえ、こっちだよ。
行こうよ、ねえ。
一緒に行こうよ。
ほら、こっち、こっち。
世界が・・・・霞んでいる。
白い靄の中に、白い霧の中に。
降りているの?上っているの?
私はどこへ?
ここはどこ?
光の道?
闇の道?
笑い声がする。
こっちだよ。
ほら、ここ、ここだよ。
ここにいるよ。
早く、オイデヨ。
嫌だ。
聞きたくない。
あっちへ・・・・・行って。
手を振り払おうとするも、緩慢な動きだった。夢の中にいるかのように、酷く重い。
ねえ、こっちだよ。
ほら、こっち。
早くこっちへ来てよ。
皆、待ってるよ。
ほら、早く、早く。
来ないで・・・・。
まとわり付くように飛び回る靄を払いのけたつもりだった。だが、満足に身体が動かなくなっている。
あと一撃・・・。あと一撃でいいの。あと一撃叩き込めたら・・・・・。
無論、攻撃が通じる可能性は低い。突破口が生じる可能性も、また。
だが、気勢を殺ぐくらいはできるかもしれない。今、必要なのは奴の動揺を誘うこと。奴が乱れれば、楽隊も必ず乱れるはず。それには、奴の予想を上回る一撃を放つしかない。
薄れ行く意識の中で、右腕に意識を集中する。
禍々しい破壊の力の解放を意識する。
殺戮に身を染めることを希求する。
そうすることで再び、明菜の右腕に、異形の力が宿された。鋭い爪、盛り上がる鱗のような筋肉、浮かび上がる奇怪な紋様。その、人間では有り得ぬ形状へと変化した腕からは、猛々しい破壊の力が溢れ出している。
今一度の解放を、右腕は望んだのだ。
恐らく、放てて一撃。それ以上は、力を解放させ続ける余力は残されてはいない。
ならば、残された最大戦力を、右腕に宿さなければならないだろう。
殺戮のための力は、着実な充填を見た。だが明菜はまだ、動かない。
渦を巻くように、とぐろを巻くようにして、右腕との対話を続ける。
腕は、十分と告げた。だが、明菜はまだ動かない。
腕がはち切れ、暴発してしまうほどに、禍々しい力を蓄積させることを意識する。
その力が、禍々しい粘つく濃厚なタールみたいなそれは、じわじわと、右腕から、身体へと広がり始めるのが分かった。まるで、腕の中では収まりきらないとでも言うように。
明菜はまだ、動かない。
この力ではまだ、足りないというように。
その間にも、右腕から溢れ出した力は全身へと広がり、今にも明菜をすっぽり包み込んでしまいそうだった。
力だけではない。
身体の感覚が、取り戻されてくる。
意識も。
これまで以上に、すべてが研ぎ澄まされている。
何かが、何かが取り憑いているかのように。
世界が、変化した。
少なくとも、それは明菜の実感だった。
血の巡りが加速するのが、分かる。
視覚は冴え、漂う塵、一つ一つすら識別できる。山岡の動きが、酷くゆっくりと、緩慢に見える。
聴覚も、また。
オーケストラの奏でる調べは、まとまりと調和あるアンサンブルではなく、一つ一つの楽器の音のレベルにまで解体されて、でたらめなメロディーが、好き勝手に鳴り響いているようにしか聞こえなくなっていた。
それらの感覚は、今までのものとは明らかに異なっていた。
すなわち・・・・人間の感覚と。
刹那、明菜は山岡へ跳躍していた。
全身には、爆発せんばかりの殺戮と破壊の力が満ちている。それは、右腕から生じ、ついには全身にまで広がった力だ。
瞬速と言えた。
空間を、空気を振動させる超速の跳躍。
山岡の表情に・・・・・刹那、驚愕が。
それが、楽隊の統一を乱した。
僅かな乱れだった。しかし、不協和音を生むには十分だった。
歪みが、空間を走った。
拳が山岡を打ち抜こうとする刹那、彼は中空へ飛んでそのまま浮遊していた。
明菜の目は・・・・真紅に輝いている。
「我が楽隊を、その音を打ち破るとは・・・ね」
統一を乱された楽隊は、もはや、冷静な顔をしながら乱れた音を繰るのみだった。
そして、山岡の跳躍が、明菜の拳は、もう彼に届くと示唆している。
「その力には、命がかかっているのでしょう。いい覚悟です。命を賭し、僕の動揺を誘い出し、乱れを生み出したその覚悟。心底、感嘆すべき相手ですよ、先生は」
獲物に飛び掛る獣のように、明菜は山岡へ挑んだ。
繰り出されたその拳を・・・・・タクトが止めた。
二人の間を凄まじい衝撃の壁が裂き、明菜は地上へ、山岡は中空をそれぞれ反発するように距離を離した。
「うるさい!このでくの坊どもがッ!」
壊れた蓄音機の如き、楽隊のでたらめな不協和音を、山岡の絶叫が、止めた。
「僕が少し、リズムを乱したぐらいで狂いがやって!ああそうとも。確かに、僕が悪い。完璧な、天才は、何があろうと常に、常に冷静だ。そして、予め描かれた奇跡の譜を繰り、すべての中心に陣取る。そう、あの指揮台は、まさに世界の中心だ。あそこに立つ瞬間は、このちっぽけで、下らない世界のすべてを忘れられたさ。そして、僕が、この下劣な世界の中心に立ち、新しく世界をデザインし直せる確かな確信があった。君達はすべて、僕の手駒なんだ。指一つで、正しく動かなきゃならない。そして僕は、君達を、完璧に、予め敷かれたシナリオ通りに動かし、操らなければならない。だから、乱れは即、失敗なんだ。そうさ、悪いのは僕だ。完璧な天才たる、この僕が、動揺さえしなければ、こんなことには・・・・・」
楽隊は、罵られて尚、顔広一つ変えない。
「もはややり直しは利かない。僕の心は、乱れたままだ。恐らく、この揺らぎは、当分、収まりそうにない。それが収まる頃には、もうすべてが終わってる。君達は最高だ。悪いのはすべて、この僕だ。だから、決着は僕自身がつける。君達は、もう一度だけ、僕の手助けをして欲しい。旋律の調和も、アクセントも、気持ちの入り具合も、何も求めない。求めるのは唯一つ、君達が奏でる音だけだ。音だけを僕にくれ。それだけでいい。各々が、好きな葛藤を混ぜてくれてかまわない。むしろ、統一はもう必要ない。混沌だ。混沌を音で表現して欲しい」
中空で、山岡はタクトを繰る。
チューニングのように、楽隊の楽器が、各々の音を放ち始めた。それは確かに、調和や、統一とは程遠い、三流オーケストラの始めての音出しのような有様だった。
だが、その音はもはや、ただの音に非ず。
空間を上昇する音は、山岡の場所まで辿り着く前に、白い煙のような筋となって山岡の体内へ吸い込まれ始めたのだ。
どれくらい、そのチューニングが続いただろうか。
ああ、見るがいい。
楽隊は、少しずつ、少しずつ・・・・・。
白骨化を始めていた。
すべての生命エネルギーが、音となって、山岡へ吸い込まれているようだった。
そしてついには、完全なる白骨と化した楽隊の身体は崩れ、その場に堆積物を作った。
「これでいい・・・・・。いい音だった。美しい音を身体に取り込んでこそ、指揮者は次なる世界を作り出すことができる。今、彼らの音は、文字通り、僕の血となり、肉となった。試してみようじゃないか。世界をデザインし直す天才と、すべてを破壊する処刑人、どちらが、この世には相応しいか。世界は、どちらを必要としているのか、最後の勝負だ」
山岡はタクトを振った。
それは、凄まじい衝撃波を繰り出して地上の明菜を襲った。
が、明菜は、衝撃が繰り出された直後、既に跳躍していた。
開いた掌が、ぐっと突き出される。
黒い、巨大な炎のような奔流が、山岡へと伸びる。
優雅にタクトを振るい、山岡はその一撃を振り払った。
すぐ眼前に明菜が迫る。
右の拳そのものを、直接叩き込もうとするも、それは、か細いタクトによって受け止められていた。
「先生の攻撃は確かに凄い。ですが、単調だ。音楽で大事なのは、アクセント。強弱ですよ」
舞うような動きでタクトを捌き、悠々と、山岡は明菜を弾き返した。すぐ明菜は体勢を整えて、再跳躍へと移る。
ひらり、と山岡が空中で位置を変えた。
「動きも早い。ですが、言ったでしょう。先生は単調なんです。単調な動きではオケをリードすることはできません。指揮者は、ただ台上で腕を、棒を振るって踊ればいいポジションではないのです。その、一挙手一投足が、すべての流れを操り、支配する。支配者なのです。先生では、この世界の支配者にはなれません。超えてみて下さい。先ほど僕を驚かせたように、もう一度、僕を裏切ってみせて下さい。あの、いい驚きが欲しい」
緩やかに、中空を旋回するようにして山岡は動いた。
そのタクトが振られるや・・・・。
地面から、勢い良く何かが飛び出した。
それは・・・・・。
トルネード。
二本の、黒々とした渦巻きが、そのまま明菜を巻き込もうと左右から襲い掛かってきたのだ。
明菜の反応は素早かった。
視覚は、迫りくるトルネードの動きをスローモーションのように捉えている。肉体が、加速した弾丸みたいにして動くのは、異常なまでに高められた神経系統への命令伝達の高速化故だ。それに加えて、身体の奥底から湧き上がってくる衝動・・・・。
解放への衝動だった。
飛び上がるのと同時に、空間が震えた。空気の粒子、一粒一粒が、針のように鋭さを増して、明菜の移動に合わせて高速で動く。
山岡を守るようにして、トルネードが進路を塞いだ。
明菜は軌道を修正しようとしない。
そのまま・・・・・・。
突っ込む。
いかにその動きが素早いとは言え、巨大なる渦巻きに捕らわれては無事では済まないだろう。
だが・・・・。
明菜は二本の渦巻きを突き抜けた。その動きには、何の停滞も無い。
「あのレベルの驚きは、克服しました。感謝します。先生が僕を、より高い次元へ引き上げてくれたんですから。ですが、まだです。あの驚き以上ではない。まだ動揺はしませんよ」
眼前に高速で明菜が迫っても尚、山岡は余裕だった。
「次は先生が、より上の高みへ上る番です」
さっと、山岡は明菜の背後をとった。
優雅に振り上げたタクトを、振り下ろそうとした刹那・・・・。
彼は、明菜の右腕が、遮光を放つのを見た。
輝いていたのは、鱗のような皮膚に刻まれた紋様だ。そこに血が通うようにして、赤色の輝きを生み出しているのだ。
ぐわっと右手が伸びた。
振り払うようにしてタクトを振るおうとしたが、山岡の身体は、巨人のような腕にがっちりと掴まれていた。
そのまま・・・・・。
腕は信じられない伸びを見せて、山岡をそのまま地面へと叩きつけた。
振り上げては、振り下ろす。
二度、三度・・・・。
もう一度、と腕を振るった時、明菜は、手の中に山岡がいないことに気づいた。
「言ったはずです。この世界の中心は、今は僕です。中心を除外することなど、周辺のあなたには適わぬ話だ。そしてまだまだです。まだ僕を驚かせるには至りません。もし、それが底だとするのなら・・・・」
明菜の背後に浮遊する山岡は、無傷だった。
「心底、ガッカリですよ」
さっと、フェンシングの剣のようにしてタクトを突き出すと、それは、まさに剣のようにして明菜の心臓部を刺し貫いた。
それだけではない。
明菜の身体を、衝撃が、走り抜けていく。その衝撃とは・・・・・。
音であった。
無数の、さまざまな音が入り混じり、波となって、彼女の身体を駆け抜けていく。
凄まじい痙攣が明菜を包む。
低い音、高い音、激しい音、穏やかな音、切るような音、揺さぶるような音、ありとあらゆる音が、混在し、奔流となって、明菜へ流し込まれた。
やがて・・・。
明菜の身体が、徐々に肥大化を始める。ぶくぶくと、腫瘍のようなものが、随所に盛り上がる。細身の明菜の身体が、どんどん膨張していく。このままでは、待つのは破裂だろう。彼女の中に流し込まれた無数の音が、それを引き起こしているのか?
「さあ、有終の美を飾ってみせてください。この世界に、再び、音を解き放つのです。先生の中に蟠るありと、あらゆる感情。それらを取り込み、音の世界はさらに色濃く、豊かなものとなるでしょう。それを還元することで、この世界は再び、新しい輝きを増す。僕のような天才が、それらを拾い集め、再び世界に、統一された音を轟かせる」
ぶくぶくと、巨大な、肥大化した腫瘍の塊は、もはや異形そのもので、美とは程遠かった。
そしていよいよその時という所で・・・・。
「・・・カオスの、渦」
刹那。
周囲の闇が凝結を見たようだった。
光が、急速に色を失い、闇が生じたかと思えるような。
その闇は、明菜へと集約されていく。正確には、その右腕に。
空気が、空間が、再度震えた。
と・・・・・。
巨大な、まさに、それは、ブラックホールのような暗黒が生じたかと思えば・・・・。
超新星の爆発の如き、凄まじい爆風が生じた。
闇が、四方八方へと拡散する。それが刹那、黒い霧を生み出し、視界を完全に閉ざす。
その爆発だけでは、果たして明菜が破裂してしまったのかどうか、あるいは別のものが破裂したのかどうか、区別はできなかった。
だが、爆発が生じた時、確かなことは、無数の、さまざまな不協和音めいた音が、豪雨のように空間を満たしたということだった。まるで、それまで世界には、何の音もなく、その音の洪水を以って、世に音が生み出された、誕生にまつわる原初の混沌を現しているかのようだった。
となると、やはり明菜は・・・・・。
不可思議な、その黒い霧が晴れた時、すべては分かるはずだ。
霧は、徐々に、晴れる。
ステージが、ぼんやりと見え始める。続いて観客席が。
激しい爆風ではあったが、光景はさほど、変わりはなかった。
ステージには、指揮台と、譜面台。
明菜が・・・・・指揮台の上にいた。
右手には、タクトが握られている。
視線はまっすぐ、ステージ後方の壁に固定されている。
ゆっくりと、彼女はタクトを振り上げて・・・・・。
下ろした。
すると・・・・。
闇を塗ったような壁が、みるみると、瓦解を始める。
それは静かな崩壊だった。ガラガラと音を立てるでもなく、剥がれるようにして壁が崩れていくと、その先に広がっていたのは、校庭だった。
そこから一望した校庭の様子は、記憶に留めているものとは、あまりに異質だった。
巨大な、あまりに巨大なピラミッドが見える。ギザのピラミッドには遠く及ばないが、それでも、巨大なことに変わりは無い。
その周囲に咲く、名も知らぬ真っ白い花々。うっすらと立ち込める不気味な桃色の霧。
空模様も、変だった。夜なのか、闇ではあるが、雲はどこか紫がかったおかしな色をしている。
明菜は、ゆっくりと、外へ足を踏み出した。
生ぬるい、だが、悪寒を催す空気が、ねっとりと皮膚に絡みつく。
目指すは、巨大なピラミッドだ。
刹那。
中空に稲妻が走った。風が一気に強まる。嵐でも来るというの?
紫の雲が、ぐるぐると渦を巻く。その中心から、目でも現れそうだった。
ざわざわと、足元で何かが騒ぐ。人間の声がしたような気がする。獣の鳴き声も混じっていた。あるいは、亡者の呻き声か。
足元を、なでられたような気がして、思わず明菜は地面を蹴った。何も居ない。気のせい。
「ようこそ」
声が、した。
「待ちくたびれたと言うべきか、よくここまで来れたな、と言うべきか、私なりに考えたよ」
ピラミッドの陰から、白い、ローブのようなものを身に纏った男・・・・・。
校長だった。
「いずれにしても、お会いできて光栄だ。紅明菜先生・・・・・いや、処刑人」
辺りの空気が、濃さを増したようだった。
自然と、明菜は右手に力を入れていた。
「そう気張るな。ここまで来たからには、やることはもう僅かなはずだ、お互いにな。それに、君が思うほど、時間が無いわけで無いのだよ。そう、少なくとも、こうして世間話をする時間はまだ残されている」
そう言うと、校長は背後のピラミッドを仰ぎ見た。
「ここまで来れた褒美だ。真実を・・・・お話しようじゃないか。学園祭の、完全なる執行は、最後の段階まで来た。だが、もう一つ、あるものが、その最終段階を実行するためには、必要なのだ」
ゆっくりと、校長が明菜を指差す。
「そう、君だよ。明菜先生。君の血こそが、この祝祭を成就させる最後の鍵なのだ。君の、生き血こそが、学園祭の最終段階には必要不可欠。怒りと、絶望と、破壊と、殺戮、この四つの憤怒の感情を持ちうる血こそがな。だから私は一方で邪魔者である君が、途中で死ぬことを望み、一方で、儀式の実行に不可欠な君の到着を待つという、なんとも矛盾した気持ちを孕み、ずっとここに居たのだ。だが、これですべてが報われる。君は来た。つまり、これは天啓なのだ。学園祭の実行は、今年も滞りなく行うこと、という神からのメッセージなのだ。だから、神はすべてを許される。この、祝祭の実行のためにあらゆる犠牲を払うことは、もはや神の保障の内なのだ。たとえ、この儀式により、人類が死に絶えようと、それすらも、神はお許しになる。君が、ここへ来たことで、すべてが開けた。あとは・・・・・」
ゆっくりと、校長が明菜へ向けて一歩を踏み出す。
「君が死んでくれれば完成する」
一瞬、校長が消えたように見えた。
だが、それは、凄まじいまでの高速移動ゆえだ。
その動きは、明菜に見えない速度ではない。
右腕に、力を注ぐ。破壊と、殺戮の力を蓄積・・・・・。
解放する。
校長はそのまま突っ込んできた。
一瞬、硬質のガラスを殴ったような衝撃と、火花が散るような音がしたかと思った。
手ごたえはあったが、人間の身体を殴ったにしては、異質な手ごたえだ。
目の前に校長は居ない。
「なかなかの力だな」
声は、かなり離れた場所からした。
白い霧の彼方から、幽鬼のようにして、校長が歩いてくる。身体にダメージは見当たらない。
「だが、軽い。ここに来るまでの戦いで大分消耗したか、あるいは、本来その程度の力しかないのか・・・・」
いつの間に・・・。
校長はすぐ目の前に居た。
「いずれにしても、ここまで来たのだ。相応の力を尽くすのが、礼儀ではないかと、私は考える」
彼はその場で両手を広げると、何回か、深呼吸を繰り返した。
風が強くなった。まさか、校長の呼吸に関係しているわけでもないだろう。
ざわざわと、辺りが騒がしくなる。単なる風の音だけではない。その他、何か、得たいの知れぬ雑音が明菜の耳朶を打ち、なんとなく聞こえてくる音を増幅させている。
明らかな異変は、地面が揺れた時に悟った。
正確には、地面が、盛り上がり、ポンプのようにしてうねっている。そのうねりは校長の四方八方から押し寄せて、彼の足元へと吸い込まれた。
刹那。
凄まじい輝きが校長の身体から発せられると同時に、衝撃波が広がった。思わず、明菜は吹き飛ばされた。
異変はまだ続いている。地面から、電流のようなものが生まれ、その光の筋が校長の身体に取り込まれていくのだ。両手を広げたままの姿勢で、校長は落雷に打たれたかの如く、身体を痙攣させる。が、表情には紛れもない、至福の色が浮かんでいた。
「山岡君が解放してくれた大地のエネルギーを、我が物とした。おおおおおおッ、流れ込んでくるッ!素晴らしい力が、私の中に流れ込んでくるッッ!」
広げた両手の拳を握り締め、校長は地面へと叩きつけた。
その瞬間、校長の周囲に青白い円が生じ、一気に拡散した。円は帯電していた。そして、その拡散は凄まじいスピードだった。
逃げられない!
明菜は咄嗟に右腕に力を込めた。
弾き返せるか・・・?
放つ。
力と力が激突した。大地は唸り、揺れ、凄まじい高熱が発せられて、土は泥へと変わり、上昇したその熱は、雲を掻き乱した。
二人の力は、拮抗していた。
だが、それも僅かな間だった。
校長の放った電撃が、じわじわと明菜を押し始めた。全身に凄まじい痺れを感じ、それが熱を持ち、痛みへと生じた時、明菜は無様に吹き飛ばされた。
「この大地の力は、私のためにある。勝つことはできぬよ、処刑人」
地面へと叩きつけられた明菜を見送るように校長は言った。かなりの距離を明菜は飛ばされたようだったが、既に校長は、距離をつめ、足元に明菜を見下ろしている。
不意に明菜は目を開けて、拳を繰り出した。
が、読まれたかのように、易々と校長に受け止められている。
「ムダだ。かなり弱っているようだな、力が半減してるぞ」
先ほど校長の一撃にぶつけたのに加えて、喰らった攻撃のダメージ、さらに、ここまで来た戦いの疲弊から、確かに自分でも力が驚くほど衰えているのが分かった。
「それでも、思っていたほどのダメージではないらしいな。嬉しいぞ。まだおまえの身体は利用価値があるのだからな」
ぐっと、うつ伏せのままに明菜は押さえつけられた。抵抗しようにも、身体に力が入らない。
ゆっくりと・・・・レザージャケットのファスナーが下ろされていく。
露出した皮膚には、赤みが刺し、痛々しい火傷の跡がくっきりと浮かんでいた。校長の一撃は、防弾、防火、絶縁質のジャケットを透過して、明菜の肉体にダメージを与えたらしい。
抵抗らしい抵抗もできぬままに、身包みを剥がされて、明菜は地面に転がされた。露になった乳房も、秘所も、覆い隠すだけの力も余裕も無かった。
ごくり、と、校長が生唾を飲み込む音が聞こえるような、そんな明菜の裸身だった。火傷のせいで、痛々しいが、それが、彼女の美を損ねているわけではない。適度に負った火傷は、むしろ、過激な責めの後の女体を連想させ、加虐願望を持つ者の興奮を煽り立てることだろう。そういう願望が無い者でも、今の明菜には、脳髄のどこかしらを刺激する要素があった。
校長もまた、そんな明菜を見て、男根が充血し、屹立するのを止めることができなかった。
彼は、ローブの帯を解き、脱ぎ去った。男根は、すっかり天を仰いでいる。
「・・・・い・・・や」
覆いかぶさってきた校長を押しのけようとするも、腕が上がらない。うつ伏せにされたまま、両足を開かされる。
そしてそのまま・・・・・・・。
割って入られたッ。
ゆっくりと、確実に、怒張した、肉の凶器が、濡れてもいない秘所を蹂躙してくる。
痛みしかない。めきめきという、音すら聞こえてきそうだった。
根元までの注送が、一旦引き抜かれ、再度、侵攻を始める。快楽は無い。明菜の秘所は、校長の男根に全くと言っていいほど、反応を示さなかった。
両の拳を握り、苦痛を堪え、開始された本格的なピストン運動、嵐のようなピストンが過ぎ去るのを待つ。
不意に・・・・いや、校長にファスナーを下ろされた刹那から、明菜の脳裏には、ある光景が想起されていた。
正確には、それがすべてを包み込み、飲み込んで、明菜から、痛み以外の感覚を奪い去っていた。目は意味ある像を結ばず、耳は、意味ある音を消し去り、ただ、痛みという感覚だけが、股という一点から、上りつめてくるだけ。それが、今の明菜の世界。
明菜が想起したイメージ。
暗黒だった。
何も見えない。
私は裸に剥かれている。
仰向けにされて、両手と両足を一杯に開かされている。
大声で叫んだせいで、喉が痛かった。激しく暴れたせいで、すっかり疲れ切ってしまった。でも、どんなに叫んでも、暴れても、ムダだと知った。絶望感で一杯だった。何もする気がしなかった。
周りには何も見えない。
闇の中。
でも、まるでスポットライトが当たっているように、自分の身体ははっきりと見える。
寒いような、熱いような、おかしな感じ。
どれくらい、そうしていただろう。
ふと、周りがざわざわと動いたようだった。
何かが居る。
でも、それが何かは分からない。自分の身体以外、何も見えない。けど、確かに何かいる。そして、その何かが、自分に近づいている。
二メートル、一メートル・・・・姿は一向に見えてこない。
もう、見えていなきゃおかしいほどまで気配はあるのに、あるのは闇だけ。
何か・・・・。
生暖かいものが首筋へ吹きかけられた。
鳥肌が立つ。
気味悪さからじゃなく、ぞくぞくずるような快感のせいで。
何かの、息みたい。生臭くて、気持ちがいいわけないのに、なぜか、身体が反応してしまう。絶望で一杯で感覚なんか死んでしまったはずなのに。
触れられた。
にゅるっとした、軟体動物みたいな感触でいて、人間の指みたいな確かな感触、あるいは、体毛がある動物に撫でられたような感触。さまざまな感触が入り混じった変な感じ。
それがじわじわと、全身へ広がる。
涙が零れた。
下唇が切れるほどに、強く、唇を噛んだ。
なぜ?
どうして?
疑問が沸く。
自分に対する怒りだった。
ついさっき、目の前で起きたこと。
ショックとか、そんな言葉じゃ片付けられない。それから、わけも分からず、服を剥ぎ取られ、裸にされて、押さえつけられた。暴れた、叫んだ。でも、何もできず、変わらず、絶望した。
私は、死んだのだ。
肉体的には生きてるけど、別の部分ではもう死んだのだ。屍なのだ。植物状態なのだ。
なのに・・・・。
感じてしまうの?
あんなことが起きたのに?そして、私の身体をこうして弄んでいるのは、あんなことをした奴のはずなのに?
どうして?どうしてよ!
自分に対する怒りだった。
惨めだった。無様だった。無力だった。
こみ上げる怒りは、全身に活力を戻したようだった。
「離してッ!触んないで、畜生!殺してやる!殺してやるから!!あんたなんか、殺してやる!!絶対に殺してやる!」
自分への怒り。それは当然だ。
だが、何より当然なのは、怒りが本来向けるべきまっとうな対象へやっと向いたこと。
怒りは本来、外へ向くべきものだ。
「許さない。絶対に許さない。殺す!殺す!殺す!貴様を、絶対、殺す!!」
どれくらい叫び、暴れたろう。
何も変わらない、広がる快感は止まらない。でも、叫んだ、暴れた。
そのうちに・・・・・・・。
声が・・・。
冷たく、重く、暗い声が・・・・。
そいつは、自分の名を名乗った・・・・気がした。
それから・・・。
記憶は。ああ・・・・薄れていく。
遠ざかる。
触れては・・・いけない?
ああ、きっと私は覚えている。
もう一度、死んだことを、きっと覚えている。
触れてはいけないんじゃなくて、触れたくない。
でも、あの怒りだけは・・・。
覚えている。
まだ、ここにある。あの時の叫びは、激情は、確実に焼き付けられ、記憶されたのだ。
意識が、はっきりとしてきた。
現実が蘇る。
明菜は、後方へ向かい、思い切り拳を叩きつけた。
が、それは校長にあっさりと受け止められてしまった。
「まだ、抵抗する力があったとは。だが、弱いぞ」
それでも尚・・・・。
明菜は、じわじわと、右腕に力を込めていく。拳の先に、その末端の指先にまで意識を集中し。
体内で、何かが荒れ狂っているのが分かった。何かが、沸き立っている。それが、血管を通り、全身に広がり、大きなうねりを起こしている。
「感じるぞ。大いなる怒りを。絶望を。いいぞ、それだ。それをもっと全身に巡らせろ。血に混ぜ込むのだ。そうすることで、流されたおまえの血が、この世界を終わりへ誘い、私による始まりへ繋がる」
もはや何も感じなかった。校長のピストンによる、肢体の千切れそうな痛みも。
一切のすべてが、明菜から消失したようだった。
残されたのは、闇。
丁度、それは、あの時の闇に似ている。
ただ、その闇には様々なものが含まれている。ありとあらゆる負の感情、エネルギー。それらが混ざり合い、うねりを生み出し、荒れ狂う。
右腕に込められた力は、溢れ出し、身体全体へと広がる。いや、今回はそもそも、全身に獰猛な力が沸き立ち、それが右腕へと注ぎ込まれたかのようだった。
明菜の内側から、何かが破裂したかのようにして、周囲に黒い衝撃が広がる。
さしもの校長も、その衝撃には、男根を挿し続けることはできずに、明菜の身体から離れ飛んだ。
素早く、明菜は脱がされたレザージャケットを身に纏う。
まだ、僅かばかりの理性が残されていた。だが、それが消えるのも、時間の問題だろう。
ざわざわと、嵐のような、闇のうねりはすぐに理性まで食い尽くしてしまうはずだ。それでいて、いつもとは違う、明らかに異質の力の奔流だった。
校長は・・・・・、どこに?
さほど飛ばされたわけでもないだろうが、周囲にその姿は見えなかった。
「ここだ」
不意に、沸くようにして校長が明菜の眼前に現れた。
反射的に、明菜は拳を繰り出した。
校長は、右掌で受けたが、受けきれずに、後方へ吹っ飛ぶ。
まだ理性は、保たれていた。
意識が冴えている。感覚が、神経が研ぎ澄まされている。
追撃しようとした時、鋭い痛みが身体を貫いた。
何をされたのか分からなかった。攻撃が見えない。
それでも走る。
拳を振るおうとした時、同様の痛みが、右足を貫いた。
どうにかして立ち上がろうとするも、背中に鋭い痛みが走り、思わず明菜は地面に伏せた。
だが、何発か攻撃を受けても、一体、何をされたのか、校長がいかなる攻撃を繰り出したのか、まるで分からない。一見しても、校長は何もしていないのだ。
「空間回路接続」
静かに、校長が種を明かした。
「中空には見えない無数のエネルギーの回路が走っている。網の目のように、蜘蛛の巣のように。中空だけではない。大地にも、同じような回路がある。ありとあらゆる場所にだ。さっきも、言ったはずだ。これは、私のための力だと」
目の前から、校長の姿が消えた。
かと思えば、四方八方から、鋭い刺すような痛みが突き刺さる。
振り払おうと、拳を振るうも、まるでムダだった。
ぐっと、喉元が掴まれた。
「遅いな」
姿を現した校長は言った。
「どうやら、その程度で終いのようだな、明菜先生。まあ、ここまで来れたのだ。人間の終わりを、特等席で見物させてやるサービスくらいはしてやる」
校長は、そのまま明菜を片手で持ち上げると、ゆっくりと、ピラミッドへ近づいた。
どこから、これだけの量の巨大な石を運んできたのか。
そして、どうやって、これだけの壮大なピラミッドを作ったのか。
現代でも、重機を使用してすら、その再現も困難というのに。
活路を、放出を、解放を求めて、ざわめいていた、漆黒の熱泥のような内なる奔流は、今は静かに消え去ろうとしている。
空焚きのように、強い力が、空転している。この校庭の場、空気のせいかもしれない。
ピラミッドに使われている一つ一つの石は、大人の背丈ほどもある巨大なものだ。その側面に、長い、階段が備わっていた。階段はまっすぐ、ピラミッドの頂点へと続いている。もっとも、その頂点も、薄暗い上空に霞んで、よく見ることはできなかったが。
明菜を担ぎ、校長は、階段を上り始めた。
不意に、辺りが揺れたようだった。
「君に一人、紹介したい人物がいる。君も知っているかもしれないな。このピラミッドの、一番上で私を待ってくれている」
空気が薄くなったようだった。地上からまだほとんど離れていないというのに。
頂上に、誰がいるというのか。ぼんやりと、おぼろげで、まだ人影すら分からぬ。
力が・・・奪われていくのが分かった。あの、突発的に過ぎった、新鮮な憤怒の力も、長くは持続できなかった。やはり、校庭の独特な空間が、明菜の強大な力を封じる働きをしているようだった。
「儀式は、永劫の時代から執り行われてきた。だが、その実はどれも、不完全なものだったようだ。なぜなら、特異な血が、欠けていたからだ。結果的に、腐敗し、堕落した人間は生き残り、この世界を、唾棄すべきものへ変えてしまった。自分達こそが、生物界の頂点という思い上がりの上に生き、神を汚し、踏みにじり、それでも平気な面をして生きていく、生命史上最低の生き物。これ以上、生き延びる価値も無い。今こそ、零落させられた神々を呼び戻し、新たなる世界を創生する時だ。私は幸運だよ、明菜先生。君のような憎悪と絶望を宿した、特異な血の持ち主に巡り合えたことが。古からの魔道書には、肝心なそれについてのページが、いくつか抜け落ちてしまっていたのだ。だが、ついに私は、発見したのだ」
校長の言葉が、夢の中で響いているように聞こえた。
言葉は脈絡無く、断片的に浮かんでは消える。ぐるぐると、意味の無い単語と単語が手を繋いで踊る。それを見守るのは、無秩序だった。薄い酸素が、正確な理解力と思考力を奪い、奮起しようとする意思を殺し、己が存在意義すら疑わせた。何のために、ここに?一体何を?今まで何をしてきたというの?それは、意味のあることだったのだろうか。全部はムダだったのでは?失われたものは決して戻りはしない。その弔いのために戦うよりは、今あるものを大事に生きていくべきだったのでは?私がしてきたのは、過去へ戻ろうとするのと同じような愚かな営みだったのでは?
ぐるぐると、堂々巡りの、迷路のような思考が頭を過ぎった。結論が出るような類の話でもない。誰でも一度は考えるような、たわいも無い話。思春期の子供がこねくり回す、深遠な哲学者になった気分を味わえる、実は無意味な話。
いつからか、高みは、ピラミッドの半分にさしかかろうとしていた。
地上では生ぬるかった風が、幾分、冷たさを帯びたようだった。何か、得たいの知れないもののざわめきは、より一層、耳元で高鳴りを見せる。
その時だった。
不思議な感覚が、明菜に宿った。
消えかけたはずの、ドロドロとした何かが、再び生き始めたのだ。
だが、それは、今までとは明らかに異質な胎動だった。
怒り。
絶望。
失意。
悲しみ。
虚しさ。
殺すこと。
傷つけること。
壊すこと。
消し去ること。
ぐるぐると、周りで渦巻いていたのは、そのような負のエネルギーだった。明菜にはそれが、なぜか分かった。ざわざわと、耳元で響いていたざわめきは、混沌とした観念の叫びだったのだ。
暗黒は、向こうから押し寄せてきた。
観念という観念が、互いに手を繋ぎ、津波となって、あるいは乱気流となって。
明菜の中の混沌が、彼女が抱えてきた混沌の感情が、それらに共鳴したというべきだろうか。
「・・・・私をここまで連れてきたのは、失敗だったわね」
今や腕は、異形の力を取り戻し、その力は、校長から飛び退る活力を彼女へ呼び戻した。
それだけではない。
異形の腕は、それ自体がまるで心臓か何かにでもなったかのように、ドクドクと、鼓動を刻んでいる。
この世の果てにまで、鳴り響くような、そんな音だった。
ドクドクと、確実に刻むそれは、何かの始まりを、予感させる。
何が、始まるのか。
何が、生まれようとしているのか。
混沌の中から。
世界は混沌だ。混沌に溢れている。
明菜はそれに気づいたのか。その領域へ辿り着いたというのだろうか。
右腕は、今や肥大化している。ドクドクと脈打つたびに、皮膚が盛り上がる。独立した部位として、紛れもなくそれは、命を宿しているかのようだった。
と、右腕に亀裂が走った。
裂けていく。
鮮血が溢れ出す。
肥大化した筋肉が、剥がれ始める。
ああそれは、脱皮にも似ていた。
新しい、始まり。
新しい、誕生。
異形の皮を捨てた明菜の右腕は・・・・・・。
ただ、黒かった。闇がそこで渦巻いている。
指先と掌だけが真っ赤に燃えている。
「カオスの右腕の、真の姿」
呟いた声は、明菜のものだったのだろうか。
「すべてが整い、何者の意思にも逆らうことなく進むのなら、私はそれを、壊す。そのための力」
生はもちろん、死すらも、すべては受け入れられ、恙無く進んでいく。規則正しく整い、一方向へ進む世界。すべては、混沌の中にあるはずだ。整っているものなど、何一つないはずなのに、それらは巧みに隠され、伏されてきた。世に溢れる、すべての整然は、見せ掛けなのだ。周りで渦を巻くようにして踊る、混沌とした感情や、光景こそが、世界の真の姿なのだ。なぜなら、原初の生命はすべて、混沌から生まれたからだ。原始の海は、混沌だった。すべては、そこから始まっている。その混沌なくしては、整然などありえなかった。整然は、後付の理論に過ぎない。
「我は混沌の座」
校長より、十段ほど下にいた明菜は・・・・。
「散れ!」
飛んだ。
右腕が、巨大な渦を巻く。
すべての闇が、右腕へと集まっているかのように。その闇とは、混沌だ。内なる混沌と、外の混沌。
一撃は校長を直撃した。
そう見えたが、直前でかわされた。
校長の姿は・・・・・無い。
しかし、明菜には見えていた。
先ほどの攻撃・・・・。あの見えない鋭い一撃は、超高速で動く校長から繰り出されたものだったのだ。彼の言うエネルギーの管。恐らく、校長はその管に同調するようにして、超速で動くことを可能としたのだろう。当然、流れるような動きに同調した一撃は、見えぬものとなり、その破壊力も増す。刺すような鋭い一撃は、その一撃に、無数の攻撃が行われたことを示すものだったのだ。
それが今は、見えている。
向こうが、見えない張り巡らされた回路から力を得ているのなら、明菜には、この異様な空間が生み出す混沌と混乱が味方だ。
今、ここに、互いの力は拮抗を見た。
「私が見えているようだな、処刑人」
「・・・・ええ」
「大したものだ。それでこそ、最後の鍵」
中空を滑るように校長は移動してくる。
明菜もまた、宙へ浮いた。
校長が拳を繰り出す。拳は、電撃を帯びているように見えた。見えぬエネルギー回路から齎された力だろう。源泉は、破壊と滅亡を希求するエネルギー。
明菜が放った、右の拳の一撃は、正面から校長の一撃を無効化した。彼女もまた、同じ破壊と滅亡を求める力を、源泉としていたが、それは、世に溢れる、そして何より内に乱れる無秩序と混乱を、すべての元としていた。発生源自体、校長は遅れをとったのだ。
拳が、校長の胸を打ち抜く。
黒い、炎が、混沌が表出したその炎は彼の全身を焼き焦がした。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!」
風穴を開けられ、鮮血も炎に包まれて噴出させたまま、校長は呻いた。全身が黒い炎に包まれている。
「見事だ。見事だぞ、処刑人!だが、私は死なん。この程度ではまだ、死なんのだよ!」
狂笑だった。全身を炎に包まれて、胸に風穴を開けられて尚、校長は笑っていたのだ。
が、ふと、思いついたようにして、ピラミッドへと降り立つ。
その先には、人、一人が身を屈めて入れるだけの通路が開いていた。始めからそこにあったのだろうか。
明菜も、すぐにその後を追った。
通路の入り口へ降り立った時、もう校長の姿は見えなくなっている。
すぐに彼女も身を屈めて中へ入った。
中はじめじめしていた。熱気が篭っているのか、蒸し暑い。
通路は、まっすぐ伸びている。中は真っ暗だったが、目を凝らせば、どうにか先には進める。
ピラミッドの内部というと、複雑に枝分かれする通路を想像してしまうが、まだ、道は直線を保っていた。
と、不意に、内部に薄明かりが灯された。別に電球が設置されているわけでもない。もちろん、外に日の光が挿したわけでもないだろう。しかし、その薄明かりは徐々に、強い光へ変わり、ついには、黄金の輝きとなって、辺りを満たしたのだ。
まっすぐ伸びていた通路が、やや下り始める。
緩やかな勾配を抜ける。そこからは、螺旋状に、勾配は続いていた。迷うことの無い一本道。考えてみれば、財宝などの類があるわけでもないから、複雑な通路を中に巡らせる必要も無いのかもしれない。
明菜は歩調を速めた。ピラミッドが突然なぜ、黄金に輝いたのかも知りたかった。そのことと、校長の行く先には、必ず、何かしらの繋がりがあるはずだ。
突如・・・・。
空間が開けた。
六畳ほどの空間だった。
その中央・・・・。
校長は居た。
座禅のように足を組み、目を閉じている。明菜が追いついたことに気づいてもいないようだった。
胸の傷は綺麗に消えていた。何事も無かったかのように。
この部屋は、一体。
「ピラミッドパワー。聞いたことはあるだろう?」
そのパワーによれば、食べ物は腐らず、人体には不思議な高揚感が齎されるらしい。それが、この空間にも、あるというのだろうか。
校長は目を開いた。
その全身が、眩い金色に染まる。
「君の力に、ピラミッドが共鳴したようだ。本来ならば、このピラミッドパワーの発動は、もっと先になる予定だった。この力はね、明菜先生。零落した神々を誘導する一種のビーコンとして機能するものなのだ。その発動には、選ばれし巫女との交わりによる、エクスタシーで空間と大地を満たすことが必要になる。そう、今、このピラミッドの頂上で待っている者こそ、その巫女なのだ。だが、嬉しい、なんという嬉しい誤算だろうか。つくづく、先生は、この儀式の鍵を握る人物のようだったな」
「でも、死ねばすべて水の泡よ」
明菜が一歩進み出る。
「私は死なんと言っただろう。このパワーを手にしてからは尚更だ。これはな、神のパワーなんだよ。神を先導するための力なんだ。もう遅い。私は、神になってしまった・・・・」
「なら神を殺すまでよ!」
明菜は、右腕を繰り出した。
混沌を練り上げて放った一撃は・・・・・。
校長の身体をすり抜けた。まるで、彼の身体が霧か何かで出来ているみたいに。
「言ったはずだ。私は、神になってしまった。人間が神を殺すことなど、できはしない。混沌?それがどうしたというのだ?混沌すら神が生んだのだ。寄せ集めの混沌だかをいくら身に纏っても、私を殺すことなどできはしない。死ぬのは、貴様の方だ、処刑人」
校長が右手をゆっくりと上げた。
掌が眩い。金色の輝きだ。
それが、一瞬、閃光を放ったかと思うと・・・・・。
空間全体を、光が包んだ。
すべてが、呑まれていく。
明菜もまた・・・・・・。
意識が遠のく。
すべてが消えていく。
渦に呑まれるようにして。
感覚も無い。
何も見えない、聞こえない、感じない。
色も無い。
無。
私は・・・・・・。
死んだ・・・・・・・・・の?
その、輝きが空間から静かに退いた時、明菜の姿は消えていた。
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