Act.14 彼等が忌む彼の名は
「……今、何か言った?」
聞き取れなかった様子の彼に対して、ボクは首を横に振った。
彼は多少訝しげな表情をしたが、思い直したのかすぐさまボクを起こしにかかった。
「立てる?」
ボクは差し出された彼の手を借り立ち上がろうとして、そのままぺたんと尻餅をついた。先ほどの現象の影響が、思っていたよりも体に及んでいたのだ。両手を地面について再び立ち上がろうと試みたが、手のひらに存在するひりひりと焼けるような痛みに気付き、立ち上がるのを止め、自分の手のひらを見た。
ボクの手のひらには軽い火傷による水ぶくれが出来ていた。
次にボクは自分の全身に広がる鈍い痛みに気付いた。
ボクの全身、特に服で隠れていない場所には、水ぶくれには至らなくとも、ひりひりと熱を持った痛みが存在していた。
まるでボクが本当にあの場所にいたかのように、ボクの体は傷ついていたのだ。
鈍い痛みは熱を持ち、風邪のひき始めのようなあの気だるさがボクの全身を覆っていった。
だんだんと重みを増していくようにも感じられる倦怠感に耐え切れず、ボクはついに仰向けに倒れこんでしまった。
「危ない!!」
すんでのところで彼の腕に支えられたので、地面に頭を打ち付けることこそ無かったものの、ボクはそのまま動けなくなった。1人で立ち上がるだけの体力さえも、その時のボクには残されていなかったのだ。
彼はぐったりとした様子のボクを見て、何事かを考え込んだ後、ボクを背負い上げた。
「きみ、どこから来たの? 親御さんは?」
彼にさえも幼児扱いされていることにボクは内心傷つきながらも、その質問に答える術も答えるべき返事もないことを申し訳なく思っていた。
「迷子? 家出? もしかして両方?」
「……」
その時ボクはようやく自分が迷子になっているということに気付いた。そして、ボクが迷子になる原因となった二人のことを忘れていたことにも思い至ったのだった。
そういえば、彼女達はどうしたのだろう、と考えながらも、ボクは成り行きに身を任せていた。
ボクからの返事がないのを、彼は肯定ととったらしい。
「そっか……。じゃあとりあえず、お父さんやお母さん、探してみようなっ!」
ボクを元気付けるためだろうか、心なしか声を張り上げて、彼は言った。
そうして彼はボクをおぶり、ボクが今さっき歩いてきた道を歩き始めたのだった。
ボクを軽々とおぶる彼の力強さにも驚いたのだが、ボクが腕を巻きつけている首の細さにさらにボクは驚かされた。彼の首は少し力を込めれば折れてしまいそうな、むしろ女性のそれと言ったほうがまだ納得のいくほどに華奢な首だった。
無論、華奢なのは首だけではなかった。彼の体全体が、ちゃんと食べているのか心配になるほど細身だったのだ。
しかしそれでも、彼の背中はボクには大きくて温かかった。彼のぬくもりと、彼が歩くたびに伝わってくるリズム良い振動が相成って、ゆりかごの中で揺られているような感覚にボクは陥った。ふわふわとした眠気が押し寄せてきて、ボクの意識は引きずり込まれそうになっていた。
何か、軽快な足音のようなものが聞こえてきたのはその時だった。
ぱかりぱかぱかと響くその音は、どうやら蹄のたてる音であるようだった。
軽やかな蹄の音はどんどんと近付き、ついには耳元近くまで迫ってきた。ぶるるという心なしか不服そうな鳴き声に首を傾けると、一頭の青馬がボク達に平行して歩いていた。
「シロ。おとなしく、待ってろって言っただろ?」
彼は立ち止まり、鼻を摺り寄せてくるその青馬を「シロ」と呼び、右手で軽く撫でた。
その馬の毛の色は青毛――つまりは黒みを帯びた青色だったのだが、彼はその馬を「シロ」と呼んだのだ。
もしかしてこの馬に名前をつけたのは彼なのだろうか。だとしたら、彼のネーミングセンスはそこはかとなくおかしいのではないか、とボクは思いながらも、馬という時代錯誤にも程がある異質な存在の登場に驚いていた。
そうしている間にも、「シロ」はボク達より大きな体で、ボク達に擦り寄ってきていた。本人としては甘えているつもりなのだろうが、もともとが細い彼は押し倒されてしまいそうな状況になっていた。
「シロ、シロ。分かったから。もうちょっとだけ待っててくれ、な?」
背中のボクを落とすまいと必死になっているのが伝わったのかどうかは不明だが、シロは渋々といった様子でボク達から離れていった。
「よしよし。シロは賢いな」
褒められたのが分かったのか、シロは嬉しそうに小さく嘶いた。そして、彼に促されるままに生い茂る木々の向こう側へと姿を消していった。
シロと別れたボク達は坂道を下り、再びあのコンクリートの街に至った。
「此処はさ。ベッドタウンになるはずの場所だったんだ」
黙り続けているボクを心配してか、彼はそうやって話を振ってきた。
なるほど確かにそう言われてみれば、見渡す限りに広がるのはコンクリートの集合住宅ばかりで店やオフィスであった場所は少ない。足早に通り過ぎたときに見た限りでも、そういった建物は数えるほどしかなかった。まさに住宅都市と呼ぶに相応しい場所だったのだ。
「今はただのゴロツキのたまり場になってるけどね。……だから、もう二度とこんな場所に来たらダメだぞ? 危ないからな」
苦笑しながら言う彼の横顔を、彼の忠告に対して返事をするでもなくボクは見つめていた。
そんなに危険な場所なら、何故彼はここに来たのだろうか。もしかして、さっきの現象と関係があるのだろうか。それに、さっきボクが見た、「彼」と彼自身の思いとも。
そう勘ぐりながらもボクは一言も発せず、彼に身を任せていた。
右前方の路地裏から悲鳴にも似た声が響いてきたのはその時だった。
「離してよー!! バカー!! ヘンタイーー!!!」
「このっ……!! 暴れんなクソガキ!!!」
「エイミー!!」
なんとも聞き覚えのある声が聞こえたような気がしたが、その真偽を確かめる前に彼はボクを道の片隅にそっと下ろし、路地へと駆け出していった。
置き去りにされたボクは全身に力を込め壁にもたれかかるようにして、よろよろと立ち上がった。それは彼の背中に揺られ続け、多少気だるさが軽くなったからでもあったのだが、あの声がもし本当にあの二人のものなら、ボクとしても目覚めが悪くなりそうな気がしたからだった。
ボクは壁をつたって進み、その路地を覗き込んだ。
其処には彼とイリアスとアミリア。それに見知らぬ数人の男達がいた。
彼が言っていたゴロツキとはきっと彼等のような輩のことだろう、とボクは推測した。彼はイリアスたち二人を背で庇うように男達と彼女達の間に入り、イリアスたちは彼の後ろで震えていた。
「なんだよ、ガキ」 男のうちの一人が言った。しかし、彼は男達を見つめ返すだけで、何も言葉を発しなかった。
そのことが男達の気に触ったのだろうか。男のうちの一人が彼に近付き、胸倉を掴み睨みつけた。
「このガキがっ! 黙ってんじゃねぇぞ!!」
それでも彼は男達を見つめ返すだけで、何一つ言葉を発しようとはしなかった。
男は逆上し、彼を殴りつけた。次いで他の男が倒れこんだ彼の腹を蹴り上げた。他の男達もそれに続き、彼は男達の輪の中に囲まれてしまった。こうなってしまうと、もう誰にも止められず、彼に対するリンチは永遠と続いていった。
だが、その間彼は一切の抵抗を見せなかった。時折暴力から身を防ごうと腕で庇ったりはしていたが、反撃は一切しようとしなかった。
ボクはその場から動けずにいた。だが、それは決して肉体的な問題ではなかった。ボクが行ったところで彼の重荷になるのは目に見えていたからだった。ボクは成り行きを見つめるより他になかった。
ようやく男達による理不尽な暴力から開放されたときには、彼は地に倒れ伏し、ボロ雑巾のような風体になってしまっていた。彼の色素の抜けた髪は砂利にまみれ、着ていた服もところどころ擦り切れていた。
そんな彼の頭を、男のうちの一人がむんずと掴みあげた。腫れ上がった彼の片頬があらわになり、ボクは顔をしかめた。
「よく見りゃこいつ、きれいな顔してんじゃん」
「おいおい、お前見境なしかよ」
「いいじゃんかよ。殴り足りない分は体で払ってもらえばさ〜」
「ははっ! クソガキ。お兄さん達と『良い事』して遊んでくれるなら、今回のことは忘れてやってもいいんだぜ?」
そう言うと男達は下品な笑い声をあげた。
それが男としてのプライドをズタズタに切り裂いてしまうような意味を含んだ嘲笑であったのにもかかわらず、彼は毅然として沈黙を貫いた。
男はチッと舌打をし、彼に向かって拳を振り上げた。
「その目がムカつくんだよ!!!」
その拳が彼に振り下ろされる直前、物陰から彼を見守るボクのすぐ横、触れるほど近い場所を、何か黒くて大きいものが通り過ぎていった。
その何か黒いもの――青馬は主人の周りをグルグルと回り、主人を侮辱した下郎たちを文字通り蹴散らした。
そして、男達を主人に危害を加えられない距離まで追いたてると、勝ち誇るようにひひんと気高く嘶き、主人を守ったことを誇るように胸を張って、シロは彼のもとに駆け寄ってきた。
「……ありがとう、シロ」
彼は立ち上がりながら、シロの顔を撫でた。
主人に褒められたのがよほど嬉しいのか、シロは彼の顔に鼻を摺り寄せ蹄を踏み鳴らし、全身で喜びを表現していた。
対する男達は、驚愕と恐怖の入り混じった表情を浮かべながら、彼とシロを見ていた。
「……日本語。まさか日本人!?」
「生き残りの感染者かよ……」
「親殺しの化け物っ!?」
男達の間で動揺はさらに広がっていった。そして、互いに顔を見合わせた後、蜘蛛の子を散らすように彼の前から逃げ去っていった。
彼は男達が戻ってくることがないか警戒を持って見届け、その気配が無いと悟ると張り詰めていた息をはぁと吐いた。そして振り返り微笑を浮かべ、腰を抜かしたのかぺたりと座り込んでいる二人に手を差し伸べた。
「大丈夫だった?」
二人は呆けた顔でそれを見つめていたが、はっと気がつき、彼の手を取って立ち上がった。
「怪我とか、してない?」
「え、と。大丈夫……です」
「お兄ちゃんの方がヒドイ怪我だよ!!」
珍しく的を射たアミリアの指摘に、イリアスは慌てふためいて挙動不審に陥った。具体的に描写するならば、驚いたように手を口に当てながら、同じ場所をおろおろと行ったり来たりするというような具合だった。
「ああ。いいんだよ、これくらい。いつものことだから」
「……いつもの、こと?」
そうやって聞き返したイリアスに、彼は苦笑で返した。どうやら彼女達には言いにくいことだったらしい。
「………コト!!!」
気まずい空気を醸し出した話題から話を逸らすようにイリアスはボクに駆け寄ってきた。その時、ボクは壁をつたい、彼に近付いていっていたのだ。
彼は一瞬、驚いたような表情を浮かべたが、すぐにそれは安堵の表情に変わっていた。それがボクが歩けるまでに回復したことに対するものなのか、ボクの保護者を見つけることができたことに対するものなのか、それとも両方なのかボクには分からなかったが、とにかくその時の彼はため息をつくと共に今度こそ本当に緊張や警戒といったものを解いたのだった。
「それで、キミ達はどうしてこんな所に? ……もしかして、迷子?」
「え、えっと。あの……」
「お姉ちゃんが迷子になったんだよ!!」
「エイミー!!!」
もじもじと返答するのを躊躇っているイリアスとは対照的に、アミリアは元気よく質問に答えた。
「ち、違うんです!! 決して私が迷ったわけじゃなくて、エイミーを、妹を追いかけていったら結果的にそうなっただけで!!」
「あ、ああ。分かった、分かったから。少し落ち着いてくれるか?」
つばが飛んでいきそうなほど必死の形相で弁明するイリアスを、彼は両の手のひらで押し留めた。急にテンションの高くなったイリアスをうまく扱いかねている様子だった。
「す、すみません……」
「それで、どの辺りから来たのか分かる? えーと、なにか目印になるようなもの覚えていないかな?」
「えっと……。あ! バス停が!!」
「バス停?」
「トラックが止めてある場所の近くにバス停がありました!!」
「だったら、こっちだよ。ついておいで」
「は、はい!!」
彼に先導されて歩いていく間、イリアスはずっと顔を赤く染めていた。それ故に熱でもあるんじゃないかと彼に心配されていたが、イリアスはさらに顔を真っ赤にさせて否定していた。
そうしてボク達は一本の細い道へと至り、彼は立ち止まった。
「あとはこの道を真っ直ぐに進めば、バス停はすぐそこだよ」
「ついてきて、くれないんですか?」
「大丈夫。一本道だから。それに……俺がついていったりしたら、キミ達のお父さんとお母さんはきっと、よくは思わないと思うから……」
彼はどこか悲しそうに、否、自嘲するようにそう言った。
正しい選択だ、とボクは思った。日本人というだけでボク達を忌み嫌う人間なんて数え切れないほどいるのだ。無駄なトラブルを避けるためには、何事にも出来るだけ関わらずに大人しくしておくのが一番の得策であるというのは常識にも等しいことだった。
「そ、そんなことないです!! きっと、歓迎してくれますよ!!」
イリアスのその発言は無知さゆえだったのだろう。イリアスは本当に心からそう信じているようだった。
イリアスは悪くない。だが、イリアスの穢れというものを知らないであろう純粋な瞳に、彼は肯定することも否定することもできず、なんとも言いがたい沈黙が流れた。
「あ、えっと。その……。あ、お礼、お礼です!! なにかお礼がしたいんです!!!」
「ありがとう。その気持ちだけ受け取っておくよ。じゃあ、俺はこれで……」
彼はシロに飛び乗り、別れの挨拶も早々にそのまま立ち去ろうとした。彼としては一刻も早くこの場から立ち去りたかったのかもしれない。しかし、そんな彼をイリアスは後ろから呼び止めた。
「……あの!!」
叫ぶように彼を呼び止めたイリアスは自分でも何を言いたかったのか分からなかったらしく、しばらくの間、もじもじとしていた。
そして、その間、律儀にもイリアスの発言を待ち続けた彼を、ボクは密かに多少の呆れと尊敬の念を込めて見つめていた。それは、ボクだったら絶対に逃げている、という確信のもとの感情だった。
「その……。私、イリアス=ラレンタンドっていいます! こっちは妹のアミリア、それからこの子はコトノハです!! えっと、アナタの名前は?」
随分と長い間躊躇った後の質問だっただけに、彼は拍子抜けした様子だった。
初対面の相手に対する場合のオーソドックスな質問だというのに、イリアスは何故ここまで躊躇ったのか。そのことがボクは疑問でならなかった。
だが彼はそれを不審に思わなかったらしく、馬上で自らの名を素直に名乗った。
「俺はスメロギ レンガ。レンガがファーストネームだよ」
「レンガ、さん……」
「じゃあね。もう迷子になっちゃいけないよ?」
「あ……」
イリアスの返事を待たずに、レンガと名乗った彼はシロという名の青馬を駆り、去っていった。
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