Act.11 永遠の少年は産声を上げた
Menin aeide, thea, Pele-iadeo Akhileos
(怒りを 歌ってください 詩神ムーサよ ペーレウスの息子であるアキレウスの怒りを……)
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その場所には雨が降っていた。その雨は一向に止む気配を見せなかった。
その場所には少女が横たわっていた。その少女は薄暗い路地裏にゴミのように捨てられていた。身に着けていたはずの衣服は全て剥ぎ取られ、その真っ白な肌には生々しい傷跡が刻まれていた。両手両足は手錠で繋がれていた。暴力を受けた痕があった。昨日まで笑顔を湛えていたはずの顔からは表情が消えていた。目はしっかりと見開かれ、どこでもない虚空を見つめていた。そうやって少女は息絶えていた。
その場所には子供達がいた。子供達は哀しげな、しかしどこか諦めたかのような表情をしていた。
「どうして……」
その時、ぽつりと呟いたのは一人の少年だった。身長のみに関しては既に大人といえるまでに達していた。しかしまだ成熟し切れておらず青年というには幼すぎる、そんなあどけない印象を受ける少年だった。単純な疑問や哀しさや悔しさが入り混じり、少年は顔を歪めていた。
「どうして俺達が虐げられる……!!」
子供達は彼に振り返った。最初は一人、そしてまた一人と振り返り、気付くと彼はその場にいる全ての子供の視線を一身に受けていた。
そして少年はその全てをしっかりと見つめ返した。
「俺達が弱いからか?俺達が抵抗できないからか?」
少年の問いに誰一人として答える者はいなかった。否、答える事ができなかった。
それはあまりにも当たり前のことで、いくら不条理でも唇をかんで耐えるしかないことだったからだ。
「弱い事が悪い事か?力を振るわないのが悪い事なのか!?」
彼の叫びは路地に響き、死肉を狙って集まってきたカラスが数羽、驚いたように飛び去っていった。
その羽音以外に物音を立てる者は誰もいなかった。サーサーと降り続ける雨ですら、その雨音を抑えたように思えた。
彼は無言のまま、もう二度と動く事のない少女に歩み寄り、何かを訴えるように見開かれた少女のその目を掌で包み込むようにそっと閉ざした。
「……許さない」
それはサナギから広げられたばかりの翅のように弱弱しく、それでも誰の助けも借りず飛び立とうとする気高き蝶のように凛とした声色で少年の唇から紡がれた。
「俺達から眼を逸らす大人達も、この世界も」
その言葉には悲痛なものが混じっていた。それはきっと怒りであり、後悔でもあり、悲しみでもあった。ただそれ以上に、誰にも流されず誰をも巻き込んでいく強固な決意そのものだった。
「『僕』は絶対に許さない」
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「なんだ。一般人か」
報道一筋うん十年とまではいかなくても、報道カメラマンとして各地を巡り、それなりに実績を積んできたはずの男――アイロニー=ウェルバーグはこの状況を理解する事が出来ないでいた。
目の前には獰猛に煌く白刃。自分の鼻面に突きつけられた片刃の斧。それこそドラマの世界で人質にされるような形で、すなわちは後ろから首に抱きつかれるような形で彼は拘束されていた。
いきなり後ろから抱きつかれる。それが女性から受けた行為であるのならこんなに嬉しいサプライズは無いだろう。だが生憎とどこか安心したかのように呟かれたその声色はまだ若い男のそれだった。
もしかしたら、そういう性癖なのだろうか。だとしたら嫌だな。勘弁してほしい。俺には少なくともそっちの気は無いんだから、男にいきなり抱きつかれても嬉しくもなんとも無いんだ。気付くとそうやって精一杯の現実逃避をしている自分がいた。だが、その推測は目の前の現実によって現在進行形で否定されていた。
まぁ、こんな真夜中にアウトローの吹き溜まりとして悪名高い第17地区なんかをうろついていた自分にももちろん責はあるだろうが、それが報道人としての性なのだから仕方が無かったんだ。大体、今回の取材で何かスクープでも掴まなければ、うちの新聞社は今度こそ本当に潰れてしまうのだ。たとえ常に倒産の危機に瀕している極小企業で、常日頃はそれを「なんで潰れないのかが不思議」と冗談めかして言いあっているとしても、今回ばかりは冗談では済まされない。先代社長が突然倒れて、その娘が会社を継いでから、ろくな事が無いのだ。そもそも、ろくに経験も無い小娘が社長になるだなんて、俺は反対だったんだ。それなのに男女平等、女性差別反対だとか言って、あんな素人を持ち上げたりするから案の定、今倒産の危機にある、というわけだ。
だから、こんな場所に来るはめになったのだし、こんな状況になってしまったのだ。まったく。恨むよ、社長。特に先代。
「……おい。………おい!」
「ひっ……!!」
自分を拘束する男のイラついた声と自分自身の情けない叫び声によって、俺の意識は現実に無理矢理引き戻された。そして再び気を失いそうになった。目を開いてすぐ、触れる寸前の位置には未だに斧が突きつけられたままだったのだ。
「な、なんでしょう……」
「そこのカバンはお前のか?」
そう言い、男が指差した先には真っ黒な俺のカバンが転がっていた。中からは商売道具であるカメラのレンズが覗いている。
「は、はい」
「そうか……」
男は二言三言、聞きなれない言語――恐らくは旧日本語で、その背後に何かを指示した。すると、俺の死角となっている場所からもう一人の人影が現れた。フードを深く被り顔は判別できないが、小柄な体つきから推測するに多分、女だ。
指示されたその女は俺のカバンを持ち上げると、カメラとフィルムを次々と取り出していった。
「あっ!!」
「悪いけど証拠は消しておかないとな」
使用済みのフィルムと使い捨てカメラを全て取り出すと、女はマッチを取り出し、火を放った。火はあっという間に燃え広がり、見る見るうちに、ここ数週間の取材の成果が灰に還っていった。
「俺の苦労が……」
泣きそうになるのを堪え、俺は搾り出すようにそれだけを言った。
あれだけの取材をするために払った犠牲は大きいのだ。前々から決まっていた予定は全てキャンセルし、ガスも電気も使えない不便な生活に耐え、掃き溜めのような場所で生きるしか能の無い下衆共に混じって、必死に取材を続けてきたのだ。
だからこそ、その成果は大きかった。
ユーラシア連邦従属国ニホン、センダイ支部の中央議会、その有力議員の一人が第17地区のとある娼館に入り浸っている証拠を掴んだのだ。しかもその娼館、違法な薬を輸入しては金持ち共に売っていて、その議員も買っていたらしい。その証拠さえ掴めれば、薬を規制する新たな法が制定されたばかりの今、それはこのセンダイ支部を揺るがす大スキャンダルだったのだ。
「………」
「不運だったな。ネタを探して、こんな場所に迷い込むなんて」
「はぁ……」
「そんなアンラッキーなお前に、最高に優しい僕からのプレゼントをくれてやるよ」
「プ、プレゼント?」
「そう。大スクープ、さ」
大スクープ。その単語を聞いた瞬間、俺の体はびくりと反応した。例えるなら、猟犬が獲物の匂いを嗅ぎつけたかのような感じだ。この男の言っている事は嘘ではない。ジャーナリストとしての本能がそう告げていた。
「本当に?」
「ああ」
疑問ではなく、確認だった。この男は何か本当に重要な事を知っている。そんな確信があった。だが同時に恐ろしくもあった。ジャーナリストとしてそれなりの死線はくぐってきたつもりだ。テロ現場や、本物の戦場にも行ったことがある。その間に培われた俺の生存本能はこの先に足を踏み入れてはならないと訴えていた。
「この先にある娼館は知ってるよな?」
俺は首肯で返した。思わず呑み込んだ唾がごくりと音をたてた。
「そこの三階、303号室に行くといい。ただし」
男はそこで言葉を切り、俺の耳に唇を寄せて心なし声を潜めた。
「途中、絶対に振り向いてはいけない」
「……もし、振り向いたら?」
「振り返ってしまった詩人と花嫁のように、お前の首と胴が永遠に泣き別れる事になる」
言いながら男は斧の刃を俺に首に押し付けてきた。俺はこくこくと細かく頷いた。頷く事しかできなかった。
「分かったならいい」
女は俺の手にカメラだけを押し付け、男は僅かに笑いながら斧を引き、俺から離れていった。
「行け」
男の声に俺はわき目も振らず駆け出した。一刻も早くあの場所から離れたい。ただその一心で無我夢中に走り続けた。
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やがて、一棟のビルに行き当たった。議員が入り浸っていた例の娼館だった。だが、ビルには明かりどころか、人の気配すらしなかった。真夜中に近いとはいえ、こういう職業の人間にとってはまだまだ商売時のはずだ。どこか違和感を感じながらも俺はビルの中に足を踏み入れた。
ビル内部は静まり返っていた。もはや人の気配がしないというレベルでは無い。犬猫やネズミの足音すらしない。俺はこのビル内で今生きているのは、自分一人だけであるような奇妙な感覚に囚われた。
「なんなんだ……」
疑問を口にしながらも、俺は男に教えられた場所、このビルの三階、303号室へと歩みを進めた。
俺は結局、誰にも会うことなく三階まで上った。すると、むせ返るような異臭が鼻をついた。その異臭は俺の目的地、303号室から流れてきていた。
俺は警戒しながらも近付き、そして、異臭の正体を見た。
ベッドからは不自然な曲がり方をした手が覗いていた。爪は全て剥がされ、血もすっかり抜け切り、真っ白になっていた。清潔な白色であっただろうシーツは真っ赤に濡れ、未だ乾ききっていないものが滴り落ちていた。床では胴体が腰の部分で断ち切られ、中身がはみ出していた。そしてテーブルの上、虚ろに濁った目でこちらを見つめているのは、例の議員の頭部だった。
俺は部屋を飛び出し、嘔吐した。胃の内容物を全て吐き出しても、まだ嘔吐感は止まらなかった。内臓ごと吐き出しそうな勢いで俺は吐き続けた。
執拗に痛めつけられた屍体。関節毎で分解された下半身。部屋中に残る傷跡。粉々になった硝子。舌に刺さった釘。吊るされた左腕。
狂ってる。普通の精神の持ち主の仕業じゃない。
だが、同時にこれが大スクープだと俺は確信していた。
ようやく冷静さを取り戻し、俺は再び部屋に入った。震える手でカメラを構えながらその惨状を見渡すと、薄汚れた壁に血で書きなぐられた赤黒い文字が目に付いた。それは赤黒く染まった部屋の中でも一際存在感を放っていた。
『To fools assuming the air of a ruler sanctions of the death.
I am a master of the Never Land.
I am Peter Pan!
(支配者気取りの愚か者どもに死の制裁を。僕はネバーランドの主。僕はピーターパンだ!!)』
「ピーターパン……。アイツが……」
その瞬間、俺の中から恐怖は消え去り、夢中でシャッターを切っていた。 |