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砕かれた林檎 4
作:平安名 尚



くたばれコミューン


  一
 ぬるべ郷の冬は寒いが、夏も想像以上に暑いところである。
内陸部に位置するせいで、常時フェーン現象風が吹いているからかも知れない。
昔人はよく云ったものだ、光陰矢の如しと。柿本が初めて提案した厳冬研鑽会から一年なろうとしていた。
やがて年が変わろうとする師走の晩に、柿本は寝床の中で寝付かれない夜を過ごしていたのである。
寝れない、そんな時焼酎を呷るか、風呂に入ると寝つきがよくなる。其の夜は、遅くなってから一人で風呂にはいていた。九時ごろ入るのは違反である。だが、どうしても仕事の都合上、入らざるを得ない人たちがいる。例えば、長距離運転した者達である。其の人たちの中に柿本ははいていた。だから。特別の仕事をしたわけでもないのに、夜分に風呂に入れる特別の人になっていた。
 湯船に浸かって、柿本はいつも見ている壁画を眺めていた。大きな椰子の木があり、一見して南国を匂わせる。椰子の向こうの水平線には、これまた大きな夕日が半分ほど沈んで、真っ赤な夕焼けと、それを映す大海原が二重のコントラストになって、あたかも、アロハを着た私が、其の夕焼けを望んでいるかのような臨場感がある。
 ところが、実際の夕焼け空と云うものは、そのまま同じ景観を醸し続けているものじゃない。経時的に変化し、とどのつまり暗黒になる。これが自然だ。しかし、この絵画は、いつも同じ光景でしかあり得ない。
 柿本は同じで変わらない状態に、ふと、もの悲しさを感じるのだった。一瞬の間の光景を持続するのは自然界にあり得ないからである。ありえないけど、敢えて絵画や写真は、一瞬の光景を持続させる。この行為は、日常の生活の憧憬ではないかとさえ思えている。いや、画家や写真家は一瞬の光景を捉えることで、世間にアピールしている。彼らの仕事はすごく大切な、人間の安らぎと、彼らに云わすれば、真実の実証を提示しているのだという。だが、それとは別に、こんなに山の奥ならば、遥かに続く山並みか、山頂からの景色ならばいざ知らず、海の絵画なんて、と柿本は常に彼の心を燻るものが湯船に浸かって壁画を見るたびに思うのであった。
 高さ三メートル、幅五メートルのタイル壁画は、それが大きいだけに甚大な費用も要ったであろう。金目を厭わずにしている心意気が、楽園に居る私。幸福感に包まれた私と、置換して感じさせようとするところに、棘が感じるのだった。少なからずこの壁画には、見えない棘が隠れている。その見えない棘は云うまでもなく、閉鎖的思考であると思うようになって久しかった。
それは山々に囲まれた地形的因習の発露なのか、潜在的に凡ての人に持っているものに起因するか、或いは、故意に顕現化しない体質が醸成した百花なのかはよくしらない。
それはカリスマ的存在であったこの共同体の創始者、服部先生が亡くなられるや、顕著に棘が現れだしている。第一、これまでに最も変わってしまったのは、共同体員の、私的所有権の意識が強くなったことは、誠に持って由々しき問題であると断言せざるを得ない。たかがタイルの壁画、されどタイルの壁画なのである。あれやこれやと頭をめぐらして物憂げのまま風呂に浸ること二十分、寝たい眼を擦りながら風呂をを出た柿本だった。
 部屋に戻ると隣に寝ていた沙登美は今は居ない。憚ることなく大の字になってベットに横たわって、風呂場での続きを考えていた。
 なるほど、創始者である服部先生が亡くなると、恐らく、変容するであろうことは内外で噂があったのは否めない。しかし、敢えてその後のことを口出すすることを、自分自身に戒めていた雰囲気があった。
 中傷になってはならないからだ。だけど、考えることを妨げるものでもあるまい。
 その一つに、服部先生を師と仰ぎ、先生に専ら就いていた、大人達の子供等が、噂通り先生の亡くなられたのを機に、共同体に戻ってきたことである。勝又もその中の一人で、妻子と決別して二十年振りに戻っていた。柿本は人数の増えることはいいことだ、とする囁きの中に、どのように変容するかを事細かに観察していたのだった。
 ところが事態は、予想だにしない展開になりつつあった。
それは、まさか共同体の根幹である共有権の放擲を、何の躊躇いもなく遣りだしたことである。何故? この時期に? となると、これまでは抑圧されて生きて来たのかと情けなさを超過して、アホの集団に写るのだ。
 共同体の中で、これまで五十数年も生活してきた者達が、共有概念を、服部先生について行く名目で、ただただ隠蔽してきただけの生活だったのか、と見間違えるほど、私有権を貪りだしたのを目の当たりにするようになった昨今である。
 具体的には、共同体の土地の名義変更による私物化。
 柿本はこの事態を見て見ぬ振りしていたが、全身が震撼して夜も熟睡出来なくなっていた。
それと同時に、この共同体の流れに対してではなく、よもや五十数年も、己の意志に背いて生活していた者達が哀れで、不憫でならなかった。
 勝又等は生まれてこの方、いうてみれば共同体の生え抜きである彼等が、成長するにつれ社会に目覚め、社会のあり方を無言のうちに周囲から嗅ぎ取って、自分たちの親がしている共同体というものは、何処か違う特異な社会形態で、恥ずかしく、苦痛な場所である以外なにものでもなく、いつしか周りのものと迎合した、同じ生活様式をすることが望ましい、と考えるようになっていったのは、自然の成り行きというものであったかも知れない。それでも、惨めな気持ちで学校へ行ってた二世代の心情を汲み執って、親たちに教育する気概が芽生えていたならば、事態は別の方向に進んでいたかも知れないが、それどころか、敢えて共同体というものの教育を、大人たちはしてこなかったのである。創始者の服部先生にしても、
「わしが死んだら、この共同体はどうなると訊いたかて、わしは知らん」
 と、無碍に云うだけだった。
 それというのも、この共同体の生い立ちが、自分たちで望んで共同体を拵えたのではなく、住民の圧力で、やむなく自己防衛の手段として、共同生活を余儀なくされて始まったのに起因している。だから、本質は共同体を避けたいというのが常にありながら、対外的事情がそうさせずじまいだった。可哀想と云えばこの上なく可哀想なのは、巻き添えを食った子供たちだったのは云うまでもない。
 このようなところへ理想に燃え、情熱を滾らせて参画した柿本等とは、自ずから基本的な考えの違いがあった。服部先生は、この起こるべき勝又と柿本の口論を、生前に予知していたかも知れない。先生の死後、日を追ってエスカレートしていたのである。柿本は余所者扱いされても、共同体とはどんなものかをみんなに説いていた。しかし、服部先生が亡くなると、いち早く再参画した勝又には、柿本の説法は口論の火付け以外、なにものでもなかった。 
 
 この日は、真夏の太陽がぎらぎら照りつける風のない日だった。柿本は大きな麦藁帽子を被り、黒いサングラスにスパイクのついた地下足袋の出で立ちで、広い土手の草を、草刈機を振り回すように刈っていた。
 いつものように草を刈りながら、鏡の世界を考えながら草を刈っていると時間が早い。やはり、時間は意識することの産物で、生態的というか、相対的なのもであり、絶対的なものでないと草を刈るたび確信するのだった。
 ふと、刈り終えた域が予想以上に多く刈っているのに気づいて、ほっと、一休みして、周りを見渡せば、梅の木が指に触れる。土手の勾配は三十度ぐらいなのだが、土手の景観と風雨で土砂崩れしないように、土手には梅の木が百五十本くらい植えてあり、小奇麗に剪定した梅木が清清しい。
 ところが、草刈りに梅の木は煩わしいことこの上ないのだ。
 嬉しくもその梅の木の羽振りが宜しく、地を這うように枝が伸びているだけじゃなく、隣の梅の木と仲良く枝を繋いでいるものだから、草を刈る者には骨が折れるのだった。
といっても梅の木は、毎年三月になると白い花が一斉に咲き乱れ、朝夕の凪いだ日には、梅の花の馥郁とした香りを四囲に漂わせてくれるのである。六月には三五0キロ以上の梅の実を付ける。これで共同体員の一年分の梅干しと梅酒が造られた。そんな訳で無碍に枝が邪魔とばかりは云えず、梅の幹を回り込むように丁寧に草を刈っていれば、遅々として進まず時間はすぐに経つのだった。
 単純な名草刈作業をしているとき、意識的に鏡の世界について考えてみる。すると、時たま意外な発見をした気分を味わえるのである。だから、草刈と鏡の世界とは腐れ縁の中である。辛い草刈作業を愉しく鏡の世界を考えることによって、時間が苦にならないのを柿本は覚えていた。
 さて、休憩を終え、いつものように草刈機を唸らせていた柿本に、
「理事長が呼んでいる」
 という吉武の伝言があった。
 柿本は汗でずぶ濡れの服のまま、事務所脇の理事長室に入いた。
こぢんまりした六畳くらいの理事長室には、理事長の渡喜仁栄三郎の他に、あの研鑽会の時に騒然と口論した勝又と中江がおり、他に施設長をしている、丸々と太った合田という中年のオバサンが、椅子にかけて待っていた。七十歳を越えるが矍鑠とした渡喜仁理事長は、三代目である。理事長は三ヶ月前の研鑽会の模様を、直接柿本から確かめたくて呼んだようであった。
「実はな、外でもないが、ここにおる勝又と中江が云うには、君は謀反を企んでいると云うのだよ、本当の話を聞かせてくれないか」
 と、渡喜仁は眉を吊り上げて云った。
「謀反? 藪から棒に・・・謀反とは穏やかでないですね、どういうことですか?」
 と、柿本の方から吃驚して逆に聞き返したのだった。すると広い額に小皺を浮き立たせた理事長の渡喜仁が、
「君は個人的に三十万円の金を使いこんでいるね・・・」
 と、勝ち誇ったように云う、
「あー、それでしたら、パソコンとプリンターを買うのに、貰ったものですよ」
 と、他人事のように云った。
「このような個人的出費をしていいのかね」
「良い、悪いの問題じゃなく、必要だったからですよ。今頃の若い者は、パソコンぐらい誰でも持っているらしいですよ」
 と、当然のように理事長に言い返すと、傍らの施設長である合田が、
「パソコンならば、事務所に五台もあるでしょう」
 と、いつでも使える言い分で云うものだから、
「あれは、みんな営業用でしょう? 共同体には個人的所有物がないから誰でも使える、というのは建前だけで、実際、事務所にあるパソコンを個人的に使えた試しがないでしょう」
 と、柿本は切り返えした。すると、白髪の混じる肥った中江が歯切れのいい分かりやすい発音で、
「こんな考えだから困るのよ。共同体のみんなが、あなたと同じようにすれば、共同体は成り立たないわ。もう少し、あなただったら、あなたらしくして貰わないとね」
 と云う。彼女は共同体の創始者である、服部宗五郎の内縁の妻であったという人もいるくらいだから、邪険に云うところがあった。
「云ってる意味は分からないでもないが、パソコンぐらいで難癖つけられるとは、思ってもみませんでしたね」
「それだけじゃ、ないでしょう?」
「と、いうと?」
「しらを切らないで頂戴! 電話の引き込み代もかかったでしょう?」
 と、中江は睨みつけて云う。
「ああー、それは当然付属品だもの。ここの電話はすべて、消防署へ非常通知できるシステムになっているから、新しい引き込み線が必要だったのよね」
「なに寝ぼけた事を云ってるのよ。馬鹿にして・・・」

 中江の声は震えている。すると勝又が目を尖らせて鋭く追い打ちをかけた。
「それだけじゃ、ないだろう?」
 ドスの利いた低い声で云うから、
「どういうことです?」

 柿本は身構えながら云って、勝又の次の言葉を待った。あの研鑽会以来、勝又と柿本は傍目にも分かるほど、険悪な空気が二人の間に流れていた。柿本にしてみれば、このごろ自分を見る周りの目が、何か疎遠になっているように感ずるのは、勝又があらぬデマを流している張本人だからと見込んでいた。やはり勝又は、不適な笑いを含んだ目で云うのだった。
「君は、油を青蓮寺川に流しただろう。あんな事が、どんなに世間から避難されるか、計り知れないものがある」
「ちょっと、待ってよ。油を、川に、俺が流したんだって・・・」
「違うのか? 川の土手に油の混じった土砂が残っていたぞ」
「それで・・・」
「お前はいつもこの手でしらを切るが、いい加減にせんか! あのときの油が下流に流れて、役所や水質資源の係官が来て、大騒ぎになったのを知らんというのか!」
「ああー、一ヶ月前のことね・・・。知ってるよ。それがどうした?」
「アホかおまえは! 油を川に流したのを何とも思わんのかい、世間を騒がて・・・」
「あれ! その時の油は石油だったのかね?」
「馬鹿なこと云うな! 水に浮いた油は少量でも、ものすごく拡散することぐらい知らんのか?」
「だから、そのときの油は石油だったのかね? あれは水質資源の係官がすぐに調べて、殺虫剤のようなもの、と教えてくれていたんじゃないかね」
 その時、渡喜仁は二人の剣幕に異様さを感じて、
「まあー、まあー。待ってくれ」
 と、押しとどめようとしたが、
「殺虫剤でも石油でも、あんなものを川に流す奴がおるか!」
 と、勝又はいきがう。
「まあー、待ってくれ」
 と、渡喜仁は事の経緯は私が一番よく知っているから説明しよう、としているらしいけど、勝又は渡喜仁の言い分を心得た上で、柿本に噛みついている様子なので、渡喜仁の制止に耳をかさない。
「君のような人間を、謀反を企んだ人間というのだ。出て行け! 共同体を出て行け!」
「ほう、たいした剣幕やな。お前のような人間に出て行け、といわれる筋合いはない」
「なんだと! ここにあるみんな、俺のものだ! お前のような余所者に渡してたまるか!」
「アホかお前は! 誰がこんなもの独り占めにする気があるか! おい、勝又! 心配せんでいい・・・。俺はな、共同体の財産を自分のものにする気は毛頭ないのだ。もし、そんな素振りが見えたら、お前なんかに出て行けといわれる前に、自分からとっとと、出て行くわい! くそったれが、濡れ衣を被せようとして・・・」
 渡喜仁は必死に場を修めようと、まあ、私の言い分も聞いてくれ、と言葉を荒げて言い続けていた。中江は二人の口論に眉を顰め、その場にいたたまれなくなったように居なくなっていた。同じように合田が部屋を出ようと動き出したとき、渡喜仁は警察官も交えて話したことだから聞いてくれ、と喋りだした。
「あの油は、石油ではないです」
 すると、勝又が再び大声で、
「石油であろうが、石油を含んだ土砂であろうが、川の土手に捨てるどこのアホがおるか、謝れ!」
 と、喚き出したので、渡喜仁は必死に制して、
「石油を含んだ土砂も捨ててあるから、石油も混じっているかも知れないが、あれは私が蝿を駆除するのに使った殺虫剤もあった。あの殺虫剤のはいた一斗缶が腐って、穴があいたものだから臭いがして、一斗缶に十分の一ほど残っていた殺虫剤を、誰かが側溝に放した。それが川に流れて汚染したらしいことは分かっている。だけど、幸いに殺虫剤が少量だったため、被害は全くなかった。そこで警察官とのやり取りは、今後の問題として、薬剤管理を十分注意するようにすれば問題解決になる、と云わはった。だから、これからはこのような油気のものは、厳重に管理したらいいじゃないか」
 と、おどおどした呈で渡喜仁は云っているが、柿本は殺虫剤を使用していた張本人が、渡喜仁であることを知っていたから、原因が石油でなく殺虫剤と知ってからは、この問題に深く立ち入らないようにしていた。何故なら、原因が分かった安堵感と、責任所在の追求が自分以外の渡喜仁に及ぶであろう事が、懸念されたからである。それで黙っているのを勝又は、土手に石油を含んだ土砂を捨てる常識知らずと責め立てることで、憎い鼻っ柱を折りにかかった。
「あくまでもあんたが、石油を川に流したというのなら、俺にも言い分がある。共同体の隅に給油所があるだろう。この給油所の浄化槽の汚泥が溜まっていることを、消防署から指摘されていた。俺はな、給油所の防災責任者になっていたために・・・」
 と、柿本が云いかけるとすかさず勝又は、」
「お前なんか防災責任者でなくていい。他にも資格を持った者がおる」
 と、大声で遮るものだから、
「一寸待てよ、きちがい! 人の話を聞いてから自分の意見を言え!」
 と、やり返して再び口論となった。
石油を含んだ土砂を、問題のないように何処に捨てるかを考えた挙げ句、川に流すのではなく、川の土手ならば大丈夫だろうと捨てた。
事実、河川の汚染騒動が起きたのは、その三日後である。
更に勝又は、油の混じった土砂も見ていないはずである。
なぜなら、油騒動のあった夕方に、角田という土建業者が二トンダンプで赤土を運んで来て、一輪車で三倍ほどの油の混じった土砂の上に、ダンプの赤土を全部被せて分からないようにしていたからである。
角田さんのこの行為は、役所や水質資源の係官に指摘されるのを、隠蔽する好意的な配慮だと理解していたが、角田は川の原因がこれだと思いこんでの行為だったのだろう。そのことを後で勝又や渡喜仁に角田さんが、独りよがりな考えで密告したらしい。こんなことを、今のこいつ等に話したって無意味だろうから、嫌気がさして、
「お前等や合田等のど阿呆に説明したってどうにもならない。勝手にせー!」
 と、柿本は匙を投げた。
 そもそも、柿本が参画した最大の要因は、源太に対する供養の意味があった。確かに事件以来、厭世的になり何もすることが出来なくなっていた。街を歩けば
「あの人が殺人者だって」
という後ろ指を差された感が付きまとい、外出することさえ怖かった時期があった。
この厭世気分を払拭するために、鏡の世界というものに没頭することで、気分が紛らわされ、とどのつまりは共同体を志向した。
ところが参画は、源太に対するカモフラージュだったことは隠しえない。
と謂うことは、共同体は隠れ場だったに過ぎず、必ずしも理想郷の追求ではなかったのかも知れない、と気づいたのはこの時からだった。
共同体だって娑婆以上に虚々実々のやりかえしに過ぎない社会だ。現にグルになって、俺を追い出しに躍起である。何故か? 単なる社会通念の枠内で思考しているからだ。彼らには客観性の放擲が生む社会形態を考える縁もないだろう。実際、雁字搦めになった脳味噌を解きほぐす無駄なエネルギーを、こんなところで消費するよりも、去るに限る。 
 それから数日後に、渡喜仁は柿本を呼び、
「君の研鑽会の資料は一体なんなのかね? あの紙片を徳田野は、私の目の前で破いていた。破いていたことをどう思うかね?」
 と、会員で最年少の徳田野君を持ち出していきなり、追い討ちをかけて聞いてくるものだから、
「それは、その人のかってでしょう。内容を馬鹿にする者に、一々反応する義務は、私にはないのですから・・・」
 と、応えた。
 言語論理が生命論理と置換できれば、数式論理は非生命論理といえよう。この非生命論理の中に、本来は生命論理である客観性や絶対性を限りなく挿入して、真実や普遍を創ったのだろう。
だから、絶対愛なんかは生命論理と数式論理の融合化を図った帰依であろう。恐らく、人類は言語論理を発明した後に、数式論理を発明したという課程を得ているだろう。そこで、何故、実在のない数式論理が必要だったか。(例えば、現在は瞬時に過去になってゆき、在るのは過去と未来だけの絶対時間は現在がない)只、明白なことは、数式論理は生命の維持に無関係と云える。ということは、俺流の相対的認識論は関係の論理だから、数式論は不要であるべきだ。
 こういう俺の言い分を、知ったかぶりして渡喜仁は、わざわざ徳田野を引き合いに出しただろうけど、俺はあんたが何も知らないのを知ってるよ。俺の鏡の世界を、貶したがっていることが、あんたの顔に丸々書いてあるから、あんたの話には乗らないよ、と内心は叫んでいた。
 その後、部屋に戻った柿本は、テレビをひとりで観ていた。だが、画面は上の空で、渡喜仁の魂胆に腹立たしく覚えてくるのだった。
 明るかった窓からの光は既に失せ、夕暮れの山並みが仄かに見えるようになって、室内の明かりはテレビだけになると、徐にテレビを消して、再びベットに横たわっていた。
 共同体に参画して得るものはなかった。娑婆と変哲もない。居ても無意味ならば去るに限る。
想えば人生とは知識の集積である、と云ったって過言ではなくなった。
喜怒哀楽が鏡の世界で製造されるといえば、いや、もっと深遠な、もっと、神秘なところにあると、考えるのもいいだろう。こう考えるのが客観性、必然性の帰依だからである。鏡の世界の存在が客観性を殺した。俺の中で完全に死んだ。魂は言葉による鏡の世界だった。早く客観性、必然性を放擲した新社会秩序を創出しなければならない。何故か、苛立つ。ひとりで部屋で考え事をしていると、いつもそうである。
 時間がない。源太との約束は迫っている。おおそれたことじゃない。相対的認識をすればよいのである。この意識革命が世の中を変えてくれるのだ。急ごう。くたばれ共同体! 柿本はは簡易裁判所に調停を依頼する事を決めた。渡喜仁や勝又等の盲点を突く秘策があるのだ。


 「・・・以上の件で私は山里共同体に対して、五千万円の損害賠償を請求します」
「このことが事実かどうか、理事長の渡喜仁さんにも訊いてみますので、あなたは先ほどまでいた控室で待っていて下さい」
 三人いる真ん中の調停員は、私に催促するように出室を告げた。
私は立ち上がろうとした瞬間に、突然、眩暈に襲われた。
が必死に耐えた。私はこの状況を調停員に悟られたくなかったからである。もし、私が入院している事がばれれば、このとき、この調停は終わりだと覚悟していたから、よろけた瞬間に、これまでずーと、同じ姿勢でいたので、足がしびれたという風情を装い、鄭重に笑顔でお辞儀をして、踵を返したのだった。
 誰もいない六畳ほどの申立人控室は閉じられた空間であった。
中にはスチーム暖房があり頗る暖かい。
壁には重厚なクロスが張り替えられて、築後三十年は経っているであろう、建物の前近代性とは裏腹に、過ぎし日のゴージャスさが滲み出てくるのだった。
窓の外は小雪が舞っている。
強風に煽られ、舞い上がった雪々が、家の屋根に舞い落ちるのを惜しむかのように、近づいては遠くに靡き漂う小雪であった。
屋根屋根の遙か向こうには、万葉の歌人、柿本人麻呂の句碑が建っているであろうが、雪煙で今は全く見えない。
しばし座って、窓から見える小雪を眺めていたら、なんだか小雪は、私に挑戦を挑んでいるように感じられてきた。
私は今の小雪のように、風の吹くまま自在に、身体を踊らすことができない。
いや、できないのじゃなくて、そのように、風の吹くまま、気の向くままに生きる人生を軽侮し、毛嫌いをしていた。だから、小雪はあたかも私の心情を見透かして、私に挑戦している、と感じられたのであった。だが、私は負けないと誓った。おまえらのような優柔不断な人間に負けてたまるか、と静寂な控室の真ん中に、ポツンと置いてある椅子に座って想いを巡らせていた。
 少なからず調停日の今日の為に、二ヶ月も待った。私なりに準備もし、絶対に調停になれば負ける訳がないと、確信していた。今日の日を誰にも告げず、そうすることが最良の方法だと信じ、この調停が平穏に終了する道順を自分なりに組み立てていたのだった。ところが、この日の十日前に、私にとって突然の予告なしの入院だった。
「腎不全」
これが私に課された医師の病名である。
小便の少ないのと高血圧で頭痛が続いてるのは知っていたが、まさか、透析するまでに病魔に蝕まれていようとは思いもよらなかった。ベットでの悶々とする日が一週間も続き、なんで、何故俺の身に! この問答だけが病院のベットで繰り返された。だが、不思議と調停日はリアルに待てていた。だから、数日前に外出許可を主治医に申し出ていたのである。
 そして今日の日が来た。
私は勇んで病棟を出ようとしてら、沙登美が見舞いに来た。
余所行きの服を着た沙登美は終始つきまとってくる。
恐らく沙登美は外出許可に際し、主治医からこんこんと説明されたのであろう。
私が単独で車を運転し、かある場所へドライブすると言えば、どうしてもついてゆくときかない。とうとう、二台の乗用車で沙登美は勝手について来るということになった。吉野簡易裁判所は病院から十五分ほどの所の民家に隣接してあった。道中にある、道の駅のレストランで昼食をとるとき、事情を始めて沙登美に話した。情けない顔で黙って聞いていた沙登美が、
「簡易裁判所までついてくる」
 と、怖い顔をして云っていた。
やっとの思いで、一人で裁判所の控室にありつけたのを思い巡らしても、二時間余の待ち時間は持て余した。
時間潰しする書物を持って来なかったのを悔やみながら、誰もいない控室で時間潰しを余儀なくされた。
告訴状を諳んじてみたが、どうしても思考力が滅裂で、秩序立った思考ができない。時々、頭全体が爆発するような頭痛が襲いかかり、これ以上思考の進展しないような構造になっているようである。止みそうにない雪空を窓から眺めながら、今更ながら読物を持って来ればよかったと悔やんでいると、ドアをノックする音がする。
 云われるままに同じ階下にある調停室の大きな部屋に入ると、三人の調停委の前に座った。少し暖房が利きすぎているせいか、みんなの顔が赤らんで見える。しかもなにか、かったるいような倦怠感も漂っていた。またもや真ん中の調停委員が云った。彼は三人の中で最も体躯がよく、焦げ茶にグレーのストライブの背広がよく似合った。
「君の云うのは、全く出鱈目だと云うのだよ」
 諭すように云っている。私は彼の言葉を聞いて、瞬時に閃くのがあった。それは簡単に引き下がってはならないという決意である。私は毅然と、
「勿論、渡喜仁さんがこう云うであろうことは承知していました」
 と応えると、すかさず、
「彼はね、今まで二時間余りの時間を、山里共同体の成り立ちからの歴史を、延々と云っていたのだ。二時間もだよ・・・」
 と、調停員はうんざりした顔で私の言葉を遮った。予め簡単な打ち合わせがあったのだろう、その顔を右隣の若い調停員に向けている。すると、若い調停員は少し照れ笑いを浮かべてこう云った。
「私は渡喜仁さんにね、山里共同体の歴史か何か知らないけど、申出人である柿本雅勝は、代表者である渡喜仁健一郎に対して、三年分の給料明細を提示せよ、と云ってるんだけど、この件をどうお考えですか?」
 と、尋ねたら渡喜仁さんは形相を変えてね、『私が代表なんてとんでもない! 山里共同体はみんな平等なんだ。誰が長で、誰が平なんて事は一切ない。だから、代表者となる者はいないのです』と、早口で云うのだよ。こんなことで今までずーと、きたんだから・・・」
 呆れた口調で、終始照れ笑いを浮かべて云う若い調停員は、近くの町で弁護士事務所を数人で経営する、新米者風である。新米風というのは、数人で弁護士事務所をもっていて、その中で若い者という意味である。彼は勇んで参じたが、もう、疲れた、という顔だった。すると今まで口を利かなかった老いた左側の調停員が、
「私はね、山里共同体を知っているのだけど、あそこは特殊なところだと思うよ。君も承知で入村したんだろうから、君の要求も難しいのと違うだろうかね」
 彼は子供の頃から山里共同体を知っていると云うから、地元の人間らしい。
ということは、戦後の間もない頃に、戦争の悲惨さを訴え、かってない新しい村を造る、と新聞に大々的に報じられたときから知っている事になるから、五十年以上になる。私は三年間山里共同体にいたが、彼からみればまだひよっ子と、言いたげである。私は黙っていた。外部から何年みていようと、内部の事は何一つと分からないのが風評と云うものさ、とありふれた言葉を返そうと思ったが、黙っていると、真ん中の調停委員が、
「君の要求する、過去三年分の銀行預貯金の出入明細も、何の為なのか疑問があるね。・・・まあ、君はこんなこと考えるより三年も山里共同体にいたならば、もう少し待ってだよ、君の時代になって、気に入らないものを改革したらどうかね。向こうはもう、七十五才で歳をとっているんだろう、私ならばもう少し時間を待って、自分たちの時代になったときに考えるけどね・・・」
「なるほど、性急過ぎると云うのですね。でも私は、渡喜仁さんや一部の者から『出て行け』と、云われ続けているんですよ」
 私はこの調停の雲行きがあやしい、と感じ始めていたが、私の意見を聞いて下さるのであるから、出来るだけ丁寧な言葉遣いをしなければならない、と念じながら返事を待った。すると、
「君の家族はどう考えているんかね。例えば奥さんや娘さんがどう考えているか、訊いたことがあるかね?」
 と、あらぬことを聞いてくる。私は調停委の本意をはかりかねて、すこしぶっきらぼうに云った。
「この件は、全く女房や子供達に話したことはありません。第一、独り身ですから・・」
 すると、即座に真ん中の調停員は鈍い声で云った。
「ほう、いくらか持って出て行くか。・・そのための調停か・・・」
 厄介なものが目の前にぶら下がっている、とでも言いたげな顔で三人は私を凝視しだした。
 私は彼等の視線に充分耐えられた。私は私より歳が若いと思える左側のまだ、四十歳に届かないであろう調停員に向かって尋ねた。
「私はね、山里共同体は誰が見ても立派な法人だと思っていますよ。だが、共同体の中に仲良会という人格のない営利法人が、その前からある訳ですよね。我々中里共同体で生活する者は、始は仲良会で稼いだお金で、半自給自足の生活をしていた訳ですよね。ところが、いつのまにか山里共同体は農事法人化している。参画者は法人の職員となって、法人から給料を個々に戴いて、その給料を合体して四十数人の者が共同生活している訳なんですよ。ところで、私が問題にしているのは、法人から戴く給料を合体するという取り決めを誰もしていない、ということです。勿論、いつ、どこで仲良会が山里共同体の職員になったかも知る由もありません。只、法人の職員になる前に、共同体員であった事実はあります。仲良会では、田畑で農耕をし、養鶏や養豚の畜産と、山林で椎茸栽培と販売をしていましたが、給料はありませんでした。それは仲良会が、従業員であると同時に経営者でもあったからです。併しですね、譬え中里共同体の者達が仲良会の経営者であったとしても又、農事法人・山里共同体の設立者の躰をしていたとしても、或いは又、本人は農事法人である職員であると知らずに、数年の既成事実があるにしても、私は山里共同体が国からの認可を得た法人になった時点で、この時点でお給料は個々人に支給されるべき性質のものであって、お給料を合体するということは、説明と契約がなければ詐欺行為だと思うのですが先生! 先生はどうお考えになりますか?」
 と、若い調停員に尋ねた。彼の照れ笑いはどうも自顔であるらしい。これまで一刻も緩んだ口元は引き締まらないでいる。若い調停員は、他の二人の年輩の調停員に目配せすると徐に云った。
「あなたがが云うように、お給料は始から統括していないでしょう。個人通帳に振り込んだ後に、みんなのお給料を統括していると、渡喜仁さんは云ってましたよ」
「確かにそうです。私は渡喜仁さんや農事法人・山里共同とは、私の通帳からお金を引き下ろしていい、という契約をした覚えはありません」
「ちょっと、待ちなさい」
 焦げ茶色の背広姿の真ん中の調停員だった。
「あなたは詐欺行為だと云いますが、あなた自身が、山里共同体に希望して参画した訳でしょう」
「勿論、そうです」
「と言うことは、共同体の意向に同意したことにはなりませんか?」
「と、おしゃいますと・・・」
「つまり、共同体に参画するということは、個々のお給料を合体する、同意をしている訳ではないでしょうか?」
 私は思わず眉を顰めた。論点が違うと思ったから、
「えっ、どういううことです」
 と、頭を垂れてしばし考えた。それからすぐに、
「そ、そうです。私は山里共同体の趣旨に同意して参画しましたが、しかしですね、今では始の参画した仲良会とは、別の農事法人である共同体になっているからです。明らかに違いはないでしょうか? 農産物の現金化による分割はしにくいでしょうが、法人としての給料は微に入り、サイに至るまで個別化されています。何故でしょう? それは給料というものが、団体に支給される性質のものでないからです。従って、我々は、仲良会の職員になったときに、給料を合体する旨の契約がなければ、それは無効だと思いますが如何でしょうか?」
 得意げに云う私の自説に、若い調停員は即座に応えた。
「私は、こう考えますね」
 彼は腕を組み、その腕をテーブルの上に置いてやや前傾姿勢で云うのだった。
「あなたは、山里共同体に参画するのに契約をしましたか? 多分、契約をしていないと思いますね・・・。だったらお給料を合体する契約も必要ないでしょう」
「えっ、そんなものでしょうか?」
 柿本は黙って考えた。
先に仲良会という任意団体の共同体があって、その後、農事法人・山里共同体を設立し、私は法人の職員になることを希望しなかったけど、職員になって給料を得ている。
しかも、職員として配属先もあり、三数年同じことをやっている。しかも、この三数年の間、私を含む数人の者は仲良会の会員であり、北は関東から南は九州鹿児島までトラックで運搬し、明らかに運送業務主体の仕事で、法人としての職員という感覚は皆無に等しかった。それ故に職員であると知ったときは、
「こんなことが可能なのか」
と、何度も念を押して確かめた経緯がある。
 何故可能なのか、と渡喜仁さんに問いただしたのは、実は、仲良会で生産する製品は、山里共同体の売上げとなり、仲良会には関係ない。
ところが、柿本は山里共同体から給料を戴いているという。つまり、仲良会と農事法人・山里共同体は別々のものでなく、一体である、と渡喜仁は説明したのであろうが、両者は全く別会計である。それは仲良会の人件費というものは、山里共同体が肩代わりをしているからに他ならない。別途に会計することを渡喜仁さんは確信をもって
「出来る」
と言い放っていた。
 何故だろう? 
 調停員の説明と、渡喜仁さんの話が一致している。
ところが、鏡の世界に鑑みれば、会計は別々だから独立したものである筈だ。
にもかかわらず合体が可能とするのは策略だ。法的に可能にしているのであれば、云わずと知れた、客観的事実の存在という亡霊に呪縛された思考法に依るものだ。今は、客観性は死んだ、と議論する場合ではない。俺様が引き下がってさえおればいいのだ。そうすれば、この調停は成立する。成立させるために来たのだから、此処は黙っていよう。
 柿本は今、三人の調停員の前に座っている。しかも、黙って座っている。何かうやむやとした気分であるが、そのうやむやが、明確な言葉として出て来ては困るのだと合点していた。
「君ね、君の居る山里共同体には規約がない、というじゃないか」
 暫しの沈黙を破って真ん中の調停員は云った。頭を垂れていた私はすかさず、
「以前に提出した山里共同体の規約がそうですが・・・」
「いや! 渡喜仁さんが云うには、あれは君のかってな作文だと云うんだよ。みんなに承認して貰ったかね?」
「勿論、承認して貰ってない規約書を提示するほど、馬鹿でない積もりですど・・・」
「だったら、公証手続をとったのかね?」
「それはまだなんです。でも、研鑽会という共同体の月例会で数回議論しています。しかも、この規約文の前文は渡喜仁さんの執筆ですし、その他に、渡喜仁さんが相談相手にしている加藤さんが、いくつかの条文を付け加えたものですから、渡喜仁さんがどう云うたかは知りませんが、規約は生きているものと思います」
「だから、さっきから云ってるように公証の手続のないものは無効だよ」
 無効と聞いて、こう云う風に来たか、と顔を上げて調停員を見据えた。こんな話の結末はある程度予想していたからである。私は少し胸を張って真ん中の調停員に云った。
「確かに公証手続の済んでない規約は無効ですね」
私はこの調停がここで終わりになると微塵も思ってなかった。これから長い闘争になる。長く複雑な闘争になるからこそ、ひとつ一つ曖昧な視点をはっきりさせておかねばならない、と肝に銘じていた。私が無効と認めて下さるんですね、と言う言葉に、恰幅のいい真ん中の進行役的な調停員は、少し苛立ったようすで腕時計に眼をやりながら、
「もう、四時になる。この調停は不成立にしよう。いいですね? なかったことにしますので宜しいですね?」
 掃き棄てるように云うのだった。
「私は申し上げたいことは一応、申し上げましたので・・・」
「それじゃ、不成立にしましょう」
 と、云うと卓上の書類を整えながら、右隣の若い調停員に判事を呼んでくることを告げ、もうひとりの地元の調停員には、渡喜仁さんの部屋に行くのを勧めた。進行役的真ん中の調停員は頻りに時間を気にしながら、机の位置を動かし始めたので、私は手伝っていた。
 間もなく制服だろうとおぼしきの方が、階下からやってきた。厳めしいが裁判官の制服なのだろう。私と渡喜仁さんを並べ、その前に四人立ち、進行役的な調停員が、
「では、本日の柿本雅勝さんと山里共同体の代表、渡喜仁健一郎さんとの争議は、不成立とします」
 と、宣誓した。すかさず渡喜仁さんが、
「ちょっと、待って下さい。私を代表と云いましたが、私は代表でもなんでもないのです」
 と、怒ったように云う。
「まあ、いいじゃないか、不成立なんだから・・・」
 調停員は渡喜仁さんを宥めるように云うが、渡喜仁さんは憤懣やるかたなし、と云わんばかりに、
「只、銀行印を造るために私の名前を出しているだけだから、私を代表と云っては困る」
「じゃー、山里共同体を代表して来ている渡喜仁さんではどうですか?」
 これで納得したように渡喜仁さんは黙った。
その隙にか知らないが、長々と調停員は告示した。私が不満ならば三ヶ月以内に裁判所に告訴していいとか、支払い済みの印紙代金は返却しないとか、残った切手は戻すから、終わったらすぐ取りに来い、とか云っていた。そんな手続は次回から弁護士に頼んでして貰うので、私にはどうでもよいことに思えて、気に留めることなく散会した。
 俺は鏡の世界というのを発見したんだ。おいそれとさがる訳には行かない。お前ら四人が束に成って掛かって来たって、俺は受けて立つぜ。さあー、来い。
 調停員の朗読のあと、彼らの背に呟いている柿本だった。
               「砕かれた林檎 5」に続く














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