社長の野望
白根社長の野望。それは軍艦を作ることであった。しかし、それは簡単なことではない。
まず、海軍が造船所に艦艇の建造を依頼しなければならない。
だが、この時点(1931年)において、大亜細亜造船には軍からの造船依頼は全く無かった。
この時期日本の軍艦の建造は、大手の石川播磨や川崎等が引き受けており、新興の会社で外地に本社があるような会社に依頼が回ることなど無きに等しい。おまけに、この時期海軍軍縮条約による海軍休日のため、各国は軍艦建造を手控えており、旧式艦の代替建造を除けば小型艦艇さえ作れる余地は無かった。もちろん日本もご多分に漏れず、その状況下にあった。
そんな状況下であったが、白根は軍艦建造に固執した。かつての軍人としての憧れが未だにあったのも事実だったが、目的の中に多分に含まれていたのが、経験を積むことだった。
だが、どんなに想いを募らせても、依頼が来なければ船は作れない。
しかしそんな中、白根はある大それた考えを思いついた。
「依頼が来ないなら自分で作ってしまえばいいんだ!!」
はっきり言って、最初は言った本人自身馬鹿げた考えだと思っていた。ところが、それに社内で賛同した人物がいた。
「出来る出来ないはともかく、設計だけでもしてみることは大きな一歩だと思います。」
そう言ったのは、2年前に就職した設計家の北上晴信であった。彼は、帝大をトップの成績で卒業しながら、軍や大手企業で採用されず、この辺境の会社に就職した変り種である。
この彼の一言が、白根を勢いづかせることとなる。そして、考えているうちに白根もある点に気付いた。
「平時は民間船。戦時は軍艦として戦える船ならどうだろう?」
最初彼が考えたのは、俗に言う特設艦船の新規設計であった。
特設艦船とは、戦時に不足する艦艇を民間船の改造によって補う考えから生まれた物で、特設巡洋艦や特設空母がある。かの日本海海戦で最初にバルチック艦隊を見つけたのも特設巡洋艦「信濃丸」であった。
通常、こうした艦船は戦争が始まったら急ごしらえで改装されるのが筋だが、今回の場
合だと逆になる。だが例が無いといえば嘘になる。後のことだが、日本郵船の豪華客船「春
日丸」もあらかじめ空母化改造を前提に設計された。
この特設艦船なら平時でも需要が見込める。
こうして、白根社長の野望は動き始めた。
彼が設計を依頼したのは先程の北上技師であった。
「平時は民間船。戦時は戦闘艦として使える船を設計して欲しい。細かいことは全て君に一任する。」
他の技師を差し置いて彼が若い北上に依頼したのは自分の意見に唯一賛成したからと、彼の能力を試すためであった。
数日後、社長室にやって来た彼は簡単な設計概略図を白根に提出した。
「駆逐艦か・・・・」
予想に反し、北上が提出したのは駆逐艦の設計図であった。ちなみに、駆逐艦は日本海軍では軍艦ではない。菊の御紋章がないからだ。一応漸減戦術では重要な地位にはあるが、あくまで、補助艦艇に過ぎない。
「どうして駆逐艦にしたのかね?」
巡洋艦の設計図でも出してくる物と期待していただけに、その言葉には刺があった。しかし、北上は平然と説明しだした。
「まず我が社の建造施設の能力です。我が社のドックは1万t級1基と1万5千t級1基のみです。この施設で巡洋艦クラスの建造に入ったら、どちらかのドッグをしばらく塞いでしまいます。それでは社の経営が成り立ちません。」
これには白根は驚いた。しっかり経営面からの意見を言ったからである。しかも、理に叶っている。
「なるほど。他には?」
「他には乗員の問題です。乗員を確保するあては、我が社の運航部門から連れてくるしかありません。しかし、巡洋艦では5,6百人の乗員が必要です。そのような余裕はありません。それに加えて、巡洋艦では予算面でも高くつきます。ですから妥当な線で駆逐艦を選んだのです。」
ここまで言われ、白根は北上が本気で作ろうとしていることを理解した。
ちなみに、運航部門というのは、遼東半島、朝鮮半島、台湾、日本本土の近海航路を運航する、大亜細亜造船の子会社、大亜細亜通運のことである。
「わかった。駆逐艦にした理由については理解した。では、この艦の概略を話してくれ。」
こうしてプロジェクトは大きく動き出した。
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