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放浪のはじまり

           OSHOウツサバ瞑想センター


『もしもし。。ゲンゴです。。ゲンゴッ、げんごです。』



『あら!ゲンゴ、お久しぶりーげんき!?今どこにいるの?』


冬のタクシーバイトを終え、長崎を出たオイラは


大分のOSHOウツサバ・インフォメーションセンターの代表者である

マ・ニルグーノに電話でそっちに遊びにいきたいことを

伝えていた。


彼女は若い頃から海外での滞在経験も豊富で

彼女のような生き方を道と呼べるなら

その道の海千山千を生き抜いてきた

“達人”ともいえる存在であり


長年に渡りOSHOウツサバの代表者でいらっしゃる。


このOSHOウツサバは日本のOSHOセンターの中では老舗であって

たしか30年以上の歴史がある。


その前身は奈良のコウリ山であり、大阪の豊中であり

三十数年前に神戸の芦屋で創設された

“OSHOウツサバ瞑想センター”なのである。


この瞑想センターに

ひょんなことから連れてこられた

三十数年まえの若きオイラは


芦屋の山手に立っている家の地下の

瞑想室でOSHO発案の“ダイナミック・メジテーション”を

そのころの代表者の

“瞑想の鬼”と恐れられた マ・デバ・ヤショダの

蒼いせん光を放つまなざしが見守る中

敢行していた。



           ダイナミックメジテーション


この“ダイナミック メジテーション”は

今を生きる現代人の為にデザインされた瞑想テクニックで


これを発案したこの頃のOSHOは

瞑想の道を歩く人たちの登竜門として

しきりにこの“ダイナミック メジテーション”を

推奨している。


身体と心と魂に直接働きかける、この強烈なテクニックは

99パーセントの現代人に適しており

内側の科学に基づいた方便であり


ほとんどのタイプの人が

その人の中核に放り込まれ

目覚めの一瞥の光を体験してしまい


ある憧れとともに

その道に強い磁力を感じてしまう


反則技ギリギリの

ある意味においては恐ろしい瞑想なのだ。


『こんなんあるよぉ、見てみぃ、この台所がかわいいワ』



OSHOウツサバセンターのマ・ニルグーノが

パソコンの中の小さな写真をクリックしてオイラに見せた。


彼女は今のOSHOセンターを

もっとスペースのいい処に移転することを決めていて

近隣の市町村の空き家バンクをよくチェックしてるみたいで


国東半島にあるスタジオに良さそうな一軒家を教えてくれた


家の写真を見てみると

陽あたりのいい台所の写真と

崖っぽい所に立っている家とそのまわりの写真があり


『別府温泉にも近いし、

 こんな処で音創りとかしてみたいなぁ

 よしっ、今晩はグテイの家で寝て

 明日国東の方をブラブラしてみるよ』


スワミ・グテイはOSHOセンターから数キロ離れた森の中に住む

マ・ニルグーノとは長年のパートナーで

OSHOセンター主催のイベントをサポートしながら

自らもギター、パーカッションなどで演奏に参加している


年齢はオイラよりも10年くらい若く

出生地はオイラと同じ大阪の下町で

昔から知っていて

言ってみれば弟分的存在の男であり


ライブイベントなどで大分に行った際は

この人里はなれた森の中にある

スワミ・グテイ邸に泊めてもらっている。


30数年前に神戸の芦屋で初めてダイナミック メジテーションに

遭遇してしまったオイラは

その強烈な体験ゆえ

内側の何かが爆発してしまい


その爆発は究極の旅に出航する為の

道しるべともなる

磁気を感じる力が宿り

内側にポッカリと空の風穴があき

風は自由に出入りし


鳥は歌っている


過去の記憶や観念では理解できない方向に

強い磁力を感じ


それらを超えた方向に惹かれだし


気がつけば


その磁力のまま、


引き寄せられるがまま


漂うがまま


生きている気がしていた。


           OSHOとの出会い(1)


そもそもOSHOの存在を最初に教えてくれたのは

そのころのバンド仲間のゲイのハルヲだ。


おりからビートルズのメンバーが

インドに行ってあるグルに帰依したりして

音楽の方でも流行に速い奴らは

インドを意識せずにはいられなかった時代だ


ハルヲが言うには

OSHOの本が日本でも出版されていて、

紀伊国屋書店ぐらい行けば手に入るというので


後日梅田の紀伊国屋へ行き

OSHOの本(究極の旅)を見つけ出し

彼の本を手に取り表紙の写真を見ただけで

なにか強い、それでも重くはない

異次元からのような衝撃をうけた。


その写真には

長髪と長髭をたくわえ、

白いローブを羽織った

遠い記憶にある仙人のようなOSHOが

恋人のマ・と森のような処を

優雅に散歩している姿が写っていた。


ロクに中身も見ないままその本を買って

家に持ち帰り、夢中で詠んだ。


ビデオ屋に行くと“何度でも観たい映画”コーナーなど

目にするが、

やはり何度でも観たい映画ってあるわけで


このOSHOの本(究極の旅)も

何度でも読める良本で

三年ぐらいはバイブルが如く

読み漁っていた。


それから

ダイナミック メジテーションでポッカリ風穴があいてしまった

オイラはOSHO本人との出会いに


その純粋な磁力を感じずにはいられなかった。



           OSHOとの出会い(2)


『ねぇ、結婚式挙げてお祝い金でアメリカに行かない?』


『やっ、ええねぇ』


その頃、オイラはライブかなんかの2次会で

仲良くなったデッドフリークのお姉ちゃんの部屋で

朝まで過ごし


同じように一晩ここで共にいた


マ・ドゥルバに気楽に提案してみた。


このマ・ドゥルバはそれまで二三度顔を見た事がある程度の

顔見知りの女性で、ちゃんと話した記憶はない


それまでは良く知らなかった女性であるが

デッドフリークを親友にもつ

言ってみれば、ブチとんだ感性をお持ちの女性であって

海外にも行ってみたい行ってみたいと言う


数年前から親に早く結婚することを迫られている

オイラは煩くいわれるので

何人かの女性と付き合うたび

実家につれて帰り

自分の親に紹介ぐらいはしてはいたが


相手の親の反対やなんやかんやで

結婚の話がスムーズに進んだことはなく


結婚話しにはホトホトつかれていた。


(そもそも結婚、本当のとこ興味ないし。。

 OSHOがインドからアメリカに移住し

 世界中から友人が集まる

 フェスティバルキャンプを開催するらしいし

 

 アメリカ行きたいし


 そうだ!

 このデッドフリークのブチとんだお姉ちゃんとなら

 結婚式をでっち上げ

 祝い金を持ってアメリカに飛べるカモ。。)


マ・ドゥルバとの結婚話は

以外にも先方の親も含めスムーズに事がはこび


この先、マ・ドゥルバはしばらくの間オイラと行動を共にし

OSHOにも出会うことになるが

後にはドゥルバ自身の道を歩き出し


波乱の半生を送るが

現在は、

ハワイに移住し、現役でプロレスリングのレフリーを

やっている男性と結婚し、幸せに暮らしている。


祝い金は一人50万くらい集まった。


30万くらいをアメリカ向けトラベラーズチェックに変えた


ドゥルバに提案した2ヶ月後


大阪伊丹空港からアメリカ向け飛行機が飛び立った


その飛行機の客席には


オイラとそのとなりに


キラキラと瞳をあやしく輝かせた


マ・ディアン・ドゥルバその人が座っていた。


   

          OSHOとの出会い(3)


朝から晴れていた。


アメリカ西海岸サンフランシスコの隣町で

中古のフィアット800を手に入れ

オレゴンに向かい国道を北へ北へ走らせている


助手席には、アメリカの壮大な山などを見て

なんか言ってるドゥルバがちょこんと座っている


オレゴンの街を過ぎても陽はまだ高かった


だだっぴろいアスファルトの道路を右折し

OSHOコミューンに向かう土の道路(田舎道)を

一時間ほど走ると

あたりのバイブレーションが一変した


なにか静寂した。


OSHOコミューンの土地に着いた、ゲートは近い

そのとき前方から一台の車が向かって来ていた。


その車は日課のドライブダルシャンを終えたばかりの

OSHO本人がハンドルを握っていて


OSHOのロールスロイスとオイラのフィアットが

すれ違う数瞬間

わずか50センチほどの至近距離で

OSHO本人との初めての対面をしてしまい


風穴もなにもかも解体されてしまい


ある意味において“帰らぬ人”となってしまった。


これがオイラが初めてOSHO本人に出会ったときのことです。


         放浪の始まり


『ガサッ、ゴソッ、』


薄明るいまだ朝早い時間に

グテイが台所で朝飯でも作ってるような音が聞こえた。


ふとんの中から手を伸ばし

携帯電話を開き時刻をみるとAM6;50分だった


もうちょっと寝ようと思ったが

グテイがコーヒーをいれてくれたので

起きることにし、台所でコーヒーを飲んでいる。


昨夜はグテイとの久しぶりの再会で

プチパーティー状態が深夜までに及んだので

ちょっと眠いのだが。。


オイラより10才若いグテイは

2年ぶりぐらいなので、もう少し話しでもしていたいのか

朝から元気そうに見えた。


基本、無口な男であるグテイは

自分からなにか話題を提供するような事はあまりない

だいたいがオイラの方からなにかしゃべり出すことが多い。


『今日は別府で温泉入って

 それから国東の方をブラブラしてみるよ』


昨夜からグテイには、

別府に近い国東半島でスタジオにいい空き家があれば

二ヶ月間ぐらい借りて音作りに

ハマってみたいことを高々と宣言していた。


『えーっ!そんな物件あるんですかぁ?』


(それは行ってみな分らん)


『温泉は助かりますわぁ』


昨夜からの国東半島スタジオ探しの旅宣言に対して

グテイが対応して発したのが上の二言です

これで全てです。


午前中にグテイ邸を出発した

まずは別府に行って温泉に浸かろう

20万キロ近く走ってる愛車のマーチボレロを

ゴロゴロと別府に向け転がしている。


春の風が気持ちいい。


オレゴンに出来たOSHOコミューンは

壮大な人間意識の実験都市であったと言える。


とにかく重力を余り感じないのだ

まるで他の惑星を歩いているような

砂漠の中に突如現れた未来都市のようでもあった。


そこには全てがあった。


二万人収容できるブッダホール

(ここではメインイベントで

 OSHOとのサットサング(臨在)が毎朝、約一時間ほどある)

大食堂

(コミューン自足の完全菜食であるが

 グルテンミートでソウセージやハンバ-グもメニューにある)

カフェ、ブティック、ディスコ、ギャンブル場

湖があってボートを漕いだり、泳いだりもできる。


朝一時間OSHOと交信して始まる一日は

日増しに世界が輝きだし

その強烈な色彩はオイラの

過去の基盤をその根っこを粉々に破壊してしまった。


古いオイラが消えてしまったのだ

同時に未来を思案することもまったくと言ってもいいくらいナイ

帰る家などないのだ。


古い地図はまったく役に立たなくなっていた

地球に降り立ってはじめての街を歩いてるようだった。


ここから放浪の時代が始まった


この放浪は


四年後にこのOSHOコミューンが閉鎖される頃まで続いた。



         危険な放浪者


OSHOコミューンにずっぽりと滞在してしまったオイラは

明日を計画して生きていくのは不可能になっていた。


自分の過去が消えてしまったので

その延長線上にある未来を描くことなんて出来ないのだ。


目的を持たずに生きているって言うか

そもそも目的自体が消えている、存在していない


そんなものを持てる訳がないのだ


赤いリュックサックと

エレキベースと小さなベースアンプが全財産のオイラは

OSHOコミューンのフェスティバルキャンプが終わった後も

アメリカに滞在し続けた。


黒人のジミーが経営する

日本の建具である障子を作ってアメリカ人に供給している

工場でバイトしたり


パーティーなどでベースを演奏し

そこに訪れたミュージシャン達とセッションを重ねたりして

アメリカに暮らしはじめた。


そのころすでにドゥルバは日本に戻ってしまっていて


オイラは独り

友人たちとシェアハウスなどを転々としながら


まさに旅人“放浪者”の独り感、自由。。


足元の鎖が引きちぎれて


崖っぷちに立っている

片足を半分危険にさらしながらも高く上げ

鼻歌を唄いながら旅する

タロットカードの“フール(愚者)”のような


危険な放浪者になってしまっていた。



            二年目のOSHOコミューン


別府市に入るとすぐに自治体の建物のような

温泉場があった。


ちょっとチェックしてみようと温泉場の駐車場に車を止め

50mほど先にある入り口のドアをくぐると

受付の窓の左側に

入浴料(大人)510円 タオル120円と書かれた

札が立てかけてあった。


『シャンプーと石鹸は中に揃っていますのでーっ』


車の荷物の中から、銭湯用具を探し出すのはちょっとめんどくさかった

この温泉に入って行くことにした。


久しぶりに入った別府の温泉はすこぶる効いた。


若い頃からバンドのライブ演奏などで

別府には何回か来たことがあり

この街が好きだ。


別府には街中が温泉源によって自然回帰したような

ハイなそれでも暑苦しくはない

活気のあるバイブレーションがワープしており

今もそのクールなエネルギーは変わりなく続いている。


温泉入り口の右側の窓には

この街のイベントの大きなポスターが貼られており

受付の中年の女性が言うには音楽ステージもあるらしい。


(今年は笛でも吹きに別府ツアーもアリかなぁ)


長崎を出た二日後

別府の温泉に浸かりながら

ムクムクと新たなる妄想が浮かび上がって来ていた。


放浪の真っ只中に

二年目のOSHOコミューン滞在への旅は

サンフランシスコからオレゴンのコミューン行きの

ヒッピーバスに友人達と借り切って乗り込んだ。


その頃すでに友人達とバンドを組んでいて

そのミュージシャンやその廻りの連中で

ヒッピーバスの車内は埋まっていた

その中央には若き天才パーカ二スト・ドラマーの呼び声が高まっていた

スワミ・サンデッシュが座っていた。


プリミティブな金属音のするパーカッションで

サンデッシュがリズムを刻み始めた

シャープで正確だ


だれかが太鼓を叩き出した、鐘の音もする

オイラはシェーカーを振ったりバチで叩いたりしていた。


OSHOコミューンにに近づいたヒッピーバスの車内は

異様な高揚を迎えていた


しゃべったりする者は誰もいなかった


明日を夢見るものも


昨日に引きずられる者もいなかった


車内に高揚したパーカッションの音だけが鳴り響くなか


ヒッピーバスはコミューンのゲートを通過していた。



          OSHOとの接触


OSHOは気さくな人みたいだ


毎朝のサットサングに姿をみせるだけでなく

日中はドライブダルシャンと称し

コミューン中をドライブしながら

訪れた人達と交信していた。


それ以外にも道で偶然OSHOに対面することもあった。


だいたいOSHOは初めてロールスロイスとフィアットで

すれ違いざまに対面したときと同じように

いたずらっぽく微笑んで

オイラの顔をのぞくように見ていた。


コミューンにきた最初の頃だが

ブッダホールでは

毎朝のOSHOとの一時間ほどのサットサング(臨在)のあとに

集まった数千人の友人たちが一斉にハミングしはじめる

ナーダブラハマ(チベットの瞑想)を取り入れていた。


何日かこの数千人と共にナーダブラハマを敢行していたある日

ある瞬間に気がついた


オイラのハミングの声は数千人の生気のうねりの中に消え去り

無の広がり、時の消滅、至福の空、


その日もその同じ瞬間がやってきた

瞑想初心者のオイラの脳裡に問いがわいた


(メ・イ・ソウって、これ?こんなもんですよねえOSHO?)


数千人がOSHOと共に座るブッダホールの中の一人として

ナーダブラハマを敢行中に

上記のような好奇心にココロが負けてしまい

目を閉じてハミングに没頭している最中に

パッと目を見開いて

うかがうようにOSHOの様子を見てしまった。


驚いた。


その時同時にOSHOもパッと目を開いて

オイラの目を覗き込んでいた。


この数瞬間の描写は難しい、

温かみのある深い光を放つ

OSHOの瞳に体中が吸い込まれそうだった

なにか永遠みたいなものが

体中に流れ込んできた。


だが、長くは続かなかった。


オイラのココロに欲望が沸いてしまったのだ

(スゴイ瞬間だ!オレは選ばれたのかも、特別なんだ

 このまま悟ってしまうかも、末はOSHOの側近かぁ?)

なんて考えた瞬間、

優しかったOSHOの瞳は真ん丸く変形していき

怒りの形相に変わってしまった。


(なっ、なんなんだよう、ダメ!?)


なんか引き下がれないような展開になり

そのままOSHOの目を見続けてみたら

関西の漫才師が突っ込む『おまえはアホか!?』

みたいな表情をされて

ソッぽ向かれてしまい


がっくりと首をたらしながら

また目を閉じて

数千人のナーダブラハマのハミングのうねりの中に

溶け込んで座っていたこともあるが


後日、ばったりと道でOSHOに出会った

良く晴れた日でオイラは湖で泳いだ後

気持ちがよかったので服を着ずに裸の腰に

バスタオルを一枚巻いただけの格好で

キャンプに帰る道を歩いていたときだ


後ろから車の気配がする

振り返ってみるとロールスロイスがこっちに向かって

走って来ている、oshoだ、


こんな格好でどうしよう

それでも足を止めてインド流の挨拶である

両手のひらを胸の中央で合わせるポーズで

OSHOを待った。


通り過ぎるOSHOは


いつものようにイタズラッポイ微笑みを浮かべながら


オイラの顔を覗き込んでいた。



            絶対の独り~インディビジュアル


コミューンの湖で日本人のスワミ(男性)が事故死したらしい。


コユーンでは死は新しい生の誕生として祝ったいた

お通夜はブッダホールで行われると言うので

ホイホイと仏陀ホールに向かう土の道を歩き出していた。


『ゲンちゃーん!

 ここで死ぬなんてすごいねー、やったねぇーっ』


顔見知りのマ(女性)が夏の田舎の祭りにでも行くかのように

足早にオイラを追い越していく


ブッダホールに着くと

すでに生演奏の音楽は温まっていた

一人の人の死するエネルギーにチューニングを合わせた

数千人が踊り唄っている


オイラもすぐにその中に溶け込み

ユルく身体を踊らせながら

ホール中央まで来ていたその時


ホールステージに

事故死した日本人スワミの身体が横たわっているのが見えた

それを見たオイラは


(えーーーっ、あの人知ってる人や)


知人であった

東京のOSHOセンターで

飲みに行かないかと誘われて

近所の居酒屋で飲み明かしたことのある

九州出身のどこか優しい兄貴分的雰囲気のある人だった。


事態は一変した


踊ることも歌うことも出来なかった

お祭り気分は吹き飛んでしまい

数千人のデスセレブレーションのエナジーが舞い踊る

ブッダホールの中央で

呆然と立ち尽くしてしまった


禅スティックで後頭部を叩かれたかのような異変だった

デスセレブレーションが行われている

ブッダホールの中央で呆然としているオイラは

奈落の崖っぷちを転がり落ちていた


人が死ぬという現実を前にしては

いかなる情報も理想も憧れも

無力である


デスセレブレーションの音楽と踊りが益々高揚して行くなか

奈落の底にたどり着き立ち尽くしたままのオイラは


独りだった


それまでの社会、家族、友人などから与えられていた幻想は

この異変による炎で焼き尽くされ

この異変を見守っている者(個)に気づき


この個は

絶対の独り~インディビジュアルであり


危険な放浪の2年目に入って


オイラの身体とココロに


この独り感が深く、静かに


定着してしまっていた。



            レゲエバンドのデビュー


二年目のコミューンのサマーキャンプが終わったあと


日本ではOSHOの本(バウルの愛の詩)の翻訳者でもある

スワミ・サンギートと

バンドのリーダー格である

スワミ・デバ・シャブドーが


ハワイにいる友人のラスタマン

スワミ・イザバをボーカルとしてバンドに迎えて

レゲエバンドとして売り出す計画を立てていた。


バンドのベースを担当していたオイラは

バンド仲間らと京都の郊外の一軒家に潜伏し

毎日のようにレゲエビートを弾いていた


音楽合宿のような暮らしは八ヶ月ほど続いた

ライブハウスやディスコなどで演奏するようになった

スタジオに缶詰にされて

四曲入りのオリジナルアルバムも創った。


おりからのレゲエブームもあり

ジャマイカツアーを企画営業している旅行会社のコーディネイトで

毎年行われているジャマイカの世界的な大レゲエイベントに

日本初のレゲエバンドとして出演することも決まった。


放浪が始まって三年ぐらい経っていた


この年は放浪がピークを迎えていて

アメリカ西海岸、オレゴンのコミューン、マイアミ

ジャマイカ、ニューヨークと旅し


放浪は架橋へと向かっていった。




             コミューンでの恋


三年目のOSHOコミューンへの旅は


マイアミ、ジャマイカとバンドツアーが控えているので

バンド仲間と一緒にコミューンに辿り着いた。


『ヘーイ!スワミ』


オレゴンのブッダホールで夕方のクンダリー二をぶちかました後

外の芝生でバンド仲間らと歓談している最中に

どこからかオイラを呼ぶような黄色いかわいい声が聞こえた。


声のする方向を見てみると

白人のマ・が屈託のない笑顔でオイラを

見つめていた。


バンド仲間らには目もくれず

その娘のそばに寄っていった、オーストラリアから来たと言う

あとでデートをすることになり

そのデート場所をオイラがしっかりと確認し終わると

彼女は自転車で去っていった。


『いやぁ、めったに無いことやで、

 白人のマ・から日本人のスワミに声えかけてくるなんて、


 やっぱりおまえ男前なんやわぁ』


『ウン?』


白人のマ・との恋愛経験豊富な

バンドリーダーのシャブドウが妙な感心の仕方をしていた。


彼女は優しかった

男兄弟の仲で育ち女性との付き合いが

不器用なオイラを

その大地のようなハートで

全て受け入れてくれた。


ほとんどの時間、彼女と過ごすようになっていた。

三年目のOSHOコミューンにおいても

オイラは奈落の底に転がり落ちていた


彼女の受容性の深淵に

すっかりハマってしまい


彼女との出会いを通うして


このOSHOコミューンに


三年目にして根づいた気がした。




              ドライブダルシャン


OSHOは毎朝一時間ほどサットサングに姿を見せた後、

午後にはコミューン中を低速でドライブし

道端に並ぶコミューンに訪れた人達と直接交信していた。


このイベントはドライブダルシャンと呼ばれ人気があって

訪れたほとんどの人が参加していて

道端に並んでOSHOを迎える人の列は何キロにも及んだ


道端に並んでいる人達は

両手のひらを胸元で合わしてoshoを待っていたり

踊っていたり、楽器を弾いたりしている人もいる。


当然オイラも毎日のように

ワクワクしながらこのイベントに参加していたが


OSHOコミューンに訪れた頃から

なにか自分の内側深くに乾きが芽生えだしていて

日増しにその渇きは胸の辺りで膨れ上がっていた。


(なんでずっと此処に居られないんだぁ

 なんで人はこの世から去っていくんだぁ

 なんでoshoとチューニングが合っている時と

 暗雲が立ち込めて合わない瞬間があるんだ

 なんでだぁー!ウォーッ)


oshoに構ってもらいたい病のようなもんだ


それは母親の胸元に戻りたい迷子の幼児が

泣き叫んでいるような歌だった


その日のドライブダルシャンでオイラは

言葉のない訳の分からない歌を叫んでいる

胸の辺りの渇きはピークに達していた


遠くにoshoの車が見える


歌はとどまること無く、胸の最奥から湧きあがり続けている

oshoがゆっくりと近づいてくる

オイラは消えてしまっていた

空っぽの身体の中から歌だけが流れ出していて

その彼方からの歌声は魔術的な響きを帯びていた。


oshoはその歌声の前で車を止めてじっと聴いている。


何の問いもなかった、

ただ原始的な色彩を放つ歌だけが流れている


oshoは顔を前方に向けたまま、流れている歌を只聴いている

意味のない訳の分からない歌に耳を立てて聴き入っている


(いつものようなイタズラッポイ笑顔はない

 どうしたんだろう?)

歌を聴いているoshoの様子が気になり彼の顔を覗き込んだ瞬間

流れている歌はエネレギーを失い


oshoは前を向いたまま

(うん、今日はこれで充分!)と軽く頷くような仕草を残し

前方に車を走らせて行く


この時oshoは一言も語らずある真実を告っている

オイラがそれを理解する事が出来たのは何年も後だった


oshoは外側の師はヒントだと言う

オイラ自身の内側にいる本当のガイドに気づく為の

イマジネーションに過ぎないのだと


オイラが外側の師であるoshoに依存しきった

不具者になって欲しくなかったのだ


そもそもoshoは師弟関係なんて望んでいなかったと思う

宗教組織に見られる馬鹿げた聖職者と信仰者の深刻な吐き気を催す関係を

ジョークにしてからかっている


にもかかわらず、ある時期からoshoに関心を持つ人たちを

弟子として迎え入れ

師と弟子という茶番をその矛盾を

osho本人が演じずにはいられなくなる


何故なら、たどり着いた人、光明を得た人と

親密な関係を持たない限り

多くの普通の人にとって、その個人に宿っている宝を

大空のような自由なる意識である本当の自分を見出す旅を

一人っきりで歩き続けることは非常に困難であったからだ。


『ゲンちゃん!OSHO止まったやん!』


オイラの近くで並んでいたスワミ・ラヒが

目をキラキラさせて嬉しそうな声でそばに寄ってきた


『うん。。』


虚ろげなオイラはそれ以上なんの言葉も出てこず


放心状態のような足取りで


独り何処に向かうでもなく歩き出していた。

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