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インギア
作:秋之



第二話:拾う歯車◇花屋


縦に長い建物の間を、少年が一人、息を切らせて走っている。
今、少年は生きるために逃げている最中だった。
なぜ自分が殺されそうになったのか、全くわからないのだが、黙っていれば殺されてしまう。
少年は逃げるしかなかった。
まだ死にたくはない。
だから命をかけて走っていたというのに―

「いたぞーっ!!」
「!?」

少年の頑張りも虚しく、塀を乗り越え、地に足を着いた瞬間、丁度路地を曲がってきた男に見つかって、大声を出された。
無慈悲に響く声に、少年の心臓が止まりそうに冷え、同時に死への覚悟が決まる。
少年がまだ若い命を手放す決心を固めかけたときだった。

「こちらに、いらっしゃい」

さきほど自分が乗り越えた塀の上から“春”の様な声と共に、白い手が伸ばされていた。
驚いて半歩後退した少年だったが、塀の上にいた青年が余りにも穏やかに微笑んで手を差し伸べるので、少し警戒しながらも、その手をとってしまった。
目の前の眼鏡をかけた穏やかそうな青年が、果たして信用の置ける人物なのかわからないのに。
自分の手をつかんだ少年に、青年は笑いかけると、一気に塀の上まで持ち上げて、細い細い道の上に立たせる。

「着いてきて下さいね」

暖かく穏やかな声に、少年は何となく安心して、塀の上を青年に着いて行く。
その際、青年の長い髪が目について、少年は何度か目を擦った。
そうして気が付いたのは、青年の結わえられた髪が、金髪だということだった。この街で、少年は金髪の人間や人形を見たことがない。
ぼんやりと見とれていると、金色が急に視界からずれて、少年は驚いた。
実際は青年が塀を降りただけなのだが、少年はそれに気付くまで数秒の時間を要するほどに金色に魅せられていたようだ。
青年が降りたのは、この街では珍しい、縦ではなく横に広い建物の前で、その屋敷の軒先には色彩りの花が笑顔で並んでいる。
花なんて眺めるのはいつぶりだろうか。
少年は今の今まで、この無機質な街の中に花屋があるだなんて知らなかった。

「あら、ゼオンさん? 今日も晴れましたなぁ」
「はい。ところで、まだ場所は空いてますか?」
「あぁ、空いてますよ? 後ろの坊やのことなら、ご心配なく」

ゼオンという名前らしい青年と会話をする、若い和服の女性。空いてるとか心配ないとかよくわからない話をしている。
その女性が、上品に微笑んで手招きをした。

「さ、坊や。こっちに来て隠れなさい? また恐い人に見つかってしまうさかい」

しかし、少年はゼオンの後ろにつっ立ったまま、動こうとしない。
大人を警戒しているのか、イントネーションの違う言葉や、この街にはありえない花屋という空間に怯えたのか、少年はゼオンに背を押されても、それ以上、動くことはなかった。
「………」

そんな少年の頑なな様子に、ゼオンも女性も困って顔を見合わせるだけで、どうすること出来ない。
こんな時、無理矢理に連れていくことが一番良くないのだ。
しかし、ゼオンも彼女も少年だって、永遠に立ち続けられる訳ではない。
どうしたものかと悩んでいたところに、花屋から小柄な人影が出てきた。

「スミレさ〜んっ!! ……あ」

あからさまにゼオンと少年に反応した彼は、軽い足取りでチョコンと二人の前で立ち止まる。
一見、女の子と見間違えそうになるほど、可憐な容姿の彼は、ゼオンの後ろに隠れた少年に不思議そうに首を傾げた。
まさに、小鳥のように。

「僕、テイオっていうんだ。このお兄さんがゼオンで、あのお姉さんがスミレさん。…君は?」

近づいてくるなり、自己紹介を始めた赤毛の可愛い子に、少年は一度大きく瞬きをして、キョトンとテイオを見つめた。
テイオの方は、慣れた様子で、笑顔のまま答えを待っている。

「ユキ」
「ユキ?」
「うん」

少年・ユキの声は、とても小さかった。
まだ気が気でないようで、不安そうにゼオンとテイオを交互に見ている。
ゼオンはテイオと目が合うと、柔らかく微笑んで、今度こそユキの背を押してやった。
同時にテイオがユキの手を掴んで、店の中に連れていく。
店の中に入ってしまえば大丈夫だろう。
同じ境遇の子が数人、大人も含めれば、十数人はいるはずだ。

「……ご苦労さまです」

話題を探すように、ゼオンが苦笑する。

「はい、ご苦労さま。でも、お互い様ですやろ?」

店の前が二人きりの空間になったところで、双方の表情は一様に暗くなった。
心なしか、花も元気がないように思える。

「最近、多くなってきてますなぁ。
…本当に“人形狩り”なんてこと、するんですやろか」
「そうなってほしくありませんけど…否定できないのが辛いところです」

花屋の女主人スミレの口から出た“人形狩り”という単語に、ゼオンは辛そうに瞳をふせる。
それが今の、街を取り巻く状況。
“人形狩り”というのは、読んで字のごとく、人形を狩るということで、その昔、戦争で敗北した人形の残党を撲滅しようという行動だった。
それが近々、本格的に動きだそうとしているらしい噂が、真しやかに囁かれている。
もし、それが本当なら、この街は大変なことになってしまう。
なぜなら“人形狩り”の対象となっている者の全てが人形ではなく、本来“人形狩り”の側にいるべき‘機融人’なのだ。
‘機融人’というのは、機械と融合した人間のことで、存在自体が人工の人形とは全く違う。
対象となってしまった機融人は、他の機融人と違い、体の大半を機械で維持していた。
なので、“人形狩り”の方でも見分けがついていないのだ。
人形だったら狩られてもいい、という訳ではないが、それにしても、この状況で“人形狩り”が動き出したりなどすれば、ただの殺し合いになってしまう。
そうなってからでは遅いのだ。
だからこそ、ゼオン達のような若者が立ち上がらざるをえなかったのだろう。
ゼオンは、今でこそ
“反人形狩り・インギア”のリーダー的存在だが、実際はどこにでもいる極々普通の青年なのだ。
髪が金色で、少々人より体が強いだけで…。

「……こうしていても、仕方がありませんね。私、家に帰ります」

暗い顔で沈黙したまま立っていた無駄な時間を悔いるように、ゼオンは苦笑してスミレに礼をした。
スミレもゼオンに同意したのか、軽く表情を崩して、店の中に戻ってゆく。
花が風に揺れる音を聞きながら、ゼオンは塀を飛び越えた。


“人形狩り”が動き出したら、自分達は一体どれだけの人を救えるのだろうか。












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