第五話 MOYAMOYA☆トレイン (視点変更有)
(一之瀬尚吾視点)
風花の家は、都内から電車で三十分ほどかかるらしい。
暖かく暖房が入った電車の中は、酒気を帯びた人がウトウトしていたり、カップルが如何にも仲睦まじそうに寄り添っていたり、五、六人のグループが何やら盛り上がっていたりして、イヴのせいで少しばかりザワついた雰囲気が漂っていた。
「はい、尚吾の分」
風花が、自販機で買ってきたお茶を差し出した。
「開けられない」
俺は不貞腐れてお茶を受け取らず、包帯を巻いた方の腕をワザとらしく振り回した。風花は、仕方がないと言う風に肩を竦めると、ペットボトルの蓋を回し開けボトルを手渡した。
「……尚吾ってさぁ、本当に帝都大学の学生なの?」
風花が疑わしそうに訊いてきた。
「何か不審な点でも?」
俺は渋面で問い返す。
「不審な点だらけじゃない。あやしげなパンダだし、嘘つきだし……」
風花は失礼なことを面と向かって言った。
「失礼なやつだな。その嘘のお陰で助かったのは誰だったっけ?」
俺は憮然とする。
「……私です」
風花は小さく呟いた。
「聞こえないなー、なんかウサギでも鳴いたか?」
「その節は、助けていただいてありがとうございましたっ」
風花がワザとらしく勢いをつけて言うので、俺はうむうむ、とワザとらしく頷いてやる。
「ところで、お前こそ、どこの高校の生徒だ?」
風花は彼女の住む街にある普通科の高校の名前を上げた。進学率は中の上くらいだろうか。風花の通う高校から帝都大学に行く生徒は皆無という訳ではないが、学年で一、二人いるかいないかという程度なのだそうだ。なによりも、両親が、この高校を自宅の近くだと言う理由で気に入ったらしい。
校風も穏やかで保守的で、元々女子高だったのが、少子化の波に押されて共学に踏み切ったばかりで、だから女子が圧倒的に多いのだと風花は言った。
「へぇー、割と堅実なところに通っている訳だ」
俺は皮肉交じりでそう言った。
「割とって……私は、どこからどう見ても堅実じゃん」
「こんな時間に家に帰ってなくても?」
「それは……事情があったから……」
「化粧してても?」
そう言うと、風花ははっとしてバッグの中から手鏡を取り出した。口紅は、ほぼ剥がれていたが、付け睫毛とアイシャドーで飾られた瞳はばっちりそのままだ。
「やば~」
風花は、小さく悲鳴を上げると、いきなりメイクを落とし始めた。付け睫毛を外し、クレンジングペーパーで目元をぬぐうと目力が抜けて、愛嬌のある素朴な瞳になる。
「電車の中で化粧する女は見たことあるけど、逆は初めて見た」
俺は呆れて言った。
「化粧なんてしてるところ見つかったら、もう街に行かせてもらえなくなっちゃうもん」
「化粧品はどうしたんだ?」
「付け睫毛は今日百円ショップで買ったの。アイシャドーと口紅とクレンジングペーパーは薬局の試供品でもらったやつなの。ずっと前から集めてたんだ~」
「呆れた不良娘だな」
俺は眉間にしわを寄せた。
こっそり集められた化粧品……いくつも糸を替え配色を考えて編まれたマフラー……どれもこれも不器用で、決してばっちり決まっている訳ではないのに、どれも素朴で温かい。しかし、それは全部、今日ドタキャンしたやつの為なのだ。俺は胸の中が突然モヤモヤしてくるのを感じていた。
なんでだ?俺には関係のないことだ。俺は持たされた緑茶を一気に流し込んだ。
* * *
(佐竹風花視点)
「ねぇ、尚吾もシルクロードの彼女さんみたいに色々な国の血が混じってるの?」
私は尚吾に訊いてみた。尚吾の翡翠色の瞳は日本人のものではなかったから。
「シルクロードの彼女?……確かにそのとおりだな」
尚吾はくっくっと楽しそうに笑った。
「そうだな、基本的には北欧とイタリアと日本の血が混じっているらしい。父が日本とイタリアのハーフで母が日本と北欧のハーフだ。お互い日本に住んでいて知り合ったんだそうだ」
「北欧とイタリア……いいな~。行ってみたい所ばかり」
「おまえは、呑気でいいな」
尚吾は溜息をついて緑茶を飲みほした。
「……なにそれ」
私はじっとりと尚吾を見上げる。その時、ふと湧いた疑問を口にするべきかどうか迷って、結局訊いてみることにした。
「……ねぇ、シルクロードの彼女は同じ大学の人?」
「ああ。学部が違うけどな」
「ふ~ん、頭良いんだ」
帝都大学と言えば、最難関大学の一つだ。去年、聖ちゃんもそこを目指していたのだが、結局ワンランク落とした今の大学に通っている。
頭が良くて、美しくて、プロポーション抜群……尚吾の好みは、随分レベルが高いらしい。パンダの癖に~
「尚吾は大学で何を専攻しているの?」
「まだ二年だから教養課程だ。もっとも来春から理学部ってことは決定しているけどな」
「理学部……」
モフモフ白黒パンダが、色々な薬品をフラスコに入れて混ぜ混ぜしている光景や、物体を落下させて速度を計測している光景を思い浮かべて、私はニマニマしてしまう。
「……」
そんな私を、尚吾は胡散臭げに横目で見つめた。
「理学部って言っても色々あるよね。化学?物理?」
「俺がやりたいのは分子生物学だ。受けたいゼミも決まってるんだが、結構人気がある分野なんでやれるかどうかは分からない」
「ふぅん……分子生物学……」
私の頭の中に、生き物を分子まで分解するレーザーメスを手に持ったスプラッタなパンダが現れて、にやりと笑う。私はブルルと首を竦めた。
「かつて、シュレーディンガーが、原子はなぜそんなに小さいのか?という質問をしたことがあるんだ……」
尚吾は分子生物学について熱っぽく説明を始めた。俺様パンダからは想像がつかないほど、ひたむきで、少年と呼ぶに相応しい目の輝きと喜色に彩られた通りの良い声で、尚吾は語った。その瞳の輝きや耳触りの良い声を、シルクロードの女神は愛でたに違いないと私は確信する。
「……だから、生物の形態形成には、自然淘汰の結果、ランダムな変異が選抜されたと考えるだけでは不十分で、一定の物理的な枠組み……なにか物理的な制約があって、構築された必然の結果と考えた方が良い場合もあるんだ。そう考えると、構築している原子が同じものであれば、当然、地球外生命体にも同様な制約が課される訳で……って、おい、聞いてるのか?」
瞬時に爽やか少年は、俺様パンダに変身した。
「え?ああ、聞いてる聞いてる」
軽く返答する私に、尚吾は疑いの眼差しを浴びせた。
「やーめた。風花に話したってしょうがないしな」
「……」
シルクロードの女神には延々と聞かせるんでしょうよ。どうせ私に話したってシュレーディンガーだかシュークリームだか区別もつかないって思ってるんでしょう?実際、ほぼ区別つかないけどさ。私はモヤモヤした気持ちをぐっと飲みこんだ。

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