9.赤薔薇
黎月に散歩に誘われた。
どこに行くわけでもなく、ただ、ぶらぶらと街を歩く。
そよ風がわたしの長い髪を揺らす。
降り注ぐ日差しは穏やかで暖かい。
気持ちのいい午後だ。
「偶には散歩もいいね」
「だろー」
黎月はよく散歩に行く。
すぐに帰って来ることもあれば、何時間も帰って来ないこともしばしば。
彼はとても気まぐれなのだ。
「それにしても、この街は可愛いなぁ。何度来ても飽きないよ」
「そんなにおもしろい?」
そう言うわたしに対して、黎月は不思議そうな顔をする。
「女の子は大概、可愛いものが好きなのよ」
もちろん、わたしも例外ではない。
「ふーん」
黎月はよく分からないといった顔をする。
男の子には理解しにくいことなのかもしれない。
「前から思ってたんだけどさぁ、この街って薔薇が多いよね」
ここに来た時から思っていた。
この街には薔薇が多い。多いというより、薔薇しか咲いてないと言った方が正しい。
赤薔薇、黄薔薇、白薔薇と定番なものから青薔薇や黒薔薇など見たことのないものまで、種類は豊富だ。
「だって、あんた、薔薇好きだろ?」
「好きだけど……?」
薔薇は好きだ。
一番好きな花は何か、と聞かれれば即答で薔薇だと答える。
それくらい好きな花だ。
だからって、それとこれとは何の関係があるっていうんだ。
「あっ!」
黎月が急に立ち止まった。くるりと方向転換する。
「帰ろう、舞」
「えっ、なんで?どうしたの?」
気まぐれな黎月。
でも、これは唐突過ぎる。何の前触れもなかった。
「薔薇園だよ、薔薇園」
「薔薇園?」
屋敷の近くに薔薇園なんてあったっけ?
「そう、薔薇園だよ。――って、ほら、早く」
黎月は立ち止まっているわたしを促す。
自分から誘っておいて何なんだ。
まだ、散歩を始めてから大した時間は経っていない。
どうしても散歩がしたいってわけじゃないから帰るのは構わないけど、黎月に振り回されているようで、あまりいい気分ではない。
黎月に急かされながら、わたしは屋敷に戻った。
†
「わぁ、素敵」
「どう、気に入った?」
連れて来られたのは、敷地内にある薔薇園。
彼が言っていたのはこの場所のことだったようだ。
庭の一角にこんな場所があるなんて知らなかった。
街と違って、ここにあるのは赤薔薇だけ。
手入れも行き届いているようで、とても綺麗だ。
ずっといたい。
そう思わせるくらい素敵な場所。
「うん、とっても!」
「そっか、よかった。にしても、あんたをここに連れて来ようって思ってたのに、ずっと忘れてたなんて……俺って馬鹿かも」
ニコッと笑ったと思ったら、がくっとうなだれる。忙しい人だなぁ、なんて頭の片隅で考えてしまった。
それにしてもすごい。
見惚れてしまう。
「わたし、赤薔薇って好きだなぁ…だって──」
赤はあの子が好きな色だから──。
――えっ…?
あの子って誰?
わからない。
思い出せない。
思い出したくない。
頭にずきりと痛みが走った。
頭の中で警報が鳴る。
思い出してはいけない、と。
お願い。
忘れたままでいさせて……。
「舞!」
強く名前を呼ばれた。
黎月の瞳が不安そうに揺れている。
わたしは無意識のうちにその場にうずくまっていた。
――今のは…?
考えようとすると、また、鋭い痛みが走る。
「大丈夫」
黎月がそっとわたしを抱き締める。割れ物を扱うかのように、そっと。
「大丈夫」
何度も繰り返す。
大丈夫、と優しい声で。
「大丈夫」
わたしの頭を撫でる。
幼い子供をあやすように。
ねぇ、その手が震えているのは、なぜ?
繰り返される同じ言葉。優しいその声は縋り付くようで。
抱き締められる力が強まった。
逃がさないとでもいうように。
ねぇ、黎月。
貴方は今、どんな顔をしているの?
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